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トルコツアーガイド

ニケーア公会議|ニカイア(イズニック)で行われたキリスト教世界で初の公会議


世界史の教科書出てくる「ニケーア公会議」、皆さん聞いたことありますよね?
キリスト教の歴史の中で最も重要な出来事とも言えるのがこの「ニケーア公会議」なのです。

キリストが十字架の刑にかかったのが33年と言われ、313年にキリスト教がミラノ勅令により承認されるまでの約300年間、キリスト教はローマ帝国で禁止されて弾圧されていました。その間、どうにか耐え忍び存続していたキリスト教ですが、教会間の解釈の違いが生まれて統一性が欠如してしまい、異議異論やそれぞれの解釈がされ始めていました。

キリスト教教義を確立していく過程で、キリスト教解釈を統一して普遍的にするため、議論を明白にして正統性を決定する目的で、世界中のキリスト教の主教や司教などの聖職者が一同に集まった最重要な会議が公会議です。
世界公会議、全地公会とも言われ、現代まで多くの公会議がなされてきましたが、正教会とカトリック教会両方が認めているのは7公会議のみです。その内の最初と最後の公会議が行われたのがトルコの現イズニック「ニケーア(ニカエア)」でした。

ニケーア公会議

ユスティニアヌス王朝
4世紀に入ると、アリウス派によりキリストの真の神性が議論視され揺らぎ始め、神学論争がおこります。
313年にミラノ勅令によってキリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世は、ローマ帝国にキリスト教を採用し帝国を統一するにあたり、キリストの神性の解釈を決定して一致させる必要がありました。このようにして皇帝自らが主催し、初めてニカエアで公会議が開かれたのです。

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325年の第1ニケーア公会議(325年5月20日~7月25日)

イエス・キリスト
現在はイズニック湖に沈んでしまっているニケーア元老院宮殿にて、この最初の公会議「第1ニケーア公会議」が行われました。
この公会議の議論のメインは、“イエス・キリストの神性=イエスは神か神の創造物(人間)か?”に関してで、“イエス・キリストは最も神に近いが神ではない存在、神が創造したもの=神聖だが神性はない”とする「アリウス派」の主張と、“父なる神と子なるイエスは同質=神性である”と主張する「アタナシオス派」の激論となりました。

この公会議は皇帝コンスタンティヌス1世が議長となり、318人の聖職者たちによる1ヶ月にも及ぶ議論の結果、2名以外のほぼ全意見一致により、325年6月19日アタナシオス派を正統とした“ニカエア信条が承認”されました。
即ち、キリストの神性を否定する“アリウス派が異端”とされ排斥され、アタナシウス派の “イエス・キリスト=神”が正統とされたのです。
また、この会議では教会によって違っていた“復活祭(復活大祭)の日付”も確定されました。

因みに、あのサンタクロースの起源となったミュラの大司教・聖ニコラウスもこのニケーア公会議に参加していたと言われています。アタナシオス側についていたニコラウスは激論のあまりアリウスを殴ってしまい一度破門されたと言うエピソードが残っています。

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サンタクロース

787年の第2ニケーア公会議(787年9月24日)

聖母マリア
時は下り、ローマ帝国は東西に分かれ東ローマ帝国がビザンツ帝国と言われる時代になってからの787年、7回目の公会議が再度ニケーアで行われました。

726年にビザンツ帝国皇帝レオーン3世が聖像(イコン)禁止令を発令し、聖像破壊運動“イコノクラスム”を行います。息子の皇帝コンスタンティヌス5世もこれを引き継いで徹底したイコン崇拝の弾圧を行うのですが、これには帝国領土内で大反発があり、賛成派と反対派が大きく二分し、帝国崩壊の危機にまで陥ったのです。

そこで、コンスタンティヌス5世の息子レオーン4世の皇后エイレーネーは、夫の死後に皇帝となった幼い息子コンスタンティヌス6世の摂政となり、787年に自らが主催し第7回全地公会「第2ニケーア公会議」を開催しました。

これにより、聖像破壊運動は異端とされ、聖像崇拝の自由が公認されました。

なお、この公会議以降にも近年まで21回公会議が行われてきましたが、正教会ではこの7回目の第2ニケーア公会議までの全7回のみを公会議(全地公会)として承認し、それ以降のものはカトリックのみが承認している状態です。

「アタナシオス」三位一体論を主張した聖職者

カッパドキア
深い知見をもったアレクサンドリア主教アタナシオスは、ニケーア公会議にはアレクサンドリア司教アレクサンドロスの輔祭として出席した人物で、その後4世紀の教会において最も偉大な司教の一人となった聖職者です。

彼が主張したのが、現在のキリスト教の殆どの流派で絶対としているキリスト教の最重要教義である、“神なる父、神の子なるイエス、聖霊は同質で不可分”とするあの「三位一体」です。
三位一体は、アタナシオスが最初に主張したわけではありませんが、キリスト教の最重要正統教義として確立させるために大きな功績を果たしました。

第1ニケーア公会議でこのアタナシオス派の主張は正統とされますが、それからも決着がつかず、2回目のコンスタンティノポリス公会議にてカッパドキア三教父の寄与により三位一体がキリスト教の正統教義として確立します。

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「アリウス派」イエスを神の創造物とした一派

キリスト
エジプトのアレクサンドリア教会の司祭アリウスが唱えた教義が「アリウス派」です。
アリウス派は、“神は神、子は子であって神ではない。子であるイエスは神により神に最も近い形で創造された者であり、イエス自身は神ではない”、そのため、“イエスは子であり神ではない。子であるイエス・キリストは神聖ではあるが、神ではなく人であるので神性はない”と「イエスの人性」を主張したキリスト教一派です。

イエスは人間であり神の使いで神の言葉を伝えた預言者であるとしました。これは、イスラム教の“神は唯一神アッラーのみでムハンマドは預言者”の考えと同じだと言えます。

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実は、このアリウス派の考え方はキリスト教を国教としたローマ皇帝にとって都合の悪い物でした。
“神と子のイエスは別物”とした場合、唯一神の神にしか従わないことになってしまう為です。
その点、アナシオス派の“神とイエスは同一”と言う考えは、神がイエスの姿で地上に現れたと言うことで、神が皇帝もなり得る皇帝にとって都合の良い教義でした。そのため国政に有利なアナシオス派を正統としたのです。

アリウス派は325年の第1ニカエア公会議で異端とされ、その後、2回目の公会議「コンスタンティノポリス公会議」でも異端と決定されてローマから追放されたのち、アリウス派の教義はゲルマン人の間で広がりました。

エフェソス公会議

エフェソス
381年、2回目の公会議である「第1コンスタンティノポリス公会議」にて三位一体が確立されて“ニカイア・コンスタンティノポリス信条”が採択された後、都市遺跡で有名なエフェソスでも、皇帝テオドシウス2世が主催し、431年に3回目の公会議である「エフェソス公会議」が行われました。

論点は、対立していたマリアの神性を問う”テオトコス(神の母)論争”で、 “聖母マリアを神の母でなくキリストの母”とするアンティオキア学派出身のコンスタンティノープル総主教ネストリオスの「ネストリウス派」と“キリストを神の母”とするアレクサンドリア教会司教のキュリロスが討論を行うはずでした。

しかし、キュリロスを筆頭とする派閥は、ネストリオスやその支持者がエフェソスに到着する前に公会議を始めて、ネストリウス派を異端としてしまうのです。

ニカイア信条の正統性が確認されて”ネストリウス派を異端”として排斥し、 “マリアが神の母”であると決定したことで、マリアの神性を問うテオトコス(神の母)論争が決着しました。

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排斥されたネストリウス派キリスト教は、次の3回目の公会議である現イスタンブールアジア側のカドゥキョイで451年に行われた「カルケドン公会議」でも異端とされます。追放されたネストリウス派はその後、東のササーン朝ペルシャへ渡り、そこからペルシア人司祭によって唐代の中国へ伝わり「景教」となりました。

因みに、このエフェソス公会議が行われた場所はエフェソスの都市の中にあったバシリカですが、このバシリカはこの公会議の後に世界で最初の聖母マリア教会となりました。この教会は現在エフェソス遺跡内に残っています。

 
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ニケーアの歴史

イズニックタイル
(ギリシア名=ニカイア、ラテン名=ニケーア)イズニック湖の南岸、ブルサから80kmに位置し、地の利と景観の良さから古代より開けていました。紀元前311年、町を造ったアンティゴノス(アレクサンドロス大王の指令官の一人)の名からアンティゴネイアと呼ばれていましたが、紀元前301年にアレクサンドロス大王の別の指令官リシマコスに敗れ、町の名も彼の妻の名からニカイアに変更されました。

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紀元前281年、ビティニア王の支配下に敷かれニコメディア(現在のイズミット)が成立するまでニカイアは王国の首都でした。ビティニア没落の後ローマ領となりニケーアと呼ばれ、堅固な城壁が築かれました。

123年の地震で破壊された都市は皇帝ユスチニアヌスにより再建されています。3世紀にはペルシア人やゴート人の攻撃を受けて荒廃しましたが、コンスタンチヌス帝の時代に再建されビザンチン帝国の中で最も洗練された都市として黄金期を迎えたのです。同帝の主催で第1回の宗教会議が開催され、神とキリストの関係について神学的討議が行なわれました。ビザンチン時代、とりわけユスチニアヌス帝の支配下に於いて、教会、修道院、宮殿、水道橋等、多くの建物が建設されています。

787年、皇后イレーネの招集で第7回宗教会議が聖ソフィアで開催されました。1079年になるとセルジューク・トルコがここを一時征服しました。コンスタンチノープルが十字軍に征服されると皇帝テオドール1世ラスカリスは帝国の首都を(1261年まで)ニケーアに移しました。コンスタンチノープル開放の後も14世紀までニケーアは文化、社会生活の中心として栄えました。オスマン・トルコのスルタン・オルハンが1年間包囲の後、ようやくニケーアを征服し、その名をイズニックと改名したのは1331年の事でした。

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1402年にはモンゴルのティムールの略奪を受けています。1514年、スルタン・セリム1世は腕利きのイランのタイル職人を多数イズニックに招き、16世紀にはおよそ600もの釜が設置されていたと言います。今日、イズニックタイルの多くはイスタンブールやブルサのモスクで目にする事ができます。

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聖ソフィア(Aya Sofya)

イズニック
ユスチニアヌス帝の時代に3つの身廊を備えた教会堂として建設され、787年には第7回宗教会議の舞台となっています。1065年の地震の後に再築されましたが、大理石とモザイクによって覆われている壁は損傷が著しいです。14世紀にはオスマン・トルコ人によってモスクに変換され、1966年にキリストやマリア、洗礼者聖ヨハネを描いたビザンチン時代のフレスコ画が発見されています。

ニルファーハトゥン・イマーレティ

1338年にスルタン・ムラト1世が母御ニルファーハトゥンに捧げたかつての貧民救済の為の厨房は初期オスマン建築の重要な一例です。今日、建物は大理石の石棺等、ビティニアからの発掘物やイズニック産のトルコタイルを展示する博物館となっています。

緑のモスク(Yeşil Camii)

緑のモスク
1378年、首長ハイレッディン・パシャによって建てられた初期オスマン時代のモスクは、中央ドームを有するものとして初のものです。3つの回廊がある大理石の広間は4本の柱で支えられています。ミフラブはオスマン・トルコ初期の石細工の典型的な例と言えます。

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城壁と門

城壁
イズニックの城壁と門は史跡として最も重要で保存状態も良好であり、訪れる人々に深い印象を与える過ぎ去った数世紀の歴史的記念碑と言えます。都市を包囲する2900mのヘレニズムの城壁は現存しません。現在目にできる4430mの城壁はローマ・ビザンチン時代の物で、城壁のほとんどはハドリアヌス帝の時代に築かれ、8世紀まで絶えず改良の手が加えられました。本来の4つの門の内、現在3つが残っています。
イスタンブールの門(北門):最も保存状態の良い門です。中央のアーチ型の通りの両側にもそれぞれ通路があります。

レフケの門(東門)

レフケの門
ローマ時代の凱旋門をしのばせます。ハドリアヌス帝への賛辞が刻まれる門は地震の後に再建されています。

イェニシュヒルの門(南門)

ゴート人によって造られた門ですが、戦いによる破壊の跡が著しいです。湖の西側にはかつて湖の門(西門)が存在しましたが現存はしていません。南部、末々と薮の間に見られるハドリアヌス帝の時代のローマの劇場は印象的です。角ばった塔のある内壁はおそらく高さ10m、厚さ5~7mはあるかと思われます。広さ161のギャラリーの前には低い壁や墓地が見られました。

 
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