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JATA
観光庁長官登録旅行業第1997号
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トルコ旅行ガイド

アンカラ、アナトリア文明博物館


トルコ共和国の首都アンカラのアナトリア文明博物館のユニークなコレクションは世界屈指のものといえよう。旧石器時代から近代までの貴重な品々が年代順に配置され、オスマン風ムードの中でアナトリアの長い歴史を興味深くたどる事ができる。

博物館の建物について
 
アナトリア文明博物館はアンカラ城の南側、アトパザール(馬の市)と呼ばれる地に位置している。オスマン時代の二つの建物、マフムトパシャ・ベデステンとクルスフンル・ハンを博物館としての新しい役割を担うべく改造したユニークな建築である。 
ベデステン(バザールの一部で特に責重な品々を貯えておく場)を建てたマフムトパシャは征服王メフメットII世の総理大臣だった。建物に銘は残っていないが、アンカラ“Sof”(山羊又はラクダの毛で織った布)がここから各地に出回っていたという記録がある。ベデステンはこの種のものとしてごく一般的なもので、中央の方形の部分は10のドーム型の屋根でおおわれ、周囲のアーケードはアーチ型天井の下に商店が、各業種ごとに向きあう形に並んでいた。
 
アンカラ地方の土地台帳や裁判記録の研究によると、クルスフンルフ・ハンはマフムトパシャのその後に総理大臣となったメフメットバシャによって作られたらしい。このハン(隊商宿)からの収入はイスタンブール、ウスキュダル地区の貧しい人々の福祉にあてられた。メフメットパシャはウスキュダルにモスクや神学校も建て彼自身その地に眠っている。この建物にも銘は残ってないが、1946年の修復工事の際、スルタンムラットのコⅡ世のコインが発そされた事から,15世紀前半、すでにここに隊商宿があったものと思われる。建築様式はオスマン時代の典型的なもので広い中庭を二階建ての建物がとりまいている。一階には28の部屋が、二階には30の部屋が並び各部屋には暖炉がついている。下の西側と南側はL字型のうまやになっている。 
二つの建物とも1881年に火災にあい使われなくなっていたのを今日、博物館として復活させたものである。

アナトリア文明博物館の歴史 
アンカラで最初の博物館は1921年にアンカラ城の塔のひとつアクカレに設置され、アウグストゥス神殿とローマ浴場からの出土品などが展示された。アタチュルクの提言によりヒッタイト博物館が創設される事になって、ヒッタイト時代の遺物が各地からアンカラに送られ始めた。そのためより大きな建物が必要となったのでマフムットパシャベデステンとクルスフンルハンの改築工事が1938年に始められた。 1943年に一部だけオーブンしたがすべての工事が終わったのは1968年である。1948年にアクカレの旧館は倉庫に変えられた。ベデスタンの5つの店舗は原型のまま残されたが他の各店舗部分の仕切りは取り払われて大きな回廊部分が展示場として生まれ変わった。 
クルスフンルハンは現在、研究室、図書館、会議室、作業室、事務室などとして使われている。 
アナトリア文明博物館のユニークなコレクションは世界屈指のものといえよう。旧石器時代から近代までの貴重な品々が年代順に配置され、オスマン風ムードの中でアナトリアの長い歴史を興味深くたどる事ができる。


旧石器時代 
旧石器時代は、地域差はあるが一般的時代区分でいうと約200万年前から1万年前まで続いていた。この長い先史時代に初期の人類が出現し、道具の使用を覚えた事が進化への重要な第一歩となった。 
旧石器時代人はいつも自然環境におびやかされながら狩猟採集のくらしをしていた。農耕はまだ知らなかったので、気候や環境の変化に応じて移動し適当な岩陰や洞穴に住んで生活していた。この時代は前期、中期、後期に区分される。 
前期の人々は食物を得るために、あるいは自らの身を守るために石で簡単な道具や武器を作り始めた。石器はもっと硬い石を使って形づくった。 

前期の温暖な気候は中期になると乾燥した厳しい気候に変わり、大雪が続き氷河時代へと移っていく。それに伴って人々の生活にも変化が起こり、石器に見られるように技術面でも大きく進歩した。粗い両刃の石器は姿を消し、刃を修正して切ったり皮をはいだりもできるようになった。新石器時代中期のネアンデルタール人は石器を用いてマンモス・サイ・鹿などの大きな動物も殺すことができた。 
又、この時期にある種の祭式が行われていた証拠もある。例えば1つ又は2つの穴のある墓が見つかり、その隣りに食物を貯えた跡がある。これはネアンデルタール人の埋葬の習慣を示していると思われる。旧石器時代後期になると再び冷たく乾燥した気候になり、近代人の祖であるホモサピエンスがネアンデルタール人にとって代わった。ホモサピエンスは近代人に類似して知性も発連していたので、石器加工の技術も頂点に連した。長く使われてきた両刃の手斧型の石器は姿を消して、薄くて硬い刃のものに代わった。皮はぎ、石のドリル、のみ、矢じり、織機の後なども石で作られた。 
骨や角からもさまざまな道具を作った。骨器を作るための専用の石器も用いられていた。つまり、旧石器時代後期にはすでに、道具を作るための道具がすでに使われていたのである。 

他に重要な点として、人間の精神生活と関連した芸術の進歩があげられる。彩色画、線画、レリーフなどが洞穴の壁や様々な物に描かれたし像も作られた。これらから芸術の歴史における旧石器時代の役割を知ることができよう。骨や歯、貝を利用した装身具もこの頃作られ始めた。死体の埋葬はこの頃から一定の様式に従って行われるようになった。 
旧石器時代のアナトリアについて、これまでの発掘調査によってすべて明確になったとはいえない。しかし、発見された道具、人骨、動植物、その他からみて、かなりの数の人間がこの時代を通してアナトリアに住んでいた事ぱあきらかである。 
アナトリアで現在までに発見された遺跡で、旧石器時代の各層がそのまま見られるのはカライン洞穴だけである。アンタルヤの北西30kmにあり、旧石器時代の前、中、後期のそれぞれの住居跡が沢山残されている。おびただしい数の人骨-焼かれたものも焼かれてないものも-に加えて石器や骨器など器物、ネアンデルタール人やホモサピエンスの骨や歯が出土している。 
カライン洞穴はアナトリアだけでなく、近東における重要な旧石器時代遺跡である。 
この時代のアナトリアについてまだよくわからない面が多いのは、年代づけの方法がまだ確立されていないためである。しかし、ユーフラテス下流の発掘調査による出土品やカライン、ヤルムブルガズの再発掘などによって研究は続けられている。層位や年代づけの残された問題を解決するための重要な証拠が次々と見つかってきている。 
アナトリア文明博物館の、旧石器時代の展示品で最もすばらしいものはカラインからのものである。手斧、皮はぎ、矢じりなどさまざまな石の道具が展示されている。骨器としては、オール、針、装身具などがある。これらは、旧石器時代の各層を示す、10.5mの深さの堆積層から出土したものである。

新石器時代  
この博物館に展示されている出土品の中でチャタルフユックに次ぐのはハジラルの遺跡からのものである。ハジラルはブルドゥルの南東25kmにあり、後期新石器特赦(紀元前5700~5600)の9層の居住地跡のうちわずか4層だけ発掘された。ハジラルの家々は石の土台を持ち壁は泥レンガでチャタルフユックよりも規模が大きい。床と壁は赤く塗ってある。平屋根は木の柱で支えられ、中には二階建てもあったらしく階段も見つかっている。チャタルフユックと異なり、ハジラルでは集落の外に埋葬された。ほとんどの家から、地母神の立像や座像が出土している。土器はよく焼きしめられて赤、茶色、かっ色のうわぐすりをかけてある。展示品の中で特におもしろいのは、女性の頭部を型どり赤い光沢のあるカップと鹿、豚、鳥などの動物の形をしたリュトンである。植物や、角製でフリントをはめこんだカマをみるとハジラルの人々が農耕を知っていた事もわかる。粘土の糸つむぎ車も出ている事から、織物の技術を持っていたことも知られる。

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