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200トルコリラ紙幣の人物ユヌス・エムレとは?その生涯や作品、時代背景を解説
現在トルコ共和国で流通している紙幣のなかで、もっとも高額な200トルコリラ。その200トルコリラ札にターバンを被った姿で載っているのが、ユヌス・エムレです。お札に使われている姿は庶民的な印象ですが、ユヌス・エムレはトルコを代表する大詩人です。
本記事では、ユヌス・エムレの生涯や作品、当時の時代背景について解説します。
トルコを代表する大詩人ユヌス・エムレについては、実は明確になっている事実が多くありません。本人の詩や当時の人々が書いている内容から推定されたものがほとんどなのです。その謎めいた生涯こそが、ユヌス・エムレを伝説的な存在にしているのかもしれません。
有力な説としては、ユヌス・エムレは1240年頃に現在のエスキシェヒル県のシヴリヒサルで生まれ、1321年頃にエスキシェヒルで死亡したとするものが挙げられます。
職業についても定かではありませんが、羊の群れを保有していたこと、農業や牧畜に携わっていたことが、詩作のなかからうかがえます。
また、アナトリア北東部のエルズルムや黒海岸のウニエ、中央部のシヴァス、さらにシリアのダマスカスまで多くの土地を旅したことも知られています。
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Zeynel Cebeci, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
ユヌス・エムレが高度な教育を受けたのか、それとも自己研鑽を積んだのかも定かではありません。しかし彼の詩作から、ペルシャ語やアラビア語を十分理解し、イスラム科学に関しても造詣が深かったことがわかっています。また、彼の詩作は音韻を踏んだ美しいものであり、文章力の面でも優れていました。
メヴラーナ(後述)と対面したことがあるほか、当時の教育者として知られているタプトゥク・エムレを師としていたことも知られています。
ディヴァンに綴られている詩の多くは、神と人間への愛をテーマにした、熱意に満ちたものです。神の愛や神への愛、兄弟愛、真の友情、人の善良さ・美徳・寛容さといった価値観が、心のなかから湧き出るまま素直に、簡明でわかりやすい言葉によって綴られています。ユヌス・エムレが遺した数々の詩は、7世紀にわたってトルコで愛され続け、現代の人々にも訴えかけるものとなっています。
ユヌス・エムレは、トルコのアナトリア中央部近辺において13世紀から14世紀にかけて活動しました。当時、西からは十字軍、東からはモンゴルがアナトリアの大地まで襲来するなど、外部の脅威にさらされていました。
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思想的には、伝統的な価値観にイスラム教の教えが加わり、新たな哲学ともいえる「タサッヴフのうねり」がアナトリアで始まった時代でした。タサッヴフは「イスラム神秘主義」と訳され、「創造主である神と創造されたものである人が一体化する」「神との関係を求めて精神的に道を究めていく」といった修道的な特徴を持っています。
タサッヴフは思想・哲学にとどまらず、音楽や文学などさまざまな分野に表れます。そして、ユヌス・エムレはトルコにおけるタサッヴフ文学の先駆者とされていたのです。
アナトリア地方でタサッヴフの先駆者として挙げられるのが、コンヤを中心に活動したメヴラーナ・ジェラレッディン・ルミでした。ユヌス・エムレはメヴラーナにも対面したことがあったとされています。
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本記事では、ユヌス・エムレの生涯や作品、当時の時代背景について解説します。
目次
ユヌス・エムレのプロフィール

トルコを代表する大詩人ユヌス・エムレについては、実は明確になっている事実が多くありません。本人の詩や当時の人々が書いている内容から推定されたものがほとんどなのです。その謎めいた生涯こそが、ユヌス・エムレを伝説的な存在にしているのかもしれません。
ユヌス・エムレの生誕と死
ユヌス・エムレの生誕地としては、ドゥズジェやアクサライ、カラマン、カイセリ、ブルサといったさまざまな都市が名乗りを挙げています。ユヌス・エムレが多くの人々に愛されたことの証といえるのかもしれません。有力な説としては、ユヌス・エムレは1240年頃に現在のエスキシェヒル県のシヴリヒサルで生まれ、1321年頃にエスキシェヒルで死亡したとするものが挙げられます。
職業についても定かではありませんが、羊の群れを保有していたこと、農業や牧畜に携わっていたことが、詩作のなかからうかがえます。
ユヌス・エムレの詩に見られる本人の素性
ユヌス・エムレの詩の一節に「ブハラから来た、多くの土地を見た」とあるため、ユヌス・エムレの祖先は中央アジアのブハラから移住してきたと推定されています。また、アナトリア北東部のエルズルムや黒海岸のウニエ、中央部のシヴァス、さらにシリアのダマスカスまで多くの土地を旅したことも知られています。
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ユヌス・エムレが受けた教育
ユヌス・エムレが高度な教育を受けたのか、それとも自己研鑽を積んだのかも定かではありません。しかし彼の詩作から、ペルシャ語やアラビア語を十分理解し、イスラム科学に関しても造詣が深かったことがわかっています。また、彼の詩作は音韻を踏んだ美しいものであり、文章力の面でも優れていました。
メヴラーナ(後述)と対面したことがあるほか、当時の教育者として知られているタプトゥク・エムレを師としていたことも知られています。
ユヌス・エムレの詩作
ユヌス・エムレは、アナトリア古語と呼ばれる現代トルコ語の古語に当たる言葉を使って詩を書きました。ユヌス・エムレが生まれる前後の時代において、宮廷や文学界ではペルシャ語が使われていたことを考えれば、きわめて革新的だったといえます。ユヌス・エムレが、イスラム教の教えと伝統的なトルコ思想を結び付けた「民俗詩人」と呼ばれる所以にもなりました。ユヌス・エムレの作品
ユヌス・エムレは3,000を超える詩を詠んだといわれています。それらは「ディヴァン(詩集)」と「リサレトゥン・ヌスヒイエ(忠告の書)」という2つの作品にまとめられ、現在も読むことが可能です。ディヴァンに綴られている詩の多くは、神と人間への愛をテーマにした、熱意に満ちたものです。神の愛や神への愛、兄弟愛、真の友情、人の善良さ・美徳・寛容さといった価値観が、心のなかから湧き出るまま素直に、簡明でわかりやすい言葉によって綴られています。ユヌス・エムレが遺した数々の詩は、7世紀にわたってトルコで愛され続け、現代の人々にも訴えかけるものとなっています。
ユヌス・エムレが生きた時代
ユヌス・エムレは、トルコのアナトリア中央部近辺において13世紀から14世紀にかけて活動しました。当時、西からは十字軍、東からはモンゴルがアナトリアの大地まで襲来するなど、外部の脅威にさらされていました。
群雄割拠の不安定な時代
当時のアナトリアは、外部からの攻撃を受けたセルジューク朝が衰退・滅亡する一方で、のちにオスマン朝を設立するオスマン氏族を含め、多くの氏族が勢力を競う群雄割拠の時代となっていました。各氏族がお互いに対立していたため、政治的に非常に不安定な時代だったともいえます。政治的な不安定さは、人々の生活にも影響を与えました。セルジューク朝とはどんな国家?世界史における重要性と興亡の歴史 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
タサッヴフのうねり
思想的には、伝統的な価値観にイスラム教の教えが加わり、新たな哲学ともいえる「タサッヴフのうねり」がアナトリアで始まった時代でした。タサッヴフは「イスラム神秘主義」と訳され、「創造主である神と創造されたものである人が一体化する」「神との関係を求めて精神的に道を究めていく」といった修道的な特徴を持っています。
タサッヴフは思想・哲学にとどまらず、音楽や文学などさまざまな分野に表れます。そして、ユヌス・エムレはトルコにおけるタサッヴフ文学の先駆者とされていたのです。
アナトリア地方でタサッヴフの先駆者として挙げられるのが、コンヤを中心に活動したメヴラーナ・ジェラレッディン・ルミでした。ユヌス・エムレはメヴラーナにも対面したことがあったとされています。
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