トルコツアーガイド
アッソス観光ガイド
アッソス(ASSOS)
チャナッカレから南へ85kmにある今日のベフラムキョイに位置する古代ギリシャの学問都市アッソスは岩だらけのゴツゴツした土地と眼下に広がる神秘的なまでに美しいエーゲ海、中世的な村のたたずまいが印象的な風景を構成しています。レスボス島の緑と溶け合うこの青い海は、古代からギリシャ本土とレスボス島を結ぶ航路でした。
アッソスの最初の住民もレスボスから渡ってきたギリシャ人でした。紀元前6世紀、このあたりはクロエソスのリディア王国の統治下にありましたが、クロエソスがキュロスに敗れた結果、アッソスはペルシア帝国のフリギア・ヘレスポントス州に組み込まれました。
紀元前4世紀頃のアッソスでは学問が盛んでした。特に、哲学の面ではアリストテレスを筆頭に、ストア派の創始者のひとりでアッソスの人、クレアンテスその他、気鋭の学者が集まり知的な活気に溢れる町として広く知られていました。紀元前2~3世紀のアッソスはペルガモン王国の支配下に入っています。
アッソス遺跡
歴史
紀元前2000年頃から既に集落が形成されていたと思われます。紀元前1000年、アイオリス人がここを植民地化し紀元前6世紀にはリディア人の支配下に敷かれました。後にはペルシア人の手に落ちる事になります。紀元前350年頃には対岸のレスボス島の専制君主ヘルミアスによってギリシャの植民地として吸収されましたが、アレキサンダー大王の遠征により開放されました。紀元前241年にはペルガモン王国領となり、更に後にはローマに統合されました。紀元前348~345年の間にアリストテレスがここに住み哲学の一派を確立し、又、聖パウロの訪問の後には瞬く間にキリスト教が広まりました。パウロの門弟の一人である聖イグナチオもここに長期間住まいを構えました。そして、ローマ時代の後、ビザンチン、セルジュークそして十字軍に支配され最終的にオスマン・トルコに征服されたのです。
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観光
かつては面積2.5k㎡の町を高さ19mの城壁が包囲していました。長さ3kmに及ぶ城壁は見張りの塔と共に保存状態が良いです。都市の門前ネクロポリスからはヘレニズムとローマ時代の石棺が発見されています。最も価値ある発掘物は紀元前6世紀、市の最高地にドーリア式で建設された6×13本の支柱を持つアテネの神殿であるでしょう。浮き彫りの多くは現在パリにありますが、獣の戦いを彫った幾つかはイスタンブールの考古学博物館にも展示されています。アゴラ、劇場、体育館等はかなり荒れた状態です。アッソスからのエーゲ海やレスボス島の眺めは印象的です。
アッソスの発掘調査は19世紀後半に始められ、古代ギリシャ世界でも屈指といえる立派な防壁(紀元前4世紀)の跡が確認されました。アクロポリスの最も高い場所にあったアテナ神殿は前530年前後にドーリア式神殿として建立されましたが、後にイオニア式も採り入れたそうです。長道が13本、短道が6本の柱が並ぶ細長い建物で、その土台床は今も残っています。
アクロポリスの丘の斜面にそって、アゴラ(市場又は広場)、体育館や劇場の廃墟が目に入ります。アクロポリスの北に建つモスクは、オスマン初期の14世紀、ムラト一世時代のものです。
名称 | アッソス遺跡(Assos Ruins) |
住所 | Behramkale Köyü, 17860 Behram, Ayvacık- Çanakkale /Turkey |
休館日 | 無し ※砂糖祭と犠牲祭の初日は13:00より開館 |
営業時間 | 8:30~19:00(4月から10月)、8:30~17:00(11月から3月) ※チケット売り場は30分早く閉まります。 |
入場料 | 25 TL(約340円)、8歳未満の子供は無料。 |
所要時間 | 約1時間 |