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JATA
観光庁長官登録旅行業第1997号
日本旅行業協会 正会員
東京商工会議所 会員
トルコ旅行・観光ガイド

カッパドキア旅行で絶対に行きたいおすすめ観光スポット紹介


この地方の住民は山の上、谷、深い峡谷の岸辺に家を作った。石を利用し、あるいは自然の岩を穿ってそこに住んだ。カッパドキアの住民はかつて世捨て人と呼ばれた。というのも彼らは穴から地中にもぐり、岩の割れめや迷路のような隠れ家に住んでいたから。

ギョレメの岩窟教会観光

カッパドキアには全部で1000以上の教会があり、そのうち150くらいには壁画や彫刻の装飾がみられる。ギョレメの谷の曲りくねった斜面は、修道士たちが好きなように教会を作るうえで便利であったのでこの谷には30以上の教会がある。

カッパドキアの建造物の多くは、岩を丸ごと掘って作られているが、これは安全性のためと同時に、他から隔絶していたいがためでもある。見つけにくい小さな穴を除いて、外観からそれとわかる目印はない。この小穴は入口、窓、明り採りの役をはたしている。


ギョレメの岩窟教会は、カッパドキアのこの種の建築の最高の例である。旅行者はガイドも予備知識もなく歩いても教会を見つけることさえできないだろう。岩窟教会の外観は、保護のためカモフラージュされており、豪華で変化に富む内部と対称的である。しかし華麗さはあっても、建築学上の一派がこの地方にいたと思えるほどの特徴は見当たらない。1 、2、あるいは3つの側廊のある聖堂、横の身廊と丸天井のある教会、あるいは十字平面の教会がよくみられるタイプである。時には同じような、又は異なったタイプが併用されポーチやチャペルがつけ加えられている。測量や方向配置のまちがいも多かった。建築様式の特徴の多くは、シリア、パンフリア、ビザンチンといった近隣諸国の借りものである。

自然のままの凝灰岩を切ったり掘ったりして教会を作るのは、材料を運んだり組み立てたりするよりも易しかったにちがいない。しかしながら、ギョレメの円柱教会(エルマルキリセ、カランルクキリセ、チャルクルキリセ)をみると、建築家たちがいかに材料に精通し、たくみに作りあげたかよくわかる。彼らは内部の建築様式を構造上必要のないものまで、まねて作った。岩を掘って、円柱、半円柱、柱頭、穹隅、つけ柱、ドームを作ったが実用的な要素は特になかった。したがって、仮りにどれかがくずれても建物自体には影響がなかった。


トカルキリセ

トカル・キリセはカッパドキアで最大の岩窟教会のひとつであり、フレスコ画も最も良い状態で保存されている。大きな修道院の主たる教会であったにちがいない。トカル・キリセの意味は「留め金具の教会」で、これは新教会として知られる聖堂第二身廊のアーチに彫られた装飾の形に由来する。

トカルキリセの建築様式は、この地域の他の教会とは少し異なっている。メソポタミア方式として知られる横の身廊を備えた様式である。もともとひとつの身廊と丸天井を備えた初期の教会―いわゆる旧教会―には見られない中庭もついている。

トカルキリセ
旧教会のフレスコ画は10世紀以前のものである。彼らはまず、円天井南側の頂点から始めた。描かれたテーマは、受胎告知。聖母マリアのエリザベト訪問。処女の証明。ベツレヘムヘの旅。キリスト降誕。三博士の礼拝。幼児大虐殺。エジプトヘの逃亡。ザカリアの殺人。エリザベトの飛行。洗礼者ヨハネの叫び。洗礼者ヨハネの予言。キリスト・ヨハネと会う。洗礼。カナの奇跡。使徒の叫び。

パンと魚の奇跡。盲人を癒やす。ラザルスのよみがえり。エルサレム入城。最後の晩餐。裏切り。ピラトの前のキリスト。ゴルゴタへの道。はりつけ。キリスト降架。埋葬。埋葬所の聖女たち。冥府降下。北壁の低い部分には一面に聖人の絵が描かれている。

新教会の大きな横の身廊には、三つに分かれた円筒アーチ型大井もある。身廊の壁には一連の壁龕があり、それがフレスコ画に深みを与えている。新教会のフレスコ画はビザンチン美術の最高の例であり10世紀後半のものである。

北側後陣に断片的によみとれる銘には、「内陣は、コンスタンティンの息子レオンの寄進により…… ニケフォロス…… 飾られた。これを読むものは彼らのために神に祈るべし、アーメン」。レオンとコンスタンティンは寄贈者で、ニケフォロスは画家にちがいない。

新教会の身廊北側の通路は、となりの礼拝堂へと続いている。このような通路のいくつかは後になって閉鎖され、フレスコ画が描かれた。

円柱教会

ギョレメ地方屈指の三教会は一般に「円柱教会」として知られている。エルマル・キリセ(Elmalı Kilise)
りんごの教会-かつて入ロのそばにりんごの木があったのだろう。カランルク・キリセ、(Karanlık Kilise)くらやみの教会、そしてチャルクル・キリセ(Çarıklı Kilise)サンダルの教会-フレスコ画の人物がサンダルをはいていることから、ともいわれ、又、教会の床の二つの窪みが聖人の足跡とみられるからともいわれている。

ギョレメの岩窟教会
これらの三つの教会は11世紀半ばころ作られたらしい。ちょうどビザンティン帝国の東部国境がトルコの侵入におびやかされていたころでビザンティン皇帝の政治力は弱かったがしかしまだ宗教芸術の核心であり、カッパドキアのようにビザンティン側に変わった国にとっては、発想の源でもあり手本でもあった。

この三つのうち二つの教会に食堂が残っていることからも修道院に属する教会であったことがわかる。教会を建て内部を飾るための資金を寄進した人々の名前が、部分的に絵の中にみられる。カランルク・キリセでは4人、チャルクル・キリセでは3人の名前が記されている。絵の中の人々の服装から判断して、彼らは軍貴族ではなく、富裕な大地主であったろう。地方の農民が牧畜によって大金持になったという記録もある。

建築学上の細かなちがいや画法のちがいはあってもこれらの教会は同じ学派の手になったものと思われる。
ミレトスの近くのラトモス洞窟、中央ギリシアのホシオルカス教会の地下室、キプロスにみられる壁画などから、おそらく各地の教会をわたり歩いた画家たちがいたことが考えられる。この修道院方式はカッパドキア方式といわれている。絵については何ら美的目的というものはなかったので美的水準もないようにみえるが隠者や修道士たちがこの絵の前で瞑想していた姿が想像できよう。

絵には農民芸術のいきいきとした活力がみなぎっている。人物の表情は感情ゆたかで、大ざっぱな力強い輪郭が描かれている。直接的感情表現で単純な物語を率直に語る効果をあげている。又、建築学的にも、他の教会よりも一段と上の力量が感じられる。

エルマルキリセ

この教会にはひとつの十字平面が彫られている。柱頭をもった4本の円柱が中央の隔室を形づくり、それをとりまく8つの副格間もドーム形をしている。主後陣はチャルクル・キリセと同様、壁でさえぎられている。

この教会の画法としては広範なレパートリーを持っているが中央と壁の下部の絵はひどく破壊され、残っているフレスコ画にも寄贈者の肖像はみられない。主なテーマとしては、中央ドーム―キリストパントクラトール。小ドーム―大天使。後陣半円形天井-ディーシス。後陣壁―聖人たち。北側後陣―聖母子。南側後陣―大天使ミカエル。

十字天井とルネットの壁上部―キリスト降誕。三博士の礼拝。洗礼。キリストの変容。ラザルスのよみがえり。エルサレム入城。最後の晩餐。裏切り。ゴルゴダヘの道。はりつけ。埋葬。埋葬所の聖女たち。冥府降下。昇天。壁パネル―アブラハムと3人のヘブライ人のもてなし。


エルマルキリセ

カランルクキリセ

円柱教会の建築や壁画は同じ流派の手によるものと思われるが、よく見るとカランルク・キリセは他の二つと少し異なっている。建築上、独自により教会らしく作られている。ドームと丸天井は円柱の上に置かれ本物の建築物のようにみえる。肖像画は教会の構造にあわせて、わくの中に念入りに描かれ、建築家や画家は時間的にも経済的にも良い条件の下で仕事をしていたことがうかがえる。

青い色は高価な藍銅鉱から採れるのだが、ここでは他の教会よりもふんだんに使われている。エルマル・キリセとチャルクル・キリセでは、青のかわりに灰色が多く使われていて、建築家や両家の待遇もカランルク・キリセほど良くはなかったにちがいない。


カランルクキリセ

チャルクルキリセ

チャルクル・キリセに残っているフレスコ画の配置は、中央ドーム―頂上にパントクラトール。穹隅―福音書をかく4人の伝道者。補助ドーム―ミカエル。ガブリエル。ウリエル。内陣しきり―受胎告知。丸天井と隣接するルネット―キリスト降誕。三博士の礼拝。

洗礼。キリストの変容。ラザルスのよみがえり。エルサレム入城。裏切り。ゴルゴダヘの道。はりつけ。冥府降下。埋葬所の聖女たち。キリスト昇天。北側後陣ルネットーアブラハムのもてなし。中央後陣半円形天井―ディーシス(キリストの肖像)。中央後陣壁―6聖人。

西側径間の西壁には寄贈者のパネルがある。肖像と銘により、「神の忠実なしもべ、テオグノストス(Theognostos)、レオン(Leon)。ミカエル……」などと読みとれる。パネルの中央にキリストの十字架を手にして描かれているのは、多分キレーネのシモン (Simon)だろう。


チャルクルキリセ

聖バルバラ教会

11世紀後半、小さな側廊がひとつ、又は十字平面のドームのある教会がギョレメの谷に幾つか建てられた。聖バルバラ教会とユランル・キリセはこの中のひとつである。これらの教会の装飾はかなり幼稚なもので、絵は岩に直接、又はうすく漆喰を塗った上に描かれている。

この方式がカッパドキアではじめて使われたのは、ゼルヴェの例もあるように偶像禁止以前のことであった。主に使われている色はオークルレッド(赭土色)である。赭土、孔雀石、マンガン等の鉱物はアナトリアではたやすく手に入り、先史時代から使用されていた。赤い十字架は、建物全体を聖域化することを意味していた。

教会に残っている絵の中で、後陣には王座のキリスト像がある。北壁には聖バルバラの肖像と聖テオドールとジョージがみられる。聖人の間に残ってみえる銘には、「神よ、汝のしもベファリボンを……」レオン、マルリネスを救いたまえ」これらの名前はこの教会の寄贈者なのだろう。

この時期のキリスト教徒たちは具象画よりも、秘教的象徴により心をひかれていた。鳥や魚や動物の絵は一見したところ、単なる装飾のようにみえるが、彼らにとっては何らかの深遠な意味をもって描かれていた。


聖バルバラ教会

ユランルキリセ

11世紀後期に建てられたギョレメの教会に共通しているのは、単純な赤の線画と、聖像のようにわくにはめこまれたキリストや聖人の像などである。聖バルバラ教会とユランル・キリセ(蛇の教会)はその例である。

中に入ると横の身廊の西壁に聖バジル、聖トマス(Thomas)、聖オノフリウス(Onophrius)が並んでいる。その反対側にはコンスタンティン大帝とその母聖ヘレナが、キリストの本物の十字架を手にして描かれている。そのとなりには聖ジョージ、テオドロスの蛇退治の場面。聖テオドロスはローマの兵士だったが、ポントスのアマシアで、同僚たちが異教徒の礼拝に加わることに反対して地母神の神殿を焼きはらった。

そして彼は拷問にかけられ殺されて死体は炉に投げこまれたのであった。4世紀に入ってから、彼は3人の偉大な軍人のひとりとしてあがめられた。(他の二人は聖ジョージと聖デメトリオス)。

聖オノフリウスは4~5世紀頃、エジプトの砂漠に暮らす隠者であった。もともと修道院の僧であったがある日天啓を受け、孤独な生活を求めて砂漠へ向かった。

飢えと渇き、暑さや激しい誘惑に苦しんだが、神はなぐさめと食物としてなつめやしを与えた。それは砂漠の彼の小屋のそばで大きく育った。70年もの間、彼は木の葉を腰にまいただけで暮らした。髪は地面まで届いて…

ユランルキリセ
オノフリウスの名声は遠くカッパドキアまで及んだ。ローマには彼の名に因んだ教会もある。しかし、カッパドキアの人々の口からでる彼の物語には新しい装飾がほどこされている。それによると、もともとオノフリウスは女だった。

このあやしげな見方は、小さなガイドブックにまでのせられ聖人伝よりはおもしろい。はじめは、みだらで軽薄な女だったが、後に男達の欲望から身を守りたいと神に祈った。万人に寛大なる神は、フレスコ画にみられるように醜く見せるため、男のように長いひげをはやさせた…
又、オノフリウスは古代ヘルモアフロディテの中世における再来だという人もいる。

この話は、おそらく裸体の誇張された胸の郭と、木の葉を下帯に使っている事から考えついたのだろう。当時のフレスコ画家たちが“生身の人体”をどう扱ったらよいか知っていたとは思えないが、長い髪とあごひげ、腰にまとった木の葉で裸体を表現したのは上出来だったろう。


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