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JATA
観光庁長官登録旅行業第1997号
日本旅行業協会 正会員
東京商工会議所 会員
トルコ旅行ガイド

カッパドキア、ギョレメ


ギョレメの谷では古い昔、信仰を共にした共同体の生活が営まれていた。今日、野外博物館として管理されているこの谷の一帯には、独特の形の岩山を掘って造られたキリスト教の修道院が残されている。凝灰岩の一本岩を掘り抜いて迫られた教会の中現在30ほどの教会が公開されている。
カッパドキア、ギョレメ旅行・ツアー・観光

ギョレメには太古の昔から人が住み着いていたが、時代が下り、回教徒の迫害を避けたキリスト教徒がその特殊な地形を利用して隠れ住むようになった。ギョレメに残る最古の岩窟教会は7世紀のものだという。もっともその大半は崩壊してしまっているが。
 抽象的な装飾しか認められなかった偶像禁止時代(715~843年)もあったが、宗教芸術はこの地で大変な発達をして「カッパドキア様式」を生み出すに至った。教会の建造は11世紀に盛んになる。四角い平面を平屋根か丸天井で覆い、正面に小さな半円形の後陣部を置く形の教会の建造はこの時代に始まっている。つづいて教会の形はそのままで後陣が3つ置かれるようになり、更に4本か8本の円柱で身廊が3分され、中央部が丸屋根で側廊の屋根が平らな形を取るようになった。
コンスタンティノーポリに9~10世紀に移入された新様式は、カッパドキアに11世紀のはじめ頃登場する。これは、ほぼ四角い会堂の中央に4本の円柱が置かれ、床面が低くなっている形で、中央には(時には側廊にも)ドームが置かれ、正面には3つの壁がん式の後陣が設けられていた。
 この最後の形の教会でも、壁の漆喰が剥がれた下から象徴的な絵画が発見されることがよくある。勤物の絵もそれぞれ意味を持っている。たとえば魚はキリストを象徴した(「救いの神の子イエス・キリスト(Iesus Kristos Teou Uios Soter)」の頭文字を集めた「ikutes」がギリシア語で魚を意味したため〉し、鳩は聖霊と平和の象徴だった。
 なおギョレメにあるエル・ナザールの谷には「妖精の煙突」側の岸壁に「聖母の教会」がある。また、クルチラルの谷には、壁画はないが4柱式の「クルチラルの教会」が残っている。

カッパドキア旅行・観光の案内ビデオ

詳しくは右側のカッパドキア旅行・観光の案内ビデオをご覧になってください。 → → →
 
2分31秒

ギョレメの岩窟教会
 ギョレメの谷では古い昔、信仰を共にした共同体の生活が営まれていた。今日、野外博物館として管理されているこの谷の一帯には、独特の形の岩山を掘って造られたキリスト教の修道院が残されている。
 共同体を提唱したのはカエサリア(カイセリ)司教の聖バシルたった。彼は時代の浮薄な風潮を逃れて、人里離れたところで広域に分散して修行する小さな宗教共同体を提唱したのだった。


 凝灰岩の一本岩を掘り抜いて迫られた教会の数は多く、365の教会が迫られたという伝承もあるが、その中で現在も30ほどの教会が公開されている。
 むき出しの荒廃した岩山を飾るのは、僅かに換気や採光のための窓や入□の開□部だけである。これは人を避けて信仰生活に専念するためであり、また11世紀頃、ビザンチン帝国領内で熾烈を極めたトルコ人による迫害を逃れるためでもあった。ギョレメに教会が建てられたのはA.D.850年以降で、11世紀頃には内部のフレスコ画が完成した。都のビザンチン芸術の直接の影響を受けているとはいえ極めて素朴な絵である。
 地元の後援者の資金提供で、専門の画家が壁画を描いていることもあり、時には肖像画入りで画家や後援者の名が残されていることもある。綿密な学術調査によれば、この後援者は地元の有力者達だったことが判明している。彼らはときどきここに集まって、大切な商談を行ったらしい。これらの絵は8世紀中頃から9世紀にかけてビザンチン一帯で行われた偶像禁止が解かれた直後に描かれたものが大半である。


 壁画は、共同体がその営みをやめた後も、水が浸透し難く温度差も余りない凝灰岩に守られて、何百年にも渡って鮮やかな色調を保ってきた。

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