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トルコ旅行・ツアーブログ|トルコツアー旅行記

聖母マリアってどんな人?その生涯や絵画の特徴、キリスト教における意味


皆様ご存じのイエス・キリストの母である聖母マリア。トルコ語ではマリアがMeryem(メリイェム)、母がAna(アナ)でMeryem Ana(メリイェム・アナ)と呼ばれています。

宗派によって呼び方も立ち位置も違い、聖書にも記載がほとんどないので謎が多いのですが、実はトルコにとても縁の深い人でもあります。知っているようで知らない聖母マリアの生涯やキリスト教における意味、絵画の特徴、トルコのエフェソスで発見された彼女が晩年過ごした家について徹底解説いたします。

聖母マリアってどんな人?

呼称 聖母マリア(カトリック)
主の母マリヤ(プロテスタント)
生神女マリヤ(正教会)など
誕生日 9月8日
無原罪の御宿り 12月8日
被昇天 8月15日
アトリビュート 赤い衣服、青いマント、白ユリなど

聖母マリアのキリスト教における意味・立ち位置

聖母マリアは神の子イエス・キリストの母であり、キリスト教において重要な聖人聖女の一人です。カトリックにおいては信仰の対象とされ、祈りをささげることもあります。

一方、プロテスタントでは基本的に聖人聖女を信仰せず、マリアもその対象となりません。そのため、「聖母マリア」と呼ばれるのはカトリックのみ。プロテスタントでは主に「イエスの母マリア」といった呼び方をします。

聖母マリアの特徴・性格

聖母マリアは救世主(メシア)たるイエスの母として、純粋なる母性愛の象徴となっています。またカトリックの教義では、聖母マリアは無原罪であり、死後に昇天したとされています。

一方、新約聖書には聖母マリアに関する記述は少なく、実際にどのような女性であったかは明確には分かりませんが、素朴な良妻賢母であったと考えられているようです。

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絵画における聖母マリア

聖母マリア 受胎告知
聖母マリアが絵画として描かれる際は、赤色の衣服の上に青いマント(ヴェール)を羽織っているのが通例です。衣服に青色が多く使われたのは、聖母マリアの宗教画多く描かれた時代によく利用されたウルトラマリンという顔料が関係しているといわれています。ウルトラマリンはラピスラズリという貴石から精製される高価な顔料です。

カトリックにおいて聖母マリアは「マリス・ステラ(海の星)」と讃えられることがあるため、深い海のようなウルトラマリンの色合いが聖母マリアを表現することにつながったのでしょう。

他にも聖母マリアを象徴するものとして、白ユリやレバノン杉、閉ざされた庭、三日月、12の星の冠などがともに描かれることが多くあります。このように特定の人物に関連付けられる持ち物や衣服、背景などをアトリビュート(持物)と呼びます。

聖母マリアとマグダラのマリア

新約聖書・福音書には複数の「マリア」が登場しますが、聖母マリアに次いで重要とされるのが「マグダラのマリア」です。マグダラのマリアは娼婦であった罪深い女性でしたが、イエスと福音の旅をし、イエスの死と埋葬に立ち会い、最初にその復活を目撃しています。

聖母マリアが母性の象徴とされるのに対して、マグダラのマリアはその他の全ての女性性を表現しているとされています。イエスの妻であったという説も唱えられているようです。

マグダラのマリアの役割の重要性は近年になって見直され、2016年には「使徒」として認められました。マグダラのマリアのエピソードとして最も有名なのは、その長い髪を使ってイエスの髪に香油を塗ったというもの。「長い髪」「香油」「イエスの足元」などはマグダラのマリアのアトリビュートとして数々の絵画に登場します。

聖母マリアの生涯

聖母マリア

マリアの誕生~夫ヨセフとの結婚~処女懐胎(受胎告知)

マリアは、紀元前17年頃の9月7日ナザレにてダビデ王の血を引く父ヨアキムと母アンナの元に誕生します。その後、3歳から神殿にて神に仕え敬虔なユダヤ教徒として育ち、14歳の時に神の意志により大工のヨセフと婚約をします。

当時のユダヤ教の習わしに従い、婚約後1年間を実家の両親と暮らしますが、その際にマリアの前に天使ガブリエルが現れ、「マリアのお腹に主が宿った」と受胎告知を受けます。

当時、浮気や不倫は死刑であったため、婚約者のヨセフは身に覚えのないマリアの妊娠に驚き離縁しようとしますが、ヨセフの夢の中に天使が現れ、マリアのお腹の中に神の子が宿った旨、生まれた子にイエスと言う名をつける旨を伝えます。ヨセフはマリアの妊娠を受け入れ離縁をとどまります。

イエスの誕生

その後、当時の皇帝が出した住民登録の命に従い、ヨセフとマリアはナザレに住んでいましたが住民登録のためにベツレヘムに行きます。ベツレヘムの宿はどこもいっぱいで泊るところが見つからず、しかたなく馬小屋で休むことにしますが、マリアは産気づきここでイエスが降誕します。

これが紀元前4年頃の12月25日のことで、後にクリスマスとして祝う降誕祭です。マリアは生まれたイエスを飼い葉桶に入れると、天使が現れると共に空に星が輝きます。

その星の輝きの元に救世主(メシア)が誕生したことを知った東方三博士は1月6日にこの赤ちゃんの元へ礼拝に参るのです。東方三博士はこの子に贈り物として黄金と乳香と没薬を捧げたと言います。

ヘロデ王から逃れてエジプトへ

東方三博士が帰った後、ヨセフの夢の中に天使ガブリエルが現れ、当時ローマ帝国時代のユダヤ王国を統治していたヘロデ王が、後にユダヤ人の王になると預言された子が生まれたのを聞きつけ殺しに来る旨を告げます。

ヨセフとマリアは急いでイエスを抱いてエジプトへ逃げます。3人がエジプトへと経った後、ヘロデ王は自分の地位を脅かされると恐れてイエスを殺そうとしますが、どの子がイエスかわからないため、ベツレヘムと周辺一帯にいる2歳以下の男の子を皆殺しにしてしまいました。

ヘロデ王が死んだ後、3人はナザレへ戻り、普通に生活をしました。その後、イエスが12歳のときに過越祭を祝うためにエルサレムに行きます。その際、マリアはイエスを見失ってしまうのです。必死に探し3日後エルサレムの神殿で学者たちの中に座って話をしているイエスを見つけます。

マリアとヨセフはイエスに「なぜここにいるのです。心配して探し回っていたのですよ」と言うと、イエスは「どうして探したのですか?私が父の家(=神の家=神殿)にいるのは当たり前のことではないでしょうか」と返したそうです。

神の子イエスの処刑

時がたち、イエスが成人になり既に何人かの弟子が出来ていた頃、ガリラヤのカナでの婚礼にマリアとイエスとその弟子たちが招待されました。

宴の最中に葡萄酒がなくなったのでそのことをマリアがイエスに言うと、イエスは「私の時はまだきていません」と渋りながらも、召使たちに水瓶いっぱいに水を入れるように頼みます。すると水瓶一杯の水が葡萄酒に変わりました。このイエスが起こした最初の奇跡で弟子達が信じることになります。

その後、息子イエスは洗礼者ヨハネよりヨルダン川のほとりで洗礼を授かり、弟子の12使徒と共に宣教活動を行いますが、民衆の支持を集め始め当時の権力者にとって脅威となり始めてきたため、イエスは捕まり紀元前29年頃ゴルゴダの丘にて磔刑にされてしまいます。

このゴルゴダの丘で十字架を背負って上る際に、マリアと弟子の使徒ヨハネが見守っていました、イエスはマリアにヨハネを指して「母よ。これがあなたの息子です!」、そしてマリアを指してヨハネに「これがあなたの母です!」とマリアをヨハネに託したと言われています。

聖母マリアのその後は?エルサレムからトルコのエフェソスへ

聖母マリア
キリストが十字架にかけられた後、聖母マリアはどうなったのか、大きな謎でした。実は、聖書にもマリアのその後については記述がないのです。ただ、キリストが迫害を受けたエルサレムの地から安全な場所に移り、余生を送ったことは容易に想像できます。それが、トルコのイズミールの南約70キロにあったエフェソスではないかと伝えられています。

死に臨んだキリストは、12使者の1人で最も愛した弟子の聖ヨハネに聖母マリアを託します。キリストの死後も一時期エルサレムにいたヨハネは、約4~6年後に布教のためエフェソスへ行きます。その時、マリアを伴ったと考えられます。紀元1世紀の当時、エフェソスは中近東最大の繁栄を誇る都市でした。

エフェソス・エフェソス遺跡|トルコ世界遺産(文化遺産・2015年)

聖母マリアの余生|ドイツ人修道女 カタリナ・エンメリックの幻視

聖母マリア
時代はずっと下り19世紀の初め、ドイツのカトリック教会にカタリナ・エンメリックという修道女がいました。敬虔(けいけん)な彼女には聖痕が現れたり、幻視ができたりなど不思議で超人的な現象が起こります。彼女は晩年病床の状態の中、夢に聖母マリアが現れ、ヨハネに連れられてエフェソスへ移り住んだことを語ります。

このようなエンメリックの幻視した内容は、クレメンス・ブレンターノと言う詩人が1819年からエンメリックが亡くなる1824年までの5年間、病床の彼女の元へ毎日通い、彼女の幻視を聞き取り記録し本にしました。

エンメリックの死後に出版されたブレンターノの記した『アンナ・カタリナ・エンメリックによる聖母マリアの生涯』という本には、息子イエスが磔刑で天国に昇天した後、マリアはシオン(エルサレム)に3年、べタニアに3年、エフェソスに9年住んだと述べられています。

マリアが故郷を離れなければならないと内なる警告を受けた後に、使徒ヨハネは他の人々を伴いマリアをエフェスに連れて行ったとされています。

聖母マリアが晩年過ごした家も夢の中に登場

エンメリックは生まれ育ったドイツの小さな村から出たことがなかったにもかかわらず、エンメリックの夢はとても具体的でした。彼女が幻視した内容は、

「マリア様はちょうどエフェソスではないけれども、そこから近い所に住んでいました…マリア様の家はエルサレムから来る道(=南から北へ)の左側の丘の上、エフェソスから3時間半離れた所にありました。

エフェスよりも上で急な傾斜があり、街は南東から近づく人にとって地面が高くなっていくような場所…エフェスの南の細い獣道(=マリアが登るために使っていた険しい道)で行きつくある山(=Büldür Dağıブルドゥル山)の上、エフェスよりも遠いけれど海から一番近い所。頂上からは海とエフェソスの町が見える丘…」

というものです。

また、「家の裏には少しだけ離れた距離で周りに岩があり、岩がある周辺にヨハネの親友で特徴のない王子が住んでいた城、丘の天辺にむかう、ある美しい場所にテラスがありました…」とも語っています。

聖母マリアが住んでいた家に関しても、長方形の石で出来ていて、二つの部分でできている窓が平らな屋根の近くの高い位置にあり、真ん中に暖炉があったと述べています。ドアの形や煙突の形まで細やかに説明しました。

 
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聖母マリアが住んでいた家がエフェソス近くで発見される

聖母マリア
彼女の死後、フランスの司祭ジュリアン・ゴヤット神父(the Abbé Julien Gouyet)が、1881年にブレンターノが書いた記録本を手掛かりに、記載されている描写に従い聖母マリアの晩年過ごした家を探すと、なんとエフェソスの近くの彼女の語ったのとそっくりな場所で、聖母マリアの家と思われる小さな石でできた建物の跡と古代エフェソスの小さな遺跡が見つかったのです。この発見に関して、当初は誰も重要視しません。

しかし10年後、イズミールのフランス海軍病院に配属されていた修道女マリー・デ・モンデ・ゴンセ(Marie de Mandat-Grancey)は、ポーリング牧師とユング牧師の二人の宣教師と共に、ブレンターノが書いた記録本の記載の真偽を確かめるために本の通りに調査すると、1891年7月29日エンメリックが幻視した通りの場所で、木に隠れた1世紀頃の家の土台の様な遺構と4世紀頃の教会の様な建物の跡を発見しました。

またその場所は、ギリシャ正教会信者が住んでいるシリンジェという小さな村の人たちが伝統として毎年巡礼に訪れている場所であることも知り、聖母マリアの家であることを確信します。

なお、エンメリックが幻視していた家の裏の城に関しても、なんと実際に聖母マリアの家から12m程後ろに高さ40~50mの岩々が存在し、15~20分の距離に大きなブロックでできた城の様な長方形の古い建物の遺構が見つかっています。

聖母マリアの家

聖母マリア
発見された聖母マリアの家の跡地は、カトリック教会から聖母マリアの家の創設者として選出された修道女マリー・デ・モンデ・ゴンセが、この場所の修復や管理を全て行い、この場所と周辺を守る為の責任者として2015年に亡くなるまで尽力しました。この時に修復された部分と元々のオリジナルの遺構の部分の教会は赤色の線で分けられています。

聖母マリアの家は質素で小さくT字型で、入り口から入り進んだ正面奥に祭壇と聖母マリアの像が置かれています。その右が聖母マリアの寝室として使っていたと言われている部屋です。

家の外右側の階段を降りると泉があり、この泉の水は聖母マリアも飲んでいたと言われ、治癒の力があると信じられています。また、この水にちり紙を濡らして隣の壁に結ぶと願いが叶うとも言われています。

バチカン公認の聖なる地ですので、世界中から巡礼者が後を絶たず訪れており、また毎年8月15日の聖母マリアが天に召された日には、バチカンのローマ法王庁主催の礼拝が行われます。

エフェソス遺跡を訪れた際はこちらにも是非足を運んでみて下さい。

名称 聖母マリアの家(Meryem Ana Evi メリイェム・アナ・エヴィ)
住所 Sultaniye, 35920 Selçuk/İzmir, トルコ
開館時間 夏季:8:00~18:00、冬季:9:00~17:00
定休日 なし
入場料 無料 ※寄付箱が置いてありますので、寄付が歓迎されます。
服装 足場が悪いので運動靴をお勧めします。
写真撮影 家の中での撮影は禁止です。
公式サイト https://www.hzmeryemanaevi.com/

聖母マリアが天に召されたのはエフェソス?エルサレム?

聖母マリア
エルサレムでは聖母マリアの墓とされる聖母マリア永眠教会(墳墓教会)が存在します。エフェソスでの聖母マリアの家の発見は、12世紀から残っていた“エフェソスの伝統”を復活させて力を持たせました。この“エフェソスの伝統”は、聖母が天国に召された場所としてより古い“エルサレムの伝統”と競合することになります。

ローマ法王庁はエフェソスの聖母マリアの家の真実性が乏しいとの理由で決してここが聖母マリアの過ごした家と認めない立場にいました。しかし、1896年にローマ教皇レオ13世がエフェソスのこの地に訪れます。

その後1961年に教皇ヨハネ23世の働きによりカトリック教会はエルサレムにある聖母マリア墳墓教会にしていた基本的な恩赦を止め、エフェスの聖母マリアの家の巡礼者達に永遠に寄付することに決め、ここを聖地の地位に格上げしました。

ローマ法王庁は1951年、聖母マリアが亡くなるまでエフェソス近くで過ごしたことを認め、巡礼地にしました。1967年にパウロ6世、1989年にヨハネ・パウロ2世、2006年にベネディクト16世と歴代の法王もこの聖母マリアの家を訪れ、祈りをささげています。

聖母マリアの家を巡礼するシリンジェ村での伝統と言い伝え

聖母マリア
マリアが亡くなったのは8月15日と伝えられていますが、エフェソスの近くにあるシリンジェ村の人々はその日に重要な儀式を行います。村人は全員がキリスト教徒です。

近年までシリンジェにはエフェソスの初期キリスト教徒の子孫が住んでおり、長年シリンジェの住民から聖母マリアの家のある場所(建物の跡)は尊とばれ、とてもよく知られた存在でした。

また、この人たちは伝統的に何世紀もの間、毎年8月15日、即ち聖母マリアが天に召された日に巡礼として聖母マリアの家のあった場所に訪れていたそうです。

毎年8月15日の生神女就寝祭の日に聖母マリアの家に巡礼をする伝統は、何百年もの間Kirkinceキリキンジェ(現シリンジェ)の人たちによって守られてきました。彼らは、11世紀にエフェソスがイスラムのセルジューク朝に占領された際に、聖母マリアの家“Panaghia Kapulu”から数キロ離れたシリンジェ周辺の村や丘に住み着いた7つのエフェソス人避難家族から続く子孫との事です。

ギリシャ正教の公式見解では聖母マリアが天に召された場所がエルサレムであるとしていますが、シリンジェ村の人たちはギリシャ正教徒にもかかわらず、聖母マリアがエルサレムで無くエフェソスで亡くなった、正確に言うと“Panaya Kapulu(Panaghia Kapulu)”と言われる場所で目を閉じたと信じています。この伝統は彼らの先祖から引き継がれてきたものだと言います。

確かに、聖母マリアの死に関してエルサレムの伝統が当たり前であった時代に、聖母マリアが住み亡くなった場所として深い確信が無ければ、聖母マリアが住んだ場所を守るために質素な建物を教会に変えることや、ここに巡礼する伝統はなかったことでしょう。

先祖から受け継がれている彼らのこの伝統こそ、この場所が聖母マリアの最後に住んでいた場所であったと示している確かな証拠ではないでしょうか。

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