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意外と知らないキリスト教の基礎知識!歴史や教え、ルールなどを簡単に解説


キリスト教は、絵画、音楽、文学、ヨーロッパのあらゆる文化、社会の発展に計り知れない大きな力を与えてきました。日本でも町中で教会を目にすることは多いと思いますが、日本のキリスト教徒の数は人口の1割にも満たない程度と大変少ないです。ですが、クリスマスをはじめ身近なところでキリスト教は浸透しています。教会で結婚式を挙げられる方も多いと思いますが、そのほとんどが「キリスト教式」になります。

ただ、キリスト教がどのように生まれ、どのように広がっていったなど、詳しく知る人は少ないと思います。そこで、ここではキリスト教の誕生から教え、聖書や聖地についてなど、キリスト教にまつわる事を徹底解説していきます!

キリスト教の基礎知識

キリスト教
キリスト教は、イスラム教、仏教と並ぶ世界三大宗教のひとつで、その中でも信者数が約24億人(世界人口の約32%)と、宗教人口世界第1位を誇っています。

キリスト教の歴史・始まり|こうして世界に広まった!

キリスト教の起源はイエス・キリストの死後(復活後)に起こった彼の弟子による初期キリスト教運動です。イエスは刑死する3年ほど前にガラリヤ(現在のイスラエル北部の地域とヨルダンの一部)で宣教活動を開始し、昇天後は弟子たちが宣教活動を行って世界に広がっていきました。イエス自身が宣教活動を行った期間は僅かだったにもかかわらず、今日までキリスト教の教えが説かれているのです。

キリスト教は元々ユダヤ教の一派として始まりました。当初、異教徒が改宗するには、ユダヤ教の戒律を守る必要がありました。そんな中、異教徒への宣教を積極的に行ったのがイエスの使徒パウロです。

パウロはユダヤ教の律法(食物禁忌や割礼など)を批判、廃止していきました。その結果、キリスト教は民族を問わない宗教へと転換し、ローマ人やギリシャ人にも受け入れられるようになりました。そして、迫害期を経て、当時の世界帝国であったローマ帝国の国教となり、世界中に広がっていきました。

イエス・キリストってどんな人?その生涯や教え、弟子、奇跡を紹介

キリスト教の教えとは?

キリスト教の教え
キリスト教とは、“神の子”である「イエス・キリスト」の教えを信じる宗教です。天地宇宙の創造者にして唯一絶対の支配者が、キリスト教における神です。キリスト教の神は、基本的にユダヤ教の神の理解を引き継ぎ、それは、人間と契約を結び、救おうとしますが、同時に神に背く者には厳しい裁きを下す神であります。「新約聖書」では、神が罪に満ちた人間を救済するために、神の子であるイエスを地上に遣わしたとされています。

律法学者から「最も重要な掟とは?」と聞かれたイエスはこう答えます。
「心を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」、「隣人を自分のように愛しなさい」 つまり、イエスは「神への愛と隣人愛」が大切と説いています。ですが、イエスの「愛」についての教えはこれにとどまりません。
人は一般に隣人を愛し、敵を憎みますが、イエスは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言います。イエスの説く「愛」は、深く、そして限りなく、誰にでも注がれる無限の愛で、この愛をギリシャ語では「アガペー」と呼びます。

ギリシャ語には愛を表現する言葉として、「アガペー(真の愛)」、「ストルゲー(家族愛)」、「エロース(性愛)」、「フィリア(隣人愛)」の4つがあります。
この中で、イエスの使徒パウロや福音書の記者が、神の愛として相応しい言葉として「アガペー」を用いたと言われています。この“アガペー”は、神様が人間を愛することで、何かの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」をも意味しています。

キリスト教での大切な教えとは、決して身近な人や好きな人だけではなく、自分の目の前に現れるあらゆる人を愛せよという“隣人愛”なのです。

キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の違いは?

コーラン
3つの宗教を比較して先ず大きく異なるのが「預言者」です。この預言者が、キリスト教では“イエス・キリスト”、ユダヤ教では“モーセ”、イスラム教では“ムハンマド”となります。ちなみに、預言者とは「神の言葉を預かる者」を指し、未来などを予知する予言者とは異なります。
そして、その預言者の違いからくる神の言葉の違いが影響している教義になります。

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キリスト教で最も重要視されることに、死後の魂の救済があります。キリスト教の場合、いつか訪れる最後の審判に常に備えていなければならない、ということが協調されます。救世主であるイエスを信じるものは天国へ行くことが出来るが、信じない者は地獄へ落ちるという思想です。一方で、イスラム教でも死後の世界は説かれ、ユダヤ教でも復活信仰が基本ではありますが、復活に与るか否かは、日頃の信仰や善行により決まるとされています。

ですが、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も根はひとつで、唯一絶対神を信仰する宗教「一神教」になります。一神教は世界の主要宗教の中でキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の3つだけです。
この3つの宗教間では様々な対立の歴史もありますが、実は一神教という意味では、この3つの宗教は同じ概念=絶対神を崇拝する兄弟宗教とも言える関係なのです。

ただ、キリスト教はユダヤ教やイスラム教とは異なり、父なる神・子なる神・聖霊なる神を信仰の対象とする三位一体論があります。三位一体とは、神が3つ合わさって1つという意味ではなく、1つの神の中に3つの位格があるという考え方です。そのため、「一神教」には変わりはありません。

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旧約聖書・新約聖書の違いって?

旧約聖書
そもそも聖書とは、全世界のキリスト教徒が、人生の道標として最も大切にしている書になります。聖書は元々、神の言葉を人間の言葉にしたものと考えられていて、いくつかのまとまった文章で成り立っています。
ちなみに、このような聖典は同じ世界三大宗教であるユダヤ教とイスラム教にもあり、ユダヤ教はタナハ(=旧約聖書)とミシュナー、イスラム教はコーランになります。なお、キリスト教の聖書はひとつではなく、旧約聖書と新約聖書があります。

旧約聖書とは、イエスが現れる前、聖書記者と呼ばれる特別な立場の人たちが、イスラエルの歴史の中で色々な時代に神の声を聞いて書き留めたものを集めたものになります。古くからのこうした言葉(預言)がまとまったものが旧約聖書の元になりました。ユダヤの人々が守っている決まり事の「律法」も、この中に含まれています。旧約聖書は、ユダヤ教の人々にとっては唯一の聖書なので、“旧約聖書”とは呼ばず「タナハ」と呼びます。キリスト教の旧約聖書は、もともとはユダヤ教の聖典タナハであり、イスラム教のコーランとも共通する内容でもあります。
そして、旧約聖書では、やがて救い主(ギリシャ語でキリスト)がやってくると約束しており、旧約聖書で預言されたとおりに、イエス・キリストは生まれてきました。

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次に新約聖書ですが、イエスが言ったことや行ったこと、復活についてのことなどを書き留めたものになります。これらのことは、神との新しい約束を表したものと考えられ、“新約”聖書と呼ばれるようになりました。
新約聖書は、福音書と教会の歴史、手紙、預言という3種類でできており、全部で27の書から成り立っています。「福音書」とは、イエスの教えをまとめた新約聖書を形づくるものでもあり、キリストの弟子のヨハネ、マタイ、マルコ、ルカの4人がイエスの教えを書いた、言わばイエスの生涯と教えを伝える書です。同じ出来事や場面をそれぞれの弟子が書いていますが、書いた人物によって少しずつ受け止め方や表現などの違った部分はあります。

旧約聖書と新約聖書では違うところは沢山あります。その中でも特に、神との約束(契約)についての考え方が違っています。例えば・・・

  • 神から誰を通じて与えられたか
    旧約→モーセ
    新約→イエス・キリスト

  • どんな人が救われるか
    旧約→律法を厳しく守る人
    新約→神を信じる全ての人

  • 人間は元々「正しいものか」
    旧約→正しくない
    新約→正しい

  • 何に刻まれている
    旧約→石の板
    新約→人の心

などです。ですが、違いがあっても、キリスト教においては旧約聖書と新約聖書を合わせて1つの聖書としています。そのため、片方の聖書だけでは聖書として成り立たないのです。

 
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キリスト教の宗派|「カトリック」と「プロテスタント」の違い

プロテスタント
イエスの昇天後、弟子たちは様々な場所でキリスト教の布教活動を行ってきました。そして1500年ほど経った頃、当時のローマ・カトリック教会を中心とする教えとは異なる考えを持つ人が出てきます。それが、当時の宗教改革によって生まれた新しい宗派「プロテスタント」です。カトリックが旧教、プロテスタントが新教と呼ばれるのはこのためです。

しかし、カトリックもプロテスタントも、旧約、新約、両方の聖書を神の言葉と考えている点では、根本は同じです。

他にも「東方正教会」という教派もあり、この3つがキリスト教の3大教派になっています。中央集権的なカトリック以外は、教派の中にさらに細かい諸派があり、その数は800とも言われています。カトリックは1枚岩ですが、カトリックへの異議申し立てから生まれたプロテスタントからは、意見の違いで多彩な分派が生まれています。

ミサとは?

ミサ
ミサとは、イエスの死と復活を記念したのもので、カトリック教会で最も重要な典礼儀式です。プロテスタントでは聖餐式に相当します。
ミサの始まりは「最後の晩餐」と言われています。「最後の晩餐」において、イエスはパンを手に取って割ると、弟子たちに与え「これは私の体。私を忘れないように、これから記念として行いなさい」と言い、パンを食べると、ぶどう酒を杯に注いで、「これは、沢山の人たちのために流す私の血。人々を救う新しい約束のしるしです。これも記念として行いなさい」と弟子たちに言いました。以来、カトリック教会は一貫してこの教えを守り、ミサを行っています。

ミサは大きく分けて、聖書のことばを聞く「ことばの典礼」と、キリストの最後の晩餐と復活を記念する「感謝の典礼」に分けられます。キリスト教信者は、ミサを通して家族と共に集まり、イエスの体を受けることで、日々の信仰生活の糧としています。

ちなみに「クリスマス(Christmas)」は、「キリスト(Christ)」の「ミサ(Mass)」=「キリストのミサ」が語源と言われています。

キリスト教の食べ物のルールや禁止事項

キリスト教では食前と食後に感謝の祈りを捧げるといったマナーがありますが、基本的に食べ物についての制限はありません。しかし、モルモン教では、アルコール類、コーヒー、紅茶、お茶、タバコが禁止されていたり、セブンスデー・アドベンチスト教会では菜食を推奨していたりと、一部宗派では独自の食事ルールがあります。

また、キリストの復活を記念する復活祭(イースター)前の準備期間である四旬節には、イスラム教の「ラマダン」のような「大斎・小斎」という断食を行う習慣があります。
  • 大斎:1日に1回の十分な食事+朝とその他に1回のわずかな食事。「灰の水曜日(四旬節の開始日)」と「聖金曜日(復活祭直前の金曜日)」に行う。
  • 小斎:肉類を食べないこと。毎金曜日に行う(祭日を除く)。

ラマダンとは断食じゃない?!イスラムにおける意味と旅行者のマナー

日本のキリスト教の歴史

キリスト教
日本に初めてキリスト教が伝えられたのはいつか?歴史の勉強で習った人も多いと思いますが、ここでは今一度おさらいをしていきたいと思います。

フランシスコ・ザビエルの到来!

キリスト教の日本到来については諸説ありますが、その中でも歴史的・学問的に見ても多くの証拠があって、キリスト教の日本への最初の伝来となっているのが、1549年のスペインの宣教師「フランシスコ・ザビエル」による布教です。ザビエルは、イエスズ会(カトリックの一派)の創設メンバーの1人で、西インドで宣教活動を行っていた際、マレーシアのマラッカで知り合った「ヤジロウ(アンジロウ)」という日本人によって日本のことを知り、興味を持ったことが日本への宣教活動のきっかけとなったと言われています。その後、ザビエルは鹿児島に上陸し、延べ2年3ヶ月にわたって日本での布教活動を行いました。
この頃、一番力の強かった大名が織田信長。信長はキリスト教を信じてはいませんでしたが、西洋の文化は珍しく見えとても気に入り、キリスト教を保護していました。ちょうどその頃、仏教の僧侶たちが信長の考えに逆らっていたこともあり、僧侶たちの力を押さえるためにも、外国の宗教を保護することは都合が良かったとも言われています。

伴天連(バテレン)追放令

日本でも、キリスト教(カトリック)を信じる殿様が九州や中国地方を中心に増えていきます。このような殿様は「キリシタン大名」とも呼ばれていました。
しかし、天下を統一した豊臣秀吉の安土桃山時代に入ると、勢力を拡大したキリスト教徒が、神道や仏教を迫害する事例が起きてしまいます。また、ポルトガル商人によって日本人が奴隷貿易の商品となって海外に人身売買されているという話も出て、これを耳にした秀吉が「伴天連(バテレン)追放令」を出し、宣教を禁止しました。しかし発令当初は、宣教師を追放しようとするも激しい弾圧は行っていませんでした。

 
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江戸幕府による禁教令

その後時代は変わり、徳川幕府になって、1612年、徳川家康が禁教令を出し、これによって鎖国政策が採られ、宣教師はもちろん、外国人も許可なしでは日本に入国できなくなりました。同時に本格的なキリスト教の迫害も始まり、処刑されたキリスト教信者は4000人以上とも言われています。江戸時代には何回か激しい迫害があり、処刑されたり、信仰を捨てたりする人々が多くなります。この時代は、信仰を守るのはまさに命懸けでした。

踏み絵と隠れキリシタン

江戸時代の禁教令以降、禁じられているキリスト教の信者を探しだすために考え出されたのが踏み絵でした。踏み絵は、イエス・キリストや聖母マリアの姿を浮き彫りにした板のようなもので、真鍮などでできていました。
この頃のキリスト教信者は、表向きは仏教信者のように見せて暮らしており、こういった信者たちは「隠れキリシタン」と呼ばれていました。そんな隠れキリシタンをあぶりだすために、イエスを足で踏みつけにできるかどうかを試す踏み絵が行われていました。この踏み絵は、1628年に長崎で始まって1858年までと、230年もの長い間続けられてきました。これにより隠れキリシタンは200年以上もの間、司祭などの指導を受けることなく独自に信仰を伝えていました。
伴天連追放令が出される頃、長崎が貿易の中心となっていた事もあり、長崎県は隠れキリシタン縁の地となっています。隠れキリシタンは、サビエルの来日から始まって、迫害を受け、差別と闘って乗り越えてきたという深い歴史を持っています。

信教の自由

第二次世界大戦後が日本の敗北で終わると、日本国憲法・第20条で信教の自由が保障され、晴れてキリスト教は不自由のない布教活動が行なえるようになりました。
現在ではキリスト教の文化は日本の文化に様々な影響を与えています。教会の結婚式や、これから説明するクリスマスなどがまさにキリスト教の象徴です。

キリスト教の三大祭日

キリスト教にはいくつもの祭日があります。中でも、クリスマスは特に有名ですよね。キリスト教の数ある祭日の中でも最も重要とされている、クリスマスも含めたキリスト教の三大祭日を紹介します。

イースター(復活祭)

イースター
イースターとは、十字架にかけられたイエスが3日後に復活したことを祝う祝日です。日付は固定されておらず、“春分後の満月の次の日曜日”と定められています。
そしてイースターには、綺麗な絵を描いた卵を送る習慣があります。「イースター・エッグ」という言葉を耳にしたことがある人もいるかも知れません。なぜ卵なのかと言うと、卵は復活したイエス同様、新たな命が生まれる蘇りの象徴とされているからです。
日本ではイースターはまだあまり馴染みがなく、どちらかというとクリスマスの方が盛り上がりますが、キリスト教徒にとってはイースターの方がより重要な行事となっています。

ところが、実は本当の始まりはキリスト教ではなく別の宗教で、北ヨーロッパに住んでいた、古代サクソン人の女神のお祭りでした。昔は、新しい土地に行ったキリスト教の伝道者たちはその土地のお祭りを取り入れ、馴染みやすくしてキリスト教の教えを広めていったと言われています。

ペンテコステ(聖霊降臨祭)

こちらはさらに日本では馴染みがなく、知っている人も少ないかもしれません。「ペンテコステ(聖霊降臨祭)」とは、12使徒も含めた120人もの信徒の上に聖霊が降臨した日をお祝いする日です。
ペンテコステとはギリシャ語で「50日目」を意味しており、イースターで復活したイエスが40日目に昇天し、その10日後の日曜日(イースターから50日目後)に祝われます。
聖霊が降臨したことによって色々な国の言語を話せるようになった弟子たちは、世界中にキリスト教を伝道することが出来るようになりました。これにより教会が生まれていくので、この日は「教会の誕生日」とも呼ばれています。

クリスマス|12月25日

クリスマスツリー
12月25日はイエス・キリストの降誕祭。降誕祭とはイエスの誕生日のことですが、実はこの日がイエスの誕生日だったかどうかは分かっていません。では、なぜクリスマスが12月25日なのか?
その由来ですが、12月25日は元々、当時ローマ帝国で信仰されていた太陽神ミトラの光の祭りの日でした。この光の祭りは、1年で最も日が短い冬至の日に行われ、このお祭りで太陽の復活が祝われていました。
紀元392年、ローマ帝国のテオドシウス帝がキリスト教を国教としますが、国民にはあまり浸透しませんでした。そこで、ローマ皇帝はキリスト教を広めるために光の祭りの日をイエスの降誕祭として取り入れてしまったのです。その結果、キリスト教がより広まるきっかけになったと言われています。

日本で行われているクリスマスは、プレゼントのやり取りはイタリアから、クリスマスツリーは北ヨーロッパのお祭りから、といったように、キリスト教以外からも影響を受けています。
誰もが心待ちにするクリスマス。キリスト教徒でもないのにこれだけクリスマスが盛り上がるのは日本くらいかもしれません。
また、サンタクロースは3世紀頃にいた、子供を守る聖人「聖ニコラス」のことで、後の世の人たちが少しずつ今のようなサンタクロース像を作っていったのです。

★サンタクロースについてもまとめています!是非下記の記事も読んでみてください!
サンタクロースの起源はトルコ!モデルとなった聖ニコラウスとは? | トルコ旅行専門の人気ナンバーワン旅行会社『ターキッシュエア&トラベル』

キリスト教の三大聖地

キリスト教にも当たり前に聖地があります。イスラム教では「ハッジ」と言われる、生涯に一度は果たさなくてはならない「聖地巡礼」がありますが、キリスト教では聖地巡礼を強調していませんが、キリスト教徒なら一生に一度は聖地を訪れてみたいのかもしれません。キリスト教徒でなくても、聖地を訪れることによってよりキリスト教の理解が深まると思います。そこで、ここではキリスト教の三大聖地を紹介します。

エルサレム(イスラエル)

エルサレム
キリスト教の一番の聖地は何と言ってもイスラエルの「エルサレム」です。エルサレムはキリスト教以外にも、ユダヤ教とイスラム教も聖地としています。根は同じ兄弟宗教とも言える関係から、3つの宗教がエルサレムを聖地とするのは無理のないことです。世界三大宗教の聖地が集まっていることから、「世界で最も聖なる都市」とも呼ばれています。

キリスト教にとってのエルサレムは、イエスが最後の1週間を過ごした場所でもあり、十字架に処せられたのも、その後に復活した地でもあります。イエスが葬られ、そこから復活したお墓を記念して建てられた「聖墳墓教会」もあります。教会内には、十字架から降ろされたイエスの聖骸に香油を塗布した赤大理石の板があり、何とも言えない重みがあります。聖墳墓教会は、キリスト教にとって世界で最も重要な巡礼地のひとつです。
また、イエスが十字架を背負って歩いた、人生最後の道のり「ヴィア・ドロローサ」もあります。

バチカン市国

ローマ バチカン市国
カトリックの総本山である「バチカン市国」は世界で一番小さい国でもあります。イタリアの首都ローマの中に位置しており、面積は約0,44㎢と皇居の半分以下の大きさしかありません。バチカン市国は街全体が世界遺産に登録されており、キリスト教の建造物の中でも世界最大規模を誇る「サン・ピエトロ大聖堂」やキリスト教芸術を展示している「バチカン美術館」があります。
サン・ピエトロ大聖堂は、12使徒のひとりであるペトロの墓の上に建設された聖堂が元になっています。サン・ピエトロ大聖堂という名はペトロの名が由来となっており、ペトロの遺体は現在も大聖堂の真下に埋葬されています。
元の聖堂は324年に建設されましたが今のような姿ではありませんでした。1200年経った1506年、教皇ユリウス2世によって、老朽化した聖堂の建て替えが開始され、建設期間は120年を要しました。設計や監修には、ミケランジェロ、ブラマンテ、ラファエロなど、10人以上もの天才芸術家が携わりました。

 
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サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)

3つめの聖地は、スペインの北西部に位置するガリシア州の州都「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」です。9世紀にこの地で、12使徒のひとりである大ヤコブの墓が発見されました。ヤコブの墓の上には「サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂」が建てられ、その後ヤコブの崇拝が広まり、三大聖地のひとつとなりました。
また、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の終着地として、フランスやポルトガルなど、ヨーロッパ中から巡礼の道が伸びており、長いルートでは800kmにも及ぶそう。この距離を歩くとなると、通常で約30日~40日はかかる計算です。スペイン国内の巡礼路には、道筋を示す矢印があり、矢印を辿って行くと終着地の大聖堂に辿り着きます。スペイン国内にある巡礼路は、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂:カミノ・フランセスとスペイン北部の道」として、1993年に世界遺産に登録されました。

トルコには初期キリスト教の聖地が多数ある!

イエスの昇天後に使徒や伝道者がイエスの教えを広めたことでエルサレムにてキリスト教が成立し、教会も誕生しました。キリスト教は多くの迫害を受けながらも、使徒たちによりエルサレムから小アジアと言われる現トルコのアナトリア、そしてギリシャやローマへと布教され、教会が作られていきました。そのような使徒たちの伝道の足跡がイスラエルの次に多いのが実はトルコなのです。
そこで、初期キリスト教として歴史深いトルコにある聖地を紹介します。

異邦人布教の拠点《アンティオキア》

パウロ
トルコ南東部ハタイ県のアンタキヤは、古代名アンティオキアと言い、パウロが中心となってイエスの教えをユダヤ人以外の異邦人に初めて伝道した地で、初期キリスト教の布教の拠点でもありました。
現代の研究者によれば、新約聖書『マタイによる福音書』の成立地としても有力視されていると言います。
また、新約聖書『使徒行伝』11章26節によると、この地で初めて信者のことを”キリスト者(クリスチャン)”と呼ぶようになったと言います。ちなみに、これは信者以外が信者に対して使っていた呼称で、信者が自分のことをキリスト者と言うようになったのは、これより後の2世紀になってからです。
シリア正教会などの東方正教会は、12使徒の一人聖ペテロがアンティオキア教会の創始者で初代のアンティオキア総主教であるとしています。

アンティオキアは、その後も常にキリスト教の重要地でありました。そして692年トゥルーリ公会議において、ローマ、コンスタンティノープル、アレクサンドリア、エルサレムと共に主教座格付けを与えられ五大総主教座とされました。アンティオキア総主教は、“アンティオキアおよび全東方の総主教庁”として、現存するキリスト教会の中でも最古の教会に属しています。
しかし、残念ながら現在アンティオキア総教会としての活動は、シリアのダマスカスに移されて行われています。
ですが、トルコのアンタキヤはキリスト教にとって切っても切れない重要な都市なのです。

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聖ペトロ洞窟教会

聖ペトロ洞窟教会
アンタキヤ東部のスタウリス山の岩肌にあった自然の洞窟を使い作られた奥行13m、幅9.5m、高さ7mの洞窟教会です。初期教会の中でも最も古い教会の内の一つであり、最古の洞窟教会とされています。岩の壁から染み出でて受け石に溜まった水で洗礼を行っていたようです。

西暦29~40年に12使徒の一人ペテロがアンティオキアに訪れて、この教会で伝道したと伝えられています。当初、迫害されていたキリスト教徒たちが隠れて集会をする為に使われていたと言い、ここに集まった信者たちのことを「クリスチャン」と初めて呼び始めたことから、最古の教会の一つとされています。

この教会は、ローマ帝国がキリスト教を国教と承認した後に、増築されてゴシック調の教会になりました。そして、12~13世紀にアンタキヤを占領した十字軍は、教会を数メートル拡大し、2つのアーチで正面に繋げられたと言います。

1983年にローマ教皇パウロ6世によって、ここはキリスト教徒の巡礼地として宣言されました。毎年6月29日にカトリック教会によってここでミサが行われています。
現在は、聖ペトロ記念博物館として人気の観光スポットにもなっています。

名称 Saint Pierre Kilisesi
場所 Küçükdalyan Mh. Senpiyer Cd. 31000 Antakya
定休日 無し
開館時間 夏季<4/1~10/31> 08:30~19:00
冬季<11/1~3/31>08:30~17:00
※最終入場は閉館30分前まで
入場料 40 TL

トルコにある《ヨハネの黙示録の7つの教会》

エフェソス
12使徒の一人聖ヨハネがキリスト教迫害に遭い、エーゲ海のパトモス島に流刑している時に、イエスからの啓示を受けて「世界の終末、最後の審判、新しい世界の到来」などの未来の出来事を幻視します。そして、イエスはこれを当時激しく迫害に遭っていた小アジア(現トルコ)のエーゲ海地方にある7つの主要教会に文面で伝える様に啓示します。これが4つの福音書の一つで新約聖書の最期を飾る『ヨハネの黙示録』です。

イエスの啓示の通りに、ヨハネは7つの教会のキリスト教徒達へ手紙を送ります。下記がその7つの教会と教会へのイエスの指摘メッセージとなります。これら7つの教会は、パウロが西暦53~56年に行った伝道活動により小アジアで初めて作られた教会たちでもあり、それぞれの地名で呼ばれるようになりました。

  • エフェソス (現セルチュク)
    偽りを避けたが、最初の愛から離れてしまった。
  • スミルナ (現イズミール)
    貧しさと迫害に耐えたが富んでいる。死に至るまで忠実であれ。
  • ペルガモン (現ベルガマ)
    サタンの王座がある場所で忠実であるが、間違った教えを持ち込んだ。ニコライの教えを悔い改めよ。
  • ティアティラ (現マニサ県アクヒサル)
    忍耐を知っているが、誤った女預言者により惑わされている。
  • サルディス (現マニサ県サーリフリ)
    死んでいる。目を覚まして悔い改めよ。
  • フィラデルフィア (現マニサ県アラシェヒル)
    門を開く。言葉に従い、名を否まず、辛抱強く耐え最初の愛と兄弟愛を守っている。
  • ラオディキア (現デニズリのエスキヒサル)
    生ぬるい。冷たいか熱くあれ。

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カッパドキア

カッパドキアは初期キリスト教の重要な拠点の一つであり、保存状態の良い壁画やフレスコ画、彫刻などが施された教会が数多く残っています。初期のキリスト教徒はおそらく、ローマの宗教的迫害から逃れ、タウロス山脈全域を占領したアラブ人の支配からカッパドキアヘ避難してきた人々でした。

カッパドキア観光の拠点となるギョレメには、曲がりくねった谷の斜面に作られた30以上の岩窟教会が野外博物館として公開されています。

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※ 調査期間:2024年1月5日〜9日 調査概要:旅行会社10社を対象にしたサイトイメージ調査 
調査対象:20~50代の男女198,979~199,391名 実施委託先:株式会社JCマーケティング

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