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トルコ旅行・ツアーブログ|トルコツアー旅行記

フローレンス・ナイチンゲール|イスタンブールで活躍した白衣の天使


イギリス人看護師“白衣の天使”ナイチンゲール。クリミア戦争で負傷した兵士の看護でも名を知られていますね。そのナイチンゲールはトルコにも縁が深いことを知っていましたか?

戦場の天使とも言われた近代看護の創始者であるナイチンゲールの生い立ちや功績、名言、トルコとのかかわりを徹底解説します。

ナイチンゲールってどんな人?ポイントを分かりやすく解説

ナイチンゲール
  • クリミア戦争下の野戦病院で看護婦総責任者として献身的な看護活動に従事→「クリミアの天使」「ランプの貴婦人」と称えられる
  • 現地での革新的な衛生管理・健康管理の徹底により兵士の死亡率を40%超→2%と大幅に改善
  • 野戦病院での現状を分析するためにレーダーチャートやグラフを用いた医療統計学を生み出し、イギリス陸軍病院の医療衛生改革を実現→女性初の王立統計協会会員に選出
  • 専門的教育を施した看護婦の必要性を提唱→世界初の看護学校設立
  • 近代的な看護体制を確立:今も読み継がれる看護教育教本の執筆、ナースコールやナースステーションの考案、近代的病院建築スタイルの提唱など

ナイチンゲールの主な年表

1820年5月12日 両親の新婚旅行先であったイタリア・フィレンツェで誕生
1851年(31歳) ドイツのカイゼルスベルト学園で看護師の勉強を始める
1854年(34歳) クリミア戦争下のイスタンブールの野戦病院で看護活動に2年間従事
1860年(40歳) ナイチンゲール看護学校創立
『Notes On Nursing(看護覚え書き)』出版
この頃から慢性疲労症候群のような症状により、以後ほぼベッドの上での生活になる
1863年(43歳) 『Notes on Hospitals(病院覚え書き)』出版
1901年(81歳) 失明する
1907年(87歳) 女性で初めてメリット勲章を授けられる
1910年8月13日(90歳) ロンドンにてその生涯を閉じる

ナイチンゲールの濃くて長い生涯

看護師を志す若きナイチンゲール

フローレンス・ナイチンゲール 1820年5月12日イタリアのフィレンツェで生まれた英国人フローレンス・ナイチンゲールは、出生地から名を取りフローレンス(フィレンツェの英語読み)と名付けられました。

裕福な家庭に生まれたナイチンゲールは、哲学、数学、経済学、心理学、歴史学、フランス語、ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、イタリア語、などなど幅広く当時の女性としては珍しい高等教育を受けます。

そんな彼女が一念発起して看護婦になりたいと決意したのは1849年のことです。この頃イギリスでは飢餓が蔓延しており、貧困層の酷い暮らしぶりにナイチンゲールは心打ちひしがれ、慈善奉仕活動をしたいと確固たる思いがあり、また天命であると確信していました。

ただ、この時代は医者が家へ行き往診するのが普通で、病院は形態を成さない下層階級の病人が集う不潔な場所であり、看護師は専門知識のいらないただの御手伝い・お世話係の様な物で下層階級の無教養な女性がする仕事でした。

彼女の家族は看護師になることにショックを受け猛反対しますが、意志の強いナイチンゲールは家族の反対を押し切り、また階級の壁を越えて1851年31歳でドイツのカイゼルスベルト学園で看護師の勉強を始めます。

その後、英国ロンドンで医療や看護や病院の運営などの教育を受けた後、英国各地の病院の状況を調べて専門的教育を施した看護婦の必要性を訴え始めるようになるのです。

クリミア戦争下にオスマン帝国ウスキュダル英陸軍野戦病院へ赴任

セリミエ兵舎
ロンドンに戻っていた彼女の運命を変えたのは1853年、オスマン帝国トルコとロシアの間に起きたクリミア戦争でした。南下を目指すロシアに対し、脅威を感じる英仏はオスマン帝国を支援。黒海に突き出したクリミア半島で激しい戦闘が繰り広げられました。

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戦闘で傷ついた兵士たちはイギリス軍の基地が置いてあったイスタンブールのアジア側スクタリ(現ウスキュダル)の陸軍野戦病院に運ばれ治療を受けます。ナイチンゲールは1854年、英国人の24人のシスターと10人の志願看護婦とともにイスタンブールに赴き、兵士の看護に当たるのです。

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戦場の天使として献身的な看護を提供

当時の陸軍はもちろん男社会であったため、野戦病院に着いたナイチンゲール一行はお嬢様たちの御遊びと馬鹿にされて軍医から軍からも歓迎されず、看護の業務につかせてもらえません。

野戦病院での傷病兵は不潔な病院の床にそのまま寝かされ、戦場で生き残っても傷ではなく感染症で命を落とすような悲惨さ。ナイチンゲールはそうした状況を無くそうとまず看護の業務につけなくても掃除や食事など衛生状態の改善に努めました。

この尽力により病院の状態が改善されたことが受けいれられ、またちょうど戦闘が激化し傷病兵の数が多くなったことからナイチンゲール一行は看護にあたることになります。

現在では普通ですが、毎日包帯を替えることや病人に合わせて料理人が作った料理を提供すること、一人一台の寝台など少ない支給物資の中からでも個人の健康管理を考えた看護を行います。

また、看護の仕事だけでなく、負傷兵のために母国に残された家族に手紙を書いたり、死亡した兵の家族に死亡報告と一緒に僅かでも義援金を添えたりと心理的な面でも力になるために奔走します。

衛生管理・健康管理の徹底により生存率を大幅に改善

ナイチンゲールはこの病院の看護婦総責任者となり、衛生管理の徹底と個人の健康管理を考え、夜回りを怠らず行ったことで死亡率を数十%減らし、最終的に2%まで抑えることに成功するのです。後の分析により、兵士の死因の多くは衛生管理不足による感染症であったことが分かっています。

ちなみに、夜間に問題がないか怠らずランタンを持って夜回りを行っていたことから“ランプの貴婦人”とも言われていました。既に1855年2月には戦場同行していたロンドンニュースの記者によりイギリスでこの名が広まっていたと言われています。

ナイチンゲールは献身的な戦場看護婦のイメージで世界に知られていますが、実は彼女自身が看護婦として負傷兵たちに奉仕したのはクリミア戦争従軍時の2年間だけ、つまりウスキュダルの兵舎での看護活動だけなのです。

イギリスへの帰国後は執筆活動や医療衛生制度改革に尽力

ナイチンゲールはスクタリで従事している際にクリミア・コンゴ熱にかかっており、治ってからも後遺症が残ってしまいます。さらに、さまざまなストレスや心労が重なり慢性疲労症候群を患い、残念ながら40歳の頃には現場で働けないくらい弱くなってしまいます。

以後亡くなるまでの約50年間、ほぼベッドの上の生活となりますが、現場で働けなくても執筆活動等で自らの経験を伝えることや看護師育成に力を入れるなど医療に尽力し続けました。

1901年81歳のときには失明し、1910年8月13日90歳のとき、ロンドンにてその生涯を閉じました。

ナイチンゲールが後世のために果たした功績

フローレンス・ナイチンゲール

世界初の看護学校の設立

ナイチンゲールはウスキュダルの野戦病院での功績が認められ、オスマントルコ皇帝から1000個の金貨を与えられます。さらに英国に帰国後、加えて4万5000ポンドの功労金を支給されたのを機に、看護師と医療関係者の教育のため、生活保護のためにナイチンゲール基金を設立し、ロンドンの聖トーマス病院内に看護婦養成学校を創設します。

ナイチンゲールが創設した看護学校は、看護知識の教育だけでなく病院管理の教育も出来る看護学校である上、宗教に関係しない世界で最初の看護学校でもあります。

数々の医療衛生改革により現代でも続く近代的な看護体制を確立

1860年40歳の時に出版した『Notes On Nursing(看護覚え書)』は、看護の原点と基本的原理が論述されており、現在でも看護教育の教本としてベストセラーを誇っています。

1863年の著書『Notes on Hospitals(病院覚え書き)』では、患者一人における療養空間、窓やベッドの配置方法など病院建築におけるナイチンゲールの考案が理論的に記述しています。

このほかにも数々の著書を執筆し、1907年87歳の時には女性で初めてメリット勲章を授かりました。

ちなみに、現在当たり前となっている病院内のナースコールやナースステーション、病床の配置など病院建築の形体を考案したのもナイチンゲールなのです。

数々の医療衛生改革により、現代でも続く近代的な看護体制を確立したナイチンゲールが生まれた5月12日は、“世界看護の日”となっています。

ナイチンゲールは統計学の母としても有名

フローレンス・ナイチンゲール
ナイチンゲールは、野戦病院での看護の経験から「当時の陸軍病院の死亡の大半は戦争による負傷などではなく、院内の劣悪な衛生環境にある」ことを突き止めました。この事実を専門家でないヴィクトリア女王に訴えるに当たり、分かりやすく説明するためにデータ集計及び可視化に尽力します。

彼女はクリミア戦争で戦死した兵士の状況を分析するために、死亡率や平均入院日数の計算などを用いた医療統計学を生み出しました。棒グラフや円グラフが無い当時、現在でも使われている「レーダーチャート(蜘蛛の巣チャート)」や「鶏のとさかグラフ」も実はナイチンゲールが生み出したものなのです。

このような可視化された統計で兵士の死因ごとの死者数を分かりやすく説明し、当時の病院の現状を約800ページにも及ぶレポートにして訴えたことにより、イギリスの陸軍病院の医療衛生の改革が実現されました。

1859年には、女性で初めて王立統計協会の会員に選出され、1875年には米国統計学会の名誉会員になるなど、統計学の先駆者としても絶対的な地位にあります。

ナイチンゲールの名言

I attribute my success to this – I never gave or took any excuse.
私が成功したのは、言い訳をしなかったからです。

Were there none who were discontented with what they have, the world would never reach anything better.
自分の持っているものに不満を持つ人がいなければ、世界はそれ以上のものに到達できないでしょう。

Rather, ten times, die in the surf, heralding the way to a new world, than stand idly on the shore.
波打ち際でぼんやりしているよりも、新しい世界への道を示すために波に飛び込んで死ぬほうが10倍マシだ。

For the sick it is important to have the best.
病人には最高のものを用意することが重要である。

The very first requirement in a hospital is that it should do the sick no harm.
病院の第一条件は、病人に害を与えないことである。

ナイチンゲール症候群とは?

ナイチンゲール症候群とは、看護を提供する人が看護活動に従事する中で患者に対して恋愛感情・性的感情を抱いてしまう状態を指します。ナイチンゲール効果とも呼ばれます。

ナイチンゲールはその90年の生涯で一度も結婚せず、患者と恋に落ちたという記録も残っていませんが、クリミア戦争下のイスタンブールの野戦病院における彼女の献身的な看護活動や思いやり、優しさに対して好意を抱き、求婚をした男性もいたようです。

一方、ナイチンゲールが結婚を選択しなかったのは、看護に人生を捧げたいと考えたからだといわれています。

また、ナイチンゲール症候群という言葉は、物質的な見返りを求めない看護師としてのやりがいと結び付けられることもありますが、ナイチンゲール自身は「犠牲なき献身こそ真の奉仕」との理念を持ち、自己犠牲的精神のみに頼ったボランティアによる援助活動に反対する立場を取っていました。そのため、彼女は赤十字活動にも関与していません。

ナイチンゲールが活躍した野戦病院 セリミエ兵舎

フローレンス・ナイチンゲール博物館
ナイチンゲールにとってイスタンブールは看護の献身に目覚めた原点の地です。

ナイチンゲールが従事したウスキュダルの陸軍野戦病院は、セリミエ兵舎(Selimiye Kışlası)と言い、元々はオスマン帝国第28第皇帝セリミエ3世が1800~1806年頃に作らせた兵舎なのです。

当初は切石の上に木造で作った建物でしたが、イェニチェリの反乱により崩壊し、1827年頃30代目皇帝マフムト2世の時代に煉瓦造りの建物に再建されました。

31第目皇帝アブデュルメジト1世によって2回修復され4つの角には7階建てで43mの塔が増設されています。中庭を囲む様に横 200m、 縦267mの長方形でできた建物です。

クリミア戦争(1853-1856)時には、イギリス軍にこの兵舎が割り当てられ、1854年から1856年の2年ほどナイチンゲールが従事したのがこの場所なのです。

この兵舎は現在トルコ第1国軍の兵舎となっておりますが、建物の北西部分のナイチンゲール及び一緒に従事していた看護師たちが寝泊まりしていた部屋は、1954年よりフローレンス・ナイチンゲール博物館として、彼女が使っていた机、当時の写真、手紙やメモなどが公開展示されています。

名称 フローレンス・ナイチンゲール博物館 (Florence Nightingale Müzesi)
住所 Selimiye Kışlası, Üsküdar / İstanbul
開館日 平日月曜~金曜
入場料 なし
電話番号 0216 556 8000 内線番号3022/3023
写真撮影 館内での写真撮影は禁止です。
※注意※ 軍施設のため、2日前(48時間前)までに電話を入れた上にパスポートコピーと訪問日、訪問時間、訪問理由をあらかじめFAXまたはE-mailで送って予約をしておかなければなりません。

功績を称えてナイチンゲールの名を冠した病院や学校も多数存在

イスタンブールにはナイチンゲールの功績を称え、その名を冠した病院がヨーロッパ側に2か所、アジア側に2か所あります。

1961年にイスタンブールヨーロッパ側新市街のシシリに作られた最初の高等看護学校は、彼女の名を取りナイチンゲール看護学校として始まりました。

1977年にイスタンブール大学医学部の管轄となり、医学部フローレンスナイチンゲール看護学科の名で現在でも看護教育が続けられています。

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