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ギリシャ神話の英雄アキレウスとは?トロイア戦争やアキレス腱とのつながりも紹介
ギリシャ神話に登場する英雄アキレウスは不死身の肉体を持ち、神から与えられた武器で多くの敵を倒すなど無敵の強さを誇りました。まるでゲームのキャラクターのようですが、アキレウスは紀元前8世紀頃にギリシャの吟遊詩人ホメロスが書いた叙事詩「イリアス」の主人公です。
そしてアキレウスの物語は、古代ギリシャから世界中に広まりました。現代ではドラマや映画も作られており、2004年公開のハリウッド映画「TROY」ではブラッド・ピットが主人公アキレウスを演じました。ここではアキレウスの生涯やトロイア戦争での活躍、アキレス腱の由来となった有名なエピソードなどを紹介します。
ギリシャ神話の英雄アキレウスは、ギリシャ連合軍の武将としてトロイア戦争で活躍しました。アキレウス(Achilleus)という呼び名は古代ギリシャ語の読み方であり、ラテン語ではアキレス(Achilles)と呼ばれます。日本ではアキレスという呼び名のほうが浸透しているかもしれません。
アキレウスは武力に秀でていたほか、足が速かったとされています。1人で戦況を変えるほどの圧倒的な力を持ち、トロイア戦争では敵の武将を数多く討ち取りました。ギリシャ軍でもっとも強い英雄とされ、ほかの武将たちがアキレウスの後継者になりたいと考えるほどでした。
しかしトロイア戦争の終盤には、ギリシャ連合軍の総大将アガメムノーンから理不尽な仕打ちを受けて激怒し、戦闘参加を拒否します。その後、アガメムノーンから謝罪の言葉と財宝の提供を受けますが、アキレウスは許しません。自分の態度を貫き通す頑固な一面を持っているといえるでしょう。一方で、息子を亡くしたトロイア王に対し、自分も親友を失った経験から共感して涙を流すという場面も描かれています。
トロイア戦争の終盤、アキレウスは唯一の弱点である足のかかとに矢を受けて亡くなってしまいます。活躍の期間は短いですが、アキレウスの雄姿は人々の印象に強く残り、その後多くの絵画や壺のデザインに使われるなどギリシャ美術に大きな影響を与えました。
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ここではアキレウスの生涯について紹介します。ギリシャ軍最強の英雄アキレウスですが、誕生から亡くなるまでの運命はオリンポスの最高神ゼウスによって握られていました。
そしてゼウスは、ティティスを武力に秀でた人間と結婚させ、生まれた子どもを戦争で利用しようと考えます。ゼウスは増えすぎた人口を減らすための大きな戦争を計画しており、そこで活躍する英雄を探していたのです。そしてティティスはミュルミドーン人の王ペーレウスと結婚することになり、2人の間にアキレウスが生まれました。
アキレウスが赤ん坊のころ、母ティティスは息子の身体を冥界の川ステュクスに浸し、不死にしようとしました。身体の大部分が不死となったアキレウスですが、母に掴まれていた左足首だけは川に浸らなかったため、不死の効果を得られませんでした。
別の説では、不死の効力を持つ神々の食べ物アムブロシアーを身体に塗ったほか、人間の身体でなくなるよう毎晩火で焼き払っていたとされています。しかし、足首より下の部分が火に焼けてしまったため、巨人の足を移植することになりました。そして移植した部分にはアムブロシアーが塗られなかったたため、足首より下は不死にならなかったとされているのです。
アキレウスには多くの兄弟がいました。しかし、母ティティスが子どもを不死にすべく過激な儀式を行なったため、アキレウス以外はみんな亡くなってしまいます。夫ペーレウスがその行為を怒った結果、ティティスは1人で海へと帰りました。
残されたペーレウスは自分だけでアキレウスを育てるのは難しいと考え、以前自分を助けてくれたケイローンを頼ります。ケイローンは、ペリオン山に住んでいるケンタウロス(上半身が人間で下半身が馬の半人半獣)です。アキレウスは生まれ故郷のプティアを離れ、ケイローンのもとで育てられることになりました。
ケイローンは医術や狩猟、戦闘、音楽などに長けており、さまざまな知識をアキレウスに授けました。ケイローンがアキレウスを教育する場面は、後世における数多くの絵画やフレスコ画の題材となっています。
海で暮らしていた母ティティスは、ある日神託(神のお告げ)を受けます。それは、アキレウスが戦争に参加した場合、若くして死んでしまうというものでした。息子の身を案じたティティスは、アキレウスの身元を隠すことにします。そしてスキューロス島のリュコメーデース王に、女装したアキレウスを女性として育てるよう依頼しました。
リュコメーデース王は依頼を受け入れたため、アキレウスは名前を変え、王宮内で王の娘たちとともに女性として育てられることになります。やがて、アキレウスはリュコメーデース王の娘の1人デーイダメイアと恋仲になり、2人の間に子供が生まれます。
そしてトロイア戦争の開戦が近づきます。ギリシャの預言者カルカスは、トロイア王国を陥落させるにはアキレウスの力が必要であると予言しました。ギリシャの知将オデュッセウスは、アキレウスがスキューロス島にいるとの情報を入手し、探しにいきます。
オデュッセウスは婦人服や宝飾品を売る行商人に変装し、島にいる女性たちの前に商品を広げました。商品のなかには、武具である盾と槍も陳列されています。女性たちは衣服や宝石に夢中ですが、女装したアキレウスだけが槍に興味を持ち、手に取りました。
これによってオデュッセウスは変装を見破り、アキレウスに対してトロイア戦争に参戦するよう説得します。平穏な生活に飽きていたアキレウスは、英雄としての名誉を得るため戦争への参加を決意します。
アキレウスは親友パトロクロスとともに、ミュルミドーン人兵士が乗った50隻の船を率いてトロイアに到着しました。アキレウスは、勇猛果敢なミュルミドーン兵とともに獅子奮迅の活躍を見せます。そしてトロイアの周辺同盟国を次々と陥落させ、数多くの敵将を討ち取りました。
優位に戦いを進めるギリシャ連合軍において果たした役割は大きく、アキレウスが戦闘から離脱するとたちまち形勢が逆転されるほどでした。
そして、ついにアキレウスはトロイア軍の総大将ヘクトールを一騎打ちの末に討ち取ります。パトロクロスはヘクトールによって討ち取られていたため、アキレウスは親友の仇を取ったことになります。
復讐を果たしたアキレウスは、ヘクトールの遺体を戦車に結び付けて引きずり回します。しかし遺体の返還を懇願したトロイア王プリアモスに同情したアキレウスは、ヘクトールの遺体を返します。そして、パトロクロスとヘクトールの葬儀のために休戦協定が結ばれました。アキレウスは親友を弔うための葬礼競技を開催し、勝者に豪華な賞品を与えました。
アキレウスは敵を深追いし、トロイア城壁の前へとやってきました。そこでヘクトールの弟であるパリスが放った毒矢をかかとに受け、亡くなってしまいます。母ティティスは神託のとおり、息子が若くして亡くなったことを嘆き悲しみます。アキレウスの死を弔う葬礼競技大会が開かれ、アキレウスの遺体は火葬ののち埋葬されました。
トロイア戦争におけるアキレウスの活躍には、具体的なエピソードが数多く存在します。ちなみに有名な「トロイアの木馬」については、アキレウスの死後に発案された作戦であるため、アキレウスは関わっていません。
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傷を治すためには槍の力が必要との神託を受けたテーレポスは、アキレウスを探し出します。アキレウスは傷を治す代わりに、トロイアへの航路を教えるようテーレポスに要求します。槍の破片を傷口に落とすことでテーレポスの太ももを治したあと、案内を受けたアキレウスはギリシャ軍とともに無事トロイアへと到着したのです。
親友パトロクロスを殺されたアキレウスは、トロイア軍の総大将ヘクトールに復讐を誓います。ヘクトールも戦いを決意しますが、アキレウスの気迫に恐怖し、トロイア城壁を3周ほど逃げ回りました。そして最終的には一騎打ちにより、アキレウスによって倒されます。ヘクトールの敗北により、トロイア軍の士気は一気に下がることとなりました。
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オリンポスの最高神ゼウスは、地上に人間が増えすぎたことを危惧していました。秩序の神テミスへの相談を経て、戦争を起こすことで人間を減らそうと計画します。
そこでエリスは「もっとも美しい女神へ」と書かれた黄金のリンゴを投げ入れます。ヘーラー、アーテナー、アフロディテという3人の女神は、リンゴが自分宛であるとそれぞれ主張しました。結論を出せない神々は、トロイアの王子パリスに決めさせるため女神3人を彼のもとへ連れていきます。そして、パリスはもっとも美しい女神としてアフロディテを選んだのでした。
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スパルタ王国を訪れたパリスは、トロイア王子としてメネラーオスとヘレネーに謁見します。そして、アフロディテの手助けによってパリスとヘレネーは恋仲になり、メネラーオスが不在の間にパリスはトロイア王国にヘレネーを連れて帰ります。憤慨したメネラーオスは、兄であるミケーネ王のアガメヌノーンに相談し、かつてのヘレネーの求婚者たちを招集してトロイアに攻め込むことを決めました。
ギリシャ軍は膠着状態を打開するための作戦を考え出します。全軍が撤退したふりをして、ギリシャへの帰路の安全を祈るため、神への贈り物として巨大な木馬(トロイアの木馬)を作りました。そして、トロイア兵はギリシャ軍の陣地に残されていた木馬を城内に持ち帰ってしまうのです。木馬の胴体にはギリシャの武将たちが隠れており、計画どおり城内への侵入を成功させました。
夜になると、武将たちは木馬から飛び出していきます。そして戦争の勝利を祝って酔いつぶれていたトロイア兵を倒し、城門を開け放ちました。隠れていたギリシャ軍が城内になだれ込み、王宮に火を放ったことでトロイアを一晩のうちに陥落させました。こうしてギリシャ連合軍の勝利で戦争は終わりを迎えます。
ゼウスの策略どおり、多くの人間がトロイア戦争で犠牲となりました。
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アキレウスは母ティティスより不死身の身体を与えられ、戦場で活躍しました。しかし、特別なのは身体だけでなく、装備している武具も神々の加護を受けたものでした。アキレウスの活躍を支えた数々の武具を紹介します。
ほとんどの部分が金と銀でできていることから、重量のある盾です。円形の盾には、以下の第1層から第5層のデザインが同心円状に描かれています。
新しい鎧は俊足のアキレウスのため軽量でありながら、十分な強度を備えます。アキレウスの死後には、葬礼競技の勝者オデュッセウスの手に渡りました。そして最終的には、アキレウスの息子ネオプトレモスに渡されました。
征服した街で手に入れたペーダソスという馬もいましたが、不死でなかったため敵の投げ槍を受けて死んでしまいました。アキレウスの戦車を扱えるのは、アキレウス本人と馬の世話をしていた親友パトロクロスの2人だけです。
トロイア戦争を舞台とした物語には、神々や英雄たちによるさまざまなエピソードが存在します。アキレウスと関係が深く、彼の感情や行動に影響を与えた人物たちを紹介します。
アキレウスより年上のパトロクロスは、その親切な態度や賢明な行動によってアキレウスの模範となります。トロイア戦争への参戦をアキレウスが決意すると、パトロクロスもアキレウスの副官として出征することを決めました。
アキレウスがギリシャ軍の総大将アガメヌノーンに激怒して戦闘をボイコットした際、ギリシャ軍は劣勢に立たされました。ギリシャの武将たちが説得しますが、アキレウスは考えを変えません。パトロクロスはアキレウスの武具と戦車を借り、ミュルミドーン兵を率いて出陣することを決意します。アキレウスは、ギリシャ船団に迫っているトロイア兵を撃退したらすぐに引き上げるよう、パトロクロスに強く忠告しました。
アキレウスの出陣と勘違いしたトロイア軍は動転したうえ、パトロクロスが敵将サルペドンを討ち取ったこともあり、撤退します。パトロクロスはアキレウスの忠告を忘れ、敵を深追いしてトロイア城壁まで来てしまいました。城壁を守る太陽神アポローンに攻撃されたパトロクロスは、最終的にヘクトールの槍によって殺されます。そして、アキレウスから借りた鎧はヘクトールに奪われてしまいました。
しかし、親友を殺され憤慨したアキレウスによってヘクトールはすぐに討ち取られます。復讐を果たした夜、アキレウスのもとにパトロクロスの亡霊が現れ、自分の遺体を火葬してアキレウスと同じ骨壺に納めるよう頼みました。望みどおりパトロクロスの遺体は火葬され、黄金の骨壺に骨が納められました。
しかし、ギリシャ軍の総大将アガメヌノーンが理不尽な理由でアキレウスからブリーセーイスを奪い取ります。怒ったアキレウスは戦争への参加を拒否しました。アキレウスの代わりに参戦したパトロクロスは、その戦いで亡くなってしまいます。
パトロクロスの復讐のためアキレウスは出陣を決意し、ブリーセーイスもアキレウスのもとに返されることとなりました。アキレウスはブリーセーイスを妻と呼び、ほかの捕虜とは異なる特別な感情を持っていました。
パトロクロスは生前、ブリーセーイスがアキレウスの捕虜ではなく、正式に妻となれるよう手助けすると語っています。パトロクロスが亡くなったことで、アキレウスはその死を嘆くとともにパトロクロスの手助けがない将来に不安を抱きました。結局、アキレウスもその後に亡くなってしまったため、ブリーセーイスが正式な妻となることはありませんでした。
ネオプトレモスはスキューロス島で暮らしていましたが、神託によりギリシャ軍の一員としてトロイア戦争に参加することになります。そしてオデュッセウスがネオプトレモスを迎えにいき、アキレウスの武具を与えました。
アキレウスの死後、ネオプトレモスの参戦はギリシャ軍にとって希望の光となりました。ネオプトレモスは、トロイアの武将エウリュピュロスを討ち取るなど父譲りの活躍をみせます。トロイア陥落時にはトロイアの木馬に乗り込み、トロイア王プリアモスやヘクトールの子どもを殺害しました。
戦争の終結後、ネオプトレモスは未亡人となっていたヘクトールの元妻アンドロマケーを連れてイピロスに向かい、王となりました。アレキサンダー大王の母オリュンピアスはイピロス王家の出身であるため、アキレウスがアレキサンダー大王の祖先といわれています。
エチオピア王メムノーンがトロイアの援軍として駆けつけた戦いのなか、アンティロコスは動けなくなった父をかばってメムノーンに殺されてしまいます。アンティロコスの死に憤慨したアキレウスは、メムノーンを討ち取って復讐を果たしました。アキレウスの死後、アンティロコスはアキレウスやパトロクロスと同じ墓に埋葬されました。
イリアス(イーリアス)とは、盲目の吟遊詩人ホメロスによって作られたギリシャの英雄叙事詩です。紀元前8世紀頃にホメロスが歌ったイリアスは、口頭伝承されていたものがのちに書写されました。
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編集により、紀元前2世紀ごろには全24巻、1万5,639行におよぶ叙事詩となりました。イリアスはギリシャ最古の叙事詩の1つでありながら、最高傑作の1つともされています。後世のギリシャやヨーロッパにおける文学作品に大きな影響を与えました。
10年間続いたトロイア戦争について、イリアスでは戦争終盤にあたる10年目の50日間が歌われています。ギリシャの英雄アキレウスが自軍の総大将アガメヌノーンに怒っている場面で始まり、アキレウスの親友パトロクロスとトロイア軍の総大将ヘクトールの葬儀が行なわれる場面で終わります。
イリアスは日本語書籍も出版されていますが、トロイア戦争については途中の部分のみが描かれているため、理解が難しいかもしれません。トロイア戦争の全容を知ることでより深く理解できるため、トロイア戦争関連の書籍とあわせて読むのがおすすめです。
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東方遠征中にアナトリア(現在のトルコのアジア側)に上陸した際には、少人数の部隊を連れてトロイに立ち寄り、アキレウスの墓に献花を行ないました。そしてアレクサンドロスの友人へファイスティオンは、アキレウスの親友パトロクロスの墓に献花を行ないます。アキレウスとパトロクロスは友情を超えた関係にあったといわれ、アレクサンドロスとへファイスティオンも同様だったと考えられています。
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ホメロスの叙事詩イリアスに影響を受けていますが、ギリシャ神話をそのまま戯曲にしたのではなく、中世の要素も取り入れて作られたのが特徴です。
主人公のトロイラスはトロイア王の息子で、トロイアの神官カルカスの娘クレシダと恋に落ちます。しかしカルカスがギリシャ側についたため、2人が離ればなれになってしまうという悲劇の物語です。また、ギリシャ軍とトロイア軍による戦争の描写が多く描かれています。
喜劇の要素を含んでいることが観客の理解を難しくしており、シェイクスピアによる問題劇の1つに数えられています。そのため20世紀初頭まで、「トロイラスとクレシダ」のオリジナルが演じられることはほとんどなかったようです。
ハインリヒ・シュリーマンは事業で成功を納めた後、考古学者に転身しました。シュリーマンは、幼少期にイリアスなどの神話や世界史の本を父親に読んでもらい、アキレウスたち英雄の活躍を心躍らせながら聞いていました。自伝によると、そのころにトロイア王国や古代ギリシャの都市発見に興味を抱き始めたようです。
イリアスは神話であるため、長い間トロイア王国は実在しないと考えられていました。しかし、1871年にトルコ北西部ヒサルルクの丘でシュリーマンが行なった発掘作業により、9層からなる都市遺構が発見されました。それこそがトロイ遺跡だったのです。この発掘は世界中に衝撃を与え、シュリーマンは古代ギリシャ文明の解析に大きく貢献しました。
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日本でもおなじみのエピソードから意外な人物まで、アキレウスに由来するさまざまなものを紹介します。
俊足のアキレウスと足の遅い亀が徒競走を行なう場合、亀がハンデをもらってスタート地点を先に設定すると、アキレウスは亀に追いつけないという論理です。アキレウスが亀のスタート地点に着くころには、亀はそこから少し前進しており、その前進した場所にアキレウスが着くころには亀はまた少し進んでいるため、アキレウスは決して亀に追いつけないのだとされています。
上記のように、「アキレスと亀」は不合理だとはわかっていても容易に論破できない主張を表す言葉として使われます。
バチカン美術館に収蔵されている赤像式アンフォラには、鎧を着て槍を持つアキレウスが黒地に赤色で描かれています。ほかにも白地に黒色で描いた白地レキュトス(小瓶)など、200点近くの作品が残されています。
そしてアキレウスの物語は、古代ギリシャから世界中に広まりました。現代ではドラマや映画も作られており、2004年公開のハリウッド映画「TROY」ではブラッド・ピットが主人公アキレウスを演じました。ここではアキレウスの生涯やトロイア戦争での活躍、アキレス腱の由来となった有名なエピソードなどを紹介します。
目次
ギリシャ神話の英雄アキレウスとは
ギリシャ神話の英雄アキレウスは、ギリシャ連合軍の武将としてトロイア戦争で活躍しました。アキレウス(Achilleus)という呼び名は古代ギリシャ語の読み方であり、ラテン語ではアキレス(Achilles)と呼ばれます。日本ではアキレスという呼び名のほうが浸透しているかもしれません。
アキレウスは武力に秀でていたほか、足が速かったとされています。1人で戦況を変えるほどの圧倒的な力を持ち、トロイア戦争では敵の武将を数多く討ち取りました。ギリシャ軍でもっとも強い英雄とされ、ほかの武将たちがアキレウスの後継者になりたいと考えるほどでした。
しかしトロイア戦争の終盤には、ギリシャ連合軍の総大将アガメムノーンから理不尽な仕打ちを受けて激怒し、戦闘参加を拒否します。その後、アガメムノーンから謝罪の言葉と財宝の提供を受けますが、アキレウスは許しません。自分の態度を貫き通す頑固な一面を持っているといえるでしょう。一方で、息子を亡くしたトロイア王に対し、自分も親友を失った経験から共感して涙を流すという場面も描かれています。
トロイア戦争の終盤、アキレウスは唯一の弱点である足のかかとに矢を受けて亡くなってしまいます。活躍の期間は短いですが、アキレウスの雄姿は人々の印象に強く残り、その後多くの絵画や壺のデザインに使われるなどギリシャ美術に大きな影響を与えました。
人間味満載な神々と英雄のギリシャ神話は超面白い!あらすじや伝説を紹介 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
アキレウスの生涯
ここではアキレウスの生涯について紹介します。ギリシャ軍最強の英雄アキレウスですが、誕生から亡くなるまでの運命はオリンポスの最高神ゼウスによって握られていました。
神々の思惑が絡んだ出生
アキレウスは、ミュルミドーン人の王ペーレウスと海の女神ティティスの間に生まれました。もともとはゼウスとポセイドンがティティスの夫の座を狙っていましたが、女神テミスによって「ティティスの子どもは父親より偉大になる」という予言が発せられました。自分の立場が息子に脅かされることを懸念したゼウスとポセイドンは、ティティスから手を引きます。そしてゼウスは、ティティスを武力に秀でた人間と結婚させ、生まれた子どもを戦争で利用しようと考えます。ゼウスは増えすぎた人口を減らすための大きな戦争を計画しており、そこで活躍する英雄を探していたのです。そしてティティスはミュルミドーン人の王ペーレウスと結婚することになり、2人の間にアキレウスが生まれました。
ケイローンに教育を受けた幼少期
アキレウスが赤ん坊のころ、母ティティスは息子の身体を冥界の川ステュクスに浸し、不死にしようとしました。身体の大部分が不死となったアキレウスですが、母に掴まれていた左足首だけは川に浸らなかったため、不死の効果を得られませんでした。
別の説では、不死の効力を持つ神々の食べ物アムブロシアーを身体に塗ったほか、人間の身体でなくなるよう毎晩火で焼き払っていたとされています。しかし、足首より下の部分が火に焼けてしまったため、巨人の足を移植することになりました。そして移植した部分にはアムブロシアーが塗られなかったたため、足首より下は不死にならなかったとされているのです。
アキレウスには多くの兄弟がいました。しかし、母ティティスが子どもを不死にすべく過激な儀式を行なったため、アキレウス以外はみんな亡くなってしまいます。夫ペーレウスがその行為を怒った結果、ティティスは1人で海へと帰りました。
残されたペーレウスは自分だけでアキレウスを育てるのは難しいと考え、以前自分を助けてくれたケイローンを頼ります。ケイローンは、ペリオン山に住んでいるケンタウロス(上半身が人間で下半身が馬の半人半獣)です。アキレウスは生まれ故郷のプティアを離れ、ケイローンのもとで育てられることになりました。
ケイローンは医術や狩猟、戦闘、音楽などに長けており、さまざまな知識をアキレウスに授けました。ケイローンがアキレウスを教育する場面は、後世における数多くの絵画やフレスコ画の題材となっています。
平穏な暮らしを送った青年期
海で暮らしていた母ティティスは、ある日神託(神のお告げ)を受けます。それは、アキレウスが戦争に参加した場合、若くして死んでしまうというものでした。息子の身を案じたティティスは、アキレウスの身元を隠すことにします。そしてスキューロス島のリュコメーデース王に、女装したアキレウスを女性として育てるよう依頼しました。
リュコメーデース王は依頼を受け入れたため、アキレウスは名前を変え、王宮内で王の娘たちとともに女性として育てられることになります。やがて、アキレウスはリュコメーデース王の娘の1人デーイダメイアと恋仲になり、2人の間に子供が生まれます。
そしてトロイア戦争の開戦が近づきます。ギリシャの預言者カルカスは、トロイア王国を陥落させるにはアキレウスの力が必要であると予言しました。ギリシャの知将オデュッセウスは、アキレウスがスキューロス島にいるとの情報を入手し、探しにいきます。
オデュッセウスは婦人服や宝飾品を売る行商人に変装し、島にいる女性たちの前に商品を広げました。商品のなかには、武具である盾と槍も陳列されています。女性たちは衣服や宝石に夢中ですが、女装したアキレウスだけが槍に興味を持ち、手に取りました。
これによってオデュッセウスは変装を見破り、アキレウスに対してトロイア戦争に参戦するよう説得します。平穏な生活に飽きていたアキレウスは、英雄としての名誉を得るため戦争への参加を決意します。
英雄の名声を得るトロイア戦争
アキレウスは親友パトロクロスとともに、ミュルミドーン人兵士が乗った50隻の船を率いてトロイアに到着しました。アキレウスは、勇猛果敢なミュルミドーン兵とともに獅子奮迅の活躍を見せます。そしてトロイアの周辺同盟国を次々と陥落させ、数多くの敵将を討ち取りました。
優位に戦いを進めるギリシャ連合軍において果たした役割は大きく、アキレウスが戦闘から離脱するとたちまち形勢が逆転されるほどでした。
そして、ついにアキレウスはトロイア軍の総大将ヘクトールを一騎打ちの末に討ち取ります。パトロクロスはヘクトールによって討ち取られていたため、アキレウスは親友の仇を取ったことになります。
復讐を果たしたアキレウスは、ヘクトールの遺体を戦車に結び付けて引きずり回します。しかし遺体の返還を懇願したトロイア王プリアモスに同情したアキレウスは、ヘクトールの遺体を返します。そして、パトロクロスとヘクトールの葬儀のために休戦協定が結ばれました。アキレウスは親友を弔うための葬礼競技を開催し、勝者に豪華な賞品を与えました。
不死身の英雄の死去
休戦協定が明けたあと、アキレウスはトロイア王国への援軍を次々と打ち倒します。トロイア戦争において数多くの敵を倒したアキレウスは、ゼウスの思惑どおり人口減少に十分な貢献をしたと判断されます。そして役割を終えたとみなされ、死が与えられることになるのです。アキレウスは敵を深追いし、トロイア城壁の前へとやってきました。そこでヘクトールの弟であるパリスが放った毒矢をかかとに受け、亡くなってしまいます。母ティティスは神託のとおり、息子が若くして亡くなったことを嘆き悲しみます。アキレウスの死を弔う葬礼競技大会が開かれ、アキレウスの遺体は火葬ののち埋葬されました。
トロイア戦争におけるアキレウスの活躍
トロイア戦争におけるアキレウスの活躍には、具体的なエピソードが数多く存在します。ちなみに有名な「トロイアの木馬」については、アキレウスの死後に発案された作戦であるため、アキレウスは関わっていません。
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ミューシアでの戦い
ギリシャ連合軍がトロイア王国に攻め込む際、誤ってミューシアという都市を攻撃しました。ミューシアの王テーレポスはギリシャ軍と果敢に戦い、撤退に追い込みます。しかし、撤退の際にアキレウスが槍で反撃し、テーレポスは太ももに重傷を負ってしまいました。傷を治すためには槍の力が必要との神託を受けたテーレポスは、アキレウスを探し出します。アキレウスは傷を治す代わりに、トロイアへの航路を教えるようテーレポスに要求します。槍の破片を傷口に落とすことでテーレポスの太ももを治したあと、案内を受けたアキレウスはギリシャ軍とともに無事トロイアへと到着したのです。
トロイロスの殺害
トロイア王プリアモスの末子であるトロイロスは、少年でありながらその聡明さによって国の重要な指導者の1人となっていました。そして、トロイロスがもし20歳まで生きていれば、トロイア王国は陥落しないという予言が存在していました。アキレウスはトロイロスが城外に出てくるのを待ち伏せて殺害し、予言の的中を見事に阻止したのです。トロイア周辺国の攻略
トロイア王国の堅牢な城壁は攻略困難であったため、アキレウスは周辺の同盟国を先に攻めました。そして11の都市と12の島を征服したといわれています。また、これらの都市から多くの財宝や捕虜をギリシャ陣営に持ち帰りました。トロイア総大将ヘクトールとの一騎打ち
親友パトロクロスを殺されたアキレウスは、トロイア軍の総大将ヘクトールに復讐を誓います。ヘクトールも戦いを決意しますが、アキレウスの気迫に恐怖し、トロイア城壁を3周ほど逃げ回りました。そして最終的には一騎打ちにより、アキレウスによって倒されます。ヘクトールの敗北により、トロイア軍の士気は一気に下がることとなりました。
アマゾネスの女王ペンテシレイアとの一騎打ち
トロイア軍の援軍として駆けつけたアマゾネスの女王ペンテシレイアは、その活躍によってギリシャ軍の勢いを失わせます。そこでアキレウスはペンテシレイアとの一騎打ちを行ない、倒したのでした。瀕死のペンテレシアを見たアキレウスは、その美しさから戦ったことを後悔し、嘆き悲しみます。さらに、その姿を見て笑ったギリシャ兵を殺してしまいました。勇猛果敢な女戦士アマゾネスは実在した?トルコの黒海沿いに住んでいた民族 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
エチオピアの王であるメムノーンへの復讐
プリアモス王の義兄弟にあたるエチオピア王メムノーンは、トロイア軍に加勢しました。勇猛果敢なメノムーンは、アキレウスの友人アンティロコスを討ち取ります。怒りで我を忘れたアキレウスはメノムーンを討ち取り、アンティロコスの復讐を果たしました。そもそもトロイア戦争とは?発端から終結までを紹介
トロイア戦争は、ギリシャ連合軍がトロイア王国に攻め込んだことが発端となっています。戦争は紀元前1260年~紀元前1180年頃に起き、10年間という長期にわたって続いたと考察されています。トルコ北西部にあるトロイ遺跡が舞台となりました。最高神ゼウスの策略
オリンポスの最高神ゼウスは、地上に人間が増えすぎたことを危惧していました。秩序の神テミスへの相談を経て、戦争を起こすことで人間を減らそうと計画します。
戦争の発端となった「パリスの審判」
ミュルミドーン人の王ペーレウスと海の女神ティティスの結婚式には、オリンポスのすべての神々が招待され、2人の結婚を祝福しました。しかし、不和と争いの女神エリスだけは、会場に入ることが許されません。そこでエリスは「もっとも美しい女神へ」と書かれた黄金のリンゴを投げ入れます。ヘーラー、アーテナー、アフロディテという3人の女神は、リンゴが自分宛であるとそれぞれ主張しました。結論を出せない神々は、トロイアの王子パリスに決めさせるため女神3人を彼のもとへ連れていきます。そして、パリスはもっとも美しい女神としてアフロディテを選んだのでした。
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トロイア戦争の開始
パリスはアフロディテを選んだ見返りとして、絶世の美女ヘレネーを与えられると約束されていました。しかし、ヘレネーはスパルタ王メネラーオスの妃です。美しいヘレネーに対してギリシャ中から求婚者がスパルタ王国に集まり、最終的にメネラーオスがヘレネーの夫として選ばれていたのです。スパルタ王国を訪れたパリスは、トロイア王子としてメネラーオスとヘレネーに謁見します。そして、アフロディテの手助けによってパリスとヘレネーは恋仲になり、メネラーオスが不在の間にパリスはトロイア王国にヘレネーを連れて帰ります。憤慨したメネラーオスは、兄であるミケーネ王のアガメヌノーンに相談し、かつてのヘレネーの求婚者たちを招集してトロイアに攻め込むことを決めました。
戦況の膠着と英雄たちの戦死
堅牢な城壁を持つトロイア王国は、ギリシャ連合軍の攻撃を耐え続けました。また、オリンポスの神々がそれぞれに加勢することで両軍の戦力が拮抗し、戦争は10年間続きます。その間、トロイア軍の総大将ヘクトールはギリシャのアキレウスによって討たれ、アキレウスもパリスの弓矢によって戦死してしまいます。さらにパリスもギリシャの武将によって倒されるなど、両軍で多くの戦死者が出ました。トロイアの木馬作戦による戦争終結
ギリシャ軍は膠着状態を打開するための作戦を考え出します。全軍が撤退したふりをして、ギリシャへの帰路の安全を祈るため、神への贈り物として巨大な木馬(トロイアの木馬)を作りました。そして、トロイア兵はギリシャ軍の陣地に残されていた木馬を城内に持ち帰ってしまうのです。木馬の胴体にはギリシャの武将たちが隠れており、計画どおり城内への侵入を成功させました。
夜になると、武将たちは木馬から飛び出していきます。そして戦争の勝利を祝って酔いつぶれていたトロイア兵を倒し、城門を開け放ちました。隠れていたギリシャ軍が城内になだれ込み、王宮に火を放ったことでトロイアを一晩のうちに陥落させました。こうしてギリシャ連合軍の勝利で戦争は終わりを迎えます。
ゼウスの策略どおり、多くの人間がトロイア戦争で犠牲となりました。
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アキレウスの武具
アキレウスは母ティティスより不死身の身体を与えられ、戦場で活躍しました。しかし、特別なのは身体だけでなく、装備している武具も神々の加護を受けたものでした。アキレウスの活躍を支えた数々の武具を紹介します。
トネリコの槍
アキレウスの武器「トネリコの槍」は、柄の部分に堅くてしなる世界樹トネリコを使った槍です。もともとケンタウロスのケイローンが所持しており、ペーレウスとティティスの結婚祝いの品として贈られました。その後2人の息子アキレウスが引き継ぎ、トロイア軍総大将ヘクトールなど多くの武将を討ち取る際に使われました。特別な槍のため、アキレウス以外には扱えないとされています。アキレウスの盾
アキレウスがヘクトールに復讐する際、母ティティスが鍛冶の神ヘーパイストスに製作を依頼したのが「アキレウスの盾」です。アキレウスの盾はホメロスの叙事詩イリアスの第18歌において、詳細に描写されています。ほとんどの部分が金と銀でできていることから、重量のある盾です。円形の盾には、以下の第1層から第5層のデザインが同心円状に描かれています。
- 第1層:大地、空と海、太陽と月、星座、宇宙
- 第2層:人間が住む街における婚礼行事や戦争
- 第3層:牛を使い耕作する農夫、王の畑での収穫、葡萄園
- 第4層:羊の放牧、牛を守る牛飼いと猟犬、踊る男女
- 第5層:大河オケアノスの流れ
アキレウスの鎧
アキレウスがパトロクロスに貸した鎧は、パトロクロスを討ち取ったヘクトールに奪われてしまいました。しかし、盾の製作と同じタイミングでヘーパイストスにより新しい鎧が作られました。新しい鎧は俊足のアキレウスのため軽量でありながら、十分な強度を備えます。アキレウスの死後には、葬礼競技の勝者オデュッセウスの手に渡りました。そして最終的には、アキレウスの息子ネオプトレモスに渡されました。
戦車(チャリオット)
2輪の台車を馬に引かせて走る古代ギリシャの戦車は、高い機動力と攻撃力を併せ持っていました。アキレウスの戦車を引くのは、クサントスとバリオスといういずれも不死身の馬でした。この2頭はポセイドンがペーレウスとティティスの結婚祝いの品として贈ったもので、その後父ペーレウスからアキレウスに与えられたのです。征服した街で手に入れたペーダソスという馬もいましたが、不死でなかったため敵の投げ槍を受けて死んでしまいました。アキレウスの戦車を扱えるのは、アキレウス本人と馬の世話をしていた親友パトロクロスの2人だけです。
アキレウスと関係が深い人物たち
トロイア戦争を舞台とした物語には、神々や英雄たちによるさまざまなエピソードが存在します。アキレウスと関係が深く、彼の感情や行動に影響を与えた人物たちを紹介します。
親友パトロクロス
パトロクロスは子供のころ、遊びの最中に怒って別の子供を殺してしまいます。そして父メノエティウスは、アキレウスの父ペーレウスのもとに息子を預けることにします。パトロクロスはアキレウスの兄弟のように育てられ、2人は仲良くなりました。アキレウスより年上のパトロクロスは、その親切な態度や賢明な行動によってアキレウスの模範となります。トロイア戦争への参戦をアキレウスが決意すると、パトロクロスもアキレウスの副官として出征することを決めました。
アキレウスがギリシャ軍の総大将アガメヌノーンに激怒して戦闘をボイコットした際、ギリシャ軍は劣勢に立たされました。ギリシャの武将たちが説得しますが、アキレウスは考えを変えません。パトロクロスはアキレウスの武具と戦車を借り、ミュルミドーン兵を率いて出陣することを決意します。アキレウスは、ギリシャ船団に迫っているトロイア兵を撃退したらすぐに引き上げるよう、パトロクロスに強く忠告しました。
アキレウスの出陣と勘違いしたトロイア軍は動転したうえ、パトロクロスが敵将サルペドンを討ち取ったこともあり、撤退します。パトロクロスはアキレウスの忠告を忘れ、敵を深追いしてトロイア城壁まで来てしまいました。城壁を守る太陽神アポローンに攻撃されたパトロクロスは、最終的にヘクトールの槍によって殺されます。そして、アキレウスから借りた鎧はヘクトールに奪われてしまいました。
しかし、親友を殺され憤慨したアキレウスによってヘクトールはすぐに討ち取られます。復讐を果たした夜、アキレウスのもとにパトロクロスの亡霊が現れ、自分の遺体を火葬してアキレウスと同じ骨壺に納めるよう頼みました。望みどおりパトロクロスの遺体は火葬され、黄金の骨壺に骨が納められました。
捕虜ブリーセーイス
ブリーセーイスは、アキレウスがリュルネーソスという都市を陥落させた際、家族を殺されたうえ捕虜にされました。アキレウスはブリーセーイスが優れた女性だとして気に入り、自分のそばに置きます。しかし、ギリシャ軍の総大将アガメヌノーンが理不尽な理由でアキレウスからブリーセーイスを奪い取ります。怒ったアキレウスは戦争への参加を拒否しました。アキレウスの代わりに参戦したパトロクロスは、その戦いで亡くなってしまいます。
パトロクロスの復讐のためアキレウスは出陣を決意し、ブリーセーイスもアキレウスのもとに返されることとなりました。アキレウスはブリーセーイスを妻と呼び、ほかの捕虜とは異なる特別な感情を持っていました。
パトロクロスは生前、ブリーセーイスがアキレウスの捕虜ではなく、正式に妻となれるよう手助けすると語っています。パトロクロスが亡くなったことで、アキレウスはその死を嘆くとともにパトロクロスの手助けがない将来に不安を抱きました。結局、アキレウスもその後に亡くなってしまったため、ブリーセーイスが正式な妻となることはありませんでした。
息子ネオプトレモス
女装したアキレウスがスキューロス島に隠れて暮らしていたとき、リュコメーデース王の娘の1人デーイダメイアと結婚して生まれた子供がネオプトレモスです。ネオプトレモスはスキューロス島で暮らしていましたが、神託によりギリシャ軍の一員としてトロイア戦争に参加することになります。そしてオデュッセウスがネオプトレモスを迎えにいき、アキレウスの武具を与えました。
アキレウスの死後、ネオプトレモスの参戦はギリシャ軍にとって希望の光となりました。ネオプトレモスは、トロイアの武将エウリュピュロスを討ち取るなど父譲りの活躍をみせます。トロイア陥落時にはトロイアの木馬に乗り込み、トロイア王プリアモスやヘクトールの子どもを殺害しました。
戦争の終結後、ネオプトレモスは未亡人となっていたヘクトールの元妻アンドロマケーを連れてイピロスに向かい、王となりました。アレキサンダー大王の母オリュンピアスはイピロス王家の出身であるため、アキレウスがアレキサンダー大王の祖先といわれています。
友人アンティロコス
ピュロス王ネストールの子アンティロコスは、父とともにトロイア戦争に参戦しました。非常に若いアンティロコスは足が速く、戦車を扱う技術に優れていました。パトロクロスを弔う葬礼競技においては、徒競走で3位、戦車レースで2位の成績を収めています。また容姿の美しさから、アンティロコスはアキレウスにとって親友パトロクロスに次ぐお気に入りの人物だといわれています。エチオピア王メムノーンがトロイアの援軍として駆けつけた戦いのなか、アンティロコスは動けなくなった父をかばってメムノーンに殺されてしまいます。アンティロコスの死に憤慨したアキレウスは、メムノーンを討ち取って復讐を果たしました。アキレウスの死後、アンティロコスはアキレウスやパトロクロスと同じ墓に埋葬されました。
アキレウスが主人公の叙事詩「イリアス」とは
イリアス(イーリアス)とは、盲目の吟遊詩人ホメロスによって作られたギリシャの英雄叙事詩です。紀元前8世紀頃にホメロスが歌ったイリアスは、口頭伝承されていたものがのちに書写されました。
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編集により、紀元前2世紀ごろには全24巻、1万5,639行におよぶ叙事詩となりました。イリアスはギリシャ最古の叙事詩の1つでありながら、最高傑作の1つともされています。後世のギリシャやヨーロッパにおける文学作品に大きな影響を与えました。
10年間続いたトロイア戦争について、イリアスでは戦争終盤にあたる10年目の50日間が歌われています。ギリシャの英雄アキレウスが自軍の総大将アガメヌノーンに怒っている場面で始まり、アキレウスの親友パトロクロスとトロイア軍の総大将ヘクトールの葬儀が行なわれる場面で終わります。
イリアスは日本語書籍も出版されていますが、トロイア戦争については途中の部分のみが描かれているため、理解が難しいかもしれません。トロイア戦争の全容を知ることでより深く理解できるため、トロイア戦争関連の書籍とあわせて読むのがおすすめです。
イリアスは不朽の名作!あらすじや要約、登場人物をわかりやすく解説 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
アキレウスの英雄伝に影響を受けた人物
ギリシャの吟遊詩人ホメロスによる叙事詩「イリアス」で歌われたアキレウスの活躍は、その後ヨーロッパ中に広がり、多くの人に影響を与えました。アキレウスを題材とした文学や絵画は数多く制作されています。アレクサンドロス大王
アレクサンドロスは、アキレウスの血を引く古代ギリシャのマケドニア王家に生まれました。13歳のとき、哲学者アリストテレスのもとで学んだ際にイリアスの写本を渡されたことがきっかけとなり、アキレウスに敬意を抱くようになります。アレクサンドロスは紀元前334年に開始した東方遠征によって、ペルシャやエジプト、中央アジア、インド北部を征服しました。東方遠征中にアナトリア(現在のトルコのアジア側)に上陸した際には、少人数の部隊を連れてトロイに立ち寄り、アキレウスの墓に献花を行ないました。そしてアレクサンドロスの友人へファイスティオンは、アキレウスの親友パトロクロスの墓に献花を行ないます。アキレウスとパトロクロスは友情を超えた関係にあったといわれ、アレクサンドロスとへファイスティオンも同様だったと考えられています。
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ウィリアム・シェイクスピア
シェイクスピアは、有名作品「ハムレット」の完成直後である1602年に「トロイラスとクレシダ」を書いたといわれています。「トロイラスとクレシダ」はトロイア戦争末期を舞台とした戯曲で、怒ったアキレウスが戦いを拒否する場面からトロイアの総大将ヘクトールを倒すまでが描かれています。ホメロスの叙事詩イリアスに影響を受けていますが、ギリシャ神話をそのまま戯曲にしたのではなく、中世の要素も取り入れて作られたのが特徴です。
主人公のトロイラスはトロイア王の息子で、トロイアの神官カルカスの娘クレシダと恋に落ちます。しかしカルカスがギリシャ側についたため、2人が離ればなれになってしまうという悲劇の物語です。また、ギリシャ軍とトロイア軍による戦争の描写が多く描かれています。
喜劇の要素を含んでいることが観客の理解を難しくしており、シェイクスピアによる問題劇の1つに数えられています。そのため20世紀初頭まで、「トロイラスとクレシダ」のオリジナルが演じられることはほとんどなかったようです。
考古学者シュリーマン
ハインリヒ・シュリーマンは事業で成功を納めた後、考古学者に転身しました。シュリーマンは、幼少期にイリアスなどの神話や世界史の本を父親に読んでもらい、アキレウスたち英雄の活躍を心躍らせながら聞いていました。自伝によると、そのころにトロイア王国や古代ギリシャの都市発見に興味を抱き始めたようです。
イリアスは神話であるため、長い間トロイア王国は実在しないと考えられていました。しかし、1871年にトルコ北西部ヒサルルクの丘でシュリーマンが行なった発掘作業により、9層からなる都市遺構が発見されました。それこそがトロイ遺跡だったのです。この発掘は世界中に衝撃を与え、シュリーマンは古代ギリシャ文明の解析に大きく貢献しました。
伝説のトロイ遺跡を発見したシュリーマンの功績と批判される理由 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
アキレウスに由来するもの
日本でもおなじみのエピソードから意外な人物まで、アキレウスに由来するさまざまなものを紹介します。
アキレス腱
足のかかとの腱である「アキレス腱」は、不死身のアキレウスにとって唯一の弱点でした。そのためアキレス腱という言葉は、致命的な弱点の代名詞として使われています。日本語では「弁慶の泣き所」と同じような意味を持ちます。アキレスと亀
「アキレスと亀」は、古代ギリシャの自然哲学者ゼノンが唱えた逆説の論理です。俊足のアキレウスと足の遅い亀が徒競走を行なう場合、亀がハンデをもらってスタート地点を先に設定すると、アキレウスは亀に追いつけないという論理です。アキレウスが亀のスタート地点に着くころには、亀はそこから少し前進しており、その前進した場所にアキレウスが着くころには亀はまた少し進んでいるため、アキレウスは決して亀に追いつけないのだとされています。
上記のように、「アキレスと亀」は不合理だとはわかっていても容易に論破できない主張を表す言葉として使われます。
アキレウスの画家
「アキレウスの画家」は、紀元前470年~425年に活躍したアンフォラ(陶器の壺)の絵付師です。作者が不明のため、「アキレウスの画家」と呼ばれるようになりました。バチカン美術館に収蔵されている赤像式アンフォラには、鎧を着て槍を持つアキレウスが黒地に赤色で描かれています。ほかにも白地に黒色で描いた白地レキュトス(小瓶)など、200点近くの作品が残されています。