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トルコ旅行・ツアーブログ|トルコツアー旅行記

イエス・キリストってどんな人?その生涯や教え、弟子、奇跡を紹介


イエス・キリストは、キリスト教において信仰の対象となる唯一神と同一の存在と見なされる神の子です。今から2000年以上前の紀元前6年頃、パレスチナのベツヘレムで誕生しました。

イエス・キリストの生涯や復活までの軌跡、昇天後にキリスト教を広めた弟子(使徒)たち、キリストが起こした数々の奇跡など、知っているようで知らない基礎知識を徹底解説します。

イエス・キリストとは?

イエス・キリスト
イエス・キリストは、キリスト教の始祖であり、信仰の対象となる存在です。キリスト教はイスラム教やユダヤ教と同じく唯一絶対の神を信じる一神教であり、イエス・キリストは預言者たる神の子なのですが、キリスト教では父なる神・子なる神・聖霊なる神を信仰の対象とする三位一体論があるため、イエス自身も信仰の対象となるのです。

イエス=「ヤハウェ(イスラエルの神)は救いである」、キリスト=「油を注がれたもの(救世主)」という意味ですが、イエス・キリストは姓名ではなく、「イエスはキリストである」という尊称です。

イエス・キリストの教え

キリスト教は、イエス・キリストの教えを信じる宗教です。その中でも最も大切な教えとして、「アガペー(真実の愛)」が挙げられます。

「心を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」、「隣人を自分のように愛しなさい」との言葉にあるように、自分の身近な人や好きな人だけではなく、自分の目の前に現れるあらゆる人を愛せよ、とイエス・キリストは説いています。

キリスト教とはどんな宗教か?誕生から教えなどを徹底解説!

イエス・キリストの生涯~誕生から昇天まで~

誰もが耳にしたことのある人物【イエス・キリスト】はキリスト教の教えを説いた人物です。
キリストは今から2000年以上前の紀元前6年頃、パレスチナのユダヤの国、南ユダヤのベツヘレムで誕生しました。日本でも当たり前に使われている西暦ですが、実は、イエス・キリストが生まれたとされた年を元年(紀元)としています。それでは、先ずはイエス・キリストの誕生から最期までを解説していきます。

イエス・キリストの誕生

イエス・キリスト
イエス・キリストの母マリアは、古代イスラエル王国のダビデ王の血を引いており、同じくダビデ家の末裔である大工ヨゼフと婚約をします。婚約中のある日、マリアの前に神の使いである天使ガブリエルが姿を現し、聖霊によってマリアが神の子キリストを妊娠したという“受胎告知”を受けました。やがてマリアからこのことを知らされた婚約者ヨゼフは、妊娠していることを知ると、結婚前に子供が生まれることは信じられないとマリアと縁を切ろうとします。しかしそんなヨゼフの元にも天使ガブリエルが現れ、マリアが生む神の子に「イエス」と名付けること、神の子とマリアを守るようにと告げます。信仰心の厚いヨゼフはお告げのとおり、マリアを妻として迎えることにしました。
キリストの母は誰もが知る「聖母マリア」ですが、マリアは“聖霊によってキリストをみごもった”とあることからヨゼフは実父ではなく「イエスの養父」と表現されています。

この頃二人は北ユダヤのナザレという町にいましたが、間もなくユダヤの国で人口調査が行われることとなり、当時ユダヤの国を支配していたローマ帝国の皇帝アウグストゥスの命令で、ユダヤの全国民が祖先の生まれた土地へ行き住民登録をしなければならないことになります。マリアとヨゼフの祖先であるダビデ王の出身地は南ユダヤのベツヘレムであったため、二人はベツヘレムへ向かいました。
二人は長い時間をかけてベツヘレムへ到着します。しかし、キリストを身ごもっていたマリアはベツヘレムの町に着いた時には疲れ果てていてすっかり体調を崩していました。町は各地から住民登録に訪れた人々でごったがえしていて、空いている宿屋もない状況でした。そんな中、ある宿屋の主人の計らいで町外れにある今は使われていない馬小屋を借りることができました。
その夜マリアは急に産気づき、そのまま馬小屋でキリストを生みました。

神の子キリストは、煌びやかに飾られた宮殿の部屋などではなく、旅先の町外れにあった貧しい家畜小屋でこの世に生を受けたのです。そして名前はお告げのとおり、「イエス」と名付けられました。
こうして、聖書に記されていた「ダビデ王の血をひいた子孫の中から、救世主(キリスト)が生まれる。」という預言が現実のものとなりました。

因みに、【イエス・キリスト】と表記していると「どっち苗字?」と思われるかもしれません。この当時、ユダヤのほとんどの人々は苗字を持っておらず、「大工のヨゼフ」や「アルパヨの子ヤコブ」のように、職業や父親の名前、出身地などを苗字のように使って同名の人を区別していました。キリストも最初は「ナザレのイエス」と呼ばれていました。なお、キリストには「救世主」と言う意味があり、イエス・キリストとはすなわち、「救世主イエス」という意味なのです。

イエス・キリストの宣教活動

イエス・キリスト
実は、後にイエスが起こしたキリスト教はユダヤ教から生まれた宗教なのです。キリストが誕生した頃のユダヤの国は、「ヤハウェ」という唯一の神を信じ、その神との契約である「律法」を守る「ユダヤ教」が信じられていました。その頃のユダヤの国は強大なローマ帝国に支配されていて、ローマ帝国やユダヤの権力者たちに収める税金は高く、多くの人々が苦しい生活をしていました。
そもそも、ユダヤ教は「神からもらった決まりを守る者だけが幸せである」というものだったのに対し、イエスは「神を信じる人は全て救われる」とし、イエスは全ての人は神を信じる事で“平等”に幸せになれると説きました。

イエスの宣教活動の始まりは紀元27年

死海に近い南ユダヤのヨルダン川の畔に立って新しい救い主の出現を待ち望んでいる人々に、「心を悔い改めなさい。神の国は近づいた」と、熱心に説く「ヨハネ」と言う預言者が現れました。ヨハネのことは噂となって広がり、イエスもその噂を耳にしました。そして自分も洗礼を授かろうと、イエスは30歳を過ぎた頃、ナザレの町を出てヨハネを訪ねて行きました。ヨルダン川の畔でヨハネと出会ったイエスはすぐに洗礼を願い出て、ヨハネから洗礼を授かりました。洗礼が終わるとイエスは聖霊に導かれるようにそのまま荒れ野へ歩んで行き、野獣の住む荒れ野の奥にある険しい岩山に入って行くと、40日40夜、何も食べずに断食しながら、祈りと瞑想の生活に入り、新しい教えを広める強い意志を固めていきました。
40日が終わり、空腹で痩せ衰え、意識も薄らいでいたイエスの前に悪魔が現れ様々な誘惑をかけます。ですが、イエスは悪魔の誘惑を全て退け、いよいよ新しい福音(より良い知らせ)を人々に説き始めます。イエスはガラリヤ地方を中心に宣教の旅に出て、弟子を作り、宣教活動を行っていきました。

その後イエスは、ガラリヤ湖の北岸の町カファルナウム(カペナウム)に移り住み、会堂で説教を行います。だんだんイエスの名前は知られるようになり、地方からもイエスの教えを聞こうとする人が沢山集まってくるようになりました。イエスは死者を蘇らせたり、嵐を静めるなど、数々の奇跡もおこなっていました。
この頃、イエスは12人の弟子を選んでは「使徒」と名付け、ガラリヤ湖の西岸で「山上の垂訓(説教)」も行いました。この説教は最も有名で多くの名言もあります。その名言の中には私たちが知っている言葉もあるかもしれません。例えば、“右の頬を打たれれば、左も向けなさい”や“地の塩、世の光”、“汝の敵を愛せよ”などは非常に有名な言葉です。

しかし、イエスの人気や声が高まるにつれ、律法を頑固に守ってきたユダヤ教の祭司、貴族は警戒心を強めるようになり、ファリサイ派(当時、民衆の間で尊敬され影響力を持っていたユダヤ教の一派)の学者はイエスを律法破りとして裁判に訴えようとしはじめます。

最後の晩餐

最後の晩餐
ユダヤ教には「過越祭(ペサハ)」と呼ばれる祭日があります。これは、イスラエルの民がエジプトで奴隷になって苦しんでいたとき、神のお告げを受けたモーセ(ユダヤ教の預言者)の先導により、イスラエルの民だけが神の裁きを逃れることができ(過ぎ越していった)、奴隷から解放されエジプトを脱出したことに起因しています。
紀元30年4月6日木曜日、イエスはこの過越祭の始まりを12人の弟子たちと祝うため、この日の夕方、エルサレムにある知人の家の2階で12人の弟子たちと夕食を共にしました。結果、これが“最後の晩餐”となってしまいます。

晩餐でイエスは話し始めます。
「私は苦しみを受ける前に、この過越祭の食事を皆と一緒にしたいと願っていました。父(神)の国で、本当の過越祭をあなたたちと祝うまで、もう二度とこの過越の食事をすることがないのですから。」
イエスは話し終えると、たらいに入れた水で弟子たちひとりひとりの足を洗って布で拭きました。
そして弟子たちにこう言います。
「私のしていることは、今あなたたちには分からないが後になれば分かる。あなたたちが私のしたとおりのことをするように、それを示したのです。人の上に立つ者は、へりくだった心を持って人々に尽くしてもらいたいのです。」そして続けて、
「あなたたち12人は私が選んだ者たちです。それなのに、あなたたちの中に私を裏切ろうとしている者が1人います。その“事”が起った時に、あなたたちが信じるようにと今、事の起らないうちに言っておきます。」
とはっきり言いました。イエスはユダの裏切りによって自身が捕えられることを預言したのです。

これがいつどこで起こるかまでは口にしませんでしたが、この前日に、12使徒の1人「イスカリオテのユダ」は、ユダヤ教の大祭司カヤファたちに、銀貨30枚というわずかなお金でイエスを売っていたのです。
銀貨30枚の価格を現在の日本円で例えるならば、100万円にも満たない金額だと考えられます。
そしてこの日の真夜中、裏切り者のユダは武器を持った兵士たちを引き連れ、イエスは兵士たちに縄をかけられて大祭司の館へ連れて行かれました。この時、ペトロをはじめとする弟子たちは皆、どこかへ逃げてしまいました。

イエスの処刑、十字架への道

十字架への道
大祭司たちはイエスをローマ帝国の総督ポンティオ・ピラトの前に連れて行き、死刑執行許可をもらおうとします。罪状を聞いたピラトは最初、ローマの法律に照らして、何も触れるようなことはしていないと判断しました。しかし、これ以上騒ぎが大きくなったら面倒なことになると考えたピラトはしばらく考えこう言いました。
「過越祭のときは囚人をひとり釈放する“ならわし”があろう。殺人の罪で監獄に繋がれているバラバとこの男を代えたらよかろう。」
大祭司たちは頷き、こうしてイエスの処刑が決まりました。

紀元30年4月7日金曜日、イエスは100kg近くもあると言われている重い十字架を背負わされて、ピラトの官邸からゴルゴダの丘の刑場へ向かうこととなったのです。町にはイエスの処刑を悲しむ人、反対に悪口を浴びせる人たちなどで溢れており、多くの群衆に囲まれながら約1,6kmの距離をイエスは倒れそうになりながら歩きました。途中、見かねた2人の男性が道から飛び出して、共に十字架を担いだそうです。

ゴルゴダの丘
ゴルゴダの丘の刑場に着くと、イエスを真ん中にして、2人の罪人が右と左の十字架にはりつけられました。イエスが手足に釘を打たれて、十字架にはりつけられたのは午前9時頃と言われています。
死刑執行を許可したピラトの書いた罪状がイエスの十字架の上にかかげられました。そこには「ユダヤの王、ナザレのイエス」とだけ書かれていました。これを見て沢山の人々がイエスを嘲り、笑いました。その中には、涙を拭いながら悲しんでいる女性の信者たちの姿もありましたが、「主のためなら、命も捨てます」と言った使徒たちの姿はありませんでした。

この後のことを弟子の1人、マタイは次のように記しています。
「正午12時から闇が全地を襲い、午後3時まで続いた。午後3時頃にイエスは大声で『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは『我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか』という意味である。」

ですが、イエスが叫んだこの言葉は、聖書に記された68行もある長い詩の最初の部分でした。この詩は、イエスの神に対する絶望を示したもののように思われていますが、この長い誌は最後、自分の魂が永遠にすくわれるよう神に願い、神を褒めたたえる詩になっています。イエスは詩の最初の部分を唱えたときに、力尽きました。

 
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イエス・キリストの復活

キリストの復活
イエスが処刑されて3日目の4月9日、日曜日の朝、イエスに仕えていた「マグダラのマリア」ら女性たちが、イエスの遺体を香料で清めようとイエスのお墓へ出かけました。ところが、お墓の入口を塞いでいた大きな岩が転がされてお墓が開けられていたのです。マリアたちは驚いてお墓の中へ入りましたが、イエスの遺体は消えていて、包んであった布だけが散らかっていました。
イエスの遺体が何者かに盗まれたと思ったマリアは、すぐに弟子のペトロとヨハネに知らせに行きました。ペトロとヨハネはお墓の中を調べましたが、マリアの言う通りでした。2人が帰った後もマリアはお墓の前に立って泣いていました。そうすると後ろから「なぜ、泣いているのですか?」と声をかけられ振り返ると、なんとそこにはイエスが立っていたのです。マリアはイエスの足にすがりつこうとしましたが、イエスの姿はそのまま消えていきました。
やがて、死者から蘇ったイエスの姿を見たという人たちは500人にものぼりました。

もちろん、イエスは使徒たちのところにも姿を現していました。
11使徒たちが食卓についているところに姿を現し、8日後には再び使徒たちの前に姿を現し、復活を信じない使徒の1人トマスに自分の手と脇腹の傷を見せました。
またある時は、漁をしていた7人の使徒たちの元に現れ、船の右側に網を打つよう指示すると、153匹もの大きな魚ばかりが入っていました。

イエス復活から40日目、エルサレムに近いオリーブ山にイエスは使徒たちと一緒に登りました。そして、
「あなたたちは、全ての国の人々を弟子にしなさい。父(神)と子(イエス)と聖霊の御名によって洗礼をさずけ、わたしがあなたたちに命じたことを、全て守るように教えなさい。私は世の終わりまでいつもあなたたちと共にいます。」
と語ると、使徒たちに見守られながらゆっくりと天に昇って行きました。

イエスが誕生した当時のユダヤの国は、強大なローマ帝国が支配していました。多くの人々は、人種差別、重い税金、病気、貧困に苦しんでいました。けれども、人々は絶望していたわけではありません。遠い祖先たちからの歴史や律法、自分たちの生き方などが記された、ユダヤ教の教典でありタナハやミシュナーを信じていました。そして教典に記されている、新しい救世主の出現を待ち望んでいました。それが“イエス”だったのです。
神の子であるイエスは、罪のない完璧な生活を送りましたが、最期は自分自身を犠牲にして十字架にかけられて、人間の罪を全て背負ってその生涯を閉じました。

イエス・キリストの生みの親・聖母マリア

聖母マリア
聖母マリアは言わずと知れたイエスの生みの母です。前述のとおり、古代イスラエル王国のダビデ王の血を引いていました。
キリスト教の信仰の対象は、神と神の子であるイエスですが、布教の早い段階から、イエスの母マリアや殉教者も崇拝するようになりました。特に聖母マリアの人気は絶大で、カトリックではマリアへの信仰心が篤く、聖母マリアの像は多くの教会にも置かれています。
ただ、プロテスタントは聖人への信仰は否定しており、聖母マリアも崇拝していません。そのため、聖母マリアとは呼ばず「イエスの母マリア」と呼ばれています。

トルコに聖母マリアの家が?!

聖母マリア
トルコのエフェソス遺跡近くの山の上には、「聖母マリアの家」があります。
イエスは生前、使徒ヨハネに、「自分の死後、マリアを自分の母として世話をするように」と託していました。
イエスの昇天後、ヨハネはマリアと共にトルコのエフェソスに移り住み、マリアはこの地で、64歳で亡くなったと言われています。トルコのエフェソスは、聖母マリアが晩年を過ごし、そこで亡くなったという伝承の地でもあります。
この地方には昔から、そのような伝承が残っていたものの、マリアが実際にどこで亡くなったかは長い間分からないままでした。おそらく、キリスト教は当時ローマ帝国からの迫害を受けていたため、聖母マリアを守るためには明らかにしてはいけなかったのではないかと考えられます。

では何故、聖母マリアの家が判明したか?
なんと、それはドイツ人修道女が19世紀に受けた夢でのお告げが根拠だったのです。お告げを受けたという修道女の話を基に調べてみたら、夢のお告げのとおりに4世紀頃の教会跡や1世紀の壁が発見されました。そして更なる調査の結果、バチカンも聖母マリア終焉の地として公認するに至ったのだとか。現在は、この聖母マリアの家一帯はバチカンが管理しています。

★聖母マリアについてさらに詳しく知りたい方は、是非下記の記事も読んでみてください!

聖母マリアってどんな人?その生涯や絵画の特徴、キリスト教における意味 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

キリストの弟子たち

キリストの弟子たち
宣教活動を行っているうちに、イエスに従う弟子たちも日ごとに増えてきました。その中から、最初に弟子となったヨハネなど12名を選んで、イエスは「使徒」と名付けました。使徒というのは、人々に教え(福音)を伝える、重要な役目を担った弟子を指します。
キリストの昇天後、裏切ったユダを除く弟子たちは、キリスト教を世界に広める重要な仕事をしてきました。
そんなキリストの12使徒たちを紹介します。

ヨハネ

ヨハネ
キリストに洗礼を授けたヨハネと同じ名前だけれど別人。キリストの一番弟子で、とても可愛がられていたと言われています。イエスに従っていた間に見聞きしたことを、「ヨハネの福音書」に書き残しました。イエスの昇天後、聖母マリアと共にトルコのエフェソスの地に移り住み、キリストの教えを伝え始めました。ヨハネは活動中に何度か捕らえられたりもされましたが、12使徒の中で唯一殉教していない人物でもあります。最期はエフェソスで天寿を全うしました。ヨハネが晩年を過ごしたエフェソスには、ヨハネが亡くなった数年後に、墓地の上に「聖ヨハネ教会」が建てられました。同じくエフェソスには、聖母マリアの終の棲家として知られる「聖母マリアの家」もあります。

エフェソス遺跡の見どころ46選 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

ペトロ

ペトロ
アンデレの兄で本名はシモン。漁師でしたが、イエスの弟子になってペトロ(岩という意味)という名を与えられました。弟子の中ではお兄さん的存在でしたが、何回か心が迷っていたこともありました。しかし、イエスの復活を目にしてからは強い信仰心で教えを広め、キリスト教の中心であるカトリック教会の初代ローマ教皇になりました。聖書には、ペトロはキリストから天の国の鍵を預かったと書かれています。カトリックではローマ教皇はこの天の国の鍵をペトロから受け継いでいると考えられています。バチカンにある「サン・ピエトロ大聖堂」はこの地でペトロが殉教したという伝承から、ペトロを祀るために建てられました。

アンデレ

アンデレ
ペトロの弟でペトロと一緒にイエスの弟子になりました。イエスの昇天後、ギリシャ方面で宣教活動をしていましたが、ローマ総督に捕まってしまい十字架刑が決定してしまいます。しかし、イエスと同じ十字架刑は恐れ多かった為、斜めにした「X十字架刑」にしてもらったと言われています。その後、X字型の十字架は「アンデレの十字架」と呼ばれ、スコットランドの国旗などに使用されています。

マタイ

マタイ
税金を集める仕事をしていましたが、貧しい人からお金を徴収することに悩んでいました。そんな時にイエスから「私についてきなさい」と言われ、その一言で仕事や家族など、これまでの全てを捨ててイエスの弟子になりました。イエスの昇天後は、エチオピアやペルシアなどへキリストの教えを広めにいき、紀元42年から50年くらいの間には、ヨハネと同じようにイエスの行い、教えを記した「マタイによる福音書」を書き残しました。マタイの最期は、エチオピアの教会での説教が王様を怒らせ、針で刺され殉教したと言われています。

大ヤコブ

大ヤコブ
ヨハネの兄で、ヨハネやペテロと並ぶイエス三大側近の一人です。同名の弟子がいたため「大ヤコブ」と呼ばれていました。また、弟のヨハネと共にイエスから「雷の子」と呼ばれており、その理由のひとつに、雷と言うくらい気性が荒い性格だったと言われています。大ヤコブは、ユダヤやサマリア、スペインなどで宣教活動を行っていました。その後エルサレムに戻ると、凄まじいキリスト教迫害によりユダヤの王に殺されてしまいます。12使徒の中で最初に殉教した人物でもあります。スペインにはカトリックの聖地として有名な「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という町がありますが、9世紀に大ヤコブのお墓がこの地で発見され、お墓の上には「サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂」が建てられました。

フィリポ

アンデレと同じ町から出た人物で、イエスに「私についてきなさい」と言われた最初の弟子でもあります。弟子たちの食料を集める係を担っていました。イエスの昇天後は、サマリアやスキュティア、ギリシャ、小アジアなどの地で宣教活動を行い、悪霊を取り除いたり、病気を癒したりして多くの人々をキリスト教に導いたと言われています。最期は、当時のローマ帝国の都市「ヒエラポリス」で2人の娘と共に捕えられ、十字架にかけられ、石打ちにされて殉教しました。このヒエラポリスは、現在はトルコ西部の都市であり世界遺産にもなっています。

 
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小ヤコブ

大ヤコブと区別するために「小ヤコブ」と呼ばれていました。小ヤコブの外見は“イエスの兄弟”と言われるほどイエスに似ていたと言われています。裏切り者のユダがイエスを捕まえるローマ兵を引き連れてやってきたとき、ローマ兵が間違えてイエスに似た小ヤコブを捕まえてしまわないように、自分が口づけした人物がイエスだとローマ兵に合図を送ったというエピソードもあります。小ヤコブの最期はエルサレムの神殿の屋根から突き落とされ、石打ちにされ、こん棒で頭を殴られて殉教したと言われています。

バルトロマイ(ナタナエル)

バルトロマイ
バルトロマイはフィリポに誘われてイエスの弟子になりました。ヨハネの福音書では「ナタナエル」という名前で登場しています。イエスの昇天後は、フィリポと共にフリギアで宣教を始めます。その後アルメニアに行き宣教を続けますが、そこで他宗教の指導者の反感を買い、皮はぎの刑によって殉教しました。バチカンのシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロの作品「最後の審判」では、バルトロマイは自分の皮を持っている姿が描かれています。

トマス

トマス
イエスの復活をすぐに信じなかったことで知られており、復活を確かめるためキリストの傷に触れたと言われています。イランからインドにかけて宣教活動をしていたと言われており、最期は南インドで異教徒に槍で刺されて殉教しました。南インドにはトマスを祀る「サン トメ聖堂(San Thome Cathedral)」があります。

カナンのシモン

カナンのシモン
熱心党のシモンとも呼ばれています。情熱的な性格だったためこのあだ名が付いたと言われています。ちなみに熱心党とは、神だけが本当の支配者であるという考えを持ち、武力でローマ帝国からの独立を目指す過激な宗教的政治集団です。その為、元はローマ帝国の下で徴収人として働いていたマタイとは仲が悪かったとも言われています。エジプトで宣教活動を行い、ペルシアやアルメニア辺りで殉教したと言われていますが、聖書に記述がないため諸説あります。なお、最期はノコギリで切断されるという残酷な方法で処刑をされたと言われています。

タダイ(ユダ)

タダイ(ユダ)
イスカリオテのユダとは別人で、「タダイ」や「ヤコブの子ユダ」などと呼ばれています。聖書には名前が登場するだけであまり語られていることがありません。また、カトリックではイエスを裏切ったイスカリオテのユダと混同しないためにタダイへのお祈りが避けられており、「忘れられた聖人」という呼び名を付けられてしまっています。イエス昇天後は、バルトロマイと共にアルメニア地方で宣教を行っていました。最期は斧によって殉教し、その後遺体はローマのサン・ピエトロ大聖堂に埋葬されたと言われています。

イスカリオテのユダ

イスカリオテのユダ
イエスの教えに疑問を抱き、銀貨30枚と引き換えにイエスを裏切った弟子です。このユダの密告によりイエスは捕まり、処刑されてしまいました。ユダの素顔は以外にも真面目な常識人だったそうです。そのため、かなり信頼をされており、イエスたちの会計係も任されていました。実際に、最後の晩餐でイエスが12使徒の中に裏切り者がいると切り出したときも、他の弟子たちは誰もユダを疑わなかったと言われています。そんなユダは、イエスの処刑を前に後悔し首を吊って自殺しました。

イエスに従った人々は12使徒だけでなく他にも多くの人々がいて、その中には女性もいました。その中の女性の1人「マグダラのマリア」は、イエスに仕えていた女性たちの中でも中心人物だったと考えられており、イエスの十字架、埋葬を見届け、復活したイエスと話しもしています。イエスが捕えられてしまった時、男性の弟子たちは逃げてしまったけど女性たちは十字架のそばにいたと、マルコの福音書に書かれています。
また、12使徒には含まれていませんが、キリスト教の発展に大きな影響を与えた「伝道者パウロ」も使徒と呼ばれています。

使徒パウロの伝道活動

使徒パウロ
12使徒の他にも熱狂的に伝道に生涯を注いだ人物がいます。それが「伝道者パウロ」です。“聖パウロ”とも呼ばれ、キリスト教の発展に大きく貢献しました。パウロは、イエスの死後に使徒となったにもかかわらず、最も有名な伝道者および聖人となった人物でもあります。
パウロがイエスの教えを信じるようになったきっかけや、どのようにキリスト教を伝道していったのかなどを説明していきます。

キリスト教の迫害者から改心、キリスト教の大伝道者へ

西暦5年頃、ローマのキリキア属州タルソス(現トルコのメルスィン県)にて、ユダヤ人ディアスポラの家庭で生まれたパウロは、生まれながらにしてローマ市民権保持者であり、ギリシャ語が話せるファリサイ派の熱心なユダヤ教徒でした。
元々はイエスをメシア(救世主)と信じていなかった為、メシアを冒涜する者としてキリスト教徒を酷く迫害していました。しかし、ダマスコ(ダマスカス)に向かう途中に突然天からのイエスの声を聞き、イエスが本当のメシアであったと悟り改心します。

「目からうろこが落ちる」の語源はパウロの改心

ちなみに、パウロの改心のきっかけになった「なぜ私を迫害するのか」「私はあなたから迫害されているイエスである」と言う天からのイエス・キリストの声を聞くと急に眼が見えなくなるのです。そして、ダマスコで同じく「パウロを助けるのです」とイエスの声を聞いたアナニアと言う者が、3日後にパウロの元に行き目に手を置き祈ると、パウロの目から鱗の様な物が落ちて目が見えるようになったと言います。
これが、“何かがきっかけでぱっと鮮明に解るようになる”と言う意味のことわざ「目から鱗が落ちる」の語源となりました。

パウロの生涯をかけた伝道の旅

パウロの旅
改心してイエス・キリストが「人々が待ち望んだメシアであり、神の子である」と信じるようになったパウロは、アンティオキア(現トルコ南東部アンタキヤ)を拠点に、キプロス出身のユダヤ人バルナバやアナトリアのリュストラ出身テモテ、バルナバの従兄弟マルコなどと共に、アナトリア半島と南ヨーロッパのギリシャやマケドニアなどを中心に、3回にも渡る熱心な伝道活動を行い、ユダヤ人以外の異邦人へも積極的に伝道しました。
パウロが数年かけて行った、伝道の旅のルートを紹介します。

  • 第一回伝道旅行 (西暦47~49年頃)
    アンティオキア出発⇒(海路)⇒キプロスのサラミスやパフォス⇒(海路)⇒ペルゲへ上陸
    (陸路)⇒ピシディアのアンティオキア(現ヤルヴァチ)⇒イコニウム(現コンヤ)⇒リストラ(現ハットゥンサライ)⇒デルべ(現カラマン付近)⇒折り返し、来た道を戻ってアンタルヤ港から海路でアンティオキアへ帰る

  • 第二回伝道旅行(紀元前49~52年頃)
    アンティオキア出発⇒タルソス(現メルスィン)⇒デルべ⇒ルステラ⇒イコニオン⇒ピシディア・アンティオキア⇒アンキュラ(現アンカラ)⇒西へ、トロアス(北西トルコのチャナッカレ県アッソスとトロイの間)⇒海路にてここから初めてキリスト教がヨーロッパへ!
    サモトラキ島⇒東マケドニアのネアポリス(現ギリシャのカヴァラ)⇒フィリピ(現カヴァラへ併合)⇒アンフィポリス(現ギリシャのセレス県)⇒テッサロニケ(ギリシャ)⇒べリア(北ギリシャのヴェリア)⇒ピュドナ(ギリシャ)⇒海路で、アテネ⇒コリント⇒海路、小アジアのエフェソス⇒海路、カイサリア(イスラエルのカエサリエ)⇒エルサレム⇒アンティオキア

  • 第三回伝道旅行(西暦52~56年頃)
    アンティオキア出発⇒タルソス、キリキア門⇒アンキュラ(アンカラ)⇒エフェソス※ここで投獄経験、
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パウロの殉教、処刑を決定したのは暴君ネロ?

パウロ
パウロはエフェソスのユダヤ人の訴えによりエルサレムで捕まりローマへ移送されます。その際に、トルコ南部のミュラへ寄港しています。
パウロの斬首の刑を決定したのは、「暴君ネロ」でも知られる第5代ローマ皇帝ネロと言われており、パウロはローマ市民権保持者であったため、磔刑ではなく斬首となったとの事です。
なお、パウロはローマで裁判を待つ2年間の間も、ローマで伝道活動を行っていました。この様にイエス・キリスト死後20年あまりで、イスラエルからローマまでローマ帝国の各地にキリスト教徒の小集団コミュニティが形成されたのです。

イエス・キリストの奇跡

奇跡なんて・・・そんな事が本当に起きるのか?!と思う人もいると思います。そもそも、イエスは人々の幸せのために奇跡をおこないました。そして、その気持ちを理解し、本当に神を信じた人にだけ奇跡は起きたと考えられています。そこで、聖書で語り継がれている代表的な“キリストの奇跡”をいくつか紹介します。

水がぶどう酒に!

水がぶどう酒に
イエスが母のマリアや弟子たちと共に、知り合いの結婚式に招かれたときのことです。宴会のために沢山用意されていたぶどう酒がたちまち無くなってしまいます。その時イエスが給仕をしている人に、「井戸からこの水がめに水をいっぱい入れてきなさい」と言いました。イエスに言われたとおり給仕たちは水を汲み、その水を世話役のところへ持って行くと、汲んだ水は最高に美味しいぶどう酒に変わっていました。
この奇跡はイエスが初めておこなった奇跡です。

嵐を一瞬で静める!

嵐を一瞬で静める
イエスが弟子たちと共に小舟に乗ってガラリヤ湖の東岸にあるケラサ人たちの町へ出かけたときのことです。激しい嵐がイエスたちを襲います。慌てた弟子たちがイエスに助けを求めると、イエスは嵐に向かって「静まれ。」と命じました。すると、たちまち嵐は止みました。イエスの一言で嵐を一瞬にして静め、ガラリヤ湖は素晴らしい凪になりました。

5つのパンと2匹の魚が5000人分の食料に!

パンと2匹の魚
イエスを慕う人々が群衆となって追いかけてきたときのことです。イエスは人々をエル・バティハの草原へ連れていき、教えを説き、病人たちを癒し続けていました。弟子たちが、そろそろ人々を帰して町へ戻るようにと促します。草原は人里離れており、食べる物も泊まるところもない場所でした。促す弟子たちに対してイエスは「あなたたちが何か食べ物をこの人たちにやりなさい。」と言います。しかし、その時手元にあった食料は5つのパンと2匹の魚だけでした。約5000人分の食料には到底足りません。弟子たちがそれをイエスに伝えると、イエスは5つのパンと2匹の魚を手に取り、天を仰いで(神に)賛美を捧げ、パンを手で割り弟子たちに渡しました。弟子たちはそれを群衆に与え、人々は満腹になりました。余ったパンくずの残りを集めると、12の籠がパンでいっぱいになりました。イエスはこの奇跡で5000人もの群衆の心を、目の前でひとつにしてしまいました。
イエスはこの奇跡を2度起こしています。1回目はこの5つのパンと2匹の魚でしたが、2回目は7つのパンと少しの魚で4000人を満腹にさせました。

湖の上を歩く?!

湖の上を歩く
5000人もの人々を満腹にさせた後、イエスは群衆を解散させている間に弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へやろうとします。そしてイエスは群衆を解散させると、1人山奥に入って静かに祈っていました。夕方になると船は湖の真ん中に出ていましたが、イエスだけが陸地にいる状況でした。やがて風が出て湖が荒れ始め、逆風により舟はなかなか前へ進みません。弟子たちが漕ぎ悩んでいると、真っ暗闇の中からぼんやりとした白い人影が船に近づいてきました。弟子たちは幽霊だと思い怯えながら声を上げると、「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」というイエスの声が。弟子の1人のペトロが本当にイエスか確かめようと、「本当に主なら私に水の上を歩いて来いと命じて下さい」と言います。イエスが「来なさい。」と言うと、ペトロは舟から降りて水の上を歩き始めます。しかし、強い風に吹かれて水の中に沈みかけます。ペトロはイエスに助けを求めると、イエスはすぐにペトロを抱きかかえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」と言って、ペトロを舟に乗せました。2人が舟に乗り込むとたちまち風は静まりました。

病気を治す!

イエスが奇跡をおこすことを知られると、イエスの行くところには沢山の人が集まるようになりました。ある日、中風と言う病気で歩けない人が運ばれてきました。その人の目に神を信じる心を見たイエスが言葉をかけると、その人はすぐに立ち上がって歩きだしました。他にも、12年間出血が止まらず苦しんでいた女性が後ろからイエスに近づき、イエスの服の端に触れた途端に出血が癒えたという奇跡や、38年間病気で苦しんだ人を癒したり、生まれつき盲目だった人の目を見えるようにしたりなど、沢山の人々を数多くの病気から癒す奇跡もおこなっていました。

死者を生き返らせる!

ある時、イエスの前に会堂の管理をしているヤイロという男性が現れました。ヤイロはイエスの前にひれ伏し、「12歳になるたったひとりの可愛い娘が死にかけているので助けてください。」と言いました。イエスはその願いを聞き入れ、ヤイロの家に向かいます。ところが、ヤイロの家に近づくと、ヤイロの家から使いの者が走ってきて、「お嬢さんはたった今亡くなりました。」と伝えました。それを聞いて泣くヤイロに対してイエスは、「信じなさい。お嬢さんは亡くなったのではありません。ただ眠っているだけです。」と言うと、ヤイロの家へ行きました。そして娘の手を取って「子よ、起きなさい。」と一言命じると、ヤイロの娘は目を開いて起き上がりました。
死者を生き返らせる奇跡はこれだけでなく、イエスは他にも何人もの人を生き返らせる奇跡をおこないました。

イエスが起こした奇跡を紹介しましたが、これらはほんの一部にしか過ぎません。他にも、大漁の奇跡や悪霊を追い出すなど、様々な奇跡をおこなっています。そして、イエス自身が処刑後3日目に復活したことも、イエスがおこなった奇跡のひとつです。
“イエスの行くところでは奇跡が起こる”ということが、圧政や病気に苦しんでいる人々にとって大きな希望でした。神の意志に任せて静かに祈っていれば必ず幸せになれる、そう信じることの大切さを伝えていました。

 
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