トルコツアーガイド
アソス(ASSOS)
チャナッカレから南へ85kmにある今日のベフラムキョイ。古代ギリシァの学問都市アソスは岩だらけのゴツゴツした土地と眼下に広がる神秘的なまでに美しいエーゲ海、中世的な村のたたずまいが印象的な風景を構成しています。レスボス島の緑と溶け合うこの青い海は、古代からギリシァ本土とレスボス島を結ぶ航路でした。


アソスの最初の住民もレスボスから渡ってきたギリシァ人でした。紀元前6世紀、このあたりはクロエソスのリディア王国の統治下にありましたが、クロエソスがキュロスに敗れた結果、アソスはペルシァ帝国のフリギア・ヘレスポントス州に組み込まれました。
紀元前4世紀頃のアソスでは学問が盛んでした。特に、哲学の面ではアリストテレスを筆頭に、ストア派の創始者のひとりでアソスの人、クレアンテスその他、気鋭の学者が集まり知的な活気に溢れる町として広く知られていました。紀元前2~3世紀のアソスはペルガモン王国の支配下に入っています。
アソスの発掘調査は19世紀後半に始められ、古代ギリシァ世界でも屈指といえる立派な防壁(紀元前4世紀)の跡が確認されました。アクロポリスの最も高い場所にあったアテナ神殿は前530年前後にドーリア式神殿として建立されましたが、後にイオニア式も採り入れたそうです。長道が13本、短道が6本の柱が並ぶ細長い建物で、その土台床は今も残っています。
アクロポリスの丘の斜面にそって、アゴラ(市場又は広場)、体育館や劇場の廃墟が目に入ります。アクロポリスの北に建つモスクは、オスマン初期の14世紀、ムラト一世時代のものです。


アソスの最初の住民もレスボスから渡ってきたギリシァ人でした。紀元前6世紀、このあたりはクロエソスのリディア王国の統治下にありましたが、クロエソスがキュロスに敗れた結果、アソスはペルシァ帝国のフリギア・ヘレスポントス州に組み込まれました。
紀元前4世紀頃のアソスでは学問が盛んでした。特に、哲学の面ではアリストテレスを筆頭に、ストア派の創始者のひとりでアソスの人、クレアンテスその他、気鋭の学者が集まり知的な活気に溢れる町として広く知られていました。紀元前2~3世紀のアソスはペルガモン王国の支配下に入っています。
アソスの発掘調査は19世紀後半に始められ、古代ギリシァ世界でも屈指といえる立派な防壁(紀元前4世紀)の跡が確認されました。アクロポリスの最も高い場所にあったアテナ神殿は前530年前後にドーリア式神殿として建立されましたが、後にイオニア式も採り入れたそうです。長道が13本、短道が6本の柱が並ぶ細長い建物で、その土台床は今も残っています。
アクロポリスの丘の斜面にそって、アゴラ(市場又は広場)、体育館や劇場の廃墟が目に入ります。アクロポリスの北に建つモスクは、オスマン初期の14世紀、ムラト一世時代のものです。
名称 | アッソス遺跡(Assos Ruins) |
住所 | Behramkale Köyü, 17860 Behram, Ayvacık- Çanakkale /Turkey |
休館日 | 無し ※砂糖祭と犠牲祭の初日は13:00より開館 |
営業時間 | 8:30~19:00(4月から10月)、8:30~17:00(11月から3月) ※チケット売り場は30分早く閉まります。 |
入場料 | 25 TL(約340円)、8歳未満の子供は無料。 |
所要時間 | 約1時間 |