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トルコ基本観光情報

ウイグル族の祖先はトルコ人と同じ?ウイグル族の歴史から文化までを解説!


ウイグル族とは、中国に住む少数民族のイメージをお持ちの人は多いかと思います。実際に多くのウイグル族は中国にある新疆ウイグル自治区で暮らしています。しかし、祖先はトルコ人と同じテュルク系の遊牧民族でした。ここでは、日本人にとってあまり馴染みがないウイグル族について解説をさせていただきます。歴史や文化を知ることで、ウイグル族の人たちをより身近に感じることが出来るかもしれません。

ウイグル族とはどのような民族?

ウイグル族
ウイグル族とは、中央アジア地域に住むテュルク系の遊牧民族のことです。もともとはモンゴル高原で生活をしていましたが、9世紀にキルギスの侵攻を受けたため、ウイグル族はモンゴルを離れ中央アジアで生活をするようになります。このことで中央アジアは、トルキスタン(ペルシャ語でトルコ人の国)と呼ばれるようになりました。同時にウイグル族はイスラム化され始め、ほとんどの人がイスラム教を信仰しています。

現在、ウイグル族は、中国の新疆ウイグル自治区やカザフスタンなど多くの中央アジアの国に住んでいます。ウイグル族の人口は約1300万人と言われていますが、ほとんどが新疆ウイグル自治区で暮らしています。

ウイグル族はテュルク系民族ですが、身体的な特徴はトルコ人というよりも中央アジアやアジアの特色が出ており、トルコ人とは異なる外見となっています。テュルク系民族は中央アジアの広大な地域で暮らしており、その後、東西に分裂してそれぞれの地域で定着をしました。西に定住したトルコ人は、ペルシャやヨーロッパの影響をより強く受けました。

ウイグルという名称はテュルク語の単語が起源となっている説もありますが、正式には由来は解明をされていません。古代の碑文には、ウイグルの土地からやってきたという文章が刻まれており、古くからウイグルと呼ばれていたことが分かっています。

ウイグル族の歴史

ウイグル族の歴史
祖先がトルコ人と同じ民族であるウイグル族は、どのような歴史をたどり現在に至っているのでしょうか?ウイグル族の歴史を紹介させていただきます。

モンゴル高原での遊牧民生活

ウイグル族の祖先は紀元前3,000年ごろからモンゴル高原の西部で生活していたと考えられています。そして紀元前1,000年ごろには、同じ地域で馬に乗り遊牧民生活を送っていました。

ウイグル族を含むトルコ民族をあらわすテュルクという言葉が登場するのは、中国の史料です。テュルクの発音を漢字に当てはめた丁零(ていれい)の記録が紀元前3世紀頃の史料にあります。モンゴル高原北部や南シベリアで生活をしていたテュルク系の遊牧民族が、丁零と呼ばれていました。

5世紀頃に丁零は高車(こうしゃ)と呼ばれるようになり、テュルク系遊牧民の一部族であるウイグル族も高車の一翼を担っていました。なお、高車はモンゴル高原を支配したていたモンゴル系民族の柔然という遊牧民国家に従属していました。

アルタイ山脈の南で勢力を伸ばしたテュルク系民族の突厥(とっけつ)が、552年に柔然を滅ぼして周辺民族を征服し、モンゴル高原に突厥可汗国という大帝国を築きます。高車は鉄勒(てつろく)と呼ばれるようになり、鉄勒は突厥への服属を拒み抵抗をしましたが、突厥に組み込まれることになります。なお突厥も鉄勒もテュルクの発音が由来となっています。

 
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ウイグル族による国家建国とトルキスタン

鉄勒は9部族に分かれていましたが、その中でウイグル族が一番有力な部族でした。583年に突厥は東西に分裂し、西突厥は内紛で消滅してしまいます。東突厥は、中国の唐に一時征服をされましたが、何とか勢力を回復して存続をしていました。しかし、744年に鉄勒のウイグル族が反乱を起こし、東突厥を打倒して、ウイグル族による遊牧国家である「回鶻(かいこつ)」を建国しました。

しかし回鶻は長く続かず、840年に内乱とキルギス族の侵攻により滅びてしまいます。ウイグル族はモンゴル高原から西の中央アジアのタリム盆地に進出し、その後トゥルファン盆地で定住農耕生活を送るようになります。こうしてイラン系民族が多く住んでいた中央アジアのテュルク化が進み、この地域はトルキスタンと呼ばれるようになります。トルキスタンでは、ウイグル文字が生み出され高い文化を持っていました。

広い範囲にわたっていたトルキスタンは、パミール高原の東にあるタクラマカン砂漠周辺が東トルキスタン、パミール高原の西の草原地帯が西トルキスタンに分かれました。そして東トルキスタンには天山ウイグル王国が建国されます。西トルキスタンにはテュルク系初の王朝カラハン朝が建国されました。カラハン朝は中央アジアに入って来ていたイスラム教を受け入れ、テュルク・イスラム文化が確立されました。そして、イスラム教は東トルキスタンのオアシスの都市の間にも広がって行きました。

モンゴル帝国による支配

チンギス・ハン
モンゴル帝国の君主チンギス・ハンが1219年から25年にかけて西方遠征を行います。強大な軍事力を持つモンゴル軍にトルキスタン一帯は支配され、天山ウイグル王国のウイグル王族はモンゴル帝国を支える官僚として仕えることになります。高待遇を受けていたウイグル王族はモンゴル帝国の元で繁栄をします。しかし、モンゴル皇族のカイドゥがモンゴル帝国に反乱を起こし、中央アジアに独立王国を建国しました。そのあおりを受けウイグル王族は東トルキスタンを放棄し、東方に移住せざるをえなくなります。

現在の中国の永昌に移り住んだウイグル王家は、この地方を治めることになりますが、歴史の表舞台からその名前が出る事はなくなります。

中世から現代

ウイグル族はモンゴル帝国による支配後もタクラマカン砂漠のオアシスで定住生活を送り、西から入って来たイスラム教を受け入れイスラム化していきます。モンゴル帝国崩壊後は、この地域はジュンガルと呼ばれるモンゴル人部族によって支配をされていました。一方、中国では清朝が1644年に首都を北京に置き、中国全土を支配しました。

1687年からジュンガルと清との間で三次にわたり戦争が行われます。そして1759年に清がジュンガルを滅ぼし、東トルキスタン地域を支配下におきました。清朝は天山山脈北部にイリ将軍府を設置し、新疆(新しい土地の意味)と呼び、ウイグル族は清朝の支配下に組み込まれます。

新疆では度々反乱が発生し、1933年にはウイグル族が蜂起し、東トルキスタン・イスラム共和国が作られました。その後、中国軍によって制圧をされますが、1944年に再び反乱が起こり、東トルキスタン共和国が建国されます。1949年に中華人民共和国が成立すると、東トルキスタン共和国政府は中国と交渉を行い、中国に服属することを決めます。そして翌年に中国軍が反対勢力を制圧し、新疆は中国に吸収されることになりました。

現在、ウイグル族の子孫たちの多くは、中国に1955年に設置された新疆ウイグル自治区で生活をしています。中国に組み込まれたウイグル族は、中国の少数民族の内の1部族となっています。

ウイグル族によって発展したシルクロード交易

シルクロード
シルクロードとは中央アジアを東西に横断する古代の交易路のことで、中国の長安からイタリアのローマまでを結んだと言われています。この交易路によって、交易品だけでなく東西の文化的交流がもたらされました。ウイグル族は中央アジアのオアシス都市に住んでおり、シルクロード交易では重要な役割を果たしました。

中央アジアに古来より住んでいたイラン系民族のソグド人は、商人として東西交易に従事していました。しかし、貴重な交易品を運ぶ長い旅路には常に危険がありました。ウイグル族が中央アジアに国家を建設すると、交通システムが整備され、各都市間の権力問題もなくなりました。ウイグル国家では、遊牧生活で培った高い機動力と武力をもったウイグル族が旅の安全を提供し、ソグド商人を手厚くもてなし保護しました。その見返りとして、ソグド商人からは、異国の珍しい交易品や、ペルシャや中国などの知識や文化などがもたらされるようになります。

安定した交易活動が都市に利益をもたらし、ウイグル族の都市は発展することになります。ウイグル族がイスラム化する前は、ソグド人によってもたらされたマニ教や、インドからシルクロードを通ってやってきた仏教が信仰されていました。

長安から河西回廊の一番西の敦煌までは漢民族が多く、敦煌からさらに西に向かうルート(天山北路、天山南路、西域南道)に点在するオアシス都市には多くのウイグル族が暮らしていました。それらの都市名の多くはウイグル語が由来となっています。例えば、ヒスイの産地として知られているホータンは、ウイグル語で「玉の町」という意味で、コルラは「眺め」という意味です。

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トルコとウイグル族の関係

ウイグル
トルコ人とウイグル族はもともと同じテュルク民族でした。9世紀ごろにテュルク民族が中央アジアに進出して、その一帯はトルキスタンと呼ばれるようになります。ウイグル族はパミール高原の東のタクラマカン砂漠、トルコ人の祖先は西の草原地帯に暮らしていました。そして、西トルキスタンで樹立されたセルジューク朝が11世紀に西アジアに進出します。当時ビザンツ帝国の領地であったアナトリアに侵攻し、この地に移住したことで現在のトルコ人の礎が出来ました。

トルコ人とウイグル族は同じ民族ですが、10世紀近く別々の場所で分かれて暮らしていたため、現在では外見などの特徴が異なっています。しかし、現代でもトルコとウイグル族の関係は深く、2021年の時点で約6万人のウイグル族がトルコに暮らしています。これはカザフスタンやウズベキスタンなどの中央アジアの国以外では最も多い人数となっています

また、新疆ウイグル自治区での人権問題を背景として、近年海外に亡命するウイグル族が多く、トルコはウイグル族の難民を多く受け入れています。同じテュルク語が元となっているため、ウイグル族にとってトルコ語の習得は比較的簡単に行うことが出来るという利点もあります。

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ウイグル族の文化

日本人にとってあまり馴染みのないウイグル族はどのような文化を持っているのでしょうか?

言語

テュルク語
5世紀に繁栄したテュルク民族の遊牧国家である突厥(とっけつ)や、744年に建国されたウイグル族国家の回鶻(かいこつ)では、テュルク語が話されていました。また、シルクロード交易で活躍したソグド人が使っていたソグド語もこれらの国で話されていました。東トルキスタンに天山ウイグル王国が9世紀頃に建国されると、テュルク語に代わりウイグル文字を使った古代ウイグル語がつかわれるようになります。古代ウイグル文字はソグド文字を改良して作られました。中世にかけて使われ、古代ウイグル語で書かれた仏教の経典などが残されています。

現在、新疆ウイグル自治区などで使われているウイグル語は、古代ウイグル語とは関係がなく、ウズベキスタンで話されているウズベク語と似ていると言われています。ウイグル語はアラビア文字で書かれます。なお、近年の中国政府による北京語教育政策により、ウイグル語を読み書き出来る人たちは減少傾向にあります。

宗教

かつてはウイグル族の間で、仏教や、ソグド人によってもたらされたマニ教が信仰されていました。しかし、現在ではイスラム教徒が大部分を占めています。9世紀頃にウイグル族が中央アジアに進出し定住をすると、西側地域から入って来たイスラム教を受け入れウイグル族はイスラム化しました。現代のウイグル族のイスラム教徒は、スンニ派が大多数です。

古来より遊牧生活を営んでいたウイグル族は、伝統的に醸造を行い、お酒を飲む文化がありました。多くがイスラム教徒となった現代でも、酒作りや飲酒の文化は存在をしています。そのためウイグル族の中には、イスラムの教えを守り禁酒をする人と、トルコのように飲酒に寛容な人が存在をしています。

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音楽

音楽
ムカムとは、ウイグル族の伝統楽器によって演奏される音楽の旋律のことであり、複数の楽曲が連続して演奏される組曲のことです。ムカムは、ナグマ(楽曲)、ダスタン(叙事詩)、マシュラップ(舞曲)の3つのパートから構成されています。長い自由な旋律から曲が始まり、特徴のあるリズムへと変化し、段々と演奏の速度が上がっていきます。

地域ごとに複数のムカムが存在をしますが、西部のカシュガルで演奏されていたムカムは、12ムカムと呼ばれ約300曲で構成されています。1つのムカムを演奏するのに約2時間かかると言われており、12ムカムを演奏するには24時間が必要です。なお、現在では12ムカム全てを記憶して演奏できる人はいないと言われ、1ムカムを演奏できるだけで賞賛をされます。現在ではムカムの一部分だけを、祭りや祝いの席で演奏することがあります。

ムカムは2005年にユネスコの無形文化遺産に登録をされました。

 
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舞踊

サナムと呼ばれるフォークダンスがウイグル族によって踊られています。結婚式などで踊られる民族舞踊で、ゆったりとした音楽と共に開始して、徐々にテンポが早くなり、最後には躍動感あふれる踊りとなります。首、肘、目、指などを特徴的に動かして踊ります。ダンスの伴奏にはハンドドラムが使われます。

産業

ほとんどのウイグル族は農業に従事をしています。彼らは古くから砂漠地帯のオアシスで生活をしてきたため、灌漑技術に優れています。山から水を引くための地下水路を作り、乾燥地帯で作物栽培を行っています。リンゴ、メロン、ブドウなどが多く栽培されており、農作物は主に中国の都市に出荷をされます。また、絨毯織りやヒスイの加工などの手工芸も行われています。

ウイグル料理

ウイグル料理
イスラム教徒が多いウイグル族の間では、ハラル食材を使ったムスリム料理が食べられています。また、地理的に近いウズベキスタンやカザフスタンと共通する料理も多くあります。それらの料理で使われている香辛料はシルクロード交易によってもたらされました。
  • ラグマン
    小麦粉から作った生地を手延べして麺にしてます。麺の見た目はうどんに似ており、コシが強いのが特徴です。茹でた麵の上にトマトや羊肉や野菜をのせて食べる混ぜ麺です。

  • ジク・カワープ
    日本ではシシケバブと呼ばれる羊肉の串焼き料理です。羊以外にも鶏肉が使われます。肉は香辛料などでマリネをしてから串に刺して焼きます。ジク・カワープは一般的な食べ物で、屋台などで手軽に食べられています。

  • ポロ
    ピラフに似ており、鍋で羊肉や野菜を炒め米と水を加え炊きます。出来上がったら、ヨーグルトソースと一緒に食べます。大きな鍋で作り、大人数が集まる結婚式などの祝いの席で出されることもあります。

  • ポロ
  • マンタ
    中華まんの一種で、具を生地で包み蒸す料理です。米料理のポロを包むこともあり、使う食材によってさまざまな呼び名がつけられています。具を入れない生地だけの蒸し料理はモモと呼ばれます。

  • ナン
    焼いて作るパンのことですが、いわゆるインド料理のナンとは形状が異なり、円盤状の形となっています。また、インド料理のナンより硬いため、スープなどに浸して食べることがあります。ナンはウイグル族の主食です。

日本でウイグル料理が食べられるレストラン

海外に行かなくてもウイグル料理を日本で食べることが出来ます。ウイグル料理に興味がある人は是非訪れてみてください。

ウイグルレストラン シルクロード・タリム

シルクロード・タリム
2010年にオープンした東京で唯一のウイグル料理専門店です。本場のウイグル料理をシルクロードの雰囲気があふれる店内で食べることが出来ます。ウイグル料理の定番のラグマンやポロなどもありますが、いろいろなウイグル料理を楽しみたい場合はコースメニューもお勧めです。お店に足を運ぶことが出来ない場合は、デリバリーを注文することも可能ですので、お家で本格的なウイグル料理を食べることも出来ます。
住所 東京都新宿区西新宿3丁目15-8 西新宿バールビル1階
電話番号 03-6276-7799
ウェブサイト https://www.oasis-tarim.com/

UIGHUR APANDIN KITCHEN(ウイグルアパンディンキッチン)

ウイグルアパンディンキッチン
ハラル食材を使った本格的なウイグル料理を楽しむことが出来ます。大人数でいろいろな種類の料理を注文し取り分けて楽しむのもお勧めです。一品料理とお酒を注文して軽く食事をするも出来ます。日本人向けにシンプルに味付けされた料理の中でも、スパイスの効いたシシケバブは絶品です。
住所 埼玉県川口市並木3丁目5-1 ライオンズマンション川口並木1階
電話番号 090-8438-8866
ウェブサイト https://tabelog.com/saitama/A1102/A110201/11045121/

新疆ウイグル自治区の地理と都市

新疆ウイグル自治区
ウイグル族が一番多く暮らしているのは新疆ウイグル自治区で、2020年時点で約1162万人となっています。次に多いのがカザフスタンで28万人、そしてトルコとウズベキスタンがそれぞれ約6万人となります。新疆ウイグル自治区は、中国北西部にあり、モンゴル、ロシア、カザフスタン、インドなどの多くの国と国境を共にしており、南にはチベット自治区があります。

1955年に設置された新疆ウイグル自治区は、160万平方キロメートル以上の広大な面積を持ち約2585万人が暮らしています。以前は人口の3分の2以上がウイグル族でしたが、漢族の移住が増えたためウイグル族と漢族の人口は同じぐらいとなっており、近い将来は漢族がウイグル族を上回る可能性が高くなっています。自治区の中央には天山山脈が東西にわたりそびえており、北側はジュンガル盆地、南はタリム盆地となっています。気候は内陸性気候で降水量が少なく乾燥し、一年を通して気温の変化が大きく、日中と夜間で気温が大きく変動するのが特徴です。

新疆ウイグル自治区の中部にあり、人口約400万人の大都市であるウルムチが首都となっています。ウルムチはモンゴル語で美しい牧場を意味しています。ウルムチは海から離れた内陸部に位置しており、世界で最も海から遠い都市としてギネス世界記録に登録されています。古来より交通の要衝として町がありましたが、1755年に清が城壁を築いてから大きく発展をしました。

新疆ウイグル自治区の東部にある街が哈密(ハミ)です。甘粛省の敦煌(トンコウ)に通じており、古くから西域の玄関口として知られています。反対側の西部にあるのが喀什(カシュガル)です。喀什はタクラマカン砂漠の西の端に位置し、砂漠を越えてパミール高原に入る前のオアシス都市として旅人にとって重要な町となっていました。いずれもシルクロード交易が行われていた昔から栄えていました。

新疆ウイグル自治区にある観光名所

新疆ウイグル自治区には、魅力的な観光名所がたくさんあります。その多くはシルクロード交易と関係があり、商人や旅人が行き交った場所から悠久の時に想いを馳せることが出来ます。

火焔山

火焔山
火焔山とは天山山脈の東部に位置する丘陵で、トルファン市のシンボルとなっています。赤い砂岩の岩肌に、浸食によって無数の縦しわが刻まれ炎が立ち上っているように見えます。夏の気温は40℃~50℃になり、陽が当たると燃えているように見え、まさに火焔山と呼ぶにふさわしい光景です。中腹にはベゼクリク千仏洞があり、岩を削って作られた無数の石窟の中に仏教壁画が描かれています。シルクロードを旅してきた商人と共にきた仏教徒によって、5世紀頃から作られ始めました。

ウイグル族の伝承によると、天山山脈に住むドラゴンをウイグル族の英雄が倒した際に、ドラゴンの血で染まったため火焔山が赤くなったとされています。また、西遊記でも火焔山が登場しているため有名な観光地となりました。西遊記では天竺に行くために火焔山を通らなければならず、孫悟空が芭蕉扇を使って雨を降らせ、火焔山の燃えさかる日を消しました。火焔山には西遊記の像や如意棒を模した温度計などが設置をされています。

高昌故城

トルファン市の南東にある高昌国の王城の遺跡です。5世紀に建設され、その後唐の時代でも人が住んでいましたが、13世紀にモンゴル軍の攻撃を受け廃墟となりました。一辺が約1.5kmの土壁に囲まれた中に、日干し煉瓦作りの建物が作られています。現在はほとんどが廃墟となっており、三蔵法師が滞在した際に訪問した寺院跡などを見ることが出来ます。

天池

天池
天地はウルムチから東に110km行った天山山脈の中腹にある湖です。標高2,000mにあり、雪解けによって作られた青く透明度が高い水を湛えています。湖の背後に山々がそびえ立つ風光明媚な場所で、夏でも気温が高くないため避暑地としても人気となっています。

キジル千仏洞

新疆ウイグル自治区の北部にあるクチャは、かつて仏教都市であった亀茲国が栄えていたため多くの仏教遺跡があります。クチャの北西にある岩壁に掘られた仏教の石窟群がキジル千仏洞です。キジルとはウイグル語で「赤い」という意味となり、赤い岩壁に3世紀頃から11世紀にかけて、200以上の石窟が掘られました。石窟内はお釈迦様の生涯を描いた壁画があり、青や緑の色鮮やかな仏教画を見ることが出来ます。

エイティガールモスク

ウイグル エイティガールモスク
エイティガールモスクは新疆ウイグル自治区で最も大きいモスクです。西部の都市カシュガルにあります。13世紀の中ごろに建てられた歴史あるモスクで、毎日約2,000人が礼拝に訪れており、金曜日やイスラム教の祝日にはもっとたくさんの人が集まります。観光客は礼拝中に見学をすることは出来ません。寺院の面積は1万6千平方メートルと広大で、礼拝堂の他に教経堂や広い庭園からなっています。また、カシュガルには大きなバザールがあり、香辛料や果物など珍しい商品を見ているだけで、東西の交流地点であることを実感出来ます。

 
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旅行会社部門6カテゴリNo.1

※ 調査期間:2024年1月5日〜9日 調査概要:旅行会社10社を対象にしたサイトイメージ調査 
調査対象:20~50代の男女198,979~199,391名 実施委託先:株式会社JCマーケティング

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