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トルコ出身・トルコで活躍!古代世界の知識人達

ヘロドトスとは?名著『歴史(ヒストリエ)』の内容と多大な功績を解説


ヘロドトスは、アナトリアのハリカルナッソス(現在のトルコのボドルム)で生まれた、古代ギリシャ時代の歴史家・作家です。世界で初めて史実を体系的に研究し、過去に起こった出来事の因果関係を説明しようと試みたことから、「歴史の父」と呼ばれています。

主にペルシア戦争の経緯を調査・記録した著作『歴史』は完本として残っており、世界最古の歴史書と見なされています。あの有名な「エジプトはナイルの賜物」という言葉は、ヘロドトスが『歴史』に記した言葉です。

ヘロドトスは、エジプトやリビア、シリア、バビロニア、リディア、フリギア、ビザンティウム、トラキア、マケドニア、スキタイ、黒海北岸など広い範囲を旅し、長い時間をかけて各地で見聞きした情報をもとに『歴史』を執筆しました。『歴史』の内容には不正確な点が多いと批判されることもありますが、当時のギリシャのみならず、アジアやエジプトについても古代の重要な情報源であり続けています。

ヘロドトスとは?

ヘロドトス
歴史の父ヘロドトスは、トルコの南西エーゲ海沿岸のハリカルナッソス(現ボドルム)で紀元前484年頃に生を受けました。父親リュクセスは土着のカリア人で、母ドリュオはギリシア人と、ヘロドトスは小アジア土着のカリア人の血も流れていました。

父方の親戚(叔父または従兄弟)のパニュアッシスは当時有名な叙事詩人であり、ヘロドトスは名門家に生まれ、知識を育むのに恵まれた環境で育ったと言われています。

この頃のハリカルナッソスは、アケメネス朝ペルシア帝国の属州総督の支配のもとにありました。ハリカルナッソス女性僭主で紀元前480年のサラミスの海戦では海軍指揮官として大活躍したアルテミシア1世をヘロドトスは大いに尊敬していましたが、その後彼女の孫のリュグダミスが僭主となるとヘロドトスは反政府運動に関わり、その後サモス島に亡命することになります。

サモス島に滞在した後、アテナイへ、そしてイタリアに新しく建設されたトゥリオイというギリシャ植民地の町に紀元前443年頃渡り住みました。パレスチナ、ウクライナ南部やクリミア半島、北アフリカのリビアやエジプト、メソポタミアなど、当時周知されていた国々を周り、この旅で見聞したことや得た知識をもって有名な『歴史(historiai)』を書き残しました

ヘロドトスは旅に出ていないときはアテネに戻って、自身が得た知識や情報をもとに公の場で朗読をし、報酬を得ていたといわれています。彼は当時からその知的活動を評価されていたのです。

ヘロドトスは紀元前425年頃、住んでいたイタリアのトゥリオイ、またはマケドニアのペラで生涯を閉じたと言われています。

世界史における歴史家としてのヘロドトスの功績と評価

ヘロドトス
『歴史(historiai)』は、紀元前499年~紀元前449年間に起こったアケメネス朝ペルシアのギリシャ遠征である“ペルシア戦争”を主題として書かれた時代史のような物です。

まだ歴史という概念がない時代に初めて「ヒストリエー」という、探求/調査/尋問を意味するギリシャ語の単語を使用しました。そのため、著書の『歴史』は現在の歴史の意味で書かれたものではなく、人間の世界で起こった出来事や地誌や系譜などの探求をまとめた物となります。

この「ヒストリエ」という言葉は後世、歴史を意味する英語の「history(ヒストリー)」や、フランス語の「histoire(ヒストリエ)」となりました。

ヘロドトス自身が先達として言及しているミレトスのヘカテウスのように、ヘロドトス以前にもフィールドワークによって局所的な出来事を記録した学者はいましたが、長期間にわたり広い範囲の歴史的事象を有機的にまとめて説明しようとしたのはヘロドトスが初めてでした。

ミレトス遺跡|ミレトス学派を生んだ政治・文化の中心都市

ヘロドトス
ヘロドトスは「歴史の父」と呼ばれるものの、その著作『歴史』の内容には、伝聞をもとに時に不正確な情報を伝えたり、脚色したりした箇所も見られます。そのため、ヘロドトスは「嘘つき」と批判されることもありますが、後世の考古学的研究によって全体として信頼できる内容であり、不正確とされる記述は当時の一般的な情報に基づいた結果であったり、誤訳や誤読の結果であったりすることがわかっています。

そもそもヘロドトス自身が近代的な歴史書の執筆を志向したというわけではなく、むしろ主観による個人的意見や推測を大いに交え、物語のように歴史を語っています。実際、彼は神話であるトロイア戦争を描いた叙事詩『イーリアス』で知られるホメロスに影響を受けていました。

ホメロスとは?イリアスとオデュッセイアの多大な功績と後世への影響

そのため、しばしば本筋から話が脱線したり、歴史上の主要人物の対話や演説などが挿入されたりしますが、それは『歴史』を芸術的傑作たらしめるとともに、当時を生きた古代ギリシャ人の観察・研究によって生き生きと提供される古代世界の一次資料として重要な価値を有しています。

 
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読み物としても面白い!ヘロドトスの『歴史(ヒストリエ)』の内容と要約

ヘロドトス 歴史 ヒストリエ
ヘロドトスの著作『歴史』は、後世になって9巻に分けられ、大まかに以下のような内容が記述されています。
  • 第1巻~第5巻:ギリシャ・ペルシア戦争の背景として、ペルシア帝国の興亡の歴史や地理、社会構造、生活習慣などの説明。
  • 第6巻~第9巻:ペルシア帝国の皇帝ダレイオスとクセルクセスによる古代ギリシャの侵略から、紀元前480~紀元前479年のサラミス、プラタイア、ミカレでのギリシャの勝利までを描くペルシア戦争史。

冒頭は、次のような文章で始まります。

「これはハリカルナッソスのヘロドトスの探究心を示すもので、人間の行ったことが時の流れとともに忘れ去られないように、また、偉大で驚異的な行為、あるものはヘレネース人によって、あるものは野蛮人によって、その栄光を失わないために」

ヘロドトスはペルシア戦争史を研究する過程で、その背景にあるペルシア帝国自体の歴史や特性に興味を抱いたと考えられます。彼はペルシャ人の傲慢さがいかに大帝国の没落を招いたか、その裏にある個人の物語や道徳的教訓を伝えることも重視しています。

歴史的事件を記述する上で、神の介入よりも人間の行為と性格に重きを置いた合理主義的なアプローチは、西洋の歴史学において画期的な革新でした。

ペルシア戦争 サラミスの戦い
以下で、各巻の簡単な要約をご紹介します。

第1巻

リディアの歴史とペルシア帝国による征服、時の王キュロス2世の物語、メディアの敗北、キュロス2世の死などが描かれます。

第2巻

キュロスの後継者である息子カンビュセス2世のことや、エジプト侵攻の計画、エジプトという特異な土地とその歴史についての記述。

第3巻

ペルシャによるエジプト征服、アフリカと西方への侵略の失敗、カンビュセス2世の死と後継者争い、王位に就いたダレイオス1世による広大な新帝国の組織、バクトリアやインドなど遠方の地の説明、ダレイオス1世による内乱の鎮圧など。

第4巻

ダレイオス1世がボスポラス海峡を越えて攻めようとしたドナウ川からドン川までのスキタイ人の歴史、彼らの土地と黒海の記述から始まり、ペルシャのスキタイ侵攻とそれに伴うビザンティウムなど多くのギリシャ都市の降伏、リビアへの攻撃とその植民地化についての記述。

第5巻

ペルシャがヘレスポント(ダーダネルス海峡)からギリシャに侵入し、トラキア、マケドニアなど多くの都市が服従したが、499年にイオニアのポリスがペルシャに対して反乱を起こし、本書の主要なテーマであるペルシャへの侵入が描かれています。

第6巻

イオニア人による反乱とマラトンの戦いの記述。

第7巻

サルディスからヘレスポントまでのクセルクセスの大軍の西への行進と、ギリシャへの船による渡河の記述。ここで、クセルクセスの傲慢さと小心さや、野蛮で独裁的な残虐さが語られます。

第8巻

テルモピュライやサラミスの戦いと、クセルクセスの逃亡。

第9巻

プラタイアでのギリシャの勝利とマルドニオスの殺害、ギリシャ人のテーベへの攻撃、ミカレでの勝利。

世界中で読み継がれているヘロドトスの名著『歴史』は日本語訳も出版されていますので、興味のある方はぜひ手に取ってみてください。

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ヘロドトスの『歴史』の信頼性

ヘロドトス
ヘロドトスは、エジプト、アフリカ、アナトリア(現トルコ)を広く旅して自身の体験と観察をメモし、各地の日常生活や驚異、重要な歴史的出来事に関する詳しい記述を後世に残している点で評価されています。

一方、その記述には誤りも多いことが指摘されています。例えば、『歴史』の中でバビロニアの都市の大きさや構造について明らかに誇張された表現があることが指摘されています。さらに、当該記述はヘロドトスが当地を訪れたような印象を受けますが、実際にはこれは伝聞による情報だとされています。

ただし、ヘロドトスは一応バビロニアに行っており、現地の人から情報提供を受けたと考えられています。そしてヘロドトス自身は、『歴史』の内容の多くは旅先で聞いた話から集めた暫定的な情報ですべてを検証することはできないが、自分の研究で発見できた最善のものであると主張しています。元来、著作名の「ヒストリエ」は、イオニア語で「研究」「調査」「探究」という意味です。

 
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ヘロドトスとトゥキュディデスの違い

トゥキュディデス
原初の歴史家としての功績を語る上で、ヘロドトスとよく比肩されるのが同時代を生きたトゥキュディデスです。トゥキュディデスは、ペルシア戦争に続く形で勃発した、デロス同盟(アテナイ)とペロポネソス同盟(スパルタ)間のペロポネソス戦争の歴史を記録した『戦史』を著しました。

トゥキュディデスは、もともとアテナイの将軍でしたが、作戦の失敗の責を問われて追放されたことで、当事者として戦争の記録を残そうとしました。彼は戦地に足を運んで戦闘を観察しながら、軍人や政治家にインタビューし、さらに関連する文書も読みながら、戦時中の人間の行動を分析しました。

トゥキディデスは、ヘロドトスが群衆を喜ばせるために、歴史的事件の記録に寓話を挿入したことを批判していました。そのため、神話や迷信についての記述を避け、信頼できる正確な情報をもとに重要な出来事の事実のみに集中することを意識しました。

ペリクレスのものに代表されるように、トゥキディデスは演説を引用していますが、ヘロドトスと違ってそれらは実際に自分で見聞きしたものか、事実をできる限り忠実に書くことを徹底していたようです。

ヘロドトスの生まれたトルコのボドルムは人気のリゾート地!

ボドルム
ヘロドトスが生まれたアナトリアのハリカルナッソスは、現在のトルコ・ボドルムです。ボドルムは、まだまだ日本での知名度は低いですが、世界中から観光客が訪れるトルコで最も人気のリゾート地となっています。エーゲ海と美しいビーチや街並みに加えて、世界七不思議の一つに数えられるマウソロス霊廟をはじめとする古代の遺跡観光も楽しめるのが魅力です。

ボドルム(ハリカルナソス)観光|エーゲ海の人気リゾート地

 
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