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スュペル・リグ(トルコスーパーリーグ)徹底解説!世界でのレベルや加盟チームは?
スュペル・リグ(トルコスーパーリーグ)とは?
トルコではサッカーの人気が非常に高く、国内にはプロサッカーリーグがあります。トルコサッカー連盟が1959年から主催をしているスュペル・リグ(トルコ語:Süper Lig)が国内最上位リーグとなり、1962年より欧州サッカー連盟(UEFA)に加盟をしています。スュペル・リグには18クラブが所属し、全クラブによるホーム・アンド・アウェー方式の総当たりで試合が組まれ、各クラブは1シーズン34試合を行います。
リーグは8月から開始し、12月から1月の約1カ月のウィンターブレイクを挟んで、5月に終了をします。
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リーグの優勝クラブには翌年のUEFAチャンピオンズリーグ本大会の出場権が与えられ、2位のクラブには予選3回戦の出場権が与えられます。3位のクラブにはUEFAヨーロッパリーグの予選3回戦の出場権が与えられ、4位クラブには予選会2回戦の出場権が与えられます。
シーズン終了時の下位3クラブは自動的に下部リーグであるTFF1.リグに降格となり、TFF1.リグから3クラブが昇格となります。
目次
スュペル・リグ(トルコスーパーリーグ)に加盟しているクラブチーム
スュペル・リグは少数のチームが長期間強さを維持しており、優勝経験があるのは以下の6クラブのみ。このうち4チームがイスタンブールに本拠地を置くチームです。- ガラタサライSK(22回)
- フェネルバフチェSK(19回)
- ベシクタシュJK(15回)
- トラブゾンスポル(6回)
- ブルサスポル(1回)
- イスタンブール・バシャクシェヒルFK(1回)
リーグの過去の優勝実績により、チームのエンブレムやユニフォームに金の星を付けることが公式に認められています。現在、黄金の星を掲げることができるチームは、ガラタサライSK(星4つ)、フェネルバフチェSK(星3つ)、ベシクタシュJK(星3つ)、トラブゾンスポル(星1つ)の4チームのみです。
サッカー人気の高いトルコではスュペル・リグの試合は熱狂的な盛り上がりを見せる!
2019~2020年シーズンのスュペル・リグ観客動員数は約312万人となり、1試合平均約1万4千人です。ただし、ガラタサライSK、フェネルバフチェSK、ベシクタシュJK、トラブゾンスポルのBIG4の人気が非常に高く、この4チーム合計の観客動員数は約166万人となり、全体の半分以上となります。
また、特にガラタサライSKはサポーターが熱狂的であることが知られており、欧州5大リーグの人気チームのサポーター以上の熱気があると言われています。
イスタンブールに本拠地を置くチーム同士のダービー戦では、スタジアムの1キロ以上前から警官が両チームのサポーターのトラブルを避けるために配置をされており、スタジアム内は熱気と緊張感が漂う独特の雰囲気となります。
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スュペル・リグの下部リーグ
TFF1.リグは2部リーグに相当します。18クラブによるホーム・アンド・アウェー方式の総当たりで試合が組まれ、各クラブは1シーズン34試合を行います。シーズン最終順位の上位2チームは1部のスュペル・リグに自動昇格します。3位から6位までのチームで昇格を賭けたプレーオフを行い、3位と6位、4位と5位のチームが戦ったのち、勝者同士が決定戦を行って昇格チームが決定となります。
TFF1.リグの下にはTFF2.リグ(3部)、TFF3.リグ(4部)、アマチュアの地域リーグがあります。
スュペル・リグ(トルコスーパーリーグ)のレベルは?
2019~2020年シーズンのUEFAリーグランキングを見ると、加盟国55ヶ国の中でスュペル・リグは11位となっています。UEFAリーグランキングは過去5シーズンのチャンピオンズリーグとヨーロッパリーグの試合結果などをもとに算出され、同シーズンの1位はスペインのプリメーラ・ディビシオンです。2000年にはガラタサライSKがUEFAヨーロッパリーグで優勝しています。
スュペル・リグでは海外のスター選手も多数活躍している
スュペル・リグでは1チームにつき28名の登録選手の中で14名の外国人枠がありましたが、2020~2021年の後半シーズンより16名に増やすことが決定となりました。そのためトルコ国籍の選手の割合が半分以下になるチームがほとんどです。世界中の有名選手がリーグでプレーをし、2000年以降は日本人選手も5名がプレーをしています。
【2020-2021】スュペル・リグ(トルコスーパーリーグ)順位表
- ベシクタシュ
- ガラタサライ
- フェネルバフチェ
- トラブゾンスポル
- スィヴァススポル
- ハタイスポル
- アランヤスポル
- カラギュムリュク
- ガズィアンテプ
- ギョズテペ
- コンヤスポル
- リゼスポル
- カスムパシャ
- イェニ・マラティヤスポル
- イスタンブールBBSK
- アンタルヤスポル
- カイセリスポル
- BBエルズルムスポル
- アンカラギュジュ
- ゲンチレルビルリイ
- デニズリスポル
スュペル・リグはウイニングイレブン2019からフルライセンスに
世界的に人気を博しているコナミのサッカーゲーム「ウイニングイレブン(ウイイレ)」では、2018時点でベシクタシュ・フェネルバフチェ・ガラタサライの3チームが登場していましたが、2019からはスュペル・リグがフルライセンスとなっています。スュペル・リグのカップ戦「テュルキエ・クパス」の流れ
カップ戦は1962年より行われガラタサライSKが最多の18回の優勝を誇ります。優勝チームはUSドル1,400,000を獲得できます。英語名はTurkish Cup。
カップ戦は総勢156チームが参加して行われます。1回戦はTFF3.リグとアマチュアリーグの86チームで行われ、2回戦は1回戦の勝利チーム43チームに加え、スュペル・リグとTFF1.リグとTFF2.リグの65チームが参加し、108チームで行われます。
3回戦は2回戦の勝利チーム54チームで行われ、4回戦は3回戦の勝利チーム27チームに前年度にUEFAチャンピオンズリーグとUEFAヨーロッパリーグに出場をした5チームが加えられ、32チームで行われます。
5回戦で16チームが8チームとなり、そのあとに2グループに分けられ、1グループ4チームごとのグループステージが行われます。各グループ上位2チームが準決勝で戦い、最後に残った2チームで決勝が行われます。
優勝チームにはUEFAヨーロッパリーグの本大会の出場権が与えられます。優勝クラブがすでにチャンピオンズリーグまたはヨーロッパリーグの出場権を獲得している場合は準優勝クラブに出場権が回され、もし準優勝クラブも出場権を獲得している場合、スュペル・リグで出場権を獲得できなかった最上位のクラブに回されます。
スュペル・リグの強豪チームBIG3
ガラタサライSK ☆☆☆☆
イスタンブールに本拠地を置き、1905年に創立をされたチーム。トルコで最も成功をしたチームで、リーグ戦とカップ戦の最多優勝回数を誇ります。2000年には無敗でUEFAカップを制し、UEFAスーパーカップも勝ち、トルコのクラブで初めてヨーロッパの優勝杯を掲げたチームとなりました。
トルコで最も人気のあるチームで、国内外に多くのサポーターがいます。最大のライバルは同じイスタンブールに本拠地を置くフェネルバフチェSKで、フェネルバフチェとの試合はボスポラス海峡を隔てた大陸間ダービーとして知られ、世界最大級のダービーマッチです。
チームのホームスタジアムのテュルク・テレコム・アレナはトルコのクラブが所有をするスタジアムでは最大級の大きさとなり、スタジアムには熱狂的ファンのアンセムと応援の声が響き、歓声の大きさの世界記録を保持しています。
それゆえスタジアムは「地獄」と呼ばれ、他のチームからは試合を行うことを嫌われています。日本の長友佑都選手が2018年~2020年に所属したチームです。
公式サイト:https://www.galatasaray.org/en/Homepage
フェネルバフチェSK ☆☆☆
ガラタサライに次いで人気のあるチーム。1907年に創立され、創立以来イスタンブールのカドゥキョイ地区にあるシュクリュ・サラジオウルがホームスタジアムです。
2007-2008シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではトルコ史上2度目の準々決勝に進出しましたが、グループ最下位で敗退となりました。
2010-2011シーズンに国内の試合で八百長を行った疑惑が出たためUEFAチャンピオンズリーグの2013-2014シーズンの参加が禁止となり、同シーズンを含む3シーズンのUEFA主催大会の参加が認められなくなりました。
元日本代表監督のジーコ氏が2006年~2008年に監督を務めたチームでもあります。
公式サイト:https://www.fenerbahce.org/home
ベシクタシュJK ☆☆☆
ガラタサライSK、フェネルバフチェSKと並ぶトルコを代表するクラブ。1903年に創立され、スュペル・リグ優勝15回を誇る古豪です。ホームスタジアムはベシクタシュ地区にあるボーダフォン・パーク。
上記2チームと100年以上のライバル関係にあり、ダービー戦は満員の観客と大音量で熱狂的に盛り上がりますが、近年はサポーター間の暴力行為は減少傾向にあります。
2007-2008シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝トーナメントに進出しましたが、敗れベスト16の成績に終わりました。フェネルバフチェと同様に八百長疑惑があり、UEFAヨーロッパリーグの2013-2014シーズンの出場権を剥奪されています。
香川真司選手が2019年1月31日より3か月の期限付き移籍で所属しました。
公式サイト:https://bjk.com.tr/en/
トラブゾンスポル ☆
トラブゾンスポルは、トラブゾンを本拠地とするクラブチームです。ビッグ3に次ぐリーグ優勝回数(6回)を誇り、ビッグ3を除いて唯一黄金の星を掲げることができるクラブでもあります。2021年5月には、セルビアのパルチザン・ベオグラードからの退団を発表した日本代表FW浅野拓磨が、トラブゾンスポルと2年契約で合意したと伝えられています。
サッカートルコ代表の実力は?
トルコサッカー連盟(TFF)によって編成をされるナショナルチーム(トルコ代表)は、トルコ国旗のデザインから「月星軍団」と呼ばれます。1923年に国際サッカー連盟(FIFA)に加入をし、1962年にヨーロッパサッカー連盟(UEFA)に加入しました。
UEFA加盟後はヨーロッパの強豪国に後れを取っていましたが、1996年の欧州選手権の本大会に初出場。結果はグループリーグ敗退でしたが、2000年の欧州選手権にも連続で出場をし、ベスト8の結果を残しています。
2002年のFIFAワールドカップでは本大会に出場し、グループリーグを2位で通過。決勝トーナメントでは、日本とセネガルに勝ち、準決勝ではブラジルに敗れましたが、3位決定戦で韓国に勝ち3位となりました。
その後はワールドカップの予選で敗退し、本大会出場はできていません。欧州選手権では2008年のベスト4、2016年の本大会出場など、強豪国が多いヨーロッパの中で着実に力をつけています。
2020年時点での代表戦の出場記録はゴールキーパーのリュシュテュ・レチベルの120試合。最多得点はハカン・シュキュルの51得点となっています。
トルコにおけるサッカー国際試合の開催
UEFAチャンピオンズリーグ2019-2020の決勝戦が、イスタンブールのアタチュルク・オリンピヤト・スタドゥで開催されることが決定していましたが、新型コロナウィルスの影響によりポルトガルの首都リスボンにあるエスタディオ・ダ・ルスに変更されました。翌年のUEFAチャンピオンズリーグ2020-2021の決勝戦は2021年の5月29日にイスタンブールのアタチュルク・オリンピヤト・スタドゥで開催予定です。無事に開催されればチャンピオンズリーグ決勝が2度目の開催地となります。
イスタンブールの奇跡(悲劇)とは?
2004-2005シーズン決勝では、ACミランとリヴァプールFCがこのスタジアムで対戦し、70,024人の観客がスタジアムで見守る中、歴史的な試合となりました。イタリアのACミランに前半で3点奪われて負けていたイングランドのリヴァプールFCは、後半に巻き返しを図り、3対3に追いつきます。そのまま90分の試合時間が終わり、30分の延長戦でも決着がつかずPK戦となり、2本連続で失敗したACミランを逆転し、優勝カップを手にしました。
この試合は、リヴァプールサポーターからは「イスタンブールの奇跡」と呼ばれており、ACミランサポーターからは「イスタンブールの悲劇」と呼ばれています。
また、2019年のUEFAスーパーカップの決勝戦がベシクタシュのホームスタジアムであるボーダフォン・パークで開催をされました。このスタジアムは2016年4月11日に完成し、収容人数は約4万1千人です。リヴァプールFCとチェルシーFCのイングランドのチームでの決勝となり、PK戦の結果、リヴァプールFCが優勝をしました。
スュペル・リグのスター選手「イルハン・マンスズ(Ilhan Mansiz)」
イルハンは1975年生まれのトルコ系ドイツ人です。サッカーのポジションはフォワードで、2001-2002のシーズンに強豪のベシクタシュJKでプレーをし、21ゴールを挙げ得点王となりました。活躍が認められ、2001年10月のワールドカップ予選よりトルコ代表に入り、2002年のワールドカップ日本-韓国大会に出場しました。この大会では3得点を決め、トルコ初の3位という順位に貢献しています。
トルコ国内でもスターとして人気がありましたが、大会での活躍が多く日本人に知れ渡ると、デビット・ベッカムと同様にイケメンとして話題になり、「イルハン王子」の愛称で女性ファンが急増。女性週刊誌やワイドショーで取り上げられ、写真集やDVD発売などの日本でのイルハンブームを巻き起こしました。
その人気のまま2004年2月に日本のJリーグのヴィッセル神戸に移籍しましたが、右膝のけがなどにより3試合しか出場できず、8月に退団。その後、ドイツやトルコリーグのチームに移籍をしましたが、2007年に引退しました。その後、2010年よりペアのフィギュアスケート選手として活動しています。