トルコ出身・トルコで活躍!古代世界の知識人達
歴史学者のヘロドトス (土:Herodot、英:Herodotus)
ハリカルナッソス(現ボドルム)のヘロドトス


歴史の父ヘロドトスは、トルコの南西エーゲ海沿岸のハリカルナッソス(現ボドルム)で紀元前484年頃に生を受けました。父親リュクセスは土着のカリア人で、母ドリュオはギリシア人と、ヘロドトスは小アジア土着のカリア人の血も流れていました。
父方の親戚(叔父または従兄弟)のパニュアッシスは当時有名な叙事詩人であり、ヘロドトスは名門家に生まれ、知識を育むのに恵まれた環境で育ったと言われています。
この頃のハリカルナッソスは、アケメネス朝ペルシア帝国の属州総督の支配のもとに在りました。ハリカルナッソス女性僭主で紀元前480年のサラミスの海戦では海軍指揮官として大活躍したアルテミシア1世に対してヘロドトスは大いに尊敬していましたが、その後彼女の孫のリュグダミスが僭主となるとヘロドトスは反政府運動に関わり、その為サモス島に亡命することになります。
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サモス島に滞在した後、アテナイへ、そしてイタリアに新しく建設されたトゥリオイと言うギリシャ植民地の町に紀元前443年頃渡り住みました。パレスチナ、ウクライナ南部やクリミア半島、北アフリカのリビアやエジプト、メソポタミア等、当時周知されていた国々を周り、この旅で見聞したことや得た知識を以て有名な『歴史(historiai)』を書き残しました。
『歴史(historiai)』は、紀元前499年~紀元前449年間に起こったアケメネス朝ペルシアのギリシャ遠征である“ペルシア戦争”を主題として書かれた時代史の様な物です。
当時まだ歴史と言う概念がない時代に初めて「ヒストリエー」と言う探求や調査や尋問を意味するギリシャ語の単語を使用しました。そのため、著書の『歴史』は現在の歴史の意味で書かれたものではなく、人間の世界で起こった出来事や地誌や系譜などの探求をまとめた物となります。
この「ヒストリエ」と言う言葉は後世、歴史を意味する「historyヒストリー(英)」や「histoireヒストリエ(仏)」となりました。
因みに、あの有名な「エジプトはナイルの賜物」と言う言葉は、ヘロドトスが『歴史』に記した言葉でもあります。
紀元前425年頃、住んでいたイタリアのトゥリオイ、またはマケドニアのペラで生涯を閉じたと言われています。