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トルコの世界遺産

トルコの世界遺産トロイのご紹介


ドイツの商人ハインリヒ・シュリーマンは古代都市トロイを発見しギリシア人の妻ソフィア(1870~1890)と共に発掘事業を続行した。1873年、遂に彼はトロイ第2都市の財宝を発見し、これをベルリンに送ったが第二次世界大戦の際に行方不明となったままである。
トロイ(トゥルワ)

チャナッカレの南30kmにはトロイ戦争やホメーロスの「イリアド」「オデッセイ」の舞台となったヒサールルクの丘がある。トロイ戦争はトロイ王の末息子パリスがスパルタ王メネラオスの美貌の妻ヘレナを誘惑し国に連れ去った事に端を発する。これを名誉に関わる問題としたメネラオスや彼の兄弟アガメムノンそして忠臣達はトロイに宣戦布告をし、10年間続いたトロイ戦争はトロイの滅亡で暮を閉じる事となる。それから約3世紀後のB.C.9世紀、スミルナの詩人ホメーロスがこの事実を基に神々や王、トロイの英雄達の壮大な叙事詩を書き上げたのである。しかしトロイ戦争の真相は美貌のヘレナ誘拐と言うよりもダーダネルス海峡の支配権をめぐってのものと言うのが正確であろう。古代から非常に肥沃な土地であった黒海沿岸に植民地建設を痛切に望んだギリシア人は収益を自国に輸送する為の安全な経路として是非とも海峡を確保したかったのである。その為にダーダネルスを押えているトロイとの戦いは回避できないものであった。発掘によってトロイの遺跡は主となる9つの層から構成されている事が明白となっている。トロイは1998年に世界遺産に登録された。


詳しくは右側のトロイ旅行・観光の案内ビデオをご覧になってください。 → → →
 
1分50秒

第1都市(3,000~2,600 B.C.)‥粗いレンガ造りの簡素な住居跡が直径100mの範囲に見られる。
火災によって滅びた都市である。第2都市(2,600~2,300 B.C.):居住区の外観はより立派で進歩の跡が見られる。1873年にH.シュリーマンがこの層から発見した武器、鋼製品、宝石、金の品々など先史時代からのトロイの財宝はべルリン博物館に展示されている。高度な文化を創造したこの都市はB.C.3世紀の大火で滅亡した。


第3.4.5都市(2,300~1,900 B.C.)トロイの衰退期にあたる層と見なされている。第6都市(1,900~1,300 B.C.):直径200mに及ぶ。長さ350m、幅45m、高さ9mの強固な城壁は今日でも非常に良好な状態を保っている。
B.C.1300年の大地震によって崩壊している。
第7都市-A(1,300~1,200 B.C.):トロイ戟争が勃発した時期である。第7都市-B(1,200~900 B.C.)都市の滅亡の後、ここはフリギアの植民地となった。第8都市(900~350 B.C.):アイオリス系のギリシア人が居住した時期である。クセルクセスはここを訪問した際に1000頭以上の雄牛を犠牲に捧げている。
第9都市(350 B.C.~400 A.D.):B.C.334年、アレクサンダー大王はトロイを訪ね、巨大なアテネ神殿建設を命じたが完成は彼の右腕リシマコスの時代に実現した。ローマ時代、皇帝アウグストスは神殿の再建を実施している。124年に皇帝トラヤヌスはここを訪問している。

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