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JATA
観光庁長官登録旅行業第1997号
日本旅行業協会 正会員
東京商工会議所 会員
トルコ旅行ガイド

パムッカレ


非常に濃度の高い炭酸塩と石灰を含んだ35℃の湯が台地から100m下の平地に流れ落ちる間に冷却されて炭酸カルシウムが残る。自然の造り上げた頑丈な縁のある蓮の葉状の白い水盤が続くこの地をトルコ語で綿の城砦、即ち、パムッカレと呼ぶ。

パムッカレ旅行・ツアー

デニズリの北19km、大メンデレス川を100m程上がった所は2600×300mの広大な石灰質の台地となっており、ここに古代都市ヒエラポリスが置かれていた。台地は湧き水によって形成され、現在モーテルの立つ辺りはかつて浴場として利用されていた。非常に濃度の高い炭酸塩と石灰を含んだ35℃の湯が台地から100m下の平地に流れ落ちる間に冷却されて炭酸カルシウムが残る。これが段々畑状の地形に沿って、まるで水の流れの様な石灰棚を形成したのである。自然の造り上げた頑丈な縁のある蓮の葉状の白い水盤が続くこの地をトルコ語で綿の城砦、即ち、パムッカレと呼ぶ。


ヒエラポリス(HIERAPOLIS)
B.C.3世紀頃、辺り一帯はシリア王の支配下にあり、B.C.190年以降、マグネシアの戦いの後にベルガモン王国に包括される様になった。多分、町の建設はエウメネス2世により、ヒエラポリスの呼び名はベルガモンの伝説上創始者テレフォスの妻の名ヒエラに由来している。町が今の形になったのは皇帝ネロの時代、60年の大地震以降で、ローマの支配下で除々に発展への坂道を昇り始め、キリスト教の浸透に伴い繁栄を手にした。娘と共にここを訪れた聖フィリポは80年に殉教者としてここで生涯を閉じている。後、ヒエラポリスには司祭館が置かれたが、セルジュークの侵入以来、人口も減少してさびれてしまった。          
町はおそらく道路が碁盤の目の様に交差するヒポドモスのプランによると思われるが、他にヘレニズム時代風のものは見られない。今に残る遺跡はローマ時代に属する。

パムッカレ旅行・観光の案内ビデオ

詳しくは右側のパムッカレ旅行・観光の案内ビデオをご覧になってください。 → → →
 
1分52秒

*主要観光地抜粋 

〔劇場〕(2世紀) 
保存状態の非常に良いローマ劇場で、正面に長さ100m、50段の座席を有している。聴衆席は半円以上の広がりを持ち、その中央にはロイヤルボックスが設けられている。オーケストラは高さ1.8mの壁に囲まれ、4mの舞台背壁は3層の円柱に飾られ、これを支える八角形の基盤を彩った像や神話からの浮き彫りは今も見る事ができる。
a)岩水で神の子を洗う母と女官が共に見られるディオニソスの誕生。
b)馬とひょうに引かれた馬車に乗るディオニソス。
c)女性の膝に座るディオニソス。

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