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トルコツアーガイド

ヨーロッパとアジアの境界ダーダネルス海峡|ガリポリの戦いでオスマン帝国による勝利の地


ヨーロッパとアジアを繋ぐ要衝のため古代より戦いの場となってきたダーダネルス海峡ですが、最大の戦争は1915年に起こったガリポリの戦いです。近代以降敗戦続きのオスマン帝国が英仏連合軍の上陸作戦を阻止し、勝利したことはダーダネルス海峡で起きた最大の驚きとなりました。

ダーダネルス海峡とは

ダーダネルス海峡
ダーダネルス海峡またはチャナッカレ海峡と呼ばれる海峡は、エーゲ海とマルマラ海をつなぐ海峡で、マルマラ海と黒海をつなぐボスポラス海峡と共にトルコにとって非常に重要な海峡です。このダーダネルス海峡とボスポラス海峡によって、ヨーロッパとアジアが隔てられています。

その重要な地理により古くから地中海と黒海を結ぶ交易路として使われ、トロイの木馬で有名なトロイア王国もこの貿易によって繁栄したと言われています。また、戦争の際にもこの海峡がたびたび舞台になり、古代にギリシャとペルシャで争いが起こった際は大艦隊がこの海峡を渡っていきました。中世ではイスラム勢力や十字軍が通り、近代ではロシア、トルコ、イギリスなどが軍艦の通航を巡って対立をしました。

トルコを訪問する観光客にとってはボスポラス海峡が有名ですが、歴史上はダーダネルス海峡も同等かそれ以上に重要な海峡となっています。ダーダネルス海峡はギリシャ神話から近代に至るまで多くの出来事が起こった場所です。

ダーダネルス海峡の特徴



ダーダネルス海峡の全長は約65kmとなり、トロイ遺跡の近くにある都市チャナッカレから対岸のヨーロッパ側のガリポリ半島までの幅が一番狭く1.3kmです。ダーダネルス海峡で一番広い箇所の幅は6.5kmです。

海峡の平均深度は55mで最大深度は90mです。上層の海水はマルマラ海からエーゲ海に向かって流れ、下層は逆向きに流れています。マルマラ海からの寒流とエーゲ海からの暖流が海流でぶつかり合うため、様々な魚類が豊富に棲みついており沿岸の街では魚の缶詰の生産が盛んに行われています。

ダーダネルス海峡はまるで川のように細長い形をしており、黒海やマルマラ海の波によって生み出される潮流によって、航海が非常に難しい海峡と言われています。特にエーゲ海からマルマラ海に向かう際は、風向きや潮の流れを見極めて進む必要があります。

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ダーダネルス海峡の名前の由来

ギリシャ神話
ダーダネルスの名称はもともとギリシャ神話に由来をしています。全知全能の至上神ゼウスと巨人アトラースの娘エーレクトラーの息子であるダルダノスが、サモトラケー島から小アジア(アナトリア半島)に渡りました。そしてこの地域の統治を継承し、ダルダニアーと地名を変えました。なおダルダノスの孫であるトロースの代に、トロイアと名称が変更になり、トロイ遺跡やトロイの木馬の物語につながって行きます。

コンスタンティンノープル(現在のイスタンブール)に首都を構えた東ローマ帝国の時代には、海峡の両岸にそれぞれお城が築かれ、その2つのお城は合わせてダルダネリスと呼ばれました。そして交易などが盛んになり多くの船が行き交う様になると、この海峡が正式名称としてダーダネルス海峡と名付けられました。

ダーダネルス海峡は別名チャナッカレ海峡と呼ばれています。この名称はアナトリア半島にある都市チャナッカレからそのまま付けられています。ちなみにこの都市名はアラビア語が由来となっており、町の名産が陶磁器製品で、東ローマ帝国のお城があるため、陶磁器(canak)と城塞(kale)を組み合わせてチャナッカレ(Canakkale)となりました。

古代にはダーダネルス海峡はヘレンポス(ヘレの海)と言う名称でした。ギリシャ神話に登場するプリクソスとヘレという双子の子供が義理の母に殺されそうになった時に、ゼウスが金色の羊を送り、二人はその羊に乗って逃げました。しかし、ダーダネルス海峡でヘレが落ち死んでしまったためヘレの海と呼ばれるようになりました。

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トロイア戦争開戦の地

トロイア戦争
トロイの木馬で有名なトロイア戦争では、大艦隊がダーダネルス海峡を移動しています。トロイア王国を攻めるためにギリシャ各地から軍勢がギリシャのアウリスという港町に集結をしました。アカイア人(ギリシャ人)の遠征軍は約1200隻の大艦隊を編成し、兵士の数は7万人から13万人と言われています。

大艦隊はエーゲ海を渡り、ダーダネルス海峡をマルマラ海の方向に進み、海峡入り口近くのアナトリア半島側の浜辺に到着をしました。そしてこの浜辺で待ち構えていたトロイア軍とギリシャ軍が戦闘となりトロイア戦争が始まりました。ギリシャ軍はダーダネルス海峡のアナトリア半島側に陣地を築き、トロイア王国攻撃の拠点としました。

またトロイの木馬の作戦を実行するために、ギリシャ軍の艦隊はダーダネルス海峡を戻り、海峡出口近くのエーゲ海にあるテネドス島に身を潜めて、トロイア城内からの味方の合図を待ちました。

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アレキサンダー大王の東方遠征

アレキサンダー大王とアリストテレス
北ギリシャのマケドニア王国のアレキサンダー大王が東方遠征を行い、短期間の内に領土を広げ大帝国を築き上げた話は広く知られているかと思います。そのアレキサンダー大王はダーダネルス海峡を渡りアケメネス朝のペルシャ軍が支配する地に足を踏み入れました。

紀元前334年にマケドニアを出発したアレキサンダー大王率いる総勢6万人近くの軍隊は、ガリポリ半島のセストス(現在のエジャバット)からダーダネルス海峡を渡り、対岸のシゲイオンから小アジアに入りました。そしてすぐ近くにあるトロイに向かいトロイア戦争の英雄アキレウスの墓参りを行いました。その後、グラニコス川でペルシャ軍との最初の戦闘が行われ勝利をし、さらに東へと進軍をして行きました。

アキクサンダー大王は紀元前323年6月10日に32歳の若さで遠征の途中で死去をしてしまい、再びダーダネルス海峡を渡り故郷のマケドニアに生きて戻ることはありませんでした。

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クセルクセス1世の船橋|ダーダネルス海峡に作られた古代の橋

クセルクセス1世はアケメネス朝のペルシャの王で、紀元前481年に第3回ギリシャ遠征を総大将として率いました。ペルシャ軍はペルシャの西にあるサルディスという都市から、ギリシャのアテナイやスパルタを目指して進軍をしました。進軍の前にクセルクセス1世は海路移動の1200隻の三段櫂船や輸送船3000隻を暴風から守るためにマケドニア東南部のアトス岬に運河を作りました。

そして歩兵や騎兵からなる約30万人と言われた兵士を陸路でスムーズに移動させることが必要でした。そのための最大の難関となるのがダーダネルス海峡を渡ることでした。そこでクセルクセス1世はチャナッカレの北西のアビドスから対岸のガリポリ半島のセストスまでダーダネルス海峡を渡るために船を並べてつなぎ船橋を作りました。

しかし大軍勢がアビドスについた時には船橋は嵐の影響で壊れてしまっていました。そこで突貫工事で再度船橋を作り、橋はわずか7日で完成をしました。兵士と補給部隊を同時に運ぶために船橋は2本かけられ、それぞれの橋に316隻と360隻の船が使われました。船はイカリで固定され、それぞれの船はワイヤーでつながれ、船の上に丸太でデッキが作られました。そしてこの全長2km以上の巨大な船橋によって兵士や馬がヨーロッパに上陸することが出来ました。

なおこの船橋は大部隊が渡った後に再び別の嵐によって壊されてしまい使えなくなってしまったと言われています。

ガリポリの戦い|ダーダネルス海峡で起きた最大の戦い

ガリポリの戦い
ガリポリの戦いとは第一次世界大戦中の1915年4月にイギリスとフランスを中心とした連合軍が、ドイツの司令官が率いるオスマン帝国の守備隊を相手に、トルコのガリポリ半島に上陸作戦を行った戦いの事です。当時のオスマン帝国はドイツとオーストリアと同盟国を形成しており、イギリスとフランスの連合軍はドイツが東地中海で勢力を強めることを懸念していました。

ガリポリ半島上陸までの経緯

ガリポリの戦い
1914年にロシアが英仏の連合国に参戦しましたが、オスマントルコ帝国によってポスポラス海峡とダーダネルス海峡を押さえられているため、英仏軍が地中海を通りロシアと連絡を取ることが出来ず、また、ロシア海軍が黒海から地中海に進軍することが出来ませんでした。

そこでイギリス海軍大臣のウィンストン・チャーチル(のちのイギリス首相)によって、オスマン帝国の首都イスタンブール占領する計画が立案されました。そしてイスタンブール占領の足掛かりとして、ダーダネルス海峡にあるガリポリ要塞の攻撃と占領のための作戦が立てられました。対するオスマン帝国側は、海峡全域に大量の機雷を設置し、海峡の両岸に多数の砲台を建設し、連合軍の進軍に対して備えを行いました。

1915年の2月と3月に英仏の大艦隊が海上からガリポリ要塞に攻撃を行いましたが、両岸からの砲撃や機雷により、3隻の戦艦が大破をしました。海軍力だけではガリポリ要塞の制圧が難しいと実感をした連合軍は陸軍による上陸作戦を決行することになります。

ガリポリ半島上陸作戦

ガリポリの戦い
悪天候から回復した1915年4月25日に英仏軍とオーストラリア・ニュージーランド連合軍(ANZAC)による上陸作戦が開始されました。戦艦からの砲撃や、航空機からの偵察や爆撃などの支援を受けて、総勢7万8千人の連合軍兵士がガリポリ半島に上陸しました。

主力部隊であるイギリス軍の第29師団は、ダーダネルス海峡入り口のヘレス岬の5箇所のから上陸しガリポリ半島を北上する作戦でした。ANZAC軍はヘレス岬の北にあるカバテペのビーチに上陸し、第29師団をサポートする役割でしたが、上陸地点を間違え、実際はカバテペより1.5kmほど北にある名もないビーチに上陸を行いました。

オスマン帝国軍からの攻撃を受け多くの犠牲者を出しながら、第29師団はヘレス岬の3箇所に上陸し、ANZAC軍もガリポリ半島のビーチに上陸を行いました。連合軍を海に押し戻そうとオスマン帝国軍は猛攻を行いましたが、戦艦からの援護と粘り強い防御によってこの攻撃を防ぎました。

連合軍も陣地を広げるためにガリポリ半島に沿って北に進軍をしますが、オスマン帝国軍に地理的な優位を取られ激しい抵抗を受け、進軍作戦はことごとく失敗に終わってしまいました。前線に塹壕を築いて粘り強く戦う連合軍に対し、オスマン帝国軍も決め手がなくなり、戦争は膠着状況となってしまいます。開戦当初は短期間で決着がつくと考えていたチャーチルや連合国軍ですが、オスマン帝国から予想以上の反撃を受け、その考えは崩れ去ってしまいました。

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撤退

ガリポリの戦い
ガリポリ上陸後の1915年8月に連合軍による大規模な進撃作戦が行われましたが、これもオスマン帝国守備隊に阻まれうまく行きませんでした。10月になり中立を保っていたブルガリアがドイツ・オーストリア・オスマン帝国同盟国に参加することを表明し、戦局が不利になることを懸念したイギリス政府がガリポリからの撤退を検討するようになりました。

12月に連合国軍のセルビアが同盟国のオーストリアに敗れたことで、ドイツからセルビアとブルガリアを通り陸路でオスマン帝国へ補給を行うことが可能となり、連合国軍はますます不利な状況となりました。そして連合軍はイスタンブール攻略を諦め撤退することを決めました。、12月7日にANZAC軍が撤退を開始し、ヘレス岬に駐留をしていたイギリス軍も1916年1月9日までに撤退をし、連合国軍はガリポリ半島から全て撤退を行いました。

オスマン帝国は18世紀後半以降、露土戦争やバルカン戦争で敗れ領土を大幅に減らし、防戦一方の状態であることから「ヨーロッパの瀕死の病人」と呼ばれていました。しかしガリポリの戦いでは英仏連合軍を撤退させたことで、諸外国に驚きを与えました。

ガリポリの戦いによる影響

ガリポリの戦い
  • 連合国軍の戦死傷者は約14万人となり、加えて11万人~14万人が塹壕の中の劣悪な衛生環境によって病死をしたと言われています。オスマン帝国軍は25万人の死傷者が出ました。

  • ANZAC戦線の防衛隊の司令官であったオスマン帝国のムスタファ・ケマルは、数々の戦闘で上陸軍を阻止しました。弱冠34歳だったケマルはガリポリの英雄としてその名声を高め、トルコ共和国初代大統領になる礎を築きました。

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  • ガリポリの戦いの敗戦により、作戦立案者のイギリスのウィンストン・チャーチルは責任を取り海軍大臣を辞職することになり、一時政治の表舞台から姿を消すことになりました。

  • ガリポリの戦いは近代戦争で初めての海軍、空軍、陸軍による大規模な上陸作戦となり、その後の軍事研究に大きな影響を与えました。

  • ANZAC軍が上陸をしたガリポリ半島の入江は現在ではアンザック湾と呼ばれています。また、上陸作戦決行日の4月25日は、オーストラリアとニュージーランドではアンザックデーと呼ばれる祝日となっています。

 
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ダーダネルス海峡近郊の街と観光地

ダーダネルス海峡
古くから戦いの舞台となってきたダーダネルス海峡ですが、海峡入り口のエーゲ海や、海峡両サイドのヨーロッパ側のガリポリ半島とアジア側のアナトリア半島には、魅力的な観光箇所が多くあります。ダーダネルス海峡の近郊のご紹介させていただきます。

ゲリボル

ゲリボル
ガリポリはダーダネルス海峡のマルマラ海側に位置をしている街で、トルコ語ではゲリボルと呼ばれています。街の歴史は古く紀元前5世紀にマケドニアの都市カリポリスと呼ばれていました。1354年に地震で崩壊した後にトルコ人が海峡を越えてやってきて街を占領しました。ガリポリはオスマン帝国が初めて手に入れたヨーロッパの街となりました。現在はイワシの缶詰の生産で有名です。対岸にあるラプセキの街とはフェリーで往来が出来ます。

ガリポリ半島歴史国立公園

ガリポリ半島歴史国立公園
ガリポリ半島の南端にある国立公園で、ガリポリの戦いで亡くなった50万人以上の兵士のために1973年に作られました。公園にはガリポリの戦いに参加した各国の記念碑や墓地が立てられ、兵士たちが青いエーゲ海を見ながら安らかに眠っています。

チメンリク城とキリトバヒル城

チメンリク城
シメンリク城はアナトリア半島のチャナッカレの街にあり、キリトバヒル城はダーダネルス海峡の対岸にあります。いずれもオスマン帝国が建国されてすぐにスルタン・メフメット2世によって海峡を通る船の監視のために建設された要塞です。1915年のガリポリの戦いでは連合国軍によって攻撃を受けました。

チャナッカレ

チャナッカレ
トロイ遺跡の玄関口となる小さな街です。2004年公開のハリウッド映画「TORY」で使われたトロイの木馬が展示されています。また5階建ての時計台が町のシンボルとなり、時計台周辺の旧市街は狭い路地におしゃれなカフェやレストランが立ち並びます。

トロイ遺跡

トロイ遺跡
ダーダネルス海峡南側のエーゲ海より内陸に6kmほど進んだところにあるヒサルルクの丘にあるのがトロイ遺跡です。1998年に世界遺産に登録をされました。遺跡では神話の都市トロイの都市遺構やレプリカのトロイの木馬を見ることが出来ます。遺跡に隣接をして約2000点の出土品を展示しているトロイ博物館もあります。

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ボズジャ島

ボズジャ島
ボズジャ島(ギリシャ名:テネドス島)はトロイア戦争にも登場をするダーダネルス海峡入り口近くにあるエーゲ海の島です。ビーチアクティビティーを楽しむ観光客が国内外から訪れ、ローマ時代に作られオスマン帝国時代に改築された古城の見学も行うことが可能です。また、ワインの生産が盛んで、ワイナリーを巡ることが出来ます。

ダーダネルス海峡フェリー

海流が複雑なダーダネルス海峡は古来より対岸に渡るのが困難でしたが、現在は車が積載可能な大型フェリーがアジア側とヨーロッパ側をつないでいます。対岸まではフェリーで約30分となり、タンカーや大型クルーズ船が海峡を行き交う様子を船上から見ることが出来ます。

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チャナッカレ1915橋|ダーダネルス海峡に架かる吊り橋

チャナッカレ1915橋
チャナッカレ1915橋はダーダネルス海峡に架かる吊り橋の事で、現在建設中となり2022年3月18日に完成予定です。建設が完成をすると日本の明石海峡大橋を抜いて世界最長の吊り橋となります。

アナトリア半島のチャナッカレ県のラプセキから対岸のゲリボルを繋ぎ、橋の全長は3563m、橋脚の高さは318mで2本の橋脚の間隔はトルコ共和国建国100周年の2023年にちなんで2023mとなっています。橋の幅は45.06mで3車線ずつの合計6車線です。

特徴的な橋の名前の「チャナッカレ」は、チャナッカレ海峡から取られ、「1915」は、第一次世界大戦中のガリポリの戦いでトルコ海軍が連合国軍に最初に勝利を収めた1915年3月18日の年を記念しています。また橋の工事の起工式は、勝利の日にちなみ2017年3月18日に行われています。

 
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