トルコ旅行・ツアーブログ|トルコツアー旅行記
トルコ行進曲「トルコマーチ」は一つじゃない!ベートーベンとモーツァルトにそれぞれトルコ風に作曲されました
世界中の誰もが知っている・聞いたことがあると言っても過言ではないトルコ行進曲。「トルコ行進曲」で皆さんが思いつくのが2つの有名な曲ではないでしょうか。
一つは軽快で大胆なリズムのベートーベンの「劇付随音楽『アテネの廃墟』の行進曲」(イタリア語:Marcia alla turca)で、もう一つはクラシック界で最も有名な曲と言える皆さんご存じのモーツァルトの「ピアノソナタ第11番『トルコ行進曲付き』第3楽章」(イタリア語:Rondò alla turca)かと思います。
このモーツァルトのトルコ行進曲は、日本では歌手の由紀さおりさん・安田祥子さん御姉妹がスキャットで“ダバダバダ― ダバダバダ― ダバダバダバダバダバダバダー”の軽快なメロディーで歌われ、紅白歌合戦でも美声を披露なされましたので、日本中で周知されているかと思います(中年以上の方は御存じかと)。
また現在ではアニメ系の替え歌でこの曲が使われたりと、本当に幅広い層で慕われている曲であるのは確かです。
ベートーベンのトルコ行進曲は、劇付随音楽『アテネの廃墟』の中の1曲。軍隊の勇壮さを彷彿させる力強いビートが印象的です。オーケストラでアテネの廃墟が演奏されることは少なくなりましたが、トルコ行進曲は定番ともいえる人気を誇っており、ピアノソロでも初級から上級まで幅広いアレンジが見受けられます。
ベートーベンのトルコ行進曲は、劇中でトルコの軍隊が遠くから近づいてきて、やがて遠くに去って行く様子をクレッシェンド(だんだん強く)とデクレッシェンド(だんだん弱く)と呼ばれる音楽における強弱法を用いて効果的に表現しています。音楽の躍動感からも劇中の世界に入り込むことが出来る作品です。
意外と知らない三日月の意味と語源!トルコやクロワッサンとの深い関係 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
「ズンチャ ズンチャ ズンチャッチャッチャッ」や「ジャーン ジャーン ジャーン ダ ダ」など、繰り返しリズムをとります。
モーツァルトのトルコ行進曲でも、ピアノであの有名なメロディーを右手で奏でている隣で、左手でしっかりと「ズンチャッチャッチャ ズンチャッチャッチャ」とメフテル軍楽隊のリズムが取り入れられており、優雅な中にも力強いリズムの曲で世界中の人を魅了しています。
一方、現在広く親しまれているベートーベンのトルコ行進曲のピアノアレンジは初心者でも弾きやすく、発表会にもおすすめです。
いずれのトルコ行進曲も人気が高く、アレンジされた楽譜が多く出回っていますので、自分のレベルに合ったものを探してみるとよいでしょう。
西洋の偉大な作曲家の二人が、なぜトルコの行進曲をこぞって作曲したのでしょう。
実はその発端は、1600年代後期、オスマン帝国が2度のウィーン包囲をした際にオスマン帝国軍精鋭軍隊イェニチェリに随行した「メフテル軍楽隊」にあります。
17世紀後半から18世紀に、西洋で当時大帝国であったオスマントルコへの恐れと憧れから「トルコ趣味」が流行り、西洋音楽にも「トルコ風」が色濃く影響してました。丁度その時代に活躍していた偉大な作曲家ベートーベンとモーツァルトが刺激を受けて、「トルコ行進曲」を作曲したとのことですから驚きですね!
ベートーベンもモーツァルトもこれ以外にもトルコ風の曲を作曲しています。モーツァルトはオペラ「後宮からの誘拐」、ベートーベンは有名な第九第四章「歓喜の歌」の一部にも「Alla marcia=行進曲風」を取り入れ、あのハイドンも交響曲第100番『軍隊』というトルコ風の曲を作曲しているのです。大作曲家たちがこぞって流行に乗っていたというわけですね!
ちなみに、1720年代初頭には、オスマン帝国第23代皇帝アフメット3世よりポーランド王アウグスト2世にメフテル軍楽隊が送られたことで、オーストリアではオスマン式軍楽が取り入れられたとされています。これらが後のブラスバンドやオーケストラの素になりました。
オスマン帝国623年の歩みを全解説!世界を揺るがせた大帝国の繁栄と滅亡 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
メフテル軍楽隊の楽器編成は、ボル、ズィル、ナッカーレ(nakkare:小型の二つ一組の鍋型太鼓)、キョス(kös:ティンパニ)、チェヴギャン(çevgan:三日月形の飾りに鈴やベルがつけられた錫杖の一種)などから構成されており、ズルナとダヴルが楽隊の核となっています。
オスマン帝国内では官位の高さによって7~9名のメフテルを抱えることが許されていました。最高権力者のスルタンは、9名もしくは12名編成のメフテルを有していたそうです。メフテルの打楽器や吹奏楽器の軍楽隊編成は、その後の西洋諸国の軍楽隊や現在のブラスバンド・マーチングバンドの起源となっています。
現在でも、あるヨーロッパの地域では、言うことを聞かない子に「トルコ軍が来るよ!」と怖がらせると言います。昔から今までオスマン軍は恐れられ、そのオスマン軍の前線にはメフテル軍楽隊がいたということですので、メフテルが最強の軍楽隊だったことは確かです。
メフテル軍楽隊の著名な曲として、「CEDDIN DEDEN (ジェッディン・デデン)」があります。こちら実はNHKのドラマ「阿修羅のごとく」やCMなどでも使われたことがありますので、知らないうちに皆様もお耳にしているかもしれません。
現在では、イスタンブールの新市街にある軍事博物館で、メフテル軍楽隊の演奏を聴くことができます。一度聴いたらその勇ましさに鳥肌が立って虜になること間違い無し!イスタンブールにいらした際は、ぜひ軍事博物館で生演奏を楽しんでみて下さい。
ファジルサイがオリジナルの旋律を忠実に守りながらも、軽快で楽しいジャズ風に編曲したモーツァルトの「トルコ行進曲」は、日本は元より世界でもとても人気です。トルコ人であるファジルサイがよりトルコ風にではなく、敢えてジャズ風に編曲したと言うのがまた面白いですよね。
ピアノを弾く人にとってモーツァルトのトルコ行進曲は定番の曲ですが、これに慣れた人はより難易度の高いファジルサイ編曲のジャズ風トルコ行進曲に挑戦する人も多くいらっしゃるとか。また、他のピアニストの間でも大変人気の高い曲です。
その後は、世界一流のオーケストラと定期的に共演。1998年のデビューCD『トルコ行進曲~サイ・プレイズ・モーツァルト』が絶賛され、現在でも第一線で世界各地で公演を行っています。
ファジルサイはピアニストとしてだけでなく、作曲家としても世界中で高い評価を受けております。1979年8歳の時、トルコの4月23日国民主権と子供の日に、当時の有名トップ歌手が出ている祝日を祝うテレビ番組で自分で作曲した曲を披露したというのですから、本当に生まれながらの鬼才なのでしょう。まさに天才音楽家としか言いようがありません。
彼の作曲は室内楽だけでなくクラシック編成の協奏曲や交響曲も手掛けています。民族のルーツを伝えるような祖国トルコの音楽を取り入れた曲も多く、クラシックや西洋音楽に囚われない自由な音楽が世界で評価を受けているのかと思います。
また、日本とは縁も深く、2007年には日本のアニメーション映画「オオカミくんはピアニスト」の音楽を担当し、この映画は75周年にあたる同年のヴェネチア国際映画祭に出品されました。
現在西洋音楽は元より、全世界であらゆる音楽に欠かせないシンバルは、東洋の鐃鈸(にょうはち)が中央アジアのトルコ系民族によりZİL(ズィル)の名でダヴルハーネで使用され、トルコ系民族の西方進出とともにオスマン朝時代に西洋に伝わりました。このような歴史から、今でもトルコのシンバルメーカーが世界の源流となっております。
音楽をやっている人なら当然ですが、音楽をあまり知らない方でも、Zildjian (ジルジャン)というメーカーを聞いたことはあるのではないでしょうか。ジルジャンは、イスタンブール出身のアルメニア系シンバル職人ジルジャン一族が経営するブランドで、現存するシンバルメーカーの中で最も愛され最も古い歴史を持っております。
当時イスタンブールに住んでいたアルメニア人の錬金術師アベディスⅠ世は、合金処理法において独自の製法を発明し、透明感・力強い音を産み出す芸術的なシンバルの製作に成功しました。オスマントルコ皇帝に従うメフテル軍楽隊がアベディスのシンバルを採用し、日常的な祈りや宗教上の祝祭、皇室の結婚式、オスマンの軍隊の召集にまで利用したとのことです。
皇帝の御用達シンバル職人になったアベディスⅠ世は皇帝より、«シンバル職人の息子»を意味する「ジルジャン」の称号を授けられ、1623年にシンバルメーカーのジルジャン社を設立しました。
音楽の歴史と共に歩んできた世界で最も愛されるジルジャンのシンバル。全てのシンバルの基本であり、西洋音楽のベートーベンから現代のビートルズや有名なロックグループまで、今までずっと最前線で親しまれているシンバルです。
なお、トルコにはこの他にも、Istanbul、Boshoporus、Turkish、MasterWork、Amedia、Agean Cymbalといった有名シンバルメーカーがあり、シンバル業界を独占しています。
イスタンブールのイスティックラル通りからガラタ塔に下る道には楽器屋が多くあり、ここでトルコのシンバルも見つけられます。シンバルだけではなく、伝統楽器のサズやウッド、ネイなどもありますので、音楽好きな方はぜひ訪れてみてください。
Zildjian (ジルジャン)|ヤマハミュージックジャパン
どのような音楽であったのか、ぜひ聞いてみたい!と思いますが、実はトルコ古典音楽の楽曲は20世紀に入るまで師匠から弟子へと伝承されていたため、楽譜などでは残っておらず、残念ながら500年以上の伝統を持つオスマン時代の古い音楽は現在聞くことはできません。しかし、オスマン帝国時代でもかなり新しい時代に作曲されたものは現在でも聞くことができます。
一昔前に日本でも流行し、CMでも使われていた女子十二楽坊の代表的演奏曲である『自由』と言う曲は、皆様聞いたことがあるかと思います。あの曲は、実はオスマン帝国末期のトルコ古典音楽の作曲家サントゥーリー・エトヘム・エフェンディ(Santurî Ethem Efendi:1855年生~1926年没)が作曲したもの。『ŞEHNAZ LONGA(シェフナーズ・ロンガ)』という、テンポの速い異国情緒漂うトルコ古典音楽を代表する曲です。
日本でも放送され、大反響だった長編大河ドラマ『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』は御存じでしょうか?トルコ名は『MUHTEŞEM YÜZYIL (ムフテシェン・ユズユル)』で、直訳すると「壮麗なる世紀」です。
トルコで2011年1月~2014年6月まで放送されていた4シーズン全139回の大長編ドラマで、トルコは元より世界60ヵ国以上、8億人の人が視聴し、高い人気を誇りました。
オスマン帝国を最盛に導いた第10代皇帝スレイマン大帝と栄華に彩られたトプカプ宮殿内ハレムを舞台に、寵姫ヒュッレムが繰り広げる愛と欲望と女同士の権力闘争、また当時のオスマン帝国の歴史を華麗なビジュアルで壮大に映し出した大作です。
映像も壮大ですが、このドラマで使われている音楽も当時の宮廷での優雅さを見事に表現しています。もちろんドラマのために作曲されたものですので、時代考証はどこまで正確かはわかりません。
しかし、宮廷内の華麗さや高貴さを見事に表現した異国情緒満載のサウンドですので、もしまだこのドラマを見てないという方は、絶対にお見逃しなく! スレイマン大帝に嫁ぐ寵姫ヒュッレムの迫真の演技、綺麗さ、ドラマにどっぷりハマること間違いなし!長い作品ですが、飽きることなく雄大で華麗なオスマン帝国を堪能できます。
トプカプ宮殿の見どころ徹底解説!宝物館やハレムはオスマン帝国の権力の証 | トルコ旅行・ツアー・観光なら、安心の『ターキッシュエア&トラベル』におまかせ!
「ターキッシュエア&トラベル」では、限られた日程のなかで効率的に世界遺産を巡るツアープランをご用意しております。パッケージプランに含まれていないスポットをご希望の場合は、トルコ旅行に精通したプロのガイドが、お客様のお好みに応じて柔軟なプライベートプランをご提案しますので、お気軽にご相談くださいませ。
一つは軽快で大胆なリズムのベートーベンの「劇付随音楽『アテネの廃墟』の行進曲」(イタリア語:Marcia alla turca)で、もう一つはクラシック界で最も有名な曲と言える皆さんご存じのモーツァルトの「ピアノソナタ第11番『トルコ行進曲付き』第3楽章」(イタリア語:Rondò alla turca)かと思います。
目次
モーツァルトのトルコ行進曲「トルコマーチ」
このモーツァルトのトルコ行進曲は、日本では歌手の由紀さおりさん・安田祥子さん御姉妹がスキャットで“ダバダバダ― ダバダバダ― ダバダバダバダバダバダバダー”の軽快なメロディーで歌われ、紅白歌合戦でも美声を披露なされましたので、日本中で周知されているかと思います(中年以上の方は御存じかと)。
また現在ではアニメ系の替え歌でこの曲が使われたりと、本当に幅広い層で慕われている曲であるのは確かです。
ベートーベンのトルコ行進曲「トルコマーチ」
ベートーベンのトルコ行進曲は、劇付随音楽『アテネの廃墟』の中の1曲。軍隊の勇壮さを彷彿させる力強いビートが印象的です。オーケストラでアテネの廃墟が演奏されることは少なくなりましたが、トルコ行進曲は定番ともいえる人気を誇っており、ピアノソロでも初級から上級まで幅広いアレンジが見受けられます。
クレッシェンドで表現される軍隊の勇壮さ
ベートーベンのトルコ行進曲は、劇中でトルコの軍隊が遠くから近づいてきて、やがて遠くに去って行く様子をクレッシェンド(だんだん強く)とデクレッシェンド(だんだん弱く)と呼ばれる音楽における強弱法を用いて効果的に表現しています。音楽の躍動感からも劇中の世界に入り込むことが出来る作品です。
意外と知らない三日月の意味と語源!トルコやクロワッサンとの深い関係 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
トルコ行進曲の特徴
トルコ行進曲の特徴は何といっても、ラッパや打楽器やシンバルなどが勇ましく一定のリズムを奏でることです。「ズンチャ ズンチャ ズンチャッチャッチャッ」や「ジャーン ジャーン ジャーン ダ ダ」など、繰り返しリズムをとります。
モーツァルトのトルコ行進曲でも、ピアノであの有名なメロディーを右手で奏でている隣で、左手でしっかりと「ズンチャッチャッチャ ズンチャッチャッチャ」とメフテル軍楽隊のリズムが取り入れられており、優雅な中にも力強いリズムの曲で世界中の人を魅了しています。
トルコ行進曲(ピアノ)の難易度は?
モーツァルトのトルコ行進曲の難易度は中級以上、ソナタレベルです。オクターブの連続や、オクターブの4和音があるため、弾きやすさは手の大きさに左右されます。一方、現在広く親しまれているベートーベンのトルコ行進曲のピアノアレンジは初心者でも弾きやすく、発表会にもおすすめです。
いずれのトルコ行進曲も人気が高く、アレンジされた楽譜が多く出回っていますので、自分のレベルに合ったものを探してみるとよいでしょう。
なぜ西洋でトルコ行進曲?
西洋の偉大な作曲家の二人が、なぜトルコの行進曲をこぞって作曲したのでしょう。
実はその発端は、1600年代後期、オスマン帝国が2度のウィーン包囲をした際にオスマン帝国軍精鋭軍隊イェニチェリに随行した「メフテル軍楽隊」にあります。
17世紀後半から18世紀に、西洋で当時大帝国であったオスマントルコへの恐れと憧れから「トルコ趣味」が流行り、西洋音楽にも「トルコ風」が色濃く影響してました。丁度その時代に活躍していた偉大な作曲家ベートーベンとモーツァルトが刺激を受けて、「トルコ行進曲」を作曲したとのことですから驚きですね!
ベートーベンもモーツァルトもこれ以外にもトルコ風の曲を作曲しています。モーツァルトはオペラ「後宮からの誘拐」、ベートーベンは有名な第九第四章「歓喜の歌」の一部にも「Alla marcia=行進曲風」を取り入れ、あのハイドンも交響曲第100番『軍隊』というトルコ風の曲を作曲しているのです。大作曲家たちがこぞって流行に乗っていたというわけですね!
ちなみに、1720年代初頭には、オスマン帝国第23代皇帝アフメット3世よりポーランド王アウグスト2世にメフテル軍楽隊が送られたことで、オーストリアではオスマン式軍楽が取り入れられたとされています。これらが後のブラスバンドやオーケストラの素になりました。
オスマン帝国623年の歩みを全解説!世界を揺るがせた大帝国の繁栄と滅亡 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
トルコ行進曲のルーツ!泣く子も黙るメフテル軍楽隊
大帝国であったオスマン帝国軍は、遠征の際に軍を鼓舞するため、あるいは敵を威嚇するために、メフテルという軍楽隊を随行させていました。メフテルの歴史と編成
メフテルの前身であるダヴルハーネは、中央アジアのトルコ系の国家で生まれたとされています。ダヴルハーネは、ダヴル(davul:筒型の両面太鼓)、ズルナ(zurna:竪笛)、ボル(boru:トランペット)、そしてズィル(zil:シンバル)から成る楽隊で、トゥルク民族の西方進出によってセルジューク朝へ、そこからオスマン朝へと受け継がれ、その後に西アジアの伝統音楽が混ざり、オスマン帝国常備軍の中で独自に発展しメフテルとなったとのことです。メフテル軍楽隊の楽器編成は、ボル、ズィル、ナッカーレ(nakkare:小型の二つ一組の鍋型太鼓)、キョス(kös:ティンパニ)、チェヴギャン(çevgan:三日月形の飾りに鈴やベルがつけられた錫杖の一種)などから構成されており、ズルナとダヴルが楽隊の核となっています。
オスマン帝国内では官位の高さによって7~9名のメフテルを抱えることが許されていました。最高権力者のスルタンは、9名もしくは12名編成のメフテルを有していたそうです。メフテルの打楽器や吹奏楽器の軍楽隊編成は、その後の西洋諸国の軍楽隊や現在のブラスバンド・マーチングバンドの起源となっています。
メフテル軍楽隊はトルコ軍の象徴的存在
大帝国オスマントルコ軍が攻めてくる際に、遠くから勇ましく規律のある軍楽隊音楽が段々と近づいてくるのを聞いたら、当時の西洋諸国が固唾を飲んで恐れて身構えてしまったことを簡単に想像できます。現在でも、あるヨーロッパの地域では、言うことを聞かない子に「トルコ軍が来るよ!」と怖がらせると言います。昔から今までオスマン軍は恐れられ、そのオスマン軍の前線にはメフテル軍楽隊がいたということですので、メフテルが最強の軍楽隊だったことは確かです。
メフテル軍楽隊の著名な曲として、「CEDDIN DEDEN (ジェッディン・デデン)」があります。こちら実はNHKのドラマ「阿修羅のごとく」やCMなどでも使われたことがありますので、知らないうちに皆様もお耳にしているかもしれません。
現在では、イスタンブールの新市街にある軍事博物館で、メフテル軍楽隊の演奏を聴くことができます。一度聴いたらその勇ましさに鳥肌が立って虜になること間違い無し!イスタンブールにいらした際は、ぜひ軍事博物館で生演奏を楽しんでみて下さい。
ファジル・サイのトルコ行進曲は世界中で人気
ファジル・サイは現代のモーツァルトとも言われ、時に鼻歌を歌いながら、曲の世界に没頭し陶酔した表情で全身全霊でピアノを弾く姿が印象的なトルコ出身の世界的ピアニストです。クラシック好きの方、ピアノを弾かれる方、トルコ好きの方なら御存じの方もいらっしゃるでしょう。ファジルサイがオリジナルの旋律を忠実に守りながらも、軽快で楽しいジャズ風に編曲したモーツァルトの「トルコ行進曲」は、日本は元より世界でもとても人気です。トルコ人であるファジルサイがよりトルコ風にではなく、敢えてジャズ風に編曲したと言うのがまた面白いですよね。
ピアノを弾く人にとってモーツァルトのトルコ行進曲は定番の曲ですが、これに慣れた人はより難易度の高いファジルサイ編曲のジャズ風トルコ行進曲に挑戦する人も多くいらっしゃるとか。また、他のピアニストの間でも大変人気の高い曲です。
トルコの奇才ピアニスト|ファジル・サイ(FAZIL SAY)とは?"
1970年トルコの首都アンカラで生まれたファジルサイは、5歳でピアノを始め、アンカラ国立音楽院でピアノと作曲を学び、17歳で奨学金を得てデュッセルドルフのシューマン音楽院に留学し、その後ベルリン音楽院でピアノと室内楽を学びました。1994年24歳の時にヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝。その後は、世界一流のオーケストラと定期的に共演。1998年のデビューCD『トルコ行進曲~サイ・プレイズ・モーツァルト』が絶賛され、現在でも第一線で世界各地で公演を行っています。
ファジルサイはピアニストとしてだけでなく、作曲家としても世界中で高い評価を受けております。1979年8歳の時、トルコの4月23日国民主権と子供の日に、当時の有名トップ歌手が出ている祝日を祝うテレビ番組で自分で作曲した曲を披露したというのですから、本当に生まれながらの鬼才なのでしょう。まさに天才音楽家としか言いようがありません。
彼の作曲は室内楽だけでなくクラシック編成の協奏曲や交響曲も手掛けています。民族のルーツを伝えるような祖国トルコの音楽を取り入れた曲も多く、クラシックや西洋音楽に囚われない自由な音楽が世界で評価を受けているのかと思います。
ファジル・サイは日本でも積極的に活動している
ファジル・サイ、実は1996年の初来日を皮切りに、日本にも意欲的にコンサートのために来日しており、新日本フィルハーモニー交響楽団とも共演しています。日本では「鬼才!天才! ファジル・サイ!」というキャッチコピーが付けられており、毎年のように日本各地をコンサートツアーで周ります。来日の際は、日本の地で貴重な鬼才の生の音楽を聴けるチャンスですのでお見逃しなく!また、日本とは縁も深く、2007年には日本のアニメーション映画「オオカミくんはピアニスト」の音楽を担当し、この映画は75周年にあたる同年のヴェネチア国際映画祭に出品されました。
現代音楽に欠かせないシンバルはトルコ発祥?!
現在西洋音楽は元より、全世界であらゆる音楽に欠かせないシンバルは、東洋の鐃鈸(にょうはち)が中央アジアのトルコ系民族によりZİL(ズィル)の名でダヴルハーネで使用され、トルコ系民族の西方進出とともにオスマン朝時代に西洋に伝わりました。このような歴史から、今でもトルコのシンバルメーカーが世界の源流となっております。
音楽をやっている人なら当然ですが、音楽をあまり知らない方でも、Zildjian (ジルジャン)というメーカーを聞いたことはあるのではないでしょうか。ジルジャンは、イスタンブール出身のアルメニア系シンバル職人ジルジャン一族が経営するブランドで、現存するシンバルメーカーの中で最も愛され最も古い歴史を持っております。
当時イスタンブールに住んでいたアルメニア人の錬金術師アベディスⅠ世は、合金処理法において独自の製法を発明し、透明感・力強い音を産み出す芸術的なシンバルの製作に成功しました。オスマントルコ皇帝に従うメフテル軍楽隊がアベディスのシンバルを採用し、日常的な祈りや宗教上の祝祭、皇室の結婚式、オスマンの軍隊の召集にまで利用したとのことです。
皇帝の御用達シンバル職人になったアベディスⅠ世は皇帝より、«シンバル職人の息子»を意味する「ジルジャン」の称号を授けられ、1623年にシンバルメーカーのジルジャン社を設立しました。
音楽の歴史と共に歩んできた世界で最も愛されるジルジャンのシンバル。全てのシンバルの基本であり、西洋音楽のベートーベンから現代のビートルズや有名なロックグループまで、今までずっと最前線で親しまれているシンバルです。
なお、トルコにはこの他にも、Istanbul、Boshoporus、Turkish、MasterWork、Amedia、Agean Cymbalといった有名シンバルメーカーがあり、シンバル業界を独占しています。
イスタンブールのイスティックラル通りからガラタ塔に下る道には楽器屋が多くあり、ここでトルコのシンバルも見つけられます。シンバルだけではなく、伝統楽器のサズやウッド、ネイなどもありますので、音楽好きな方はぜひ訪れてみてください。
Zildjian (ジルジャン)|ヤマハミュージックジャパン
トルコの宮廷音楽の歴史と魅力
オスマン帝国からの伝統を持つトルコ古典音楽は、アラブ音楽に似ています。西アジア古典音楽の伝統と、古くからのアラブやペルシャの音楽に加えインドやギリシャの音楽も取り込んだ伝統的芸術です。どのような音楽であったのか、ぜひ聞いてみたい!と思いますが、実はトルコ古典音楽の楽曲は20世紀に入るまで師匠から弟子へと伝承されていたため、楽譜などでは残っておらず、残念ながら500年以上の伝統を持つオスマン時代の古い音楽は現在聞くことはできません。しかし、オスマン帝国時代でもかなり新しい時代に作曲されたものは現在でも聞くことができます。
一昔前に日本でも流行し、CMでも使われていた女子十二楽坊の代表的演奏曲である『自由』と言う曲は、皆様聞いたことがあるかと思います。あの曲は、実はオスマン帝国末期のトルコ古典音楽の作曲家サントゥーリー・エトヘム・エフェンディ(Santurî Ethem Efendi:1855年生~1926年没)が作曲したもの。『ŞEHNAZ LONGA(シェフナーズ・ロンガ)』という、テンポの速い異国情緒漂うトルコ古典音楽を代表する曲です。
現在でも人々を魅了し続ける華麗なる宮廷の世界
日本でも放送され、大反響だった長編大河ドラマ『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』は御存じでしょうか?トルコ名は『MUHTEŞEM YÜZYIL (ムフテシェン・ユズユル)』で、直訳すると「壮麗なる世紀」です。
トルコで2011年1月~2014年6月まで放送されていた4シーズン全139回の大長編ドラマで、トルコは元より世界60ヵ国以上、8億人の人が視聴し、高い人気を誇りました。
オスマン帝国を最盛に導いた第10代皇帝スレイマン大帝と栄華に彩られたトプカプ宮殿内ハレムを舞台に、寵姫ヒュッレムが繰り広げる愛と欲望と女同士の権力闘争、また当時のオスマン帝国の歴史を華麗なビジュアルで壮大に映し出した大作です。
映像も壮大ですが、このドラマで使われている音楽も当時の宮廷での優雅さを見事に表現しています。もちろんドラマのために作曲されたものですので、時代考証はどこまで正確かはわかりません。
しかし、宮廷内の華麗さや高貴さを見事に表現した異国情緒満載のサウンドですので、もしまだこのドラマを見てないという方は、絶対にお見逃しなく! スレイマン大帝に嫁ぐ寵姫ヒュッレムの迫真の演技、綺麗さ、ドラマにどっぷりハマること間違いなし!長い作品ですが、飽きることなく雄大で華麗なオスマン帝国を堪能できます。
トプカプ宮殿の見どころ徹底解説!宝物館やハレムはオスマン帝国の権力の証 | トルコ旅行・ツアー・観光なら、安心の『ターキッシュエア&トラベル』におまかせ!
トルコは歴史ある芸術・文化を堪能できる魅力的な国
トルコ行進曲に象徴されるような、かつて威勢を轟かせたオスマン帝国の華麗な歴史をたどる旅をしに、ぜひトルコへ訪れてみて下さい。イスタンブールにはトプカプ宮殿をはじめ、アヤソフィアやブルーモスクなど歴史的遺産が数多く、見どころが沢山ございます!「ターキッシュエア&トラベル」では、限られた日程のなかで効率的に世界遺産を巡るツアープランをご用意しております。パッケージプランに含まれていないスポットをご希望の場合は、トルコ旅行に精通したプロのガイドが、お客様のお好みに応じて柔軟なプライベートプランをご提案しますので、お気軽にご相談くださいませ。