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【2021最新】イスタンブール旅行・ツアーのおすすめ観光名所・レストラン徹底解説

異国情緒たっぷりで、日本からの海外旅行でも「行ってみたい」という人が多い、トルコのイスタンブール。観光名所も多く、トルコの中でも非常に人気のある都市です。本記事では、イスタンブールのおすすめ観光スポットや、トルコ料理を味わえるおすすめレストラン、イスタンブールで買えるトルコのお土産を紹介します。旅の計画に、ぜひお役立てください!

イスタンブール&カッパドキアを巡る5日間&6日間旅行・ツアー一覧 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

イスタンブールはトルコ随一の人気観光都市

イスタンブール
イスタンブールは、世界で唯一ヨーロッパとアジアの両方にまたがっている都市です。古代ギリシャやローマ帝国の昔より、東西を結ぶ重要都市であり、長きにわたって世界の中心として栄えてきました。

イスタンブールには、3つの帝国の首都となった歴史的背景があります。そのため、西洋文化と東洋文化が混ざり合って作られた、独特の雰囲気がイスタンブールの魅力といえるでしょう。イスタンブールの人口は、東京都のおよそ1.5倍で、ヨーロッパ最大の都市であることからも、繁栄ぶりが容易に想像できます。

旅行に行くときは、現在は羽田空港からイスタンブール空港(ISTANBUL AIRPORT:IST)への直行便を利用できます(成田空港や関西国際空港などからの直行便も、今後順次就航予定です)。日本からの飛行時間は、およそ12時間前後です。また、イスタンブール空港へは、例えばパリやロンドンといった、ヨーロッパ内の都市からの乗り継ぎも可能なので、イスタンブールをヨーロッパ旅行の一つに組み込むのもよいでしょう。

イスタンブール空港全解説!乗り継ぎ・Wi-Fi・ホテル・免税店・お土産・ラウンジなど | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

イスタンブール散歩のビデオ

サライブルヌ

イスタンブール サライブルヌ
1985年に世界遺産に登録されたイスタンブールでは、最も重要な観光スポットが集中しているのがサライブルヌ(Sarayburnu)とスルタンアフメット広場(Sultanahmet Square)の旧市街地区の「イスタンブール歴史地区」です。ローマ、ビザンチン、オスマン帝国の各時代において、いつの時もイスタンブールには皇帝の宮殿が設けられ、国家の中心都市として栄えてきました。その為に国家最大のモスクや麗美な寺院、博物館もこの地に多く存在しています。

イスタンブールには七つの高台がありますが、うちの二つがサライブルヌの近郊にあり、トプカプ宮殿とスルタンアフメット・モスク(ブルーモスク)はこの丘の上に位置しています。また、ビザンチン、オスマン帝国時代を通じて都の社会的な中心地として機能してきた、競技場ヒッポドローム(Hippodrome)はスルタンアフメット広場にあります。

重要史跡のほとんどがサライブルヌとスルタンアフメット広場にあって、それぞれ近いうえ、他にもトルコ・イスラム芸術博物館、モザイク博物館など興味深い場所へも数分の為、旅行者は必ず立ち寄るポイントとなっています。

展示品などの一点一点を鑑賞するにはここだけに数日を裂く必要がありますが、トルコ旅行観光省公認ガイドの案内によるツアーへの参加なら、時間的に制約のある旅行者も時を有効に使い、かつ正しい知識が得られることから最良の選択であると言えるでしょう。

歴史好きな人を虜にするだけではなく、普段の生活ではなかなか見ることができないような芸術的なイスタンブールの美しさに、多くの人が魅了されるでしょう。イスタンブール旅行で、ぜひ訪れたいおすすめのスポットを紹介します。

トプカプ宮殿

トプカプ宮殿
約400年にわたって、世界でも稀に見る巨大な帝国であったオスマン帝国の管理中枢が置かれたトプカプ宮殿は、イスタンブールで外せない観光スポットのトップにあげられます。年間300万人が来訪する、トルコでは第一位の、ヨーロッパでも屈指の見学者数を誇る博物館です。

1453年、当時のコンスタンチノープルを征服した後、ベヤズィット地区の現在のグランドバザールの近くに元々あった小さな宮殿(旧宮殿)を住まいとしていたオスマン帝国のスルタンであるメフメット二世は、1475年~1478年、旧ローマ市街の跡に新宮殿としてトプカブ宮殿の核となる建物を造らせました。その後、19世紀に立ち退くまでの数百年の間、ここを住まいとした各時代のスルタンが自らの必要や趣味に応じて宮殿を美しく飾り、広げていったのです。

大砲(TOP=トプ)が扉(KAPI=カプ)の前に置かれていたことに由来して、一般に "トプカプ" の名でよばれる宮殿の本来の名称は "Saray-i Cedide-i Amire"と言います。
周囲は全長5kmに及ぶ城壁でおおわれており、繊細で美しい装飾が施されています。第二内庭は幅130m、長さ160mの広さです。糸杉、プラタナスなどが影を落とすこの庭に足を踏み入れる前に、門のすぐ右手にある宮殿の縮小模型を見てその大きさと位置をつかんでおくのがいいかもしれません。

平屋の造りに囲まれた第二内庭は厨房、枢密院に出入りをする外部の人々にも解放されており、スルタンが宮殿滞在中は禁語令が敷かれていました。何百人もの庭師によって丹精に作られた庭園には鹿や孔雀が戯れる様子が見られ、あたかも天上の花園のようであったと言われています。第二庭園の右手には、端から端まで厨房の設備が並んでいます。

トプカプ宮殿

厨房と陶器

メフメット二世の治世下で造られ、16世紀のセリム二世の時代に高名な建築家スィナンによって修復された宮殿の台所では1,200人が働いていました。これは、宮殿がマイホームであり職場であった人々の数が5,000人程度であった事を考えると、スタッフの約25%が食べる事の為に配属されていた計算となります。厨房の設備はスルタン用、それ以外の人々用、デザートと大きく三部に分けられ、料理長達や配膳係の宿舎、モスク、浴場と倉庫などを完備していました。

メインキッチンは10部屋から成り、各々、皇太后、寵姫達、皇太子、黒人宦官達などの食事の準備専用でした。厨房を覆うドームは15世紀以降に造られたもので、その突き出す煙突は1574年の大火のあとにスィナンによって増築されたものです。

毎日20,000食がここで準備されていた事から、常時宮殿に暮らす5,000人分の一日三食、計15,000食以外にも5,000食分を隊商隊や貧民用に提供していたことがうかがえます。年間の生鮮食材の消費量は小さな町のそれを超えるほどで、資料によると20,000頭の羊、15,000頭の牛、30,000羽の鶏、そして厳選された‘山ほどの’果物や野菜が用いられた、と書かれています。

旧厨房は、今日に至るまで、中国、ドイツに次いで中国、日本の陶磁器12,000点を保存して、世界第三のコレクションを誇る陶磁器の展示室として機能しています。しかし展示面積の関係で公開されているのは所蔵の1/4、つまり3,000点程であり、これらは戦利品、外国からの贈呈品、購入したもの、死亡した政治家達の寄贈品などで構成されています。

まずはぜひ、大部分を構成する中国陶器を、年代順に唐(7~10世紀)、宗(10~13世紀)、元(13~14世紀)、明(14~17世紀)と追って見てみてください。17世紀以降、焼き釜を閉鎖されて衰退期に入った中国窯業にとって代わって、日本の陶器が名を轟かせ始め、18、19世紀のセーヴル、ヴェネチア、マイセン、ベルリン、ワルシャワ等で製作されたヨーロッパの作品も観賞する事が可能です。

最も貴重なものは欧米では見られない青磁や白磁、そしてエンペラー・イエローとよばれる黄色を用いた作品でしょう!青磁の食器は、その性質から毒が混入したものを盛ると表面の色が変色するといわれ、皇位をめぐって権力争いの激しかったオスマン宮廷では重宝されたようです。

陶磁展示室の隣、デザートが用意された“ヘルヴァハネ”では、厨房で使用された当時の巨大な鍋や釜、まな板などの道具に驚かされることでしょう!ここに隣接した通路の突き当たりには、宮廷御用達のガラス工房やヴェネチアで作られた品々が展示されています。また、通路の反対側にある、宮殿に贈呈されたり宮殿付きの職人の手による銀の品々も素晴らしいです。

再び第二内庭に戻って、厨房の対面、内庭左手の建物に目を移してみましょう。手前から、スルタンの厩舎、そして隣にはハレムが続いています。

ハレム

アラビア語で "禁断の" "秘められた" の意味にあたるハラムに由来し、公務を終えたスルタンがプライベートな時間を過ごした場所をハレムと呼びます。 
トプカプ宮殿建設後、全ての政治機能は旧宮殿から新宮殿であるトプカプ宮殿に移動されましたが、スルタンの家族は約80年の間ベヤズィットの旧宮殿に住み続けていました。

スレイマン大帝の時代に旧宮殿が火災で焼かれると、第二夫人ヒュッレムの強要もあってトプカプ宮殿内部に木造の "大奥" が設けられ、夫人や子供達、そして多くの召使が揃ってこのハレムに越して来たのです。こうして政治の中枢に隣接して暮らすスルタンの夫人達が、帝国の運命を舞台裏から操る機会も増えることとなりました。
再び修復された旧宮殿はこれを境に、降位した、あるいは死亡したスルタンに属する夫人や子供達の住む、忘れ去られた場所となっていくのです。

トプかプ宮殿
その後、1666年の大火で全焼した木造の造りに代わって、各部屋が迷路のように入り組む多くの新しい部所が新設され、300部屋を有するハレムが出来上がりました。今日、一般公開される部分はそのわずか一部であり、ほとんどが16~18世紀に建設されたものです。ハレムを見学するには第二内庭でまた別に入場券を購入する必要があるため、注意しましょう。

外の世界とは完全に遮断されたハレムに入殿できるのは、スルタンに最も近い親族と、ここで働く人間だけに与えられた特権でした。三つの職-健康を管理する医者、皇子達の教育にあたる学者達、祝日に呼ばれる楽団-にある男性には、決められた日のみ、決められた広間に入ることが許されていました。

イスラム教徒でない人々にとってハレム入殿は夢にも不可能なことでありましたが、例外中の例外として、トルコ人の治療が不可能な場合のみヨ一ロッパの医者に、あるいは稀に時計類の点検の為に外国人の職人に、短時間のみ入城許可が与えられたといいます。

ハレムではスルタンの夫人や寵妃たち、母以外に、ゆくゆくは権力の座に就く可能性のある皇子達、そして彼らの世話にあたる女性や宦官が生活していました。イスラム教は一夫多妻制であったため、スルタン達は四人まで正妃を迎えることが可能でした。
"ジャーリエ" "オダルク" などの階級で呼称される女性達は、征服地から連れて来られて名前と宗教を変えさせられた後、宮殿に相応しく厳しく躾けられた少女達でした。このうち、スルタンの目にとまり子供を身ごもった女達には個室が与えられましたが、その他大勢はスルタンや家族の召使として空しくここで一生を終えるか、あるいは名のある政治家などと結婚させられ、-つまり体よくお払い箱となり-ハレムから外に出されるのでした。

スルタンの夫人達から召使まで、もともとハレムに暮らす女性達のほぼ全ては、前述のように "戦利品" として征服地から連れて来られたり、奴隷市場で買い取られたり、または、"献上品" としてスルタンに贈られたものでした。各国からイスタンブールに連れて来られた美しい少女達はスルタンの最も身近に侍り、その後継者を身ごもることに躍起になった一方で、自身に降りかかった捕らわれの身という立場故に、スルタンはもとよりオスマン国家に対して決して真の親近感を抱くことはありませんでした。

その見掛けのきらびやかさの裏側で、女性達は常に駆け引きと根回しの世界で気の休まる時などなかったのです。オスマン帝国では、帝位は直系の父から長男へとではなく、同世代の皇子たちの間で競わせるのが慣例でした。新王は、自らの地位や内紛による国家分裂を避けるために「兄弟殺し」を行うことがメフメト2世の時代から慣例化しており、皇子たちにとっては、生死を争う過酷な競争となっていたのです。

寵妃達は、とにかく皇子を出産することに懸命でした。つまり皇子を産んだ女性に与えられる“ハセキ”の称号を得て、初めて将来安泰という訳ですが、しかしそれでもなお、ハレムを支配し、スルタンに次ぐ位置にある皇太后(ヴァーリデスルタン)と皇帝の寵愛を受けた女達との確執はさけられないものがありました。

トプカプ宮殿 ハレム
ハレムの最高権力者である皇太后(ヴァーリデスルタン)は、40の部屋と多数のお付きを抱えていました。また、ハレムは6,700m2の敷地にあって300の部屋と、46のトイレ、8つの浴場、4つの小台所、2つのモスク、6つの倉庫、病院、プール等の設備も完備されていました。

黒人宦官達(カラアー)は主に故郷アフリカでの戦争で捕虜となったか、あるいは奴隷市場で買い取られた者で、ハレムで“男”の力の必要な仕事は全て“彼等”に任されていました。ハレムに従事した約40人の黒人宦官の中の最高権力者は黒人宵宮長(クズラルアー)で、その地位はスルタン、皇太后に次ぐNo.3という高い位置にあります。嫡子の教育、育成の責任をも負う宦官長の部屋は、他の宦官達より広く美しくありました。

しかし、絶世の美女に囲まれながらも、彼女らの間に確固として存在する目に見えない厚い壁、去勢された体、不自由な奴隷の身分… いくらスルタンに忠誠を誓ってはいても、これら負の要素は、時として宮廷内部の陰謀に宦官達を深く係わらせる要因ともなりました。 

ハレムの見学では、宦官達の部屋、タイルに装飾された内庭、嫡子の学問所、寵妃達の内庭とそれを取り囲む部屋、皇太后の美しい寝室、食堂、礼拝の間などを目にすることができます。その他、常に暗殺の危険と背中合わせにあったスルタンの、青銅の格子がはめられた大理石の浴室、18世紀を支配したアブドゥルハミットⅠ世の寝室、アフメットⅠ世の図書館、当時の最高の手法によるアフメットⅡ世の食堂 「果実の間」、スルタンの兄弟達が半ば囚われの身で暮らした小部屋や女達がスルタンの御成りを迎えた46mの”黄金の道”も興味深いです。

第二内庭の見どころ~第三内庭へ

ハレム見学を終了すると第三内庭に出ますが、その前に第二内庭のポイントを記しておきましょう! 

ハレム入り口のすぐ横、帝国政治の中枢であった枢密院クッベアルトゥ(会議の間)には、その上階に宰相等の会議の様をスルタンがこっそりと監督した、鉄格子のはまったガラス窓の部屋があります。

その枢密院の上には、高さ41mの正義の塔が建っています。本来は15世紀に市街の監視の目的で設けられたものですが、今日、これは単にトプカプ宮殿のみならず、全イスタンブールの象徴となっています。

オスマン帝国時代には宝物殿として利用されていた建物は、今日、武具展示室となっています。征服王の鉄砲、中東を手中に収めたスルタン・ヤウズ・セリムの馬具のほか、16から19世紀の世界各国の武器、武具など、興味深い展示は必見です!

第二内庭の北側に「バービュスサーデの門」(幸福の門)と呼ばれる白人宦官の門(アクアーラルの門)があり、くぐると第三内庭に出ます。当時は、ここに白人宦官の宿舎がありました。宮殿はこの門を境に、帝国の政の中心とスルタンの私的な場とに分けられていました。

400年間にわたり、重要な儀式や祝賀会がこの門前で執り行われてきましたが、その際には、現在その上を石にて保護されている穴にオスマン帝国旗が据えられ、前にはスルタンの玉座が置かれました。帝国上層部の政治家、軍人もこの門の前で半円を描くように位置したのです。

バービュスサーデの門(幸福の門)をくぐって第三内庭にはいるとすぐ、目前にアルズ・オダス(謁見の間)がひかえています。枢密院での決定事項をスルタンの御前に献上したり、または外国の大使や賓客がスルタンの謁見を仰いだ場所で、装飾タイルの美しさが印象的です。

向かって左の壁際には貴石をちりばめた玉座が置かれています。壁に設けられた大理石の水桶は、密談が外部に漏れる事を防ぐために、そこに落ちる音で話し声を消す役目をおっていました。アルズ・オダス(謁見の間)の向かい、バービュスサーデの門(幸福の門)の上部にはアラビア文字を用いた装飾とスルタンの花押(トゥーラ)も見られます。

第三内庭に入って右手の部分はかつての宮廷学問所であり、現在は博物館管理事務局がオフィスとして使用しています。スルタンの身辺で奉仕した小姓達の中で「セフェッリ・アー」の位置にあった者達の宿舎であった場所は内庭の右側に位置し、今日ではスルタンと皇子達の衣装展示室となっています。そして、この建物に隣接するのが、宮殿で最大の見どころと言うべき宝物殿です!

トプカプ宮殿 ハレム

宝物殿

 
オスマン帝国時代は17世紀以来、宮殿の財宝を管理する為の部屋として使用されていました。コレクションの大部分は宮廷お抱えの宝石職人の手によるもので、資料によると15世紀には70人の職人が宮廷の為に腕をふるったとされています。ちなみに、今日では、イスタンブールに定住したアルメニア系トルコ人がトルコ宝飾芸術を継承し生かし続けています。宮廷の財宝を構成するものとしては、これ以外にも戦利品や献上品としてここにおさめられたものがあります。

展示室は四つの部屋から構成されています。

第一室

黒檀に象牙と真珠貝で象限細工を施した17世紀のムラトⅣ世の玉座、黄金の燭台、水晶の水パイプや琥珀の吸い口、インドからの黄金の象のオルゴール、宝石の散らされた杖等が注目すべき展示物として飾られています。

第二室

17世紀に造られた、アフメットⅠ世の天蓋つき玉座があります。
また、ここには宮殿一の傑作品 「トプカプの短剣」とよばれる、エメラルドの剣が展示されています。これは元々、マフムッドⅠ世がイランのシャー・ナーディルに贈呈する為に作らせた品でしたが、道中でシャーの死を知らされて再び宮殿に持ち帰ったものです。

第三室

名前の由来には諸説ありますが、発見者の職業から「スプーン屋のダイヤモンド」と呼ばれる、周囲を49個のブリリアントカットのダイヤで取り囲まれた86カラットのダイヤが置かれるのがここです。預言者モハメッドの墓用に、各々6,666個のダイヤがはめられた対の黄金の燭台も必見の価値があります!。
また、ここに据えられた玉座は、エジプト総督イブラヒム・パシャが16世紀にムラトⅡ世に献上したもので、胡桃の素材に黄金が張られています。

第四室

イランのシャー・ナーディルがマフムッドⅠ世に贈呈した、25,000個の真珠が用いられた金の玉座が中央に置かれています。他にも、洗礼者聖ヨハネの骨や数珠の他、書の道具、煙草盆や嗅ぎ煙草ケースなど、美しい芸術品の数々が並んでいます。
宝物殿を後にすると、博物館管理事務所として使用されている北側の建物の間に、第四内庭に下る通路がのびています。この小路を挟む様にして、「ハズィネ・アーの宿舎」とよばれる、手書きの書物やスルタンの肖像画をおさめた能書と肖像画の展示室があります。ここにある、13~17世紀のトルコ・イスラム細密画も注目です。

連なる時計展示室では、16~20世紀の作品が管理されています。中でも、ロシア皇帝ニコラスがアブドゥルメジットⅡ世に贈った宝石使いの一品は見事です。ここの隣には、宮殿の中で最も神聖な場、「宗教遺産の間」がひかえています。

宗教遺産の間

1517年、エジプトを征服したヤウズ・スルタン・セリムが預言者モハメッドに属する品々をイスタンブールに持ち帰って以来、皇位についた全てのオスマン帝国のスルタンは、全イスラム世界の指導者を意味する〈カリフ〉の称号をも冠すことになりました。

外壁、内壁をともに覆う、ブルーのイズニックタイルがで人目を引くこの建物「宗教遺産の間」は二部に分かれており、入り口の間にはカーベからの雨樋や鍵と共に、モハメッドを継ぐ最初の四人のカリフに属する剣も見られます。続きの間には、ガラスに仕切られて保存されるモハメッドの聖なる外套、剣、軍旗、弓矢や、足跡、歯、髭、そして親書等が展示されています。 

トプカプ宮殿
第三内庭で最も新しく、見逃せないものとして、1719年にアフメットⅡ世によって庭園の中央に建築された図書館をあげることができます。大理石を用いて造られたこの図書館には約4,000冊の手書きの書物がおさめられ、内部を覆う多彩色のタイルも美しいです。

宮殿の最も奥、第四内庭には二ケ所から入ることができます。まず左手、黒い小石が敷かれた通路をぬけると、庭の隅に建つ東屋と、かつてソファの館からスルタン達がその美しさを愛でたチューリップの庭園が広がります。ここの横にある大理石の階段をあがると、噴水のあるプールと青銅の天蓋(イフタリエ)をそなえたバルコニーが目をひく大理石のテラスに出ます。そこから見渡す景色はエミノニュとガラタ地区、そして金角湾にかかる橋…

テラスの一角には1638年のムラトⅣ世のバグダット征服を記念した、バグダットの館(バーダット・キョシュシュ)が見られます。青いイズニックタイル、金で彩色されたドーム、真珠貝や象牙の象細工が美しい扉など、17世紀のオスマン装飾の最も優雅な作品の一つといえるでしょう。別の一角には、スルタンの嫡子達の割礼の儀式がとりおこなわれた割礼の間があります。

再びチューリップの庭園に沿って歩を進めると、まず主侍医の館の横を過ぎ、そこから階段をおりてメジディエの館へと出ます。アブドゥルメジットⅠ世の命で建築家サルキス・バルヤンによって建てられたこの東屋は、トプカプ宮殿の歴史上、一番最後につくられた1840年の作品です。

メジディエの館の前は「ボスフォラスのテラス」とよばれ、対岸に広がるアジア大陸、マルマラ海、島々、ボスフォラス海峡の、息を呑む様な素晴らしい景色が一望できます。

トプカプ宮殿は、ミュージアムパスの対象となっています。ミュージアムパスとは、イスタンブールの歴史的建造物や博物館などの観光スポットで、その都度チケットを購入しなくても入場できる便利なパスのことです。

トプカプ宮殿の見どころ徹底解説!宝物館やハレムはオスマン帝国の権力の証 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

※予告なく変わることがあります
名称 Topkapi Palace Museum
住所 Cankurtaran, 34122 Fatih/İstanbul, Turkey
入場料金 30TL(約480円)ハレムへの入場は追加で15TL(約240円)
営業時間 9時30分~18時45分(4月15日から10月30日まで)
9時30分~16時45分(11月1日から4月14日まで)
※チケットの購入及び入場は営業時間終了の60分前まで
定休日 火曜日と宗教の祝日、特別の祭事の日

トプカプ宮殿旅行・観光の案内ビデオ 2分26秒

 
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ブルーモスク(スルタン・アフメット・モスク)

ブルーモスク
在位期1603年~1617年、オスマン帝国第14代のスルタン・アフメットI世によって建立されたもので、イスタンブールで最も美しい寺院といわれています。

高名な天才建築家スィナンの弟子の一人メフメット・アーの監督により1609年に着工、1616年に完成しました。神学校、貧民救済の為の簡易食堂、隊商宿などを抱えた総合施設です。

14才で権力の座についてからの14年間、スルタンとしての手腕を多方面で発拝したアフメットⅠ世は、身を捧げて取り組んだモスク完成から数週間の後に、癌と思われる病で28年の短すぎる生産を閉じました。

メフメット・アーは、かつてスルタンの親衛隊であるイェニチェリの兵士でしたが、異色の才能で頭角をあらわし、まずは水路、橋の建設に従事した後、建築責任者として聖地メッカ、カーバ神殿の修復にもあたっています。

モスクの敷地として白羽の矢が立てられたのは、かつてより都の中心であった場所であったのですが、何よりもトプカプ宮殿の目と鼻の先ということが重要な決め手の一つとなりました。

建設にあたっての慎重な姿勢は資材、内装品の選択にもうかがえます。使用された21,043枚のタイルはイズニックに造られた宮殿専用の窯元で、何百㎡もの床を覆う絹の絨毯も同様に宮殿御用達の工房の作で、何百ものクリスタルのランプは外国から取り寄せられました。5ケ所に扉が設けられている内庭の広さは72m×64m。中央には六本の柱をもつ六角形の泉噴が美しく、四方には計26本の花崗岩の柱上に30のドームがのせられています。 

ブルーモスク
この寺院はイスタンブールはもとより、全トルコでも唯一、六本のミナレットを有するモスクとしても特筆に値しています。内庭と本堂のそれぞれコーナーにそびえるミナレットのうち四本には三つずつ、残り二本の尖塔には二つずつ、計16のバルコニーが設置されていますが、ミナレットに関する言い伝えによると、アフメットⅠ世はメフメット・ア一に「黄金(ALTIN=アルトゥン)」でミナレットを建設するように命じましたが、これでは非常に高額になるため「六本(ALTI=アルトゥ)」と聞き間違えた事にしてこのような形をとったとされています。

しかし、そうなると聖地メッカにある六本のミナレット尖塔をもつハラム神殿と同等に並んでしまうことになり、同アフメットⅠ世はそこに七本目のミナレットを寄贈することにしました。こうして、ブルーモスク(スルタン・アフメット・モスク)はカーベの七本のミナレットを有するハラム神殿に次いで、尖塔の多いモスクとなったのです。

モスクの基本的な設計には、中心の大ドームとその四方に一つずつの半ドームをもつ形式が使われ、ほぼ正方形の本堂は51m×53mの広さがあります。建設にあたって、建築学上メフメット・アーが他のオスマン帝国期のモスクには見られなかった新しい試みに挑んだとはいえませんが、しかし、内装に関しては他の追随を許さない華麗さを誇っています。

全世界で「ブルーモスク」の名で知られるのは、壁とドームに用いられた青と緑を基調にしたタイルやフレスコが理由となっています。

中世における芸術の発達を調査して気づくのが、建築物と宗教の深い関わり合いです。宗教庁によって推進された手工芸をはじめ、イスラム教にしてもキリスト教世界にしても、金銭管理をする宗教関係の諸機関がその方面に主に融資した為、芸術分野は著しい発展を遂げたことに対して、他の分野について同様のことは言い難くあります。

例えばキリスト教の場合、教会に像や宗教画を置くことが許され、礼拝の際に賛美歌が斉唱された為に、彫刻、絵画、音楽が発展しました。一方、イスラム教では偶像崇拝が禁じられ、また、賛美歌のような音楽も用いられないため、これらの代わりにイスラム書道、ステンドグラス、タイル等の分野が発展しました。地にひれ伏すようにして祈りを捧げるイスラム世界で手織り絨毯が必要不可欠であるのに対し、着席をする形のキリスト教世界ではこれが必要なかったせいで、絨毯の製造技術は発展しませんでした。

ブルーモスク
12世紀以来トルコ民族が手掛けてきたタイル芸術は、絨毯と同様に、産地によって使用される色、図柄が様々で、トルコで窯業といえばまずキュタヒヤの地名がうかびます。モスクの装飾として好んで用いられた図柄としては、木の葉、若芽、蕾、チューリップ、バラ、カーネーション、葡萄の房、ヒヤシンス、唐草模様などがあります。

ブルーモスク(スルタン・アフメット・モスク)は人を圧倒する巨大さとともに、華麗で繊細でさえある中央ドーム、それを支える半円ドームや柱との調和、そして柔らかい印象を与えようと、尖った角を全て丸く削り取った工夫、モスクのキブラ壁(聖地カーバ神殿の方向を示す礼拝堂内部正面の壁)に設置された窪み状の設備をミフラーブと呼びますが、そのミフラーブの上を飾る美しいステンドグラス、ドームの周辺に設えられた窓からの採光で息づくフレスコやタイルの模様など、どの点から見ても考え抜かれた技法が駆使されています。内部には計260の窓がありますが、残念ながら建設当時に用いられていたベネチアグラスは残っていません。

高さ43m、直径23.5mの中央ドームは、各々、直径約5mの「象の足」とよばれる四本の柱によって支えられています。ブルーモスクのミフラーブにはイスラム教徒にとっての聖地であるカーバ神殿から持ち帰られた黒い石が置かれています。その隣にはミンベルとよばれる階段状の説教壇、そして左手にはスルタンが祈りを捧げた場所があります。中央ドーム及び半円ドームと、円柱の周囲そして壁を飾る古い時代の書には、コーランの中の節、預言者モハメッドの言葉などが表現されている。

つい最近まで本堂の床を覆っていた様々な色や大きさのどれもが貴重な手織り絨毯は、残念ながら今風の“つまらない”ものにとって代わられてしまいました。キブラ壁の方向の壁を除いた三方は、女性が礼拝する為の、あるいは宗教上の集いに利用されたギャラリーとなっています。モスクの北東にあり、子息オスマンⅡ世によって建立されたスルタン・アフメットⅠ世の廟には同スルタンの墓をはじめとして、17世紀に即位したオスマンⅡ世、ムラトⅣ世、そしてアフメットⅠ世が熱愛した寵妃キョセム・スルタンが埋葬されており、また、スルタンの一族32名の墓もここに置かれています。

入場は無料です。出口では、寄付を受け付けています。年中無休ですが、礼拝中は立入禁止です。当日の営業時間は公式ホームページで確認できます(http://www.sultanahmetcamii.org/opening-closing-time/)。

ブルーモスク「スルタンアフメト・モスク」はイスタンブール観光の目玉! | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

名称 Sultan Ahmet Camii
住所 Sultan Ahmet, Atmeydanı Cd. No:7, 34122 Fatih/İstanbul, トルコ
入場料金 無料 ※出口付近で寄付を受付
営業時間 8時30分~11時30分、13時~14時30分、15時30分~16時45分
金曜日:13:30
※季節により異なる
定休日 なし

アヤソフィア(アヤ・ソフィア)

イスタンブール・アヤソフィア博物館
360年、ビザンチン皇帝コンスタンチヌスⅠ世は今日のアヤソフィアの場所に「大寺院」を意味する「メガロ・エックレスィア」を建設させました。404年6月20日の大火で全焼したその木造の寺院の跡に404年から416年、建築家ルッフィノスによって更に大きく頑丈な寺院が建てられ、416年10月10日に人々の参拝を受けるに至りました。

現在もアヤソフィアの入り口左手にて、階段、羊の浮き彫りが施された正面壁の装飾などを目にすることのできるこの二番目の寺院は、ビザンチン皇帝テオドシウスの出資によって造られたものでしたが532年1月13日から14日に勃発したニカ(勝利)の乱の際、反皇帝勢力によって修復不可能なまでに破壊されてしまいました。乱の終結後、玉座についたユスチニアヌスは532年から537年に寺院を再建させ、これが現在我々の前に威容を誇るアヤソフィアとなります。

当時のアナトリア(小アジア)で最も有名なトラレス(現アイドゥン)出身の学者アンテミオスとミレトス出身のイシドロスの二人は、寺院建設の為の任命を受けると四ケ月のうちに建物の図面を完成させ、こうして532年2月23日に着工されたこの大事業は、ときに五年と10ケ月という短期間で完成をみたのである。

アヤソフィア
537年のクリスマスに一般に公開された寺院は、その巨大さと華麗さをしてソロモンがエルサレムに建設した神殿を凌駕するもので、完成式典で感極まった皇帝は「おお、ソロモンよ。余はそなたを超えたり。」と叫んだとされている。木材は全く使用されず、完成までには、延べ100人の監督と10,000人の土木工や大工が汗を流したといわれている。

用いられた大理石は、アナトリアはもとより地中海諸国からイスタンブールに搬入され、例えば、本堂にみられる四つずつの緑色をした花崗岩などはエフェソス'港の体育館'から、コーナーに二本ずつ使用された紅色の柱は現レバノン、バールベックのアポロ神殿より運ばせている。巨大なドームを軽量に仕上げる為に煉瓦は特別にロードス島で焼かせ、建物に用いられた計107本の円柱のうち40本が本堂に、67本が上段のギャラリーにて利用された。

726年に始まった偶像破壊期に、都市の他の教会とともにアヤソフィアの宗教シーンや聖人を表現したモザイクは壊され、簡素な十字架などがこれらにとってかわった。843年に破壊期が終わると、主に皇帝の意向による宗教シーンをテーマにしたモザイクで天井や壁が美しく飾られた。

1204年、ここにラテン帝国が建設された際、アヤソフィアの財宝は第三次十字軍によって略奪され、金色の地の上に表現されたモザイク画の多くはダメージを受けた。コンスタンチノープルをオスマン・トルコ民族が征服してイスタンブールと改名すると、1453年6月3日、聖なる金曜の大礼拝を初めてアヤソフィアで捧げたオスマンの征服王スルタン・アフメットは、ここをモスクに変換させる為の命を下した。これにより先ずはメッカの方向にミヒラブ、モスクの後角には煉瓦のミナレット(尖塔)、内庭、150人が学べる神学校などが増築され、偶像崇拝が禁じられるイスラム教の教えに従ってモザイクは薄い漆喰で塗り固められた。

はずされた壁の十字架に代わって高名な書道家のアラビア文字によるモハメッドの言行が掲げられ、こうしてかつての教会はあまり大きなダメージを受けずに、新たにイスラムのモスクとして機能しはじめたのである。15世紀に加えられた二番目のミナレットは高名な建築家スィナンの作であり、続く16世紀には三本、四本目の尖塔も増築された。

時代が変わって共和制に移行すると、しばらくの間モスクとして使用されたアヤソフィアは、1934年10月24日、アタテュルクの要請と議会の決定を以て閉鎖された後、アメリカのビザンチン研究所によってモザイクを覆っていた漆喰が剥がされた。ボロボロと剥がれ落ちたモザイクの片は注意深く元の位置に埋め込まれ、こうして1935年2月1日、新たに博物館として一般に公開されたのである。

設計上の特教

ドームをのせた三つの身廊のある礼拝堂としては初の建物といえる。高さ55.6mのドームはトルコのみならず、全世界で五番目の高さにあげられるもので、553年の地震の後、558年から562年の間に6.5m高さを増して再建されており、その直径は31mから33mと緩やかに楕円をえがいている。敷地7,570m2、本堂は75m×70m。

アヤソフィア

外・内席

各地の建物からはずされて搬入されたモザイク板、石棺、洗礼盤、12世紀の公会議に於ける決定事項を記した浮き彫りなどが展示されている。建物の美しい装飾は内廊に始まる。壁を覆う多彩色の大理石板は対称的に並べられ、天井のモザイクの金色が目を射ってくる。

大理石の小片と色石は建物の内部を16,000m2にわたって覆っているが、これは建物自体の敷地の約二倍をこえる。内廊から本堂へは真横に並んだ九つの門が開いている。うち、最も大きな中央の門は皇帝の、その両側、比較して多少小さめの二つの門は帝国上層部の人々専用、そしてそれぞれの横に三つずつ並ぶのが一般の市民用のものである。

皇帝用門と両側の二つの門を覆っていた金銀の箔は、残念ながらラテン帝国の時代に剥がされてしまったが、皇帝用門のすぐ上には右と左にマリアと大天使ガブリエル、中央にキリストとその足許に平服する皇帝レオⅦ世(886~912)を表現した9世紀のモザイクが美しい。一方の手で人々に祝福を与えるキリストが、もう一方の手に携えた本の上には「我はこの世の光なり」の文字が見られる。

本堂(ナオス)

内廊から本堂に入ると、まず宙に浮かぶかの様に全体を覆う巨大なドームに圧倒される。ぐるりに40の窓をもつドームの中央には、かつてビザンチン帝国時代にキリストのフレスコ画が描かれていたが、オスマン民族による征服後にはその上からコーランからの節が筆された。中央ドームを支える四隅の柱、そのアーチの上には知識を司る天使達のフレスコ画が見られる。

入り口左右両手に置かれる容量1,250ℓの巨大な大理石の水瓶は16世紀にべルガマ(ベルガモン)の古代都市から搬入されたものである。左手コーナーにある大理石の角柱は〈嘆きの柱〉あるいは〈湿った柱〉と呼ばれ、ここに親指を入れて願い事をすると必ず成就すると言われている。ギャラリーの角、巨大な円形のパネルにはイスラム教世界の指導者達の名がアラビア文字で表現されている。

まず、ミヒラブの右にアッラー、左にモハメッド、そして四人のカリフエブ・ベキル、オメル、オスマン、アリ、更に入り口の上のパネルにはモハメッドの孫ハサンとフセインの名が見られる。

高さ7.5mの位置に設けられたこの大パネルの文字はイスラム世界に残る最も大きな文字といわれる。ドームの下、有色の大理石で囲まれた場所ではビザンチン帝国期に代々の皇帝の戴冠式が執り行われた。玉座は中央の円の中に設けられ、国家の指導者達は他の小さな円の中に位置した。

美しい大理石で装飾された後陣にはオスマン帝国時代になってメッカのカーベの位置を示すミヒラブが設けられたが、教会時代の後陣が東の方向を向くのに対して、イスタンブールからメッカの方角は南東にあたる為に、本堂の中央線より多少右手にずれている。後陣の左手には19世紀にスルタン用の座が置かれ、右側にある階段は金曜日の礼拝で説教僧が使用したものでミンベルと呼ばれている。

このすぐ手前には、16世紀に造られ、その中で、あるいは上でコーランが詠まれたムエッズィンの間がある。後陣に向かって右手、スルタン・マフムットⅠ世の時代は18世紀に宮殿から移した図書館は、見事なイズニックタイルで装飾されており、蔵書は今日また別の博物館にて保管されている。

ビザンチン期には皇族の入り口として、そして現在は一般の出口として使用されている内廊の横口、壁の上部にはアヤソフィアで最も保存状態良好なモザイクがのこる。幼少のキリストとマリアを中央に、右手にコンスタンチノープルの模型を手にした皇帝コンスタンチヌス、左手にはアヤソフィアの模型をもった皇帝ユスチニアヌスが表現されている。

各々に自身の作品といえる都と教会を聖母子に捧げているこのモザイク上で、4世紀と6世紀の異なる時代を生きた二人の皇帝が出会ったわけである。 

ギャラリー

アヤソフィアのモザイク 主に女性の礼拝の場として用いられた上階のギャラリーには、今日、内廊左手の石畳の回り通路を上って出ることができる。因みに、北ギャラリー(左側)には何ものこされていないが、反して、右側の南ギャラリーは必見物である。

左側の大理石パネル上には、イスタンブールにやって来た海賊達が残したといわれる文字がみられる。コーナーから南ギャラリーに移る時にくぐる〈天国の門〉は美しく彫刻の施された大理石のもので、その後ろには二つの十字架のモチーフがのこる。ここを通ってすぐ右、おそらくイスタンブールに存在する同類の作品中で最も美しく印象的なモザイクには、キリストとマリア、そして洗礼者ヨハネが表現されている。ラテン帝国建国期、このモザイクの下部は大きなダメージを受けたにもかかわらず、使用された色彩とモザイクの破片の細かさにより、非常に価値のある作品とされている。

14世紀のこのモザイクで、聖母とヨハネの表情は深い悲しみに満ちており、罪深い人々を天国に導くよう、キリストに哀願している様子が伝わってくる。この向かいにある壁の前には、1204年にラテン軍と、共に都にやって来てここを征服した後、1205年に亡くなったベニスの司令官ダンド一ロの墓石が置かれている。

ギャラリーの突き当たりの壁面には二つのモザイクが隣同士に並んでいる。向かって右のものには、幼少のキリストを膝に抱く聖母と共に、皇帝ヨハネス・コムネノスとハンガリー出身の后イレーネ、子息アレクシオスが表現されている。

左手の作品は、玉座のキリストを中心にして、両側に女帝ゾエと彼女の三番目の夫コンスタンチン・モノマコスを表したものであるが、これは元々11世紀に最初の夫ロマノスⅡ世が描かれていたものを、ゾエが結婚を繰り返す毎に新しい夫の首から上と名の部分のみを作り替えたものである。

後陣の上のモザイクは聖母と幼少のキリスト、天使(ミカエルとガブリエル)を表した9世紀の美しい作品で、保存状態も非常に良い。

アヤソフィア大聖堂・2020年7月24日からは再びモスクに【世界遺産】 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

名称 Ayasofya Müzesi
住所 Sultan Ahmet, Ayasofya Meydanı No:1, 34122 Fatih/İstanbul, トルコ
入場料金 100TL(約1,800円)
営業時間 9時~19時(4月15日から10月30日まで)
9時~17時(11月1日から4月14日まで)
※チケットの購入及び入場は営業時間終了の1時間前まで
定休日 月曜日、宗教の祝日、ラマダン(イスラム教の断食月)

 
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イスタンブール地下宮殿(バシリカ・シスタン)

イスタンブール地下宮殿
「宮殿」と呼ばれていますが、実際には地下にある巨大貯水池です。バジリカ貯水池とも呼ばれています。長い修復が終わって公開されてからは、イスタンブールの人気観光スポットとなっています。ひんやりとしているため、特に夏の暑い日には休憩がてら訪れるのもおすすめ。見どころは巨大なメデューサの頭を台座とした2本の柱です。イスタンブールミュージアムパスは対象外なので注意してください。

イスタンブールの地下宮殿の正体は貯水池?!巨大なメデューサの頭は必見 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

名称 Yerebatan Sarnıcı
住所 Alemdar, Yerebatan Cd. 1/3, 34110 Fatih/İstanbul, トルコ
入場料金 20TL(約360円)
営業時間 9時~17時30分
定休日 なし

イスタンブール考古学博物館

イスタンブール考古学博物館
イスタンブール考古学博物館は、古代オリエント博物館、考古学博物館、タイル博物館の3つの総称です。トプカプ宮殿の第一の庭に位置しています。有名な「アレキサンダーの石棺」をはじめ、6万点の考古学的出土品、76万枚のコイン、7万5千枚の粘土版が収蔵されている、世界有数の規模を誇る博物館です。イスタンブールミュージアムパスの対象施設となっていますので、ぜひ訪れてみてください。

イスタンブール考古学博物館|トルコ観光案内 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

名称 İstanbul Arkeoloji Müzeleri
住所 Cankurtaran, 34122 Fatih/İstanbul, トルコ
入場料金 50TL(約900円)
営業時間 9時~19時(夏季)、9時~18時(冬季)
定休日 月曜日

テオドシウスの城壁

イスタンブール観光
かつてのイスタンブールは、その周囲をビザンチン時代の城壁によって包囲されており、マルマラ海沿いの部分は "海側の城壁"、イェディクレと金角湾の間を‘陸側の城壁,、そして金角湾に沿う部分は‘金角湾側の城壁,とよばれている。マルマラ海に沿ってサライブルヌからイェディクレへと続く‘海側の城壁’は約8.5kmにわたる。

4世紀にコンスタンチヌス大帝、5世紀に入ってはテオドシウスⅡ世によって建築され、ビザンチン時代に頻繁に改築の手が入れられたこの城壁は、海側からの勢力侵入の可能性が薄れたこともあってオスマン帝国時代になると人々の記憶の隅に追いやられたかたちとなった。

本来は海岸線ギリギリに立っていた城壁も、19世紀末に敷かれた鉄道や海岸通りによって、今日では海岸からかなり陸側に入り込んでいる。城壁の跡が皆無であるガラタ橋とサライブルヌ間に見られる17世紀のセぺッチ.カスル(籠職人の館)はトプカブ宮殿に属する別邸の一つであり、スルタンの金角湾での船遊びは、ここから出発したのである。チャトラデュカプ地区で、城壁後方に見える尖塔のある建物は、ビザンチン帝国時代のセルギウス・バッカス教会で、現在はキュチュック.アヤソフィア・ジャーミ(小アヤソフィアモスク)として利用されている。

クムカプ

海岸通りに沿ってカドゥルガ地区を過ぎると、魚市場や海鮮料理のレストランが軒を連ねる有名なクムカプに出る。
地元の人々が、新鮮な魚介類といえばクムカプと太鼓判を押すこの地区は、外国人旅行者も必ず一晩は、選りすぐりのトルコ料理魚バージョンを堪能する為に時間を割くポイントとなっている。通りを挟んで両側に並ぶ沢山のレストランは、夏の盛りともなるとテーブルを外に出し、ベリーダンサーや楽団を相手に飲めや踊れの大騒ぎである。

イェニカプから海岸沿いに走り続けるとサマトゥヤ地区にでる。オスマン民族が都市を征服した後、少数のアルメニア人が住まいを構えた場所で、最初のアルメニア教会もここに建てられている。アイオス・テオドロス教会、スル修道院、アイオス・メノス教会など、大小の教会の多い場所である。イェディクレの城塞に着く前、海側の城壁に設けられた最後の門であるナッルカプは、すぐ後方に位置するストゥディオン修道院に海から詣でる人々が利用したものである。

チューリップ

イェディクレの城塞

城壁に沿って海から陸側にしばらく歩くと、城壁の中でも最も印象的な城塞が姿を現す。陸側の城壁が建設される前、ここにはテオドシウスⅠ世が凱旋門を建設させたといわれている。

413~429年の陸側の城壁建設に当たり、この凱旋門は壁の一部となり、重要な勝利の祝いや儀式がこの前で執り行われたとされている。大理石に黄金を張ったこの高さ15mの門は、その為に‘黄金の門’ともよばれている。

大理石の塔の上には、当時、金や青銅の像がおかれていた。ここは皇帝のみが使用したもので、一般用の門はこれとは別に設けられた。
1457~58年に崩壊した部分に三つの新しい塔を遣らせた征服王メフメットは、ここを都市警備員の駐在署として使用させ、宮殿の財宝もここで管理させていた。

ムラトⅢ世が財宝を宮殿に移動させると城塞は1831年まで、政治家や役人、大使達の牢獄として使われたが、内部には当時の囚人達が刻んだ壁書きが残っている。しばらくの間放置されるままになっていたが、1959年に修復された後は博物館として機能している。

陸側の城壁

5世紀に都市の総督アンテミオスの監督下で建設されたもので、長さ6km。96ケ所の塔で強化され、最も高いポイントは海抜76m。
陸側の城壁には大小46の門があり、番外側には幅20m、深さ10mの濠をしたがえているが、この直ぐ内側には、それぞれ7mと11mの二重の壁が10mの間をあけて設けられている。

イェディクレの城塞の後、順にベオグラード門、スィリブリ門、メヴレヴィ門、トプカプの門、エディルネの門と並び、金角湾に近づくと、テクフル宮殿やアネマス牢獄の遺跡が見えてくる。

商店街エミノヌ地区

スルタンアフメット広場から陸側の城壁へと続くディヴァン通りに沿うチェンベッリタシ広場から商店街が広がっている。非常に活気のある一帯で、ショッピングの合間に、ローマ、ビザンチン、オスマン帝国時代から現在に残る興味深い建物にも注目してみたい。 

まず、チェンベッリタシからグランドバザールを通ってベヤ・ズィット広場に歩を進めてみよう。そこからスレイマニエー・モスクを見学して、メルジャン坂をエジプシャンバザール(ムスル・チャルシュス)へと下ると良いだろう。

チェンベッリタシ

ローマ時代、ヒポドロムに最も近い広場として造られたフォルム・コンスタンチヌスから今日に残るものは、残念ながら‘焼けた円柱’としても知られるチェンベッリタシのみである。皇帝コンスタンチヌスが4世紀に造らせた約50mの円柱の上には、1105年まで皇帝のブロンズ像が据えられていた。強度の地震や大火でかなりのダメージを受け、現在の高さは37m。

柱の周囲には強化保護の為に金属の輪(チェンベリ)がかけられ、円柱の名前もこれに由来している。

ヌールオスマーニエ・モスク

ヌールオスマーニエ・モスク オスマンのスルタン・マフムットⅠ世の命で1748年に着工し、その死後オスマンⅢ世に継がれて1755年に完成をみた寺院で、一帯はこのモスクに由来してヌールオスマーニエ地区とよばれている。グランドバザールの正面入り口にあり、18世紀のヨーロッパ・バロックのテイストをオスマン建築様式に加味して造られた一例である。

旧コンスタンチノープルの城壁内にある七つの丘の一つに造られ、典型的なオスマン時代のモスクとは、たっぷりと装飾された正面壁のアーチとミナレット、本堂の外にはみ出す様に設えられたミヒラブをして、異色な位置づけをされている。

泉のない半円形の内庭は14のドームを支える12本の柱で取り囲まれており、これらも、それ以前のモスク建築では用いられなかったバロック的特徴である。

本堂に入ると、高さ25.75mの単独ドームを支える柱が皆無であることに気づく。五列の窓からは十分な光りが差し込み、説教壇やアラビア文字でコーランの一節が記された壁のタイルの美しさを引き立てている。

グランドバザール


グランドバザールは、旧市街西側に位置する市場です。1461年にスルタンのメフメット2世が、アヤ・ソフィアの建設費を捻出するために開いた市場として知られています。時代とともに、周辺のお店が徐々に市場に組み込まれていき、約5000軒もの店舗が立ち並ぶ大市場に成長しました。

グランドバザールでは、貴金属、トルコじゅうたん、スカーフやパシュミナ(インドのカシミール地方に伝わる手織りの毛織物)、トルコランプ、革製品、トルコの伝統菓子「ロクム」などあらゆるものを購入できます。まさにお土産探しにぴったりの場所なので、イスタンブールを訪れた際には足を運ぶとよいでしょう。

ほかにも、グランドバザールには、カフェやレストラン、郵便局まであります。ただし、観光客向けに高めの値段を付けられることが多いので、値下げ交渉は必須です。お土産を値引きしてもらうのも海外観光の楽しみの一つなので、思いっきり満喫してください。

グランドバザール(カパルチャルシュ)|イスタンブールでお土産を買うならココ | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

名称 Kapalı Çarşı
住所 Beyazıt, Kalpakçılar Cd. No:22, 34126 Fatih/İstanbul, トルコ
入場料金 無料
営業時間 8時30分~19時
定休日 日曜日、宗教の祝日

スレイマニエモスク

スレイマニエモスク
ベオグラード、ロードスの征服に始まり、ドイツ、ハンガリー、ウィーンに遠征をしかけた同スルタンの治世下に於いて帝国領土は最大となり、それは皇帝ユスチニアヌスの時代に迎えた黄金期にビザンチン帝国が有してした面積にほぼ等しいものとなった。オスマン帝国で最も偉大なスルタンの一人にも拘わらず、在位30周年目にしてようやくその記念にモスク建造の機会に恵まれたスレイマンは、イスタンブールで最大にして最も荘厳なモスクに自らの名を冠することとなったのである。

スレイマン大帝の時代はオスマン帝国の上昇期の末期にあたり、ヨーロッパでも賢哲さで一目おかれたその46年の治世下で、帝国は文学、科学、芸術などの分野で目覚ましい発展をしるした。建築家スィナンは「図面を必要とすることなしに傑作を生み出すことのできる天才」といわれる。歴代五人のスルタンの建築顧問を務めた彼は、1490~1588年の生産で50年を建築家として生き、およそ400に近い作品を残した。

カイセリの非イスラム教徒の家庭に生を受け、22歳の時に宮殿に奉仕に上がった後は19年間、近衛兵イェニチェリに所属した。建築方面での才能で頭角をあらわしたスィナンは、この分野に専念することとなり、メッカの神学校やブダペストのモスクなど、遠隔地にも多くの作品を残している。

完成に七年を要したモスクと周囲の施設建設は、3,000人の土木工を使って6~7mを掘り下げる基礎工事に最初の三年を費やしたといわれている。因みに総工費は現在の米ドル建てで約6,000万ドルとされている。スィナン独自の耐震設計が適用され、これをして「世界があり続ける限りこのモスクもここに立ち続ける」とスィナンはスルタンに言上したという。実際、イスタンブールで今日まで残る24の彼の建造物のうち、この500年間に起こった地震でダメージを受けたのは極僅かである。

スレイマニエモスクは規模とドームの高さはさておき、全体的な優雅さ、付属機関の充実さに於いてアヤソフィアに酷似している。16世紀、この地区は主に非イスラム教徒が居を構えた一帯で、イスタンブールの七つの丘の一つに位置している。

ブルーモスクが古いビザンチン宮殿の遺跡の上に建てられたのと同様、このモスクは都市の征服後、暫くの間オスマン民族が生活をしていたオスマンの小宮殿跡に建立されている。

スレイマニエモスク
スィナン自身が「修行期の作品」と言うモスクは200m×140mの庭園の中心に、前庭、そしてスレイマン大帝と后ヒュッレムの墓を含む後方に広がる88墓地を従えて吃立している。庭園の周囲にはモスクと同時にスィナンが建てた平屋の付属設備があり、特に、宗教教育の場であった神学校は重要であった。

ここの下手には土産物を売る店が入るバザール〈ティリヤキ・チャルシュス〉(病み付き達のバザールの意)があるが、この名称はオスマン帝国時代、ここが阿片を吸う人達のたまり場となっていた事に由来している。

また、モスクの西手には貧民救済用の食堂や隊商宿もおかれ、これらは全て付属施設の一部を構成していた。施設の中央の外苑には11ケ所の門から入ることができ、モスクの南壁には清めの泉が設けられている。西手の前庭には3ケ所の門が開いており、28のドームを支える花崗岩と大理石の24本の柱に取り囲まれている。

前庭に面するモスクの窓上にはタイルのパネルがあり、征服の賞賛に関するコーランからの一説がアラビア語で記されているが、これはハンガリーの征服後にここから得られた収益でこのモスクが建設された為に掲げられたものである。前庭中央、メッカのカーベを思わせる長方形の泉にも注目したい。

4本のミナレットのうち2本には3つずつ、残りの2本には2つずつ、計10ケのバルコニーがあるが、これはスィナンが、尖塔の数をしてスレイマン大帝が都市征服後から四代目、バルコニーの数でオスマンの創立から第十代目のスルタンであることを表現したものであるといわれている。

天才スィナンが69歳の時に建築にかかったモスクの規模は57m×60m、4,500㎡の敷地を有しており、一人当たりの礼拝用の面積を1㎡と仮定すると、同時に5,000人は祈りを捧げることができる。その規模と美しさで、ブルーモスクとともにイスタンブールにあるモスクの双壁といえる。高さ50m、直径26.5mの中央ドームはそれぞれ、レバノンはバールベックのゼウス神殿、アレキサンドリア、イスタンブールのヴェファ、そしてトプカプ宮殿周辺から搬入した4本(イスラムの最初の4人のカリフを象徴)の柱と東西の半円ドームに支えられている。南北両側には2本ずつの紅色の花崗岩の柱に支えられたアーチが見られる。ドームのぐるりには32、モスク全体では136の窓がはめられており、中央ドームを支える半円ドームは直径23m、高さ40m。

外装に勝るとも劣らない内装の繊細さは、特に、当時その分野では右に出る者無しとされた〈酔いどれのイプラヒム〉の作品であるステンドグラスにおいて顕著である。また、イスラム世界の指導者達やコーランの一部を記した高名な書家ハサン・チェレビの書は、モスクのオイルランプの煤を集めて利用した下地の黒の中に浮かび上がっている。

大々的な修復は参拝を受け始めて400年目にあたる1957年に実施された。説教壇とミヒラブは白大理石が使用され、彩色ガラスを用いた窓ガラスは16世紀当時のそのままのものである。モスクの数ある特徴の中でも、際立つものは何といっても見事な音響効果に違いない。

点火が容易な様に、また十分な明かりが得られる様に、照明(当時はオイルランプを使用)はかなり低めにさげられている。この間に下がる球状の黒い物体はダチョウの卵であるが、各種の香辛料と薬草で茄でられた卵の匂いがクモ避けに効果があるとされている。本堂裏手の墓地は、屋外墓標博物館の様相を呈しており、帝国上層部の面々が葬られたこの場に見られる墓石は、どれもが一つの芸術作品といえる程に繊細で美しい。死者の頭上のみならず、足元にあたる部分にも墓石がおかれているのに注目したい。

1566年にこの世を去ったスレイマン大帝は、墓地の中央に設けられた霊廟に埋葬された。スルタン・アフメットⅡ世、スレイマンⅡ世、そして大帝の皇女ミフリマーもここに葬られており、廟を覆う二重のドームの内側には夜空の星を思わせる石が刺繍されている。スレイマン大帝の霊廟のとなりにはロシアの僧侶の娘で、大帝の后となった後、次のスルタン・セリムⅡ世の母として帝国の政治を裏から牛耳ったヒュッレムの廟がある。本名をロクセラーナとする彼女は、帝の寵愛に付け込んで大帝に実の皇子ムスタファと宰相イブラヒムを殺害させ、帝国の運命に関わる重大な決断を強いたりしたしたたかな女性であった。

尚、モスクの生みの親スィナンの墓も、付属施設の北西端にみられる。派手ではないが繊細で洗練された彼の霊廟は、毎年4月9日の〈スィナンを偲ぶ日〉に公開される。
恰も自身の傑作品に署名を記すかの様に、施設の隅に彼の墓はたっている。

スレイマニエ・モスク(スレイマニエ ジャーミィ)はイスタンブールの人気観光名所 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

カーリエ博物館(コーラ教会)

イスタンブール
4世紀に初めて建設された際、城壁の外側に位置していた為‘田舎の、郊外の’の意味にあたるコーラの名がつけられた教会は、後の城壁拡張事業と共に城壁内におさまったものの、名称は昔のままである。今日の建物は11世紀にマリア・ドゥカエナの依頼で造られたものを12世紀にイサアク・コムネノスが修復したもので、14世紀になってテオドール・メトキテスが外廊とパラクレスィオン(埋葬の間)を増築している。

1316~1321年に教会をモザイクとフレスコ画で装飾させた帝国最高官吏メトキテスは、文化・芸術に精通し、財産を惜しみ無く慈善事業へ提供した政治家であった。1511年、アティク・アリ・パシャによってモスクに転換された教会は、ミナレットが追加され、内部に残る教会時代の宗教画やモザイクも1765年に漆喰で固められた。第二次世界大戦後の修復を経て博物館として一般解放されて以来、イスタンブールで最も美しいビザンチン帝国期のモザイクが残る場所として多くの見学者を魅了し続けている。 

礼拝堂の床は彩色大理石のモザイク、壁は大理石張りで、室内には明るい雰囲気が漂う。ここには14世紀のモザイク三点が残るが、後陣の右手、幼少のキリストと聖母、左手のキリストを表した作品は多少ダメージを受けている。対して、入り口の上部、マリアの死を表現したモザイクは美しい。

中央の寝台に横たわる聖母をキリストと彼の使徒達、そして天使達が囲むものである。最も美しい外・内廊のモザイクは内容の豊かさ、使用される色彩の変化、仕事の細かさと、どの点についてもビザンチン時代の作品中、これらの右に出るものなしといえる。モザイクにて表現されるのは、概して聖書のストーリーからのものであるが、例えばマリアの誕生やその幼少期など、新約聖書の題材による作品も見られる。これらが作成された目的は、文盲の、あるいは聖書を得る事のできない信者達にイエスとその家族を身近に知らしめる為であった。躍動的で現実的、生き生きとした場面は、モザイクの破片としてマルマラ海の小石が用いられ、絵画芸術再興の先掛けとなるものであった。

カリエ博物館(コーラ教会)
年代を追いながら、まず内廊の入り口に向かって左手の壁、天使から受胎を告知されるマリアの母アンナのモザイクから始めてみたい。続いてマリア誕生、その幼少期、寺院への信奉、ヨセフとの結婚が表現されている。内廊から礼拝堂へと開く扉の両側には聖パウロと聖ペテロ、その上部にはテオドール・メトキテスと玉座についたキリストが、扉右手のドームには聖約書から聖人と預言者達が描かれている。

この下部、〈イエスの奇跡〉では病人を治療する、盲人に光りを与える、死人を復活させるキリストが表現されている。ここで、壁の一つを完全に覆う作品にはキリストとマリア、イサアク・コムネノス、そして修道女メラニーが描かれているが、下部の損傷が激しいとはいえ、このキリストは市内に残る同種の作品中、最も美しいものとされている。外廊の物語りは、左手、ベツレヘムへと向かうマリアとヨセフに始まる。

キリストの誕生のシーンに続き、真ん中の辺りには悪魔に試されるキリストがみられる。入り口上部のものはキリストの奇跡から、パン造りやカナンの結婚である。外廊入り口の右側に、赤児のキリストを探させるヘロデと、キリストの奇跡からのシーンがあるが残念ながら損傷が激しい。
 
外廊とはL字の通路でつながり二本の柱で分けられるかのような部屋は、14世記にメトキテスが造らせた埋葬の間パラクレスィオンである。長さ16m、幅5mの通路はメトキテスの他、政治家ミカエル・トルニケスと身元不明二人の埋葬されている場所で、モザイクの代わりに死をテーマにしたフレスコ画が描かれている。ここの最も奥まった部分にある半円形の後陣には、アダムとイヴを地獄から助け出すキリストが表現されている。この直ぐ前のアーチに描かれるのは最後の審判、地獄へと落ちる罪深き人のシーンで、通路中央のドームには聖人達に取り囲まれたマリアとキリストが見られる。

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シェッザーデモスク

ベヤズィットとウンカパヌの間、16世紀当時のイスタンブールで都市の中心地であった場所に、1543~1548年にスィナンが建設したモスクがある。スレイマン大帝が、最愛の皇太子メフメットの死を悼んで造らせたもので、高さ37m、直径柑mの中央ドームと、その四方を取り囲む半円ドームは、スィナンの一番弟子の作である後のブルーモスクを思わせる。

バルコニーと彫刻の美しいミナレットを二本従え、説教壇とミヒラブは大理石製。神学校、貧民救済の食堂、隊商宿と共に皇太子(シュッザーデ)メフメットの霊廟もここにおかれている。

ルステムパシャモスク

スレイマン大帝の娘ミフリマーが夫の宰相ルステム・パシャの為、スィナンに依頼して1561年に造らせたモスクである。タフタカレ地区はナルブルラル・バザールの内部にあり、宰相の遺体はモスクの周囲に適当な場所がなかった為、別のモスクにて自らの名を冠した霊廟で埋葬されている。ルステム・パシャはイブラヒム・パシャと並んで当時最も影響力を持った宰相であり、しかもやり手の商売上手でもあったせいで、その財産はいつも人の噂にのぼったという。

建設用地として選択された場所がこの様な建物に適切ではないとみたスィナンは、解決策としてモスクを商店から成る土台の上に建てることに決め、こうして周囲のどこからも寺院が人の目に触れることを可能にした。方形の基盤にたち、中央ドームは四本の柱とアーチで支えられており、スィナンの円熟期最高の作であるセリミエ・モスクの前作ということもできる。

内壁全てと外壁の一部はタイルに覆われ、殊に外面のそれは他のモスクには例を見ない装飾と美しさである。セリムⅠ世がイズニックに遣らせたタイル工房の最も美しく価値ある作品が使用されているが、これほど多くの、しかも貴重なタイル製作を実現するにあたっての融資は、ルステム・パシャの様な裕福な人物によってこそ可能であった訳である。図柄としてはチューリップや幾何学模様が多く使用されている。

エジプシャンバザール(スパイス・バザール)

エジプシャンバザール
オスマン帝国時代、エジプトからイスタンブールに持ち運ばれた香辛料の市がたったことからこの名でよばれている。ガラタ橋の正面、旧市街に入って直ぐの赤レンガ造りの建物で、イェニ・ジャーミ(新モスクの意)の推持費集めを目的に1660年に完成をみている。6ケ所に出入り口が設けられたL字形の建物の屋根は鉛使用のドームに覆われている。

内部の約80の店は主に香辛料や薬草をあつかっており、他には燻製品、チーズ、ジャム類、海綿、ナッツ類も種類豊富である。
プンと鼻をつく香辛料の香りが独特のエジプシャン・バザールは、もう一つの有名なバザール "グランドバザール" に比べてよりオリエンタルな雰囲気につつまれており、周囲には植物やペットを扱う店、木陰で一息つくのにうってつけのカフェ、行商人の屋台など、興味を引かれる店、物、人が溢れている。

バザールの裏手に広がるタフタカレ地区は主に行商人が露店販売をしている一帯で、オスマン帝国時代から続く精力剤に始まり輪入品の電気製品、香水、文房具、衣類など、ありとあらゆる物が売られている。

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イェニ・ジャーミ

イスタンブールでも土地柄、最も多く信者が集まるモスクで、これ以前、アジア側のウスキュダルにヴァーリデ・ジャーミ(皇太后のモスク)が造られた為に、ここは最初イェニ・ヴァーリデ・ジャーミと呼ばれ、後に簡単に今の名前で呼称されるようになった。
イスタンブールのモスクの中で、建設期間が66年と最も長期に亙ったもので、トルコ語で "新モスク" を意味するその名前に反して、着工1597年と古い寺院の一つである。

スルタン・セリムⅡ世の后であり、メフメットⅢ世の母であるヴェニス出身のサーフィエ・スルタン(本名バフォ)の依頼で、建築家ダヴゥト・アーが着手した建立事業は、建築家の死と資金繰りの行き詰まりのせいで1605~1661年の間、未完成のまま建設ストップの状態におかれていた。

イェニ・ジャーミ
メフメットⅣ世の母トゥルハン・スルタンに命じられたムスタファ・アーは中途のままのモスクを1663年に完成させている。 
建設当時はモスクの土台3mの所まで海が接近していた為に、技術上も豊富な経験と知識が必要とされた。モスクの図面は、これ以前にシェッザーデモスクでスィナンが、ブルーモスクでメフメット・アーが適用した、四方に一つずつの半円ドームと四本の象の足(太い円柱)で支えられる中央ドームプランが用いられており、古典的オスマン宗教建築の最後の大規模な一例といえる。 

中央ドームの高さは36m、径17.5m。窓のステンドグラスや扉に見られる真珠貝の螺細細工、窓の上部に描かれたコーランからの一節など、オスマン芸術の繊細で美しい作品の数々で装飾されているが、残念ながら内部のタイルはそれ以前のものに比較して質的に劣るものである。 

5ケ所に設けられた扉の一つをぬけると24のドームを乗せた20本の支柱の並ぶ柱廊が見える。
それぞれ3つずつのバルコニーを備えた2本のミナレットが天に向かって吃立している。

ガラタ橋

ガラタ橋 ガラタ塔
19世紀初期より金角湾の北岸側の居住区が拡大すると、湾の両岸を結ぶ為に幾つものプロジェクトが立てられた。これについては、その一世紀前にあのレオナルド・ダ・ヴィンチまでが、作成した橋の青写真をスルタンに献進したとされている。

自然港として大変重要な金角湾の入り江を封鎖する事のないよう、開閉式の橋建設技術が開発される以前は、小船を以て両岸の連絡をとっていたが、帝国の主要宮殿をトプカプからドルマバフチェ宮殿へと移動させる件が本格化すると、橋の必要性はどうしても避けられない話となった。

湾に最初の橋が渡されたのは1836年、ウンカパヌとアザプカプの間にである。間もなく都市の中心地ガラタ地区への交通を考慮してイェニ・モスクの前に1845年に渡された第二の橋は、構想段階の陣頭指揮をとったベズミ・アーレム・ヴァーリデ・スルタンの名前からヴァーリデ橋と呼称された。

1863年と1875年に修復された後、1912年、ドイツのMAN社によって建造された468mの橋は1992年までイスタンブールっ子に親しまれてきたが、火災で損傷を受け、再びドイツはTHYSSEN社によって現在のガラタ橋が建設された。長さ80m、直径2mの114本の鋼鉄の杭の上に乗る484mの橋は、湾内部にあるドックヘの出入りの必要上、跳ね橋となっている。

ガラタとタクシム・新市街

ガラタ橋を渡ると観光スポットの多い旧市街に対して新市街と呼ばれる一帯、ガラタ地区、タクシム広場に出る。ビザンチン期、辺りはヴェニスやジェノア人の支配下にあったが、彼らの暮らしの跡を示すものは皆無で、最古の建造物としてはガラタ塔とアラビアン・モスクをあげることができる。

都市を征服した後もオスマン民族は彼等の信条とする寛大な態度をとり続け、占領した土地の人々の引き続いての居住と宗教の自由に何らの制約をつけることはなかった。この為、辺りには今でも多くの教会やシナゴグが存在する。オスマン時代は特に18世紀、ベイオール地区といえばヨーロッパの商館や大使館のある一帯として知られ、今日ではイスタンブールの繁華街として夜も遅くまで沢山の人で賑わっている。

ガラタ地区

トゥネル

ガラタ橋から新市街に入るとすぐ、ガラタとベイオールを結ぶ、非常に短距離の地下鉄がある。フランス人技師が設計し、1871~1876年に英仏間で設立した会社によって建設されたもので、世界で三番目に古く、距離570m、乗車時間2分と最も短い地下鉄である。

ガラタ塔

都市のどこからも望める高さ61mのガラタ塔からの景観は絶品の一言につきる。
143段の階段かエレベーターを利用して頂上のバルコニーにでると、足元のボスフォラス海峡、金角湾、マルマラ海の中に、横たわるアジア、ヨーロッパの両大陸が一望できる。

早くも5世紀にしてこの辺りの塔の存在を記す資料があるが、ガラタ塔が現在の姿になったのは1348~1349年のことである。
元々はビザンチンからこの地をジェノア人が防御壁の一部として造ったもので、当時の名称を〈イエスの塔〉といった。
海抜140m、内径9m、オスマン帝国時代には、牢獄、倉庫、灯台、火の見櫓としても利用され、1964~1967年の修復時には頂きに円錐形の屋根が被せられた。

伝説によると、オスマン時代は17世紀、自ら作った翼を背負って学者ハゼルフェン・アフメット・チェレビは、塔から対岸のアジア側ウスキュダルまで飛んだ、とされている。

イスティクラル通り

イスティクラル通り
トゥネルの上駅とタクシム広場をつなぐ通りをイスティクラル通り(独立通り)とよぶ。オスマン帝国の末期、西側諸国が大使館をおいた地区の中央を突っ切るこの通りにはカフェやブティックがならび、所謂、西洋の商習慣伝播の震源地ともいえる。

歩行者天国の通りには、古き好き時代を偲ばせる〈ノスタルジック・トラム〉が運行している。両側の商店に目を奪われるが、19世紀末から20世紀初期に建設された建物の、細かいレリーフのある美しい外壁にも注意を払いたい。 

トゥネルからタクシム広場へと進むと右手にスエーデン、オランダ、ロシア総領事館、1906~1912年に近代ゴシック様式にて建立され、都市で最も重要なカトリック教会とされるサン・アントゥアン・イタリアン教会などがみられる。尚、イスタンブール最古のデラックスホテルであるペラ・パラス、米、英国総領事館は、通りに並行して走る大通りに位置している。

イスティクラル通り半ほどには、名門ガラタサライ高校や1875年に遡る郵便局、ビヤガーデンやレストランの並ぶチチェキ・パサジ、香辛料や魚、キャビアやカラスミを扱うバルク・パザル、典型的なトルコ風呂ガラタサライ・ハマムが集まるガラタサライ広場がある。さらに歩を進めると、左側には1834年に造られたアー・ジャーミ(モスク)、1898年に建設され、1920年以来フランス領事館として使用されている建物がある。

タクシム広場

歴史を通じて、重要な政治集会や演説の行われてきた広場である。 
広場の中心にはイタリア人ピエトロ・カニーニが救国戦争と共和国設立をテーマに、1928年に完成させた高さ12mの(共和国の記念碑〉がたつ。広場の一端にあるのが、1950年代に着工の後、タクシム広場1969年に完成したアタテュルク文化センターで、コンサート、展示会場、映画館を備えた設備である。

ここの前からドルマバフチェヘと下るギュムシスユ通り右手にはドイツ、日本総領事館、向かいにイスタンブール工科大学の建物(これらは全て19世紀の建造物)が見られる。

タクシム広場 
広場にはデラックスホテルの一つザ・マルマラホテルと、かつては兵舎のおかれていた公園(ゲズィ公園)が広がり、イスティクラル通り口元の左手には1880年に建立された単ドームと二つの鐘塔のあるアヤ・トリアス教会がたっている。 

タクシムから北へと走る大通りをジュムフリエット通り(共和国通り)という。多くの航空会社や旅行代理店、銀行が両側に並び、エルマダー、ハルビエ地区へと歩くと、都市初のファイブスターホテルであるヒルトンホテル、1949年に放送を始めたラジオ局等が姿をあらわす。

ここを過ぎると通りの右側に、やはりトルコは陸軍の大国と実感させる軍事博物館にでる。1959年に建てられてから、12世紀より朝鮮戦争までにトルコ軍の使用した武器、軍服、テント、戦争に関する多くの絵画を展示してきたこの博物館には、ビザンチン側がオスマン軍の金角湾侵入を防ぐ目的で入り江に張った太い鎖も保存されている。世界で最初に編成された軍楽隊であるメフタルの演奏は是非とも鑑賞したい。

ボスポラス海峡

ボスポラス海峡クルーズ
ボスポラス海峡は、アジアとヨーロッパを隔てる海峡です。その両岸には、ドルマバフチェ宮殿、ベイレルベイ宮殿、ルーメリ・ヒサルなど、かつてのオスマントルコ時代の歴史を感じる観光名所が盛りだくさん。

ボスポラス海峡や周辺の魅力を一度に味わいたいなら、ボスポラス海峡クルーズがおすすめです。美しい金角湾や、旧市街と新市街を結ぶガラタ橋、新市街のランドマークであるガラタ塔、日本とも関わりの深いボスポラス大橋など、優雅にクルージングしながら短時間で主要な見どころを満喫できます。

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ドルマバフチェ・モスク

スルタン・アブドゥルメジットの母御ベズミアーレム皇太后に捧げられたこのモスクは、同名の宮殿の建築責任者でもある高名なアルメニア人建築家バルヤンの作による。自分の財産はもとより、国家から内廷費としてわたされた金を慈善活動に費やした皇太后は、1852年に43歳でモスク完成前年にこの世を去った。

バロック、ルネッサンスの影響を受け、古典的なオスマン様式によるモスクとは様相を異とするもので、ドルマバフチェ宮殿の付属機関の一つとして造られたことから、宗教活動の場というよりはきらびやかなサロンの雰囲気が漂っている。壁の大きな窓から注がれる光りが、内部の彩色大理石の装飾に反射する様子は、大変に美しい。刺繍が多用される室内装飾には欧風のデザインが用いられ、ミヒラブや説教壇、繊細なミナレットはエレガントでさえある。

時計台

宮殿の隣には1890年にスルタン・アブドゥルハミットの命によって建築家サルキス・バルヤンが建設した27mの時計台がたっている。基盤は大理石、上部にはストーン・ブロックが用いられ、塔の四面にはフランスのガルニエの時計とオスマンの紋章がみられる。

ドルマバフチェ宮殿

ドルマバフチェ宮殿
285の部屋に43の大小ホール、6つのバルコニーに6つの浴室…それに14トンの金を加えて気狂いじみたロココスタイルをこねあげ、さらに280の花びん、156の時計、58のシャンデリア、11の火鉢に4555平方メートルの手織絨毯…をかきまぜたもの、それがドルマバフチェ宮殿である。スルタン、アブドゥルメジドは、初めて自分の宮殿を訪れた時に、「こりゃあぜいたくすぎる。もっと簡素にできなかったのかな…」とつぶやいたとか。
ドルマバフチェとはトルコ語で「埋めたてられた庭」を意味する。ここは埋め立て地だったのである。19世紀半ば、31代スルタン、アブドゥルメジットは自分がもはや「アラーの影」というよりもただの「影」にすぎない事を忘れてボスフォラスの岸べに新宮殿を建てたのだった。その結果は国家予算の破綻だった…。ヨーロッパ列強の君主からの贈り物は、ナポレオンⅢ世のプール細工のテーブル、ロシアのニコラスI世から白熊の敷物、フランツ・ヨセフオーストリア皇帝からボヘミアグラス、イギリスのヴィクトリア女王から重さ4.5トンという豪華なシャンデリア…など。
浴室はエジプト産のアラバスターでつくられた。大広問の絨毯を織るために、ヘレケ(イスタンブールの近くの有名な絨毯産地)には特別の織機が準備された。

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ベシクタシ

ドルマバフチェ宮殿を後にして海岸沿いに歩くとベシクタシ地区にでる。ボスフォラス海峡沿岸の中でも早くから人が住み始めた場所で、幾つかの史跡と重要な二つの博物館がある。

海軍大将パルバロス・ハイレッティン・パシャの霊廟と、向いのスィナン・パシャ・モスクは、どちらも有名なスィナンの作品である。一本の尖塔と42枚の窓がはめられたモスクは、スレイマン大帝の海軍大将スィナン・パシャに捧げられたものである。博物館としてはドルマバフチェ宮殿内の美術博物館と海軍博物館があげられる。1961年まで財政局の建物として使用されてきた場所に、現在はオスマン帝国海軍に属する品々、大砲、地図、軍服が展示されている。近くのベシクタシ・バザールの中にはギリシア正教とアルメニアの教会がある。

海岸通りを続けると左手にユルドゥズ・パーク(星の公園)が広がっている。ビザンチン時代に月桂樹で有名だったこの森は、オスマン時代になると園遊会の催される場所となり、アブドゥルハミットⅡ世によって小宮殿や東屋が建設された。公園の向かい、19世紀の元宮殿チュラーン・サライは、現在、超高級なホテルとして利用されている。

オルタキョイ

オルタキョイ
最もヴィヴィットな地区オルタキョイは、回教のモスクとユダヤのシナゴグ、ギリシア正教の教会があることから、イスタンブールの宗教的寛容さを象徴する場所ともいえる。1990年代の初めに再建された広場は、週末や夏になると若者達でごったがえす。

岸辺のオルタキョイ・モスクは1854~1855年に皇帝アブドゥルメジットがバルヤンに命じたもので、対岸のベイレルベイ宮殿を住まいとするスルタンは、小舟にのってこのモスクに礼拝にやってきた。モスクの裏通りには1856年のアイオス・フォカス教会と1915年のアヤイム・シナゴグがある。

モスクの隣、エスマ・スルタンのヤルは1875年に皇帝アブドゥルアズィズが皇女エスマの為に造らせた別荘である。

ボスフォラス大橋

イスタンブール
1950年代から既にプロジェクトにかかっていたこの橋の建設は1970年2月20日に始まり、1973年10月29日のトルコ共和国建国50周年記念に完成を見ている。

独・英の合同による建設事業には35人のトルコ人技師と400人の土木工も参加をし、2,300万米ドルの費用を掛けて全長1,569m、幅33m、高さ165mの橋脚間の距離1,074m、水面からの高さ64mの橋が完成した。

毎日20万台の車両と、それに乗った60万の人々が欧亜両大陸間の移動に利用するこの橋は、吊り橋の長さ部門でヨーロッパで第4、世界第7番目にランキングされている。(有料/歩行禁止)

カドゥキョイ・イスタンブールのアジア側

この地区では、イスタンブールの近辺で最初の集落跡として、先史時代は紀元前4,000年頃の出土品が発見されている。伝説の建国者ビザスが対岸のサライブルヌにビザンチンの核となる町をつくる前、既に紀元前7世紀にここカルケドンにやって来たメガラからの移民が、町を‘盲人達の町’とよんだことはよく知られている。

451年にはキリスト教公会議の舞台となったことも町の重要性を物語るものと言える。オスマンの征服後、海岸沿いに贅沢なヤルや広い庭のある美しい邸宅が造られたが、急増する都市人口を背負って、高層の集合住宅がこれらにとってかわりつつあるのは残念である。
一帯に歴史を物語るものははとんど残っていないが、洒落たブティックやカフェの並ぶバーダッチャッディス(バグダット大通り)はイスタンブールがヨーロッパの一部であることを感じさせてくれるハイセンスな場所である。 

カドゥキョイの港の反対側には、イスタンブールで最も大きな貿易港ハイダルパシャの港と、アジア側の主要駅ハイダルパシャ駅がある。ドイツの企業が19世紀の末から20世紀初期にかけて敷いたバグダット鉄道の一部であり、駅舎は1906~1908年に建設された。
海に打ち込まれた1,700本の杭に支えられた4,000m2の面積に、4本のプラットホームを有する駅で、この前の桟橋には1915~1917年に造られたタイルの窓間壁が美しい建物がみえる。 

カドゥキョイからウスキュダルへと向かうと、四つの角にそれぞれ塔を掲げたセリミエ・クシラス(市内で最も大きな軍用施設:セリミエの兵舎)がある。もとはセリムⅢ世の時代に木造の兵舎が建設されたが、これは全焼しており、現在の建物はマフムットⅡ世によって1825~1827年に造られたものを、アブドゥルメジットが修復したものである。

クリミア戦争中、フローレンス・ナイチンゲールは、当時、野戦病院と化したこの兵舎で負傷兵の看護にあたり、現在も彼女の使用した部屋はそのまま保存されている。また、この近くにはその戦いで命を落とした英国兵士達の墓もある。

広大なカラジャアフメット共同墓地はオスマン帝国時代からの何千もの異なった造りの墓石をして、あたかも‘野外墓石博物館’の様である。オスマン時代、預言者モハメッドの墓があるメディナにより近いことから、信仰心厚いイスラム教徒はアジア側の墓地に埋葬されることを望んだという。

ウスキュダル

ウスキュダル
アジア側で最も歴史のある居住区である。他と同様、西洋的で合理的な建物に押され気味とはいえ、オリエンタルな面影を湛える典型的トルコ建築等、パーソナリティーを守り続けている貴重な町である。古代“黄金の町”と呼ばれていた訳は諸説ありで、その自然美をして、とか、あるいは日没時の海の色から、はたまた海峡通過料として金貨が支払われたから、とか定説はない。

紀元前6世紀にこの他を支配していたペルシア人が撤退の際、アナトリアで集めた金をここに忘れたから、などというのもある。ローマ、ビザンチン時代、ウスキュダルは都市の境界外にあって、守備隊駐屯地として利用されていた。皇帝はここから、守備隊の意味にあたるスクタリを町の名とし、これが現在の地名ウスキュダルの基となったといわれている。

オスマン帝国期、ここには特にスルタンの妃や娘達の出資によって運営された様々な公共施設がおかれた。スレイマン大帝とヒュッレム・スルタンの娘であり、宰相ルステム・パシャの妻であったミフリマー・スルタンが1547年にスィナンに依頼したミフリマー・スルタン・モスク(スィナン初期の作)が、桟橋の後方に建っている。その正面には1728年にアフメットⅢ世が母親の為に造らせた記念泉噴が見える。表面に残る、当時の有名な詩人の筆による詩文も興味深い。

スルタン・メフメットⅣ世の后でアフメットⅢ世の母ギュルヌシ・エメトゥッラ・ハートゥンの為に1710年に建立されたイェニ・ヴァーリデ・モスクも見てみたいが、タイル装飾は可もなく不可もなく、という程度の作品である。海岸から町中に少し入ると、1580年にスィナンがスレイマン大帝の宰相の一人であったシェムスィ・パシャの為に造った、小さいが優雅で美しい同名のモスクがのこっている。単独ドームと尖塔を備えるとともに、特徴的なのは、海岸に面していて基盤が海へと崩れる心配があった為に、一種のアラームとして、その際にはミヒラブの二本の柱が回転してコトコトと音を立てる工夫がされている。

乙女の灯台

イスタンブール観光
レアンドロスの塔としても知られる灯台は、ウスキュダルはサラジャクの、岸から200m離れた海中に建てられている。どちらの名称も伝説に由来し、乙女・・の方は愛娘を守ろうとして彼女をここに閉じ込めたビザンチン皇帝に関係している。呪い師が贈った果物籠から這い出した蛇に噛まれて、可哀想に彼女は、予言どおり死んでしまう。二つ目レアンドロスの方は、こじつけの感がしないでもない。つまり、アフロディーテの巫女ヘラと、彼女との逢瀬に毎晩海を泳いで来る美男子レアンドロスの恋物語は、ボスフォラスではなく、ダーダネルス海峡が舞台なのだから…。

しかし、人々はこれをボスフォラスにあてはめて、次の様な逸話にしている。"ヘラの掲げるランプの光りを目印にして泳ぐレアンドロスは、ある嵐の晩、風に消されて光を失い溺死してしまった。哀れヘラも彼を追って海中に身を投げた" と。 
紀元前5世紀、アテネとスパルタの戦いの頃、既にここに要塞が置かれた、とする文献がある。オスマンによる征服後、スルタン・メフメットの造らせた要塞は1600年頃に灯台として使用される様になり、19世紀はマフムットⅡ世の時代に現在の形に直されている。

ベイレルベイ宮殿

ベイレルベイ宮殿
16世紀、スルタン・ムラトⅢ世の時代に、最高指揮官(ベイレルベイ)メフメット・パシャがここに大きなヤルを造らせた。現在の宮殿は、1861~1865年、スルタン・アブドゥルアズィズの命により、マフムットⅡ世の焼失した木造宮殿の跡に、建築家サルキス・バルヤンが建造したものである。

5,000人の人夫がリズムに乗って働ける様に特別編成のオーケストラが工事の横で演奏をしたとの伝えがのこっている。海峡沿岸に建設された二番目のこの宮殿は、外国の客人をもてなすための夏の離宮で、エドワードⅧ世とシンプソン夫人、オーストリア皇帝フランツ・ヨセフ、ナポレオンⅢ世の后ユージーンなどの要人を迎えている。3ケ所に門があり、趣味よくまとめた6つの大広間と24の部屋を抱える建物は65×40m。エジプトの絨毯、ボヘミアンクリスタルのシャンデリア、フランスの時計や中国、日本の陶磁器が飾られ、ドルマバフチェと同様にへレケに特注した絹の手織り絨毯も好んで使われている。後方の木蓮の庭には、泉噴水と二つの水辺の東屋がたつ。第一次世界大戦の最中、皇位を廃されたアブドゥルハミットⅡ世は、生涯最後の6年をこの宮殿で過ごし、ここで息を引き取っている。(現在は博物館)

チャムルジャの丘

ベイレルベイ宮殿裏手にはイスタンブールで最も高いチャムルジャの丘がある。海抜263m、見晴らしは最高で、眼下には絵のようなマルマラ海や島々、ボスフォラス海峡や新市街、旧市街が広がり、胸のすく様な絶景である。

1980年代にトルコ自動車旅行協会の実施した整備活動で、緑深い木立の間に古き良き時代を彷彿とさせるオスマン風茶屋も建てられ、心和む場所ができあがった。そのせいか、式を挙げたばかりの新婚カップルが、ウェディングドレスのままここで家族や友人と喜びを分かち合うシーンがよく見られる。

イスタンブールのおすすめレストラン3選

東西の両方から影響を受けたイスタンブールの食文化は、非常に多彩で味わい豊かなものばかりです。宮廷料理において美しく洗練され、世界3大料理の一つともいわれています。イスタンブールの多国籍情緒あふれる料理を味わうために、とっておきのレストランをピックアップして紹介しましょう。

【世界三大料理】トルコ料理のおすすめ一覧|ケバブからスイーツまで厳選100品! | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

Asitane(アシターネ)


オスマン帝国時代の宮廷料理を食べてみたければ、Asitane(アシターネ)をおすすめします。アシターネはカーリエ博物館の隣、カーリエホテルに併設されたレストランです。歴史研究家による考証の下で数多くのオスマン宮廷料理を忠実に再現し、その数はなんと380種にも及びます。

アシターネは、宮廷料理を現代に復活させたレストランとして有名です。宮廷料理を看板に掲げるレストランは他にもたくさんあります。しかし、アシターネで提供されている380種の料理のうち、250種はアシターネでしか食べることができません。

本物の宮廷料理を体験したい人にはまさにうってつけのレストランであるといえるでしょう。悠久の歴史に思いをはせながら、トルコの自然を感じさせる色とりどりの料理で、たっぷりと宮廷気分を味わってください。

名称 Osmanlı Saray Mutfağı Asitane Restaurant
住所 Kariye Camii Sokak No:6 34240 Edirnekapi Istanbul, Turkey
営業時間 12時~23時30分
定休日 なし
公式HP https://www.asitanerestaurant.com/

 
イスタンブール
 
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Makarna Sarayı(マカルナ・サラユ)

Makarna Sarayı(マカルナ・サラユ)は、「ロカンタ」と呼ばれる大衆食堂タイプの店で、手軽にトルコ料理を楽しめるのがウリです。ロカンタでは、まず店頭に並んでいる料理から食べたいものを指さして注文します。そして、取り分けてもらった後に会計をして、自分で席に運んで食べるのが一般的です。一品料理の定食屋さんや、オードブル形式のファストフード店をイメージするとよいでしょう。

マカルナ・サラユは観光スポットのごく近くにあるロカンタで、非常に居心地の良いレストランです。観光の合間の休憩にぴったりといえるでしょう。マカルナ・サラユでは、トルコ料理が豊富に取りそろえられていて、店名にもなっているマカルナ(トルコ風パスタ)やケバブ、煮込み料理などが人気です。

名称 Makarna Sarayi
住所 Mollafenari, Vezirhan Cd. No:18, 34120 Fatih/İstanbul, Turkey
営業時間 10時~23時
定休日 なし

3-3.Cumhuriyet(ジュムフリエット)


Cumhuriyet(ジュムフリエット)は、トルコで「メイハネ」と呼ばれるタイプの店です。「メイ」は「お酒」、「ハネ」は「家で」という意味で、日本の居酒屋のような飲食店をイメージするとよいでしょう。メイハネではバリエーション豊かな「メゼ(前菜)」を気軽に楽しめます。

ジュムフリエットはトルコ共和国の初代大統領アタチュルクも通ったと言われる老舗のメイハネで、新鮮な魚介類を使ったシーフードメニューが豊富です。店は3階建てになっていて、3階では「ファスル」と呼ばれる楽団の演奏が聴けるので、トルコ気分をたっぷりと堪能できます。

名称 Tarihi Cumhuriyet Meyhanesi
住所 Hüseyinağa, Kamer Hatun Sahne Sokak, Kamer Hatun Cd.
No:27, 34435 Beyoğlu/İstanbul, Turkey
営業時間 9時~翌日の2時
定休日 なし

イスタンブールで買えるトルコのお土産

旅行の思い出を語るうえでも外せないのが、現地のお土産の存在です。イスタンブールにはすてきな郷土品がたくさんあります。その中でも、「これは外せない」というものを3点ピックアップしました。

トルコランプ


華やかなトルコランプはトルコ土産の定番といえるでしょう。シンプルなものやカラフルなもの、吊り下げタイプや卓上タイプ、小さいものから大きいものまで種類が豊富なので、きっとお気に入りのものが見つかるはずです。

注意点としては、ランプがきちんと点灯するかを確認してから購入しましょう。帰る途中で破損しないようにしっかりと梱包してもらうことをおすすめします。

トルコランプの選び方と注意点を解説!歴史ある工芸品はお土産にもおすすめ | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

ナザール・ボンジュウ

ナザールボンジュウ
ナザール・ボンジュウはトルコの伝統的なお守りで、平らな青色のガラスに目玉のようなものが描かれているのが特徴です。効果として、妬みなどの視線から身を守ってくれるといわれています。

アクセサリーとしてもとても綺麗で、手頃な価格のものもたくさんあります。大勢の人に「気持ち」を届けるためのお土産、いわゆる「ばらまき用」にも適しているといえるでしょう。

絵皿や器


宮殿やモスクの美しい装飾を思い出に持ち帰りたければ、装飾のデザインが施された絵皿や器がおすすめです。装飾タイル風のものやアラビア文字が描かれたものなど、デザインはさまざまなものがあります。

手頃な価格の商品も多いので、お土産にぴったりです。サイズも大小そろっており、食器としてだけではなく小物入れになりそうな器もあります。色鮮やかで存在感のある模様は、例えばオブジェとしてキャビネットを飾るのにもふさわしいでしょう。

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イスタンブール観光を満喫するならツアー旅行がおすすめ!

名所がたくさんあるイスタンブールを満喫するなら、ツアーの利用がおすすめです。ツアーであれば、人気の観光スポットを効率よく巡ることができるので、不慣れな土地で迷うということもありません。

街のレストランでトルコ料理を楽しめるツアーもたくさん用意されていて、現地では専門のガイドによるサポートもあります。お土産の購入や価格交渉のことなど気軽に相談できるので、安心して大いに観光を楽しむことができるでしょう。

トルコ旅行での物価、予算などについてご紹介!日本と比較します。 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

イスタンブール観光でトルコの魅力を目一杯味わおう

東西の文化が混在する街イスタンブールには、魅力的なスポットがたくさんあります。美しい建築物や料理を堪能して、イスタンブールの文化をたっぷりと味わってみませんか?

イスタンブールを楽しみたい方には「ターキッシュエア&トラベルのツアー」がおすすめです。24時間365日、メールフォームからの相談と申し込みが可能です。是非、お気軽にご相談下さい。

イスタンブール&カッパドキアを巡る5日間&6日間旅行・ツアー一覧 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

 
イスタンブール
 
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