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ギリシャの「ロードス島」は巨像が有名?歴史や観光スポットを紹介!


ギリシャの島といえば、サントリーニ島やミコノス島が有名でしょう。しかし、ギリシャにはほかにも6,000を超える島があり、そのなかの「ロードス(ロドス)島」も人気リゾートの1つとなっています。日本での知名度はあまり高くありませんが、世界七不思議の1つ「ロードス島の巨像」にまつわる話や中世の街並みなど、さまざまな魅力が詰まった島なのです。
 
本記事では、ロードス島の魅力について歴史や観光スポットをまじえて紹介します。


ロードス島ってどんな島?

ロードス島
ロードス島はギリシャのドデカニサ諸島における最大の島で、ギリシャ本島の南、エーゲ海上にあります。位置だけを見れば、ギリシャ本島よりもはるかにトルコのほうが近い場所となっています。
 
ロードス島にはたくさんの魅力がありますが、最初に挙げるべきは世界遺産にもなっている「中世都市」でしょう。また、郊外にも絶景として知られる「白い村」や遺跡「アクロポリス」など、見どころが豊富です。もちろんエーゲ海に浮かぶ島として美しいビーチもあります。さらに、世界の七不思議の1つ「ロードス島の巨像」があった島としても有名です。

ロードス島の知名度は日本ではまだ高くありませんが、地中海クルーズのなかで立ち寄る島として栄えており、ヨーロッパでは人気リゾート地の1つになっています。

ちなみに、ロードス島と聞くと「ロードス島戦記」を連想する方もいますが、両者はまったく関係がありません。

Medieval City of Rhodes - UNESCO World Heritage Centre

ロードス島のベストシーズンは夏!気候は?

ロードス島 リンドス
ロードス島の気候は、温暖で晴天率も高くなっています。年間の降水量は東京の半分ほどしかなく、6~9月はほとんど雨が降りません。真夏では日中の気温が35℃ほどになる日もありますが、日本のような湿度はないためカラっとしています。

冬も比較的暖かく、もっとも寒い1~2月でも最高気温15度、最低気温9度ほどと過ごしやすい気候になっています。ただし、オフシーズン(11月~3月)になると閉まるお店が多いため注意が必要です。

夏に訪れる際は、日焼け止めや帽子、サングラスの持参をおすすめします。

 
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ロードス島の魅力満載|外せない観光スポット!

ロードス島には、歴史ある街並みやギリシャらしい風景、雄大な遺跡、美しいビーチなど、とにかく見どころが満載です。そんなロードス島のおすすめ観光スポットを紹介します。

世界遺産の中世都市「ロードスタウン」

ロードス島
ロードス島に来たら必ず訪れたいのが「ロードスタウン」です。旧市街の街並みは、1309年から2世紀にもわたってロードス島を本拠地としていた聖ヨハネ騎士団によって造られたものです。1988年に「ロードス島の中世都市」として世界文化遺産に登録されました。
 
中世の街並みのほとんどが当時のまま残されており、一歩足を踏み入れるとまるで中世にタイムスリップしたような感覚になります。また、旧市街を囲んでいる全長4kmにもおよぶ城壁の堅牢さは、世界でも類を見ないほどです。

かつて「ロードス島の巨像」があった場所には、エレフォス・エレフィーナと呼ばれる塔の上に2頭の鹿の彫像が置かれています。50mもの高さがあったとされる巨像は、海をまたぐように左右の足で立ち、足の間を船が通っていたといわれています。実際に巨像があった場所を訪れれば、その大きさが想像できるでしょう。港には風車が並ぶなど、ギリシャらしい風景も望めます。

町のなかでは直径30cm程度の丸い石が無数に並んでいるのをよく見かけます。オスマン帝国との戦いの際にオスマン帝国側が撃ち込んできた砲弾です。かなりの数が撃ち込まれたことから戦後も処分に困り、現在ではガードレールの代わりや漬物石などとして使われているそうです。

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旧市街は徒歩2時間ほどで1周できます。レストランやカフェ、かわいいお土産屋さんも多く並んでいます。エーゲ海の島ということもあり、やはり食事はシーフード料理がおすすめです。

騎士団長の館

騎士団長の館 ロードス島
騎士団長の館は、重要な史跡の1つとして人気の観光スポットです。ビザンツ帝国領下にあった7世紀に都市の軍事拠点として建てられたものがその後改修され、1309年以降は聖ヨハネ騎士団団長の邸宅および騎士団領の行政府を兼ねることとなりました。

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しかし1522年にオスマン帝国がロードス島を占拠すると、牢獄として転用され、1856年には火薬庫の爆破事故で崩壊してしまいます。実は、現存している館は1937年にイタリア人によって再建されたものなのです。

館内には騎士団所縁のものや絵画のほか、武器や本、手記など牢獄の名残を感じるものが展示されています。騎士団の生活を想像しながら見学すると、なんとも感慨深い気持ちになります。ロードス島の歴史を学んでから訪れれば、見ごたえが増すこと間違いなしです。

ロードス考古学博物館(騎士団の病院)

聖ヨハネ騎士団が病院として建てた建物は、現在考古学博物館として利用されており、ロードス島で出土した多くの遺物が展示されています。陶器や壁画、彫像など見ごたえのある品々が数多く展示されています。なかでも必見なのが、白い大理石で作られた彫像「ロードス島のアフロディテ」です。

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ロードス島では、中世の文化だけでなく古代ギリシャ時代の文化に触れられるのも魅力の1つです。

ロードス島でもっとも美しい場所「リンドス」とアクロポリス

ロードス島 リンドス
ロードスの市街地からバスで1時間ほどの場所に「リンドス(Lindos)」という村があります。リンドスには「ロードス島で一番美しいビーチ」といわれる「セイントポールベイ」や雄大な遺跡「アクロポリス」があり、ロードス島でもっとも美しい場所といわれています。
 
遺跡アクロポリスから望む景色は絶景で、青い空と海に壮大なアクロポリスが眺められるのはロードス島ならではです。アクロポリスの断崖絶壁の下に見えるセイントポ-ルベイはハートの形をしており、フォトスポットとしても人気です。

リンドス村もとても美しく、白で統一された建物が青い空によく映えます。また、花が咲き乱れる季節には白い建物と花々のコントラストが絵になります。

村を歩いていてよくすれ違うのが、ロバです。リンドス村は車とバイクの乗り入れが禁止されており、移動手段は徒歩もしくはロバとなっているためです。とてもかわいらしいリンドス村では、歩いているだけでも色々な発見があるでしょう。

 
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ロードス島へのアクセスは?

ロードス島 リンドス
ロードス島へは、飛行機またはフェリー(高速船)を利用して行くのが一般的です。日本から行く場合、ギリシャのアテネやトルコのイスタンブールなど、ほかのヨーロッパ都市を経由して行くことになるでしょう。

2022年現在、日本からギリシャへの直行便は運航していないため、最短ルートはトルコのイスタンブール経由となります。

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トルコから

  • イスタンブールから飛行機で約50分
  • マルマリスから高速船で約50分(マルマリスまでは、イスタンブールから最寄りのダラマン空港を経由して約3時間)
 
もっとも近いトルコの都市「マルマリス(Marmaris)」からロードス島までは約47kmと、かなり近い距離になっています。マルマリスから高速船に乗って1時間ほどでロードス島に行けるため、その気になればトルコからギリシャ(ロードス島)への日帰り旅行も可能です。

トルコには数多くの観光都市があるため、マルマリス自体は小さな町ですが、保養地およびロードス島への起点として多くの人が訪れています。また、マルマリスはトルコを代表するエーゲ海の人気リゾート地「ボドルム(Bodrum)」など、魅力的なリゾート地や温泉、観光地に囲まれていることも魅力の1つです。

ボドルム(ハリカルナソス)観光|エーゲ海の人気リゾート地 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
 
トルコとギリシャのリゾート地、双方を気軽に行き来できるのはマルマリスならではだといえるでしょう。

ギリシャ国内から

  • アテネから飛行機で約50分
  • サントリーニ島からフェリーで約8時間(サントリーニ島からロードス島への直行便はありません)

世界の七不思議の1つ「ロードス島の巨像」

ロードス島の巨像
ロードス島には世界の七不思議の1つに数えられる「ロードス島の巨像」がありました。世界の七不思議とは、以下7つの建造物のことを指します。
  • ギザの大ピラミッド(エジプト)
  • エフェソスのアルテミス神殿(トルコ)
  • ハリカルナッソスのマウソロス霊廟(トルコ)
  • オリンピアのゼウス像(ギリシャ)
  • バビロンの空中庭園(イラク周辺)
  • アレクサンドリアの大灯台(エジプト)
  • ロードス島の巨像(ギリシャ)
 
世界の七不思議まとめ!実在した巨大建造物のミステリーと新・世界七不思議を紹介 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
 
そもそも世界の七不思議は、古代ギリシャの数学者にして旅行家だった「ビザンチウムのフィロン」が紀元前2世紀に書いた「世界七つの景観」のなかで、古代の地中海地方に存在していた7つの巨大建造物として取り上げられたことが始まりとされています。

ロードス島の巨像は太陽神ヘリオスをかたどった彫像であり、紀元前3世紀頃に港に建造されました。ディアドコイ戦争での勝利を祝い、太陽神ヘリオスへの感謝の証として港の入口付近に造られ、12年もの歳月をかけて紀元前284年に完成しました。
 
高さ15mの大理石製の台座の上に鉄製の骨組みを作り、さらに薄い青銅板で外装を覆うといった造りになっています。外装は、デメトリオス軍の遺棄した武器などを鋳潰した(いつぶした)ものが使われていたといわれています。巨像は台座を含めると約50mもの高さがあり、ニューヨークの自由の女神にも匹敵する高さでした。

しかし完成から58年後の紀元前226年、ロードス島で地震が発生し、巨像は膝から折れて倒壊してしまいました。プトレマイオス3世は再建のため資金提供を申し出ますが、ロードス島の住人は「神に似せた彫像を造ったことが神の怒りに触れた」と考え、再建を拒否します。

巨像はその後800年にもわたって放置されますが、654年にムアーウィヤの軍がロードス島を征服した際に巨像の残骸をエデッサ(現トルコのシャンルウルファ)の商人に売却します。商人は彫像を破壊したあと、青銅のスクラップにし、900頭のラクダに積んで持ち去りました。彼らはイスラム教徒であったため、巨像のような偶像崇拝を嫌い、避けていたといわれています。

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ロードス島に欠かせない「聖ヨハネ騎士団」の存在

聖ヨハネ騎士団 アッコン包囲戦
聖ヨハネ騎士団は、11世紀に起源を持つ宗教騎士団です。テンプル騎士団やドイツ騎士団とともに中世ヨーロッパにおける「三大騎士修道会」の1つとされていました。
 
聖地エルサレムにおいて、洗礼者ヨハネ修道院跡に病院を兼ねて建設された巡礼者宿泊所で医療活動を行なっていたのが聖ヨハネ騎士団の始まりでした。そして十字軍時代に宗教騎士団として正式に誕生します。医療活動を行なっていたことから「ホスピタル騎士団」とも呼ばれていましたが、次第に軍事的な性質を強めていくことになります。

1187年にイスラム勢力によりエルサレムが陥落し、1291年にキリスト教徒最後の砦であったアッコ(イスラエル)も陥落すると、聖地を追われた聖ヨハネ騎士団は一時キプロスに逃れます。その後、聖ヨハネ騎士団が新たに本拠地としたのが東ローマ帝国領だったロードス島です。1309年に当時のローマ教皇クレメンス5世が聖ヨハネ騎士団のロードス島所有を認めると、以降2世紀にもわたってロードス島は聖ヨハネ騎士団の本拠地となりました。

ロードス島に本拠地を移したあとも1444年にマルムーク朝、1480年にはオスマン帝国と立て続けにイスラム勢力からの襲撃を受けますが、聖ヨハネ騎士団はこれらを退けていました。しかし1522年、オスマン帝国のスレイマン大帝が20万人の兵を連れて来襲します。対して騎士団側は7,000人ほどしかおらず、必死の攻防を繰り広げるも敗れてしまい、ロードス島は陥落します。やむなくロードス島を明け渡した聖ヨハネ騎士団は、シチリア島へと撤退しました。

再び本拠地を失った聖ヨハネ騎士団でしたが、シチリア王からマルタ島を借りることとなり、マルタ島へ本拠地を移します。聖ヨハネ騎士団は本拠地の移転にともない「ロードス騎士団」「マルタ騎士団」とも呼ばれました。

聖ヨハネ騎士団は創設900年以上経った現在も存続しており、正式名「エルサレム、ロードス及びマルタにおける聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会」(通称「マルタ騎士団」)として世界120カ国において国際慈善活動を続けています。

 
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ロードス島の歴史

ロードス島 リンドス
ロードス島の歴史はかなり古く、新石器時代から人々が生活していたとされています。紀元前16世紀にはミノア文明が築かれていましたが、紀元前15世紀に起きたアカイア人の侵略によってミノア文明は崩壊しました。紀元前11世紀になると、ドーリア人がロードス島にやってきます。本土の3つの都市に加え、島にリンドス・イアリソス・カメイロスという3つの重要な都市を建設しました。

紀元前332年にアレクサンドロス大王の帝国の一部となりますが、その後帝国が分割されたことで、ロードス島はプトレマイオス1世(古代エジプトのプトレマイオス朝の初代ファラオ)のもとに置かれます。その後は多少の争いがありながらも、紀元前201年のローマ人による侵略までは地位を維持していました。

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紀元前164年にはローマ共和国と平和条約を結びます。そして紀元前後には、のちにアウグストゥスのあとを継いで皇帝となるティベリウスがロードス島で隠遁生活を送っていました。また、キリストの使徒パウロがロードス島を訪れ、キリスト教を伝道していたことが知られています。そしてローマ帝国の分裂後、ロードス島は東ローマ帝国領となりました。

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中世のロードス島

オスマン帝国 ロドス包囲戦
東ローマ帝国領だった間も、ロードス島はさまざまな軍隊によって繰り返し攻撃されていました。そして東ローマ帝国が衰えつつあった1309年、ロードス島は聖ヨハネ騎士団に占領され、都市は中世ヨーロッパ風に作り変えられました。
 
騎士団は島内に堅固な城壁を築き、2世紀もの長い間イスラム軍の攻撃に耐え続けました。しかし、1522年に侵攻してきたオスマン帝国との「ロードス包囲戦」に敗れ、聖ヨハネ騎士団はマルタ島に退くこととなります。オスマン帝国がロードス島を征服したのは、イスタンブール・カイロ間の商品流通を円滑にすべく東地中海の海路の安全を確保するためだったとされています。

ロードス島に現在も残る城壁や中世の街並みなどは、イスラム軍の攻撃に耐える聖ヨハネ騎士団が築いたものでした。

オスマン帝国の支配からギリシャへ

ロードス島は1522年にオスマン帝国が征服して以降、390年間にわたってオスマン帝国の一部となっていました。
 
その後、1912年にイタリアが島を制圧し、第2次世界大戦の終盤にはナチス・ドイツがイタリアから島の支配を受け継ぎます。しかし、1945年にイギリス軍とギリシャ軍によってロードス島は解放され、1947年に正式にギリシャの一部となりました。

現在でもロードス島には聖ヨハネ騎士団の末裔であるイタリア人や、勝利したオスマン帝国の子孫にあたるトルコ人が多く住んでいます。

ロードス島で多くのユダヤ人を救ったトルコ人外交官の話

セラハッティン・ウルクメン
ロードス島の歴史といえば聖ヨハネ騎士団が真っ先に思い浮かびますが、実はかつてのロードス島には多くのユダヤ人が暮らしていました。その歴史は紀元前2世紀にまでさかのぼります。1920年代には、ロードスの住民の3分の1がユダヤ人だったといわれるほどです。現在、ロードス島で暮らすユダヤ人の数は多くありません。それでも、旧市街には今もユダヤ人街があり、そこにはギリシャ最古のシナゴーグ「カハル・シャローム」があります。

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ロードス島にまだ多くのユダヤ人が暮らしていた第2次世界大戦当時、彼らを救ったトルコ人外交官がいました。

第2次世界大戦中の1944年7月、ゲシュタポはロードス島に住むユダヤ人に対して本部に集まるよう命じました。強制収容所に強制送還するためでした。

これに対し、当時ロードス島に駐在していたトルコ領事館の外交官セラハティン・ウルクメン(Selahattin Ülkümen)が動きます。第2次世界大戦中、トルコは中立国の立場であったことから、ウルクメンは多くのユダヤ人を手助けし、約2,000人のユダヤ人コミュニティのうち50人近くの命を救いました。
しかし、ドイツの報復に遭ったウルクメンは妻と幼い子を殺され、自身も拘束されてしまいます。終戦後に解放されるとウルクメンはトルコに戻り、2003年に89歳でその生涯を閉じました。

ウルクメンの取った行動は評価され、1989年にイスラエル政府は「諸国民の中の正義の人」としてウルクメンに「ヤド・バシェム賞」を授与します。この賞はのちに日本の杉原千畝にも授与されたものです。

 
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