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JATA
観光庁長官登録旅行業第1997号
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東京商工会議所 会員
トルコ旅行ガイド

アンタルヤ、アスペンドス


アンタルアの東44km。古い資料によるとアスペンドスの町はトロイ戦争中の退却の途中で、有名な予言者であるカルカスとモプソスにより建設されたとある。B.C.6世紀にはリディアに、続いてペルシアに支配された。ここでは特殊な銀貨が鋳造されていた様である。

アスペンドス旅行・ツアー・観光

 アンタルアの東44km。古い資料によるとアスペンドスの町はトロイ戦争中の退却の途中で、有名な予言者であるカルカスとモプソスにより建設されたとある。B.C.6世紀にはリディアに、続いてペルシアに支配された。ここでは特殊な銀貨が鋳造されていた様である。B.C.469年、アテネの将軍キモンは大型船も航行可能なユリメドン川の河口でペルシアを相手に連勝した。B.C.333年、アレキサンダー大王がこの地にやってくると、アスペンドス人は50タレントの金と数千頭の馬の贈呈と引き換えにアスペンドス征服を諦める旨大王に使者を送った。しかしアスペンドスはこの約束を果たさなかった為、大王は侵略の軍を進めるとともに、罰として50タレントの金と年貢を納める事を命じたのであった。B.C.190年、アスペンドスはベルガモン王国の、更に後には周辺の都市同様ローマの手に落ち、最盛期を迎えている。現在の遺跡のほとんどは当時のものである。


*主要観光地抜粋

〔劇場〕 
非常に良好な状態で保たれている。2世紀、皇帝マルクス・アウレリウスの命によりアスベンドスの建築家ゼノンの監督で建造されている。観客席は直径95mの半円形で、上部のギャラリーまできれいに残っている。2万人収容能力をもち、名前の彫られた高部の座席は上層階級の人々の為の指定席であった。高さ30mの舞台壁も実に美しい。この壁の下部には5つの門があり、急勾配の階段を使って舞台から客席に降りる事ができた。又、音響効果を高める為に舞台壁と客席は木の屋根で連結していた。何世紀もの間に舞台壁を覆っていた大理石は剥がれ、色彩りを添えていた円柱や彫像も今は土台のみ残っている。


〔競技場〕
劇場の北には広さ220×30mの競技場があるが、客席は損傷が激しい。


〔聖堂〕
100×18mの聖堂はアゴラの南手に位置する。かつては集会場ともて使用されていたと思われ、ビザンチン帝国期に再建されている。教会と同様3つの身廊をもつ。アゴラの近くにはその昔、役所として機能していた建物があった。             


〔アゴラ〕(市場)
聖堂の西手に泉、議事堂、野外談話室に囲まれる様にしてアゴラがある。アーチの下の丸屋根のついた部屋はビザンチン帝国期の貯水槽であった。アゴラの西に並ぶ13軒の同じ大きさの商店はアーケードに囲まれた二階建てであったと考えられている。

〔野外談話室〕
泉の後方。当時の協議場で、今は壁が残るのみである。

〔ローマ浴場〕
都市の南部。4つの部屋を持つ方形で、小規模のローマ浴場として典型的建造物である。

〔演武場〕
劇場に続く道の右手。市民の社会活動の中心であり、当然、各種のスポーツも行なわれていた。保存状態良好。

〔水道橋〕
アスペンドスで2番目に重要な建造物と言える。遺跡都市から1kmの距離にあり、ローマ時代の水道施設を今に伝える典型的な例である。
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