トルコ旅行に行きたい・トルコツアーに参加したい・トルコ観光を満喫したいならターキッシュエア&トラベル | トルコ観光・ツアーブログ:16世紀後半には料理人は1200人もいたトプカプ宮殿。年間に3万羽の鶏、22500頭の羊が消費された。毎日の夕食には132種類のメインディッシュが準備された。

JATA
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トルコ観光・ツアーブログ:16世紀後半には料理人は1200人もいたトプカプ宮殿。年間に3万羽の鶏、22500頭の羊が消費された。毎日の夕食には132種類のメインディッシュが準備された。


トルコ語のトプは「大砲」を、カプは「門」を意味する。かつて、宮殿の正門のひとつに2台の巨大な大砲が据えられていた。門そのものは残ってないが「大砲門の宮殿」トプカプサライという名前だけが残ったのである。 
トプカプ宮殿を見学する前に、およそ500年の間ここが世界に冠たる大帝国の中心となっていた事を心に留めてほしい。帝国の領土は西は全バルカンを含んでウィーンに迫り、北は黒海クリミア・コーカサス地方、カスピ海、東はペルシア湾からアラビア半島へ、南はいわゆるヘラクレスの柱を越えて全地中海から、チャド湖に至る北アフリカまで広がる広大なものだった。世界の七不思議といわれた地点のすべてがこの帝国領内に含まれていた。18の宗教が信仰され、20の言語が使われていたというこの大帝国の絶対権力者は、トプカプ宮殿に住む「アラーの影」-スルタン-だった。 1299年の初代オスマンから、1922年に最後のスルタンがイギリスの砲艦にのって逃げ出すまで、36人のスルタンが帝国を支配し、その半数以上がこのトプカプ宮殿に住んでいた。 


宮殿には常時約6000人が住んでいたという。スルタンの権力を物語るエピソードとして、小姓たちが御殿医に歯を抜いてもらう時には、まずその歯の位置を詳しく描いてスルタンの許しを得てから出かけたという。もし、御殿医がヤブ医者でとなりの歯を抜いてしまったら、自分自身の歯も1本抜かなければならなかった。なぜならこのような誤ちはスルタンの財産を損傷したと考えられたから。
ただし、オスマンのスルタンについて語られているほとんどは、当時の「歴史家」の手になるものだという事を忘れてはならない。当時の歴史家にとって歴史も小説もたいしたちがいはなかったらしい。もうひとつの情報源である外国人使者たちの手紙も又然りであって、想像力ゆたかな報告書を国元に送るのはふつうだったらしい。しかし、近年の科学的歴史研究によって、オスマントルコ史も公平な視点からみてただされていくものと信じている。 
トプカプ宮殿は1467年から1840年までのものと言ってよいだろう。メフメットⅡ世(征服王)のあと、歴代のスルタンたちが改築したり、壊したり…それぞれの好みに応じて手を加えられたので、さまざまな時代の建物がまとまりなく並んでいるような印象を受ける。 
第一の中庭
さて、実際の宮殿内に入るためには、当時の習慣にしたがって第二の門、つまり送迎門でバスやらくだ、かご、タクシーを降りていただく。この門を乗物にのって通れるのはスルタンだけである。門をくぐる前に、右側のスズカケの木に隠れている簡素な泉の前でしばし足を止めてほしい。「死刑執行人の泉」である。大臣など高官がスルタンのごきげんを損ねるとただちに首を切られ(文字通りに)、この泉で洗われた首は中央に設けられたさらし台にのせられたという。新任の大臣が任命されて宮殿にはせ参じた時、前任者の生首が門前で出迎え、教訓を与えるのだった。19世紀後半、ドイツのウイルヘルム・カイセルII世が来訪した時、当時のスルタンは悪印象を恐れて、泉を壁から離したが、1924年に博物館になってから再び元の場所に戻された。 
第二の中庭 
この中庭には糸杉、スズカケ、クルミの木や花々…がさりげなく植えられ庭園らしい印象を与える。古い記録によるとかつてここには18種の梨の木、14種の梅、そして7種類のマルメロの木があったとか。しかし実際は果樹といえるものは1本しか残っていない。それはガイドに言わせると世界で1本しかない「松いちじく」。中央通路の中ほどにある糸杉にいちじくをつぎ木してできたもので、宮殿の数あるコレクションよりも注目に値する! 


台所
第二の中庭の右手の二棟の長い建物はかつて台所であった。手前の建物は、ブリキ工場と料理人の宿舎で、奥の建物は大きな煙突からみて実際の調理場だったにちがいない。16世紀後半には料理人は1200人もいたという。年間に3万羽の鶏、22500頭の羊が消費された。毎日の夕食には132種類のメインディッシュが準備された。コックはそれぞれパン焼、チキン、おかし…というような専門に分けられていた。スルタンとその家族には専属のコックがいて時には専用の台所も与えられた。スルタンの「4人の妻」には、毎日5kgの肉、2kgのバター、夏場になるとろばの背にのるだけの雪、一皿のクリームに最上の小麦で焼いたパン4片、はちみつ0.5kg、果物1 kg、4羽の鶏に卵が2個それに季節の野菜が支給された。4人の御婦人にとって十分なものと思うが…。 
台所の大部分には今日、宮殿の陶磁器コレクションが展示されている。スルタン達の陶磁器好みと振子式時計マニアは有名である。トプカプの陶磁器コレクションは10512点といわれるが、見学者にとって幸いな事にスペースの関係でその一部だけしか展示されていない。コレクションの大部分はスルタンが買い求めたものだが、プレゼントや戦利品として運ばれたものも多い。 
青磁は、毒入りの料理をもると変色すると信じられていたので、いつも毒殺を恐れていたスルタンたちには人気があった。19世紀後半のスルタン、アブドゥルハミットはタバコの毒味まで宦官にさせていたという。最後の部屋には伊万里として知られた日本の陶磁器も展示されている。 
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