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トロイアの木馬は実在した?神話・史実の全容と木馬の本当の姿とは
トロイアの木馬(トロイの木馬)と聞いて、まず思い浮かべるのはコンピュータに悪さをするマルウェアではないでしょうか?この名前の元ネタになったのが、トロイア戦争に登場する木馬だと知っていても、物語の詳しい内容まで把握している方は少ないかもしれません。
ここでは、神話で語られるトロイア戦争を終結に導いたトロイアの木馬作戦の全容を徹底解説します。
トロイアの木馬とは、ギリシア軍がトロイア王国に攻め込んだトロイア戦争の際に、ギリシア軍の知将オデュッセウスによって考え出された作戦および作戦のために作られた巨大な木馬のことです。10年に及ぶ膠着状態にあったトロイア戦争の戦況を打開すべく、また難攻不落のトロイア城塞を破るための切り札として考え出されました。
トロイアの木馬作戦の大まかな内容は、
トロイアの木馬の物語は広く知れ渡っており、「トロイアの木馬」という単語は、標的が安全に守られた砦や場所に敵を招き入れてしまうようなトリックや策略の比喩として世界中で使われるようになっています。
トロイア戦争では、英雄アキレウスが活躍し、兵士の数で勝るギリシア軍は最初の戦いで勝利を収めました。しかし、トロイア王国の強固な城壁を打ち破ることができず、戦争は長期化していきました。そして両軍が城壁を挟んで睨み合う膠着状態は9年間続きました。
戦争の長期化により食料や資金不足になったギリシア軍の兵士からは、国に帰郷させる要求が強くなっていきました。また、不満がたまり部下が上官に反乱を起こす事件も度々発生しました。この状況を打開するための作戦がギリシア軍に求められていました。
また、巨大な木馬をトロイア兵に怪しまれずに戦利品として城内に持ち込ませるために、ギリシア軍に見捨てられ置き去りにされたふりをしたギリシア兵を配置することにしました。
戦と知恵の女神アテーナーの助言を得て、巨大な木馬は工作が得意なギリシアの武将エペイオスと兵士たちによって3日間で建造されました。建造に使われた大量の木材は、自軍の船を解体して作られたと言われています。
そしてギリシア軍は野営地を焼き払い、「無事に故郷に帰れるように女神アテーナーに感謝の気持ちを込めて木馬を捧げる」と刻まれた木馬と、シノーンという名のギリシア兵を1人その場に残しました。
ギリシア軍が野営地からいなくなっている状況を見て、トロイア兵はギリシア軍が撤退を行ったと歓喜しました。そして残されていたシノーンに木馬について問いただしたところ、ギリシア軍が無事に故郷に帰れるように女神アテーナーに捧げる目的で建造を行ったと言いました。ギリシア軍は以前トロイアにあるアテーナー神殿を冒涜しており、木馬を捧げることはこの行為に対する償いの意味がありました。
また、そのあまりにも大きな木馬を見てトロイア兵は疑いを持ち、なぜそんなに大きいのかと質問を行いました。シノーンは、トロイア人が女神アテーナーからの恩恵を得ることを防ぐために、木馬はトロイア城内に運び入れるのに困難な大きさで作られたと答えました。
その話を聞いたトロイア兵は、戦利品として何としてでも木馬を城内に持ち帰り、トロイアのアテーナー神殿に捧げることを決めました。しかし、トロイアの神官ラオコーンと王女カッサンドラはギリシア軍の作戦であるに違いないと確信し、木馬を城内に運び入れることを反対しました。
そこでギリシア軍の味方をしていた海と地震の神ポセイドンが2匹の毒蛇を放ち、ラオコーンと2人の子供たちは海から現れた毒蛇に咬まれて死んでしまいました。トロイア兵たちは、ラオコーンは神の怒りに触れたため亡くなったと考え、怒りを鎮めるためにも城内の神殿に捧げることにしました。
同じく反対していた王女カッサンドラは恋人となった太陽神アポローンによって予言の力を授けられており、木馬をトロイアに引き入れると国が滅亡をするという予言を見ていました。しかし、カッサンドラはアポローンからの愛を拒絶したことで、彼女の予言を誰も信じないという呪いがかけられていました。その結果、トロイア市民でカッサンドラの言葉に従う者は誰もいませんでした。
そして、シノーンが松明で合図を送り、近くの島で合図を待っていた大勢のギリシア兵がトロイア城内に入り込み、寝ていたトロイア兵を次々と倒していきました。こうして一晩の内に城と街は焼き尽くされ、トロイア戦争はギリシア軍の勝利で幕を閉じトロイア王国は滅亡してしまいました。
トロイア戦争のあらすじ解説!本当にあった?史実や映画との相違点
ホメロスの叙事詩「イーリアス」ではアキレウスと共に2大英雄として書かれています。武力は高くありませんが、知力を駆使して戦う武将です。トロイの木馬作戦を生み出し、トロイア戦争を終結に導きました。
トロイア戦争後、自国に戻る際に様々な困難が待ち受けており、20年の歳月をかけて故郷に戻ることが出来ました。この話はホメロスの「オデュッセイア」で語られています。
ホメロスとは?イリアスとオデュッセイアを生み出した偉大な吟遊詩人
トロイア戦争は、スパルタ王メネラーオスの妻であるヘレネーがトロイアの王子パリスに奪われたことで発生しました。ギリシア軍の総大将を務めた兄のアガメムノーンは武力が高く、弟のメネラーオスは知力が高い武将です。トロイの木馬に乗り込み、パリスの弟のデーイポボスを討ち取りました。トロイア王国から妻のヘレネーを取り戻し、ヘレネーと共にスパルタ国を統治し幸せに暮らしました。
しかし、オデュッセウスが慌ててアンティクロスの口を押え、トロイアの策を避けることができました。一説によるとオデュッセウスの押さえる力が強すぎたため、アンティクロスは窒息死してしまったと言われています。
また、戦争の終盤に参戦し手柄が欲しいピロクテーテースは、戦争を終結に導くトロイアの木馬作戦には当初は反対をしていました。
なお、2004年公開のハリウッド映画「トロイ」では、ブラット・ピット演じるアキレウスも木馬に入り、クライマックスのトロイア陥落まで活躍をします。しかし、ギリシア古典の叙事詩では、アキレウスは木馬作戦の前に戦死をしてしまっているため、トロイアの木馬には乗り込みません。
長い間、神話上の伝説と思われていたトロイア王国やトロイア戦争は、ドイツ人考古学者シュリーマンによるトロイ遺跡の発見やヒッタイトに残された文献などから、実在した可能性が高いことが分かっています。
ヒッタイト帝国とその首都「ハットゥシャ遺跡」の見どころ徹底解説 | トルコ旅行・ツアー・観光なら、安心の『ターキッシュエア&トラベル』におまかせ!
紀元前1300年~1190年にあたるトロイ遺跡の第7層Aから大火災の跡や虐殺が起こった痕跡などが発見され、第7都市がトロイア王国で実際にトロイア戦争が起こったと考察されています。
一方、トロイアの木馬は、古代ギリシア叙事詩の「小イーリアス」や「イリオスの陥落」に登場をしますが、実在した証拠は見つかっていません。もし実在していたとしても、街を覆いつくすほどの大火災に見舞われたトロイア王国では、多くの家屋と共に木馬も燃え尽きてしまい痕跡の発見は難しいと考えられています。
また、シュリーマンの考古学の知識不足により、トロイ遺跡の第7層Aはほとんど削り取られてしまっています。そのため現代の技術を用いても、木馬の痕跡の発見は非常に困難となっています。
伝説のトロイ遺跡を発見したシュリーマンの功績と批判される理由
現実的に考えると木馬の実在は完全にフィクションで、物語をドラマチックに演出するために作られたと思われます。しかし、トロイアの木馬は物語で知られているような木馬の形状ではなく、別の姿で存在をしていたといういくつかの説があります。
城門に打ち付ける丸太の先端部分を動物の形に彫刻する場合や、装置全体に動物の皮を張り付け動物の形に模して作られる場合もあります。そのため馬に似た形の破城槌の使用の記述が、本来の意味や用途を知らない後世の口承史家に神話化され、トロイアの木馬の物語になった可能性が指摘されています。
このような船はギリシアではそのまま「馬」と呼ばれており、広く東部地中海沿岸地域にまで広がっていました。また、大きな船であれば積み荷に扮して船倉に大人数の兵士が隠れることが可能です。船を表す馬という言葉が、後世に勘違いされ、4本足の木馬のイメージになったという説があります。
また、ギリシアの味方をしていたポセイドンは海と地震の神ですが、もともとは大地の神でした。馬は大地と密接な間関係があり、ポセイドンもかつては馬の神と呼ばれていました。
したがって、馬の神が起こした地震によって城壁を破壊したことが、トロイアの木馬の物語に置き換えられたという理論となっています。
また、イタリアのローマ県チェルヴェーテリで発見された、紀元前560年ごろの香油を入れる容器にはトロイアの木馬が描かれています。木馬の胴体に四角い窓が複数描かれ、そこから兵士が降りて戦う様子を見ることが出来ます。
さらに、紀元前1200年頃にギリシアのクレタ島にあるクノッソス宮殿で発見された印章には、漕ぎ手のいる船と馬の姿が重なった絵が描かれています。これがトロイアの木馬だとすれば最古の記録となりますが、まだ解明されていません。
トルコのエーゲ海沿岸地域にあるトロイ遺跡の入り口に、トロイアの木馬のレプリカが置かれています。この木馬は物語の通り内部の胴体部分に入ることができます。
木馬の背中に小屋を背負っているような形をしており、少し急な階段を登ると木馬の中はさらに2階に分かれています。胴体部分に空いている窓から顔を出し外の景色を見ると、当時のギリシア兵の気分が味わえるかもしれません。
世界遺産のトロイ遺跡(トロイア)|ギリシャ神話と伝説が蘇えった町
2004年に公開をされたブラッド・ピット主演のハリウッド映画「TROY」の撮影で使われたトロイアの木馬が、トロイ遺跡観光の起点の街チャナッカレに展示されています。街中の屋外に展示をされていますので、気軽に訪れて写真撮影が可能です。
トロイ遺跡に展示されている木馬はデフォルメ化されており、絵本などで見る木馬のイメージに近いかと思います。一方、映画で使われたチャナッカレの木馬は全身が黒く、よりスタイリッシュな外観をしています。この木馬は残念ながら内部には入ることができませんが、下から見上げるだけでその迫力に圧倒されます。
マルウェアの一種であるトロイの木馬は、一見無害あるいは有益に見えるソフトウェアやアプリケーションの中に悪意のある不正プログラムが隠されており、そのプログラムによってユーザーが気付かないうちに個人情報やパスワードが盗まれてしまうなどの脅威を与えるものです。
騙し隠れて懐に侵入し、相手の損害を与えるという行為を、ギリシア神話のトロイの木馬のエピソードになぞらえて「トロイの木馬」と呼ばれています。
トロイの木馬は自己複製機能を持たないため他のパソコンに感染を広げることはありません。また、感染をしてもすぐに症状が出ず、感染に気付きにくいのが特徴です。感染させない対策としては、ウィルス対策ソフトの導入、OSやプログラムを更新し最新の状態にしておく、不審なURLやファイルなどを開けないことが有効とされています。
現在のマルウェアの80%以上がトロイの木馬と言われており、セキュリティソフト会社が対策を行っても、毎年、新しい種類が生み出されています。また、近年はパソコンだけでなく、スマートフォンをターゲットにしている亜種が増えてきています。
色が似ているコーラでスタウトを割ることで、一見するとコーラと同じであるため、コーラの中にスタウトが隠れている感じとなります。それが木馬の中にギリシア兵が潜んでいたトロイアの木馬になぞらえて、ギネス社によってトロイの木馬の名がつけられました。
パズドラでのトロイアの木馬はオデュッセウスのアシスト進化で入手することが出来ます。暗闇・お邪魔や爆弾・毒の耐性を1ずつ付与することが可能で、覚醒無効を全回復するスキルを持っている優秀な性能となっています。本家トロイアの木馬のように、相手を騙すようなスキルは特に付いていません。
ここでは、神話で語られるトロイア戦争を終結に導いたトロイアの木馬作戦の全容を徹底解説します。
目次
トロイアの木馬とは?
トロイアの木馬とは、ギリシア軍がトロイア王国に攻め込んだトロイア戦争の際に、ギリシア軍の知将オデュッセウスによって考え出された作戦および作戦のために作られた巨大な木馬のことです。10年に及ぶ膠着状態にあったトロイア戦争の戦況を打開すべく、また難攻不落のトロイア城塞を破るための切り札として考え出されました。
トロイアの木馬作戦の大まかな内容は、
- オデュッセウス率いるギリシア軍の少数精鋭が木馬の胴体部分に乗り込んで潜む。
- 戦争の戦利品として木馬をトロイア兵によって城内に運ばせる
- 木馬に乗って城内に入り込んだギリシア兵が城門を開け放ち、待機していたギリシア軍を城内に引き入れてトロイア王国を壊滅に追い込む
トロイアの木馬の物語は広く知れ渡っており、「トロイアの木馬」という単語は、標的が安全に守られた砦や場所に敵を招き入れてしまうようなトリックや策略の比喩として世界中で使われるようになっています。
トロイアの木馬作戦の全容
トロイアの木馬建造の背景
トロイア戦争では、英雄アキレウスが活躍し、兵士の数で勝るギリシア軍は最初の戦いで勝利を収めました。しかし、トロイア王国の強固な城壁を打ち破ることができず、戦争は長期化していきました。そして両軍が城壁を挟んで睨み合う膠着状態は9年間続きました。
戦争の長期化により食料や資金不足になったギリシア軍の兵士からは、国に帰郷させる要求が強くなっていきました。また、不満がたまり部下が上官に反乱を起こす事件も度々発生しました。この状況を打開するための作戦がギリシア軍に求められていました。
トロイアの木馬作戦の立案と準備
ギリシアの知将オデュッセウスは、トロイア王国で神聖な動物として崇められている馬を木材で作り、内部にギリシア兵が隠れてトロイア城内に引き入れさせる作戦を考え出しました。一説によれば、夢の中でこの作戦の預言を受けたと言われています。また、巨大な木馬をトロイア兵に怪しまれずに戦利品として城内に持ち込ませるために、ギリシア軍に見捨てられ置き去りにされたふりをしたギリシア兵を配置することにしました。
戦と知恵の女神アテーナーの助言を得て、巨大な木馬は工作が得意なギリシアの武将エペイオスと兵士たちによって3日間で建造されました。建造に使われた大量の木材は、自軍の船を解体して作られたと言われています。
そしてギリシア軍は野営地を焼き払い、「無事に故郷に帰れるように女神アテーナーに感謝の気持ちを込めて木馬を捧げる」と刻まれた木馬と、シノーンという名のギリシア兵を1人その場に残しました。
木馬作戦の発動
ギリシア軍が野営地からいなくなっている状況を見て、トロイア兵はギリシア軍が撤退を行ったと歓喜しました。そして残されていたシノーンに木馬について問いただしたところ、ギリシア軍が無事に故郷に帰れるように女神アテーナーに捧げる目的で建造を行ったと言いました。ギリシア軍は以前トロイアにあるアテーナー神殿を冒涜しており、木馬を捧げることはこの行為に対する償いの意味がありました。
また、そのあまりにも大きな木馬を見てトロイア兵は疑いを持ち、なぜそんなに大きいのかと質問を行いました。シノーンは、トロイア人が女神アテーナーからの恩恵を得ることを防ぐために、木馬はトロイア城内に運び入れるのに困難な大きさで作られたと答えました。
その話を聞いたトロイア兵は、戦利品として何としてでも木馬を城内に持ち帰り、トロイアのアテーナー神殿に捧げることを決めました。しかし、トロイアの神官ラオコーンと王女カッサンドラはギリシア軍の作戦であるに違いないと確信し、木馬を城内に運び入れることを反対しました。
そこでギリシア軍の味方をしていた海と地震の神ポセイドンが2匹の毒蛇を放ち、ラオコーンと2人の子供たちは海から現れた毒蛇に咬まれて死んでしまいました。トロイア兵たちは、ラオコーンは神の怒りに触れたため亡くなったと考え、怒りを鎮めるためにも城内の神殿に捧げることにしました。
同じく反対していた王女カッサンドラは恋人となった太陽神アポローンによって予言の力を授けられており、木馬をトロイアに引き入れると国が滅亡をするという予言を見ていました。しかし、カッサンドラはアポローンからの愛を拒絶したことで、彼女の予言を誰も信じないという呪いがかけられていました。その結果、トロイア市民でカッサンドラの言葉に従う者は誰もいませんでした。
トロイアの木馬作戦の顛末
トロイア兵たちは大人数でなんとか木馬を城内に引き入れて、長く続いた戦争の勝利を祝う宴会を行いました。宴が終わり酔いつぶれた兵士たちが寝た深夜になったころ、木馬からは隠れていたギリシア兵たちが出てきて、門番を倒し城門を開け放ちました。そして、シノーンが松明で合図を送り、近くの島で合図を待っていた大勢のギリシア兵がトロイア城内に入り込み、寝ていたトロイア兵を次々と倒していきました。こうして一晩の内に城と街は焼き尽くされ、トロイア戦争はギリシア軍の勝利で幕を閉じトロイア王国は滅亡してしまいました。
トロイア戦争のあらすじ解説!本当にあった?史実や映画との相違点
トロイアの木馬に忍び込んでいたアカイア人(ギリシア軍)
トロイアの木馬に隠れていたギリシア軍兵士の人数は諸説ありますが、23~50人と言われています。その中で木馬作戦において、大きな役割を果たした人物を簡単にご紹介します。オデュッセウス
ホメロスの叙事詩「イーリアス」ではアキレウスと共に2大英雄として書かれています。武力は高くありませんが、知力を駆使して戦う武将です。トロイの木馬作戦を生み出し、トロイア戦争を終結に導きました。
トロイア戦争後、自国に戻る際に様々な困難が待ち受けており、20年の歳月をかけて故郷に戻ることが出来ました。この話はホメロスの「オデュッセイア」で語られています。
ホメロスとは?イリアスとオデュッセイアを生み出した偉大な吟遊詩人
ネオプトレモス
英雄アキレウスの息子です。ネオプトレモスがトロイア戦争に参戦しないと、ギリシア軍の勝利はないという信託を受け、住んでいるスキュロス島へオデュッセウスが迎えに行きました。オデュッセウスから、父親のアキレウスの防具を譲り受けトロイア戦争の終盤で参戦します。木馬に隠れてトロイア王国に侵入し、プリアモス王の命を奪いました。メネラーオス
トロイア戦争は、スパルタ王メネラーオスの妻であるヘレネーがトロイアの王子パリスに奪われたことで発生しました。ギリシア軍の総大将を務めた兄のアガメムノーンは武力が高く、弟のメネラーオスは知力が高い武将です。トロイの木馬に乗り込み、パリスの弟のデーイポボスを討ち取りました。トロイア王国から妻のヘレネーを取り戻し、ヘレネーと共にスパルタ国を統治し幸せに暮らしました。
ディオメデス
アキレウスに次ぐ武力を持ち、トロイア戦争ではトロイア王国に味方をする愛と美の女神アフロディーテや戦いと破壊の神アレースに傷を負わせ撤退に追い込みました。また、トロイア陥落のために都市の守護神であるアテーナーの木像を盗み出す必要があるという信託が下った際に、オデュッセウスと共にトロイアに侵入し、木像を盗み出すことに成功しました。アンティクロス
ギリシア兵が木馬の内部に潜んでいないか疑ったトロイア兵は策をしかけ、武将たちの妻の声を真似て木馬に語りかけました。武将は長い間会えない妻の声を聞き、涙を流して耐えましたが、アンティクロスだけは思わず返事をしてしまいそうになりました。しかし、オデュッセウスが慌ててアンティクロスの口を押え、トロイアの策を避けることができました。一説によるとオデュッセウスの押さえる力が強すぎたため、アンティクロスは窒息死してしまったと言われています。
ピロクテーテース
弓の名手で、ヘラクレスの弓を持ってトロイア戦争に参加しました。アキレウスを弓矢で討ち取ったトロイアの王子パリスを自慢の弓で倒しました。オデュッセウスに恨みがあり、最初は参戦を拒否していましたが、ネオプトレモスの説得とヘラクレスの言葉に従いトロイア戦争参戦を決意しました。また、戦争の終盤に参戦し手柄が欲しいピロクテーテースは、戦争を終結に導くトロイアの木馬作戦には当初は反対をしていました。
エペイオス
トロイア戦争では目立った武勲をあげることが出来ませんでしたが、得意の工作を生かしてトロイの木馬を建造しました。トロイの木馬作戦では、木馬の構造を熟知しているため、最後に木馬に乗り込み梯子を外して胴体を閉じました。そして木馬が城内に入り深夜になった時に再び木馬の出入り口の蓋を外す役割を担いました。なお、2004年公開のハリウッド映画「トロイ」では、ブラット・ピット演じるアキレウスも木馬に入り、クライマックスのトロイア陥落まで活躍をします。しかし、ギリシア古典の叙事詩では、アキレウスは木馬作戦の前に戦死をしてしまっているため、トロイアの木馬には乗り込みません。
トロイアの木馬は実在したのか?
長い間、神話上の伝説と思われていたトロイア王国やトロイア戦争は、ドイツ人考古学者シュリーマンによるトロイ遺跡の発見やヒッタイトに残された文献などから、実在した可能性が高いことが分かっています。
ヒッタイト帝国とその首都「ハットゥシャ遺跡」の見どころ徹底解説 | トルコ旅行・ツアー・観光なら、安心の『ターキッシュエア&トラベル』におまかせ!
紀元前1300年~1190年にあたるトロイ遺跡の第7層Aから大火災の跡や虐殺が起こった痕跡などが発見され、第7都市がトロイア王国で実際にトロイア戦争が起こったと考察されています。
一方、トロイアの木馬は、古代ギリシア叙事詩の「小イーリアス」や「イリオスの陥落」に登場をしますが、実在した証拠は見つかっていません。もし実在していたとしても、街を覆いつくすほどの大火災に見舞われたトロイア王国では、多くの家屋と共に木馬も燃え尽きてしまい痕跡の発見は難しいと考えられています。
また、シュリーマンの考古学の知識不足により、トロイ遺跡の第7層Aはほとんど削り取られてしまっています。そのため現代の技術を用いても、木馬の痕跡の発見は非常に困難となっています。
伝説のトロイ遺跡を発見したシュリーマンの功績と批判される理由
トロイアの木馬の本当の姿とは?
トロイアの木馬が実在したとして、実際に23人~50人の成人男性が隠れられるほどの巨大な木馬を当時の技術で建造することができたのでしょうか?現実的に考えると木馬の実在は完全にフィクションで、物語をドラマチックに演出するために作られたと思われます。しかし、トロイアの木馬は物語で知られているような木馬の形状ではなく、別の姿で存在をしていたといういくつかの説があります。
馬の形をした攻城兵器
城門を破壊するために破城槌や攻城槌と呼ばれる攻城兵器が、古来より使用されて来ました。破城槌は日本のお寺にある鐘を叩くための撞木に似ています。高さのある土台に丸太が吊り下げられ、移動のために土台に車輪がついており、弓矢や投石から兵士を守る目的で角度のある屋根がつけられています。城門に打ち付ける丸太の先端部分を動物の形に彫刻する場合や、装置全体に動物の皮を張り付け動物の形に模して作られる場合もあります。そのため馬に似た形の破城槌の使用の記述が、本来の意味や用途を知らない後世の口承史家に神話化され、トロイアの木馬の物語になった可能性が指摘されています。
実際は木馬ではなく船だった?
トロイアの木馬は、実際は船のことであると言われています。当時、船首に馬の頭を装飾した商船が普及しており、貴金属の取引や戦争が終わった後の貢ぎ物に使われることもあったと言われています。このような船はギリシアではそのまま「馬」と呼ばれており、広く東部地中海沿岸地域にまで広がっていました。また、大きな船であれば積み荷に扮して船倉に大人数の兵士が隠れることが可能です。船を表す馬という言葉が、後世に勘違いされ、4本足の木馬のイメージになったという説があります。
トロイアを襲った大地震の隠喩
木馬は地震のことを隠喩しているという推論があります。大地震によって城壁が壊れ、そこからギリシア兵が城内に入り込んだという説です。実際に考古学的な調査により、トロイ遺跡は古い層に地震で損害を受けた形跡が見つかっています。また、ギリシアの味方をしていたポセイドンは海と地震の神ですが、もともとは大地の神でした。馬は大地と密接な間関係があり、ポセイドンもかつては馬の神と呼ばれていました。
したがって、馬の神が起こした地震によって城壁を破壊したことが、トロイアの木馬の物語に置き換えられたという理論となっています。
トロイアの木馬の記録
トロイアの木馬の絵図は、古代ギリシアの宝飾品などに見られます。そのうち、ギリシアのミコノス島で発見されたトロイアの木馬が描かれた花瓶は、紀元前8世紀ごろのものです。花瓶の表面には木馬と中に隠れているギリシア兵の表現がしっかりと確認できます。これはトロイアの木馬の最古の典拠と考えられ、叙事詩である小イーリアスよりも以前のものである可能性が指摘されています。また、イタリアのローマ県チェルヴェーテリで発見された、紀元前560年ごろの香油を入れる容器にはトロイアの木馬が描かれています。木馬の胴体に四角い窓が複数描かれ、そこから兵士が降りて戦う様子を見ることが出来ます。
さらに、紀元前1200年頃にギリシアのクレタ島にあるクノッソス宮殿で発見された印章には、漕ぎ手のいる船と馬の姿が重なった絵が描かれています。これがトロイアの木馬だとすれば最古の記録となりますが、まだ解明されていません。
中に入ることも可能!トルコにあるトロイアの木馬の実物
トロイ遺跡
トルコのエーゲ海沿岸地域にあるトロイ遺跡の入り口に、トロイアの木馬のレプリカが置かれています。この木馬は物語の通り内部の胴体部分に入ることができます。
木馬の背中に小屋を背負っているような形をしており、少し急な階段を登ると木馬の中はさらに2階に分かれています。胴体部分に空いている窓から顔を出し外の景色を見ると、当時のギリシア兵の気分が味わえるかもしれません。
名称 | トロイ遺跡(Archaeological Site of Troy) |
住所 | 17100 Kalafat/Çanakkale Merkez/Çanakkale |
休館日 | 無し ※砂糖祭と犠牲祭の初日は13:00より開館 |
営業時間 | 8:00~19:00(4月から10月)、8:30~17:30(11月から3月) ※チケット売り場は30分早く閉まります。 |
入場料 | 60 TL(約740円)、8歳未満の子供は無料。 トロイ博物館とのセット券:100 TL(約1,240円) |
公式サイト | https://muze.gov.tr/muze-detay?SectionId=TRV01&DistId=TRV |
世界遺産のトロイ遺跡(トロイア)|ギリシャ神話と伝説が蘇えった町
チャナッカレ
2004年に公開をされたブラッド・ピット主演のハリウッド映画「TROY」の撮影で使われたトロイアの木馬が、トロイ遺跡観光の起点の街チャナッカレに展示されています。街中の屋外に展示をされていますので、気軽に訪れて写真撮影が可能です。
トロイ遺跡に展示されている木馬はデフォルメ化されており、絵本などで見る木馬のイメージに近いかと思います。一方、映画で使われたチャナッカレの木馬は全身が黒く、よりスタイリッシュな外観をしています。この木馬は残念ながら内部には入ることができませんが、下から見上げるだけでその迫力に圧倒されます。
現代におけるトロイアの木馬の意味
マルウェア
近年「トロイの木馬」と言えば、コンピューターに損害を与えるマルウェアを指すことのほうが多いでしょう。マルウェアの一種であるトロイの木馬は、一見無害あるいは有益に見えるソフトウェアやアプリケーションの中に悪意のある不正プログラムが隠されており、そのプログラムによってユーザーが気付かないうちに個人情報やパスワードが盗まれてしまうなどの脅威を与えるものです。
騙し隠れて懐に侵入し、相手の損害を与えるという行為を、ギリシア神話のトロイの木馬のエピソードになぞらえて「トロイの木馬」と呼ばれています。
トロイの木馬は自己複製機能を持たないため他のパソコンに感染を広げることはありません。また、感染をしてもすぐに症状が出ず、感染に気付きにくいのが特徴です。感染させない対策としては、ウィルス対策ソフトの導入、OSやプログラムを更新し最新の状態にしておく、不審なURLやファイルなどを開けないことが有効とされています。
現在のマルウェアの80%以上がトロイの木馬と言われており、セキュリティソフト会社が対策を行っても、毎年、新しい種類が生み出されています。また、近年はパソコンだけでなく、スマートフォンをターゲットにしている亜種が増えてきています。
カクテル
カクテルのトロイの木馬とはスタウトをコーラで割ったドリンクです。スタウトとは苦みと酸味が強いビールの一種で、黒い色をしているのが特徴です。代表的なスタウトの銘柄は、ギネス(Guinness)です。色が似ているコーラでスタウトを割ることで、一見するとコーラと同じであるため、コーラの中にスタウトが隠れている感じとなります。それが木馬の中にギリシア兵が潜んでいたトロイアの木馬になぞらえて、ギネス社によってトロイの木馬の名がつけられました。
パズドラ
ギリシア神話の神々や英雄たちは様々なゲームやアニメのキャラクターとなっています。人気スマートフォンゲームのパズドラ(パズル&ドラゴンズ)には、トロイアの木馬が登場しています。パズドラでのトロイアの木馬はオデュッセウスのアシスト進化で入手することが出来ます。暗闇・お邪魔や爆弾・毒の耐性を1ずつ付与することが可能で、覚醒無効を全回復するスキルを持っている優秀な性能となっています。本家トロイアの木馬のように、相手を騙すようなスキルは特に付いていません。