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来た、見た、勝ったの意味とは?歴史に残る名言はトルコで生まれた!


「来た、見た、勝った(Veni, vidi, vici)」は、古代の共和制ローマの皇帝ガイウス・ユリウス・カエサル(紀元前100年-紀元前44年)によるラテン語の有名なフレーズです。

紀元前47年頃、ユリウス・カエサルがポントスのファルナケス2世との短期決戦でゼラの戦いに勝利した旨を、ローマ元老院宛ての手紙で報告する際に、このフレーズを使用したといわれています。舞台となったゼラは、現在のトルコ北部のトカット県にあるジレ(Zile)に当たります。

優れた文筆家でもあったカエサルが、迅速で決定的な勝利を明瞭簡潔に表現するために使用したこのフレーズは、後世の歴史家や作家に高く評価されています。また、その知名度と汎用性の高さから、世界各国のさまざまなシーンで引用されています。

カエサルの名言「来た、見た、勝った」が生まれた経緯

ユリウス・カエサル
紀元前47年、ユリウス・カエサルはエジプトのアレクサンドリアにいました。カエサルは当地で出会ったクレオパトラ7世に惚れ込み、息子のプトレマイオス・カエサリオンを授かっていました。

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しかし、アナトリアのファルナケス2世率いるポントス王国(現在のトルコ黒海地方東部)の軍が、カエサルの派遣していたローマ軍を破って勢力を拡大してローマの領土を脅かしているという知らせを受けたために、カエサルはエジプトを出てアナトリアへ向かいます。

紀元前47年8月2日、アナトリア黒海地方のゼラ(現トルコのトカット県ジレ)の戦いで、ファルケナス2世の軍勢2万人と対峙。カエサル側は数的不利だったにもかかわらず、わずか4時間で戦いに勝利したのです。

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ギリシャの歴史家アッピアノスは、ゼラの戦いでポントス王国軍を迅速に打ち破ったことを「来た、見た、勝った(Veni, vidi, vici)」という言葉でカエサルが報告した、と記述しています。

同じくギリシャ人著述家のプルタルコスは著作の中で、カエサルがローマの元老院にいる友人たちに戦いの勝利を報告するために、手紙の中でこのフレーズを使用したと述べています。

また、ローマの歴史家スエトニウスは、カエサルがポントスでの凱旋の際に、このフレーズを碑文として掲げて、「何が行われたか、そしてそれが行われた速さ」を表現したと言及しています。

 
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「来た、見た、勝った」が名言たる理由

ユリウス・カエサル 来た、見た、勝った
「来た、見た、勝った(Veni, vidi, vici)」というフレーズは、ゼラの戦いの結果とその迅速さを、非常に適切かつ簡潔に要約した表現として評価されています。

さらに、ラテン語の文法を生かして、キャッチーな表現になっているのも特徴です。“Veni, vidi, vici”は、それぞれラテン語のvenire(来る)、videre(見る)、vincere(征服する)の一人称単数の完了・直接法・能動態です。英語訳だと、“I came; I saw; I conquered”となりますが、ラテン語だとわずか3語で表現できるのです。

すべての単語が同じ音で始まり、同じ韻で終わるので語感が良くて覚えやすく、アレンジしやすいのも、このフレーズが長く愛されている理由でしょう

実際、古代ギリシャの著述家プルタルコスも、「他のどの言語でもうまく表現できないほど、短くて耳に心地良い優雅さがある」と評しています。イギリスの詩人ジョン・ドライデンや、劇作家のウィリアム・シェイクスピアも、カエサルの名言の簡潔さを称賛しています。

カエサルは文才に恵まれていたことで知られており、「賽は投げられた(Alea iacta est)」など、他にも多くの名言を残しています。

「来た、見た、勝った」の有名な引用例

来た、見た、勝った ユリウス・カエサル
「来た、見た、勝った(Veni, vidi, vici)」は非常に有名で明瞭簡潔な言い回しのため、音楽、芸術、文学、政治などさまざまな場面で引用あるいはアレンジされて使用されています。

  • 1965年のF1世界選手権でHondaが初優勝した際、チーム監督の中村良夫氏は、東京のHonda本社宛ての電報に「来た、見た、勝った!」との一文を打ちました。
  • ロバート・ブラウン・ホールの1896年の行進曲『Veni, Vidi, Vici』
  • ポーランド王ヤン3世は、17世紀におけるウィーンの戦いの後、「我々は来た、我々は見た、神は征服した(Venimus, Vidimus, Deus vicit)」という言葉を残しています。
  • 2011年、当時のアメリカ国務長官ヒラリー・クリントンは、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の元首であったムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ大佐)の死について、「私たちは来て、私たちは見た、そして彼は死んだ(We came, we saw, he died)」と述べました。
  • フィリップモリス社の販売する一部のタバコ製品のパッケージに、「veni, vidi, vici」と記された同社のロゴが印刷されています。
  • フランスの詩人ヴィクトル・ユーゴーが、長女のレオポルディーヌを19歳で亡くした後に書いた詩『Veni, vidi, vixi(私は来た、私は見た、私は生きた)』
  • 1984年の映画『ゴーストバスターズ』で、主人公の一人であるピーター・ヴェンクマンの台詞「私たちは来た。私たちは見た。私たちはその尻を蹴った!(We came, we saw, we kicked its ass!)」
  • スウェーデンのロックバンド、ザ・ハイブス(The Hives)による2002年のスタジオアルバムのタイトル『Veni Vidi Vicious』

「来た、見た、勝った」が生まれた場所

ジレ城 来た、見た、勝った ユリウス・カエサル
紀元前47年、カエサルがローマ元老院宛てに「来た、見た、勝った」と記した戦争勝利報告の手紙をしたためたのは、現トルコ・トカット県のジレの街、ジレ盆地を臨む丘の上でした。この場所には1世紀の帝政ローマ初期にジレ城が建てられ、現在でも城壁などの遺構を見ることができます。

名称 ジレ城 (Zile Kalesi)
住所 Sakiler, Sakarya Cd. No:76, 60400 Zile/Tokat, トルコ
開館時間 24時間(※夜間は暗くて危険なので、明るい時間に行くのがおすすめ)



現在のトルコ共和国があるアナトリア(小アジア)は、カエサルが若き日に亡命した地です。また、彼が愛したクレオパトラと、結婚相手であるアントニウスは新婚旅行でトルコでアンタルヤやエフェソスを訪れるなど、何かと縁の深い地なのです。トルコ旅行に行かれる際は、こうした歴史的ストーリーにも思いを馳せると、より一層楽しめるでしょう。

 
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