トルコ旅行に行くなら安心の『ターキッシュエア&トラベル』

トルコ旅行・ツアー
日本旅行業協会

観光庁長官登録旅行業第1997号 
日本旅行業協会(JATA) 正会員
JATAボンド保証会員

電子旅行取引信頼マーク

電子旅行取引で一定の要件を
満たすウェブサイトに対し
JATAが認定するしるし取得

旅行業公正取引協議会マーク

旅行業
公正取引
協議会会員

トルコ観光名所ガイド

トルコ観光おすすめスポット⑧ トロイ遺跡・トロイの木馬


ダーダネルス海峡の南、クチュク・メンデレス川に潤された肥沃な平野とヒサールクの丘にはさまれた一帯に古えのトロイの遺跡があります。 トロイの古代遺跡は1998年にユネスコ世界遺産に登録されました。

絶世の美女と凛々しい英雄たちの姿がロマンの響きと共に浮かび上がるトロイ……その起源は神話と伝説の霧の中にぼんやりと見え隠れしています。

トロイ遺跡発掘の歴史

トロイ遺跡 Carole Raddato from FRANKFURT, Germany / CC BY-SA

吟遊詩人ホメロスがうたい、世界文学の古典として親しまれてきた「イリアッド(イリオス)」の舞台、トロイ。

その実在を信じて疑わず、トロイの町を掘り出すために生涯をかけた男がいました。ドイツ人の実業家、ハインリッヒ・シュリーマンです。ちょうどヒサールクの丘の近くで一つの遺跡が発見され、正体を解明できずにいるとの噂を耳にした彼は、それこそ伝説のトロイに間違いないと確信したといいます。

1870年、周囲の嘲笑と冷たい視線にも負けず、信念の人シュリーマンはここを掘り始めました。彼の死後も発掘は引き継がれ、ついにここで9つの層に渡る都市の跡が確認されたのです。

最初の居住跡(トロイI市)は紀元前3000年頃までさかのぼります。約500年続いたこの町は火災で滅びました。

トロイⅡ市はもっと大規模で立派な町になっていますが、これも火災で廃墟となってしまいます。続くⅢ、IV、V市の時代は特別な変化も進展も見られず、沈滞した時期だったそうです。やがてトロイⅥ市の時代になると人も増え、かなり繁栄した様子がうかがえますが、紀元前1300年頃の連続地震でこの町も滅亡しています。

そして、まもなく再建されたトロイⅦa市こそがトロイ戦争の英雄たちの舞台でした。考古学的に紀元前1200年頃と見られる戦争による破壊炎上の跡が伝説とぴったり一致したのです。

その後長く停滞期が続いた後、紀元前700年頃に遺跡の上に人々が住み着いて村ができています。最後のトロイIX市はヘレニズム時代からローマ時代に及びますが、その後ゆっくりとしかも確実に衰退し、廃墟と化して、5世紀には完全に忘れ去られてしまいました。


詳しくは右側のトロイ旅行・観光の案内ビデオをご覧ください。 → → →
1分50秒

プリアモスの財宝はどこに行った?

シュリーマンがトロイ遺跡で掘りあてた財宝(出土品)は、「プリアモスの財宝」と呼ばれています。その財宝は世界中を興奮させましたが、実はホメロスの叙事詩のトロイではなく、もっと古いトロイⅡ市の遺品でした。

しかし、神話伝説を科学的に解釈し、考古学の基礎的な第1ページを開いたシュリーマンの果たした役割は大きいものといえるでしょう。

シュリーマンは発掘したプリアモスの財宝の財宝を祖国ドイツのベルリンに持ち帰りましたが、1945年に行方不明になってしまいました。その後、ロシアのモスクワにあることが判明し、現在はプーシキン美術館で公開展示されています。

トロイア戦争のあらすじ|トロイの木馬とは?

トロイの木馬
トロイア戦争とは、ホメロスの叙事詩「イリアッド(イリオス)」で語られる、トロイア王国とギリシアの間で起こった戦争です。当時のスパルタ王妃であったヘレネをトロイアの王子パリスが連れ去り、憤慨したスパルタ王メネラーオスは兄の助けを借りてトロイアに侵攻します。このときギリシア軍には、アキレウス、オデュッセウス、ネストルといったギリシアの英雄もいました。

ギリシアは10年にわたってトロイアを包囲しますが、トロイア王国も奮闘して膠着状態に。そこでギリシアは一計を案じ、兵士を忍ばせた巨大な木馬を和平の贈り物と騙ってトロイアに差し出します。こうして城門内に侵入することに成功したギリシア兵は王宮に火を打つとともに、王妃ヘレネを救出することに成功したのです。

ここで登場する木馬は「トロイの木馬」と呼ばれています。シュリーマンの発掘によってトロイの実在は明らかになりましたが、トロイの木馬そのものについては神話の域を出ません。しかし現在、トロイ遺跡には伝説通りの巨大なトロイの木馬のレプリカが置かれており、実際に中に入ってギリシア兵気分を楽しむことができます。まさにトロイ観光のシンボル的存在といえるでしょう。

ホメロス

不朽の叙事詩人ホメロスの人生と作品は現在でもなお多くの論議の対象となっている。ハリカルナッソスの歴史家ヘロドトスによると、BC850年頃活躍していたホメロスはイズミル出身で、後キオス島に移りイオスでその生涯を終えたとされる。アイオリス人の方言で“Homer”は盲目”の意味であるという。
彼の著作"イリアス"と"オデュッセイア"の2つの叙事詩には、その形式と手法に明らかな違いが見られることから、別々の詩人により著されたのではないかという説も学者の中に出ている。ホメロスの叙事詩は7世紀から知られるようになり、6世紀になると作品の→5がアテネのパンアテナイア祭で上演された。
ヘレニズムからローマ時代にかけて、ホメロスの叙事詩は聖なる詩として認められていた。アリストテレスとストラボによると、この叙事詩の模写はこの頃既にアナゾルキオスとカリステネスにより完成されていたらしい。その後、アレキサンダー大王はダリウスから奪取した戦利品の中からこれらの叙事詩の模写を発見した。
大王はそれを宝物殿の金庫に保管したという。約1万6千節からなる“イリアス”はトロイとアカイア戦の最後の40日間を、また1万2千節の“オデュッセイア”はトロイ戦争後の10年が描かれ、トロイから帰還するオデュセウスの冒険を物語っている。このオデュッセイアはイリアスから50年後に書かれた作品だと言われている。ルネサンス期のヨーロッパで一気に注目されたホメロスと彼の叙事詩は、現在も色あせることなく生き続けている。

トロイ遺跡の基本情報・場所・行き方

トロイ遺跡 Carole Raddato / CC BY-SA

トロイ遺跡は、ダーダネルス海峡の南に位置しています。拠点となる都市チャナッカレからは、ミニバスで30分ほどでアクセス可能です。イスタンブールからは、バスで5時間ほどかかるでしょう。

名称 トロイ遺跡(Archaeological Site of Troy)
住所 17100 Kalafat/Çanakkale Merkez/Çanakkale, Turkey
営業時間 8:30~19:30(4月から10月)、8:30~17:30(11月から3月)
※チケット売り場は30分早く閉まります。
入場料 42 TL(約750円)、8歳未満の子供は無料。
トロイ博物館とのセット券:60 TL(約1,080円)
所要時間 約2時間

トロイ博物館

トロイ遺跡の隣には、その歴史への理解をより深められるトロイ博物館があります。世界遺産登録20周年となった2018年の「トロイ年」に建設されました。約3,000㎡の展示ホールには、2,000点にも上る貴重な出土品が並べられています。発掘作業の過程でトルコから流出した品々も集められています。なかでも見どころは、ギリシア神話における絶世の美女ヘレネの遺品とされる24の金装飾品です。

トロイ遺跡観光の拠点・チャナッカレ(CANAKKALE)

チャナッカレはアジア大陸の西の果て、ダーダネルス海峡にのぞむ港町です。マルマラ海とエーゲ海をつなぐダーダネルス海峡は古代のヘレスボントスで、ダーダネルスという名もトロイの伝説的建国者ダルダノスに由来します。

この海峡はその地理的条件から、古今東西の大志野望を抱く権力者たちの熱いまなざしを浴びてきました。西を目指したペルシァのキュロス大王は船を並べて橋を作りその大軍を渡らせました。西から東へと駆け抜けたマケドニアの若者アレクサンダ一は大帝国を築いたものの、再びここを渡って故郷に帰ることはありませんでした。オスマントルコの二代目オルハンはこの海峡を筏を組んで渡っています。

ごく最近のことを言えば、第一次世界大戦でこの海峡と対岸のガリポリ半島(ゲリボル)は激戦地として名を残しました。トルコ軍、連合軍ともにおびただしい数の犠牲者を出し、ガリポリ半島には各国の慰霊碑が建てられています。

戦後の1922年に、ここに駐屯していたイギリス軍はムスタファ・ケマル(後のアタ・チュルク)の軍と衝突、しかし英国に同調する国がなかったので危うく開戦を避けることができたのです。そして翌年のローザンヌ条約で、トルコ共和国の主張を入れて領土が確定されました。

トロイに行くならアソス(ASSOS)もおすすめ

今日のベフラムキョイ、古代ギリシァの学問都市アソスは岩だらけのゴツゴツした土地と眼下に広がる神秘的なまでに美しいエーゲ海、中世的な村のたたずまいが印象的な風景を構成しています。レスボス島の緑と溶け合うこの青い海は、古代からギリシァ本土とレスボス島を結ぶ航路でした。

アソス(ASSOS)
アソスの最初の住民もレスボスから渡ってきたギリシァ人でした。紀元前6世紀、このあたりはクロエソスのリディア王国の統治下にありましたが、クロエソスがキュロスに敗れた結果、アソスはペルシァ帝国のフリギア・ヘレスポントス州に組み込まれました。

紀元前4世紀頃のアソスでは学問が盛んでした。特に、哲学の面ではアリストテレスを筆頭に、ストア派の創始者のひとりでアソスの人、クレアンテスその他、気鋭の学者が集まり知的な活気に溢れる町として広く知られていました。紀元前2,3世紀のアソスはペルガモン王国の支配下に入っています。

アソスの発掘調査は19世紀後半に始められ、古代ギリシァ世界でも屈指といえる立派な防壁(紀元前4世紀)の跡が確認されました。アクロポリスの最も高い場所にあったアテナ神殿は前530年前後にドーリア式神殿として建立されましたが、後にイオニア式も採り入れたそうです。長道が13本、短道が6本の柱が並ぶ細長い建物で、その土台床は今も残っています。

アクロポリスの丘の斜面にそって、アゴラ(市場又は広場)、体育館や劇場の廃墟が目に入ります。アクロポリスの北に建つモスクは、オスマン初期の14世紀、ムラト一世時代のものです。
トルコトキャンペーンツアー
トルコ航空・羽田就航記念バーゲントルコツアー

トルコ航空・関西空港就航記念バーゲントルコツアー


トルコツアーランキング


トルコツアーのこだわり


所属団体
JATAボンド保証会員

etbt

旅行業公正取引協議会
Copyright © トルコ旅行(ツアー・観光)専門の人気ナンバーワン旅行会社
『ターキッシュエア&トラベル』 , All rights reserved.