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使徒パウロとは?キリスト教をヨーロッパに広めた偉大な宣教者の生涯と最後


使徒パウロはもともとキリスト教徒を迫害する立場でしたが、のちに回心してキリストの福音を広める宣教者となりました。そして、生涯と命を懸けて異邦人の間に福音を広めた偉大な人物として語り継がれています。

使徒パウロは、迫害されながらも異教徒・異邦人の地であるアナトリアと南ヨーロッパを巡りました。キリストの福音を伝え、信徒の会衆が集う「教会」を各地に組織するなど、キリスト教が世界に広まるきっかけを作った第一人者です。パウロなしでは、キリスト教は世界宗教にはならなかったといえるほど、キリスト教史においてもっとも重要な人物の1人でした。

本記事では、使徒パウロの功績や名前の由来、生い立ち、ゆかりの地などまとめて紹介します。


使徒パウロとは

使徒パウロ
使徒パウロの基本情報は以下のとおりです。

本名 サウロ(ヘブライ語)、パウロ(ギリシャ語)
出生地 アナトリア 古代ローマ帝国キリキア属州 州都タルソス
(現トルコ地中海地方メルシン県タルソス)
誕生 西暦5年頃
死去 西暦64~67年頃 ローマ
人種 ベニヤミン族イスラエル人
地位 使徒(12使徒ではない)、聖人

パウロという名前について

キリスト教圏の男性名として一般的に使われる「パウロ」という名は、耳にする機会も多いでしょう。実はその由来が使徒の聖パウロなのです。英語では「ポール(Paul)」となります。

日本語のパウロという呼び方はポルトガル語から来ており、イタリア語では「パオロ(Paolo)」、スペイン語では「パブロ(Pablo)」、ドイツ語では「パウル(Paul)」、ロシア語では「パーヴェル(Pavel)」となります。

パウロという名の語源はラテン語

パウロの名はもともと、「小さな」を意味するラテン語の「パウルス(Paulus)」が由来であり、古代ローマ人の家族名として使われていました。「パウルス」のギリシャ語「パウロス(Paulos)」が訛った結果、「パウロ」となったようです。

聖パウロの本名は「サウロ(サウル)」

敬虔なユダヤ教徒の家に生まれたパウロの本名は、ヘブライ語で「サウロ」です。古代イスラエル王国の初代王サウロからつけられたものだといわれています。

ほかにも、パウロはローマ市民権を持っていたため「サウロ」のほかにギリシャ語でのローマ名「パウロ」という名がもともとあった、ギリシャ人やローマ人などの異邦人に伝道するためギリシャ名を使ったなどといわれています。

新約聖書の「使徒言行録」においても、当初はサウロの名で登場していました。キリスト教に回心したずっと後、使徒言行録13章9節における伝道旅行最初のキプロスの場面で、「パウロとも呼ばれていたサウロ」と初めてパウロの名が登場するのです。

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使徒パウロの偉業・功績

使徒パウロの主な偉業と功績は以下のとおりです。
  • 敬虔なファリサイ派ユダヤ教徒として率先してキリスト教徒を弾圧・迫害していたが、回心してキリスト教伝道者となる。
  • ユダヤ教ナザレ派であったイエスの教えをユダヤ律法から切り離す。
  • ユダヤ教で神との契約にあたる割礼などの「規律の従順」をキリスト教改宗への要件から外した。その結果、異邦人でも改宗しやすくなり、キリスト教が世界宗教となる一因となった。
  • ユダヤの地以外にも伝道したことで、ヨーロッパにおけるキリスト教化の礎を形成した。
  • アナトリア半島を中心として、南ヨーロッパにおいてキリスト信徒の会衆が集まる 「教会」を設立した。
  • キリスト教会の基礎、キリスト教神学の哲学的基礎を明確化した。イエスの福音を1つの宗教として構築し、原始キリスト教を確立した。
  • 万民のための宗教としてキリスト教の方向性を確立した。

パウロの思想・主張・性格

パウロは、「イエス・キリストは全人類を原罪から解き放つため、私たちに代わって原罪を背負って十字架の刑に処せられ償ったメシア(救世主)である。」と解釈し、一貫して「義認を決めるのは、イエス・キリストへの信仰を通してのみ得られる神の恩寵。主であるイエス・キリストを信じる者は救われる」と主張しました。そして現在のキリスト教の根本ともいえる「信仰・希望・愛の三元徳」を伝道したのです。

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パウロは、ユダヤ教徒の頃にキリスト教徒を率先して迫害したり、回心後には生涯をかけて伝道活動をしたりと、神に従順でブレない信念を持った情熱的な人物だったようです。また、ユダヤ律法(旧約聖書)にもギリシャ哲学にも精通したインテリでもありました。

 
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使徒パウロの生涯

使徒パウロ
パウロの生涯については、新約聖書のなかの「使徒言行録」やパウロ自身による「パウロ書簡」に記載されています。

パウロはイエスと同時代に生きていますが、実はイエスに会ったことがなく、イエスの昇天後にキリスト教徒となっています。
 
パウロはユダヤ人のなかでも特に熱心なパリサイ派ユダヤ教徒であり、キリスト教徒を迫害していました。しかし、回心したあとはイエスの福音を異邦人に広めるため奔走するなど、熱い人物だったことがうかがえます。

ここでは、波乱に満ちたパウロの生涯を紹介します。

パウロの生涯:略年表

※年号はおおよそです。

5年頃 ローマ属州キリキア州都タルソスにて、ユダヤ教ファリサイ派の家庭に誕生する。
18~30年頃 エルサレムのラビ・ガマリエル1世の元で学ぶ。
30~34年頃 キリスト教徒を激しく迫害する。
32年頃 最初のキリスト教殉教者ステファノの石打ちに立ち会う。
34年頃 ダマスコに向かう途中、降臨したイエスと会いキリスト教へ回心する。
34~36年 アラビア・エルサレム・ダマスコを巡る。
36年頃 聖バルナバの助けでエルサレムへ行き、ペトロやヤコブなどの使徒と会う。
36~44年 身の安全のため、故郷タルソスで暮らしながら説教する。
44~46年 バルナバとともにアンティオキアを拠点として布教活動を行なう。
46年頃 ユダヤで飢饉が起こり、バルナバとともにエルサレムへ救援物資を届ける。
46~48年 第1回宣教旅行として、キプロス島~小アジア南部(南ガラテア)方面を回る。
48年 使徒会議のため、エルサレムへ(エルサレム会議)。異邦人の割礼問題を解決する。
49年 アンティオキアにて、ユダヤの規律に関して使徒ペトロと衝突する。
49年 次の旅へのヨハネ・マルコの同伴を拒み、バルナバと衝突し仲違いする。
49~52年 第2次伝道旅行として、小アジア・マケドニア・ギリシア方面を回る。
50年頃 ルステラでテモテを弟子にし、旅に同行させる。
50年頃 港町トロアスで出会った医師ルカも旅に同行する。船でマケドニアへ。
50年頃 マケドニアのフィリピにてシラスとともに鞭打ちにされ投獄されるが、その晩に扉が開き解放される。テサロニケ、ベレアへと旅を続ける。ベレアにシラスとテモテを残し、アテネ・コリントへ。
50~51年 「テサロニケ人への手紙(第一、第二」」を執筆する。
51~52年 18ヶ月間、テント職人として働きながらコリントに滞在する。コリントにてシラス・テモテと合流する。
53年頃 エフェソへ。そこから海路でカイセリアとエルサレムを経由し、アンティオキアへ帰郷する。
53~58年 第3回宣教旅行として、小アジア・マケドニア・ギリシャを回る。
54~55年 宣教しながらテント職人として働き、2年間エフェソに滞在する。「コリントへの手紙」「ガラティア人への手紙」4通を執筆する。
56年 マケドニア、ギリシャ、エーゲ海の島々と沿岸地域を巡る。
57年 エルサレムに到着する。敵対するユダヤ人たちと暴動を起こし逮捕される。
58~59年 カイザリアに幽閉される。
59~60年 皇帝(カエサル)に上告するためローマへと護送されるも、マルタで船が難破する。
60~62年 ローマで自宅に軟禁される。「フィリピ人への手紙」「エフェソの信徒への手紙」「コロサイの信徒への手紙」「フィレモンへの手紙」を執筆する。
62~64年 ネロ帝により釈放され、スペイン方面への宣教を行なう。「テモテへの手紙」「ティトゥスへの手紙」を執筆する。
64年 ローマの大火が発生する。キリスト教徒大迫害が行なわれ、投獄される。
64~67年 ローマで殉教する。

パウロの生い立ち ~ユダヤ教徒として生まれる~

パウロ(本名サウロ)は紀元5年頃、ローマ属州キリキア州都タルソスにて、ベニヤミン族イスラエル人の敬虔なファリサイ派ユダヤ教徒の裕福な家庭に生まれました。ちなみにタルソスはアレキサンダー大王の時代から地中海貿易の中心地であったほか、有名な大学が位置するなど小アジアでもっとも影響力のある大都市の1つでした。

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敬虔なファリサイ派ユダヤ教徒であったサウロは、13歳頃からエルサレムの高名なラビ・ガマリエル1世のもとで学びます。また、サウロは生まれながらにローマ市民権を持っており、革細工やキリキア産厚布キリキウムを使ったテント作りに携わった職人でもあったようです。

サウロの第1言語は、当時の東地中海沿岸の公用語であったコイネー語ですが、ほかにもヘブライ語とアラム語を話せたといわれています。ヘレニズム諸国の公用語だったコイネー語は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代にも公用語・通商語となり、現在のギリシャ語の基礎となっています。

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キリスト教徒を激しく迫害

イエスは紀元前30年4月3日に磔刑にされますが、その3日後に復活し、40日間弟子たちと過ごしたのちに昇天したと信じられています。

厳格なユダヤ教徒であったサウロは、旧約聖書で描かれた救世主(メシア)がイエスであるとは信じていませんでした。そのためイエスの死後も、エルサレムにおいてユダヤ教のあり方を批判します。イエスを救世主として信仰するイエスの弟子たちを神に対する冒涜者とし、教会(当時は集会のようなもの)を襲っては迫害していたのです。

キリスト教最初の殉教者であるステファノがファリサイ派ユダヤ人によって石打ちの刑に処されている場にも、サウロは立ち会っていたといわれています。

なお、当時キリスト教という信仰はまだ形成されておらず、あくまでイエスの教えはナザレ派というユダヤ教のなかの一派という位置づけでした。

目から鱗(うろこ)!パウロの回心

34~37年頃、サウロがほかのイエス信者を弾圧するためダマスコ(ダマスカス)へ向かう途中、彼の前に昇天したはずのイエスが現れました。そして、サウロはイエスから「なぜ、あなたは私を迫害するのですか?」「さあ起きなさい。街に入るとあなたは何をしなければならないかを教えられます。」と啓示を受けるのです。そして、サウロの目は見えなくなっていました。

同時にイエスは、ダマスコのアナニアという信徒の前に幻想として現れ、「直線通りを行き、ユダの家でタルソスのサウロという人物を尋ねなさい。」と伝えます。アナニアは迫害者サウロを尋ねるのは不本意でありながらも、イエスの意志に従ってサウロを尋ねました。

アナニアは、「主イエスが、あなたが再び見えるようになり、聖霊で満たされるために私を遣わせた。」とサウロの目に手をかざすのです。すると、サウロの目から「鱗(うろこ)」のようなものが剥がれ落ち、目が見えるようになりました。ことわざの「目から鱗が落ちる」の語源は、聖書のこの一節からきているのです。

そしてサウロは「イエスがメシア(=キリスト、救世主)」であると確信し、すぐにアナニアの洗礼を受けて回心します。

しかしサウロは、自身が長年激しく迫害してきたキリスト信者たちになかなか受けいれてもらえません。ユダヤ教徒からは、ユダヤ共同体を混乱させた危険人物として何度も命を狙われることとなりました。

それでもサウロはイエスを信じて教えを学び、布教活動を開始します。

パウロの伝道旅行 ~イエスの福音がヨーロッパへ~

パウロの旅
聖バルナバはサウロを受け入れ、彼をアンティオキア(現トルコのアンタキヤ)へ連れて行きます。アンティオキアは、ステファノの殉教後に分散していたキリスト信者たちによる共同体の中心地となっていました。

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アンティオキアはキリスト教徒が最初に「クリスチャン(キリスト教徒)」と呼ばれた場所であり、非キリスト信者たちにそう呼ばれたのが始まりでした。

サウロはアンティオキアの教会を本拠地として、ユダヤ人以外への布教を目的に西方の地を巡ります。当時まだ土着神やギリシャ神話・ローマ神話の神々を信仰していた人々「異邦人」に布教するための伝道旅行を3回行ないました。地中海方面への布教を生涯かけて精力的に行なうなか、訪れた各都市で病人を治したり悪霊を退散させたりと奇跡も起こします。

サウロが伝道を行なった町には、キリスト教信徒の会衆が集まる「教会」が次々と形成され、キリストの教えが広まっていったのです。

第1次伝道旅行(46~48年)

アンティオキアのキリスト信徒集団から宣教を委任されたサウロは、ユダヤ人以外の異邦人への宣教の旅に出ます。最初の旅はキプロス島とアナトリア南部を中心に行なわれました。

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第1次伝道旅行の順路は以下のとおりです。
アンティオキア
⇒キプロス島(サラミス、パフォス)
⇒小アジアのペルガ(ペルゲ)上陸
⇒ピシディア州アンティオキア(現ウスパルタ県ヤルヴァチ)
⇒イコニウム(現コンヤ)
⇒リストラ/ルステラ(現コンヤ県ハトゥンサライ)
⇒デルべ(カラマン県エキノズ村)
⇒逆ルートでピシディア州アンティオキアまで戻り、アタリア(現アンタルヤ)から海路にてアンティオキアへ

アンティオキアの信徒たちに送られ、サウロとバルナバ、バルナバの従兄弟のヨハネ・マルコが伝道の旅に出発します。まずは海路にてキプロス島へ向かいました。この第1次伝道旅行でバルナバの故郷であったキプロスを訪れた際、初めてサウロはローマ市民としてギリシャ名の「パウロ」を名乗るようになりました。

キプロスから海路にてアナトリア南部の港町ペルガに入港した際、同行のヨハネ・マルコは旅の不安からエルサレムに帰ってしまったため、パウロとバルナバ2人の旅となりました。

パウロとバルナバはピシディア・アンティオケイアやデルベ、ルステラなどで福音を伝え、小さな教会を作りました。しかし、イコニウムやルステラでは石を投げられて迫害されるなどの困難もあり、すべてが順調なわけではありませんでした。

第2次伝道旅行(49~52年)

トルコ・エフェソス
第2次伝道旅行の順路は以下のとおりです。
小アジア(タルソス、デルべ、リストラ、イコニオン)
⇒トロアスの港
⇒海路にてマケドニアの港町ネオポリス(現ギリシャのカヴァラ)へ上陸
⇒マケドニア州(ヒィリピ、テサロニケ、ベリヤ(現ヴェリア))
⇒アカイア州(アテネ、コリント(現コリントス))
⇒エフェソ(現エフェソス)
⇒海路でカイセリア、エルサレムを経由してアンティオキアへ

第1次伝道旅行のあとに行なわれたエルサレム会議にて、パウロとバルナバが中心となったアンティオキア教会とペテロが中心となったエルサレム教会は、異邦人に対しても福音を伝道することで合意します。
 
次の伝道旅行に出る直前、前回途中で帰ったヨハネ・マルコの同伴をパウロが拒みます。バルナバはそれに反発してパウロと衝突し、故郷のキプロスに帰ってしまいました。その結果、第2次伝道旅行にはエルサレム教会の指導者の1人シラスとともに出発します。

もともとは、第1次伝道旅行で作った小アジアのデルベやピシディア、イコニオンなどの教会を巡るという目的で出発した旅でした。しかし、神の導きによりガラティア地方やフリギア地方、ミュシア地方へと西進し、小アジア北西の港町トロアスへとたどり着きます。

途中、のちにパウロのよき協力者となるルステラ出身のテモテが弟子になり、旅に同行しました。

そして、海路にてマケドニアの港町ネオポリスへ入り、マケドニアとギリシャにおいて布教活動を行ないます。現ギリシャのアカイア州コリントには1年半滞在しました。

フィリピでは鞭で打たれて投獄されるなど、この宣教の旅も過酷なものでした。しかし、こういった活動が、キリスト教が海を越えてヨーロッパへと伝わり、そしてのちに世界的な宗教へと広がりを見せる第一歩となったのです。

第3次伝道旅行(53~58年)

第3次伝道旅行の順路は以下のとおりです。
小アジア(南ガラティア・アンティオキア・フリギア)
⇒エフェソ(2年以上滞在)
⇒コリント
⇒マケドニア
⇒トロアス・アッソス・レスボス島のミティリーニ・キオス島・サモス島・トギリウム・ミレトス
⇒コス島・ロドス島・パタラ
⇒ティレ・プトレマイス・カエサリア
⇒エルサレム

パウロは、今まで作った教会と弟子たちに対し信仰の原則を強化するため、また教会への反対活動によって教会が分裂しないよう予防するため、3回目の伝道旅行に出発します。
 
まず、小アジアの教会を巡りながら西端のエーゲ海岸にあるエフェソに向かいました。エフェソは、当時人口が20万人を超える大商業港町で、地母神アルテミス信仰の中心地でもありました。また、聖ヨハネと聖母マリアもイエスの死の数年後にこの地に移って住んでいたといわれる場所です。

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パウロはエフェソでテント作りをし、生計を立てながら熱心に宣教を行ないます。多くのエフェソ人をキリスト教徒へと導きましたが、エフェソスの円形劇場で説教をしていた際、「偉大なのは女神アルテミス」と反対群衆が暴徒化し、パウロはマケドニアに避難することとなりました。

そして、コリント、トロアス、そこからアナトリアのエーゲ海沿岸の島々を訪れながらパレスチナの地へ渡り、エルサレムへとたどり着きます。

 
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ローマへ護送(58~62年)

ローマ バチカン市国
第3回目の伝道旅行を終えてエルサレムに着いたパウロですが、ここでユダヤ人との間に騒動が起こり、陰謀により殺されそうになります。しかし、パウロはローマ市民権を持っていたためローマ軍司令官に捕らえられることとなり、カエサリアのローマ総督フェリックスのもとに送還されます。

そして2年間軟禁されたあと、皇帝に上告するためローマへと3,000kmの道のりを護送されることになりました。途中、悪天候によりマルタ島へと漂流しながらも、ようやくローマに到着します。

当時の順路は以下のとおりでした。
シドン
⇒キプロス島
⇒ミュラ
⇒クレタ島
⇒マルタ島
⇒シチリア
⇒プテオリ(現ポッツォーリ)
⇒ローマ

ローマで家を借りたパウロは、ローマ兵の監視のもと軟禁生活をしながら宣教を行ないました。

最後の伝道旅行(63~64年)

軟禁生活のあと、皇帝ネロにより無罪判決を受け、パウロは釈放されます。そしてスペインを訪れたあと、信徒たちがいた小アジアのエーゲ海地方とマケドニアを巡りました。
 
当時の順路は以下のとおりです。
ローマ
⇒スペイン
⇒クレタ島
⇒ミレトス
⇒コロッサエ?
⇒エフェソ
⇒トロアス
⇒フィリピ
⇒ニコポリスで捕縛
⇒ローマへ

パウロの最期

暴君と呼ばれた皇帝ネロの治世にあった64年、ローマにて大火災が起こります。そして、ネロはそれをキリスト教徒のせいだとして大規模な迫害を行ないます。ニコポリスで宣教中だったパウロは放火の主犯者として捕縛され、ローマへ連行されて投獄されました。

64~67年頃、ネロの判決が下り、パウロは断首刑によって殉教したといわれています。

パウロが眠る場所「城壁外の聖パウロ大聖堂」

城壁外の聖パウロ大聖堂
聖パウロはネロの治世に殉教したあと、同時に殉教した聖ペトロの遺体とともにローマの城壁の外、オスティエンセ街道を2マイル進んだところにある、ルキナというキリスト教徒の女性が所有する邸宅に埋葬されたといわれています。

4世紀初頭に初めて、コンスタンティヌス1世によりその埋葬場所にパウロを祀るための大聖堂が建てられました。その後、時の皇帝により数度再建されながら祀られ続け、19世紀に現在の立派な大聖堂が再建されたのです。

聖パウロ大聖堂はローマの五大バシリカの1つであり、内部の歴代教皇のモザイクは圧巻です。

2002年に行なわれた発掘調査の際、ラテン語で「殉教者使徒パウロ」と書かれた未開封の石棺が見つかります。石棺に小さな穴をあけて調査した結果、中から1~2世紀の人骨の一部と金糸が施された紫色の高価な亜麻布(リネン)、麻糸が施された青い布、赤いお香の成分、タンパク質と石灰岩の形跡が発見されました。

2009年、ローマ法王ベネディクト16世はこれが聖パウロの墓であることを実証したと発表しています。

名称 サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
(伊:Basilica di San Paolo fuori le mura)
住所 Piazzale San Paolo, 1, 00146 Roma RM, Italy
公式サイト https://basilicasanpaolo.org/en/

パウロの書簡~信徒たちへ送った手紙~

使徒パウロ ペテロ
パウロは宣教を始めてから殉教するまで、自身が創設した教会や信徒、弟子(協力者)たちにギリシャ語で書いた計13通(ヘブライ人への手紙を入れると14通)の手紙を送っており、これらは新約聖書に収められています。
 
当時の信徒や信仰、教会の問題を解決するために書かれたとされ、いわゆる「パウロの解釈によるイエス・キリストの福音」がわかる手紙です。

以下の見出しでそれぞれ紹介しますが、「※」と記載したものは特にパウロによって書かれたことが間違いないであろうと学者の間で認識されている手紙です。そのほかのものは、パウロ自身ではなく弟子が書いた可能性があるといわれています。

教会への手紙

以下は各地の教会へ送った手紙です。上から4つは特に内容が貴重であることから「四大書簡」と呼ばれています。

ローマの信徒への手紙※ 56年コリントにて執筆
コリントの信徒への手紙 第一※ 54年第3次伝道旅行中エフェソスにて執筆
コリントの信徒への手紙 第二※ 55年第3次伝道旅行中マケドニアにて執筆
ガラテアの信徒への手紙※ 50~52年アンティオキアにて執筆
エフェソスの信徒への手紙 60~61年ローマにて執筆(獄中書簡)
フィリピの信徒への手紙※ 60~61年ローマにて執筆(獄中書簡)
テサロニケの信徒への手紙 第一※ 50年第2次伝道旅行中コリントにて執筆
テサロニケの信徒への手紙 第二 51年第2次伝道旅行中コリントにて執筆
ヘブライ人への手紙 61年ローマにて執筆

弟子への手紙

以下は各地の弟子へ送った手紙です。

テモテへの手紙 第一 61~64年マケドニアにて執筆(牧会書簡)
テモテへの手紙 第二 65年ローマにて執筆(牧会書簡)
テトスへの手紙 61~64年マケドニアにて執筆(牧会書簡)
フィレモンへの手紙※ 60~61年ローマにて執筆(獄中書簡)

 
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パウロゆかりの地

現トルコのアナトリアには、パウロが誕生したタルソスや伝道旅行で訪れた際に教会が建てられた数々のゆかりの地があります。ここでは、パウロが訪れた数ある所縁の地のなかから、現在も名残のある名所をいくつかピックアップして紹介します。

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「聖パウロ記念博物館(タルソス聖パウロ教会)」

聖パウロ記念博物館(タルソス聖パウロ教会)
聖パウロの故郷であるメルシン県タルソスにある聖パウロ教会は、5世紀頃に建てられたあと、何度も再建と修復が行なわれてきました。現在の建物は1850年に建てられたもので、1997年から大規模な修復が行なわれ、2001年より聖パウロ記念博物館として公開されています。

世界中から巡礼に訪れる人があとを絶たちません。

名称 聖パウロ記念博物館(Tarsus St. Paul Anıt Müzesi)
住所 Şehitkerim Mahallesi Abdi İpekçi Caddesi No.2 Tarsus/ Mersin-Turkey
定休日 なし
開館時間 ・夏季(4/1~10/31) 08:00~19:00
・冬季(11/1~3/31) 08:00~17:00
※砂糖祭と犠牲祭の初日は13:00より開館
入場料 12.5 TL


「聖パウロの井戸」:パウロも水を飲んだ?

聖パウロの井戸
タルソスの中心地、古代に家が密集されていたとされる地域のなかに、聖パウロが生まれ、住んでいた家があったとされています。そしてその家の内庭部分にあるのが「聖パウロの井戸」です。
 
井戸は直径1.5m・深さ18mで、季節を問わず現在でも水が満ちています。クリスチャンたちがエルサレム巡礼に行く際、立ち寄って井戸の水を飲むのが習慣となっていました。

現在でも、世界中からクリスチャンたちが聖なる水を求めて訪れる場所となっています。

最近の発掘では、井戸のすぐ隣でパウロが生きていた時代の家の石の壁跡がいくつか発見されています。この場所と井戸が大昔から聖地として守られてきたのは、最近までこの町に住んでいたキリスト教徒の会衆による信仰のおかげでした。

名称 聖パウロの井戸(St. Paul Kuyusu)
住所 Kızılmurat Mahallesi, 37 Sok., 33400 Tarsus/Mersin-Turkey
定休日 なし
開館時間 ・夏季(4/1~10/31) 08:00~19:00
・冬季(11/1~3/31) 08:00~17:00
※最終入場は閉館時間の15分前
※砂糖祭と犠牲祭の初日は13:00より開館
入場料 12.5 TL

「アレクサンドリア・トロアス遺跡」:ヨーロッパへと船出した場所

パウロが第2次伝道旅行でマケドニアに渡るため船出した場所が、アナトリア北西部の港町トロアスです。初めてキリスト教がヨーロッパの地へと渡った、アジア西端の重要な場所です。

パウロはトロアスでマケドニア人の幻想に導かれ、ヨーロッパの地に渡ったのです。また、パウロの協力者となる医師ルカともトロアスで出会ったとされています。その後ルカはパウロが亡くなるまで同行し、「使徒言行録」や「ルカの福音書」を残しました。

第3次伝道旅行でも、パウロはトロアスを訪れます。夜中まで説教を行なっていたところ、3階の窓際に座っていた若いエウティコは居眠りをし、窓から落下して死んでしまいます。しかし、パウロはエウティコを生き返らせるという奇跡を起こしたとされています。

アレクサンドリア・トロアスという都市は、シゲイアと呼ばれていた街が紀元前306年にアンティゴノス朝マケドニアのアンティゴノス1世によって再建されてできたものです。紀元前301年にリュシマコスがアレキサンダー大王の名にちなんで改名したため、「アレクサンドリア・トロアス」となりました。ローマ時代の最盛期には、人口10万人を超える大商業貿易都市でもありました。

ヨーロッパとアジアを結ぶアナトリアで最大級の都市であったため、カエサルはアレクサンドリア・トロアスをローマ帝国の首都にすることも考えたといわれています。その後、コンスタンティヌス1世も遷都する際にトロアスを首都候補として検討したものの、最終的にコンスタンティノープルへの遷都を決定したとされています。

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名称 アレクサンドリア・トロアス遺跡(Alexandria Troas Örenyeri)
住所 17600 Dalyan Köyü, Ezine /Çanakkale-Turkey
定休日 なし
開館時間 ・夏季(4/1~10/31) 08:30~19:00
・冬季(11/1~3/31) 08:30~17:30
※最終入場は閉館時間の30分前
※砂糖祭と犠牲祭の初日は13:00より開館
入場料 無料

「ピシディア・アンティオケイア遺跡」:アナトリアで初めて説教した場所

第1次伝道旅行で46年にバルナバとともに訪れた際、パウロが正式に初めて説教をしたとされる町が「アンティオキア」です。
 
パウロが宣教の拠点としたシリアのアンティオキア(アンティオケ)と同じ名前の町ですが、こちらは「ピシディアのアンティオケイア」です。ペルガ(ぺルゲ)の港からアナトリアに上陸し、約190㎞北上した内陸にあります。

発掘されたローマ時代の遺跡には、会堂(シナゴーグ)もあります。パウロとバルナバが、宣教するための集会を開いたのでしょう。

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2人は反対派によって追い出されますが、キリスト教改宗者により会衆(教会)ができたとされています。そしてのちには聖パウロ教会が建てられました。

遺跡の北西部に初期の聖パウロ教会が見つかっており、4世紀に建て直された跡があります。初期キリスト教会のなかでも最初に建てられた教会の1つとされ、現在も多くの人が巡礼に訪れています。

名称 ピシディア・アンティオケイア遺跡(ANTİOCHEİA ÖRENYERİ)
住所 Cumhuriyet, 32400 Yalvaç/Isparta-Turkey
定休日 なし
開館時間 ・夏季(4/1~10/31) 08:00~19:00
・冬季(11/1~3/31) 08:00~17:00
※最終入場は閉館時間の30分前
※砂糖祭と犠牲祭の初日は13:00より開館
入場料 12.5 TL

「ペルゲ遺跡」:アナトリアへの宣教で最初に足を踏み入れた場所

ペルゲ
異邦人への伝道のため船で上陸したパウロが最初に訪れたアナトリア最初の地が、トルコ地中海地方アンタルヤにあるペルゲです。アナトリアへの伝道の出発地点となった場所で、その後の5~6世紀には壮大なバシリカが建てられたほか、総主教も置かれるなどキリスト教にとって重要な都市となりました。

ペルゲには前期青銅器時代から集落があり、ヒッタイトの文献でも「パルハ」の名で登場する古代から重要な都市でした。紀元前3世紀ヘレニズム時代に大都市として開発されたことで繁栄し、ローマ時代に全盛期を迎えました。

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町全体がよい状態で残った見ごたえのある遺跡で、人気の観光スポットとなっています。

名称 ペルゲ遺跡(PERGE ÖRENYERİ)
住所 Barbaros, Perge Yolu, 07112 Aksu/Antalya-Turkey
定休日 なし
開館時間 ・夏季(4/1~10/31) 08:00~19:00
・冬季(11/1~3/31) 08:00~18:00
※最終入場は閉館時間の30分前
※砂糖祭と犠牲祭の初日は13:00より開館
入場料 60 TL

使徒パウロの映画が2018年に公開


『パウロ 愛と赦しの物語』(原題:『Paul, Apostle of Christ(キリストの使徒パウロ)』)は、2018年に公開されたアメリカ映画です。
 
パウロは、皇帝ネロのキリスト教迫害下でローマの大火の首謀者として投獄され、死刑を宣言されてしまいます。パウロの協力者で医師のルカが獄中のパウロを訪れ、暴力ではなく愛で闘うパウロの言葉を人々へ伝えるため、記録していく姿を描いたストーリーです。

パウロ役は『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズでジェフリー役を演じた名優ジェームズ・フォークナー、医師ルカ役はメル・ギブソン監督の『パッション』でイエス・キリスト役を演じたジム・カヴィーゼルが熱演しています。

クリスチャンでない方も、パウロとルカを知る伝記としてぜひ一度ご覧になってみてください。

 
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