トルコ旅行・ツアーブログ|トルコツアー旅行記
プリンセス諸島はイスタンブールの人気リゾート地!「皇子達の島」の歴史と魅力
プリンセス諸島(プリンスィズ諸島/皇子達の島)は、トルコのイスタンブール沖、マルマラ海に浮かぶ島しょ群です。9つの島と2つの岩で構成され、島のうち4つは有人島、残り5つは無人島になっています。
イスタンブールに近く、フェリーを使って日帰りで旅行できることから、近年はリゾート地として人気があります。
プリンセス諸島は、イスタンブールから19~28kmほどの位置にあります。ヨーロッパ側の金閣湾沿いにあるシルケジの船着き場から出ているフェリーで、1時間ほどでアクセスできます。フェリーが停泊するのはイスタンブールに近い4つの有人島のみです。
ハイシーズンとなる夏季の週末になると、個人のボートやヨットが島々を取り巻く天然の港に停泊しています。
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プリンセス諸島のうち、イスタンブールに近い4つの大きい島は、避暑地やリゾート地として近年人気が高まっており、5~9月のシーズン中は多くの人々が訪れます。
美しいビーチや開放的なピクニック・コースで取り囲まれ、よく手入れされた庭付きの別荘が点在する島々には、管理当局以外の自動車の乗入れが禁じられています。そのため、島内では自転車か、ファイトンと呼ばれる馬車に乗って移動することになります。
海水浴を楽しんだり、馬車に乗って美しい島内を巡ってみたりと、イスタンブール市街とはまた違った楽しみ方ができるでしょう。また、海辺のレストランで海の幸を堪能するのおすすめです。近海で獲れる新鮮な魚介類を使ったトルコ料理をぜひ召し上がってみてください。
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ビュユックアダのアヤ・ヨルギ教会、クナルアダのフリストス修道院、ヘイベリアダの神学校、ブルガズアダのヨハネス・プロドロモス教会など、歴史を感じられるスポットもあります。
ボスポラス海峡を出発した後、最初に見える円錐形のシルエットの島は、「スィヴリ・アダ(Sivriada)」という無人島です。“アダ”は、トルコ語で島を意味します。隣にある平たい島「ヤッス・アダ(Yassıada)」には海軍の艦隊の施設が置かれていますが、観光目的のための利用が計画されています。
ヘイベリ・アダとブルガズ・アダの間の小さな島は個人の所有地で、その特徴的な形状から「カシュク・アダス(Kaşık Adası)」(=スプーン島)と呼ばれています。
以下で、フェリーで訪れることのできるビュユック・アダ、ヘイベリ・アダ、クナル・アダ、ブルガズ・アダの4つの島について、観光の見どころをご紹介します。
「ビュユック・アダ(Büyükada)」は、プリンセス諸島の中で最も大きく、最も人気のある島です。週末やバカンスの時期には多くの人が訪れ、日帰りでのピクニックや海水浴などを楽しみます。
起伏に富んだ地形で、丘の上の森を通って島を馬車で一周するツアーが人気です(所要時間は約2時間)。船着場の海岸には、魚料理のレストランやカフェ、ホテル、ペンションなどが並んでいます。
「ヘイベリ・アダ(Heybeliada)」は、プリンセス諸島で2番目に大きい島です。船着場の広場の脇にある海軍学校の中庭には、ビザンツ時代最後の建築物である、聖母マリアに捧げられた小さな教会があります。
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他にも島内には、由来不明の遺跡がいくつも点在しています。また、2つの美しい入り江はビーチとして整備されており、デイルメン公園は散歩道として人気です。19世紀に建てられた「ハルキ・バラス・ホテル」は、近年改修されて営業を再開しました。
オーダーメイドツアーのお問合せ
古代、プリンセス諸島の名称は「デモネソイ(人々の島)」でしたが、ビザンチン時代になると、多くの修道院が建てられたことから、パパダニスィア(僧侶の島)と呼ばれました。
現地のトルコ人は、トルコ語で“群島”を意味する「アダラール(Adalar)」といいますが、鉄サビ色の岩肌から「赤の島(Kızıl Adalar)」とも呼びます。
一般的には、「皇子達の島(Prens Adaları)」とも呼ばれます。これらの島々はビザンチン時代には流刑地として使われ、皇子や后、貴族、僧侶などが島流しにされた歴史があるからです。日本では「プリンセス諸島」と表記されることもありますが、英語の“Princes'”(Princeの複数形・所有格)の発音を考慮すると、「プリンスィズ諸島」のほうがより適切といえます。
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過去には、皇帝の避暑地として使われていた島もありました。時を経て、19世紀半ばから始まった蒸気船の就航により、島々の人口は増加。住民の多くは少数系のギリシアあるいはアルメニア系トルコ人で、19世紀には1,200人であった人口も、現在は16,000人ほどになっています。
海水浴場やビーチリゾート地として人気になったのは、今からわずか1世紀ほど前のことです。今日、シーズンとなる夏には、日帰り旅行者によって島の人口は200,000人にも膨れ上がります。
イスタンブールに近く、フェリーを使って日帰りで旅行できることから、近年はリゾート地として人気があります。
目次
プリンセス諸島の場所・アクセス
プリンセス諸島は、イスタンブールから19~28kmほどの位置にあります。ヨーロッパ側の金閣湾沿いにあるシルケジの船着き場から出ているフェリーで、1時間ほどでアクセスできます。フェリーが停泊するのはイスタンブールに近い4つの有人島のみです。
ハイシーズンとなる夏季の週末になると、個人のボートやヨットが島々を取り巻く天然の港に停泊しています。
マルマラ海とは?世界最小の内海の特徴や歴史、おすすめ観光スポットを紹介
プリンセス諸島の観光の魅力
プリンセス諸島のうち、イスタンブールに近い4つの大きい島は、避暑地やリゾート地として近年人気が高まっており、5~9月のシーズン中は多くの人々が訪れます。
美しいビーチや開放的なピクニック・コースで取り囲まれ、よく手入れされた庭付きの別荘が点在する島々には、管理当局以外の自動車の乗入れが禁じられています。そのため、島内では自転車か、ファイトンと呼ばれる馬車に乗って移動することになります。
海水浴を楽しんだり、馬車に乗って美しい島内を巡ってみたりと、イスタンブール市街とはまた違った楽しみ方ができるでしょう。また、海辺のレストランで海の幸を堪能するのおすすめです。近海で獲れる新鮮な魚介類を使ったトルコ料理をぜひ召し上がってみてください。
トルコの魚料理は絶品!タラマ、ハムスィ・タワ、サバサンドなど
ビュユックアダのアヤ・ヨルギ教会、クナルアダのフリストス修道院、ヘイベリアダの神学校、ブルガズアダのヨハネス・プロドロモス教会など、歴史を感じられるスポットもあります。
プリンセス諸島の島々
- ビュユック・アダ(Büyükada)
- ヘイベリ・アダ(Heybeliada)
- クナル・アダ(Kınalıada)
- ブルガズ・アダ(Burgazada)
- スィヴリ・アダ(Sivriada)
- セデフ・アダス(Sedef Adası)
- ヤッス・アダ(Yassıada)
- カシュク・アダス(Kaşık Island)
- タヴシャン・アダス(Tavşan Adası)
ボスポラス海峡を出発した後、最初に見える円錐形のシルエットの島は、「スィヴリ・アダ(Sivriada)」という無人島です。“アダ”は、トルコ語で島を意味します。隣にある平たい島「ヤッス・アダ(Yassıada)」には海軍の艦隊の施設が置かれていますが、観光目的のための利用が計画されています。
ヘイベリ・アダとブルガズ・アダの間の小さな島は個人の所有地で、その特徴的な形状から「カシュク・アダス(Kaşık Adası)」(=スプーン島)と呼ばれています。
以下で、フェリーで訪れることのできるビュユック・アダ、ヘイベリ・アダ、クナル・アダ、ブルガズ・アダの4つの島について、観光の見どころをご紹介します。
ビュユック・アダ(Büyükada)
「ビュユック・アダ(Büyükada)」は、プリンセス諸島の中で最も大きく、最も人気のある島です。週末やバカンスの時期には多くの人が訪れ、日帰りでのピクニックや海水浴などを楽しみます。
起伏に富んだ地形で、丘の上の森を通って島を馬車で一周するツアーが人気です(所要時間は約2時間)。船着場の海岸には、魚料理のレストランやカフェ、ホテル、ペンションなどが並んでいます。
ヘイベリ・アダ(Heybeliada)
「ヘイベリ・アダ(Heybeliada)」は、プリンセス諸島で2番目に大きい島です。船着場の広場の脇にある海軍学校の中庭には、ビザンツ時代最後の建築物である、聖母マリアに捧げられた小さな教会があります。
聖母マリアってどんな人?その生涯や絵画の特徴、キリスト教における意味
他にも島内には、由来不明の遺跡がいくつも点在しています。また、2つの美しい入り江はビーチとして整備されており、デイルメン公園は散歩道として人気です。19世紀に建てられた「ハルキ・バラス・ホテル」は、近年改修されて営業を再開しました。
クナル・アダ(Kınalıada)
「クナル・アダ(Kınalıada)」は、イスタンブールからフェリーに乗って最初に見える有人島です。海岸沿いの個性的な形状のモスクが目を惹きます。裏手にある美しい入り江と海岸は一般に開放されたビーチです。ブルガズ・アダ(Burgazada)
クナル・アダの次に見える「ブルガズ・アダ(Burgazada)」は、海岸のほとんどが岩場となっています。水上スポーツクラブのほか、島の裏手にはカルパザンカヤという有名な行楽地があります。この島に住んでいたトルコの著名な小説家、サイト・ファイク・アバスヤヌクの家は、博物館となっています。オーダーメイドツアーのお問合せ
プリンセス諸島の歴史と名前の由来
古代、プリンセス諸島の名称は「デモネソイ(人々の島)」でしたが、ビザンチン時代になると、多くの修道院が建てられたことから、パパダニスィア(僧侶の島)と呼ばれました。
現地のトルコ人は、トルコ語で“群島”を意味する「アダラール(Adalar)」といいますが、鉄サビ色の岩肌から「赤の島(Kızıl Adalar)」とも呼びます。
一般的には、「皇子達の島(Prens Adaları)」とも呼ばれます。これらの島々はビザンチン時代には流刑地として使われ、皇子や后、貴族、僧侶などが島流しにされた歴史があるからです。日本では「プリンセス諸島」と表記されることもありますが、英語の“Princes'”(Princeの複数形・所有格)の発音を考慮すると、「プリンスィズ諸島」のほうがより適切といえます。
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)とは?千年の繁栄と歩みをわかりやすく徹底解説!
過去には、皇帝の避暑地として使われていた島もありました。時を経て、19世紀半ばから始まった蒸気船の就航により、島々の人口は増加。住民の多くは少数系のギリシアあるいはアルメニア系トルコ人で、19世紀には1,200人であった人口も、現在は16,000人ほどになっています。
海水浴場やビーチリゾート地として人気になったのは、今からわずか1世紀ほど前のことです。今日、シーズンとなる夏には、日帰り旅行者によって島の人口は200,000人にも膨れ上がります。