トルコツアーガイド
エディルネの観光名所12選!オスマン帝国の歴史を感じるトルコの古都
エディルネは、イスタンブールのヨーロッパ側の西に位置する、トルコの最西端の県です。
古代名はアドリアノープルと言い、トゥンジャ川とメリチ川の河口に位置したエディルネは、昔よりトラキア地方・バルカン半島への主要要塞都市として栄えました。日本人にはマイナーなエディルネですが、オスマン帝国がイスタンブールの前に首都を置いたこともある深い歴史のある都市です。
イスタンブールからも日帰りで行け、一日で充分観光できる街ですので、近年トルコ人からも外国人観光客からも人気の観光地となっています。
このページでは、狭い路地やバザール、橋など、今なお古いオリエントの風情を醸し出す見どころ満載な古都エディルネの歴史や見逃せない観光スポット情報、おすすめのお土産などを解説します!
エディルネは、マルマラ地方に属し、イスタンブールの西北西約240km車で約3時間の距離にあるトルコ最西端の都市で、ブルガリアとギリシャの国境に接しています。
空港はありませんので、イスタンブールより陸路で向かわなければなりません。イスタンブールのオトガル(バスターミナル)からは1時間に一本以上頻繁にバスが運航しています。
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セリミエ・モスクは、オスマン帝国第11代皇帝セリム2世の命により、1568年から1574年迄の6年をかけて当時80才の高名な建築家ミマール・スィナンによって建てられたオスマン建築の最高峰のモスクです。
セリミエ・モスクは、KÜLLİYE(キュッリイェ)と言われるモスク集合体で、敷地内にはモスクの他に、中庭、外庭、そして初等教育機関、コーラン学校、マドラサ、時計台、宿坊、配給食堂、図書館等の付属建物から構成されています。
モスクは長方形で中央にはアーチによって連結した重厚な八角形の大理石と御影石の柱に支えられた高さ43m、直径31.5mのドームが見られます。内部の見事な大理石の説教壇とタイル張りのミフラブ(メッカの方向を示す壁の窪み)は特筆に値する程。柱の後方右手に図書館、左手にスルタンの間が見られます。とくに有名なのは、逆さチューリップ。
現在、考古学・民族学博物館であるかつてのコーラン学校はモスクの南に位置しています。
このセリミエ・モスクは、“セリミエ・モスクと社会的複合施設群”として2011年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
セリミエ・モスク(文化遺産・2011年)| トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
博物館内の展示物は下記の三部門より構成されています。
モスクは正方形で内面積2116㎡の広さを持ち、4本の柱に支えられた9つのドームが特徴。これは建築学上、柱支型と呼ばれ、ブルサのウル・ジャーミを模倣したものとされています。内装は青と白を基調に、道内や壁に大胆に書かれたアラビア書道が芸術的で圧倒的な存在を見せつけています。
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このモスクの名「ユチュ(ウチュ)シェレフェリ」は、3つのバルコニーを持つという意味で、モスク付随の4つのミナレットの内一番高くて特徴的な南側のミナレットの3つ(ウチュ)のバルコニー(シェレフェ)に由来しています。
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コンスタンティノープルを征服したメフメット2世の父、第6代皇帝ムラト2世の命により1438年に建設を開始し、1448年に完成したオスマン帝国初期のモスクで、1758年の地震の後に改築が行なわれましたが、庭とモスク自体が別々の位置に造られたドーム付きのものとしては最古の例となっており、内装も美しくとても趣・存在感があるモスクです。尚、このモスクを設計したのはミマールシナンの師匠であるムスリヒッディンと言われています。
オスマン帝国第8代皇帝ベヤズット2世の命により1484~1488年にモルダウ出征の成功を記念し、オスマン帝国第2の都市であったエディルネにダールシファー(医療機関)を作ることを目的に建築家ハイレッディンが建設したモスクを中心とする社会的複合施設群です。
敷地内に医療機関であるダルシュシファ、隔離病棟、コーラン学校、貧しい人々の為の無料食堂、ハマム(トルコ風呂)等の設備を伴った複合施設となっており、モスクは直径20.55ⅿの単一ドームで副ドームは左右に9つずつあり、敷地内南側に位置しています。複合施設内の中でも医療機関ダルルシファは、当時として斬新な近代病院として活躍していたとの事です。
モスク以外の施設は、1984年よりトラキア大学が経営しており、現在ダルシュシファ(医療機関)と医学大学(マドラサ)は医学博物館(下記にてご紹介)として公開されています。
2000年にはダルシュシファのŞİFAHANE(療院)部分は精神科歴史博物館となり、ダルシュシファの隣にある医学大学(マドラサ)も2008年より15世紀のオスマン帝国時代の医療を紹介する博物館として人形を使ってリアルに公開しています。
現在エディルネでセリミエ・モスクの次に入館者数が多い人気の観光場所となっています。
現在、宮殿跡に広がる公園はオイルレスリング場となっており、毎年6月の第1週になると全国各地から力自慢の男達がクルクプナール(オイルレスリング)に参加する為に集まります。選手たちは上半身裸で皮のズボンを履き、全身にオリーブオイルを浴びて力を競い合います。3日間続くこの伝統的競技は多くの観衆を集めとても賑わうイベントとなっています。
エディルネの町の南に流れるメルチ川に掛かるオスマン時代末期の石橋です。1833年に第30代皇帝マフムト2世により基礎工事が始まり、第31代皇帝アブドゥルメジドの時世に完成しました。長さ263m、幅7m、13本の脚に支えられた12個のアーチを持っています。
中心地から少し離れているように見えますが、南に1.5kmですので、徒歩で訪れることができます。橋の袂周辺にはカフェが多くあり、川辺は市民の憩いの場ともなっています。
ベヤズィット2世モスクと複合施設、及び医療博物館に訪れる際は是非この橋もご覧になってください。
1569年に建築家ミマール・シナンによって建てられた屋内バザールで、全長300m、現在128店舗が入ったエディルネ市民に昔から親しまれている商店街です。イスタンブールのグランドバザールの小さい版の様な感じですが、こちらは日用雑貨やエディルネ産のお土産等が売っています。
1417~1418年にオスマン帝国第5代皇帝メフメット1世がエスキ・モスクのワクフ(慈善事業)として造らせたバザールです。鉛でコーティングされた14個のドームをも持つ40.54 x 74.94 mの大きさのオスマン帝国初期から続く歴史的屋内市場です。
現在は、54軒のお店が並び、エディルネ名物のお土産屋を買うことができます。お買い物をしなくても、歴史的建物を見るだけでも楽しめる所です。
自然な程よい甘さで、日本人の口にも合い、お茶菓子としても最適です。エディルネがオスマン帝国の首都であった時から続く味を是非御賞味下さい。
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現在でも人気の石鹸で、実用よりもお土産屋やインテリア雑貨として購入されることが多くなっています。一瞬本物?!と見間違うほど果物そっくりで可愛らしい石鹸、女性へのお土産として喜ばれる一品です。
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エディルネのどこでも名物としてタヴァ・ジィエリのロカンタ(食堂)がありますが、中でもお勧めのお店を数件ご紹介いたします。
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トルコの国技となっている「YAĞLI GÜREŞ(ヤール・ギュレシュ)」。トルコ語で“YAĞ=油”、 “LI=付きの”、“GÜREŞ=レスリング”、即ち「オイルレスリング」の意味で、黒い牛革のズボンを履き、上半身にオリーブオイルをたっぷりと塗った勇ましい男性達が組みあいます。通常のレスリングとは違い、オイルを塗り掴み難くすることで、より大きな力と技術が必要な伝統的なスポーツです。
オイルレスリングの起源は紀元前2650年頃の古代エジプトと言われ、トルコ人の祖トゥルク民族は紀元前400年頃より行っていたことが解っています。
エディルネでのSARAYİÇİ(サライイチ)では毎年6月末~7月初頭にトルコヤールギュレシュ4大大会の内の一つで最も有名な「KIRKPINAR(クルックプナル) 」と呼ばれるヤール・ギュレシュの全国大会が行われ、全国から豪傑が集まり、最強者の称号「BAŞPEHLİVAN(バシュぺフリヴァン)」を勝ち取るために戦います。
14世紀にオスマン帝国第3代皇帝ムラト1世がエディルネを支配した後、ここにレスリング選手の修道場を建設し、大会が毎年開催されることが伝統化されたとの事です。1361年に開始されたクルックプナルは、2020年度で第659回目を迎え、格闘技大会としては世界最古ともいえる大会です。もしこの時期にエディルネに訪れることがあれば、是非生の勇ましい漢の戦いを観戦して見て下さい。
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エディルネの地には先史時代から人が居住しており、トラキア人のオドリス部族がメルチ川とトゥンチ川の合流する地点に“オドリス(またははオドリシア)”と言う名の町を建設したと言われています。
紀元前14~12世紀にはアカイア人に支配され、その後“ポリス(都市国家)”の形を成しました。
紀元前510年頃にはアケメネス朝ペルシャのダレイオス1世のスキタイ遠征の際にペルシャに征服されるも、紀元前460年に再度オドリスは独立します。
紀元前340年マケドニア王フィリップ2世に支配されてから、この地は“オレスティア”と呼ばれるようになり、紀元前168年にローマ帝国に支配されました。
エディルネは古代名“ハドリアノポリス”または英語名“アドリアノーブル”としても有名です。この名は125年にトラキア地方支配の拠点としてこの町を築いたローマ皇帝ハドリアヌスの名に由来し、「ハドリアヌスの町」の意のこの名が付けられました。
ここは戦略上の要地である為にその後様々な勢力の攻防戦の舞台となってきました。324年にコンスタンティヌス帝がビザンツ皇帝リキニウスを倒した古代史上最大と言われた戦いも、378年にゴート人がローマ皇帝バレンス帝を敗ったのもこのハドリアノポリスでの出来事です。
この地は、395年にローマ帝国が東西へ分かれた後は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に属することとなりました。
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その後、585年に都市はアヴァール民族に包囲され、915年にはブルガリア人に征服されました。12世紀に第三回十字軍の際に皇帝フリードリッヒ1世(通称バルバロッサ=赤髭王)が冬の陣営を敷いたのもここです。
1353年にトルコ人が初めてこの地を奪い、都市名ハドリアノポリスはトルコ語でエドレネボルとなり、その転訛によりエディルネと呼ばれるようになりました。1361年にはオスマン帝国第3代皇帝ムラト1世がここを征服し、1365年に宮殿を築いて首都としました。1453年のイスタンブールの陥落までオスマン帝国の首都として繁栄し、オスマン帝国の首都がイスタンブールに遷都されてからも、重要な副都として活発な商業や経営の中心地であり続けました。
1829~1878年、都市はロシア人の手に落ち、1912年にはブルガリア人によって征服されましたが、翌年には再びトルコ人が奪還し、トルコの領土として現在まで続いております。
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古代名はアドリアノープルと言い、トゥンジャ川とメリチ川の河口に位置したエディルネは、昔よりトラキア地方・バルカン半島への主要要塞都市として栄えました。日本人にはマイナーなエディルネですが、オスマン帝国がイスタンブールの前に首都を置いたこともある深い歴史のある都市です。
イスタンブールからも日帰りで行け、一日で充分観光できる街ですので、近年トルコ人からも外国人観光客からも人気の観光地となっています。
このページでは、狭い路地やバザール、橋など、今なお古いオリエントの風情を醸し出す見どころ満載な古都エディルネの歴史や見逃せない観光スポット情報、おすすめのお土産などを解説します!
目次
エディルネの場所・行き方

エディルネは、マルマラ地方に属し、イスタンブールの西北西約240km車で約3時間の距離にあるトルコ最西端の都市で、ブルガリアとギリシャの国境に接しています。
空港はありませんので、イスタンブールより陸路で向かわなければなりません。イスタンブールのオトガル(バスターミナル)からは1時間に一本以上頻繁にバスが運航しています。
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エディルネのおすすめ観光スポット12選
近年世界遺産のセリミエ・モスクを見に行く人が増えていますが、エディルネの見どころはセリミエ・モスクだけではありません。オスマン帝国初期の首都であったエディルネには当時の遺産が数多く残されています。また、ほとんどが中心地に集まっていますので、一日でも十分観光できるのが魅力的です!セリミエ・モスク(SELİMİYE CAMİİ)【ユネスコ世界遺産】
セリミエ・モスクは、オスマン帝国第11代皇帝セリム2世の命により、1568年から1574年迄の6年をかけて当時80才の高名な建築家ミマール・スィナンによって建てられたオスマン建築の最高峰のモスクです。
セリミエ・モスクは、KÜLLİYE(キュッリイェ)と言われるモスク集合体で、敷地内にはモスクの他に、中庭、外庭、そして初等教育機関、コーラン学校、マドラサ、時計台、宿坊、配給食堂、図書館等の付属建物から構成されています。
モスクは長方形で中央にはアーチによって連結した重厚な八角形の大理石と御影石の柱に支えられた高さ43m、直径31.5mのドームが見られます。内部の見事な大理石の説教壇とタイル張りのミフラブ(メッカの方向を示す壁の窪み)は特筆に値する程。柱の後方右手に図書館、左手にスルタンの間が見られます。とくに有名なのは、逆さチューリップ。
現在、考古学・民族学博物館であるかつてのコーラン学校はモスクの南に位置しています。
このセリミエ・モスクは、“セリミエ・モスクと社会的複合施設群”として2011年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
セリミエ・モスク入場観光情報
名称 | セリミエ・モスク(Selimiye Cami) |
住所 | Meydan, Mimar Sinan Cd., 22020 Edirne Merkez/Edirne |
開館時間 | 朝の礼拝 朝7時くらい~夜の礼拝8時くらいまで ※礼拝の時間は入場不可 |
定休日 | なし |
入場料 | 無料(寄付歓迎) |
所要時間 | 1時間 |
- 服装:宗教施設の為、膝上スカート・ショートパンツ・ノースリーブ等の露出の多い服装での場は不可です。女性はスカーフを被らなければなりません。ショールは前以て御自身にてご準備下さい。モスク内は土足禁止ですので、入場の際に入口にて靴を脱ぎます。脱いだ靴はモスク入口にあるビニール袋かご自身でご準備された袋に入れて持ってモスク内に入ります。
- 写真撮影:モスク内での写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止されております。また、宗教施設ですのでお祈りをしている人やムスリム女性を被写体にすることは原則として避けて下さい。
セリミエ・モスク(文化遺産・2011年)| トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』
エディルネ考古学・民俗学博物館(EDİRNE ARKEOLOJİ VE ETNOĞRAFYA MÜZESİ)
エディルネで最初に出来た博物館で、1924年にアタトゥルクの命令によりセリミエ・モスクのダルルハディスマドラサで考古学博物館として開館しましたが、展示物の増加に伴い1971年に現在の場所に移り、考古学・民族学博物館として再開しました。博物館内の展示物は下記の三部門より構成されています。
- a)考古学部門(ローマ、ビザンチン、オスマン帝国期の陶器、硝子、青銅製品、硬貨)
- b)民族学部門(衣装、武器、筆記用具、台所用具)
- c)アナトリアのカーペットとキリム
エディルネ考古学・民俗学博物館入場観光情報
名称 | エディルネ考古学・民俗学博物館 (Edirne Arkeoloji ve Etnografya Müzesi) |
住所 | Meydan Mahallesi,Kadirpaşa Mektep Sokak No: 7 22020 Edirne Merkez/Edirne (セリミエ・モスク東門より50m) |
開館時間 | 夏季(4/1~9/30)8:30~19:00 冬季(10/1~3/31)8:30~17:30 ※最終入場時間は閉館時間の30分前 ※砂糖祭り及び犠牲祭の初日は13:00より開館 |
定休日 | なし |
入場料 | 10TL |
所要時間 | 1時間 |
トルコ・イスラム美術博物館(TÜRK İSLAM ESERLERİ MÜZESİ)
1971年にセリミエ・モスク内庭内の元Dar-ül Tedris Medresesiを博物館として、イスラム美術や其々テーマ別にミマールシナン敬愛の間から始まり、カリグラフィー美術の間、刀武器の間、銃器の間、聖戦の間、ガラス・革製品の間、陶器の間、エディルネ宮殿の間、衣装の間、割礼の間、機織職人の間、手綱・鞍と靴の間、調理器具の間、クルックプナル(オイルレスリング)の間、イスラム修道院の部屋14部屋に分かれ、博物館の庭園には古い墓石が見られ、オスマン時代の石碑、テント、手書きのコーラン、刺繍、硝子工芸品、武器、タイルの他、高官の使用した織物等の民俗工芸品が展示されています。トルコ・イスラム美術博物館入場観光情報
名称 | トルコ・イスラム美術博物館 (Türk Ve İslam Eserleri Müzesi) |
住所 | Meydan, Mimar Sinan Cd., 22020 Edirne Merkez/Edirne (セリミエ・モスク中庭Dar-ül Tedris Medresesi) |
開館時間 | 夏季(4/1~9/30)8:30~19:00 冬季(10/1~3/31)8:30~17:30 ※最終入場時間は閉館時間の30分前 ※砂糖祭り及び犠牲祭の初日は13:00より開館 |
定休日 | なし |
入場料 | 10TL |
所要時間 | 1時間半 |
エスキ・モスク/旧モスク(ESKİ CAMİİ)
トルコ語でエスキ=「古い」の意味の通り、セリミエ・モスクよりも100年以上も古い、エディルネで現存する最古の初期オスマン帝国時代のモスクです。1403年にオスマン帝国第4代皇帝ベヤズット1世の息子スレイマン・チェレビの命により建築家ハジ・アラアッディンの設計にて建設が始まり、1414年に第4代皇帝メフメット1世により完成されました。モスクは正方形で内面積2116㎡の広さを持ち、4本の柱に支えられた9つのドームが特徴。これは建築学上、柱支型と呼ばれ、ブルサのウル・ジャーミを模倣したものとされています。内装は青と白を基調に、道内や壁に大胆に書かれたアラビア書道が芸術的で圧倒的な存在を見せつけています。
モスクとは?世界の美しいモスク15選と日本の2大モスクを紹介!
エスキ・モスク入場観光情報
名称 | エスキ・モスク(Eski Camii) |
住所 | Sabuni, 22100 Edirne Merkez/Edirne |
開館時間 | 朝の礼拝 朝7時くらい~夜の礼拝8時くらいまで ※礼拝の時間は入場不可 |
定休日 | なし |
入場料 | 無料(寄付歓迎) |
所要時間 | 30分 |
- 服装: 宗教施設の為、膝上スカート・ショートパンツ・ノースリーブ等の露出の多い服装での入場は不可です。女性はスカーフを被らなければなりません。ショールは前以て御自身にてご準備下さい。モスク内は土足禁止ですので、入場の際に入口にて靴を脱ぎます。脱いだ靴はモスク入口にあるビニール袋かご自身でご準備された袋に入れて持ってモスク内に入ります。
- 写真撮影 :モスク内での写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止されております。また、宗教施設ですのでお祈りをしている人やムスリム女性を被写体にすることは原則として避けて下さい。
ウチュ・シュレフェリ・モスク(ÜÇ ŞEREFELİ CAMİİ)
このモスクの名「ユチュ(ウチュ)シェレフェリ」は、3つのバルコニーを持つという意味で、モスク付随の4つのミナレットの内一番高くて特徴的な南側のミナレットの3つ(ウチュ)のバルコニー(シェレフェ)に由来しています。
モスクにある尖塔「ミナレット」とは?その意味や役割、世界の名建築を紹介!
コンスタンティノープルを征服したメフメット2世の父、第6代皇帝ムラト2世の命により1438年に建設を開始し、1448年に完成したオスマン帝国初期のモスクで、1758年の地震の後に改築が行なわれましたが、庭とモスク自体が別々の位置に造られたドーム付きのものとしては最古の例となっており、内装も美しくとても趣・存在感があるモスクです。尚、このモスクを設計したのはミマールシナンの師匠であるムスリヒッディンと言われています。
ユチュ・シェレフェリ・モスク入場観光情報
名称 | ウチュ・シュレフェリ・モスク(Üç Şerefeli Cami) |
住所 | Babademirtaş, Edirne Merkez/Edirne |
開館時間 | 朝の礼拝 朝7時くらい~夜の礼拝8時くらいまで ※礼拝の時間は入場不可 |
定休日 | なし |
入場料 | 無料(寄付歓迎) |
所要時間 | 30分 |
- 服装:宗教施設の為、膝上スカート・ショートパンツ・ノースリーブ等の露出の多い服装での入場は不可です。女性はスカーフを被らなければなりません。ショールは前以て御自身にてご準備下さい。モスク内は土足禁止ですので、入場の際に入口にて靴を脱ぎます。
- 写真撮影:モスク内での写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止されております。また、宗教施設ですのでお祈りをしている人やムスリム女性を被写体にすることは原則として避けて下さい。
ベヤズィット2世モスクと複合施設群(SULTAN II.BEYAZIT CAMİİ ve KÜLLİYESİ)
オスマン帝国第8代皇帝ベヤズット2世の命により1484~1488年にモルダウ出征の成功を記念し、オスマン帝国第2の都市であったエディルネにダールシファー(医療機関)を作ることを目的に建築家ハイレッディンが建設したモスクを中心とする社会的複合施設群です。
敷地内に医療機関であるダルシュシファ、隔離病棟、コーラン学校、貧しい人々の為の無料食堂、ハマム(トルコ風呂)等の設備を伴った複合施設となっており、モスクは直径20.55ⅿの単一ドームで副ドームは左右に9つずつあり、敷地内南側に位置しています。複合施設内の中でも医療機関ダルルシファは、当時として斬新な近代病院として活躍していたとの事です。
モスク以外の施設は、1984年よりトラキア大学が経営しており、現在ダルシュシファ(医療機関)と医学大学(マドラサ)は医学博物館(下記にてご紹介)として公開されています。
ベヤズィット2世モスクと複合施設群入場観光情報
名称 | ベヤズィット2世モスクと複合施設群 (Sultan II. Bayezid Camii ve Külliyesi) |
住所 | Sultan II. Beyazit Külliyesi, Yeniimaret, 22000 Edirne Merkez/Edirne (市内中心地より2㎞、トゥンジャ川岸) |
開館時間 | 朝の礼拝 朝7時くらい~夜の礼拝8時くらいまで ※礼拝の時間は入場不可 |
定休日 | なし |
入場料 | 無料(寄付歓迎) |
所要時間 | 45分 |
- 服装:宗教施設の為、膝上スカート・ショートパンツ・ノースリーブ等の露出の多い服装での入場は不可です。女性はスカーフを被らなければなりません。ショールは前以て御自身にてご準備下さい。モスク内は土足禁止ですので、入場の際に入口にて靴を脱ぎます。
- 写真撮影:モスク内での写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止されております。また、宗教施設ですのでお祈りをしている人やムスリム女性を被写体にすることは原則として避けて下さい。
医学博物館(SULTAN II.BEYAZİD KÜLLİYESİ SAĞLIK MERKEZİ)
ベヤズィット2世モスクと複合施設群の内のダルシュシファは、1488年より1877年のオスマン帝国とロシアの戦いまでの400年間、当初は総合病院、1850年以降は精神科病院として音楽療法や水音セラピー、アロマテラピー等の療法で医療を提供し、1997年より医学博物館となりました。2000年にはダルシュシファのŞİFAHANE(療院)部分は精神科歴史博物館となり、ダルシュシファの隣にある医学大学(マドラサ)も2008年より15世紀のオスマン帝国時代の医療を紹介する博物館として人形を使ってリアルに公開しています。
現在エディルネでセリミエ・モスクの次に入館者数が多い人気の観光場所となっています。
医学博物館 入場観光情報
名称 | 医学博物館(Sultan II.Bayezid Külliyesi Sağlık Müzesi) |
住所 | Sultan II. Beyazit Külliyesi Sağlık Müzesi, Yeniimaret, 22000 Edirne Merkez/Edirne (ベヤズィット2世モスクと複合施設群内のダルシュシファ) |
開館時間 | 9:00~19:30 |
定休日 | なし |
入場料 | 10TL |
所要時間 | 1時間 |
サライイチ(SARAYİÇİ)スルタンの宮殿
エディルネがオスマン帝国の首都であった頃スルタン達の宮殿があった場所で、首都がイスタンブールに移った後もトプカプ宮殿の次に大きな宮殿がありました。市の北部に位置します。1878年の戦いで打撃を受けた為、残念ながら今日では修復された正義の塔とメフメット2世のジハンヌマ宮が憐れな姿を留めるのみです。現在、宮殿跡に広がる公園はオイルレスリング場となっており、毎年6月の第1週になると全国各地から力自慢の男達がクルクプナール(オイルレスリング)に参加する為に集まります。選手たちは上半身裸で皮のズボンを履き、全身にオリーブオイルを浴びて力を競い合います。3日間続くこの伝統的競技は多くの観衆を集めとても賑わうイベントとなっています。
サライイチ入場観光情報
名称 | サライイチ(SARAYİÇİ)スルタンの宮殿 |
住所 | Yeniimaret, 22020 Avarız/Edirne Merkez/Edirne (市内中心地の北方約2㎞) |
ムラディェ・モスク(MURADİYE CAMİİ)
オスマン帝国第6代皇帝ムラト2世により1436年に建てられたモスク。市の北側裾野に位置し、コンヤのメブラーナ教団の門弟達の墓がある事から、かつては修道僧院であったと推測されています。オスマン帝国初期のモスクで、こじんまりとし外観はシンプルですが、モスク内のミフラブ(メッカの方向を示す窪み)や壁に残るタイルは大変細かいデザインで芸術的で趣があり歴史を感じさせる作品です。ムラディェ・モスク入場観光情報
名称 | ムラディェ・モスク(Muradiye Camii) |
住所 | Meydan, Edirne Merkez/Edirne |
開館時間 | 朝の礼拝 朝7時くらい~夜の礼拝8時くらいまで ※礼拝の時間は入場不可 |
定休日 | なし |
入場料 | 無料(寄付歓迎) |
所要時間 | 45分 |
- 服装:宗教施設の為、膝上スカート・ショートパンツ・ノースリーブ等の露出の多い服装での場は不可です。女性はスカーフを被らなければなりません。ショールは前以て御自身にてご準備下さい。モスク内は土足禁止ですので、入場の際に入口にて靴を脱ぎます。
- 写真撮影:モスク内での写真撮影は可能ですが、フラッシュは禁止されております。また、宗教施設ですのでお祈りをしている人やムスリム女性を被写体にすることは原則として避けて下さい。
リュステムパシャ・キャラバンサライ(RÜSTEMPAŞA KERVANSARAYI)
オスマン帝国第10代皇帝スレイマン1世の娘婿である最高官吏リュステムパシャが建築家ミマールシナンに委託し1560年に建てられた隊商宿です。歴史的建物として大変貴重なものですが、内庭と風呂のある2階建ての建物は修復され、現在110室のホテルとして利用されています。名称 | リュステムパシャ・キャラバンサライ (Rüstem Paşa Kervansarayı) |
住所 | Sabuni, No:57, 22100 Edirne Merkez/Edirne |
メリチ橋 (MERİÇ KÖPRÜSÜ)
エディルネの町の南に流れるメルチ川に掛かるオスマン時代末期の石橋です。1833年に第30代皇帝マフムト2世により基礎工事が始まり、第31代皇帝アブドゥルメジドの時世に完成しました。長さ263m、幅7m、13本の脚に支えられた12個のアーチを持っています。
中心地から少し離れているように見えますが、南に1.5kmですので、徒歩で訪れることができます。橋の袂周辺にはカフェが多くあり、川辺は市民の憩いの場ともなっています。
名称 | メリチ橋(Meriç Köprüsü) |
住所 | Karaağaç Yolu Üzeri / EDİRNE |
ベヤズット2世の橋 (II. BEYAZIT KÖPRÜSÜ)
市内の北西ベヤズィット2世モスクと町を繋ぐ目的で建築家ハイレッティンにより1488年に造られた石橋です。ベヤズィット2世モスクと複合施設のすぐ傍のトゥンジャ川に掛かっており、全長78ⅿ、幅約6ⅿ、5つの柱で6つのアーチを持つ500年以上の歴史がある橋です。ベヤズィット2世モスクと複合施設、及び医療博物館に訪れる際は是非この橋もご覧になってください。
名称 | ベヤズット2世の橋(II. Bayezid Köprüsü) |
住所 | Yeniimaret/EDİRNE |
エディルネで買い物するならこの歴史的バザールで!
アリ・パシャ・バザール(ALİ PAŞA ÇARŞISI)
1569年に建築家ミマール・シナンによって建てられた屋内バザールで、全長300m、現在128店舗が入ったエディルネ市民に昔から親しまれている商店街です。イスタンブールのグランドバザールの小さい版の様な感じですが、こちらは日用雑貨やエディルネ産のお土産等が売っています。
名称 | アリ・パシャ・バザール(Alipaşa Çarşısı) |
住所 | Mithat Paşa Mahallesi Saraçlar Caddesi No: 62 Merkez / Edirne |
開館時間 | 8:00~20:00 |
定休日 | なし |
セリミエ・アラスタ・バザール(SELİMİYE ARASTA ÇARŞISI)
セリミエ・モスクの収入源とするのを目的にオスマン帝国第12代皇帝ムラト3世が建築家ダヴット・アーに造らせた全長256m、お土産屋を中心に現在128軒のお店が連なっているバザールです。セリミエ・モスクに付随し中庭にも連結しているので、モスクに訪れた際はこちらのバザールをのぞき見するのも面白いかと思います。名称 | セリミエ・アラスタ・バザール(Selimiye Arasta Çarşısı) |
住所 | Meydan, Mimar Sinan Cd., 22020 Edirne Merkez/Edirne (セリミエ・モスク敷地内) |
開館時間 | 8:00~19:00 |
定休日 | なし |
べデステン・バザール(BEDESTEN ÇARŞISI)
1417~1418年にオスマン帝国第5代皇帝メフメット1世がエスキ・モスクのワクフ(慈善事業)として造らせたバザールです。鉛でコーティングされた14個のドームをも持つ40.54 x 74.94 mの大きさのオスマン帝国初期から続く歴史的屋内市場です。
現在は、54軒のお店が並び、エディルネ名物のお土産屋を買うことができます。お買い物をしなくても、歴史的建物を見るだけでも楽しめる所です。
名称 | べデステン・バザール(Bedesten Çarşısı) |
住所 | Sabuni, Kuyumcular Sk., 22100 Edirne Merkez/Edirne (エスキ・モスク西側) |
開館時間 | 8:00~19:30 |
定休日 | 日曜日 |
エディルネで買いたいおすすめのお土産
バーデム・エズメスィ (BADEM EZMESİ)
エディルネの名物でお土産のお菓子と言えば、バーデム・エズメスィと言う、オスマン帝国時代の宮廷料理から引き継がれている伝統的なアーモンドペーストのお菓子です。ムラト2世が遠征から帰った際、エディルネに移民したエジプト人パテェシイェが作ったこのアーモンドペーストを皇帝がお気に召し、エディルネの名物となったと言われています。自然な程よい甘さで、日本人の口にも合い、お茶菓子としても最適です。エディルネがオスマン帝国の首都であった時から続く味を是非御賞味下さい。
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フルーツ石鹸 (MEYVE SABUNU)
実はエディルネは果物の形をした良い香りの手作り石鹸の発祥地でもあります。17世紀のオスマン帝国時代にムスク、琥珀、バラ等のエッセンスを加えて本物の果物に似せて石鹸が作られ始め、当時の宮廷やスルタンや国内外の迎賓への贈呈品として用いられたことから、エディルネでの重要な工芸また職業となりました。現在でも人気の石鹸で、実用よりもお土産屋やインテリア雑貨として購入されることが多くなっています。一瞬本物?!と見間違うほど果物そっくりで可愛らしい石鹸、女性へのお土産として喜ばれる一品です。
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エディルネの名物グルメと人気のレストラン
エディルネの名物と言えば、やはり「TAVA CİĞERİ (タヴァ・ジィエリ) 」と言ういわゆる「揚げレバー」。薄く切られサクッと揚げられたレバーは全く匂いも癖も無く、レバー嫌いの方でも是非一度味わって頂きたい一品です。エディルネのどこでも名物としてタヴァ・ジィエリのロカンタ(食堂)がありますが、中でもお勧めのお店を数件ご紹介いたします。
Meşhur Edirne Ciğercisi Kazım ve İlhan Usta(キャーズム・ヴェ・イルハン・ウスタ)
1964年創業のエディルネで最も有名なレバー揚げ店の内の一店。エディルネ産牛のレバーを外はサクサク中はジューシーに揚げた病みつきになる味を提供する老舗です。エディルネ産のドライ赤トウガラシもレバーと一緒に出されます。- 場所: Dilaverbey, Osmaniye Cd. No:69, 22030 Edirne Merkez/Edirne
(アリ・パシャ・バザールの南裏) - 開店時間:9:00~19:00
- 定休日:月曜日
Aydın Tava Ciğer(アイドゥン・タヴァ・ジィエル)
1998年創業の有名店。希望によってレアやミディアムなど揚げ具合も注文でき、無料でサービスされる副菜のサラダやメゼ(前菜)も人気です。- 場所:Sabuni, Tahmis Çarşısı Sk. No:8, 22000 Edirne Merkez/Edirne
(エスキ・モスクの近く、べデステン・バザールの西側) - 開店時間:10:00~22:00
- 定休日:日曜日
Öz Akgünler Edirne Ciğercisi(オズ・アクギュンレル・ジィエルジスィ)
きつね色にサクッと揚げられた柔らかいレバーの美味しさは勿論ですが、付け合わせとしてサービスされるメゼ(前菜)が有名で、特にトウガラシ入りヨーグルトが絶品。地元の人に人気のお店です。- 場所:Mithat Paşa, Orhaniye Cd. No:9, 22020 Edirne Merkez/Edirne
(エスキ・モスクの近く、べデステン・バザールの西側) - 開店時間:10:30~21:30
- 定休日:なし
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エディルネで有名なトルコの国技・オイルレスリング
トルコの国技となっている「YAĞLI GÜREŞ(ヤール・ギュレシュ)」。トルコ語で“YAĞ=油”、 “LI=付きの”、“GÜREŞ=レスリング”、即ち「オイルレスリング」の意味で、黒い牛革のズボンを履き、上半身にオリーブオイルをたっぷりと塗った勇ましい男性達が組みあいます。通常のレスリングとは違い、オイルを塗り掴み難くすることで、より大きな力と技術が必要な伝統的なスポーツです。
オイルレスリングの起源は紀元前2650年頃の古代エジプトと言われ、トルコ人の祖トゥルク民族は紀元前400年頃より行っていたことが解っています。
エディルネでのSARAYİÇİ(サライイチ)では毎年6月末~7月初頭にトルコヤールギュレシュ4大大会の内の一つで最も有名な「KIRKPINAR(クルックプナル) 」と呼ばれるヤール・ギュレシュの全国大会が行われ、全国から豪傑が集まり、最強者の称号「BAŞPEHLİVAN(バシュぺフリヴァン)」を勝ち取るために戦います。
14世紀にオスマン帝国第3代皇帝ムラト1世がエディルネを支配した後、ここにレスリング選手の修道場を建設し、大会が毎年開催されることが伝統化されたとの事です。1361年に開始されたクルックプナルは、2020年度で第659回目を迎え、格闘技大会としては世界最古ともいえる大会です。もしこの時期にエディルネに訪れることがあれば、是非生の勇ましい漢の戦いを観戦して見て下さい。
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エディルネ(アドリアノープル)の歴史
エディルネの地には先史時代から人が居住しており、トラキア人のオドリス部族がメルチ川とトゥンチ川の合流する地点に“オドリス(またははオドリシア)”と言う名の町を建設したと言われています。
紀元前14~12世紀にはアカイア人に支配され、その後“ポリス(都市国家)”の形を成しました。
紀元前510年頃にはアケメネス朝ペルシャのダレイオス1世のスキタイ遠征の際にペルシャに征服されるも、紀元前460年に再度オドリスは独立します。
紀元前340年マケドニア王フィリップ2世に支配されてから、この地は“オレスティア”と呼ばれるようになり、紀元前168年にローマ帝国に支配されました。
エディルネは古代名“ハドリアノポリス”または英語名“アドリアノーブル”としても有名です。この名は125年にトラキア地方支配の拠点としてこの町を築いたローマ皇帝ハドリアヌスの名に由来し、「ハドリアヌスの町」の意のこの名が付けられました。
ここは戦略上の要地である為にその後様々な勢力の攻防戦の舞台となってきました。324年にコンスタンティヌス帝がビザンツ皇帝リキニウスを倒した古代史上最大と言われた戦いも、378年にゴート人がローマ皇帝バレンス帝を敗ったのもこのハドリアノポリスでの出来事です。
この地は、395年にローマ帝国が東西へ分かれた後は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に属することとなりました。
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その後、585年に都市はアヴァール民族に包囲され、915年にはブルガリア人に征服されました。12世紀に第三回十字軍の際に皇帝フリードリッヒ1世(通称バルバロッサ=赤髭王)が冬の陣営を敷いたのもここです。
1353年にトルコ人が初めてこの地を奪い、都市名ハドリアノポリスはトルコ語でエドレネボルとなり、その転訛によりエディルネと呼ばれるようになりました。1361年にはオスマン帝国第3代皇帝ムラト1世がここを征服し、1365年に宮殿を築いて首都としました。1453年のイスタンブールの陥落までオスマン帝国の首都として繁栄し、オスマン帝国の首都がイスタンブールに遷都されてからも、重要な副都として活発な商業や経営の中心地であり続けました。
1829~1878年、都市はロシア人の手に落ち、1912年にはブルガリア人によって征服されましたが、翌年には再びトルコ人が奪還し、トルコの領土として現在まで続いております。
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