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トルコ基本情報

トルコ美術


絵画
1910年代、美術分野でヨーロッパに留学したイブラヒム・チャルル、ヒクメット・オナット、ナームク・イスマイル、アヴニ・リフィジ、フェイハマン・ドゥランなどの画家たちがコルモン画塾の門下生となったが、彼らは印象派の理念や象徴派的解釈をトルコ絵画界に紹介した。「1914年ジェネレーション」として知られるこれら画家たちは美術アカデミーで教鞭をとり、共和国期の画家たちの育成に尽力した。

トルコ美術に現代的解釈をもたらしたアリ・アヴニ・チェレビとゼキ・コジャメミは、ホフマン派の影響と表現主義的思想を、シェレフ・アクディク、マフムット・ジュダ、ハーレ・アサフ、ムヒッティン・セバーティ、レフィク・エピクマン、ジェヴァット・デレリや彫刻家ラーティプ・アーシル・アジュドールらと分かち合った。「独立派」の名のもとに集まったこれら画家たちは、ゾングルダーク、サムスン、ブルサ、イズミットなどでアナトリア展を開催して現代トルコ絵画の普及に努めた。この行動をさらに新しい時代へと導いたゼキ・ファーイク・イゼル、ヌルッラー・ベルク、エリフ・ナジ、ジェマル・トルル、アビディン・ディノ、サブリ・ベルケル、彫刻家ズフトゥ・ミュリドールらは「Dグループ」の名のもとに結集し、立体主義を基本とする分析的解釈および抽象化へと向かった。

「サナーイ・ネフィセ・メクテビ」(美術学校)は、1928年に行われた大学改革により芸術アカデミーと改名された。1937年には、高等絵画学科主任にフランス人画家・版画家のレオポルド・レヴィが任命された。
レヴィはアカデミーのスタッフをDグループの画家たちとともに新しく組織した。レヴィの学生たちによって結成された「新人グループ」の芸術家トゥルグット・アタライやミュムタズ・イェネルは社会的現実性に向かい、ヌーリ・イエムは抽象主義から出発してアナトリアの女性、ゲジェコンドゥ(スラム住居)、ストライキや人口流出を描く画家となった。

「新人グループ」が生み出した非象形的絵画は1950年代、ミュビン・オルホン、ファフルニサ・ゼイド、ネジャット・デヴリム、アドナン・チョケル、リュトゥフ・ギュナイ、デヴリム・エルビル、オズデミル・アルタン、アドナン・トゥラーニ、ギュンギョル・タネル、ムスタファ・アタなどの画家らによってさらに発展し、社会派現実主義絵画はドゥラン・カラジャのチュクロヴァの描写、ジハット・アラルの油絵、そしてネシェット・ギュナルやネシェ・エルドクのアトリエの門下生たちの間でさらに広まった。

1950年代、ベドリ・ラフミ・エユボールと彼のアトリエの門下生たちが結成した「オンラル・グループ」は、トルコ絵画芸術において伝統的な題材であるミニアチュール、書法芸術、キリム、絨毯やモザイクの要素を現代的解釈を使って結合させた。メフメット・ペセンとネディム・ギュンスルは伝統的作風に向かい、オルハン・ペケル、レイラー・ガムスズ、トゥーラン・エロルらは色彩と点描の抽象化による表現力を絵画に加えた。絵画芸術は1980年代および1990年代に特筆に価する躍進を経た後、幻想的現実主義を筆頭に油絵の分野に変化が生じた。フィクレット・ムアッラ、アヴニ・アルバシュ、コメット、ブルハン・ウイグル、エルギン・イナン、エロル・アクヤワシュ、ブルハン・ドアンチャイ、ウトゥク・ヴァルルクなどの芸術家たちが国際的な成功を収めた。ギョクハン・アンラーン、フサーメッティン・コチャン、メフメット・ギュン、マヒル・ギュヴェン、アルプ・タメル・ウルクルチュ、イスメット・ドアン、ジャーナン・トロン、ムラート・モロヴァ、インジ・エヴィネル、ギュルスン・カラムスタファ、ハーレ・テンゲル、メフメット・ウイグン、アルタン・チェレム、ハーカン・アクチュラ、メフメット・ギュレルユズ、セルダー・アサルやセルハット・キラズなどの芸術家らは油絵や概念芸術作品などによって、トルコの美術界に新たな波を起こした。前衛的かつ実験的作品は、1977年にはじめて開催されたイスタンブール芸術祭の枠内で行われた「新傾向」展において支持を得た。1980年以降から現在まで伝統的油彩画のほか概念芸術も広まった。ムラート・モロヴァ、ザヒット・ビュユクイシュレエン、イスメット・ドアン、セルハット・キラズ、ザフェール・ゲンチアイドゥン、シェノル・ヨコズル、ベドゥリ・バイカム、トムル・アタギョク、ハビップ・アイドードゥ、ヴラル・ユルダクル、ムスタファ・アタ、ギュンギョル・タネルなどの画家が有名である。
芸術協会の2006-2007年度絵画部門賞は、カユハン・ケスキンオクとムスタファ・アヤズが受賞した。

トルコ美術
トルコの芸術家たちの近年の作品を合同展示するために文化観光省が1939年より毎年開催している国立絵画彫刻展覧会で、第68回目に「絵画コンクール」が開催された。コンクールでの受賞作及び優秀作は2007年にイズミール国立絵画彫刻館にて展示された。

現代絵画の巨匠のひとりであるシェフィック・ブルサルを悼んで、2001年から毎年行われているシェフィック・ブルサル絵画コンクールは、2007年に第7回目が行われた。受賞した5つの作品は、あらゆる権利と共に文化観光省の所蔵品に加えられた。

トルコ国民絵画芸術への関心を高めるため、2005年に開始され2006年に完了した81県を描く「トルコが絵になる」プロジェクトで描かれた作品は、2006年11月28日、トルコ大国民議会のシェレフ・サロンに展示された。この展覧会は、2007年1月に始まり、イスタンブール、イズミール、エルズルム、マニサ、チャナッカレ、アイドゥンの各県で行われた。

国家鉄道局創立150周年記念にちなみ、文化観光省と運輸省間で行われた協定により、2006年1月に73駅が対象となり「駅が絵になる」プロジェクトが開始された。このプロジェクトで72人の画家が作品を仕上げ、目録作りが進められている。また、国内の主要な駅での展示が予定されている。


彫刻芸術
トルコで初めて彫刻芸術の教育を受けた芸術家に、オスガン・エフェンディ画塾で教育を受けた芸術家たちやニジャット・シレル、マーヒル・トムルクがいる。カノニカのイスタンブール・タクシム広場にある「自由の像」、ハナクとソラクによるアンカラ・ギュヴェン公園記念碑、イスタンブール・サライブルヌにあるクリッペルのアタチュルク像、アンカラのウルス地区にある「良日の碑」などは、この時期の特徴を反映している。

トルコ人彫刻家も記念碑を作成した。外国人芸術家らも参加した「エルズルム記念碑」コンクールにおいて、アリ・ハーディ・バラが1位、ズフトゥ・ミュリドールが2位になった。「マニサ記念碑」コンクールではニジャット・シレルが大賞を受賞した。彫刻芸術の記念碑分野では、ハック・ア タムル、ヤヴズ・ギョレイ、キャーミル・ ソナド、イルハン・コマン、フセイン・ゲゼル、トゥルグット・プラなどの芸術家たちがその名を残した。彫刻芸術において、ドイツおよびフランスで11 年間学んだ芸術家ラーティプ・アーシル・アジュドールが社会的事件の慰霊碑・記念碑の初期の作品を作った。主な作品にメネメン慰霊碑、エルジンジャン地震慰霊碑などがある。

1937年、ドイツ人彫刻家ルドルフ・ベリングが国立芸術アカデミー彫刻科主任に任命され、1954年までアカデミーで教鞭をとり多くの学生を育成すると同時に彫刻の制作も行った。イスタンブールのタシュルク公園とアンカラ大学農学部中庭のイノニュ像はベリングの作品である。

おもに象形的な作品を生み出したこれら芸術家たちは、象形・抽象的もしくは非象形的な実験作品をも作り出した。アリ・ハーディ・バラ、イルハン・コマン、メフメット・シャーディ・チャルクやトゥルグット・プラなどの彫刻家たちは、特に抽象作品に重きをおいた。

1950年代のアカデミーの彫刻科においては、アリ・ハーディ・バラとズフトゥ・ミュリドールが影響力を持っていた。抽象的作品や様々な素材や技法の使用はこの時期の特徴である。アリ・テオマン・ゲルマネル、タメル・バシュオール、ギュルダル・ドゥヤル、ナームク・デニズハン、メティン・デニズ、メリチ・フザル・バショル、ラフミ・アクスングルなどの彫刻家が、このアカデミーの教師陣であった。

1961年、パリ青年ビエンナーレ展の彫刻部門で大賞を受賞したクズグン・アジャルは、独創性に富んだ抽象的作品を生み出した。イスタンブールのマニファトラジュラル商店街にあるレリーフ「鳥」もこの彫刻家の作品である。象形彫刻に新しい波を起こしたメフメット・アクソイ、金属、石、木などを使い抽象的表現を試みるフェリット・オズシェン、サーイム・ブガイ、メリチ・フザル、レムジ・サヴァシュ、エユップ・オズ、ユヌス・トンクシュ、ヤヴズ・ギョレイ、ゼッリン・ボリュクバシュ、フセイン・ゲゼル、ハルク・テゾナルは、国際的な展覧会で数々の賞を受賞しトルコの彫刻芸術を海外に広めた代表的な芸術家たちである。

芸術協会の2006-2007年度彫刻部門賞は、ヤシャル・サーミ・ギョクギョズとジェム・サービルが受賞した。
トルコの芸術家たちの近年の作品を合同展示するために、文化観光省が1939 年より毎年開催している国立絵画彫刻展覧会は、第68回目に「彫刻コンクール」を開催した。コンクールでの受賞作及び優秀作は、2007年にアンカラ国立絵画彫刻館にて展示された。


陶芸
共和国期初期、他の芸術分野と同様に陶芸の分野からも国外に芸術家たちが留学した。特にパリで教育を受けた初期の陶芸家、イスマイル・ハック・オイガル、ハック・イゼルやヴェダット・アルらは、帰国後、伝統とは異なった装飾品以外の概念で陶芸を扱い、独創的活動を行った。イスマイル・ハック・オイガルが陶芸分野にもたらした現代的アプローチは、後の芸術家たちにより重要な発展を遂げた。1929年、芸術家たちの協力により国立芸術アカデミーにおいて陶芸アトリエが創設され、陶芸教育の組織化が始まった。トルコ初の私設陶芸アトリエは1950年代中頃フレイヤー・コラルによって設立された。フレイヤー・コラル、サーディ・ディレン、ナシプ・イエム、ビンギュル・バシャルル、ジャンデール・フルトゥン、アティッラ・ガラタル、ベリル・アヌランメルト、ハーミエ・チョラクオール、ゼフラー・チョバンル、ジャーレ・ユルマバシャルなど数々の芸術家が1949年以降、国際的な作品を作り上げた。
芸術協会の2006-2007年度陶芸部門賞はトゥールル・エムレ・フェイズオールが受賞した。
1939年より毎年行われている国立絵画彫刻展覧会は第68回目に「陶芸コンクール」を開催した。コンクールでの受賞作及び優秀作は2007年にアンカラ国立絵画彫刻館にて展示された。


写真芸術
アタチュルクの援助による芸術および芸術家奨励は、写真分野でも行われた。共和国建国以前は非イスラム教徒の少数民族のみが写真芸術に携わっていたが、新時代の始まりとともにトルコ人写真家が増え、この分野において重要な位置を占めるようになった。

ジェマル・ウシュクセル、ヌレッティン・エルクルチ、セラハッティン・ギズ、リマソルル・ナージ、シナーシ・バルッチュ、イフサン・エルクルチ、バハ・ゲレンベヴィらは共和国初期の写真家たちである。トルコ写真芸術の真の意味でのアイデンティティーの確立と国外への進出は、1960年代に始まった。特に、アラ・ギュレルが1961年にイギリスにおいて世界の7大写真家のひとりに選ばれたことは、トルコ写真芸術の世界進出の始まりといえる。

1960年代以降、トルコ国内のいろいろな地方を独特な視点で撮影したオザン・サードゥチとストゥク・フラト、写真界の様々な分野において作品を発表したゼイネル・イェシルアイ、地方的モチーフを基本とした作品を作り出したギュルテキン・チズゲン、新解釈を持って写真界に異なる動きをもたらしシャーヒン・カイグンなどの写真家により、確固とした地位を築きその存在を知らしめたトルコ写真芸術は、力強い活動によって注目を集めた。このほかアティラ・トルンオール、ムスタファ・カプクン、ハリム・クラクスズ、レハー・ギュナイ、フィクレット・オトヤム、シェムシ・ギュネル、サービト・カルファギル、イサ・チェリキ、イッゼット・ケリバル、シャーキル・エジザージュバシュ、ジェンギズ・カルルオヴァ、アリ・コンヤルらが代表的な写真家である。また、エルシン・アロク、シェムシ・ギュネル、イッゼット・ケリバル、イサ・オズデミル、イブラヒム・デミレル、サーミ・ギュネル、メフメット・バイハン、イブラヒム・ギョエル、チェルケズ・カラダー、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、ラマザン・オズチュルク、ギョクハン・デミレル、ジェンギズ・エンギン、オルハン・ジェム・チェティン、メリヒ・アクオール、ジョシュクン・アラルらも、優れた作品によって注目を集める写真家たちである。

2003年にトルコ写真芸術連盟(TFSF)が結成され、写真芸術分野は組織化面で一歩前進した。
芸術協会の2006-2007年度写真芸術部門賞は、ストゥク・フラトが受賞した。
国の所蔵品に新たな作品を加えること、及び写真芸術の発展に貢献する目的で、文化観光省の主催で隔年で行われる「全国写真コンクール」は、2006年に第12回目が行われた。第13回全国写真コンクールは2008年に行われる。


風刺漫画
共和国建国と同時にジェマル・ナーディル・ギュレルとラミズ・ギョクチェはトルコ風刺漫画界の重鎮となった。同時期、ユスフ・ジヤー・オルタチが発行し、共和国史において最も長い期間出版された雑誌『アクババ』(ハゲワシ)は、さまざまな思想を表現した魅力的な作家と画家により、時代にその名を残した。

第2次世界大戦後、多政党体制への移行によって始まった新自由主義とともに、風刺漫画もその体質を変化させた。サバハッティン・アリとアジズ・ネシンが出版し、ムスタファ・ウイクスズが挿入画を描いた『マルコ・パシャ』はこの時代最も重要な風刺漫画雑誌である。

トルコ美術 芸術に新しい風を吹き込んだ1950年世代風刺漫画家たちは、文字や言葉に頼らない線描風刺漫画を発展させた。新しい風刺漫画の思想を、ただ描くのみではなく、展示会、論筆、セミナーや『41ブチュク』、『テフ』、『ドルムシュ』、『タシュ・カリカチュール』などの風刺漫画雑誌によって広めた。トゥ ルハン・セルチュク、ネハル・トゥブレキ、アリ・ウルヴィ・エルソ イ、エフラートゥン・ヌーリ・コチ、セルマ・エミルオール、セミヒ・ バルジュオール、ベドリ・コラマン、アルタン・エルブラク、ムス タファ・エレメクタル、シナン・ブチャクチュオール、フェッルフ・ ドアン、トングチュ・ヤシャル、スアット・ヤラズ、ヤルチュン・チ ェティン、オウズ・アラルらは、この時代の有名な風刺漫画家 たちである。1960~70年に登場したジャーフェル・ゾルル、ゼ キ・ベイネル、タン・オラル、ネジヒ・ダンヤル、エルジャン・アク ヨル、エルドアン・ボゾク、オルハン・オズデミル、セルチュク・ デミレルは、50年世代の作家たちが形成した風刺漫画に独自性を加えつつ発展させた。1970年代に入るとオウズ・アラルも参加して出版された週刊風刺漫画誌『グルグル』に集まった若い風刺漫画家たちは、テキン・アラルとともに歪んだ都市化問題が作り出した人間像と様々な出来事を皮肉りつつ、言葉を使った日常的な滑稽譚を作り出した。

1980年以降、社会における価値観の変化をイスマイル・ギュルゲチ、キャーミル・マサラジュ、サーリヒ・メメジャン、セミヒ・ポロイ、ベヒチ・アク、ピヤーレ・マドラ、ハサン・カチャン、エルギュン・ギュンデュズ、ラティフ・デミルジ、ハスレット・ソイオズ、ケマル・ギョクハン・ギュルセスらが、言葉と文章に線描を混在させつつ批判・分析している。

2004年末に開設されたアナドル大学風刺漫画芸術研究実践センターには博物館があり、約2,000点の作品が所蔵されている。アナドル大学は、この種のセンターと博物館をもつトルコ唯一の大学である。博物館は、所蔵作品の展示の他に、開館以来トルコ及び世界の風刺漫画の代表的な作家20人の個展が開かれ、エスキシェヒールのシンボルとなった。


トルコ装飾文化


中央アジアからアナトリアへ持ち込まれた装飾芸術は、セルジュク朝とオスマン帝国時代に重視され、何百年もの蓄積が共和国期へと伝えられた。1936年、国立芸術アカデミーにおいてトルコ装飾芸術科が開設され、メッキ工芸、書法芸術、マーブリング、ミニアチュール、タイル・デザインなどの教育が始まった。現在、イスタンブールとイズミールの3大学(ミーマル・シナン大学、マルマラ大学、ドクズエイリュル大学)において、専門科目として装飾芸術の教育が行われている。このほか文化観光省芸術総局によって、トルコ伝統装飾芸術の保護を目的に数々の活動が行われている。この分野で作品を発表している芸術家たちが現代の芸術観と嗜好にあった現代的解釈に力を入れ、また芸術家たちが作品を発表する場を提供するため、1981年より隔年で行われている「トルコ装飾芸術展」において、2007 年には「書法芸術コンクール」、「メッキ工芸コンクール」、「マーブリング・コンクール」、「ミニアチュール・コンクール」、「タイル・デザイン・コンクール」の第14回目が開催された。受賞作及び優秀作は2007年6月にアンカラにて展示された。


トルコ手工芸
アナトリアに存在した多くの文明の文化は、トルコ人の移住後、新しい融合の中において存在しつづけてきた。このためトルコの手工芸の起源は非常に古くまで遡ることができ、社会文化的に非常に重要である。教育機関、公共・民間団体や関係者たちの援助によって、現在まで織物(布、絨毯、キリム、ジジム、スマック、ケチェ)、刺繍(針ぬい、金・銀刺繍)、編物(オヤ、ダンテル、ボンジュク、トゥー、メキキ)、鉱物工芸(貴金属工芸、ガラス工芸)、木彫り、石材工芸(オルトゥ石、大理石、海泡石)、装飾人形、革工芸などの手工芸が作り継がれてきた。


書法芸術
書法芸術というとアラビア文字を用いた文字の芸術が頭に浮かぶ。この芸術はアラビア文字が6世紀から10世紀にかけて発達した後で生み出されたからである。

トルコ書法芸術の創始者とみなされているシェイフ・ハムドゥルラーの様式と芸術観は、17世紀まで続いた。ハフズ・オスマン(1642-98年)はアラビア文字を最も美しい形に書き、後出の書法家はすべて彼を見習った。

トルコ書法芸術は、19世紀から20世紀の初めにかけても黄金時代を迎えた。しかし1928年にアラビア文字からラテン文字に移行すると、一般的な芸術ではなくなり一部の教育機関による伝統芸術となった。

トルコ書法芸術の最後の大家はハッタット・ハミッド・アイタチである。1891年にディヤルバクルに生まれた書法家は、トルコの出版業界に亜鉛板印刷、スチール上に絵や文字を彫るエッチングやレリーフ、高度な印刷技術も初めて取り入れた。

イスタンブールに最近建てられたシシリ・モスクにある卓越した文字をはじめ、多くの家庭、ホール、オフィスや、エジプト、イラクなど世界中いたるところでハッタット・ハミッド・アイタチが書いた何千ものすばらしい作品を見ることができる。長く充実した生涯を送った書法家は、イスラム世界だけでなく日本の弟子も多く育てた。


建築と建築文化
トルコで共和国建国当初に建てられた建築物は、オスマン時代後期に設立された建築学校で学んだ当時の建築家らによ るものであり、古典的な伝統建築との折衷的な様式が取り入 れられた。1928年から第2次世界大戦後まで、首都アンカラを はじめとするアナトリア各都市に急遽必要とされる公共の建物がベルリンやウィーンの建築家も参加して造られ、先進的で 国際的な建築意識が芽生えた。

建築家ケマーレッディン・ベイとヴェダット(テク)・ベイが指導的役割を果たした「第1次国家建築運動」の影響下にある共和国建国初期の建築には、セルジュク朝とオスマン帝国時代の要素が取り入れられ、建物の正面に石材やタイルなどの装飾素材が使用された。アンカラのウルス広場近くにある第二国会議事堂、アンカラ・パレス、農業銀行、ガランティ銀行(元オスマンル銀行)、ナマズギャフ・テペの「トルコの家」、民族博物館はこの時代に造られた。
1930年代にはヤンセン・プランによって再整備された首都に、エグリ、ホルツマイスター、タウトなどの外国人建築家が設計した公共建築が建設された。
共和国建国初期の建築関係出版物に、ゼキ・サヤル、アビディン・モルタシュ、アブドゥラー・コザンオールの尽力により刊行されたトルコ初の建築雑誌『ミーマル』があげられる。この雑誌は1931~36年に『ミーマル』という名で出版されていたが、言語改革後『アルキテクト』と改称された。1954年に設立された建築家協会の公式出版物として現在も刊行されている。

1940~50年代に行われた第2次国家建築運動は、1920年代の形式主義的アプローチとは違った特徴をもち、サダット・ハック・エルデムを筆頭に伝統的大衆建築に重きをおいている。この時期は装飾的特徴よりも、ひさし、格子、2階部張り出し、出窓などの構造物が使われ、建築デザインにおいて調和と均衡が重要視された。また、国産建築と建築資材産業が発展した。

1980年代は、急速な都市化とともに建築や建築家が軽視された時期である。そして今、失われた都市的アイデンティティーと不毛化された国内建築事業の再構築が始まった。2007年に建築家協会によって開始された「トルコ建築政策を生活に取り込む」運動によって、建築の職業と専門分野がもたらす責任と権限が国民に帰することにおける困難を乗り越えるための活動が行われている。
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