トルコ基本観光情報
トルコ人と日本人は兄弟?!歴史や特徴、性格、生活スタイルを紹介
アジアとヨーロッパの境目に位置するトルコはアジアの西端、その東端にある日本との距離は8,527kmと遠い国のようですが、実は両国には深い交流の歴史があります。
多くの世界遺産を有し、異国情緒あふれる魅力満載なトルコは、旅行先として日本人からの人気が高まっていますが、現地で暮らすトルコ人がどのような人々かよく知らないという方も多いのではないでしょうか?
ここでは、トルコ人の特徴や歴史、性格、生活スタイルなどをまとめて解説します。
「トルコ人」と言うと、現在のトルコ共和国の国民が思い浮かぶかと思います。
狭義の現在のトルコ人は、「トルコ国籍を有するトルコ国民」を指します。英語で「TURKISH」と呼ばれている人たちです。
トルコ共和国成立直後の1924年に制定された憲法にて、「国民としてトルコに住居する者は、宗教及び人種の別なく‘トルコ人(Türk)’と呼ばれる(第88条)」と決定されました。
そして、現行憲法でも「トルコ国家に国籍の紐帯で結ばれた者はすべてトルコ人(Türk)である(第66条)」という文言で引き継がれています。
トルコ共和国ってどんな国?知られざるトルコの10の魅力
広義のトルコ人は「トルコ系民族」を指します。このトルコ系民族とは、古代より内陸アジアに広がる草原で騎馬遊牧民として生活していた“チュルク諸語を話す民族”の総称であり、人種は関係なく、チュルク諸語を母語としている民族です。
英語では、この広義のトルコ人のことを現在の狭義のトルコ人と区別するために「TURKIC」と呼びます。
中央アジアで遊牧をしながらその後西進し、西アジア、アナトリアで定着してセルジューク朝、オスマン帝国を建国したトルコ系民族が、現在のトルコ共和国民のルーツです。
また、トルコ系民族はトルコ共和国だけでなく、ほかにも歴史の過程で西アジア、ロシア、ウイグル地区など、過去に“トルコ人の土地”を意味する「トルキスタン」と呼ばれていた中央アジア全般のとても広い範囲に分布しています。
なお、早い時期からイスラム教を受容してきたので、現在トルコ系民族のほとんどがイスラム教徒です。ちなみに、全世界で2億5千万人程いるとされるトルコ系民族の約3分の1が、トルコ共和国に住んでいるとも言われています。
イスラム教をどこよりも分かりやすく解説!教典の教え、食事・礼拝・服装ルールなど
現在のトルコ共和国国籍保持者は「トルコ人」と言われますが、実際トルコ人はトルコ系だけでなく、色々な人種で構成されています。トルコの地理的状況により昔から民族の興亡が絶え間なく続いてきたため、民族構成は複雑で色々な人種が存在するのです。
金髪碧眼の白人系、赤毛、浅黒い肌、黄色系の肌、グリーンアイ、黒褐色の目、ヘーゼルアイなど見た目も様々で、顔だちもスラブ系、ラテン系、西欧系、アジア系、中東系、アフリカ系など色々な要素が混ざっています。
トルコはまさに“人種のるつぼ”。現在はほとんど民族同化し混血しており“~人”とは言いきれないため、“~人系”と呼ぶのが正しいかもしれません。トルコでは8割強をトルコ人系が占めていますが、多種多様な人種が混在しています。
ここでトルコ国内の主な人種構成をご紹介したいと思います。
<主要構成人種>
<その他少数派>
現在のトルコは世俗主義の政教分離の国であり、信教の自由が許されていますが、国民の90%がイスラム教徒です(つい数年前までは99%でした)。
と言いましても全員が熱心で敬虔なイスラム教徒という訳ではなく、日本人があなたの宗教は?と聞かれて仏教かな…と思うのと同じように、一応イスラム教に帰属していると言う人も大勢います。
共和国になる前のオスマン帝国がトルコ人のイスラム教国家であったため、その宗教的文化が残り、イスラム教の人口が多いわけです。
しかし、それ以前この地はビザンツ帝国でキリスト教東方正教会の国であり、またかつてはキリスト教布教の地で初期教会があった場所でもあり、そして現在アルメニア人系も多く住んでいるため、キリスト教徒も一定数存在します。
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トルコでの宗教を書き出してみますと、
トルコ人は昔からお互いの宗教にとっても寛大で尊重しあって生きてきました。
現在トルコの義務教育では、4年生から宗教学としてイスラム教の授業が必須導入されています。しかし、近年の若者たち、特に大都市やリベラルな西部トルコでは、無宗教・無神論者・理神論者も増加しており人口の10%近く、若しくはそれ以上までに上がっているなどリベラル化が進んでいるのが現状です。
トルコの人々は皆イスラム教徒?政教分離の国トルコの宗教事情
現在トルコ人と言われる狭義のトルコ人はトルコ共和国内に住んでいます。しかし、コソボ、北マケドニア、ブルガリア、ギリシャ、ルーマニアなどのバルカン半島の国々や、キプロス、ジョージア、イラク、シリアなど、いわゆる広大な領土を有していたオスマン帝国の旧領土にも、帝国滅亡後にそのまま残りその国の少数民族として住んでいるトルコ人が多くいます。
また共和国樹立後の20世紀には、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、オーストリア、ベルギー、デンマーク等のヨーロッパ、及びアメリカやオーストラリアに移民として定住し、帰化したトルコ人のケースが多数あります。
特にドイツには20世紀半ばからトルコ人労働者が多く移民しました。
ドイツにはトルコ移民によってリトル・イスタンブールが形成され、彼らの多くはサービス業や飲食業で起業しています。その中であのトルコのドネルケバブもトルコ移民によりドイツにもちこまれ、ベルリンでは名物料理としてすっかり定着し、日本で有名なケバブサンドは実はこの様なドイツのトルコ人移民によって開発されました。
ドネルケバブはトルコの国民食!簡単本格レシピや現地のおすすめ店
中央アジア遊牧民族であったトルコ系民族が、現在のアナトリアの地で共和国を樹立し「トルコ人」となるまでの歴史をここでたどってみましょう。
丁零はその後、高車(こうしゃ)、鉄勒(てつろく)と名が変わります。ちなみにこの鉄勒もテュルクの音写です。
その後、アルタイ山脈の南にてモンゴル系民族「柔然」に隷属していた鉄勒の一部のトルコ系民族「突厥(とっけつ)/テュルク」が、552年に柔然を滅ぼして周辺諸民族を征服し、モンゴル高原一帯に大帝国「突厥可汗国」を築きます。
これが、トルコ系民族初の大遊牧国家であり、トルコ共和国へとあゆむ初めの一歩となりました。
「突厥」はテュルクの漢語音写ですが、彼らは独自の古テュルク語の突厥文字を持ち、初めて自分たちの事をテュルクの名で記録しました。
なお、イラン系のササーン朝ペルシャと協力しエフタルを滅亡させるなどトルコ系民族の中で突出して強かったのが突厥でした。
突厥の衰退後、トルコ系民騎馬民族のウイグル部が独立し、744年に遊牧国家「ウイグル国(回鶻)」を成立させてトルキスタンに定住します。そして当地のイラン系民族などと共存したことにより、中央アジアがトルコ化されていきました。
840年のウイグル王国の崩壊後は、10世紀中半にベラサグン(現在のキルギスのブラナ遺跡)を首都としてトルコ系民族で初めてイスラム教を受容し国教としたトルコ系最初の王朝「カラハン朝」がカルルク族により建国されたことで、トルコ・イスラム文化の基礎が築かれました。そして、トルコ系民族にイスラム教が広がることになったのです。
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このオグズ葉護国の司令官であったセルジューク・ベイは、君主と仲違いして独立し、自身の氏族であったクヌク氏族を引き連れてジェンド(現カザフスタンのクズロルダ州の都市)に移り住み、ここでイスラム教に帰依します。
これ以降、ムスリムになったオグズ族は “トゥルクマーン(トゥルクメン)”と呼ばれるようになりました。後には、オグズ族の別称としても使われるようになります。
セルジューク・ベイは、非ムスリムとの聖戦ジハードを始め、またカラハン朝やサーマーン朝を後退させることに成功し、セルジューク王朝設立への基礎を造りました。
セルジューク・ベイの孫トゥグリルベクが、西トルキスタンで樹立させたセルジューク朝が11世紀に西アジアに進出し、イスラム化しながら当時ビザンツ帝国の領地であったアナトリアに侵攻し多くのトゥルクマーンがこの地に移住しました。
そして、セルジューク朝滅亡後にこの地を継いだルーム・セルジューク朝の末期、1299年にアナトリア北西部でオグズ族カユ氏族の族長オスマン・ベイがオスマン侯国を建国します。
そして、アナトリアで群雄割拠していた他のトルコ系君侯国の中でも、このオスマン侯国が急速に強大化し、ビザンツ帝国を滅亡させてオスマン帝国となり、領土を広げながら600年以上にわたり繁栄を極めました。
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このように、13世紀以降トルコ民族は宗教、文化、習慣、言語を共有しながら民族同化を行い、完璧にアナトリアをトルコ人の地と化していきました。また、オスマン帝国の領土拡大に伴ってギリシャや東欧、バルカン半島、シリアなどの周辺地域にもトルコ人が定着したのです。
トルコ系民族はアナトリアを征服してからもテュルク(Turk)と呼ばれており、トルコ人がいるアナトリア地域のことを、西欧では12世紀に初めて中世ラテン語で“トルコ人(テュルク)の地”を意味する「Turquia/Turcmenia」と呼ぶようになりました。
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1922年オスマン帝国が滅亡し、1923年に初代大統領ムスタファ・ケマル・アタトゥルクによってトルコ共和国が建国されます。
トルコ共和国の「トルコ」は、トルコ語でTürkiye(トゥルキイェ)。当時まで西洋で呼ばれていた“トルコ人の地”=Tourkia(Turquia)が採用されて共和国の名となりました。
そして、この“トルコ人の地”に住んでいる国民が人種は関係なく「トルコ人」となったのです。
東西の十字路であるトルコは本当に西洋と東洋がおり合わさったオリエンタルな人たちで、一貫して「これがトルコ人!」と言えないのがトルコ人の特徴かもしれません。
そんなトルコ人の外見や性格の一般的な特徴をここであげてみたいと思います!
東西文明が交じり合ったトルコでは、トルコ人と言っても中央アジアのトルコ民族の特徴を残しつつも、アジア・ヨーロッパ・中東など全ての要素が含まれ、目の色も肌の色も髪の色も本当に十人十色です。
基本エキゾチックで目鼻立ちがハッキリとしていますが、どことなく温かみがあって親しみやすい顔立ちで、中には全ての人種のいいとこどりしたような、ついつい目を奪われてしまうオリエンタルな顔立ちのイケメンや美女も沢山います。
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ちなみにトルコ人の平均身長(2021年調べ)は、男性177cm、女性164cmと、近年は伸びている傾向にあります。
言わずもがなトルコを代表する有名人と言えば、トルコ共和国建国の父ムスタファ・ケマル・アタトゥルクです。この方無くして今のトルコはありませんでした。
祖国トルコを欧州列国の侵略から救い出す為、腐りきったオスマン帝国のスルタンを廃位させて消滅させ、列強に勝利し、トルコの地を守り抜いた英雄です。100年近くたつ今でも、カリスマ的にトルコ国民から親しまれ、尊敬されてやまない人物です。
【トルコ建国の父】ムスタファ・ケマル・アタテュルクの歴史と偉業
2017年にセクシーな塩振り姿を披露して一躍有名になり、世界中のメディアで話題となったのがステーキ店「ヌスレット(Nusr-et)」のオーナーシェフであるヌスレット・ギョクチェ氏です。お肉をこよなく愛する彼は、ソルト・ベイ(ベイはトルコ語での男性敬称)の名でも有名です。
東トルコのエルズルム出身のクルド系トルコ人の彼は、小学校卒業後に肉屋で働き始め、2010年27歳の時にヌスレット・ステーキハウスと言う名で自分の店を構えます。そして今では世界中に10数店舗を持つほどに成功しました。
天才・鬼才と呼ばれている国際舞台で活躍しているピアニスト兼作曲家であるファジル・サイ。何かにとりつかれたかのように没頭してピアノを弾く姿がとっても印象的で、またその演奏技術も超絶的です。
彼のJazz風にアレンジしたモーツァルトのトルコ行進曲「Alla Turca Jazz」は、日本人でピアノを弾くひとなら御存じの方も多いはず。日本にも時々公演に訪れていますので、機会があれば是非コンサートに足を運んでみて下さい。
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2006年にトルコ人として史上初となるノーベル文学賞を受賞したのが作家のオルハン・パムックです。トルコの歴史と現在、東洋と西洋を書く現代文学者で、1998年に発表された「私の名は紅」はいくつもの国際的な賞を獲得し世界中でベストセラーにもなりました。
日本でも「私の名は紅」「雪」「無垢の博物館」など多くの日本語訳本が出ていますので、是非一度パムック文学の世界で描かれているトルコへ足を踏み入れてみて下さい。
彼が1955年に広島原爆投下で亡くなった7歳の少女をテーマにして書いた詩「死んだ女の子(Kız Çocuğu)」は歌にもなり日本でも知られています。最近では、坂本龍一氏プロデュースで歌手の元ちとせさんが歌ったこの歌は、映画「キャタピラー」の主題歌ともなりました。
何かと話題が絶えず日本のニュースにも良く出てくるトルコ大統領レジェップ・タイイプ・エルドアンは皆さんご存じですよね。彼はイスタンブール市長になった後、公正発展党(AKP)党首として2003年から2014年の11年間首相を務め、2014年に大統領に就任し、現在まで20年近くに及び庶民層のイスラム信者の根強い支持を得ながら長期政権を継続しています。
大国にも臆せず物申す外交姿勢はすごいのですが、政教分離のトルコでイスラム主義を推し進め、近年はあのアヤソフィアもモスクへと変えてしまう程の強硬姿勢により、都市のリベラル層や世俗主義層からは強い反感を持たれて溝は深まるばかりです。
エルドアン氏は2018年に首相を廃止し、現在トルコは彼の独裁まっしぐらな状態。トルコは今後どの様な道を進んで行くのか見所です。
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彼女は父がトルコ人、母がドイツ人のハーフでブルーアイにブロンドの髪の毛がとっても印象的で魅力的な女優さんです。現在は女優業をつづけながらもベルリンで二児のお母さんになっています。
ハレムは男子禁制の秘密の花園?!本来の意味やオスマン帝国ハレムの実態
COVID-19のワクチンで有名なビオンテック社CEOのウール・シャーヒン氏。彼はトルコで生まれ4歳の時にドイツへ移民しました。彼の妻でCMOのオズレム・テュレジ氏はトルコ人移民2世であり、二人ともトルコ系ドイツ人です。移民者でありながら当地で医療の世界にて大活躍しています。
トルコ人で検索すると、「しつこい」「嘘つき」などネガティブなワードが出てきたりしますが、実際それは観光地のほんの一部のトルコ人のこと。本当のトルコ人は明るくて陽気で親切であまり裏表のないポジティブな性格の人が多い国民です。
トルコ人は親日的で、日本人の私達と出会ってお話ししたいとうずうずしている人たちが沢山います。是非トルコ人の性格を知って、トルコ人と接してみて下さい。すぐにお友達ができること間違いありません!
トルコ人は幼稚園時から愛国教育がしっかりとなされ、学校では月曜日の朝礼で必ず国歌斉唱がなされ、そして各教科書の初めのページには国歌歌詞とトルコ国旗、アタトゥルクの肖像が描かれています。そして、祝日にはトルコ全土が真っ赤なトルコ国旗で埋め尽くされるほど。
トルコ人は本当に祖国を愛している人ばかりです。トルコ国旗、国歌、アタトゥルクを軽蔑することは御法度なのでお気を付けください。
トルコではイスラム教が文化の根底にある為、道徳観や年長者を敬う文化があります。挨拶を尊重する国ですので、会った人には「メルハバ(Merhaba)/こんにちは」「ナスルスヌズ?(Nasılsınz?)/ご機嫌いかが?」と声かけるのがエチケット。そして知り合いに会ったときは頬と頬でキスしてハグの挨拶をします。
ちなみに、親戚・家族の年長者に会った際は、年長者の手の甲にキスをして額に当てて敬意を表します。
トルコでの挨拶の基本!トルコ語でありがとう、こんにちは はどう伝えれば良いの?
お客様には、料理に飲み物にもうお腹いっぱいで食べられないと言うくらい、これでもかと食べさせますのでご注意ください。
そしてされた恩はかならず返さないと済まない人たちで律儀もあります。
構えや距離感はあまりなく、初対面でも気軽に声をかけて内輪にいれてくれます。そして、同性同士でも腕を組んだり肩を組んだり握手をしたりスキンシップも多いので、日本人からすると少し驚いてしまうかもしれません。
外見にも自信のある人が多いので身だしなみはきちっとしています。
国際結婚が増加している中、トルコ人と出会って恋愛することがあるかもしれません。
そんな時、日本人がトルコ人と恋愛・結婚する上で知っておきたいポイントをここでご紹介いたします。
トルコ料理は世界三大料理の一つということはご存じでしょうか。黒海・地中海・エーゲ海に囲まれ、海の幸や陸の幸の食材が豊富にとれる地理的環境にも恵まれたトルコには美味しい料理が沢山あります。
そんなトルコですが、トルコ人は基本的に肉好きで主食はパン。日本と同じくお米も良く食べられます。そして、何といっても乳製品が豊富で、チーズ、ヨーグルトは食卓に無くてはならない食材です。
海に囲まれていますので魚介類も豊富にありますが、どちらかと言うと高価な食材ですので、頻繁に食べるわけではありません。特に海沿い地域では好まれて食べられますが内陸ではあまり食べられません。魚よりも肉派ですね。
色んな人種が交わった国ですが、食には保守的です。トルコ料理と言うしっかりとした食文化が確立されているせいか、他国の料理はあまり食べません。
なお、トルコ人が愛してやまないのがケバブです。シシケバブやドネルケバブは正にトルコ人のソウルフードと言っても過言ではありません。シャルガンと言う紫人参のドリンクやアイランを片手に軽食として、白濁酒ラクを片手に御馳走としても食べられるトルコを代表する料理です。
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しかし、広いトルコには人口の10%以上トルコ語を母語としない人々もいます。彼らはクルド語、アラビア語、ザザ語、ラズ語、アルメニア語などを母語としておりますが、教育の場や公共の場など通常は公用語のトルコ語を話しています。
トルコ語を話しましょう!日本語と同じ言語グループに属したトルコ語の勉強は簡単です。
11世紀セルジューク朝時代にアナトリアに入ったトルコ系民族は、その後のオスマン帝国時代、もともとのチュルク諸語にアラビア語やペルシャ語を採り入れたトルコ語およびオスマン文字を発展させました。
トルコ共和国成立後は、初代大統領アタテュルクが行ったラテン文字への文字改革により現代トルコ語が確立し、公用語として純粋なトルコ語への移行を推進したのです。
公用語がトルコ語のトルコですが、日本と比べるともう少し一般的に英語が通用すると言えます。特に都市部の若者でしたら大体の人が基本的な英語を知っていると言えるかと思います。
しかし、簡単な単語くらいしか英語を知らないのに知ったかぶりする人もいるので気を付けましょう。
レストランなどのメニューではトルコ語とともに英語の表記もある事がほとんどです。
ただ、タクシーや公共バスなどの運転手は英語が話せない人も多いので、簡単な単語とジェスチャーでコミュニケーションをとることをお勧めします。
実際、色んな民族の興亡があった地理的条件のためか、トルコ人の外国語習得能力はかなり高く、英語はもちろんスペイン語やドイツ語など数か国語を話せる人が沢山います。外国人に接する機会が多いのも彼らにとっても大きい理由かもしれません。日本語も会話だけでしたら本当にあっという間に習得してしまうので驚きです。
ユーラシア大陸を挟んで西端にあるトルコと東端にある日本。距離は遠くてもトルコ人はとっても親日的で、どことなく親近感があり共通点も多く見受けられます。そんなトルコ人と日本人にはどんな関係があるのでしょうか。
これは実際、紀元前3~4世紀頃ユーラシア大陸で強大な勢力を持っていた「匈奴」が東西に分かれて広がり、一方はトルコに、もう一方は日本にやってきたという説もあるくらいですので、あながち間違っていないのかもしれません。
トルコ人と日本人は同じアルタイ語族で、トルコ人は日本人と同じく元々モンゴロイドでした。ですので、トルコ人と日本人の祖先が同じと言う考えもロマンがあって素敵ですよね。
オスマン帝国末期、日本は明治時代の1890年。明治天皇への表敬訪問を終えたオスマン帝国親善大使を含めトルコ人海軍600名以上を乗せた軍艦エルトゥールル号は、トルコへの帰路に立ってすぐ、9月15日夜22時半ごろ悪天候のため和歌山県串本町沖にて座礁して沈没しまうのです。
死亡者587名、串本の村人総出の必死の救難活動により69名が無事に助かることができました。村人たちは遺体を丁寧に葬り、ありったけの物資で懸命に介護をします。回復に向かった生存者69名は日本政府により軍艦「比叡」と「金剛」にてイスタンブールへ送還されました。
時のオスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世は、この日本の尽力に対して感謝したとともにオスマン帝国の市民も遠い日本に感銘を受けたと言います。
時は下り、イラン・イラク戦争時の1985年。当時のイラク大統領サダム・フセインは、「外国籍の民間機も含めて、48時間後からイラン上空を飛行する航空機を無差別に全て撃ち落とす」ことを宣言します。
他国政府ははイランに飛行機を飛ばして自国民を早々と救出する中、日本政府は安全が保障されない中救援の飛行機を送ることができず、日本人215名がテヘランに取り残されている状態でした。タイムリミットが迫るなかで窮状を訴えた日本大使の言葉に応じたのが、トルコ政府とトルコ航空でした。
危険をかえりみずイランへ向かったトルコ航空機が日本人全員を乗せてテヘランから飛び立ったのは、なんとタイムリミットの1時間15分前だったと言います。しかも、テヘランにはまだ取り残されていたトルコ国民が500人程いたにもかかわらず、日本人を優先して救出したのです。因みに、このトルコ人達は陸路にてトルコに避難しました。
この救出劇の裏には、トルコ政府の「エルトゥールル号遭難時に受けた恩を返しただけ」と言う思いがあったと言い、トルコは約100年の時を得てエルトゥールル号遭難時の恩を返したのです。この様に、トルコと日本は昔から強い絆で結ばれています。
トルコ航空オフィシャルサイト(日本語)
https://www.turkishairlines.com/ja-jp/
トルコと日本の深い関係とは?エルトゥールル号遭難事件や交流の歴史
多くの世界遺産を有し、異国情緒あふれる魅力満載なトルコは、旅行先として日本人からの人気が高まっていますが、現地で暮らすトルコ人がどのような人々かよく知らないという方も多いのではないでしょうか?
ここでは、トルコ人の特徴や歴史、性格、生活スタイルなどをまとめて解説します。
目次
トルコ人とは?
「トルコ人」と言うと、現在のトルコ共和国の国民が思い浮かぶかと思います。
狭義の現在のトルコ人は、「トルコ国籍を有するトルコ国民」を指します。英語で「TURKISH」と呼ばれている人たちです。
トルコ共和国成立直後の1924年に制定された憲法にて、「国民としてトルコに住居する者は、宗教及び人種の別なく‘トルコ人(Türk)’と呼ばれる(第88条)」と決定されました。
そして、現行憲法でも「トルコ国家に国籍の紐帯で結ばれた者はすべてトルコ人(Türk)である(第66条)」という文言で引き継がれています。
トルコ共和国ってどんな国?知られざるトルコの10の魅力
広義のトルコ人「トルコ系民族(英:TURKIC)」
広義のトルコ人は「トルコ系民族」を指します。このトルコ系民族とは、古代より内陸アジアに広がる草原で騎馬遊牧民として生活していた“チュルク諸語を話す民族”の総称であり、人種は関係なく、チュルク諸語を母語としている民族です。
英語では、この広義のトルコ人のことを現在の狭義のトルコ人と区別するために「TURKIC」と呼びます。
中央アジアで遊牧をしながらその後西進し、西アジア、アナトリアで定着してセルジューク朝、オスマン帝国を建国したトルコ系民族が、現在のトルコ共和国民のルーツです。
また、トルコ系民族はトルコ共和国だけでなく、ほかにも歴史の過程で西アジア、ロシア、ウイグル地区など、過去に“トルコ人の土地”を意味する「トルキスタン」と呼ばれていた中央アジア全般のとても広い範囲に分布しています。
なお、早い時期からイスラム教を受容してきたので、現在トルコ系民族のほとんどがイスラム教徒です。ちなみに、全世界で2億5千万人程いるとされるトルコ系民族の約3分の1が、トルコ共和国に住んでいるとも言われています。
イスラム教をどこよりも分かりやすく解説!教典の教え、食事・礼拝・服装ルールなど
トルコ国民の人種
現在のトルコ共和国国籍保持者は「トルコ人」と言われますが、実際トルコ人はトルコ系だけでなく、色々な人種で構成されています。トルコの地理的状況により昔から民族の興亡が絶え間なく続いてきたため、民族構成は複雑で色々な人種が存在するのです。
金髪碧眼の白人系、赤毛、浅黒い肌、黄色系の肌、グリーンアイ、黒褐色の目、ヘーゼルアイなど見た目も様々で、顔だちもスラブ系、ラテン系、西欧系、アジア系、中東系、アフリカ系など色々な要素が混ざっています。
トルコはまさに“人種のるつぼ”。現在はほとんど民族同化し混血しており“~人”とは言いきれないため、“~人系”と呼ぶのが正しいかもしれません。トルコでは8割強をトルコ人系が占めていますが、多種多様な人種が混在しています。
ここでトルコ国内の主な人種構成をご紹介したいと思います。
<主要構成人種>
- トルコ人系(人口の約80%)
- クルド人系(人口の約13%)
<その他少数派>
- アラブ人系(人口の約2%)
- チェルケス人系(人口の約2%)
- アルメニア人系(人口の約1%)
- ザザ人系(人口の約0.5%)
- ラズ人系(人口の約0.02%)
- ジョージア人系
- ボシュニャク人系
- ブルガリア人系
- ギリシャ人系
- アルバニア人系
- スロベニア人系
- ロマ
- スルヤーニ
- ポマク人系
トルコ人の宗教
現在のトルコは世俗主義の政教分離の国であり、信教の自由が許されていますが、国民の90%がイスラム教徒です(つい数年前までは99%でした)。
と言いましても全員が熱心で敬虔なイスラム教徒という訳ではなく、日本人があなたの宗教は?と聞かれて仏教かな…と思うのと同じように、一応イスラム教に帰属していると言う人も大勢います。
共和国になる前のオスマン帝国がトルコ人のイスラム教国家であったため、その宗教的文化が残り、イスラム教の人口が多いわけです。
しかし、それ以前この地はビザンツ帝国でキリスト教東方正教会の国であり、またかつてはキリスト教布教の地で初期教会があった場所でもあり、そして現在アルメニア人系も多く住んでいるため、キリスト教徒も一定数存在します。
意外と知らないキリスト教の基礎知識!歴史や教え、ルールなどを簡単に解説
トルコでの宗教を書き出してみますと、
- イスラム教:約90%(内83%がスンナ派、14%がアレヴィー派)
- キリスト教:約0.4%
→人口の多い順に、アルメニア使徒教会、カトリック、シリア正教会(スルヤーニ)、ロシア正教会、プロテスタント、エホバの証人、カルデア典礼カトリック教会、ギリシャ正教、その他正教会(正教会の筆頭各コンスタンティノープル世界総主教庁はイスタンブールに在ります) - ユダヤ教 (カトリックの次に多い宗教)
- バハイ教 (ロシア正教よりも少なく、プロテスタントとほぼ同数)
トルコ人は昔からお互いの宗教にとっても寛大で尊重しあって生きてきました。
現在トルコの義務教育では、4年生から宗教学としてイスラム教の授業が必須導入されています。しかし、近年の若者たち、特に大都市やリベラルな西部トルコでは、無宗教・無神論者・理神論者も増加しており人口の10%近く、若しくはそれ以上までに上がっているなどリベラル化が進んでいるのが現状です。
トルコの人々は皆イスラム教徒?政教分離の国トルコの宗教事情
世界に住むトルコ人
現在トルコ人と言われる狭義のトルコ人はトルコ共和国内に住んでいます。しかし、コソボ、北マケドニア、ブルガリア、ギリシャ、ルーマニアなどのバルカン半島の国々や、キプロス、ジョージア、イラク、シリアなど、いわゆる広大な領土を有していたオスマン帝国の旧領土にも、帝国滅亡後にそのまま残りその国の少数民族として住んでいるトルコ人が多くいます。
また共和国樹立後の20世紀には、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、オーストリア、ベルギー、デンマーク等のヨーロッパ、及びアメリカやオーストラリアに移民として定住し、帰化したトルコ人のケースが多数あります。
特にドイツには20世紀半ばからトルコ人労働者が多く移民しました。
ドイツにはトルコ移民によってリトル・イスタンブールが形成され、彼らの多くはサービス業や飲食業で起業しています。その中であのトルコのドネルケバブもトルコ移民によりドイツにもちこまれ、ベルリンでは名物料理としてすっかり定着し、日本で有名なケバブサンドは実はこの様なドイツのトルコ人移民によって開発されました。
ドネルケバブはトルコの国民食!簡単本格レシピや現地のおすすめ店
トルコ人の歴史
中央アジア遊牧民族であったトルコ系民族が、現在のアナトリアの地で共和国を樹立し「トルコ人」となるまでの歴史をここでたどってみましょう。
トルコ民族の始祖
世界史上トルコに関する最古の記録は、紀元前3世紀ごろの中国の史料に登場する「狄(てい)」や「丁零(ていれい)」と言われています。これはどちらも彼らが自称していた「テュルク」の発音を中国が音写したもので、当時彼らは南シベリアからモンゴルあたりに住んでいたモンゴロイドの遊牧民族でした。丁零はその後、高車(こうしゃ)、鉄勒(てつろく)と名が変わります。ちなみにこの鉄勒もテュルクの音写です。
その後、アルタイ山脈の南にてモンゴル系民族「柔然」に隷属していた鉄勒の一部のトルコ系民族「突厥(とっけつ)/テュルク」が、552年に柔然を滅ぼして周辺諸民族を征服し、モンゴル高原一帯に大帝国「突厥可汗国」を築きます。
これが、トルコ系民族初の大遊牧国家であり、トルコ共和国へとあゆむ初めの一歩となりました。
「突厥」はテュルクの漢語音写ですが、彼らは独自の古テュルク語の突厥文字を持ち、初めて自分たちの事をテュルクの名で記録しました。
なお、イラン系のササーン朝ペルシャと協力しエフタルを滅亡させるなどトルコ系民族の中で突出して強かったのが突厥でした。
トルコ民族が中央アジアをトルコ化
突厥の衰退後、トルコ系民騎馬民族のウイグル部が独立し、744年に遊牧国家「ウイグル国(回鶻)」を成立させてトルキスタンに定住します。そして当地のイラン系民族などと共存したことにより、中央アジアがトルコ化されていきました。
840年のウイグル王国の崩壊後は、10世紀中半にベラサグン(現在のキルギスのブラナ遺跡)を首都としてトルコ系民族で初めてイスラム教を受容し国教としたトルコ系最初の王朝「カラハン朝」がカルルク族により建国されたことで、トルコ・イスラム文化の基礎が築かれました。そして、トルコ系民族にイスラム教が広がることになったのです。
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トルコ系民族オグズ族が南下、西進
このカラハン朝の傘下にはトルコ系民族オグズ族がいました。このオグズ部族は766年にはカスピ海の東部に初めてオグズ葉護(ヤブグ)国をつくり、そして10世紀にカラハン朝傘下に入ります。このオグズ葉護国の司令官であったセルジューク・ベイは、君主と仲違いして独立し、自身の氏族であったクヌク氏族を引き連れてジェンド(現カザフスタンのクズロルダ州の都市)に移り住み、ここでイスラム教に帰依します。
これ以降、ムスリムになったオグズ族は “トゥルクマーン(トゥルクメン)”と呼ばれるようになりました。後には、オグズ族の別称としても使われるようになります。
セルジューク・ベイは、非ムスリムとの聖戦ジハードを始め、またカラハン朝やサーマーン朝を後退させることに成功し、セルジューク王朝設立への基礎を造りました。
トルコ民族がアナトリアの地へ
セルジューク・ベイの孫トゥグリルベクが、西トルキスタンで樹立させたセルジューク朝が11世紀に西アジアに進出し、イスラム化しながら当時ビザンツ帝国の領地であったアナトリアに侵攻し多くのトゥルクマーンがこの地に移住しました。
そして、セルジューク朝滅亡後にこの地を継いだルーム・セルジューク朝の末期、1299年にアナトリア北西部でオグズ族カユ氏族の族長オスマン・ベイがオスマン侯国を建国します。
そして、アナトリアで群雄割拠していた他のトルコ系君侯国の中でも、このオスマン侯国が急速に強大化し、ビザンツ帝国を滅亡させてオスマン帝国となり、領土を広げながら600年以上にわたり繁栄を極めました。
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このように、13世紀以降トルコ民族は宗教、文化、習慣、言語を共有しながら民族同化を行い、完璧にアナトリアをトルコ人の地と化していきました。また、オスマン帝国の領土拡大に伴ってギリシャや東欧、バルカン半島、シリアなどの周辺地域にもトルコ人が定着したのです。
トルコ系民族はアナトリアを征服してからもテュルク(Turk)と呼ばれており、トルコ人がいるアナトリア地域のことを、西欧では12世紀に初めて中世ラテン語で“トルコ人(テュルク)の地”を意味する「Turquia/Turcmenia」と呼ぶようになりました。
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トルコ共和国の成立
1922年オスマン帝国が滅亡し、1923年に初代大統領ムスタファ・ケマル・アタトゥルクによってトルコ共和国が建国されます。
トルコ共和国の「トルコ」は、トルコ語でTürkiye(トゥルキイェ)。当時まで西洋で呼ばれていた“トルコ人の地”=Tourkia(Turquia)が採用されて共和国の名となりました。
そして、この“トルコ人の地”に住んでいる国民が人種は関係なく「トルコ人」となったのです。
トルコ人ってどんな人?
トルコ人と言われて思いつくのは、「とってもイスラム感のある中東系の濃い感じの人たち」という方が多いのではないでしょうか。いえいえ、トルコで中東系は本当に微々たるもの。東西の十字路であるトルコは本当に西洋と東洋がおり合わさったオリエンタルな人たちで、一貫して「これがトルコ人!」と言えないのがトルコ人の特徴かもしれません。
そんなトルコ人の外見や性格の一般的な特徴をここであげてみたいと思います!
顔立ち|トルコ人はイケメンや美人が多い?
東西文明が交じり合ったトルコでは、トルコ人と言っても中央アジアのトルコ民族の特徴を残しつつも、アジア・ヨーロッパ・中東など全ての要素が含まれ、目の色も肌の色も髪の色も本当に十人十色です。
基本エキゾチックで目鼻立ちがハッキリとしていますが、どことなく温かみがあって親しみやすい顔立ちで、中には全ての人種のいいとこどりしたような、ついつい目を奪われてしまうオリエンタルな顔立ちのイケメンや美女も沢山います。
アジアとヨーロッパの魅力を併せ持った、トルコ美人
体格|ヨーロッパ系?アジア系?
体格は日本人の私達とあまり変わらず中肉中背が多いけれども、男女ともヨーロッパ人に近いがっしりした骨組みです。男性は20歳になると徴兵に行くので鍛えられてがっちり筋肉質でたくましくなり、女性も比較的グラマラスな人が多いかもしれません。ただ、これも都会と田舎、所得差によっても違ってきて本当に千差万別です。ちなみにトルコ人の平均身長(2021年調べ)は、男性177cm、女性164cmと、近年は伸びている傾向にあります。
トルコ出身の有名人
トルコ人で有名な人…と言われてもあまりピンとこないかと思います。実は、日本でまた世界中で有名なトルコ人は意外といるのです。そんな有名なトルコ人を皆様に知って頂くため、ここでピックアップしてご紹介したいと思います。建国の父「ムスタファ・ケマル・アタトゥルク」
言わずもがなトルコを代表する有名人と言えば、トルコ共和国建国の父ムスタファ・ケマル・アタトゥルクです。この方無くして今のトルコはありませんでした。
祖国トルコを欧州列国の侵略から救い出す為、腐りきったオスマン帝国のスルタンを廃位させて消滅させ、列強に勝利し、トルコの地を守り抜いた英雄です。100年近くたつ今でも、カリスマ的にトルコ国民から親しまれ、尊敬されてやまない人物です。
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塩振りおじさん「ヌスレット・ギョクチェ」
皆さんもテレビなどでご覧になった事があるかと思います。2017年にセクシーな塩振り姿を披露して一躍有名になり、世界中のメディアで話題となったのがステーキ店「ヌスレット(Nusr-et)」のオーナーシェフであるヌスレット・ギョクチェ氏です。お肉をこよなく愛する彼は、ソルト・ベイ(ベイはトルコ語での男性敬称)の名でも有名です。
東トルコのエルズルム出身のクルド系トルコ人の彼は、小学校卒業後に肉屋で働き始め、2010年27歳の時にヌスレット・ステーキハウスと言う名で自分の店を構えます。そして今では世界中に10数店舗を持つほどに成功しました。
ピアノの鬼才「ファジル・サイ」
天才・鬼才と呼ばれている国際舞台で活躍しているピアニスト兼作曲家であるファジル・サイ。何かにとりつかれたかのように没頭してピアノを弾く姿がとっても印象的で、またその演奏技術も超絶的です。
彼のJazz風にアレンジしたモーツァルトのトルコ行進曲「Alla Turca Jazz」は、日本人でピアノを弾くひとなら御存じの方も多いはず。日本にも時々公演に訪れていますので、機会があれば是非コンサートに足を運んでみて下さい。
トルコ行進曲「トルコマーチ」は一つじゃない!ベートーベンとモーツァルトにそれぞれトルコ風に作曲されました
トルコ初ノーベル文学賞作家「オルハン・パムク」
トルコ初ノーベル文学賞作家「オルハン・パムク」
2006年にトルコ人として史上初となるノーベル文学賞を受賞したのが作家のオルハン・パムックです。トルコの歴史と現在、東洋と西洋を書く現代文学者で、1998年に発表された「私の名は紅」はいくつもの国際的な賞を獲得し世界中でベストセラーにもなりました。
日本でも「私の名は紅」「雪」「無垢の博物館」など多くの日本語訳本が出ていますので、是非一度パムック文学の世界で描かれているトルコへ足を踏み入れてみて下さい。
トルコの国民的詩人「ナーズム・ヒクメット」
トルコの国民的詩人「ナーズム・ヒクメット」
20世紀初頭、オスマン帝国の滅亡とトルコ共和国建国という時代に生きたトルコの国民的詩人がナーズム・ヒクメットです。共産主義者であり革命運動家であった彼は、17年の獄中生活、作品の発禁、亡命、トルコ国籍剥奪など波乱万丈な人生をおくっています。彼が1955年に広島原爆投下で亡くなった7歳の少女をテーマにして書いた詩「死んだ女の子(Kız Çocuğu)」は歌にもなり日本でも知られています。最近では、坂本龍一氏プロデュースで歌手の元ちとせさんが歌ったこの歌は、映画「キャタピラー」の主題歌ともなりました。
トルコ大統領「レジェップ・タイイップ・エルドアン」
何かと話題が絶えず日本のニュースにも良く出てくるトルコ大統領レジェップ・タイイプ・エルドアンは皆さんご存じですよね。彼はイスタンブール市長になった後、公正発展党(AKP)党首として2003年から2014年の11年間首相を務め、2014年に大統領に就任し、現在まで20年近くに及び庶民層のイスラム信者の根強い支持を得ながら長期政権を継続しています。
大国にも臆せず物申す外交姿勢はすごいのですが、政教分離のトルコでイスラム主義を推し進め、近年はあのアヤソフィアもモスクへと変えてしまう程の強硬姿勢により、都市のリベラル層や世俗主義層からは強い反感を持たれて溝は深まるばかりです。
エルドアン氏は2018年に首相を廃止し、現在トルコは彼の独裁まっしぐらな状態。トルコは今後どの様な道を進んで行くのか見所です。
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女優「メルイェム・ウゼルリ」
日本でも人気になったトルコ大河ドラマ「オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜」でスレイマン大帝の妃ヒュッレムを演じ、一躍世界的有名女優と伸し上がったのがメルイェム・ウゼルリ。彼女は父がトルコ人、母がドイツ人のハーフでブルーアイにブロンドの髪の毛がとっても印象的で魅力的な女優さんです。現在は女優業をつづけながらもベルリンで二児のお母さんになっています。
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ビオンテック社CEO「ウール・シャーヒン」
COVID-19のワクチンで有名なビオンテック社CEOのウール・シャーヒン氏。彼はトルコで生まれ4歳の時にドイツへ移民しました。彼の妻でCMOのオズレム・テュレジ氏はトルコ人移民2世であり、二人ともトルコ系ドイツ人です。移民者でありながら当地で医療の世界にて大活躍しています。
トルコ人あるある|性格の特徴とは?
トルコ人で検索すると、「しつこい」「嘘つき」などネガティブなワードが出てきたりしますが、実際それは観光地のほんの一部のトルコ人のこと。本当のトルコ人は明るくて陽気で親切であまり裏表のないポジティブな性格の人が多い国民です。
トルコ人は親日的で、日本人の私達と出会ってお話ししたいとうずうずしている人たちが沢山います。是非トルコ人の性格を知って、トルコ人と接してみて下さい。すぐにお友達ができること間違いありません!
愛国家
トルコに訪れると、至る所で赤地に白で三日月と星が描かれたトルコ国旗を目にするかと思います。また、所々でトルコ共和国建国の父アタトゥルクの銅像も目に付くことでしょう。トルコ人は幼稚園時から愛国教育がしっかりとなされ、学校では月曜日の朝礼で必ず国歌斉唱がなされ、そして各教科書の初めのページには国歌歌詞とトルコ国旗、アタトゥルクの肖像が描かれています。そして、祝日にはトルコ全土が真っ赤なトルコ国旗で埋め尽くされるほど。
トルコ人は本当に祖国を愛している人ばかりです。トルコ国旗、国歌、アタトゥルクを軽蔑することは御法度なのでお気を付けください。
礼儀正しい
トルコではイスラム教が文化の根底にある為、道徳観や年長者を敬う文化があります。挨拶を尊重する国ですので、会った人には「メルハバ(Merhaba)/こんにちは」「ナスルスヌズ?(Nasılsınz?)/ご機嫌いかが?」と声かけるのがエチケット。そして知り合いに会ったときは頬と頬でキスしてハグの挨拶をします。
ちなみに、親戚・家族の年長者に会った際は、年長者の手の甲にキスをして額に当てて敬意を表します。
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おもてなし好き
お客様をおもてなしするのが大好きな国民です。家に人を呼ぶのも大好きで、よくホームパーティーも行います。旅人にも優しく、すぐに家に来なさい、泊って行きなさいと大歓迎されるほど。お客様には、料理に飲み物にもうお腹いっぱいで食べられないと言うくらい、これでもかと食べさせますのでご注意ください。
熱血漢・感情的・感情豊か
トルコ人は感情豊かで喜怒哀楽がとってもはっきりしています。熱しやすいので、会話の最中にフィーバーしてしまい討論になることもしばしば…。おせっかい・世話好き・親切
困った人がいたら見て見ぬ振りが出来ない、と言うか口を挟まずにはいられないサービス精神旺盛な人たちです。例えば、外国人旅行者が道を探している素振りを見せるものなら、彼らはトルコ語しか話せなかろうが道を知らなかろうが、自分の仕事を後回しにしてまで連れて行ってくれるほどです!そしてされた恩はかならず返さないと済まない人たちで律儀もあります。
フレンドリー・人懐っこい
構えや距離感はあまりなく、初対面でも気軽に声をかけて内輪にいれてくれます。そして、同性同士でも腕を組んだり肩を組んだり握手をしたりスキンシップも多いので、日本人からすると少し驚いてしまうかもしれません。
おしゃべり好き
老若男女問わず、チャイやコーヒーを片手におしゃべりを始めたら止まりません。トルコでカフェに行くと気づくと思いますが、日本のように一人で本を読む人や勉強や仕事をしている人は少なく、ほとんどが大きなジェスチャーを加えながらおしゃべりで盛り上がっています。男性もみんなで集まって井戸端会議をするのが大好きです。プライド高い・見栄っ張り・超が付く自信家
生まれた時からかわいい!賢い!偉い!良い子!とおだてられて育てられるため、基本的に自分大好きで自分に自信を持った人たちです。ですので、自分の間違いはあまり認めないことも。外見にも自信のある人が多いので身だしなみはきちっとしています。
家族の結びつきが強い
何といっても家族が一番のトルコ人です。子離れできない、親離れできないと言ってしまったら終わりですが、成人して結婚していても毎日親子で電話はかかせず、いつも繋がっています。トルコ人の恋愛・結婚事情
国際結婚が増加している中、トルコ人と出会って恋愛することがあるかもしれません。
そんな時、日本人がトルコ人と恋愛・結婚する上で知っておきたいポイントをここでご紹介いたします。
恋愛編
- 「あなたは綺麗」「あなたの事が気に入った」など甘い言葉や愛情表現はもちろんうれしいですが、ほめ上手なトルコ人にとっては挨拶のような物です。聞き流しておきましょう。
- 恋人からお金に関わることをお願いされた場合、ほぼ恋愛・結婚詐欺だと思ってください。
- トルコ人男性は基本肉食系ですのでかなり積極的です。パートナーになると過保護なほどに優しくしてくれます。トルコ人女性はその反対で、恋愛に慎重でガードが堅いと言えます。
- 基本、嫉妬深いので付き合っている時は毎日一日に何度も電話やメッセージで連絡を要請したり、服装にもチェックが入る事も。恋人がいるのに異性と一緒に出掛けることは友達であっても御法度です。
- イスタンブールなどの都会では恋愛は当たり前でヨーロッパナイズされた思考ですが、田舎出身の方やイスラム色が濃い相手の場合、恋愛=結婚前提と考えている人もまだまだ多くいます。
- プライドも高いので、別れを切り出す際はプライドを傷つけて恨みを買わないようにお気を付けを。
結婚生活編
- 結婚は当事者同士だけという訳に行かず、少し昔の日本のように家族と親戚がかなり大きくかかわってきますので、それは覚悟しましょう。
- 結婚してトルコに住む場合、トルコが好きではない限り愛があっても文化の違いもあり続かないことが多いです。
- トルコではパーティーや会社の宴会など、何かのお呼ばれには夫婦そろって参加するのが一般的です。パートナーの会社仲間の結婚パーティーでも遠慮なく参加しましょう。
離婚編
- 子供が出来て離婚した場合、トルコと日本はハーグ条約に加盟しているため、子供が16歳になるまで離婚相手が承認しない限り子供を居住国から連れ出して帰国できません。気を付けましょう。
- トルコでトルコ人と離婚すると1年以内に配偶者滞在ビザから観光短期滞在ビザに切り替えられてしまいます。ビザが更新できなければ子供を置いて泣く泣く一人で日本に帰らなくてはならないことも…。
トルコ人の食生活の特徴
トルコ料理は世界三大料理の一つということはご存じでしょうか。黒海・地中海・エーゲ海に囲まれ、海の幸や陸の幸の食材が豊富にとれる地理的環境にも恵まれたトルコには美味しい料理が沢山あります。
そんなトルコですが、トルコ人は基本的に肉好きで主食はパン。日本と同じくお米も良く食べられます。そして、何といっても乳製品が豊富で、チーズ、ヨーグルトは食卓に無くてはならない食材です。
海に囲まれていますので魚介類も豊富にありますが、どちらかと言うと高価な食材ですので、頻繁に食べるわけではありません。特に海沿い地域では好まれて食べられますが内陸ではあまり食べられません。魚よりも肉派ですね。
色んな人種が交わった国ですが、食には保守的です。トルコ料理と言うしっかりとした食文化が確立されているせいか、他国の料理はあまり食べません。
なお、トルコ人が愛してやまないのがケバブです。シシケバブやドネルケバブは正にトルコ人のソウルフードと言っても過言ではありません。シャルガンと言う紫人参のドリンクやアイランを片手に軽食として、白濁酒ラクを片手に御馳走としても食べられるトルコを代表する料理です。
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トルコ人の言語
トルコでの公用語はトルコ語で、ラテン文字を使用したトルコ語が使われています。数字も私達日本と同じアラビア数字です。しかし、広いトルコには人口の10%以上トルコ語を母語としない人々もいます。彼らはクルド語、アラビア語、ザザ語、ラズ語、アルメニア語などを母語としておりますが、教育の場や公共の場など通常は公用語のトルコ語を話しています。
トルコ語を話しましょう!日本語と同じ言語グループに属したトルコ語の勉強は簡単です。
トルコ語の歴史
もともとトルコ語は、中央アジアで話されていたトルコ語諸語であり、その主要となるオグズ語群からきた言語で、トルクメン語やアゼルバイジャン語と同じ語群でもあります。11世紀セルジューク朝時代にアナトリアに入ったトルコ系民族は、その後のオスマン帝国時代、もともとのチュルク諸語にアラビア語やペルシャ語を採り入れたトルコ語およびオスマン文字を発展させました。
トルコ共和国成立後は、初代大統領アタテュルクが行ったラテン文字への文字改革により現代トルコ語が確立し、公用語として純粋なトルコ語への移行を推進したのです。
トルコでは英語は通じる?
公用語がトルコ語のトルコですが、日本と比べるともう少し一般的に英語が通用すると言えます。特に都市部の若者でしたら大体の人が基本的な英語を知っていると言えるかと思います。
しかし、簡単な単語くらいしか英語を知らないのに知ったかぶりする人もいるので気を付けましょう。
観光地では?
イスタンブールやカッパドキア等の通常ツアーで行く場所では、だいたい英語が通じますのでご安心ください。お店の人などは英語だけでなく、日本語や中国語、フランス語、アラビア語など商売に十分なくらいの外国語を話せるひとも結構います。レストランなどのメニューではトルコ語とともに英語の表記もある事がほとんどです。
ただ、タクシーや公共バスなどの運転手は英語が話せない人も多いので、簡単な単語とジェスチャーでコミュニケーションをとることをお勧めします。
一般的なトルコ人の英語レベルは?
現在トルコでは英語教育も進んでおり、小学校から英語授業が必須となっております。大学卒となれば英語はビジネスレベルで普通に話せるくらいです。実際、色んな民族の興亡があった地理的条件のためか、トルコ人の外国語習得能力はかなり高く、英語はもちろんスペイン語やドイツ語など数か国語を話せる人が沢山います。外国人に接する機会が多いのも彼らにとっても大きい理由かもしれません。日本語も会話だけでしたら本当にあっという間に習得してしまうので驚きです。
トルコ人と日本人の関係
ユーラシア大陸を挟んで西端にあるトルコと東端にある日本。距離は遠くてもトルコ人はとっても親日的で、どことなく親近感があり共通点も多く見受けられます。そんなトルコ人と日本人にはどんな関係があるのでしょうか。
トルコ人の日本人の祖先は実は同じ?!
トルコ人の中には、「昔、中央アジアにいた民族の内、西に行ったのがトルコ人で東に行ったのが日本人、なのでトルコ人と日本人は兄弟だ」と言う人がよくいます。これは実際、紀元前3~4世紀頃ユーラシア大陸で強大な勢力を持っていた「匈奴」が東西に分かれて広がり、一方はトルコに、もう一方は日本にやってきたという説もあるくらいですので、あながち間違っていないのかもしれません。
トルコ人と日本人は同じアルタイ語族で、トルコ人は日本人と同じく元々モンゴロイドでした。ですので、トルコ人と日本人の祖先が同じと言う考えもロマンがあって素敵ですよね。
トルコと日本の深い絆と交流の歴史
日本とトルコは過去に起きた事件によってとっても深い絆で結ばれてきました。トルコ人がなぜ親日であるかの原点がここにあります。エルトゥールル号遭難の悲劇
オスマン帝国末期、日本は明治時代の1890年。明治天皇への表敬訪問を終えたオスマン帝国親善大使を含めトルコ人海軍600名以上を乗せた軍艦エルトゥールル号は、トルコへの帰路に立ってすぐ、9月15日夜22時半ごろ悪天候のため和歌山県串本町沖にて座礁して沈没しまうのです。
死亡者587名、串本の村人総出の必死の救難活動により69名が無事に助かることができました。村人たちは遺体を丁寧に葬り、ありったけの物資で懸命に介護をします。回復に向かった生存者69名は日本政府により軍艦「比叡」と「金剛」にてイスタンブールへ送還されました。
時のオスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世は、この日本の尽力に対して感謝したとともにオスマン帝国の市民も遠い日本に感銘を受けたと言います。
イランから日本人救出 恩を返したトルコ人
時は下り、イラン・イラク戦争時の1985年。当時のイラク大統領サダム・フセインは、「外国籍の民間機も含めて、48時間後からイラン上空を飛行する航空機を無差別に全て撃ち落とす」ことを宣言します。
他国政府ははイランに飛行機を飛ばして自国民を早々と救出する中、日本政府は安全が保障されない中救援の飛行機を送ることができず、日本人215名がテヘランに取り残されている状態でした。タイムリミットが迫るなかで窮状を訴えた日本大使の言葉に応じたのが、トルコ政府とトルコ航空でした。
危険をかえりみずイランへ向かったトルコ航空機が日本人全員を乗せてテヘランから飛び立ったのは、なんとタイムリミットの1時間15分前だったと言います。しかも、テヘランにはまだ取り残されていたトルコ国民が500人程いたにもかかわらず、日本人を優先して救出したのです。因みに、このトルコ人達は陸路にてトルコに避難しました。
この救出劇の裏には、トルコ政府の「エルトゥールル号遭難時に受けた恩を返しただけ」と言う思いがあったと言い、トルコは約100年の時を得てエルトゥールル号遭難時の恩を返したのです。この様に、トルコと日本は昔から強い絆で結ばれています。
トルコ航空オフィシャルサイト(日本語)
https://www.turkishairlines.com/ja-jp/
トルコと日本の深い関係とは?エルトゥールル号遭難事件や交流の歴史