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トルコ観光・ツアーブログ:ヘレニズム期のエフェソスがアルテミス信仰の町として栄えたように、アフロディシアスの人々はアフロディテに深く帰依していた


芸術・学問都市としての誉れ高かったアフロディシアスの遺跡はアクダア山地の麓の高原にひっそりと古代の情緒を漂わせている。 
古代小アジアにおいて重要な役割を果たしたこの町の歴史は青銅器時代にまで遡ることが確認されている。町の名前も時代と共に変わってきたが、その一つであるニノヴァは明らかにバビロニアと関連している。アフロディシアスとして登場するのはヘレニズム時代からである。当時、ペルガモン派の流れを汲む彫刻師の学校があり、たくさんの芸術家がこの町に集まってきた。写実的でダイナミックな表現はギリシァ、ローマを通じて人気の的だった。 
アフロディシアスを有名にしたもう一つはその名の通り、アフロディテ信仰である。


ヘレニズム期のエフェソスがアルテミス信仰の町として栄えたように、アフロディシアスの人々はアフロディテに深く帰依していた。
町が最盛期を迎えたのはローマに入ってからである。独裁官スッラは神託に応えてアフロディシアスに贈物をしている。マルクス・アントニウスとティベリウスはこの町に特権を与えて敬意を示している。
信仰上の栄誉と文化芸術の開花は一体となって町の発展を促した。したがって、キリスト教の台頭は古代信仰を掲げる市にとっては大問題だったろう。

 ビザンティン時代になると、町の名もスタウロポリス(十字架の町)に変わり、キリスト教の重要な教区とされたが、11世紀以降、セルジュクトルコの侵入と共に町は加速的に衰退していった。
20世紀初頭にフランスの学者による調査が行われたが、大きな成果を得たのは1960年代にニューヨーク大学のK.T.エリム教授が組織的に発掘してからだった。発掘調査は今も続けられている。 
遺跡の入り口近くに3世紀の城壁と博物館があり、博物館ではいわゆるアフロディシアス派として高い評価を得た彫刻の逸品を見ることができる。


皇帝たちの像、ブイロスの記念碑の浮き彫りなどローマ、ビザンティン期の大理石彫刻が多いが、先史時代の出土品や石棺、アフロディテの座像なども興味を引く。
アクロポリスの丘では先史時代の居住跡が確認されている。その近くの劇場は非常に美しく保存されている。1万人を収容できる劇場として紀元前1世紀に建設されたが、2世紀には闘技場としても使われていた。商業区のアゴラとティベリウスの柱廊の近くに残る壮大な遺構はハドリアヌスの浴場だった。たくさんの部屋に分かれているが、相撲場と治療用に使われた浴室も確認されている。この浴場からも様々な彫刻などが発見された。
2世紀又は4世紀と推定されるオデオンからはモザイクや彫像が見つかっている。オリジナルのオデオンはもっと大きなものだったらしい。
アフロディテ神殿は紀元前1世紀に建てられた。2世紀の皇帝ハドリアヌスはここを特別な聖域とし囲いをしている。6世紀になってキリスト教の聖堂に改造され、後陣の跡などが今も残る。
北の端に3万人を収容した壮大な競技場が広がっている。古代競技場の中でもとりわけ保存状態が良いことで知られる。1世紀又は2世紀に建設され、各種のスポーツやコンテスト、サーカスなどの舞台として人々の歓声が響いたことだろう。

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