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トルコ旅行・ツアーブログ|トルコツアー旅行記

【世界七不思議】アルテミス神殿の謎とは?エフェソス屈指の見どころを解説


アルテミス神殿は、トルコのエフェソスにある遺跡です。放火などによって歴史上何度も破壊と再建を繰り返しており、世界七不思議の一つにも数えられています。イオニア建築の最高傑作とされ、神殿内に祭られたアルテミスの女神は、古代アナトリアの全ての支配者から深く崇拝されていました。

アルテミス神殿は世界七不思議のひとつ

アルテミス
アルテミス神殿に捧げられた最初の神殿は、紀元前625年に完成しましたが、キンメル人の攻略で破壊されてしまいます。プリニーによると、この壮麗な建造物は歴史上9度破壊され再建されたと言います。古代の神殿には、リディア王クロエソスにより寄贈された大理石の円柱が立っていました。

しかし近代になってから、その神殿より更に古い時代の同設計・同寸法の神殿が発見されました。出土品は現在、大英博物館に保管されています。また1904~1906年の大英博物館のデビット・ジョージ・ホガースによる発掘証査では、同じ古代神殿のものと推定される別の3つの層が見つかりました。更に、紀元前6世紀の最下層部分から硬貨も発見されています。

後期のアルテミス神殿は、紀元前564~540年に建てられました。スコパス、プラクシテレス、ポリュクレイトス、フィデアス、クレシラス、シドン、アペッレスなど、その時代の最高水準の芸術家や建築家が集まり、アテネのパルテノン神殿の4倍の大きさの壮大な神殿を造るために全力が注がれたのです。アペッレスは神殿内部のアフロディテの絵を手掛けました。

アルテミス神殿は放火によって焼け落ちてしまった

アルテミス神殿 Cafeennui / CC BY-SA

プリニーの“Naturalis Historia”によると、この神殿は高さ20mに及ぶ127本の円柱からなる大きさ200×425mのイオニア様式神殿だったとされています。しかしアルテミス神殿は、後に自分の名を永遠に歴史上に残しておきたいと考えていたヘラストラトスという狂人の放火が原因で焼け落ちました。

その後イラン出征の途中、エフェソスを訪れたアレキサンダー大王は、神殿の修復費用の全てを引き受けると申し出て、大王自らの名の刻まれた記念碑を造るように命じました。しかしエフェソスの人々は「神である大王が別の神を祀る神殿を造るのは相応しいことではありません」と、大王のプライドを傷つけることなく断ったと言います。

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紀元前334~260年に建造された新しい神殿は、その当時では最大規模のギリシャ式神殿でした。元の神殿の土台の上に全く同じ寸法で復元されています。しかし、湿地性の土地のために16段のクレピドマ(階段)が設けられました。神殿は半島の東西軸上に正確に建設されました。そして三面を“聖なる港”の海に接して配置され、船が直接神殿の階段に横づけできよう工夫されています。

クロエソスによれば、初期に造られた神殿の建築家はケルシフィロンとメテセネス、紀元前4世紀の神殿はクリトクラテスとオノクラテスの設計とされています。神殿は262年のゴート人の侵略により破壊され、その後復元されることはありませんでした。

アルテミス神殿は聖地として崇拝されていた

アルテミス
アルテミス神殿はイオニア式建築の最高傑作でした。神殿は、主に宗数的施設として利用され、多くの祭司が神殿内で生活しました。さらに、硬貨が鋳造されて信用取引が開始し、金融業が成立しました。毎年5月には女神の誕生を祝って祭りが盛大に催されました。キリスト教信仰と一神論が人々の間に広まるまで、エフェソスはアルテミスの聖なる巡礼地だったのです。

神殿の神聖に逆らう異端者も現れましたが、それでもアルテミスは西アナトリア全ての支配者達に深く崇拝されていました。聖パウロがキリスト教を布教するためエフェソスを訪れたときも、エフェソスの人々は口々に「エフェソスのアルテミスは偉大なり!」と叫びながら徹底的に彼に抗議しました。

しかし時は移りキリスト教の時代になったとき、それまで何世紀も続いていたアルテミス信仰は禁止されてしまいます。エフェソスの人々は、アルテミスが持っていた神聖さを、今度は聖母マリアに求めたのです。

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現在のアルテミス神殿は復元された柱が1本残るのみ

エフェソス アルテミス神殿
現在エフェソスでは、聖母マリアの家、世界三大図書館に数えられるセルシウス(ケルスス)図書館など、ヘレニズム時代・ローマ帝国時代・初期キリスト教時代の貴重な遺跡を数多く見ることができます。世界七不思議のひとつであるアルテミス神殿は、復元された柱が1本残るのみですが、ぜひ当時の壮大な姿を想像しながら眺めてみてください。

ちなみに、残りの世界七不思議は、ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台。トルコには、エフェソスのアルテミス神殿とハリカルナッソスのマウソロス霊廟、なんと二つの世界七不思議があるのです。

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「母なる女神」エフェソスのアルテミスとは?

アルテミス像 エフェソス ギリシャ神話の女神アルテミスとは何世紀もの間、地中海沿岸地域で崇拝されていた女神の名前です。メソポタミア全域で地母神として認められていたクバラは、フリギア語でキベレと紹介されました。地母神信仰はアナトリアからメソポタミア、シリア、レバノン、パレスチナ、そこからエジプトヘ、またエ-ゲの島々からクレタヘと広がっていったのです。

そしてそれは中東地域ばかりではなく、ギリシャやイタリアヘも大きな影響を与えます。大地と豊饒と多産を象徴したこの地母神は様々な名で、様々な時代に、様々な場所で崇拝されていました。エフェソスでこの地母神信仰の進展が見られたという明確な伝承はありませんが、ホメロスの時代になると、アルテミスは間違いなくイオニア人の守護神として崇拝されていたのです。

『アルテミスを褒めたたえよ。さあ、ミューズ。弓術の神のきょうだいよ。誰が竪琴の名人アポロンを育てたのだ。ラシュ(古代植物の名)が生い茂るメセル川で馬に水を与えよ。そしてスミルナを飛ぶように走り去り、ブドウ畑のクラロスの元へと金の戦車に乗って行け。その地に王座を作れ、銀の竪琴を待つ神よ。その地に来るであろうきょうだいを待ち受けよ。』

女神が持つ変わらぬ特徴の一つに「3」という数字があります。女神アルテミスは処女、妻、母を兼ねていると見なされているのです。

「あらゆる自然はこの野性の女神に委ねられた。土が果物と花々をもたらすのは女神の命によってである。女神は自然の力、大気、土そして海を支配する。女神は動物の生命を支配する。女神は野性の獣を服従させ絶滅から守る。女神は誕生を助力する」。詩人ホメロスはアルテミスのことを“野性動物の女神”と呼んでいます。

アルテミスはマルシリア、カルタゴ、近東諸国の守護神となりました。文明社会の支配者を意味して、女神の頭上には町の塔を表す王冠が載せられました。毎年どこの地でも豊饒の女神アルテミスを祝う大きな祭りが開かれ、溢れる程の信仰者で賑わいました。

女神はまた“蜂の女神”としても知られていたようです。エフェソスで使われていた硬貨の片面には、アルテミスの象徴だった女王蜂が描かれています。

カリマコスによって書かれたアルテミスを讃える詩は、アマゾンの踊りを歌った一節で終わっています。「誰もが待ちどおしいアルテミスの踊りよ」。毎年アルテミスの祭りは1ケ月間続きました。芝居や踊り、物売りなど多くの人々がこの祭りに参加するため、諸国の隅々からエフェソスヘと押し寄せました。

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アルテミス神殿の発掘

初期の神殿は1869~1874年に大英博物館のJ・T・ウッドが中心となった発掘で明らかにされました。当時、J・T・ウッドは鉄道建設に携わっていました。 1869年の発掘では、神殿の一角が見つかっています。出土品は初めイズミルヘ、その後ベニスを経由してロンドンヘと運ばれました。

現在神殿の主な発掘物は、大英博物館に保管されています。記録によると、アルテミス神殿の石材は、イスタンブルのアヤソフィア聖堂の建設にも再利用されたようです。ちなみに、アルテミス神殿は古代の世界七不思議の一つですが、アヤソフィア聖堂は中世の七不思議の一つに数えられています。

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アルテミス神殿の場所・アクセス



アルテミス神殿は、トルコ南西部のセルチュク(Selçuk)という町の近くにある、エフェソス遺跡内にあります。セルチュクからエフェソス遺跡までは、バスターミナル(オトガル)から出ているドルムシュ(ミニバス)で、5分でアクセス可能です。セルチュクまでは、トルコ第三の都市であるイズミル(Izmir)から、バスまたは鉄道で1時間ほどです。

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