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ローマ法王庁は1951年、聖母マリアが亡くなるまでエフェソス近くで過ごしたことを認め、巡礼地にしました。


皆様ご存じのイエス・キリストの母である聖母マリア。トルコ語ではマリアがMeryem(メリイェム)、母がAna(アナ)でMeryem Ana(メリイェム・アナ)と呼ばれています。宗派によって呼び方も立ち位置も違い、聖書にも記載が殆どないので謎が多いのですが、実はトルコにとても縁の深い人でもあります。知っているようで知らない聖母マリアについてここで徹底解説致します。

ナザレのイエスの母 マリア

聖母マリア
マリアは、紀元前17年頃の9月7日ナザレにてダビデ王の血を引く父ヨアキムと母アンナの元に誕生します。その後、3歳から神殿にて神に仕え敬虔なユダヤ教徒として育ち、14歳の時に神の意志により大工のヨセフと婚約をします。当時のユダヤ教の習わしに従い、婚約後1年間を実家の両親と暮らしますが、その際にマリアの前に天使ガブリエルが現れ、「マリアのお腹に主が宿った」と受胎告知を受けます。当時、浮気や不倫は死刑であったため、婚約者のヨセフは身に覚えのないマリアの妊娠に驚き離縁しようとしますが、ヨセフの夢の中に天使が現れ、マリアのお腹の中に神の子が宿った旨、生まれた子にイエスと言う名をつける旨を伝えます。ヨセフはマリアの妊娠を受け入れ離縁をとどまります。

その後、当時の皇帝が出した住民登録の命に従い、ヨセフとマリアはナザレに住んでいましたが住民登録の為にベツレヘムに行きます。ベツレヘムの宿はどこもいっぱいで泊るところが見つからず、しかたなく馬小屋で休むことにしますが、マリアは産気づきここでイエスが降誕します。これが紀元前4年頃の12月25日のことで、後にクリスマスとして祝う降誕祭です。マリアは生まれたイエスを飼い葉桶に入れると、天使が現れると共に空に星が輝きます。その星の輝きの元に救世主(メシア)が誕生したことを知った東方三博士は1月6日にこの赤ちゃんの元へ礼拝に参るのです。東方三博士はこの子に贈り物として黄金と乳香と没薬を捧げたと言います。

東方三博士が帰った後、ヨセフの夢の中に天使ガブリエルが現れ、当時ローマ帝国時代のユダヤ王国を統治していたヘロデ王が、後にユダヤ人の王になると預言された子が生まれたのを聞きつけ殺しに来る旨を告げます。ヨセフとマリアは急いでイエスを抱いてエジプトへ逃げます。3人がエジプトへと経った後、ヘロデ王は自分の地位を脅かされると恐れてイエスを殺そうとしますが、どの子がイエスかわからない為ベツレヘムと周辺一帯にいる2歳以下の男の子を皆殺しにしてしまいました。

ヘロデ王が死んだ後、3人はナザレへ戻り、普通に生活をしました。その後、イエスが12歳の時に過越祭を祝う為にエルサレムに行きます。その際、マリアはイエスを見失ってしまうのです。必死に探し3日後エルサレムの神殿で学者たちの中に座って話をしているイエスを見つけます。マリアとヨセフはイエスに「なぜここにいるのです。心配して探し回っていたのですよ」と言うと、イエスは「どうして探したのですか?私が父の家(=神の家=神殿)にいるのは当たり前のことではないでしょうか」と返したそうです。

時がたち、イエスが成人になり既に何人かの弟子が出来ていた頃、ガリラヤのカナでの婚礼にマリアとイエスとその弟子たちが招待されました。宴の最中に葡萄酒が亡くなったのでそのことをマリアがイエスに言うと、イエスは「私の時はまだきていません」と渋りながらも、召使たちに水瓶いっぱいに水を淹れる様に頼みます。すると水瓶一杯の水が葡萄酒に変わりました。このイエスが起こした最初の奇跡で弟子達が信じることになります。

その後、息子イエスは洗礼者ヨハネよりヨルダン川のほとりで洗礼を授かり、弟子の12使徒と共に宣教活動を行いますが、民衆の支持を集め始め当時の権力者にとって脅威となり始めて来たため、イエスは捕まり紀元前29年頃ゴルゴダの丘にて磔刑にされてしまいます。このゴルゴダの丘で十字架を背負って上る際に、マリアと弟子の使徒ヨハネが見守っていました、イエスはマリアにヨハネを指して「母よ。これがあなたの息子です!」、そしてマリアを指してヨハネに「これがあなたの母です!」とマリアをヨハネに託したと言われています。

エフィソスで余生送る?

聖母マリア
キリストが十字架にかけられた後、聖母マリアはどうなったのか、大きな謎でした。実は、聖書にもマリアのその後については記述がないのです。ただ、キリストが迫害を受けたエルサレムの地から安全な場所に移り、余生を送ったことは容易に想像できます。それが、トルコのイズミールの南約70キロにあったエフェソスではないかと伝えられています。

死に臨んだキリストは、12使者の1人で最も愛した弟子の聖ヨハネに聖母マリアを託します。キリストの死後も一時期エルサレムにいたヨハネは、約4~6年後に布教のためエフェソスへ行きます。その時、マリアを伴ったと考えられます。紀元1世紀の当時、エフェソスは中近東最大の繁栄を誇る都市でした。

修道女の幻視から聖母マリアの家を発見

ドイツ人修道女 カタリナ・エンメリック

聖母マリア
時代はずっと下り19世紀の初め、ドイツのカトリック教会にカタリナ・エンメリックという修道女がいました。敬虔(けいけん)な彼女には聖痕が現れたり、幻視が出来たりなど不思議で超人的な現象が起こります。その中で彼女は晩年病床の状態の中、夢の中に聖母マリアが現れ、ヨハネに連れられてエフェソスへ移り住んだことを語ります。

エンメリックは生まれ育ったドイツの小さな村から出たことが無かったにも拘らず、エンメリックの夢はとても具体的でした。彼女が幻視した内容は…
“マリア様は丁度エフェソスではないけれどもそこから近い所に住んでいました…

マリア様の家はエルサレムから来る道(=南から北へ)の左側の丘の上、エフェソスから3時間半離れた所にありました。エフェスよりも上で急な傾斜があり、街は南東から近づく人にとって地面が高くなっていくような場所…エフェスの南の細い獣道(=マリアが登るために使っていた険しい道)で行きつくある山(=Büldür Dağıブルドゥル山)の上、エフェスよりも遠いけれど海から一番近い所。頂上からは海とエフェソスの町が見える丘…”というものです。

 
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また、“家の裏には、少しだけ離れた距離で周りに岩があり、岩がある周辺にヨハネの親友で特徴のない王子が住んでいた城; 丘の天辺にむかう、ある美しい場所にテラスがありました…”とも語っており、聖母マリアが住んでいた家に関しても、長方形の石で出来ていて、二つの部分でできている窓が平らな屋根の近くの高い位置にあり、真ん中に暖炉があったと述べています。ドアの形や煙突の形まで細やかに説明しました。

この様なエンメリックの幻視した内容は、クレメンス・ブレンターノと言う詩人が1819年からエンメリックが亡くなる1824年までの5年間、病床の彼女の元へ毎日通い、彼女の幻視を聞き取り記録し本にしております。

聖母マリアが晩年住んでいた家の発見

聖母マリア
彼女の死後、フランスの司祭ジュリアン・ゴヤット神父(the Abbé Julien Gouyet)が、1881年にブレンターノが書いた記録本を手掛かりに、記載されている描写に従い聖母マリアの晩年過ごした家を探すと、なんとエフェソスの近くの彼女の語ったのとそっくりな場所で、聖母マリアの家と思われる小さな石でできた建物の跡と古代エフェソスの小さな遺跡が見つかったのです。この発見に関して、当初は誰も重要視しません。

しかし10年後、イズミールのフランス海軍病院に配属されていた修道女マリー・デ・モンデ・ゴンセ(Marie de Mandat-Grancey)は、ポーリング牧師とユング牧師の二人の宣教師と共に、ブレンターノが書いた記録本の記載の真偽を確かめる為に本の通りに調査すると、1891年7月29日エンメリックが幻視した通りの場所で、木に隠れた1世紀頃の家の土台の様な遺構と4世紀頃の教会の様な建物の跡を発見しました。

またその場所は、ギリシャ正教会信者が住んでいるシリンジェと言う小さな村の人たちが伝統として毎年巡礼として訪れている場所であると言う事も知り、聖母マリアの家であることを確信します。

尚、エンメリックが幻視していた家の裏の城に関しても、なんと実際に聖母マリアの家から12m程後ろに高さ40~50mの岩々が存在し、15~20分の距離に大きなブロックでできた城の様な長方形の古い建物の遺構が見つかっています。

エンメリックが幻視した聖母マリアの余生

因みに、エンメリックの死後に出版されたブレンターノの記した“アンナ・カタリナ・エンメリックによる聖母マリアの生涯”と言う本には、息子イエスが磔刑で天国に昇天した後、マリアはシオン(エルサレム)に3年、べタニアに3年、エフェソスに9年住んだと述べられています。マリアが故郷を離れなければならないと内なる警告を受けた後に、使徒ヨハネは他の人々を伴いマリアをエフェスに連れて行ったとされています。

聖母マリアの家

聖母マリア
発見された聖母マリアの家の跡地は、カトリック教会から聖母マリアの家の創設者として選出された修道女マリー・デ・モンデ・ゴンセが、この場所の修復や管理を全て行い、この場所と周辺を守る為の責任者として2015年に亡くなるまで尽力しました。この時に修復された部分と元々のオリジナルの遺構の部分の教会は赤色の線で分けられています。

聖母マリアの家は質素で小さくT字型で、入り口から入り進んだ正面奥に祭壇と聖母マリアの像が置かれています。その右が聖母マリアの寝室として使っていたと言われている部屋です。

家の外右側の階段を降りると泉があり、この泉の水は聖母マリアも飲んでいたと言われ、治癒の力があると信じられています。また、この水にちり紙を濡らして隣の壁に結ぶと願いが叶うとも言われています。
バチカン公認の聖なる地ですので、世界中から巡礼者が後を絶たず訪れており、また毎年8月15日の聖母マリアが天に召された日には、バチカンのローマ法王庁主催の礼拝が行われます。

エフェソス遺跡を訪れた際はこちらにも是非足を運んでみて下さい。

聖母マリアの家

名称 :聖母マリアの家(Meryem Ana Evi メリイェム・アナ・エヴィ)
場所 :Atatürk Mah. Mevki Küme Evleri 35922 Selçuk/İzmir
定休日 :無し
開館時間 :夏季 08:00~18:00、冬季 09:00~17:00
入場料 :無料 ※寄付箱が置いてありますので、寄付が歓迎されます。
写真撮影 :家の中での撮影は禁止です。
服装 :足場が悪いので運動靴をお勧めします。

エフェソスとエルサレム、マリアはどちらで天国にめされたか?

聖母マリア
エルサレムでは聖母マリアの墓とされる聖母マリア永眠教会(墳墓教会)が存在します。 
エフェソスでの聖母マリアの家の発見は、12世紀から残っていた“エフェソスの伝統”を復活させて力を持たせました。この“エフェソスの伝統”は、聖母が天国に召された場所としてより古い“エルサレムの伝統”と競合することになります。

ローマ法王庁はエフェソスの聖母マリアの家の真実性が乏しいとの理由で決してここが聖母マリアの過ごした家と認めない立場にいました。しかし、1896年にローマ教皇レオ13世がエフェソスのこの地に訪れます。その後1961年に教皇ヨハネ23世の働きによりカトリック教会はエルサレムにある聖母マリア墳墓教会にしていた基本的な恩赦を止め、エフェスの聖母マリアの家の巡礼者達に永遠に寄付することに決め、ここを聖地の地位に格上げしました。

ローマ法王庁は1951年、聖母マリアが亡くなるまでエフェソス近くで過ごしたことを認め、巡礼地にしました。1967年にパウロ6世、1989年にヨハネ・パウロ2世、2006年にベネディクト16世と歴代の法王もこの聖母マリアの家を訪れ、祈りをささげています。

シリンジェ村での伝統と言い伝え

聖母マリア
マリアが亡くなったのは8月15日と伝えられていますが、実はその日に重要な儀式を行う村人たちがエフェソスの近くに住んでいます。それがシリンジェ村といって村人は全員がキリスト教徒の村です。

近年までシリンジェにはエフェソスの初期キリスト教徒の子孫が住んでおり、長年シリンジェの住民から聖母マリアの家のある場所(建物の跡)は、尊とばれ、とてもよく知られた存在でした。また、この人たちは伝統的に何世紀もの間、毎年8月15日、即ち聖母マリアが天に召された日に巡礼として聖母マリアの家のあった場所に訪れていたそうです。

毎年8月15日の生神女就寝祭の日に聖母マリアの家に巡礼をする伝統は、何百年もの間Kirkinceキリキンジェ(現シリンジェ)の人たちによって守られてきました。彼らは、11世紀にエフェソスがイスラムのセルジューク朝に占領された際に、聖母マリアの家“Panaghia Kapulu”から数キロ離れたシリンジェ周辺の村や丘に住み着いた7つのエフェソス人避難家族から続く子孫との事です。

ギリシャ正教の公式見解では聖母マリアが天に召された場所がエルサレムであるとしていますが、シリンジェ村の人たちはギリシャ正教徒にも拘らず、聖母マリアがエルサレムで無くエフェソスで亡くなった、正確に言うと“Panaya Kapulu(Panaghia Kapulu)”と言われる場所で目を閉じたと信じています。この伝統は彼らの先祖から引き継がれてきたものだと言います。

確かに、聖母マリアの死に関してエルサレムの伝統が当たり前であった時代に、聖母マリアが住み亡くなった場所として深い確信が無ければ、聖母マリアが住んだ場所を守る為に、質素な建物を教会に変えることやここに巡礼する伝統はなかったことでしょう。先祖から受け継がれている彼らのこの伝統こそ、この場所が聖母マリアの最後に住んでいた場所であったと示している確かな証拠ではないでしょうか。

 
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