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サンタクロースの起源はトルコ!モデルとなった聖ニコラウスとは?
クリスマスといえばやっぱりプレゼント!プレゼントといえばサンタクロース。
お馴染みの赤い服と白いひげのサンタクロースは、多くの人のイメージではフィンランドなど寒い北欧の国かと思いますが、実はサンタクロースはトルコで生まれたのです。

サンタクロースのモデルは聖ニコラウス(ニコラス)という神父です。ギリシャ語の聖(セント)ニコラウスはオランダ語でシンタクラース。これがなまって「サンタクロース」となったとされています。余談ですが、オランダでは12月6日の聖ニコラウスの日の前日と12月25日のクリスマスにプレゼントがもらえます。
トルコ生まれのニコラウスがサンタクロースとして世界中で知られるようになるまでの紹介をさせていただきます。
あるとき、適齢期の3人姉妹がいる貧しい家族がお金がなくて3姉妹を身売りしなければならないという話を聞き、可哀そうに思ったニコラウスは姉妹が暮らす家の煙突から3枚の金貨を投げ入れます。その金貨は暖炉に置いていた靴下の中に落ち、この金貨のおかげで身売りを避けることができました。
この話は皆さんご存じの「夜中に家に入って靴下の中にプレゼントを入れる」というサンタクロースの伝承になりました。ニコラウスが3枚の金貨を投げ入れる話は東ローマ帝国時代、子供を守る聖人の伝説としてヨーロッパに伝わります。その後、17世紀、新教徒の移住者によってアメリカにももたらされました。
教会内には聖ニコラウスの棺が置かれていますが、実際の遺骨のありかは諸説あります。これまではイタリアのサン・二コラ聖堂にあるという説が有力でしたが、最近になって聖ニコラウス教会内部の床下に未発掘の墓があることが判明し、話題となっています。
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聖ニコラウスを白いひげの太ったニコニコ顔のおじいさんとして描いたのはアメリカの漫画家トーマス・ナストでした。19世紀後半のことです。ナストの絵では、服装の色は緑色や灰色などまちまちでした。
その後1931年、コカ・コーラ社が宣伝に使うためにスウェーデン人の画家にサンタクロースを描かせます。コカ・コーラ社の注文は赤と白を基調としたサンタクロースでした。コカコーラは当時、夏だけの大人の飲み物でしたが、冬にも飲める子供の飲み物としてPRしたかったのです。
こうしてトルコの神父さんから始まり、赤い服のサンタクロースはコカ・コーラの販売戦略で非キリスト教圏を含む世界中に定着しました。
ちなみにトルコ語ではサンタクロースをノエル・ババ(父親)と呼びます。イギリスやオーストラリアなどでは、クリスマスはファザー(父親)クリスマスといわれます。各国でサンタクロースが親しみを持たれているかわかりますね。


コカ・コーラがサンタクロースを起用したプロモーションを開始したのと同じ時期に、アメリカではサンタクロースの故郷が北極であるという言い伝えが広まります。しかし、北極からトナカイの餌を求めフィンランドのラップランド地方に引っ越したというフィンランドの新聞記事が元になり、フィンランドがサンタクロースの故郷であると考えられました。
1927年にフィンランドの国営放送がラップランドのコルヴァトゥントゥリの山中をサンタクロースの居住地と宣言し、この考えも世界中に広がりました(グリーンランドがサンタの故郷であるという説もあります)。
18世紀ごろ、プロテスタントの国であるドイツではこの風習をそのまま受け入れるのではなく、聖ニコラウスと同じような特徴を持った「ヴァイナハツマン」という架空の存在を新たに生み出します。
ドイツでクリスマスの象徴の一つとして定着したヴァイナハツマンは間もなくフィンランドにも伝わりました。つまり、フィンランドにおけるサンタクロースも、トルコ発祥といえるのです。


17世紀頃に、ヨーロッパからアメリカに多くの人たちが移り住みました。ヨーロッパからの移民たちは気候などが異なる住み慣れない土地で収穫がうまくいかず十分な食料を獲ることができませんでした。
その結果、多くの人が飢餓で犠牲になってしましたが、アメリカ先住民が七面鳥などの食べ物を移住者に与えてくれたおかげで、生き延びることができました。
翌年、収穫に恵まれた移住者たちは感謝の気持ちを込めて先住民達を招待したのが感謝祭の始まりとされ、その際に七面鳥も出されました。その後、七面鳥は感謝祭の象徴として、結婚式などのお祝い日の定番料理となりました。
クリスマスのディナーに七面鳥を食べる風習は、世界中のクリスマスをお祝いする国で伝わりました。日本でもクリスマスをお祝いする習慣が定着していますが、日本ではクリスマスに七面鳥を食べることは一般的には普及をしていません。
その理由は、七面鳥が日本では手に入りにくかったことと、1970年の大阪万博のときに欧米のライフスタイルにあこがれが強かった日本人に、ケンタッキーフライドチキン社が「アメリカでは感謝際に七面鳥を食べます。日本ではアメリカのスタイルに習ってチキンを食べましょう」と大々的に広告を打ち出したことによるマーケティング効果であると言われています。
日本では感謝祭の風習はないため、アメリカでクリスマスに七面鳥を食べる習慣にならって、クリスマスにケンタッキー社のチキンを食べるという習慣が定着しました。
ちなみにトルコはイスラム教徒が多いため、クリスマスを大々的にお祝いをする習慣はなく、クリスマスに七面鳥やケンタッキー社のチキンを食べる習慣はありません。トルコでは大みそかに新年のお祝いとして七面鳥のローストが出されることが一般的となっています。
トルコは英語で「Turkey」!由来や七面鳥との関係、トルコの英語事情を解説 | トルコ旅行 トルコツアー・観光なら、安心の『ターキッシュエア&トラベル』におまかせ!

クリスマスはキリストの誕生日とされていますが、聖書にはキリストの生まれた日の記述はありません。ではなぜクリスマスが12月25日になり、またクリスマスツリーが飾られるようになったのでしょうか。
12月25日はローマ帝国時代に広く信仰をされていた多神教パガニズムの太陽神ミトラの誕生日です。ローマ帝国では12月17日から24日の1週間が農業神サトゥルンを祝うお祭りとなっており、翌日の25日に太陽神ミトラの誕生日をお祝いしていました。
これは農業が太陽と密接な関係があると考えられていたためです。この1週間の祭りの間に常緑樹の松に明かりをともしてドアにリースのよう飾り付けをしていました。
4世紀にコンスタンチヌス帝がローマ帝国の首都をイスタンブールに移した際、それまで多かったパガニズムに代わりキリスト教徒が増えてきました。コンスタンチヌス帝は、パガン教徒とキリスト教徒の融和を図るためキリストの誕生日を12月25日と定め、ミトラの誕生日と結び付けました。
12月25日を両教徒で祝うことで国を安定させる政治的な配慮を行いました。現在でもドアにリースを飾るパガニズムの習慣はクリスマスに残っています。
クリスマスにツリーを飾る習慣は、常葉樹のもみの木が横から見ると三角形に見えることから、キリスト教の三位一体(神が頂点で子と精霊が底辺の両端)を表しているという考えが広がったためと言われています。この考えはドイツから始まり、イギリスやアメリカなど世界中に広がっていきました。
12月ぐらいからショッピングモールなどの街中でクリスマスツリーやオブジェの飾り付けがされ、特にイスタンブールの新市街ではイルミネーションやデコレーションを楽しむことができます。
日本では12月24日や25日に特別なディナーをして恋人や家族と過ごすことが定着をしていますが、トルコではクリスマスの特別なディナーはなく、またクリスマス休暇もないため、通常通りお店などは営業を行っています。
トルコは大晦日と新年のお祝いを盛大に行うためパーティーやプレゼント交換などは大晦日から新年にかけて行われます。そのためクリスマスのデコレーションをそのまま新年まで使うのが一般的です。日本のようにクリスマスが終わるとすぐにお正月の飾り付けに変更をされるということはありません。
ヨーロッパの多くの国ではクリスマス休暇があり、お店が閉まっていたり、営業時間が短縮されたりして旅行や観光などに不便になる場合もあります。トルコではクリスマスの時期に特別なイルミネーションを楽しみながら通常通り観光やお買い物や食事を楽しむことができますので、この時期にトルコ旅行を計画されてはいかがでしょうか。
お馴染みの赤い服と白いひげのサンタクロースは、多くの人のイメージではフィンランドなど寒い北欧の国かと思いますが、実はサンタクロースはトルコで生まれたのです。
サンタクロースの起源はトルコの神父


サンタクロースのモデルは聖ニコラウス(ニコラス)という神父です。ギリシャ語の聖(セント)ニコラウスはオランダ語でシンタクラース。これがなまって「サンタクロース」となったとされています。余談ですが、オランダでは12月6日の聖ニコラウスの日の前日と12月25日のクリスマスにプレゼントがもらえます。
トルコ生まれのニコラウスがサンタクロースとして世界中で知られるようになるまでの紹介をさせていただきます。
サンタクロースのモデル「聖ニコラウス」とは?
紀元4世紀頃、現トルコ南沿岸のアンタルヤ県とムーラ県の地域にある小さな古代都市ミラにニコラウスという神父さんがいました。子供が大好きで優しさにあふれ、特に両親のいない子供たちを助けていました。あるとき、適齢期の3人姉妹がいる貧しい家族がお金がなくて3姉妹を身売りしなければならないという話を聞き、可哀そうに思ったニコラウスは姉妹が暮らす家の煙突から3枚の金貨を投げ入れます。その金貨は暖炉に置いていた靴下の中に落ち、この金貨のおかげで身売りを避けることができました。
この話は皆さんご存じの「夜中に家に入って靴下の中にプレゼントを入れる」というサンタクロースの伝承になりました。ニコラウスが3枚の金貨を投げ入れる話は東ローマ帝国時代、子供を守る聖人の伝説としてヨーロッパに伝わります。その後、17世紀、新教徒の移住者によってアメリカにももたらされました。
サンタクロースの墓はトルコの聖ニコラウス教会にある?!
聖ニコラウスの故郷とされるトルコのミラ(現在のアンタルヤ近郊)の遺跡には、聖ニコラウス教会が残っています。世界中から熱心なキリスト教徒が集まる観光名所でもあり、周辺にはサンタクロースグッズを購入できるお土産ショップもあります。教会内には聖ニコラウスの棺が置かれていますが、実際の遺骨のありかは諸説あります。これまではイタリアのサン・二コラ聖堂にあるという説が有力でしたが、最近になって聖ニコラウス教会内部の床下に未発掘の墓があることが判明し、話題となっています。
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現在のサンタクロースのイメージを確立したのはコカ・コーラ社


聖ニコラウスを白いひげの太ったニコニコ顔のおじいさんとして描いたのはアメリカの漫画家トーマス・ナストでした。19世紀後半のことです。ナストの絵では、服装の色は緑色や灰色などまちまちでした。
その後1931年、コカ・コーラ社が宣伝に使うためにスウェーデン人の画家にサンタクロースを描かせます。コカ・コーラ社の注文は赤と白を基調としたサンタクロースでした。コカコーラは当時、夏だけの大人の飲み物でしたが、冬にも飲める子供の飲み物としてPRしたかったのです。
こうしてトルコの神父さんから始まり、赤い服のサンタクロースはコカ・コーラの販売戦略で非キリスト教圏を含む世界中に定着しました。
ちなみにトルコ語ではサンタクロースをノエル・ババ(父親)と呼びます。イギリスやオーストラリアなどでは、クリスマスはファザー(父親)クリスマスといわれます。各国でサンタクロースが親しみを持たれているかわかりますね。
サンタクロースはフィンランド出身じゃないの?


コカ・コーラがサンタクロースを起用したプロモーションを開始したのと同じ時期に、アメリカではサンタクロースの故郷が北極であるという言い伝えが広まります。しかし、北極からトナカイの餌を求めフィンランドのラップランド地方に引っ越したというフィンランドの新聞記事が元になり、フィンランドがサンタクロースの故郷であると考えられました。
1927年にフィンランドの国営放送がラップランドのコルヴァトゥントゥリの山中をサンタクロースの居住地と宣言し、この考えも世界中に広がりました(グリーンランドがサンタの故郷であるという説もあります)。
ドイツではサンタクロースではなくヴァイナハツマン
聖ニコラウスの伝説は早い段階からヨーロッパに広まっており、聖ニコラウスの祝日である12月6日の前夜には子どもにプレゼントを贈る風習がありました。しかし、聖ニコラウスはカトリックの聖人です。18世紀ごろ、プロテスタントの国であるドイツではこの風習をそのまま受け入れるのではなく、聖ニコラウスと同じような特徴を持った「ヴァイナハツマン」という架空の存在を新たに生み出します。
ドイツでクリスマスの象徴の一つとして定着したヴァイナハツマンは間もなくフィンランドにも伝わりました。つまり、フィンランドにおけるサンタクロースも、トルコ発祥といえるのです。
フィンランドにはサンタクロース村がある
フィンランドの北部にあるラップランド地方の主要都市ロヴァニエミにはサンタクロース村があります。サンタクロース郵便局やカフェ、お土産ショップなどがあり、お仕事中の本物のサンタクロースに会うこともできます。クリスマスに七面鳥(ターキー)を食べる理由


17世紀頃に、ヨーロッパからアメリカに多くの人たちが移り住みました。ヨーロッパからの移民たちは気候などが異なる住み慣れない土地で収穫がうまくいかず十分な食料を獲ることができませんでした。
その結果、多くの人が飢餓で犠牲になってしましたが、アメリカ先住民が七面鳥などの食べ物を移住者に与えてくれたおかげで、生き延びることができました。
翌年、収穫に恵まれた移住者たちは感謝の気持ちを込めて先住民達を招待したのが感謝祭の始まりとされ、その際に七面鳥も出されました。その後、七面鳥は感謝祭の象徴として、結婚式などのお祝い日の定番料理となりました。
クリスマスのディナーに七面鳥を食べる風習は、世界中のクリスマスをお祝いする国で伝わりました。日本でもクリスマスをお祝いする習慣が定着していますが、日本ではクリスマスに七面鳥を食べることは一般的には普及をしていません。
その理由は、七面鳥が日本では手に入りにくかったことと、1970年の大阪万博のときに欧米のライフスタイルにあこがれが強かった日本人に、ケンタッキーフライドチキン社が「アメリカでは感謝際に七面鳥を食べます。日本ではアメリカのスタイルに習ってチキンを食べましょう」と大々的に広告を打ち出したことによるマーケティング効果であると言われています。
日本では感謝祭の風習はないため、アメリカでクリスマスに七面鳥を食べる習慣にならって、クリスマスにケンタッキー社のチキンを食べるという習慣が定着しました。
ちなみにトルコはイスラム教徒が多いため、クリスマスを大々的にお祝いをする習慣はなく、クリスマスに七面鳥やケンタッキー社のチキンを食べる習慣はありません。トルコでは大みそかに新年のお祝いとして七面鳥のローストが出されることが一般的となっています。
トルコは英語で「Turkey」!由来や七面鳥との関係、トルコの英語事情を解説 | トルコ旅行 トルコツアー・観光なら、安心の『ターキッシュエア&トラベル』におまかせ!
クリスマスの由来


クリスマスはキリストの誕生日とされていますが、聖書にはキリストの生まれた日の記述はありません。ではなぜクリスマスが12月25日になり、またクリスマスツリーが飾られるようになったのでしょうか。
12月25日はローマ帝国時代に広く信仰をされていた多神教パガニズムの太陽神ミトラの誕生日です。ローマ帝国では12月17日から24日の1週間が農業神サトゥルンを祝うお祭りとなっており、翌日の25日に太陽神ミトラの誕生日をお祝いしていました。
これは農業が太陽と密接な関係があると考えられていたためです。この1週間の祭りの間に常緑樹の松に明かりをともしてドアにリースのよう飾り付けをしていました。
4世紀にコンスタンチヌス帝がローマ帝国の首都をイスタンブールに移した際、それまで多かったパガニズムに代わりキリスト教徒が増えてきました。コンスタンチヌス帝は、パガン教徒とキリスト教徒の融和を図るためキリストの誕生日を12月25日と定め、ミトラの誕生日と結び付けました。
12月25日を両教徒で祝うことで国を安定させる政治的な配慮を行いました。現在でもドアにリースを飾るパガニズムの習慣はクリスマスに残っています。
クリスマスにツリーを飾る習慣は、常葉樹のもみの木が横から見ると三角形に見えることから、キリスト教の三位一体(神が頂点で子と精霊が底辺の両端)を表しているという考えが広がったためと言われています。この考えはドイツから始まり、イギリスやアメリカなど世界中に広がっていきました。
トルコのクリスマス事情
国民の90%以上がイスラム教徒のトルコですが、クリスマスは全く関係ないと言うわけではありません。もちろん12月25日に国をあげて特別なお祝いをすることはありませんが、トルコでは大晦日や新年と合わせてクリスマスを楽しんでいます。12月ぐらいからショッピングモールなどの街中でクリスマスツリーやオブジェの飾り付けがされ、特にイスタンブールの新市街ではイルミネーションやデコレーションを楽しむことができます。
日本では12月24日や25日に特別なディナーをして恋人や家族と過ごすことが定着をしていますが、トルコではクリスマスの特別なディナーはなく、またクリスマス休暇もないため、通常通りお店などは営業を行っています。
トルコは大晦日と新年のお祝いを盛大に行うためパーティーやプレゼント交換などは大晦日から新年にかけて行われます。そのためクリスマスのデコレーションをそのまま新年まで使うのが一般的です。日本のようにクリスマスが終わるとすぐにお正月の飾り付けに変更をされるということはありません。
ヨーロッパの多くの国ではクリスマス休暇があり、お店が閉まっていたり、営業時間が短縮されたりして旅行や観光などに不便になる場合もあります。トルコではクリスマスの時期に特別なイルミネーションを楽しみながら通常通り観光やお買い物や食事を楽しむことができますので、この時期にトルコ旅行を計画されてはいかがでしょうか。