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円形劇場とは?古代の人々の熱狂を生んだ建造物の役割と歴史的重要性
円形劇場は、古代の人々の娯楽であった演劇や見せ物、スポーツなどが催された場所です。ローマ時代に多くの人々を熱狂させた円形劇場での娯楽は特別な楽しみの一つでしたが、古代ギリシャではまた違った性質と役割を持っていました。
円形劇場と言えばイタリアのローマにある世界遺産コロッセオを思い浮かべる方も多いと思いますが、実はあれは厳密には円形劇場ではありません。円形劇場はどんなものであったのか、その役割や用途、構造的な特徴、ローマ帝国衰退にも密接に関わる知られざる歴史まで、その秘密を徹底解説します!
古代ギリシャや古代ローマにおいて、演劇や歌、戦闘などの見せ物に使用するために、屋外に大きな会場が作られました。パフォーマンスする空間を中心に、数百人から大きいものでは数万人を収容できる観客席を放射線状に丸く配置したため、円形劇場と呼ばれています。
円形劇場は現在にも通じる部分がある様式ですが、古代ギリシャやローマの頃に、パフォーマンス空間は「円形」と強く結び付けて考えられるようになったと言われています。現存する最古の円形劇場は、ポンペイの大劇場です。
座席は階層式となっており、身分によって座る場所が分かれています。身分が低くなるとともに通路の幅を狭くして彼らの移動スピードを制限したり、座席の間隔を変えたりと、身分の高い人々が快適に移動できるように細かい計算がなされていました。この計算数値は、なんと現代でもほとんど変わらないものもあるほど精度の高いものもあったと言われています。古代の技術には本当に驚かされますね!
円形劇場は人々の娯楽の中心にありました。貧民から貴族までが一堂に会してショーを楽しむという、人々を盛り上げるための一大イベントが繰り広げられる場所であったのです。
円形劇場にはもう一つの役割がありました。それは、市民の意思決定の場、いわゆる選挙の意味合いを持った場所としての役割です。
当時、ギリシャや、共和制を敷いていたローマは、世界で初めて民主主義的な意思決定のプロセスを取り入れた国家でした。市民の意見を集約するには広い場所が必要であり、多くの人数を収容できる場所として円形劇場はまさにうってつけであったのです。そのような用途も見込んで多くの円形劇場が建てられることになりました。
今日、一般的に円形劇場と呼ばれる建造物は、大きく以下の3つに分けられます。日本では「円形」劇場と一緒くたにまとめられてしまっていますが、厳密には誤った表現だと言えます。
実は古代ギリシャと古代ローマでは、円形劇場のスタイルや持つ意味合いが異なっていました。その変化のさまを調べると、当時の社会的な背景を大きく反映していることに気づくでしょう。
円形劇場は当初のギリシャ時代には神事で使われていましたが、ローマ時代にはどんどん作り替えられていきました。ローマ時代には、劇場の形状は目的に応じて円形闘技場とローマ劇場の2つに分かれていきますが、演劇や合唱をメインの目的とした「ローマ劇場」の姿は、どんどん半円化が進んでいくのです。
また、ローマ時代に多く登場した円形の「アンフィテアトルム(円形競技場)」は、石を重ねて作った人造物であるため、戦いやほかの建物への作り替えの中でその姿は多くが失われていきました。
現在は、円形の劇場はあまり多く残っていませんが、もともと地形を生かして作られた半円の「ローマ劇場」は、今でも多くの貴重な遺跡として当時の姿をとどめており、観光見学できるほか、今でもコンサートで使用されるケースもあります。
このように実際には現存している劇場の多くは半円形であり、コロッセオなどの円形闘技場を除いて本来は「半円形」劇場などの言い方が正しいでしょう。
古代ギリシャの演劇は、当時の政治や文化の中心地だったアテネで誕生しました。世界遺産にも登録されているアテネのアクロポリスのふもとに建造されたディオニュソス劇場で、豊穣と酒(ワイン)の神であるディオニュソスを称える儀礼的な意味合いで上演されていたのです。
アクロポリスはどんな場所?歴史的な意味やアテネ以外にもある世界遺産を紹介
また観客席(テアトロン)は、自然の地形を利用したお椀、もしくはすり鉢のような形の斜面に沿って階段状につくられています。この観客席の構造は、実は音響をよく考慮したものでした。音の反響が良く計算され、一番上の席に座っていても音が良く聞こえるため、現在においても半円形に姿を変えて、現役の野外劇場として使われているものが多くあります。本当にその頃の職人の技術には目を見張るばかりです。
古代ローマになると、円形劇場はよりエンターテインメント性を帯びていきます。ローマ人は、当初ギリシャ人を真似して円形劇場を造りましたが、考え方の違いが劇場にも違いを生んでいきます。円形劇場は街の中心地に移され、人々が集まり楽しむ場へと変貌していきました。合唱や演劇だけでなく、剣闘士による闘技や処刑も娯楽の一つとして加えられるようになります。
古代ローマ帝国は領土拡大を続け、その過程において植民地ではギリシャの劇場はローマ式にどんどんと改造され、祭壇も外されてしまいました。
劇場の形状も変化していきます。古代ギリシャの終焉期となるヘレニズム期以降、オルケストラは半円に圧縮され、演技をする場から位が高い人々の観客席へと変更されました。いわゆる、現在のアリーナ席ですね。また、舞台には木造や布の天幕屋根がかけられました。
分かりやすい最大の変化は観客席の作り方です。自然のすり鉢状の地形を利用していたため、建てる場所を選んでしまっていた古代ギリシャ時代から発展し、古代ローマでは橋などに使われる連続アーチを重ねる「架構」の技術を応用したことで、劇場は地面に土台を重ね、円形が地上に飛び出す形で、平地に自由に立てることが出来るようになりました。
闘技場は、360度どこからでも楽しむことができるように円形をしています。対して、演劇や合唱などはあまり後方からは観賞しないため、半円形が適していたためにこのように建てられ方が分かれていったのでしょう。
アンフィテアトルムは音響効果をそれほど考慮する必要はなく、完全な円形であることが特徴です。対して、ローマ劇場は音響を高めるために半円形となっており、古代ギリシャ劇場と同じく、高い音響技術が使われていました。ステージで譜面をはらりと落とした音やささやき声までも、最後尾の列まで聞こえるか確認しながら作られたと言われています。
ローマ帝国時代では、闘技場がとても人気を博し、このアンフィテアトルムが多く作られました。半円の「ローマ劇場」を、大きく数で凌いだと言われています。
古代ギリシャ時代には神事の場であった劇場は、古代ローマ帝国にはエンターテインメントの場であると、だんだんと考えが変遷していきました。円形劇場は人々の娯楽的欲求を満たす場であり、交流の場でありましたが、そうした性質を役人たちは自身の政治活動にうまく利用していくようになります。
当時ローマでは共和制をしいており、役人は選挙によって選ばれていました。無産市民(プロレタリア)たちも選挙権を持っていたため、政治家は無産市民(プロレタリア)を無視することはできず、票を取るために彼らの要求を叶える構図が出来上がって行きました。そこで無産市民(プロレタリア)は、いわゆる「パンと見世物」を要求したのです。
「パンと見世物」は、古代ローマの風刺詩人ユウェナリスが、詩に用いた社会風刺の表現です。パンは食料を指し、見世物は別にサーカスとも訳されますが、娯楽を指す言葉でした。
パンや小麦の無料配布や特別価格での販売が国家や有力者の手で行われ、円形劇場での娯楽は同じく無料で市民に提供されていきました。社会や経済への不満が募れば募るほど市民は「パンと見世物」を強く要求し、それに伴って円形劇場の数はどんどん増えて発展を遂げていきます。
古代ローマ帝国の植民地となった地に元々あったギリシャの円形劇場は、ローマ式に改造され祭壇も取り外されてしまうのです。「パンと見世物」は、「ローマの平和」の時代における市民生活の堕落ぶりを象徴する表現であったと考えられています。
アンフィテアトルム(円形競技場)であったコロッセオはまさに、世界帝国ローマの象徴でした。その存在の大きさを今に伝える、12世紀の有名な言葉があります。
「コロッセオが崩れる時、ローマが滅びる。そして、ローマが滅びる時、世界が滅びる」
それほどまでにローマ帝国は世界の全ての富と栄華を備えているとローマ市民は考えていました。ローマ帝国の周辺国家もそうであったでしょう。まだ、遠い中国やアメリカなどについては、誰も想像をしていない時代でした。しかし栄華を極めた古代ローマ帝国もやがて衰退の途を辿ることになります。「パンと見世物」政策が財政を圧迫し、ローマ帝国の破滅への道を早めたとも言われています。
帝国の衰退とともに娯楽が広く開放される機会が減っていき、円形劇場の使用がかつてないほどに減っていきました。富裕層や役人のバックアップが無くなった劇場を維持するための資金もどんどん少なくなっていき、円形劇場の唯一の役割は、ついには公の処刑と処罰の場所となってしまいました。
やがて、処刑の場としての役割さえも消滅してしまいます。衰退するローマ帝国は他国と戦乱を重ね、その戦いのさなかに、地上に建てられた多くの円形闘技場やローマ劇場は壊されてしまいました。また、使い道の無くなった劇場は、採石場と化して他の建物の建築資材として使用されたために、劇場の衰退も進みました。
こうして円形劇場はどんどん形を変えていきました。要塞または要塞化された集落に使われていったものや、キリスト教の教会として再利用された劇場もあったと言われています。
一方、演者と観客が固定化されてしまう額縁舞台よりも柔軟で斬新な演出を可能とすべく円形舞台を見直そうと動きもあり、1940年にワシントン大学内にできたアメリカ初の円形劇場(Theatre in the round)であるペントハウスシアターや、イギリスのスティーブンジョセフシアターなど、完全な円形の舞台を有する劇場もいくつか作られています。
日本でも完全円形オープンスペースを採用した青山円形劇場がありましたが、残念ながら2015年1月に閉館してしまいました。
言わずと知れたローマの、そしてイタリアのシンボルともいえる円形劇場です。ローマ帝国時代にアンフィテアトルム(円形競技場)として建てられ、その姿を誰もが一度は写真でも見たことがあるのではないでしょうか?その堂々とした雄姿を以って、1980年に世界遺産に登録されています。
紀元72年に建設された5万人を収容する巨大施設で、4階建てとなっています。1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式と、それぞれ様式の違うアーチで飾られています。1階には皇帝やその関係者、2階には市民が座れるようになっており、3階は身分の低い者用に立見席がありました。
地震による倒壊や、中世には採石場としても利用されたため、現在は舞台部分がなく、競技場の地下6mにある、迷路のような空間がむき出しになって残されています。これまで2000年もの間、外観と内部の見学は許可されていましたが、この地下部分は立ち入り禁止でした。しかし2021年6月よりイタリア政府が10年をかけた修復プロジェクトを行うことを発表し、現在は一部の地下空間を観光客が歩くことが出来るようになっています。
※2021年11月現在。予告なく変わることがあります
トルコ有数の温泉保養地であるパムッカレにある遺跡です。パムッカレと言えば、白い石灰棚が連なり、自然の美しさと温泉が有名な保養地ですが、ヒエラポリスはその石灰棚最上部に残された都市遺跡の事です。
円形劇場はヒエラポリスの一連の遺跡の一つであり、主に演劇や合唱の鑑賞に利用された「ローマ劇場」特有の半円形をしている劇場です。とても良い保存状態を保っており、ユネスコ世界文化遺産として登録されました。
大変保存状態が良い円形劇場で、美しい半円が特徴的です。かつては劇場の向かいにギリシャ神話の太陽神・アポロンを祀った神殿も建っていました。
※2021年11月現在。予告なく変わることがあります
パムッカレとヒエラポリス遺跡群 | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
古代ペルガモン王国(現在のベルガマ)において、アテナ神殿の西の斜面に展開した最も有名な円形劇場です。丘の斜面を使用して作られ、ローマ帝国の属州時代に改修され、現在の姿となっています。主に演劇や合唱の鑑賞に利用され、こちらも半円形をしている「ローマ劇場」です。
かなり急な斜面の観覧席は全部で82段あり、約1万人を収容することが出来たと言われています。左右の端の傾斜がきつすぎるため、半円というよりは扇形の観覧席となっています。最下段には、横に細長い木造の舞台が設置されていたといわれています。その北端に建つディオニソス宮殿への眺望を妨げないようにと、舞台が終わる毎に舞台は解体されたそうです。
急斜面の観覧席に立つと、本当に転がり落ちてしまいそうな恐怖感がわいてくるのですが、その向こうにはベルガマの豊かな田園風景と街並みが大きく広がっています。この壮大な眺望を堪能しにいくだけでも、この遺跡に行く価値はありますよ!
※2021年11月現在。予告なく変わることがあります
ペルガモン(ベルガマ)の遺跡|トルコの人気世界遺産・観光スポット | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
エフェソスは、2015年にユネスコ世界遺産に登録されたトルコの古代都市です。世界七不思議の一つであるアルテミス神殿、聖母マリアの家、世界三大図書館に数えられるセルシウス(ケルスス)図書館など貴重な遺跡が数多く残っていますが、大劇場も良好な保存状態で見ることができます。
エフェソスの円形劇場はもともと古代ギリシャ時代のものですが、他の円形劇場と同様にその後何度か作り変えられ、現在は小規模な半円形舞台を設置したヘレニズム期のものが残っています。
※2021年現在の情報
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地中海に面するトルコ屈指の人気リゾート都市アンタルヤから東に47kmの位置にあるアスペンドス遺跡のアスペンドス劇場は、最も保存状態の良い円形劇場の一つで、当時の姿をほぼ完璧に残しています。音響効果に優れたヘレニズム様式のアスペンドス劇場は、現在でも世界的に有名なコンサートやオペラの会場として利用されています。
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円形劇場と言えばイタリアのローマにある世界遺産コロッセオを思い浮かべる方も多いと思いますが、実はあれは厳密には円形劇場ではありません。円形劇場はどんなものであったのか、その役割や用途、構造的な特徴、ローマ帝国衰退にも密接に関わる知られざる歴史まで、その秘密を徹底解説します!
目次
円形劇場とは?
古代ギリシャや古代ローマにおいて、演劇や歌、戦闘などの見せ物に使用するために、屋外に大きな会場が作られました。パフォーマンスする空間を中心に、数百人から大きいものでは数万人を収容できる観客席を放射線状に丸く配置したため、円形劇場と呼ばれています。
円形劇場は現在にも通じる部分がある様式ですが、古代ギリシャやローマの頃に、パフォーマンス空間は「円形」と強く結び付けて考えられるようになったと言われています。現存する最古の円形劇場は、ポンペイの大劇場です。
座席は階層式となっており、身分によって座る場所が分かれています。身分が低くなるとともに通路の幅を狭くして彼らの移動スピードを制限したり、座席の間隔を変えたりと、身分の高い人々が快適に移動できるように細かい計算がなされていました。この計算数値は、なんと現代でもほとんど変わらないものもあるほど精度の高いものもあったと言われています。古代の技術には本当に驚かされますね!
円形劇場の役割・用途
ローマ帝国時代の円形劇場では演劇や合唱ともに、グラディエーターと呼ばれる剣闘士に仕立てられた犯罪者や奴隷、ライオンなどの猛獣による戦闘、そして処刑などが行われました。中には、劇場に水を張って、すさまじい海戦を再現する模擬海戦が行われたとする記録もあります。多くの貴族や市民が、殺し合いの様子を娯楽として見ていたとは、現在からすればかなり異様な光景でしょう。円形劇場は人々の娯楽の中心にありました。貧民から貴族までが一堂に会してショーを楽しむという、人々を盛り上げるための一大イベントが繰り広げられる場所であったのです。
円形劇場にはもう一つの役割がありました。それは、市民の意思決定の場、いわゆる選挙の意味合いを持った場所としての役割です。
当時、ギリシャや、共和制を敷いていたローマは、世界で初めて民主主義的な意思決定のプロセスを取り入れた国家でした。市民の意見を集約するには広い場所が必要であり、多くの人数を収容できる場所として円形劇場はまさにうってつけであったのです。そのような用途も見込んで多くの円形劇場が建てられることになりました。
実は半円形?円形劇場の種類と変遷の歴史
今日、一般的に円形劇場と呼ばれる建造物は、大きく以下の3つに分けられます。日本では「円形」劇場と一緒くたにまとめられてしまっていますが、厳密には誤った表現だと言えます。
- 古代ギリシャの円形劇場:アテネのデュオニソス劇場など
- ローマ劇場:ポンペイウス劇場など
- 円形闘技場(アンフィテアトルム):コロッセオなど
実は古代ギリシャと古代ローマでは、円形劇場のスタイルや持つ意味合いが異なっていました。その変化のさまを調べると、当時の社会的な背景を大きく反映していることに気づくでしょう。
円形劇場は当初のギリシャ時代には神事で使われていましたが、ローマ時代にはどんどん作り替えられていきました。ローマ時代には、劇場の形状は目的に応じて円形闘技場とローマ劇場の2つに分かれていきますが、演劇や合唱をメインの目的とした「ローマ劇場」の姿は、どんどん半円化が進んでいくのです。
また、ローマ時代に多く登場した円形の「アンフィテアトルム(円形競技場)」は、石を重ねて作った人造物であるため、戦いやほかの建物への作り替えの中でその姿は多くが失われていきました。
現在は、円形の劇場はあまり多く残っていませんが、もともと地形を生かして作られた半円の「ローマ劇場」は、今でも多くの貴重な遺跡として当時の姿をとどめており、観光見学できるほか、今でもコンサートで使用されるケースもあります。
このように実際には現存している劇場の多くは半円形であり、コロッセオなどの円形闘技場を除いて本来は「半円形」劇場などの言い方が正しいでしょう。
古代ギリシャの円形劇場
古代ギリシャの演劇は神事の一つであり、その舞台となったのが円形劇場です。古代ギリシャの演劇はポリス(都市国家)の公的な行事であり、神に捧げる演劇として、全員がそのキャストとして出席しなくてはなりませんでした。円形劇場は街の郊外となる神殿近くの丘の上などに建てられており、ギリシャ人以外の外国人や奴隷の参加は認められませんでした。古代ギリシャの演劇は、当時の政治や文化の中心地だったアテネで誕生しました。世界遺産にも登録されているアテネのアクロポリスのふもとに建造されたディオニュソス劇場で、豊穣と酒(ワイン)の神であるディオニュソスを称える儀礼的な意味合いで上演されていたのです。
アクロポリスはどんな場所?歴史的な意味やアテネ以外にもある世界遺産を紹介
古代ギリシャの円形劇場の構造的な特徴
古代ギリシャの円形劇場にはオルケストラという、舞台(プロスケニオン)と観客席(テアトロン)の間の、俳優が演じたり合唱隊が踊り歌う円形のスペースがありました。舞台の後ろや脇には、スケーネーと呼ばれる舞台背景となるような空間があり、スケーネーの後ろには神殿や境内が広がっていたと言われています。このスケーネーは時代と共にテントから木造、石造りへと変貌して、仰々しく背も高くなっていき、より「劇場らしく」なっていきました。また観客席(テアトロン)は、自然の地形を利用したお椀、もしくはすり鉢のような形の斜面に沿って階段状につくられています。この観客席の構造は、実は音響をよく考慮したものでした。音の反響が良く計算され、一番上の席に座っていても音が良く聞こえるため、現在においても半円形に姿を変えて、現役の野外劇場として使われているものが多くあります。本当にその頃の職人の技術には目を見張るばかりです。
古代ローマの劇場
古代ローマになると、円形劇場はよりエンターテインメント性を帯びていきます。ローマ人は、当初ギリシャ人を真似して円形劇場を造りましたが、考え方の違いが劇場にも違いを生んでいきます。円形劇場は街の中心地に移され、人々が集まり楽しむ場へと変貌していきました。合唱や演劇だけでなく、剣闘士による闘技や処刑も娯楽の一つとして加えられるようになります。
古代ローマ帝国は領土拡大を続け、その過程において植民地ではギリシャの劇場はローマ式にどんどんと改造され、祭壇も外されてしまいました。
劇場の形状も変化していきます。古代ギリシャの終焉期となるヘレニズム期以降、オルケストラは半円に圧縮され、演技をする場から位が高い人々の観客席へと変更されました。いわゆる、現在のアリーナ席ですね。また、舞台には木造や布の天幕屋根がかけられました。
分かりやすい最大の変化は観客席の作り方です。自然のすり鉢状の地形を利用していたため、建てる場所を選んでしまっていた古代ギリシャ時代から発展し、古代ローマでは橋などに使われる連続アーチを重ねる「架構」の技術を応用したことで、劇場は地面に土台を重ね、円形が地上に飛び出す形で、平地に自由に立てることが出来るようになりました。
ローマの劇場とアンフィテアトルム(円形闘技場)の違い
コロセウムを代表とする闘技場は、特に「アンフィテアトルム(amphitheatrum=円形競技場/円形闘技場)」とよばれ、近代の競技場の原型となっています。対して演劇や合唱を行う半円型の円形劇場は「ローマ劇場」と呼ばれて、二分化していきました。闘技場は、360度どこからでも楽しむことができるように円形をしています。対して、演劇や合唱などはあまり後方からは観賞しないため、半円形が適していたためにこのように建てられ方が分かれていったのでしょう。
アンフィテアトルムは音響効果をそれほど考慮する必要はなく、完全な円形であることが特徴です。対して、ローマ劇場は音響を高めるために半円形となっており、古代ギリシャ劇場と同じく、高い音響技術が使われていました。ステージで譜面をはらりと落とした音やささやき声までも、最後尾の列まで聞こえるか確認しながら作られたと言われています。
ローマ帝国時代では、闘技場がとても人気を博し、このアンフィテアトルムが多く作られました。半円の「ローマ劇場」を、大きく数で凌いだと言われています。
円形劇場の歴史はローマ帝国の興亡の象徴
古代ギリシャ時代には神事の場であった劇場は、古代ローマ帝国にはエンターテインメントの場であると、だんだんと考えが変遷していきました。円形劇場は人々の娯楽的欲求を満たす場であり、交流の場でありましたが、そうした性質を役人たちは自身の政治活動にうまく利用していくようになります。
円形劇場が発展した背景|劇場での娯楽は有力者の人気取り策だった?
地中海世界を支配したローマ帝国は、広大な属州を従えていました。領土を拡大した富裕層と奴隷制が広がることで貧富の格差が拡大し、市民層の中には、土地も無くして没落する人々が現れ始めました。こうした没落した市民層は、無産市民(プロレタリア)と呼ばれていました。当時ローマでは共和制をしいており、役人は選挙によって選ばれていました。無産市民(プロレタリア)たちも選挙権を持っていたため、政治家は無産市民(プロレタリア)を無視することはできず、票を取るために彼らの要求を叶える構図が出来上がって行きました。そこで無産市民(プロレタリア)は、いわゆる「パンと見世物」を要求したのです。
「パンと見世物」は、古代ローマの風刺詩人ユウェナリスが、詩に用いた社会風刺の表現です。パンは食料を指し、見世物は別にサーカスとも訳されますが、娯楽を指す言葉でした。
パンや小麦の無料配布や特別価格での販売が国家や有力者の手で行われ、円形劇場での娯楽は同じく無料で市民に提供されていきました。社会や経済への不満が募れば募るほど市民は「パンと見世物」を強く要求し、それに伴って円形劇場の数はどんどん増えて発展を遂げていきます。
古代ローマ帝国の植民地となった地に元々あったギリシャの円形劇場は、ローマ式に改造され祭壇も取り外されてしまうのです。「パンと見世物」は、「ローマの平和」の時代における市民生活の堕落ぶりを象徴する表現であったと考えられています。
円形劇場の発展がもたらしたローマ帝国の衰退
アンフィテアトルム(円形競技場)であったコロッセオはまさに、世界帝国ローマの象徴でした。その存在の大きさを今に伝える、12世紀の有名な言葉があります。
「コロッセオが崩れる時、ローマが滅びる。そして、ローマが滅びる時、世界が滅びる」
それほどまでにローマ帝国は世界の全ての富と栄華を備えているとローマ市民は考えていました。ローマ帝国の周辺国家もそうであったでしょう。まだ、遠い中国やアメリカなどについては、誰も想像をしていない時代でした。しかし栄華を極めた古代ローマ帝国もやがて衰退の途を辿ることになります。「パンと見世物」政策が財政を圧迫し、ローマ帝国の破滅への道を早めたとも言われています。
帝国の衰退とともに娯楽が広く開放される機会が減っていき、円形劇場の使用がかつてないほどに減っていきました。富裕層や役人のバックアップが無くなった劇場を維持するための資金もどんどん少なくなっていき、円形劇場の唯一の役割は、ついには公の処刑と処罰の場所となってしまいました。
やがて、処刑の場としての役割さえも消滅してしまいます。衰退するローマ帝国は他国と戦乱を重ね、その戦いのさなかに、地上に建てられた多くの円形闘技場やローマ劇場は壊されてしまいました。また、使い道の無くなった劇場は、採石場と化して他の建物の建築資材として使用されたために、劇場の衰退も進みました。
こうして円形劇場はどんどん形を変えていきました。要塞または要塞化された集落に使われていったものや、キリスト教の教会として再利用された劇場もあったと言われています。
現代の円形劇場
ローマ帝国の滅亡とともに円形劇場も歴史の表舞台から姿を消してしまいます。ルネサンス期には円形の劇場も使われましたが、演劇やコンサートではプロセニアムアーチによって観客席と舞台が完全に区切られた額縁舞台が支配的になり、現代に至っています。一方、演者と観客が固定化されてしまう額縁舞台よりも柔軟で斬新な演出を可能とすべく円形舞台を見直そうと動きもあり、1940年にワシントン大学内にできたアメリカ初の円形劇場(Theatre in the round)であるペントハウスシアターや、イギリスのスティーブンジョセフシアターなど、完全な円形の舞台を有する劇場もいくつか作られています。
日本でも完全円形オープンスペースを採用した青山円形劇場がありましたが、残念ながら2015年1月に閉館してしまいました。
ここはぜひ見ておきたい!世界に残る貴重な円形劇場
コロッセオ/コロッセウム(イタリア)
言わずと知れたローマの、そしてイタリアのシンボルともいえる円形劇場です。ローマ帝国時代にアンフィテアトルム(円形競技場)として建てられ、その姿を誰もが一度は写真でも見たことがあるのではないでしょうか?その堂々とした雄姿を以って、1980年に世界遺産に登録されています。
紀元72年に建設された5万人を収容する巨大施設で、4階建てとなっています。1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式と、それぞれ様式の違うアーチで飾られています。1階には皇帝やその関係者、2階には市民が座れるようになっており、3階は身分の低い者用に立見席がありました。
地震による倒壊や、中世には採石場としても利用されたため、現在は舞台部分がなく、競技場の地下6mにある、迷路のような空間がむき出しになって残されています。これまで2000年もの間、外観と内部の見学は許可されていましたが、この地下部分は立ち入り禁止でした。しかし2021年6月よりイタリア政府が10年をかけた修復プロジェクトを行うことを発表し、現在は一部の地下空間を観光客が歩くことが出来るようになっています。
名称 | コロッセオ(コロッセウム) |
住所 | Piazza del Colosseo, 1, 00184 Roma RM, Italy |
営業時間 | 9時30分~19時15分(冬は時間が変わる可能性あり) ※最終入場は営業終了1時間前まで |
定休日 | 1月1日と12月25日 |
入場料 | 18ユーロ |
ヒエラポリスの円形劇場(トルコ)
トルコ有数の温泉保養地であるパムッカレにある遺跡です。パムッカレと言えば、白い石灰棚が連なり、自然の美しさと温泉が有名な保養地ですが、ヒエラポリスはその石灰棚最上部に残された都市遺跡の事です。
円形劇場はヒエラポリスの一連の遺跡の一つであり、主に演劇や合唱の鑑賞に利用された「ローマ劇場」特有の半円形をしている劇場です。とても良い保存状態を保っており、ユネスコ世界文化遺産として登録されました。
大変保存状態が良い円形劇場で、美しい半円が特徴的です。かつては劇場の向かいにギリシャ神話の太陽神・アポロンを祀った神殿も建っていました。
名称 | ヒエラポリスの遺跡群 |
住所 | 20280 Pamukkale/Denizli, Turkey |
営業時間 | 6時30分~20時00分 |
定休日 | なし |
入場料 | 110トルコリラ |
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ペルガモン(ベルガマ)の円形劇場(トルコ)
古代ペルガモン王国(現在のベルガマ)において、アテナ神殿の西の斜面に展開した最も有名な円形劇場です。丘の斜面を使用して作られ、ローマ帝国の属州時代に改修され、現在の姿となっています。主に演劇や合唱の鑑賞に利用され、こちらも半円形をしている「ローマ劇場」です。
かなり急な斜面の観覧席は全部で82段あり、約1万人を収容することが出来たと言われています。左右の端の傾斜がきつすぎるため、半円というよりは扇形の観覧席となっています。最下段には、横に細長い木造の舞台が設置されていたといわれています。その北端に建つディオニソス宮殿への眺望を妨げないようにと、舞台が終わる毎に舞台は解体されたそうです。
急斜面の観覧席に立つと、本当に転がり落ちてしまいそうな恐怖感がわいてくるのですが、その向こうにはベルガマの豊かな田園風景と街並みが大きく広がっています。この壮大な眺望を堪能しにいくだけでも、この遺跡に行く価値はありますよ!
名称 | ペルガモン(ベルガマ)の遺跡 |
住所 | Hamzalısüleymaniye, 35700 Bergama/İzmir, Turkey |
営業時間 | 8時00分~19時00分(冬は時間が変わる可能性あり) |
定休日 | なし |
入場料 | 60トルコリラ |
ペルガモン(ベルガマ)の遺跡|トルコの人気世界遺産・観光スポット | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
エフェソスの円形劇場(トルコ)
エフェソスは、2015年にユネスコ世界遺産に登録されたトルコの古代都市です。世界七不思議の一つであるアルテミス神殿、聖母マリアの家、世界三大図書館に数えられるセルシウス(ケルスス)図書館など貴重な遺跡が数多く残っていますが、大劇場も良好な保存状態で見ることができます。
エフェソスの円形劇場はもともと古代ギリシャ時代のものですが、他の円形劇場と同様にその後何度か作り変えられ、現在は小規模な半円形舞台を設置したヘレニズム期のものが残っています。
名称 | エフェソス遺跡 |
住所 | Acarlar, Efes Harabeleri, 35920 Selçuk/İzmir, トルコ |
営業時間 | 8:00~19:00(夏季:4月~10月)、8:30~18:00(冬季:10月~4月)※施設によって異なります。 |
定休日 | なし |
入場料 | 120TL(約1,500円)、聖母マリアの家:60TL(約750円)※アルテミス神殿:無料 |
公式サイト | https://muze.gov.tr/muze-detay |
エフェソス遺跡の見どころ46選
アスペンドスの円形劇場(トルコ)
地中海に面するトルコ屈指の人気リゾート都市アンタルヤから東に47kmの位置にあるアスペンドス遺跡のアスペンドス劇場は、最も保存状態の良い円形劇場の一つで、当時の姿をほぼ完璧に残しています。音響効果に優れたヘレニズム様式のアスペンドス劇場は、現在でも世界的に有名なコンサートやオペラの会場として利用されています。
名称 | アスペンドス遺跡 |
住所 | Sarıabalı, Aspendos Yolu, 07500 Serik/Antalya |
開館時間 | 夏季(4/1~10/31) 08:00~19:00 冬季(11/1~3/31) 08:00~18:00 ※最終入場時間は閉館時間の30分前 ※砂糖祭り及び犠牲祭の初日は13:00より開館 |
定休日 | なし |
入場料 | 50TL |
公式サイト | https://www.kulturportali.gov.tr/turkiye/antalya/gezilecekyer/aspendos |
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