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トルコ観光名所ガイド

イズミール


イズミルはトルコで7つに分かれている地方区分のエーゲ海地方に属する。穏やかな気候に恵まれ、輝かしい歴史を背景に現在は観光の中心地となっている。そして古代エーゲ海地域を結ぶ陸海空の交通の要地でもある。

『キプロス王キニラスの妻にはスミルナという名の美しい娘がいた。美の女神アフロディテよりも美しいとあからさまに自慢していたので、これは大層女神を苛立たせた。怒った女神はスミルナを実の父キニラスと交じわらせることにした。スミルナの乳母が王に酒を注ぎ酔わせ、その隙に彼女は王の寝床へと忍び込んだ。暫くして酔いのまどろみから目覚めた王は剣を抜き、城から逃げるスミルナを町外れまで追いかけた。そして追い詰めた娘を自らの剣で殺してしまった。これを見ていたアフロディテは娘を大変気の毒に思い、彼女をミルラの木に変えた。時は経ち子孫に引き継がれた王の剣でこのミルラの木を立ち割ってみると中からアドニスカベ転がり落ちて来た。こうしてアドニスが生まれたということだ』

アリステデス、ストラボ、プリニーパウサニアスなどの古代の有名な旅行家の記述によると、イズミルはBC1450年頃現在の町の北東にあるマニサ(古代名スピロス)の王タンクルスによって建設されたという。またそれとは別にアマゾン族によって作られたという伝説も残されている。ただひとつだけはっきりしている事は、イズミルの町の名の語源はギリシャ語源ではなく土地の方言から由来しているものらしい。

イズミール
歴史
1948年にアテネの英国考古学協会により始められた発掘調査はその後1960年にトルコ歴史協会のエクレム・アクルガル教授に引き継がれ、バイラクルで青銅時代(BC3500-1000)の居住地跡が発見された。この遺跡の初期の地層は、トロイ第Ⅱ市と同時代のものと断定されている。この居住地跡がスムルナ(古代名スミルナ)である。

BC11世紀、スミルナの沿岸諸都市にはイオニア人とアイオリス人が住んでいた。

BC8世紀のものと推定される泥煉瓦製の城壁があることから、当時のイズミルには既に町の形態が出来上がっていたと考えられる。 BC725-700年にかけて建てられたとされるアテナ神殿はオリエント的な古代ギリシャ様式建築の最も代表的な例であり、ここで発見された中庭と5つの部屋を待つ二階建てのギリシャ式住宅は最古のものとされている。またスミルナには古代ギリシャ時代の最古の舗装道路(丸石を敷きつめたもの)やヤマンラル山にあるタンタロス王(トロス)の最古の円形墳墓が残されている。

BC8~7世紀にこの地方はフリギア人とリディア人に占領された。この時破壊された町はその後6世紀にペルシャ人により攻略され再び崩壊した。 BC333年にはアレキサンダー大王の支配下に置かれた。町はもはや古代の城壁内には収まりきれなくなり、現在カディフェカレとして知られるパゴス山に新しい城壁が築かれた。BC1世紀までには町は更に港付近まで拡張された。

BC288年、町はペルガモン王の支配を受けるようになり、またBC133年にはアッタロス王の遺言に従って町はそっくりローマ皇帝に寄贈された。

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AD7世紀、アラブ人の攻撃を受けた町は9世紀までには造船所が建設されビザンティンの海軍基地となった。ニカエア帝(1204-1260)の時代には国際貿易港として重要な位置を占めるようになった。

11世紀末この地域は初めてトルコ人のクタルムシュオウル・スレイマン・シャフに侵略された。そして1426年にはオスマン帝国に統合された。

海岸の要塞は1472年のベネチア人の攻撃の後、征服王メフメットにより再建された。18世紀には最初の宋栽維工場が、19世紀には製紙工場が開業した。

1919年5月15日、ギリシャからの独立を求めトルコ国民が蜂起した。1922年の開放開争で町の3分の1が炎上した。共和国宣言の後、数年間は町の工業化・都市化に力が注がれたが、その結果環境破壊が進んだ。イズミルで昔の面影を残していた旧市街も今日急激に変わりつつある。しかし一歩町の中に入れば古いモスクやユダヤ教会、キリスト教会のみならず壮麗なレヴァンティン邸やオスマン様式の旧家、路地裏の張出窓のある民家などまだまだ多くの見所を残しているのである。

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見どころ
聖ポリカルプ教会
福音伝道者聖ヨハネの弟子の一人聖ポリカルプは、AD80年イズミルの町へやって来た。彼はキリスト教の布教をしていたことからローマ人にはりつけにされ火あぶりに処された。その場所からは白い鳩が空へ飛び立ったと言われている。この教会は聖ポリカルプに捧げるため、彼の弟子が2世紀に建立したもので、世界の数ある教会の中でも最古の教会に属する。今日教会はカトリック派の日常の礼拝や信者の巡礼地となっている。現存する建物は1690年に再建されたものである。教会内の壁画は今世紀初頭に、フランス人建築家レイモンド・ピイにより修復された。

ナマズギャフ地区には1715年に建築された町の最古の家が残っている。これは張出窓のある代表的なトルコ式住宅である。

アタテュルク博物館
1862年にナイムパラスホテルに改装されたイズミルキョシュク(別荘)は独立戦争最後の都市に軍隊の司令部が置かれた。1927年、イズミル市はこの建物をアタテュルクヘ寄贈した。しかし彼の死後は博物館に改修され、1940年には一般公開された。館内にはアタテュルクが愛用した帆船、彼の遺品、写真、油絵、大理石やブロンズ像などが納められている。

考古学博物館
1984年に現在の建物へと移った博物館はバイラクル、エフェソス、ベルガマ、ミレトス、アフロディシアス、サルデスやイアソスなとがら出土した発掘品を展示している。展示物は全てBC1000年からオスマン時代までの時代別に分類され、年代順に並んでいる。見どころとしては、イズミルのアゴラから出土したデメテルとゼウスの像、幾何学模様の陶器、ヨルタン型の壷、シダマラの石棺や柱頭などがある。全部で1万点を超える出土品を所蔵する。

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クズルチュル水道橋
水道橋はニフ山のアクとカラプナル鉱泉から町ヘ水を引くために建てられた。建物は後期ローマ式でAD2世紀に造られたものとされ、後にオスマン時代に修復された。

古代アゴラ
この古代アゴラはAD2世紀に修復されたもので、カディフェカレに隣接したナマズギャフ(ティルキリク)地区にある墓地の下層から発見された。アゴラ全体の内北側と西側部分のみが発掘されている。北側にあるバシリカ(聖堂)は奥行き160mで二列の列柱に区切られた3つの柱廊からなり、柱は傾斜式の屋根を支えていた。土台のピンク色の大理石は、カラブルン山から運ばれて来たもので、深く掘り下げられた建物の土台は、地上のアーチのある丸屋根を支えていた。

時計塔
時計塔は1901年にアブドゥラー・ハミッド2世の王位継承25年を記念して、クチュクセント・パシャ首相の命で建設された。高さは25m。 時計はドイツ皇帝ウィルヘルム2世から贈られたものである。

アタテュルク記念碑
イズミルのジュムフリエット広場にある記念碑は1932年イタリア人の彫刻家ピエトロ・カノニカにより製作された。台座にはトルコ語の浮き彫りの碑文で“Ord-ular ilk hedefimiz Akdeniz!(兵士諸君、我々の最初の目標は地中海である!)”と刻まれている。またこの碑には独立戦争を描いたレリーフも見られる。

イズミール イズミル国際見本市
1923年の経済会議で提議された国際見本市の計画は、1936年アタテュルクの支援を得て初めて実現した。毎年行われるこのフェアーは緑多いイズミルのキュルテュル公園内で開催される。

ケーブルカー
歌手ダリオ・モレーノが以前住んでいた市内の302番通りにある。ここから見渡すイズミルの景色が素晴らしい。

モスク
ヒサルモスク:イズミルで饅大のモスク。1598年に建立されたと言われている。

バシュドラックモスク:17世紀の旅行家エブリヤ・チェレビによると、このモスクは

1652年に建設された。

ケスタネパザルモスク:1668年建立。

チョラックカプモスク(バスマネ地区):1747年に建てられたと伝えられる。

コナック(ヤル)モスク:市庁舎の前にあり、1754年に建立。

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