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JATA
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トルコ観光・ツアーブログ:今日はトルコの二つ目の世界七不思議であるエーゲ海最大の古代都市エフェソスのアルテミス神殿を紹介します


“母なる女神エフェソスのアルテミス“

アルテミス:アルテミスとは何世紀もの間地中海沿岸地域で崇拝されていた女神の名前である。メソポタミア全域で地母神として認められていたクバラは、フリギア語でキベレと紹介された。地母神信仰はアナリアからメソポタミア、シリア、レバノン、パレスチナ、そこからエジプトヘ。またエ-ゲの島々からクレタヘと広がっていった。


そしてそれは中東地域ばかりではなくギリシャやイタリアヘも大きな影響を与えた。大地と豊饒と多産を象徴したこの地母神は様々な名で、様々な時代に、様々な場所で崇拝されていた。エフェソスでこの地母神信仰の進展が見られたという明確な伝承はないがホメロスの時代になると、アルテミスは間違いなくイオニア人の守護神として崇拝されていた。

『アルテミスを褒めたたえよ。さあ、ミューズ。弓術の神のきょうだいよ。誰が竪琴の名人アポロンを育てたのだ。ラシュ(古代植物の名)が生い茂るメセル川で馬に水を与えよ。そしてスミルナを飛ぶように走り去り、ブドウ畑のクラロスの元へと金の戦車に乗って行け。その地に王座を作れ、銀の竪琴を待つ神よ。その地に来るであろうきょうだいを待ち受けよ。』

女神が持つ変わらぬ特徴の一つに3の数がある。女神アルテミスは処女、妻、母を兼ねていると見なされている。「あらゆる自然はこの野性の女神に委ねられた。土が果物と花々をもたらすのは女神の命によってである。女神は自然の力、大気、土そして海を支配する。女神は動物の生命を支配する。女神は野性の獣を服従させ絶滅から守る。女神は誕生を助力する。」詩人ホメロスはアルテミスのことを“野性動物の女神”と呼んでいる。アルテミスはマルシリア、カルタゴ、近東諸国の守護神となった。文明社会の支配者を意味して、女神の頭上には町の塔を表す王冠が載せられた。毎年どこの地でも豊饒の女神アルテミスを祝う大きな祭りが開かれ、溢れる程の信仰者で賑わった。女神はまた“蜂の女神”としても知られていたようだ。エフェソスで使われていた硬貨の片面にはアルテミスの象徴だった女王蜂が描かれている。カリマコスによって書かれたアルテミスを讃える詩はアマゾンの踊りを歌った一節で終わっている。「誰もが待ちどうしいアルテミスの踊りよ。」毎年アルテミスの祭りは1ケ月間続いた。芝居や踊り、物売りなど多くの人々がこの祭りに参加するため、諸国の隅々からエフェソスヘと押し寄せた。


アルテミス神に捧げられた最初の神殿はBC625年に完成したが、キンメル人の攻略で破壊された。プリニーによるとこの壮麗な建造物は歴史上9度破壊され再建されたと言う。古代の神殿にはリディア王クロエソスにより寄贈された大理石の円柱が立っていた。しかし近代になってからその神殿より更に古い時代の同設計、同寸法の神殿が発見された。出土品は現在大英博物館に保管されている。また1904-1906年の大英博物館のデビット・ジョージ・ホガースによる発掘証査ては、同じ古代神殿のものと推定される別の3つの層が見つかった。更にBC6世紀の最下層部分から硬貨も発見された。後期のアルテミス神殿はBC564-540に建てられた。スコパス、プラクシテレス、ポリュクレイトス、フィデアス、クレシラス、シドン、アペッレスなど、その時代の最高水準の芸術家や建築家が集まり、アテネのパルテノン神殿の4倍の大きさの壮大な神殿を造るために全力が注がれた。アペッレスは神殿内部のアフロディテの絵を手掛けた。

プリニーの“Naturalis Historia”によると、この神殿は高さ20mに及ぶ127本の円柱からなる大きさ200×425mのイオニア様式神殿だった。
世界の七不思議の一つとされるアルテミス神殿は、後に自分の名を永遠に歴史上に残しておきたいと考えていたヘラストラトスという狂人の放火が原因で焼け落ちた。その後イラン出征の途中、エフェソスを訪れたアレキサンタこ大王は、神殿の修復費用の全てを引き受けると申し出て、大王自らの名の刻まれた記念碑を造るように命じた。しかしエフェソスの人々は「神である大王が別の神を祀る神殿を造るのは相応しいことではありません。」と大王のプライドを傷つけることなく断ったと言う。

BC334-260年に建造された新しい神殿は、その当時では最大規模のギリシャ式神殿だった。元の神殿の土台の上に全く同じ寸法で復元された。しかし湿地性の土地のために16段のクレピドマ(階段)が設けられた。神殿は半島の東西軸上に正確に建設された。そして三面を“聖なる港”の海に接して配置され、船が直接神殿の階段に横づけ出来る様工夫された。クロエソスにより初期に造られた神殿の建築家はケルシフィロンとメテセネス、一方BC4世紀の神殿はクリトクラテスとオノクラテスの設計とされている。神殿はAD262年のゴート人の侵略により破壊されその後復元されることはなかった。

アルテミス神殿はイオニア式建築の最高傑作だった。神殿は主に宗数的施設として利用された。多くの祭司が神殿内で生活した。そして硬貨が鋳造され信用取引が開始し金融業が成立した。
毎年5月には女神の誕生を祝って祭りが盛大に催された。キリスト教信仰と一神論が人々の間に広まるまで、エフェソスはアルテミスの聖なる巡礼地であった。神殿の神聖に逆らう異端者も現れたが、それでもアルテミスは西アナトリア全ての支配者達に深く崇拝されていた。聖パウロがキリスト教を布教するためエフェソスを訪れた時も、エフェソスの人々は口々に“エフェソスのアルテミスは偉大なり!”と叫びながら徹底的に彼に抗議した。しかし時は移りキリスト教の時代になった時、それまで何世紀も続いていたアルテミス信仰は禁止された。エフェソスの人々はアルテミスが持っていた神聖さを今度は聖母マリアに求めたのである。


発掘
初期の神殿は1869-74年に大英博物館のJ・T・ウッドが中心となった発掘で明らかにされた。当時J・T・ウッドは鉄道建設に携わっていた。 1869年の発掘では神殿の一角が見つかっている。出土品は始めイズミルヘその後ベニスを経由してロンドンヘと運ばれた。現在神殿の主な発掘物は大英博物館に保管されている。記録によるとアルテミス神殿の石材はイスタンブルのアヤソフィア聖堂の建設にも再利用された。
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