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トルコ旅行・ツアーブログ|トルコツアー旅行記

トルコ旅の魅力


アジア大陸の西の果て、地中海と黒海にはさまれてヨーロッパ世界と鼻を突き合わせているトルコ、ここは文字通りの東西の架け橋として古来から幾多の民族が行き交いあるいは定住し、民族の興亡と文明の盛衰を繰り返してきた土地である。
ボスフォラスとダーダネルスの二つの海峡で隔てられた東側のアナトリア半島は古代から小アジアと呼ばれてきた。小アジアには紀元前6千年頃には既に定住民族の村があった。中央アナトリアのコンヤに近いチャタルフユックは世界最初の集落遺跡として注目されている。

アナトリア
紀元前18世紀頃にはヒッタイトという外来民族がアナトリアに定住し独特の文化を持つ大帝国を築き上げた。フリギア、リディアがそれに続き中央アナトリアの歴史を書き変えた。エーゲ海岸の西アナトリアにはギリシァからの移民が次々に植民地を作り、さらに地中海や黒海まで進出している。絶世の美女をめぐるロマンに満ちたトロイ戦争も実は植民地や交易ルートをめぐる経済戦争に他ならなかった。
一方東部ではウラルトゥ王国という個性的な国が栄えていたしアルメニアやアッシリアの影響も強く受けていた。

gultepe
紀元前6世紀にはアナトリアは東の大国ペルシァの支配下に置かれ、前4世紀のアレクサンダー大王の遠征軍によってようやく解放されたのだった。アレクサンダーの足跡にそって、東西を融合したいわゆるヘレニズム文化の花開いた都市遺跡が特に地中海、エーゲ海地方にたくさん残されている。
ペルガモン王国に代表されるヘレニズム国家もローマ帝国に吸収され、全アナトリアはローマからビザンティン(東ローマ)帝国へと歴史の歩みを進めた。
エフェソスやアフロディシアスなどはローマ帝国期の雰囲気を生き生きと感じさせるスケールの大きな遺跡である。

アナトリア
キリスト教国家ビザンティン帝国の広大な領土も東からのイスラム勢力、セルジュクトルコ、次いでオスマントルコに次第に奪われて、ついに1453年には首都コンスタンティノープルも陥落、ビザンティン帝国は滅亡した。
オスマントルコはアナトリアを本拠地に最盛期にはヨーロッパ、北アフリカ、アラビア半島からカスピ海までの広大な地域に君臨した。
しかし、近世のヨーロッパの勃興と対称的に衰退の一途をたどっていく。第一次世界大戦の後、解体寸前のトルコを救い共和国として再生、近代国家への転換に成功したのはムスタファ・ケマル・アタチュルクの強力な指導によるものだった。
 一口にトルコといっても地域による自然環境の差も大きく民族や歴史も複雑に重なり合う、その多様性とスケールの大きさこそが、トルコを旅するときの最大の魅力かもしれない。

 
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