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トルコの世界遺産

トルコの世界遺産ハットゥシャシュのご紹介


特に前1279年にエジプトとの間で結ばれた“カデシュの条約”の発見の意義は大きい。玄武岩に彫ったライオンに守られた獅子の門、戦の神を浮き彫りにした王の門や独創的なトンネルの突撃門などを見ると、ヒッタイト人の土木建築技術の巧みさや、戦略的な才能に驚かされる。

 謎の民族といわれるヒッタイト、その都ハットウシャシュはボアズキョイの村を見下ろす切り立った台地に広がる。ここには前25世紀頃、ハッティと呼ばれる人々が住んでいた。ヒッタイト人がどこからか移動してきてこの地に定住したのは前18世紀頃といわれている。先住民族の文化を取り入れ、自らの個性と融和させながら軍事的、政治的に力をつけたヒッタイト王国は一時、バビロニアまで従属させるほどの大帝国となった。その都はハッティからとってハットウシャシュと呼ばれた。前14世紀半ば頃になると征服戦争にも疲れ国力の衰えが目立つようになり、2世紀後にはフリギア人によって都も焼き払われてしまった。

 1907年、最初の発掘で大神殿跡から不思議な楔形文字を刻んだ粘上板文書が出土し学界を興奮させた。そのヒッタイト文字の解読はチェコの言語学者フロズニーが1915年に初めて成功している。

 嵐の神と太陽の女神をまつる大神殿は前13世紀に建設された。広々とした廃墟に立つと、聖域を中心にホールやたくさんの小部屋、貯蔵庫が取り巻いた壮大な神殿の姿が浮かんでくる。粘上板が発見された所は神殿書庫だったらしい。貯蔵庫跡には今も巨人な壷が幾つか残っている。


 ブユックカレ(大城塞)の丘にはヒッタイト王の居城を中心に公的な館が建っていた。宮殿の文書庫の跡からも膨大な数の模形文書が発見されている。

 特に前1279年にエジプトとの間で結ばれた“カデシュの条約”の発見の意義は大きい。
 玄武岩に彫ったライオンに守られた獅子の門、戦の神を浮き彫りにした王の門や独創的なトンネルの突撃門などを見ると、ヒッタイト人の土木建築技術の巧みさや、戦略的な才能に驚かされる。

 2006年、トルコ政府や日本タバコ(JTI)の支援により、当時と同じ材料が使用され、ヒッタイト王国の城壁を偲ばせる64メートルの城壁が復元された。

ハットゥシャシュは1986年に世界遺産に登録された。

ヤズルカヤ(YAZILIKAYA)

垂直な岩壁に囲まれたうす暗い谷間、その岩肌にたくさんの神像が浮き彫りにされている。ヤズルカヤは自然を利用した屋外神殿であり、ヒッタイトの神々のパンテオンともいえる聖域だった。

 ここはヒッタイト以前から、おそらくフルリ人の信仰の場だったらしい。ヒッタイトの宗教は他民族の要素を寛人に受容している。考古学的調査は現在も続いている。大小二つのギャラリーがあるが、最近小ギャラリーの近くにもう一つのホールが発見された。その用途など詳しいことは今後の課題である。

 大ギャラーの西側壁には男の神々が、東側の壁には女の神々が彫られている。しかし、男女による区分は厳密なものとはいえない。西壁にも少なくとも3人の女神が混じっているし、東の女神の列の中に男神が一人見える。東西の神々の行列は北側の壁を向いている。その北壁にはヒッタイトの主神である嵐の神テシュブや太陽の女神ヘパトゥなどが集まっている。しかし、このギャラリーで一番大きく表されているのは、紀元前13世紀のヒッタイト王トゥダリヤス四世の姿である。そこから、このユニークな屋外神殿のできた時代を探ることができる。

 小ギャラリーにも神々の行進の浮き彫りが驚くほど鮮やかに残っている。ここは亡くなった王、おそらくトゥダリヤスニ世か又は三世をまつった場と考えられているが、当時まだ存命していたトゥダリヤス四世を祭った場という説にも説得力がある。

 トゥダリヤス四世は大ギャラリーでも重要な場を占めているし、小ギャラリーの浮き彫りの中にも少なくとも二体、彼と思われる姿が見えている。

 この聖域のレリーフの代表ともいえるのは、シャルマ神に抱かれた王の姿で、これは神の特別な加護を得たものを意味し、ヒッタイト社会を解明するためにも、美術史上でも非常に重要な像といえよう。

アラジャホユック(ALACAHOYUK)

 ハットゥシャシュから国道に戻る途中、東へ伸びる道を20kmほど行くとアラジャホユックという遺跡のある村に着く。このあたりには初期青銅器時代以前からすでに人が定住していたが、やがてヒッタイト人のものとなった。ここが紀元前4千年頃すでにヒッタイトの都市、クッシャラだったとする説もあるが実証されてはいない。

 19世紀前半に最初の、今世紀に入ってからはイスタンブル考古学博物館による発掘が行われたが、本格的調査は1930年代半ばまで待たなければならなかった。アタチュルクの指示によりトルコの歴史を科学的に解明しようという機運の下でR.オウズアルクや、ハミト・コシャイ等のトルコ人考古学者たちにより、15の時代に渡る遺物が発掘された。

アラジャホユック遺跡の写真
 ヒッタイト帝国の最盛期を示す層は下から二番目で紀元前21から13世紀頃と確認されている。
 数々の重要な出土品がアンカラのアナトリア文明博物館やこの村の博物館に展示されている。遺跡そのものもなかなか興味深く、特にスフィンクスの門はコピーとはいえ印象的である。前15~13世紀、つまりヒッタイト帝国期のオリジナルはアンカラの博物館で見ることができる。ボアズキョイの大神殿に匹敵する大規模な神殿への入り口だったこの門には双頭の鷲という典型的ヒッタイト風と、スフィンクスという明らかなエジプト風の要素がミックスしていて、歴史的に非常に重要な意味を持っている。
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