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ゴルディオン古代都市(文化遺産・2023年)
ゴルディオン古代都市は、トルコにある古代フリギア王国の首都の遺跡です。現在のトルコの首都アンカラから南西に約90km、ポラットル(Polatlı)郡ヤッスホユック(Yassıhöyük)村に位置しています。
2023年にサウジアラビアの首都リヤドで行われた第45回ユネスコ世界遺産委員会での決定により、鉄器時代の独立王国であったフリギアの古代首都の遺跡を包含する重層的な古代集落がトルコで20番目の世界遺産として登録されました。この遺跡には、城塞のある丘や城下町、いくつかの古墳とその周辺の景観が含まれます。
ゴルディオン(Gordion)は、紀元前12世紀~紀元前7世紀ごろにアナトリア(現トルコ)中西部に存在したフリギア王国の首都です。フリギア人はヨーロッパ南東トラキア地方からアナトリアに渡ってきた民族で、当地で栄えていたヒッタイト滅亡後に勢力を強めました。
このフリギア人が、紀元前750年頃に内陸のサンガリオス川(現サカリヤ川)近くに建設したのがゴルディオンです。ゴルディオンという都市名は、フリギア王国の初代国王ゴルディアスに由来します。
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フリギア王国は、2代目のミダス王の治世で最も繁栄し、中央アナトリアから南東アナトリアまで支配したとされています。このミダス王は、触れたものを黄金に変える手を持つ“ゴールデンタッチ”の伝説や、童話として広く知られる『王様の耳はロバの耳』のモデルとなった実在の人物です。
ゴルディオンは、コーカサス地方からアナトリアに急進してきたキンメリア人の襲撃により紀元前7世紀ごろに破壊されてしまい、ミダス王も命を落としたといわれています。発掘調査では、紀元前675年頃に都市が激しく破壊されたことが確認されているようです。
その後フリギアは小さな君侯国の一つとしてリディアに属し、以降もメディア、アケメネス朝ペルシア、ヘレニズム世界、ローマ帝国と支配者の変遷の中、1453年のビザンツ帝国の崩壊までその名を残しました。
ミダス王とは?黄金の手とロバの耳を持つ実在した王様の伝説と神話
ゴルディオンはアッシリア、バビロニア、ヒッタイト、ローマといった東方の大帝国が交差する場所にあり、長きに渡って複雑な占領の歴史を歩んできた、古代中近東における最も重要な歴史的中心地の一つであると考えられています。エーゲ海や地中海と近東を結ぶ交易上の要衝でもありました。
近年の考古学的発掘と調査により、フリギアの特異な文化や経済、技術などをうかがい知れる重要な遺跡が発見されました。遺跡の発掘品の一部は、そばにあるゴルディオン博物館に展示されています。
ゴルディオン遺跡には王族のものとみられる128もの古墳がありますが、その中で最も重要なのは、「ミダスの墓」と呼ばれる一際広大な古墳です。地中から発掘された木造の構造物の中には墓用品、棺、家具、供え物が納められていました。
ミダス王のものとみられる遺骨や副葬品は、アンカラのアナトリア文明博物館に収蔵されています。
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かつてゴルディオンには、荷車を神殿の柱に結びつけた難解な結び目があり、フリギアの初代国王ゴルディアスは「この結び目を解いたものがアジアの王となるだろう」と予言しました。
“ゴルディアスの結び目”は数百年間解かれることはありませんでしたが、紀元前334年の冬にゴルディオンを訪れたアレクサンドロス大王は、持っていた剣で結び目を一刀両断。ゴルディアスの予言通り、のちにアレクサンドロス大王はアジアを制覇しました。
このエピソードから、「ゴルディオスの結び目を切る(cut the Gordian knot)」は、“大胆な手法で難題を解決する”という意味のことわざになっています。
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2023年にサウジアラビアの首都リヤドで行われた第45回ユネスコ世界遺産委員会での決定により、鉄器時代の独立王国であったフリギアの古代首都の遺跡を包含する重層的な古代集落がトルコで20番目の世界遺産として登録されました。この遺跡には、城塞のある丘や城下町、いくつかの古墳とその周辺の景観が含まれます。
名称 | ゴルディオン古代都市(Gordion) |
場所 | Yassıhüyük, 06900 Polatlı/Ankara, Türkiye |
世界遺産登録年 | 2023年 |
国 | トルコ |
登録基準 | (iii):現存する、あるいは消滅した文明や文化的伝統について、ユニークな、あるいは少なくとも例外的な証拠を示している。 |
ユネスコ公式ページ | https://whc.unesco.org/en/list/1669/ |
目次
ゴルディオンとは?
ゴルディオン(Gordion)は、紀元前12世紀~紀元前7世紀ごろにアナトリア(現トルコ)中西部に存在したフリギア王国の首都です。フリギア人はヨーロッパ南東トラキア地方からアナトリアに渡ってきた民族で、当地で栄えていたヒッタイト滅亡後に勢力を強めました。
このフリギア人が、紀元前750年頃に内陸のサンガリオス川(現サカリヤ川)近くに建設したのがゴルディオンです。ゴルディオンという都市名は、フリギア王国の初代国王ゴルディアスに由来します。
アナトリアとは?文明の発祥地である小アジアの歴史や遺跡
神話や童話でも知られるミダス王
フリギア王国は、2代目のミダス王の治世で最も繁栄し、中央アナトリアから南東アナトリアまで支配したとされています。このミダス王は、触れたものを黄金に変える手を持つ“ゴールデンタッチ”の伝説や、童話として広く知られる『王様の耳はロバの耳』のモデルとなった実在の人物です。
ゴルディオンは、コーカサス地方からアナトリアに急進してきたキンメリア人の襲撃により紀元前7世紀ごろに破壊されてしまい、ミダス王も命を落としたといわれています。発掘調査では、紀元前675年頃に都市が激しく破壊されたことが確認されているようです。
その後フリギアは小さな君侯国の一つとしてリディアに属し、以降もメディア、アケメネス朝ペルシア、ヘレニズム世界、ローマ帝国と支配者の変遷の中、1453年のビザンツ帝国の崩壊までその名を残しました。
ミダス王とは?黄金の手とロバの耳を持つ実在した王様の伝説と神話
ゴルディオン古代都市の観光の見どころ
ゴルディオンはアッシリア、バビロニア、ヒッタイト、ローマといった東方の大帝国が交差する場所にあり、長きに渡って複雑な占領の歴史を歩んできた、古代中近東における最も重要な歴史的中心地の一つであると考えられています。エーゲ海や地中海と近東を結ぶ交易上の要衝でもありました。
近年の考古学的発掘と調査により、フリギアの特異な文化や経済、技術などをうかがい知れる重要な遺跡が発見されました。遺跡の発掘品の一部は、そばにあるゴルディオン博物館に展示されています。
名称 | ゴルディオン博物館と古代遺跡(Gordion Müzesi Ve Örenyeri) |
場所 | Yassıhöyük Köyü,Polatlı |
営業時間 | 8:30~19:00(チケット売り場は18:30まで) |
入場料 | 60TL |
定休日 | なし |
公式サイト | https://muze.gov.tr/muze-detay?sectionId=GOR01&distId=MRK |
ゴルディオン遺跡には王族のものとみられる128もの古墳がありますが、その中で最も重要なのは、「ミダスの墓」と呼ばれる一際広大な古墳です。地中から発掘された木造の構造物の中には墓用品、棺、家具、供え物が納められていました。
ミダス王のものとみられる遺骨や副葬品は、アンカラのアナトリア文明博物館に収蔵されています。
アナトリア文明博物館【アンカラ】
ゴルディオンにまつわる有名な伝説「ゴルディオスの結び目」
かつてゴルディオンには、荷車を神殿の柱に結びつけた難解な結び目があり、フリギアの初代国王ゴルディアスは「この結び目を解いたものがアジアの王となるだろう」と予言しました。
“ゴルディアスの結び目”は数百年間解かれることはありませんでしたが、紀元前334年の冬にゴルディオンを訪れたアレクサンドロス大王は、持っていた剣で結び目を一刀両断。ゴルディアスの予言通り、のちにアレクサンドロス大王はアジアを制覇しました。
このエピソードから、「ゴルディオスの結び目を切る(cut the Gordian knot)」は、“大胆な手法で難題を解決する”という意味のことわざになっています。
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