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イスタンブールで活躍した白衣の天使 フローレンス・ナイチンゲール


イギリス人看看護師“白衣の天使”ナイチンゲール。 赤十字の生みの親であり、クリミア戦争で負傷した兵士の看護でも名を知られていますね。そのナイチンゲールはトルコにも縁が深いことを知っていましたか?
戦場の天使とも言われた近代看護の創始者であるナイチンゲールの生い立ち、トルコとのかかわりをここで解説致します。

ナイチンゲールの濃くて長い生涯

看護師を志す若きナイチンゲール

フローレンス・ナイチンゲール 1820年5月12日イタリアのフィレンツェで生まれた英国人フローレンス・ナイチンゲールは出生地から名を取りフローレンス(フィレンツェの英語読み)と名付けられました。

裕福な家庭に生まれたナイチンゲールは、哲学、数学、経済学、心理学、歴史学、フランス語、ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、イタリア語、などなど幅広く当時の女性としては珍しい高等教育を受けます。

そんな彼女が一念発起して看護婦になりたいと決意したのは1849年のことです。この頃イギリスでは飢餓が蔓延しており、貧困層の酷い暮らしぶりにナイチンゲールは心打ちひしがれ、慈善奉仕活動をしたいと確固たる思いがあり、また天命であると確信していました。

ただ、この時代は医者が家へ行き往診するのが普通で、病院は形態を成さない下層階級の病人が集う不潔な場所であり、看護師は専門知識のいらないただの御手伝い・お世話係の様な物で下層階級の無教養な女性がする仕事でした。

彼女の家族は看護師になることにショックを受け猛反対しますが、意志の強いナイチンゲールは家族の反対を押し切り、また階級の壁を越えて1851年31歳でドイツのカイゼルスベルト学園で看護師の勉強を始めます。

その後、英国ロンドンで医療や看護や病院の運営などの教育を受けた後、英国各地の病院の状況を調べて専門的教育を施した看護婦の必要性を訴え始めるようになるのです。

オスマン帝国ウスキュダル英陸軍野戦病院での戦場の天使として活躍

セリミエ兵舎
ロンドンに戻っていた彼女の運命を変えたのは1853年、オスマン帝国トルコとロシアの間に起きたクリミア戦争でした。南下を目指すロシアに対し、脅威を感じる英仏はオスマン帝国を支援。黒海に突き出したクリミア半島で激しい戦闘が繰り広げられました。

戦闘で傷ついた兵士たちはイギリス軍の基地が置いてあったイスタンブールのアジア側スクタリ(現ウスキュダル)の陸軍野戦病院に運ばれ治療を受けます。ナイチンゲールは1854年、英国人の24人のシスターと10人の志願看護婦とともにイスタンブールに赴き、兵士の看護に当たるのです。

当時の陸軍はもちろん男社会であったため、野戦病院に着いたナイチンゲール一行はお嬢様たちの御遊びと馬鹿にされて軍医から軍からも歓迎されず、看護の業務につかせてもらえません。

 野戦病院での傷病兵は不潔な病院の床にそのまま寝かされ、戦場で生き残っても傷ではなく感染症で命を落とすような悲惨さ。ナイチンゲールはそうした状況を無くそうとまず看護の業務につけなくても掃除や食事など衛生状態の改善に努めました。

この衛生状態の改善により病院の状態が改善されたことが受けいれられ、また丁度戦闘が激化し傷病兵の数が多くなったことからナイチンゲール一行は看護にあたることになります。

現在では普通ですが、毎日包帯を替えることや病人に合わせて料理人が作った料理を提供すること、一人一台の寝台など少ない支給物資の中からでも個人の健康管理を考えた看護を行います。

また、看護の仕事だけでなく、負傷兵のために母国に残された家族に手紙を書いたり、死亡した兵の家族に死亡報告と一緒に僅かでも義援金を添えたりと心理的な面でも力になるために疾走します。

ナイチンゲールはこの病院の看護婦総責任者となり、衛生管理の徹底と個人の健康管理を考え、夜回りを怠らず行ったことで死亡率を数十%減らし最終的に2%まで抑えることに成功するのです。

因みに、夜間に問題がないか怠らずランタンを持って夜回りを行っていたことから“ランプの貴婦人”とも言われていました。既に1855年2月には戦場同行していたロンドンニュースの記者によりイギリスでこの名が広まっていたと言われています。

ナイチンゲールは献身的な戦場看護婦のイメージで世界に知られていますが、実は彼女自身が看護婦として負傷兵たちに奉仕したのはクリミア戦争従軍時の2年間だけ、つまりウスキュダルの兵舎での看護活動だけなのです。

ナイチンゲールの後世の為に行った功績

フローレンス・ナイチンゲール
ウスキュダルでのこの様な功績が認められ、オスマントルコ皇帝から1000個の金貨を与えられます。さらに英国に帰国後、加えて4万5000ポンドの功労金を支給されたのを機に、看護師と医療関係者の教育の為、生活保護の為にナイチンゲール基金を設立し、ロンドンの聖トーマス病院内に看護婦養成学校を創設します。

ナイチンゲールが創設した看護学校は、看護知識の教育だけでなく病院管理の教育も出来る看護学校である上、宗教に関係しない世界で最初の看護学校でもあります。

ただ、ナイチンゲールはスクタリで従事している際にクリミア・コンゴ熱に掛かっていて、その時治るものその後遺症が残ってしまいます。

残念ながら様々なストレスや心労が重なり慢性疲労症候群を患い、40歳の頃には現場で働けないくらい弱くなってしまいます。

予後亡くなるまでの約50年間、ほぼベッドの上の生活となりますが、現場で働けなくても執筆活動等で自らの経験を伝えることや看護師育成に力を入れるなど医療に尽力し続けました。1860年40歳の時に出版した『Notes On Nursing(看護覚え書)』は、看護の原点と基本的原理が論述されており、現在でも看護教育の教本としてベストセラーを誇っています。

1863年の著書『Notes on Hospitals(病院覚え書き)』では、患者一人における療養空間、窓やベッドの配置方法など病院建築におけるナイチンゲールの考案が理論的に記述しています。このほかにも数々の著書を執筆し、1907年87歳の時には女性で初めてメリット勲章を授かりました。

1901年81歳の時には失明し、1910年8月13日90歳の時ロンドンにてその生涯を閉じました。

因みに、現在当たり前となっている病院内のナースコールやナースステーション、病床の配置など病院建築の形体を考案したのもナイチンゲールなのです。

大きな医療衛生改革により、現代でも続く近代的な看護体制を確立したナイチンゲールが生まれた5月12日は、“世界看護の日”となっています。

統計学の母としての活躍

フローレンス・ナイチンゲール
ナイチンゲールは、野戦病院での看護の経験から「当時の陸軍病院の死亡の大半は戦争による負傷などではなく、院内の劣悪な衛生環境にある」ことを突き止めました。この事実を専門家でないヴィクトリア女王に訴える為、分かり易く説明する為にデータ集計及び可視化に尽力を尽くします。

 彼女はクリミア戦争で戦死した兵士を統計する為に死亡率や平均入院日数の計算方式などを用いた医療統計学を生み出しました。棒グラフや円グラフが無い当時、現在でも使われている“レーダーチャート(蜘蛛の巣チャート)”や“鶏のとさかグラフ”も実はナイチンゲールが生み出したものなのです。

この様な可視化された統計で分かり易く説明し、当時の病院の現状を約800ページにも及ぶレポートにして訴えたことに因り、イギリスの陸軍病院の医療衛生の改革が実現されました。

1859年には、女性で初めて王立統計協会の会員に選出され、1875年には米国統計学会の名誉会員になるなど、統計学の洗堀者としても絶対的な地位にあります。

功績を称え、名を冠した病院や学校も

1961年にイスタンブールヨーロッパ側新市街のシシリに作られた最初の高等看護学校は、彼女の名を取りナイチンゲール看護学校として始まりました。1977年にイスタンブール大学医学部の管轄となり、医学部フローレンスナイチンゲール看護学科の名で現在でも看護教育が続けられています。

イスタンブールにはナイチンゲールの功績を称え、その名を冠した病院がヨーロッパ側に2ヶ所、アジア側に2カ所あります。

ナイチンゲールが活躍した野戦病院 セリミエ兵舎

フローレンス・ナイチンゲール博物館
ナイチンゲールにとってイスタンブールは看護の献身に目覚めた原点の地です。
ナイチンゲールが従事したウスキュダルの陸軍野戦病院は、セリミエ兵舎(Selimiye Kışlası)と言い、元々はオスマン帝国第28第皇帝セリミエ3世が1800~1806年頃に作らせた兵舎なのです。

当初は切石の上に木造で作った建物でしたが、イェニチェリの反乱により崩壊し、1827年頃30代目皇帝マフムト2世の時代に煉瓦造りの建物に再建されました。31第目皇帝アブデュルメジト1世によって2回修復され4つの角には7階建てで43mの塔が増設されています。中庭を囲む様に横 200m、 縦267mの長方形でできた建物です。

クリミア戦争(1853-1856)時には、イギリス軍にこの兵舎が割り当てられ、1854年から1856年の2年ほどナイチンゲールが従事したのがこの場所なのです。

この兵舎は現在トルコ第1国軍の兵舎となっておりますが、建物の北西部分のナイチンゲール及び一緒に従事していた看護師たちが寝泊まりしていた部屋は、1954年よりフローレンス・ナイチンゲール博物館として、彼女が使っていた机、当時の写真、手紙やメモなどが公開展示されています。

名称 :フローレンス・ナイチンゲール博物館 (Florence Nightingale Müzesi)
場所 :Selimiye Kışlası, Üsküdar / İstanbul
開館日 :平日月曜~金曜
入場料 :無し
電話番号:0216 556 8000 内線番号3022/3023
※※注意※※
軍施設の為、2日前(48時間前)までに電話を入れた上にパスポートコピーと訪問日、訪問時間、訪問理由を予めファクス又はE-mailで送って予約をしておかなければなりません。
※館内での写真撮影は禁止です。
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