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JATA
観光庁長官登録旅行業第1997号
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トルコ旅行ガイド

アンタルア、ペルゲ


アンタルアの北18km。ギリシアの住民達が現在のアクロポリスの丘の北斜面に住まいを構え始めると、ペルゲは瞬く間に平野部まで拡がりを見せた。この地は険しい丘が防衛上好都合である事、周辺が耕地に適した肥沃な土壌である事、そして海に出る為に航行可能な川が近くにある事と条件が揃い、海岸に沿っての都市造りは海賊の襲撃を考えて、避けねばならない事であった。

アンタルア、ペルゲ旅行・ツアー

アンタルアの北18km。B.C.1000年から集落形成の跡が見られる。ギリシアの住民達が現在のアクロポリスの丘の北斜面に住まいを構え始めると、都市は瞬く間に平野部まで拡がりを見せた。この地は険しい丘が防衛上好都合である事、周辺が耕地に適した肥沃な土壌である事、そして海に出る為に航行可能な川が近くにある事と条件が揃い、海岸に沿っての都市造りは海賊の襲撃を考えて、避けねばならない事であった。B.C.7世紀、都市はリディアに、更に後にはペルシア人の手に落ちる。B.C.333年にアレキサンダー大王が現われ、ペルゲ、スィデ、アスベンドスを奪還した。大王の死後ペルゲはセレウコス朝の支配下に入り、いまだ発見されていないがアルテミス神殿はおそらくこの頃建立されたと言われている。133年、この地はローマの手に落ち、例えば列柱廊等、多くの建物が建設された。

ちなみに、80年、ローマの副執政官ベッレスはシシリアを強奪し、「ベッレスへの発言」の中でキケロからの告発を受けている。初期キリスト教時代、ペルゲは小アジアに於ける最古の共同生摘休として重要であり、聖パウロやバルナバスもここで布教活動を実施している。しかし、ビザンチン帝国時代になるとアクス川が土砂で浅くなり、海までの航行が不可能になった事と人口の減少が重なり、次第にさびれていった。

*主要観光地抜粋

〔劇場〕
B.C.1000年に回廊のあるギリシア・ローマ様式にて建築された14,000人収容可能な劇場である。舞台は長さ52mあり、内側の壁は大理石の浮き彫りで覆われていた。演劇と葡萄酒の守護神ディオニソスの誕生と生涯を表現した浮き彫りは、その一例として今も目にできるものである。

〔競技場〕
ペルゲで劇場に次ぐ規模のもので長さ234m、幅34mある。座席は丸天井のある造りで支えられ、これは同時に商店としても機能していた様である。観客収容能力12,000人。

〔ローマの城門〕(南門)
都市には西、東、そして3世紀、ローマ時代に造られた南門がある。正面には2つの塔があったが、片方は完全に破壊されている。アーチを用いた凱旋門様で、何度か改築の手を入れた後は都市の第2主要門として使用されてきた。

アンタルヤ、ペルゲ


〔セプティミウス・セベルス広場〕
ヘレニズムとローマの門の間にある広場で様々な重要な行事の執り行なわれた場所であった。

〔泉〕
広場の左手にはかつて二階建ての泉があった。水盤の正面に2つの小さな半円形の水溜まりがあり、市民はここから飲料水を得ていたのである。発掘調査中、ここから多くの浮き彫りや像が発見されており、此れ等は現在アンタリア博物館にて見学できる。 

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