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トルコ出身・トルコで活躍!古代世界の知識人達

地理学者・哲学者・歴史学者のストラボン(土・英:Strabon)


アマセイア(現在のアマスヤ)のストラボン

アマスヤ
世界史の教科書にも出て、ほとんどの方がストラボンの名は聞いたことがあるかと思います。

ストラボンはトルコ北部ポントゥス王国のアマセイア(現在のアマスヤ)にて、ポントゥス王家が共和制ローマのポンペイウスに降伏しミトリダテス戦争が終結した紀元前64年に生まれました。父方はポントス王国の有力な名家、母方の数代前の先祖は国王の乳兄弟である裕福な家庭で育ちました。

アナトリア西部カリア地方にあった古代都市ニサ(現アイドゥン県スルタンヒサル)でアリストデモスから古典ギリシャの教育と弁論を学び、紀元前44年20歳の時に学問を続けるためにローマへ渡ります。最初はアリストテレス派にて学びますが、初代ローマ皇帝オクタウィアヌスの教師でもあったアテノドロスの影響を受けてストア派になります。

ストラボンは紀元前31年33歳までローマに留まりました。紀元前29年にギリシアを周り、紀元前28年エジプトを訪れます。彼は、ローマ帝国の大部分を旅し、その内ローマとエジプトのアレキサンドリアで長期にわたり滞在しました。

壮年期になり、ポリュビオスの『歴史』に続く形で紀元前146年のカルタゴの滅亡からカエサルの死去とアクティウムの海戦までの時代史を書き留めた43巻に及ぶ『歴史(Historika Hypomnemata)』、その後それまでの旅で見聞したことを詳細まで書き留めた17巻からなる地理分野の百科事典『地理誌(Geographumena)』を残しました。

この『地理誌』は当時の西洋世界が知っている限りの全ての世界の地誌を纏めた、当時の歴史や地理・地誌を知る上で大変貴重な資料でもあります。

ストラボンは、故郷小アジアのアマセイアにて晩年を過ごし、その地で紀元前23年頃生涯を閉じたと言います。

 
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