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ネヴシェヒルは世界遺産カッパドキアの中心都市!観光情報と歴史を紹介
「ネヴシェヒル(Nevşehir)」は、カッパドキア地方の中心都市で、人口は約8万人です(2020年時点)。クズルウルマク川の南方、海抜1,000m超の高原に位置しており、夏には猛暑、冬には厳しい寒さの訪れる大陸性気候が特徴です。ヒッタイト時代に繁栄したといわれる、長い歴史を持つ街です。
「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」として世界遺産に登録されているカッパドキアのネヴシェヒル県の県都ですが、ネヴシェヒルの街自体には目立った観光スポットは多くありません。ネヴシェヒル市街から東に10kmほどの位置にあるギョレメ地区が、カッパドキア観光の拠点となります。
ネヴシェヒルで最も注目すべき建築物は、18世紀にイブラヒム・パシャによって建設された、モスク・神学校・図書館・浴場などを有する複合施設です。内庭の入り口に当時の高名な詩人ネディムの詩文が残るクルシュンル・ジャーミィ(モスク)や、チューリップ期の芸術的特徴が見られる噴水のドームなどが見どころです。
このモスクに付随していた宿泊施設の一つが、1967年に博物館としてオープンし、陶器・武器・日常用品などの考古学的展示や、民俗学的に重要な伝統芸能の品々を見学できます。近年には、ネヴシェヒルの発展に多大な貢献をしたイブラヒム・パシャの像が、モスク裏の広場に建てられました。
また、街の中心部にはセルジューク時代の城塞「ネヴシェヒル城」があり、ネヴシェヒルの街を上から一望できます。最近になってネヴシェヒル城の下に、カッパドキアで最大規模といわれる地下都市が発見され、発掘作業が進められています。
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ネヴシェヒル・カッパドキア空港(NAV)は、ネヴシェヒル市街から北西に30kmほど、クズルウルマク川のほど近くに位置しています。ネヴシェヒル空港から、カッパドキア観光の拠点となるギョレメまでは車で約40分です。
日本からカッパドキアまでの直行便はないため、トルコの玄関口となるイスタンブールから国内線を乗り継いでアクセスするのが一般的です。
カッパドキアにある2つの空港を解説!日本からアクセスする方法は?
ネヴシェヒルは、以下のように古代からさまざまな民族が支配してきました。
さらに、ヘレニズム時代、ローマ時代、ビサンチン時代を経て、セルジューク朝の支配化に置かれた後、1446年にオスマン帝国領となりました。
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18世紀初頭まではムシュカラ(Muşkara)という名の小さな村だったネヴシェヒルを大きく発展させたのは、この地で生まれたイブラヒム・パシャという人物です。ちなみに、イブラヒム・パシャという名の人物は複数いるため、一般的には「ネヴシェヒルリ・ダマト・イブラヒム・パシャ」と呼んで区別されています。
イブラヒム・パシャは、イスタンブールの宮殿でトルコの伝統菓子・ハルヴァの職人見習いとして働いていましたが、徐々に頭角をあらわし、スルタン・アフメット三世の治世下で相談役、パシャ(総督)と出世した後、皇女ファトマ・スルタンと結婚して大宰相(オスマン帝国の最上位の官位)にまで上り詰めました。
チューリップ時代と呼ばれるオスマン帝国の一時的な安定期であった当時、イブラヒム・パシャは生まれ故郷の活性化に尽力しました。私財を投じたモスク、神学校、ハン(商館)、図書館、ハマムの建設、移入者への税控除の実施による人口増加、国有地の払い下げと桑畑の整備による一帯への養蚕業導入といった施策によってムシュカラは発展し、“新しい都市”を意味するネヴシェヒルと改名されました。
イブラヒム・パシャは1730年にこの世を去りましたが、オスマン帝国が解体されてトルコ共和国となった後も、ネヴシェヒルはこの地で重要な都市であり続けました。1954年にはネヴシェヒル県の県都に指定されています。
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「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」として世界遺産に登録されているカッパドキアのネヴシェヒル県の県都ですが、ネヴシェヒルの街自体には目立った観光スポットは多くありません。ネヴシェヒル市街から東に10kmほどの位置にあるギョレメ地区が、カッパドキア観光の拠点となります。
目次
ネヴシェヒル観光の見どころ
ネヴシェヒルで最も注目すべき建築物は、18世紀にイブラヒム・パシャによって建設された、モスク・神学校・図書館・浴場などを有する複合施設です。内庭の入り口に当時の高名な詩人ネディムの詩文が残るクルシュンル・ジャーミィ(モスク)や、チューリップ期の芸術的特徴が見られる噴水のドームなどが見どころです。
このモスクに付随していた宿泊施設の一つが、1967年に博物館としてオープンし、陶器・武器・日常用品などの考古学的展示や、民俗学的に重要な伝統芸能の品々を見学できます。近年には、ネヴシェヒルの発展に多大な貢献をしたイブラヒム・パシャの像が、モスク裏の広場に建てられました。
また、街の中心部にはセルジューク時代の城塞「ネヴシェヒル城」があり、ネヴシェヒルの街を上から一望できます。最近になってネヴシェヒル城の下に、カッパドキアで最大規模といわれる地下都市が発見され、発掘作業が進められています。
カッパドキアの地下都市とは?謎に包まれた歴史と観光のポイントを解説
カッパドキアの玄関口・ネヴシェヒル空港
カッパドキアには、「カイセリ空港(Kayseri Erkilet Airport)」と「ネヴシェヒル・カッパドキア空港(Nevsehir Kapadokya Airport)」の2つの空港があります。カッパドキア観光の拠点となるギョレメに近いのはネヴシェヒル空港です。ネヴシェヒル・カッパドキア空港(NAV)は、ネヴシェヒル市街から北西に30kmほど、クズルウルマク川のほど近くに位置しています。ネヴシェヒル空港から、カッパドキア観光の拠点となるギョレメまでは車で約40分です。
日本からカッパドキアまでの直行便はないため、トルコの玄関口となるイスタンブールから国内線を乗り継いでアクセスするのが一般的です。
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ネヴシェヒルの歴史
ネヴシェヒルは、以下のように古代からさまざまな民族が支配してきました。
- 紀元前12世紀ごろ:エーゲ海民族に征服
- 紀元前8世紀:キンメリア人の支配
- 紀元前680年~610年:アッシリア領
- ~紀元前550年:メディア人の支配
- ~紀元前332年:ペルシャ人の支配
さらに、ヘレニズム時代、ローマ時代、ビサンチン時代を経て、セルジューク朝の支配化に置かれた後、1446年にオスマン帝国領となりました。
オスマン帝国623年の歩みを全解説!世界を揺るがせた大帝国の繁栄と滅亡
18世紀初頭まではムシュカラ(Muşkara)という名の小さな村だったネヴシェヒルを大きく発展させたのは、この地で生まれたイブラヒム・パシャという人物です。ちなみに、イブラヒム・パシャという名の人物は複数いるため、一般的には「ネヴシェヒルリ・ダマト・イブラヒム・パシャ」と呼んで区別されています。
イブラヒム・パシャは、イスタンブールの宮殿でトルコの伝統菓子・ハルヴァの職人見習いとして働いていましたが、徐々に頭角をあらわし、スルタン・アフメット三世の治世下で相談役、パシャ(総督)と出世した後、皇女ファトマ・スルタンと結婚して大宰相(オスマン帝国の最上位の官位)にまで上り詰めました。
チューリップ時代と呼ばれるオスマン帝国の一時的な安定期であった当時、イブラヒム・パシャは生まれ故郷の活性化に尽力しました。私財を投じたモスク、神学校、ハン(商館)、図書館、ハマムの建設、移入者への税控除の実施による人口増加、国有地の払い下げと桑畑の整備による一帯への養蚕業導入といった施策によってムシュカラは発展し、“新しい都市”を意味するネヴシェヒルと改名されました。
イブラヒム・パシャは1730年にこの世を去りましたが、オスマン帝国が解体されてトルコ共和国となった後も、ネヴシェヒルはこの地で重要な都市であり続けました。1954年にはネヴシェヒル県の県都に指定されています。
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