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ガリポリの戦いが発生した理由と後世への影響とは?ダーダネルス海峡最大の戦闘


ガリポリの戦いとは、第一次世界大戦中の1915年4月にイギリスとフランスを中心とした連合軍が、ドイツの司令官が率いるオスマン帝国の守備隊を相手に、トルコのガリポリ半島に上陸作戦を行った戦いのことです。

名称 ガリポリの戦い(チャナッカレの戦い)
場所 オスマン帝国のガリポリ半島・ガリポリ要塞
日付 1915年4月25~1916年1月9日
参戦国 オスマン帝国(ドイツとオーストリア-ハンガリーが後援)
連合国軍(イギリス・フランス・オーストラリア・ニュージーランド)
結果 オスマン帝国軍の勝利

ヨーロッパとアジアを繋ぐ要衝のため、古くから戦いの場となってきたダーダネルス海峡で起きた最大の戦闘がこのガリポリの戦いです。連合国軍の戦死傷者は約14万人となり、加えて11万人~14万人が塹壕の中の劣悪な衛生環境によって病死したと言われています。オスマン帝国軍は25万人の死傷者が出ました。


当時のオスマン帝国はドイツとオーストリアと同盟を形成しており、イギリスとフランスの連合軍はドイツが東地中海で勢力を強めることを懸念していました。そこで、時のイギリス海軍大臣ウィンストン・チャーチルが、ダーダネルス海峡にあったガリポリ要塞を占領する作戦を決行。

しかし、ガリポリ要塞に攻め込んだ英仏軍およびオーストラリア・ニュージーランド連合軍(ANZAC)は、かつての勢いを失って「ヨーロッパの瀕死の病人」と呼ばれていたオスマン帝国に予想外の抵抗を受け、上陸作戦は失敗に終わります。ガリポリの戦いの敗戦により、作戦立案者のイギリスのウィンストン・チャーチルは責任を取り海軍大臣を辞職することになり、一時政治の表舞台から姿を消すことになりました。

なお、ガリポリの戦いは近代戦争で初めての海軍・空軍・陸軍による大規模な上陸作戦となり、その後の軍事研究に大きな影響を与えました。

ガリポリの戦いが勃発した経緯

ガリポリの戦い
第一次世界大戦の最中であった1914年にロシアが英仏の連合国に参戦しましたが、オスマン帝国によってポスポラス海峡とダーダネルス海峡を押さえられているため、英仏軍が地中海を通ってロシアと連絡を取ることができず、また、ロシア海軍が黒海から地中海に進軍することができませんでした。

そこで、イギリス海軍大臣のウィンストン・チャーチル(のちのイギリス首相)によって、オスマン帝国の首都イスタンブールを占領する計画が立案されます。そしてイスタンブール占領の足掛かりとして、ダーダネルス海峡にあるガリポリ要塞の攻撃と占領のための作戦が立てられました。対するオスマン帝国側は、海峡全域に大量の機雷を設置し、海峡の両岸に多数の砲台を建設し、連合軍の進軍に対して備えを行いました。

1915年の2月と3月に英仏の大艦隊が海上からガリポリ要塞に攻撃を行いましたが、両岸からの砲撃や機雷により、3隻の戦艦が大破しました。海軍力だけではガリポリ要塞の制圧が難しいと実感した連合軍は、陸軍による上陸作戦を決行することになります。

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ガリポリ半島上陸作戦の顛末

ガリポリの戦い
悪天候から回復した1915年4月25日に英仏軍とオーストラリア・ニュージーランド連合軍(ANZAC)による上陸作戦が開始されました。戦艦からの砲撃や、航空機からの偵察や爆撃などの支援を受けて、総勢7万8千人の連合軍兵士がガリポリ半島に上陸しました。

主力部隊であるイギリス軍の第29師団は、ダーダネルス海峡入り口のヘレス岬の5箇所から上陸しガリポリ半島を北上する作戦でした。ANZAC軍はヘレス岬の北にあるカバテペのビーチに上陸し、第29師団をサポートする役割でしたが、上陸地点を間違え、実際はカバテペより1.5kmほど北にある名もないビーチに上陸を行いました。

オスマン帝国軍からの攻撃を受け多くの犠牲者を出しながら、第29師団はヘレス岬の3箇所に上陸し、ANZAC軍もガリポリ半島のビーチに上陸。連合軍を海に押し戻そうとオスマン帝国軍は猛攻を行いましたが、戦艦からの援護と粘り強い防御によってこの攻撃を防ぎました。

連合軍も陣地を広げるためにガリポリ半島に沿って北に進軍しますが、オスマン帝国軍に地理的な優位を取られて激しい抵抗を受け、進軍作戦はことごとく失敗に終わってしまいました。前線に塹壕を築いて粘り強く戦う連合軍に対し、オスマン帝国軍も決め手がなくなり、戦争は膠着状況となってしまいます。開戦当初は短期間で決着がつくと考えていたチャーチルや連合国軍ですが、オスマン帝国から予想以上の反撃を受け、その考えは崩れ去ってしまいました。

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連合国軍の撤退

ガリポリの戦い
ガリポリ上陸後の1915年8月に連合軍による大規模な進撃作戦が行われましたが、これもオスマン帝国守備隊に阻まれうまく行きませんでした。10月になり中立を保っていたブルガリアがドイツ・オーストリア・オスマン帝国同盟国に参加することを表明し、戦局が不利になることを懸念したイギリス政府がガリポリからの撤退を検討するようになります。

12月に連合国軍のセルビアが同盟国のオーストリアに敗れたことで、ドイツからセルビアとブルガリアを通り陸路でオスマン帝国へ補給を行うことが可能となり、連合国軍はますます不利な状況となりました。そして連合軍はイスタンブール攻略を諦め撤退することを決めました。12月7日にANZAC軍が撤退を開始し、ヘレス岬に駐留をしていたイギリス軍も1916年1月9日までに撤退し、連合国軍はガリポリ半島から全て撤退を行いました。

オスマン帝国は18世紀後半以降、露土戦争やバルカン戦争で敗れ領土を大幅に減らし、防戦一方の状態であることから「ヨーロッパの瀕死の病人」と呼ばれていました。しかしガリポリの戦いでは英仏連合軍を撤退させたことで、諸外国に驚きを与えました。

ちなみに、ANZAC軍が上陸したガリポリ半島の入江は現在ではアンザック湾と呼ばれています。また、上陸作戦決行日の4月25日は、オーストラリアとニュージーランドではアンザックデーと呼ばれる祝日となっています。

ガリポリの戦いが世界史に与えた影響

ガリポリの戦い
ガリポリの戦いでの敗戦により、作戦を立案したイギリスのウィンストン・チャーチルは海軍大臣の職を辞して、一時表舞台から姿を消すことになりました。

一方、ANZAC戦線の防衛隊の司令官であったオスマン帝国のムスタファ・ケマルは、数々の戦闘で上陸軍を阻止しました。弱冠34歳だったケマルはガリポリの英雄としてその名声を高め、トルコ共和国初代大統領になる礎を築きました。

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その後、1918年にドイツが降伏したことで第一次世界大戦は終結しますが、オスマン帝国は敗戦国として連合国の支配下に置かれました。反発が強まる国内でムスタファ・ケマルは独立戦争を主導し、ヨーロッパ諸国に押されて国力が低下したオスマン帝国の解体後にトルコ共和国を樹立。“トルコの父”を意味する「アタテュルク(Atatürk)」という姓を与えられたムスタファ・ケマルは初代大統領として、トルコの近代化を推し進めました。

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ガリポリの戦いで「暗殺者」と呼ばれた凄腕スナイパー

ガリポリの戦いで活躍した最も有名な兵士といえるのが、オーストラリア軍にいた凄腕の狙撃手、ウィリアム・エドワード・シン(ビリー・シン)です。「ガリポリの暗殺者」として恐れられたビリー・シンは、ガリポリの戦いで150名もの敵兵を射殺したと記録されていますが、実際の数字はその倍以上とも考えられています。

ちなみに、ガリポリの戦いを題材にした「バトル・オブ・オーシャン」というトルコ映画では、オスマン帝国軍の兵士として戦闘に参戦したスナイパーの兄弟の物語を描いています。

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