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トルコの人気世界遺産

ブルサとジュマルクズクはオスマン帝国発祥の地【トルコ世界遺産】


ブルサとジュマルクズクはオスマン帝国発祥の地【トルコ世界遺産】

オスマン帝国最初の首都であった古都ブルサには歴史的建造物が数多く残されています。また、ジュマルクズクは、ブルサ市内より東へ約11㎞の場所にあり、オスマン帝国時代の生活の様子が伺える住宅などの街並みが残された700年もの歴史を持つ古い村です。

農村生活のコミュニティやかつての商業文化を今に伝えているこの二つの町ブルサとジュマルクズクは、共にオスマン帝国発祥の地として2014年に世界遺産に登録されました。

  • 登録区分:文化遺産
  • 登録年:2014年
  • 登録基準:(i)(ii)(iv)(vi)

ブルサとジュマルクズク:オスマン帝国の誕生|ユネスコ世界遺産センター

ブルサ
トルコ人がイェシル・ブルサ(緑のブルサ)とあこがれを込めて呼ぶブルサは、ウルダー(ULUDAĞ)山の麓の高原の町です。ウルダーは古代にはミシアのオリンポス山として知られていました。古代にオリンポスと呼ばれた山は20もあったとのことです。ウルダーもその内の一つに数えられていました。

マルマラ海の南岸に近く、イスタンブールからも近く、豊かな緑と温泉の町、そして歴史をしのばせる古都ブルサは、トルコ人はもちろん、外国人にも人気がある観光地です。

ブルサは世界史においても重要な都市

ブルサは古くから歴史に登場してきました。紀元前6世紀にはペルシアのキュロス大王に占領され、ローマ時代にはすでに東西の交易ルートに位置していたので、商業の中心地として繁栄しました。

十二使徒のひとり、聖アンデレが布教に訪れてからキリスト教が急速に広がり、ブルサはその面でも地方の中心になった街です。

ビザンティン時代は西に進出を計るセルジューク・トルコを必死にくい止めたブルサでしたが、14世紀前半にはついにオスマントルコに征服され、日の出の勢いのオスマントルコは初めての首都としてブルサを選びました。

その後はエディルネ、イスタンブールと首都が移ってしまいましたが、ブルサは引き続きオスマン帝国の重要な都市としての役目を担って来たため、現在でも古都の風情はたっぷりと残り、訪れる人を魅了しています。

ブルサの場所・アクセス

ブルサは空路では行けませんので一度イスタンブールへ行き、そこから陸路で向かうことになります。

  • バスにて  …約3時間半 (30分~1時間に1本運航)
  • フェリーにて…イスタンブールの旧市街YENIKAPI(イェニ・カプ)よりブルサまで1時間35分。
    ※フェリーはGüzelyalı(ギュゼルヤル)という港に着きますので、そこからブルサ市内まで約27㎞、市バス又はタクシーをご利用下さい。

ブルサの観光案内ビデオ(1分37秒)

ブルサの歴史

ブルサの地には、考古学的発掘にて7000年前より人が居住していたことが分かっています。初めて都市を創立したのは、おそらく2世紀に平野に住み着いたフリギアの一族であり、街を一望する丘(ヒサル)の上に築城したのであろうと言われています。

この地はキオスと呼ばれていましたが、紀元前202年にアンティゴノス朝マケドニア王ピリップス5世がこの地をビテュニア国王プルシアス1世に与え、その名にちなんでプルサと呼ばれるようになりました。ちなみにこの頃、あのカルタゴの部将ハンニバルはローマ人から逃れてこの地に避難していたとのことです。

紀元前74年、ビティニア王国最後の王ニコメデス4世が自分の死と共に王国をローマに進呈したため、ビティニア国とブルサはローマ帝国の支配下となってしまいました。

ビザンティン帝国期にブルサは温泉で有名になり、多くの指導者達が頻繁に足を運び、ユスティニアヌス帝などはこの地に宮殿と浴場を建設しています。

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オスマン帝国の繁栄はブルサから始まった

7~9世紀にブルサは再び包囲されアラブ人によって多大な打撃を受け、1095年に西に進出したセルジューク・トルコ族はブルサを征服しましたが、第4回十字軍の頃、再びビザンティンの支配下に戻りました。

オスマン帝国の創始者であるオスマン・ベイ(オスマン1世)は1302年にブルサを包囲し、10年に及ぶ攻撃の後ようやく1326年4月6日にオスマン・ベイの息子オルハン・ベイ(オスマン帝国第2代皇帝オルハン)がここを征服し、1335年にオスマントルコの首都としました。

トルコ民族による征服と共にブルサには繁栄期が到来することになります。1363年に帝国の首都がエディルネ(ハドリアノポリス)に移されてからもブルサはスルタンやその一族の保養地として繁栄を続けました。

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1402年、オスマン帝国第4代スルタンのベヤズィット1世とティムールによるアンカラの戦の後、ブルサはモンゴル人の手に落ち、焼き払われましたが、息子のオスマン帝国第5代のスルタン・メフメット1世が巻き返しを図り、1413年にオスマン帝国領としてここに定着させました。こうしてブルサには再び富が流入し新しい発展段階を迎えました。

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ブルサで絶対に行きたいおすすめ観光スポット12選

古都ブルサで外せないおすすめの観光スポットをご紹介いたします!

ジュマルクズク(CUMALI KIZIK)|オスマン帝国時代の街並みが残る世界遺産の村

ジュマルクズク
CUMALI KIZIK(ジュマルクズク)は、古都ブルサでオスマン帝国の最初の居住地となった村です。オスマン帝国時代の住宅の質感を現在まで伝える伝統家屋が合計270軒あり、そのうち180軒が現在も住宅やお店、カフェとして使用されており、一部は保存および復元されています。

村に一足踏み入れるとオスマン帝国時代にタイムスリップしたかの様に石畳の道と、レンガと木材で作られたパステルカラーの昔ながらのオスマン様式の可愛らしい街並みが迎えてくれます。外国人観光客よりもトルコ人観光客の方が多く、ゆったりとした時間が流れるローカルな雰囲気がたっぷり味わえる村です。

ジュマルクズクの場所・アクセス

ジュマルクズクはブルサ市内から東へ約10㎞、車で約20分。タクシーでも行けますが、市バスやミニバスでも行くことができます。小さい村ですので、ゆっくりと散策しても1時間で周れます。ブルサ観光の際はぜひ立ち寄ってみてください。

ウル・ジャーミー(ULU CAMİİ)【大モスク】

大モスク
1399 年に建てられたブルサで最も重要なこのモスクは市の中心に位置しています。ムラト1世が着工し、ベヤズィット2世に引き継がれた建設はメフメット1世(1379~1414)の時代に完成されました。68×68mの本堂は頑丈な12本の柱に支えられる20の小ドームに覆われ、中央の硝子のドームの下には信者達が祈祷の前に体を清めるための大理石の見事な噴水が見られます。

また、壁と柱にアラビア文字で記されたコーランの節をご覧になられるかと思われますが、素晴らしい黒檀の説敦台は1400年頃の作品であります。ミフラブには角ばったクーフィ書体と優雅なネスヒ書体による精巧な文字が書かれ、素晴らしい装飾が施されているのがわかります。

名称 ウル・ジャーミー(ULU CAMİİ)
住所 Nalbantoğlu, Atatürk Cd., 16010 Osmangazi/Bursa
開館時間  朝の礼拝 朝7時くらい~夜の礼拝8時くらいまで ※礼拝の時間は入場不可
定休日 なし
入場料 無料 (寄付歓迎)
所要時間 30分
服装  宗教施設の為、膝上スカート・ショートパンツ・ノースリーブ等の露出の多い服装での入場は不可です。
女性はスカーフを被らなければなりません。ショールは前以てご自身にてご準備下さい。モスク内は土足禁止ですので、入場の際に入口にて靴を脱ぎます。
脱いだ靴はモスク入口にあるビニール袋かご自身でご準備した袋に入れて持ってモスク内に入ります。
写真撮影 モスク内での写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止されています。
また、宗教施設ですのでお祈りをしている人やムスリム女性を被写体にすることは原則として避けて下さい。

イェシル・ジャーミー(YEŞİL CAMİİ)【緑のモスク】

イェシル・ジャーミー
ブルサ市の東部、緑地の中に立つこのモスクはメフメット1世の時代に建築家イルヤス・アリによって1421年に造られました。

セルジューク建築様式を用いた当時の芸術の粋を集結したトルコで最も美しいモスクといえます。かつては2つの大ドームと4つの付属ドームに覆われたミナレットがあり、素暗らしい大理石の玄関と美しいイズニックタイルを貼った入り口の壁は必見です。

入り口の両側にはスルタンとその妻達のための3つの部屋を備えた祈祷の間があり、全体として使用されている装飾タイルは緑色を基調としています。当時張り詰められたタイルの緑色から「イェシル=緑」のモスクと呼ばれています。

オスマン帝国時代には、元々のモスクとしての礼拝所の機能だけではなく、役所のようにも使用され、礼拝所の東側の部屋は“アナドル総督府”、西側は“ルメリ(ヨーロッパ)総督府”が使用するために提供されていました。

名称 イェシル・ジャーミー(YEŞİL CAMİİ)
住所 Yeşil Mh., 16360 Yıldırım/Bursa
開館時間 8:00~20:00 ※礼拝の時間は入場不可
定休日 なし
入場料 無料 (寄付歓迎)
所要時間 30分
服装  宗教施設の為、膝上スカート・ショートパンツ・ノースリーブ等の露出の多い服装での入場は不可です。
女性はスカーフを被らなければなりません。ショールは前以てご自身にてご準備下さい。モスク内は土足禁止ですので、入場の際に入口にて靴を脱ぎます。
脱いだ靴はモスク入口にあるビニール袋かご自身でご準備した袋に入れて持ってモスク内に入ります。
写真撮影 モスク内での写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止されています。
また、宗教施設ですのでお祈りをしている人やムスリム女性を被写体にすることは原則として避けて下さい。

イェシル・トゥルベ(YEŞİL TÜRBE)【緑の霊廟】

ブルサ 緑の霊廟
ドームのある八角形の霊廟(トゥルベ)は、ティムールとのアンカラの戦(1402年)で敗れたオスマン帝国を再建強化したオスマン帝国第5代皇帝メフメット1世の霊廟。イトスギに囲まれた広い階段のある1421年建設のトゥルベの外側は、19世紀の青緑色のタイルで覆われています。

イェシル・モスクよりもこの霊廟の方が高く造られているのは、オスマン帝国の困難な時期に敵に対して「私たちは立ち上がっている」というメッセージを与えるためと言われています。

また、イェシル・トゥルベはメフメット1世により、オスマン帝国がティムールの敗北と兄弟間の権力闘争の後にも破壊されておらず、以前よりもより輝いた作品を生み出す力があることを示すために、華やかな目立つ形で作られました。

内部中央に置かれた花模様の基盤の上には、黄色の文字が記されたタイル張りのメフメット1世の棺が乗せられており、彼の家族も並んで眠っています。イズニックタイルで装飾されたミフラブも美しい作品となっています。

名称 イェシル・トゥルベ(YEŞİL TÜRBE)
住所 Yeşil, 1. Yeşil Cd. 66-1, 16360 Yıldırım/Bursa
開館時間 夏季<4~10月> 9:00~19:00
冬季<11~3月> 9:00~17:00
定休日 なし
入場料 無料 (寄付歓迎)
所要時間 10分

ムラディエ・キュリイェスィ(MURADİYE KÜLLİYESİ)【ムラディエ複合建築群】

市の西部ムラディエの静寂な庭園はムラト2世のモスクを中心に、マドラサ、ハマム、泉、公共厨房、ムラト2世を含めた12の霊廟が建つ複合建築群です。この中で特筆に値するものを以下にて紹介したいと思います。

ムラディエ・モスク(MURADİYE CAMİİ)【ムラト2世のモスク】

ムラト2世のモスク
複合施設群の中心的建物であり、美しい入り口を持つ1447年建設のモスクです。

オスマン帝国第6代皇帝ムラト2世が1425~1426年に造らせ、このモスクがブルサで最後にスルタン(皇帝)銘で建てられた物となり、またその後に建てられた記念碑的な複合施設群(キュリイェ)の最初の例ともなりました。これ以前のモスクと違い、ムラディエ・モスクは二つのドームが同じ高さとなっています。

また、祈祷の広間はT字形をしており、窓や扉の装飾にも目を凝らしてみて頂きたい程の綺麗な作りです。

ムラト2世の霊廟(II.MURAD TÜRBESİ)

ムラト2世の死に際して、皇位継承をした息子の第7代ファティ・スルタン・メフメットが作らせた霊廟。ムラト2世の遺言に従い、廟の中央にあるムラト2世の墓自体は質素ですが、雨が直接その墓に降り注ぐ様、廟の天井のドームの中央が開いている作りとなっています。

また、墓は大理石の石棺の上を土で覆っていると言う、珍しい作りです。尚、付属の間には彼の皇子、皇女達の4つの墓があります。

皇子ジェムの霊廟(SULTAN CEM TÜRBESİ)

ファティ・スルタン・メフメットの次男であるスルタン・ジェムは、1481年に父親が亡くなった後、ブルサで帝国を宣言し18日間統治しましたが、兄ベヤズット2世との間の皇位争いの結果としてヨーロッパに長年亡命した後、1495年にナポリで毒殺されその波乱に満ちた不幸な一生を終えました。

1499年、彼の遺体はブルサに運ばれ、ムラディエのこの墓に埋葬されました。 霊廟の壁の下部は金色のターコイズと紺色のタイルで、上部は鉛筆細工でとても見事に装飾されています。

 
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10th year

ムスタファの霊廟(ŞEHZADE MUSTAFA TÜRBESİ)

1552年に絞殺されたスレイマン大帝の皇子ムスタファの為に異母弟の第10代皇帝セリム2世が造らせた霊廟。皇子ムスタファの他、ここには3皇子が埋葬されています。

霊廟の内壁には白地にカーネーションとユリのモチーフをあしらえた16世紀の最も美しいタイルがはられています。

オスマン1世とオルハンの霊廟(OSMAN GAZİ TÜRBESİ VE ORHAN GAZİ TÜRBESİ)

オスマン帝国の創設者、初代皇帝オスマン・ベイ(オスマン1世)と第2代皇帝オルハンの陵墓です。

1299年オスマン朝の終焉にともない1300年にオスマン帝国の前身であるオスマン公国の独立を宣言し、ブルサ征服の為の包囲戦の中、1326年にブルサの近くのSÖĞÜT(ソゥウト)で死去。

息子で第2代皇帝オルハンが父オスマン1世の遺志を受け継ぎ同年にブルサを征服し、ブルサの聖ユリアス教会の一部を霊廟に改修して、この地にオスマン1世を葬りました。後にはオルハン自身も妻ニルフェルと共にここに眠る事になります。

時は過ぎ、1855年の大地震で教会堂が破壊された後、1868年に第32第皇帝スルタン・アブドゥルアズィズは両スルタンの陵を建て、それぞれの家族と共に広い部屋に葬ったのがこのオスマン1世とオルハンの霊廟となります。

19世紀から時計台の置かれている、かつてローマとビザンティンの砦のあった最も古い地区ヒサルにあり、ここから町が一望できます。

名称 オスマン1世とオルハンの霊廟(OSMAN GAZİ TÜRBESİ VE ORHAN GAZİ TÜRBESİ)
住所 Osmangazi Mahallesi Yiğitler Cad. No:4 16040 Osmangazi/Bursa
開館時間 8:00~20:00頃
定休日 なし
入場料 無料 (寄付歓迎)
所要時間 10分

スルタン・ムラト1世のモスク(I.MURAD HÜDAVENDİGAR CAMİİ)

オスマン帝国第3代皇帝ムラト1世の為に1365~1366年に造られたこのモスクは2階建ての建物で、上階部分に18室からなるマドラサが併設されており、下階には2つのイーワーン(前方解放式の小ホール)と6つの部屋があります。

逆T型に設計されているモスクの真ん中が礼拝所で両脇に2つのイーワーンがある作りとなっています。モスクとマドラサが同建物内に設置されているが特徴的なモスクです。

また、ここはモスクを中心とする複合施設群(キュリイェ)であり、キュリイェの敷地内にはムラト1世の霊廟、マドラサ、公共厨病、泉、ハマムも併設されています。

名称 ムラト1世のモスク(I.MURAD HÜDAVENDİGAR CAMİİ)
住所 Çekirge Mahallesi 1. Murad Caddesi Dolapçı Sokak Osmangazi/BURSA
開館時間 8:00~20:00 ※礼拝の時間は入場不可
定休日 なし
入場料 無料 (寄付歓迎)
所要時間 20分
服装  宗教施設の為、膝上スカート・ショートパンツ・ノースリーブ等の露出の多い服装での入場は不可です。
女性はスカーフを被らなければなりません。ショールは前以てご自身にてご準備下さい。モスク内は土足禁止ですので、入場の際に入口にて靴を脱ぎます。
脱いだ靴はモスク入口にあるビニール袋かご自身でご準備した袋に入れて持ってモスク内に入ります。
写真撮影 モスク内での写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止されています。
また、宗教施設ですのでお祈りをしている人やムスリム女性を被写体にすることは原則として避けて下さい。

ユルドゥルム(雷帝)・ベヤズィトのモスク(YILDIRIM BAYEZİD CAMİİ)

ベヤズィトのモスク
オスマン帝国第4代皇帝ベヤズィト(バヤズィト)1世が1391~1395年の間に造らせたモスクで、ブルサ式のアーチを用いた最初のモスクでもあります。逆T型の作りで南北に二つの大ドームと、東西に小さいドームとヴォールト・アーチ型の天井に覆われ、モスクの壁は正確に切られた石材が組み込まれています。

こちらも、マドラサ、医療機関、ベヤズィト1世の霊廟、公共厨房、ハマム、初等教育学校の付属建物を含めた総合施設(キュリイェ)として建てられており、ブルサで最も重要なモスクにあげられます。

名称 ユルドゥルム・ベヤズィトのモスク(YILDIRIM BAYEZİD CAMİİ)
住所 Yıldırım Mahallesi Yıldırım Caddesi 3. Amaç Sokak Yıldırım/BURSA
開館時間 8:00~17:00頃※礼拝の時間は入場不可
定休日 なし
入場料 無料 (寄付歓迎)
所要時間 30分
服装  宗教施設の為、膝上スカート・ショートパンツ・ノースリーブ等の露出の多い服装での入場は不可です。
女性はスカーフを被らなければなりません。ショールは前以てご自身にてご準備下さい。モスク内は土足禁止ですので、入場の際に入口にて靴を脱ぎます。
脱いだ靴はモスク入口にあるビニール袋かご自身でご準備した袋に入れて持ってモスク内に入ります。
写真撮影 モスク内での写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止されています。
また、宗教施設ですのでお祈りをしている人やムスリム女性を被写体にすることは原則として避けて下さい。

エミル・スルタンのモスク(EMİR SULTAN CAMİİ)

エミル・スルタンのモスク
ユルドゥルム・ベヤズィットの皇女フンディ・ファトマ・ハトゥンが夫エミル・スルタン(1366~1429)の思い出のために造らせたモスクです。

エミル・スルタンは、3人の皇帝の時代に生き、スーフィズムの権威者に達し、偉大な権威者として預言者ムハンメッドの孫のフセイン血統を引き継ぐ子孫と言うことから“エミル”、そして皇帝にはなっていませんが、人々の心を制したことから“スルタン”の称号を得た人です。

モスクのドームはブルサのモスク内でも最大でありますが、1795年に一度崩壊した為、1804年にセリム3世より再建されました。モスクがある複合施設群の敷地内、モスクの隣の円柱に囲まれた中庭にある彼の霊廟は、現在でも多くの巡礼者達が訪れる場ともなっています。

名称 エミル・スルタンのモスク(EMİR SULTAN CAMİİ)
住所 Emirsultan, Emir Sultan Cami, 16360 Yıldırım/Bursa
開館時間 8:00~17:00頃※礼拝の時間は入場不可
定休日 なし
入場料 無料 (寄付歓迎)
所要時間 30分
服装  宗教施設の為、膝上スカート・ショートパンツ・ノースリーブ等の露出の多い服装での入場は不可です。
女性はスカーフを被らなければなりません。ショールは前以てご自身にてご準備下さい。モスク内は土足禁止ですので、入場の際に入口にて靴を脱ぎます。
脱いだ靴はモスク入口にあるビニール袋かご自身でご準備した袋に入れて持ってモスク内に入ります。
写真撮影 モスク内での写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止されています。
また、宗教施設ですのでお祈りをしている人やムスリム女性を被写体にすることは原則として避けて下さい。

スルタン・オルハンのモスク(ORHAN GAZİ CAMİİ)

スルタン・オルハンのモスク
オスマン帝国第2代スルタン・オルハンによって1339年に建てられた市の中心に位置するブルサで最古のモスクです。ブルサでイスラム修道院を含めた複合施設として設計された最初のモスクでもあります。

名称 スルタン・オルハンのモスク(ORHAN GAZİ CAMİİ)
住所 Nalbantoğlu, Uzunçarşı Cd. No:59 D:79, 16010 Osmangazi/Bursa
開館時間 8:00~17:00頃※礼拝の時間は入場不可
定休日 なし
入場料 無料 (寄付歓迎)
所要時間 30分
服装  宗教施設の為、膝上スカート・ショートパンツ・ノースリーブ等の露出の多い服装での入場は不可です。
女性はスカーフを被らなければなりません。ショールは前以てご自身にてご準備下さい。モスク内は土足禁止ですので、入場の際に入口にて靴を脱ぎます。
脱いだ靴はモスク入口にあるビニール袋かご自身でご準備した袋に入れて持ってモスク内に入ります。
写真撮影 モスク内での写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止されています。
また、宗教施設ですのでお祈りをしている人やムスリム女性を被写体にすることは原則として避けて下さい。

ブルサのシンボル・ウルダー(ULUDAĞ)|冬はスキーで賑わうアウトドアスポーツの聖地

ウルダー
ブルサ近郊のウル山はイスタンブールより南へ約185㎞、車で約3時間の場所に位置し、古代ビティニア地方(アナトリア北西部)のオリンボスとして知られ(紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスの歴史書、紀元前1世紀末のストラボンの地理誌でもオリンポスとして記述されています。)、3ケ所の頂点の内、最も高い所で標高2,543mの山です。

森と冷たい湧き水がある自然豊かな環境で、夏には登山やキャンプ場やハイキングコース、冬は良質の雪で絶好のスキー場としてアウトドアスポーツでトルコで一番人気の山です。

ホテルやリフトも完備されゲレンデも良いため、特に冬場はイスタンブールからはもちろん全国からのスキー客で非常に賑わいます。イスタンブールから日帰りでも行ける距離ですので、イスタンブールを拠点にウルダーにスキーに行くことも可能です。

なお、ブルサ~ウルダー間には直行のロープウェイが運行していますので、ブルサから気軽に訪れることも可能です。ちなみに、このロープウェイは2014年より世界で一番長いロープウェイに承認され、9㎞の距離を誇っています(陸路で同地点へ行く場合34㎞)。

ウルダー・ロープウェイ情報

住所 Piremir, Teleferik Cd. No:84, 16340 Yıldırım/Bursa
開館時間 10:30~18:30
定休日 なし
入場料 往復 50TL ※クレジットカード支払可
所要時間 24分
※8人乗りワゴンが20秒に1回運航。
公式サイト https://www.bursateleferik.com.tr/en/

コザ・ハン(KOZA HAN)|ブルサでお買い物するならココ!

古都ブルサにはハンと言われる昔の商館・職人街が数多く残されています。中でもこのコザ・ハンは、1492年にベヤズット2世がイスタンブールのモスクの収入源とすることを目的に建てた、2階建ての建物の上階に50室、下階に45室の計95室を保有する大きなハン(宿)です。

コザはシルク(絹)の意味で昔からシルクロードの終着点として栄えたブルサだけあり、上階は全室シルク又はシルク製品を売る店として使われ、ブルサの絹製品を主にした貿易の中心地として活躍しました。現在もシルク製品の品ぞろえが多く、またタオル製品も多く売られております。

名称 コザ・ハン(KOZA HAN)
住所 Nalbantoğlu Mahallesi, Uzunçarsı Cad., 16010 Osmangazi/Bursa
ウル・モスクとオルハン・モスクの間
開館時間 月~金/ 08:00~19:30
土曜/08:00~20:00
日曜/10:30~18:30
定休日 なし

 
イスタンブール
 
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ブルサは温泉でも有名な町

ブルサは温泉の町でもあるのをご存じでしょうか?ローマ時代よりこの地の天然温泉は人々に愛されてきました。現在はトルコ国内から保養のために訪れる人が後を絶ちません。

イスタンブールからも近く気軽に行ける温泉として人気です。中でも昔から絶えず人気の「イェニ(新)カプルジャ」と「エスキ(古)カプルジャ」と言う二つの有名な温泉をご紹介いたします!ハマムではなく、浸かれる浴槽のある温泉なので旅の疲れを落としてみてはいかがでしょうか。

イェニ・カプルジャ(YENİ KAPLICA)【新温泉】

カプルジャ
キュルトゥルパーク(文化公園)の西に位置するこの温泉は、スレイマン大帝の娘ミフリマーの婿の大宰相リュステム・パシャがスレイマン大帝の為に1555年に造りました。

カルシウム、硫黄分を含んだ80℃の湯が湧き出ているこの温泉には、ドームに覆われた長方形の基盤に建つ建物の中央にプールがあり、それに付随してマッサージと休憩室が備わっています。壁と床は大理石ばりでドームの中央は光沢のあるタイルで覆われています。

浴槽の温泉の温度は45℃と日本人好みの体に染み入る熱さなのがまた良く、ミネラル豊富で効能のある温泉水は、保養や療養・リハビリにも人気です。現在はホテルとして営業していますので、ブルサで数日過ごすのならば、ここに宿泊してゆっくり温泉につかって旅の疲れを癒すのにお勧めです。

ちなみに、ここにはイェニ・カプルジャ、カラムスタファ(KARA MUSTAFA)、カイナルジャ(KAYNARCA)の3つ温泉がありますが、残念ながらイェニ・カプルジャは男性専用となっておりますので、女性は入れません。女性の御入浴は隣接のカイナルジャのみとなります。

名称 イェニ・カプルジャ(YENİ KAPLICA)
住所 Kükürtlü Mh. Yenikaplıca Cd. No:6 Osmangazi / BURSA
開館時間 5:00~23:00
(土曜・日曜は7:00~22:00まで)
定休日 なし
入場料 イェニ・カプルジャ(男性専用)40TL
カラムスタファ(男性専用)45TL
カイナルジャ(女性専用)35TL
※垢すり・マッサージは別料金(2020年12月現在の料金)
持ち物 水着
公式サイト http://www.yenikaplica.com.tr/index.html

エスキ・カブルジャ(ESKİ KAPLICA)【古温泉】

チェキルゲ温泉
別名ARMUTLU KAPLICA(アルムットル・カプルジャ)と言いうブルサで最古の温泉で市の西部、チェキルゲ地区にあります。ビザンティンの浴場の基盤の上にスルタン・ムラト1世が1394年に建て、1511年にベヤズット2世が増設した大変歴史のある温泉です。

キャビンのある最初の部屋は更衣室で、ここからマッサージ室と最後のプールに続きます。一部のビザンティン時代から残る支柱と温泉水が噴き出るライオン頭像に加え、平らなドームなどここは初期オスマン浴場としてとても興味深い温泉です。

温泉源の温度は90℃、浴槽内の温泉は45℃と熱めのお湯で、ゆっくりと旅の疲れを癒せます。現在はKERVANSARAY THERMAL(ケルヴァンサライ・サーマル)ホテルが経営していますので、温泉に入るだけでも良いですし、ホテルに泊まりながらゆっくりと楽しむのもおすすめです。

名称 エスキ・カブルジャ(ESKİ KAPLICA)
住所 Kükürtlü, Çıta Sk. No:16, 16080 Osmangazi/Bursa
開館時間  7:30~23:00
(土曜・日曜は08:00~20:00まで)
定休日 なし
入場料 70TL
※垢すり・マッサージは別料金(2020年12月現在の料金)
持ち物 水着
公式サイト http://termal.kervansarayhotels.com.tr/about

トルコの温泉・パムッカレやその他トルコの温泉ガイド 

ブルサの名物グルメ「イスケンデル・ケバブ(İSKENDER KEBAP)」

イスケンデル・ケバブ
ブルサと言えばズバリ「イスケンデル・ケバブ(İSKENDER KEBAP)」! トルコ名物のドネルケバブの下にピデと呼ばれるトルコ風ピタパンが敷かれ、上にはヨーグルトと特製ソース、その上に熱々の溶かしバターをたっぷりかけて食べるボリューム満点の名物料理です。

なお、イスケンデル・ケバブに使われているドネルケバブの肉は、普通のドネルケバブとは違い、ウルダーのタイムを食べて育ったブルサ産の羊肉が使われています。

オスマン帝国時代末期の1867年にブルサで発明されてからずっと人々に愛されてきた人気の料理です。数あるイスケンデル・ケバブ店の中でも人気のお店を紹介いたします!

KEBAPÇI İSKENDER-MAVİ DÜKKAN (ケバプチュ・イスケンデル‐マーヴィ・ドゥッキャン)

イスケンデル・ケバブを誕生させたイスケンデル・エフェンディの孫により1930年に創業のお店。いつも行列ができる人気店ですので、お時間に余裕を持って行ってください。

 
ケバブ(Kebab):ドネルケバブ、シシケバブ、イスケンデルケバブなど

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