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JATA
観光庁長官登録旅行業第1997号
日本旅行業協会 正会員
東京商工会議所 会員
トルコの世界遺産

トルコの世界遺産ネムルートのご紹介


古墳の直径は150m、内部まですべて小石で出来ているとしての試算によると約29万立方メートル、重量にして60万トンの石が使われているという。しかし堆石した小石が崩れないように、古墳の芯にあたる部分は山の岩盤を巧みに利用したものと推定したほうが自然であろう。
 ネムルート山とその古墳
ネムルートは1987年に世界遺産に登録された。
 コンマゲネの王アンティオコスⅠ世がネムルート山頂(2150m)に建設したヒエロテシオン(神聖な魂の最後の休息地)は古墳とその周りの三つのテラスからなる霊場である。東西のテラスには巨大な石像が並んでいる。その石像を彫った際に出た大量のこぶし大の石片を積み重ねて巨大な円錐形の塚を造りあげた。本来の古墳の高さは75mだった。しかし時が経つとともに人口の山は低くなる。
 アメリカの女性考古学者T.ゴエルが古墳内部の墓室を発見しようとダイナマイトを使用したこともあり、今ではその高さは50mになっている。
 古墳の直径は150m、内部まですべて小石で出来ているとしての試算によると約29万立方メートル、重量にして60万トンの石が使われているという。しかし堆石した小石が崩れないように、古墳の芯にあたる部分は山の岩盤を巧みに利用したものと推定したほうが自然であろう。
 テラスに並ぶ石像の玉座の背後に刻まれた碑文はアンティオコスⅠ世がここを自らの神聖なる墓地したことを示している。現在のところ、墓室もそれらしき大きな空洞も確認されていない。古墳への入り口を探そうとする試みもすべて空振りに終わった。しかし、最新の地球物理学的調査の結果はまだ公されていない。
 アンティオコスⅠ世の玉座の背には、王自身の言葉で、このヒエロテシオン建設の意義目的が語られている。
…それ故に天の王座に近く時の流れに損なわれることもないこの峰を神聖な安らぎの場と定めよう 神の恩寵をこうむった余の敬虔な魂が天帝ゼウスオロマスデスのみもとへと旅立つとき余の老いた肉体はここで永遠の眠りにつこう…

 古墳型の陵墓は北コーカサスのクルガン(高塚)文化に代表される。アナトリアでの最古の例としてはゴルディオンのフリギア王ミダスの陵やサルディス近くのビンテペに確認されたリディア時代の陵があげられよう。ネムルートの場合は陵の東西と北にテラスが造成された。特別な軸を考慮したわけではなく、山頂の地形による設計だったらしい。テラスは石像が彫られた時に出た大量の小石を敷き詰めて造成したが、西のテラスは東のそれよりも10mほど高くなっている。
 東西のテラスには、同じ配列の石像と三列の浮き彫りの石板が並んでいる。東のテラスの石像が比較的良い状態で残っているのに対し、西のテラスでは浮き彫りの方が保存状態が良いといえよう。東のテラスには石像と浮き彫りの他に、13.5×13.5mの大きな祭壇も設けられている。テラスヘ登る石段の跡も確認される。階段には自然石と共にブロックに切った石も使われていた。この階段は碑文を読む者のために、石像の背後にまで続いていた。
 王の誕生日(アウドナイオスの16日)と即位の日(ルースの10日)を祝うため、毎月16と10の日になるとコンマゲネの人々や神官たちは参道をたどり、この階段を登って儀式に参列したに違いない。大地に御神酒を注ぎ、いけにえや奉納の品々を捧げた後はお祭りの宴の楽しみが待っていた。
北のテラスには石像も浮き彫りも見られない。
 アンティオコスのお抱え彫刻師たちは素材としてネムルート山の天然の石灰質の石を選んだ。大理石より柔らかく扱いやすいし、自由にいくらでも手に入った。彫る道具としては尖ったもの、平板なもの様々のタイプのパンチやのみ、ハンマー、石目やすりやドリルなど当時のギリシャ、エジプト、イランの彫刻に一般的に使われていた用具が用いられたのだろう。石像の表面は非常に滑らかに磨き上げられていたことに気が付く。像を固定させる てこ の穴もいくつか確認される。
浮き彫りの石板は像の石灰岩よりも更に柔らかい砂岩でできており、数キロ離れた石切り場から運ぱれてきたものである。
 アンティオコスⅠ世の先祖を表した浮き彫りは未完成に終わっていることから、この霊場はアンティオコスの存命中に完成しなかったと推定されよう。


東のテラス
 東側のテラスには山頂をバックに大きな石像が並んでいる。その左右と正面には浅浮き彫りの石碑が中庭を囲み、石像に向かいあうように大きな祭壇があった。このテラスにだけ祭壇が設けられていたということは、ここが大切な祭式の場として使われていたことを示す。 
石像と浮き彫りの碑の背後に通路が設けられている。祭りに集う人々はこの通路をめぐりながら、像に刻まれた祈祷文や王国の法律、先祖を称える言葉などを読んだのだろう。
 一列に並んだ石像を見てみよう
左端のライオンとワシの像から始まり、右端もワシとライオンで終わっている。百獣の王ライオンと、天空の王者であり神々の伝達使たるワシはこの霊場の守護神の役割を与えられ、他の像と同等の大きさに彫られていた。頭部は転げ落ちて中庭に散在している。守護役の動物の間に並んだ像は左から右にアンティオコスⅠ世、女神コンマゲネ、ゼウス-オロマスデス、アポロン-ミトラス、そしてヘラクレス-アルタグネス-アレスである。この五体は一つの長い基壇にのせられている。像の高さは平均して8-10mになろう。
本来の位置に残る神像は王座に行儀良く腰掛け、両腕を曲げて腿におき、堅苦しいポーズである。
いずれも首から上は転がり落ちているが、コンマゲネを除いた像は、それぞれ様々なイラン風の被り物ティアラを頭につけていた。
表情には若さがあり、何か話し出さんというように唇をかすかに開いているのはヘレニズム美術の特徴を感じさせる。
くぼんだ目がきまじめな印象を強める。
左のアンティオコスⅠ世は王のしるし、錫(しゃく)を手にし、頭は王座のうしろに転がっている。
 その右はコンマゲネ王国の擬人像である女神コンマゲネ。都市や特定の地域を女性像で人格化したのはヘレニズムの影響である。ヘレニズム世界ではしばしば幸運の女神ティケがその役を果たしていた。コンマゲネの右肩に豊饒の角、コルノコピアが添えられていた跡が残る。右手には穀物の穂とブドウ、ザクロと何か細長い果物が見える。
1882年にネムルートの石像群が発見された時、コンマゲネの頭だけはその体にのっていたという。その後、背後に転がり落ちてかなりのダメージを受けてしまった。果物を象った髪飾りがようやく判別できる。 
その隣、中央に座を占めるのがゼウス-オロマスデス、ギリシャ世界のパンテオンの王ゼウスとゾロアスター教ペルシャのパンテオンの創造主オロマスデス(アフラ マズダ)を混淆した神である。オロマスデスはアフラマズダをギリシャ語風に呼んだものだった。この像はネムルート山の石像の中で最大で、31個の石が使われている。一番大きい石の重さは5トン、小さいものでも0.9トンもあり総重量は105トンに達する。
薄地らしきマントの胸の辺りにひだをとって背中に流し、左肩のフィブラで留めている。左手に持つのは稲妻と共に投げつけるという雷電の束である。
最高神の頭も像の前に転がり落ち、かなり破損されているがティアラには星の飾りが見える。
その右側はアポロン-ミトラス-ヘリオス-ヘルメスの合体した神である。ギリシャの神アポロンにゾロアスターペルシャの天の光の精霊ミトラス、そしてギリシャの太陽神ヘリオスと神々の伝達役ヘルメス。その像は27個の石から成り、それぞれの石の重さは6トンから0.1トンまで、総重量は60トンと見積もられている。ティアラを被った頭は落ちている。五番目がヘラクレス-アルタグネス-アレス。不滅の強者ヘラクレスとギリシャの戦の神アレス、ペルシャの軍神アルタグネスを一緒にした強い神で、左手の棍棒はヘラクレスのシンボルともいえるものである。彼の頭も落ちてしまった。
石像の正面の浮き彫の列に移ろう。デキシオシスつまり“握手の場面”が並んでいる。アンティオコスⅠ世が握手している相手は左から右に女神コンマゲネ、アポロン-ミトラス、ゼウス-オロマスデスそしてヘラクレス-アルタグネス-アレスである。
三方に並ぶ、浮き彫りの彫られた石板はすべて砂岩でできており、石のソケットにはめ込まれていた。それぞれの前には小さな奉納台が置かれている。
浮き彫りに描かれた人物の名前が裏面に刻まれている。これらの破片や、西のテラスにも残るこの種の浮き彫りから学者は東のテラスの浮き彫りの場面が何を意味するかを解明した。それによると中庭の北側に配置された浮き彫りはアンティオコスの父方の祖先を表している。石碑の裏にロドグネ、アラオンデス、アルタクセルクセスⅡムネモン、ダリウスⅡオコス、アルタクセルクセスⅠ、クセルクセスⅠ、そしてダリウスⅠ世の名が確認された。その向かい南側は母方の祖先たちで、アンティオコスⅠ自身と父ミトラダテスⅠカリニコス、セレウコス王国のアンティオコスⅦフィロメトル、デメトリウスⅡ二カトール、デメトリウスⅠ、セレウコスⅣフィロパトル、アンティオコスⅢ、セレウコスⅡカリニコス、アンティオコスⅡテオス、アンティオコスⅠソテル、セレウコスⅠ二カトール、そしてアレクサンダー大王である。
石像の向かい側の大きな祭壇には、香や甘い香りを放つハーブ、木の根その他の供え物がたっぶりと捧げられたに違いない。
石像の裏側は滑らかな壁のように仕上げられ、長い祈祷文の一部が残る。5-6cmの高浮き彫りのギリシャ文字で、二段に記されている。スペルなど細かな違いはあるものの西のテラスの石像の裏にもほとんど同一の文が記されている。
スタンレーM バースタインの英訳より、一部を訳してみると…

大王アンティオコス テオス ディカイオス、
エピファネス(*)フィロロマイオス そしてフィルヘレネ(**)
王ミトラダテス カリニコスと ラオディケ テア フィラデルフォス(***)
王アンティオコス エピファネス フィロメトル(****)カリニコスの娘の息子
今 聖別したこの場に 神聖なる文字を記す
余の博愛の成し遂げたる事業を永遠に残すために
人として最も善きこと 確かでかぐわしき喜びに満ちたこと
それは神を敬うことと余は考える 余の軍隊の幸運と至福も この敬虔さの賜物
我が王国のすべての者は 余がその生涯を通じて 最も信頼すべき守護者であり
神聖さを無上のよろこびとする者であることを 知るであろう
神を敬えばこそ 思わぬ大きな危険や 望ましくない行いは避けられ
神々の祝福に満たされた 長い命を生きてきた
父祖の王国を受け継いだ余アンティオコス 余の王座はすなわち
すべての神々のおわす王座と定める あらゆる技を尽くして 神々の姿を造ろう
幸いに満ちた 我が祖先のルーツたるペルシャとギリシャに古くから伝わるように
そして人間の普遍の慣わしにより 祭りを行い 犠牲を捧げる場を整えよう
尊き王者には 格別の栄誉を贈るべし それゆえに 天の王座に近く時の流れに損なわれることもない この峰を 神聖な安らぎの場と定めよう
神の恩寵をこうむった余の敬虔な魂が 天帝ゼウスオロマスデスの みもとへと
旅立つとき 余の老いた肉体は ここで永遠の眠りにつこう
そして この聖なる場の 我が祖先の偉大な友である
すべての神々の像ばかりでなく デーモンの像(*****)もまた
この山を聖峰とし 永遠に続く余の信仰の証しとなろう
ゼウス-オロマスデス、アポロン-ミトラス-ヘリオス
アルタグネス-ヘラクレス-アレス そして我が父祖の地をはぐくむ
コンマゲネ 余はこれらの神々の像を造る そして一つの石から
デーモンと共に 余自身の像を 新たなる幸いの神として 王座に据えよう
古代からの神々の友と 我が王家の戦に手助けした 姿ある友デーモンと共に
不足なき国土と そこからの途絶えることのない収穫を得て 余は惜しみ無く
犠牲を捧げ 絶え間なく祭りをおこなった
神官を任命し 由緒正しきペルシャの衣装を与え 余の幸運と 卓越した
デーモンにふさわしき儀式と奉仕の次第を整えた 永久に続くべき神事
はるか祖先の時代からの そしてこの世の慣わしとしての 犠牲を捧げると共に
神々と余の栄誉をたたえ 我が王国のすべての人民が 祝うべき日を定める
余の誕生の日アウダナイオス16日 そして余の即位の日ルース10日
これらの日々を 余の幸運の生涯を導き 余の王国に利益をもたらした
デーモンに捧げよう
年ごとに これらの日々を祝い たっぷりの犠牲を捧げ 盛大な宴を催すために
毎年それぞれ2日間を祭りの日と定める 我が王国のすべての民は
それぞれの町や村の祭りの場に集い 祝い 犠牲を捧げよ
将来 毎月の16日 余の誕生の日 そして毎月の10日 余の戴冠の日は
神官たちが集い 祝うこと これらすべてのことは永遠に残すべし
我らの名誉のためばかりではなく ひとりひとりの幸福を切に願うが故に 余は
神々の導きにより この聖なる場の 不滅の石碑に 神聖なる法を定め 記す
慎み深く敬虔なすべての者が 常にこころすべきこと 老いも若きもすべての
人間にとって正しきこと この土地に生を受け この土地の一部として生きる
すべての者に告げる
怠慢 尊大 不信心は 尊きデーモンの 呵責なき復讐を受けよう
そして又 神として祭られた英雄に対する不敬には 厳しき罰が下されよう
すべて神型なるものは尊ばれるべし それを軽んじた者は罰を受けるべし
余の言葉は掟であり 神々の意思である

(*)神の顕現 (**)ローマとギリシャの友 (***)兄弟おもいの
(****)母おもいの (*****)守護神としてのワシとライオンをさす

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