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JATA
観光庁長官登録旅行業第1997号
日本旅行業協会 正会員
東京商工会議所 会員
トルコ旅行ガイド

アララット山・イスハクパシャ宮殿


標高5,165mの主峰アララット山はトルコ最高の山である。アララットは聖書でいうノアの箱船が漂着した山である。アララットには通常ドウベヤズィトから入山する。木々の生息は3,000m辺りまでで、4,400mからは常に雪に覆われている。

アララット山

標高5,165mの主峰(大アララット)はトルコ最高の山で、小アララットの方でも3,925mある。アララット山(火山)は19世紀よりトルコとロシア、イランの国境を成しているが、1920年に締結のギュムル条約ではアララットはトルコ領内とあり、アラス川を以ってロシアとの国境とされている。アララットは聖書でいうノアの箱船が漂着した山である。1951年にアメリカ、1955年にはフランスの研究団が調査に入ったが事実を立証するものは何も得られずに終わっている。アララットには通常ドウベヤズィトから入山する。木々の生息は3,000m辺りまでで、3,500m以上からは非常に急な斜面となっている。2,500~3,000mの間は霧が濃い時が多いので注意が必要。4,400mからは常に雪に覆われている。

アララット山
イスハクパシャ宮殿
ドゥベヤズィトの南6km、2,220mの岩場に立つ。その昔はここからシルクロードを監視し、B.C.1世紀にはウラルトの砦が置かれていた。強靭な高い壁に包囲された宮殿は1700年にエミル(皇子)イスハク・パシャの命によって建設され、後にセルジュークやオスマン族達が要塞を設けている。1402年のアンカラの戦いでチムールに破れたスルタン・べヤズィト1世はこの要塞に流され、1403年にここで生涯を閉じている。 
東門を潜ると護衛の目的で設けられた前庭に出る。再び門を抜けた所には前庭より小さめの第2内庭が続き、この北手には良い状態で今日まで残る白と赤の線の入ったミナレットがあるモスクが見られる。この側の「セラームルック」はエミル(皇子、首長)が客人達と接見した庭で、ここの入り口手前には八角形のエミルの霊廟がたっている。内庭に見られる2つの石の造りは地下の玄室への入り口である。ハレムへ続く第3の門は美しい。サロンを中心に寝室や厨房が造られており、調理に使った炉は今でもその姿を良く留めている。砦の向かい、斜面の上にオスマン時代のモスクが見られる。発掘調査でこのモスクの後ろから発見された9世紀のウラルトの浮き彫りは、同種のものとして唯一の非常に貴重なものである。

ワン
人口11万人。ワン湖の東5km、トプラックカレ(1,830m)とワン城塞(1,820m)の間の丘にある。標高1,720mのワン湖は面積3,720㎢、水に含まれる成分の為に石鹸の様な味がし、飲用には適さない。未だ水深も明確になっていないこの湖には藻類の他に生息する物は無い。

〔歴史〕
B.C.9世紀、サルドゥル1世の支配下でトゥシュパを都とするウラルト王国はワン湖周辺を統治していた。
勢力がピークに達したのはB.C.8世紀で、以降はアッシリアに敗戦したり、スキタイ族の侵略を受けたり、ウラルト王国は衰退の一途を辿った。王国はポントス王国に統括され、B.C.5世紀にはササン朝の属州となっている。(アレキサンダー大王によって一時統治されている)643年になるとアラブ人が侵入して来る。後の時代にこの地に入って来たセルジューク・トルコは1071年のマンズィケルトの戦いでビザンチンを駆逐し、ワン一帯の統治権を手中にした。この後、カラコユンル族をはじめとしてトルコ系の部族による権力交替が続く。モンゴルのチムール(1387年)がワンに侵略をかけ支配をした後はオスマン族の統治下に入っている。

*主要観光地抜粋

〔考古学博物館〕1972年につくられた博物館の内容は次のとおり;
庭園:アディルジュワズからの3mの浮き彫り、ウラルトの碑文、くさび形文字の書かれた片。
本館:2階建て。ウラルト時代の小物、トルコ民芸に関する品々、硬貨等。

旧ワン
ワン城塞の南裾野にあり、1917年まではロシアの統治下におかれていた。今ではほんの幾つかの遺跡が残るだけで、見学をするのであればチフテ・キリセ(対の教会)、高いミナレットのある12世紀のウル・ジャーミ、コンヤ・チェレビ・ジャーミ(16世紀)、ヒュスレブ・パシャ・ジャーミ(16世紀)等があげられる。

〔ワン城塞〕
かつてトゥシュパの砦が置かれていた長さ1,000m、高さ100mの隆起する石灰石の岩場は、市の西約2kmに位置する。要塞はウラルト王国を建設したサルドゥル1世がアッシリアから領土を護る目的でB.C.9世紀に建てたもので、彼に続く代々の支配者もここを防衛と居住の両方に使用してきた。発掘調査によって岩山の北麓から共同墓地が発見されている。中腹辺りの広い段丘は生にえを捧げる儀式が行なわれた場所である。険しい南斜面のウラルト王達の岩窟墓にはアッシリアのくさび形文字による碑文の残るものが見られ、王の中の王としてペルシアのクセルクセスを称えている。旧ワンとワン湖を見下ろす西手からの眺望は素晴らしい。城塞の中にはオスマン族のモスクがある。ここから更に西に進むと大きな岩の固まりが長方形の台地を形成している。これが「サルドゥル1世の城」で、ここからも6つのアッシリアの碑文が見付かっている。

チャウシテペ
ワンの西26km、ホシャプテぺ谷の間の石灰石の丘には要塞化されたウラルトの町チャウシテペの遺跡がある。上と下の城丘に二分され、上の丘では神殿の遺跡、下の方では宮殿、王子の墓、又、表面に記されたくさび形の文字がいまだ鮮明な30程の大きな容器が残る食料貯蔵庫の跡も見られる。要塞化された城はB.C.8世紀のサルゴン2世のものと思われている。

ホシャプ(ギュゼルス)
ワンの南東58km。川の対岸の険しい岩の上に立つマフムーディエ城は一見の価値がある。ここを1643年に建設した皇子ゼイネル・ベイを知る人は少ない。内部には14世紀のセルジュークの砦の遺跡が残る他、かつては350の部屋、3つの浴室、2つのモスク、多くの倉庫があった。ホシャプ・スユ(川)に架かるユニークな橋(16世紀)にも是非足を運んでみたい。

アフタマル
ワン湖上のこの小島には南湖畔にあるゲワシからボートに乗るのが良い。修道僧マヌエルによって10世紀に島の東端に建立された教会には赤い砂岩のレリーフが残っている。外壁には旧約聖書をテーマにアダム、イブ、ダビデ、玉座のキリスト、幼少のキリストと聖母等を表現した多彩な彫刻が施してある。
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