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トルコ観光名所ガイド

世界遺産トプカプ宮殿はイスタンブールで見逃せない観光名所!見どころを徹底解説


トプカプ宮殿は、アヤソフィアやスレイマニエモスクなどと同じく、世界遺産に登録されている「イスタンブール歴史地区」を構成する代表的な建築物のひとつです。

当時のオスマントルコ帝国の栄華を今に伝えるものとして歴史的価値が高く、宮廷の女性たちの生活の場であったハレムや、ダイヤモンドやエメラルドなどの宝石をあしらった豪華や宝飾品や美術工芸品の数々などを見学できます。

この記事では、「チューリップの宮殿」とも呼ばれるトプカプ宮殿の見どころについて詳しくご紹介しています。

トプカプ宮殿はオスマントルコ帝国のスルタン(王様)の居城

トプカプ宮殿
トプカプ宮殿は、1467年にメーメットⅡ世(Fatih.征服王)によって建てられました。その後、19世紀の半ばまで、つまり、オスマントルコの31代スルタン(王様)であるアブドールジットが、ボスポロス海峡の海岸にあるドルマパッチエ宮殿を建てるまで王様の家として使われました。当時、宮殿に住んでいたのは6,000人ほど。金曜日のお客を加えると、宮殿の人口は16,000人にも増加したそうです。

オスマントルコの歴史には、1299~1922年まで、全部で36人のスルタンがいました。スルタンの大部分はトプカプ宮殿に住み、19世紀の半ばにドルマバッチエ宮殿を建ててからも、トプカプ宮殿のハレムは使われました。

現在トプカプ宮殿は博物館として利用されている

1922年に最後のスルタンがドルマバッチエからイギリスの船で逃げたのち、1923年に将軍ケマル・パシャがトルコ共和国を建国。トプカプ宮殿も政府のものになり、1924年には博物館に姿を変え、現在に至っています。

歴代のスルタンが、いろいろな建築を建て増ししてきたため、宮殿のつくりは複雑です。異なった時代の建築様式や目的の違った建物が混在しており、16世紀に建てられた壁の上に、18世紀に流行した壁画を見ることもできます

トプカプ宮殿の基本情報

トプカプ宮殿
・名称:Topkapi Palace Museum

・住所:Cankurtaran, 34122 Fatih/İstanbul, Turkey

・営業時間:

9:00~16:45、チケット売り場は16:00まで(冬季:10月30日~4月15日)

9:00~18:45、チケット売り場は18:00まで(夏季:4月15日~10月30日)

・定休日:火曜日

トプカプ宮殿へのアクセス

トプカプ宮殿は、イスタンブールの観光名所が密集する旧市街エリアにあります。ブルーモスクからは10分ほど、アヤソフィアからはすぐです。トラムを使うなら、最寄駅はT1の「Sultanahmet」駅か「Gülhane」駅。どちらも下車後、徒歩5分程度です。

トプカプ宮殿の入場料

・入場料:72トルコリラ(約1,300円)

・ハレム入場の追加料金:42トルコリラ(約760円)

・ハギアアイリーン教会入場の追加料金:36トルコリラ(約650円)

・オーディオガイド:20~30TL(約360~480円)

「Istanbul Museum Pass」も利用可能。これは、アヤソフィアやイスタンブール考古学博物館など、イスタンブール内にある美術館・博物館の共通チケットです。220トルコリラ(約3,960円)なので、かなりお得。ハレムも入れます。

また、オーディオガイドがあると理解が深まるのでおすすめです。敷地内にレンタルブースがあります。

(※2020年3月時点での情報)

観光の所要時間

トプカプ宮殿は敷地がかなり広く、見どころも満載です。観光時間は、1時間半~2時間程度見ておいたほうがいいでしょう。ハレムや宝物館の展示などは非常に混雑するので、比較的空いている午前中がおすすめです。

なお、敷地内はハレムなどの建物含め、基本的に写真撮影OKですが、会議の間や宝物館など、一部撮影NGな場所もあるため注意しましょう。


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トプカプ宮殿のみどころ

トプカプ宮殿 皇帝の門Alexxx1979 / CC BY-SA

宮殿の大きさは約70万㎡。周りの庭はスルタンの猟場でしたが、現在は、羊、描、年寄りのラクダが二頭いて、動物園のようになっています。宮殿側には、オリエント急行の駅と兵舎があります。

トプカプ宮殿は、二重の城壁に囲まれています。ブルーモスク側にある総門が「皇帝の門」。15世紀に、メーメットⅡ世がこの町を征服してから建てられたものです。この門の手前、右手に見えるのが「アーメッドⅢ世の泉」という、イスタンブールで一番美しい泉です。

宮殿の銀製品のコレクションの中には、この泉の小さい雛型があります。アーメッド(アフメト)Ⅲ世は、オスマントルコの歴史の中で文化的な興隆を見たチューリップ時代のスルタンです。

トプカプ宮殿は別名「チューリップの宮殿」

トプカプ宮殿のチューリップ User:Dantadd / Public domain

アーメッドⅢ世の安定した統治時代に、トルコ国内でチューリップ栽培が普及したため、1700~1730年はチューリップ時代と呼ばれます。イスタンブールでは黒いチューリップが作られました。宮殿の庭園内でもチューリップの栽培が盛んだったため、トプカプ宮殿は「チューリップの宮殿」という愛称でも親しまれています。

チューリップの球根は、オーストリアの大使がオランダヘ持ち帰ったのち、オランダから各国へ輸出されたので、オランダが原産国と思われていますが、実はトルコが原産国のひとつなのです。

第一中庭

トプカプ宮殿
総門を抜けると第一中庭です。第二中庭に入る前に、ここで入場券を買わなければなりません。入場の際にはセキュリティチェックもあります。

門をくぐる前に、右側のスズカケの木の後ろにある泉で立ち止まり、しばし思いをめぐらせてみましょう。これは、「死刑執行人の泉」です。大臣や首相などの役人が、スルタンの機嫌を損ねたときには、すぐに首を切られ、この泉で洗われてから、さらし台にのせられました。新任の大臣が命を受けて、トプカプ宮殿へはせ参じたときには、前任者の生首を目にしたものだったそうです。

19世紀後半、ドイツのウィリアムⅡ世が来訪したときには、当時のスルタンは悪印象を恐れて、泉を壁から離しました。そして1924年に宮殿が博物館になってから、再び元の所に戻されたという経緯があります。

ちなみに、宮殿の蔵の中にある沢山の細密画から、この庭の当時の様子を知ることができます。当時ここには、いろいろな泉や宝物館があり、薪を収容するための倉もあったようです。

第二中庭

トプカプ宮殿
送迎門を入ると、大きく美しい庭があります。この中庭は、昔オスマントルコ政府と取引のあった商人たちに解放されていました。現在は、ハレムの入り口と、陶磁器・銀製品の博物館があります。

高い塔の下にある建物は政庁です。宰相の執務室、会議の間、客間など、政治の場とは思えないほど豪華な装飾で彩られています。思わず写真を撮りたくなりますが、ここは撮影NGなのでご注意を。

ところで、第二中庭は、スズカケの木、糸杉、くるみの木、花などが無雑作に植え込まれているような印象を受けます。古い記録によると、かつては、18種類の梨の木、14種類の梅の木、そして7種類のマルメロの本があったそうです。しかし、ガイドに言わせると、世界で唯一つしかない「イチヂク」を除いては、果樹は一本も残っていません。これは糸杉に、イチヂクを接ぎ木したものです。

すぐ隣には、ビザンチン時代の地下水槽の天井も見えます。また、ビザンチン時代の柱と、オスマントルコ各地から持ってきたアラビア文字が書かれた大理石板もあります。

ハレム

トプカプ宮殿
第二中庭からは、トプカプ宮殿の大きな見どころのひとつ、ハレムに入れます。ここからは別料金となりますので、入り口脇にあるチケット売り場で入場券を購入しましょう。

ハレムは、宮廷の女性たちの生活の場です。ハレムの建物は、黒人宦官、女性たち、スルタンの母、スルタン、皇太子、「お気に入りの女性たち」それぞれの住居から成っています。

なお、2020年3月現在、ハレム内部は一部工事中です。見学には支障ありませんが、タイミングによっては入れない部屋もあるかもしれません。

黒人宦官の住居

トプカプ宮殿 黒人宦官の住居 Karelj / Public domain

ハレムに入って最初にあるのが、黒人宦官の住居です。年寄りの宦官は1階に、若い宦官は上の階に住んでいました。入りロの右には、政府の中枢であるディバンに通じる地下道路への扉があります。

宦官とは去勢された男性のこと。この時代の後宮で執務を担った人々です。黒人宦官は、アフリカで去勢してから宮殿へ売られました。

ちなみに、去勢には3つの方法がとられました。ある者は睾丸のみ、ある者はペニスのみ、またある者はペニス・睾丸とも去勢されました。切り取った部分が再生する恐れがあると考えられていたので、彼らは時々、医者の診察を受けなければならなかったようです。

宦官たちが、アフリカからハレムに連れて来られると、バラ・カーネーション・ヒヤシンス・ナーシサス・ヤナドなど、女性的な、特に花の名前が与えられました。彼らは、ハレムの家事雑事に携わり、特に宦官頭は、スルタンのプライベートな生活の中で重要な役割を果たしていました。

ハレムに入ると、左に小さなモスクがあり、黒人たちはここでお祈りをしました。壁のタイルは全てアラビア文字で、コーランから引用されたものです。

女性たちの住居

トプカプ宮殿 ハレム Jorge Láscar from Australia / CC BY

ハレムの二番目の建物は、女性たちの住居になっていたところです。この女性たちは、イスタンブールの市場で買われたか、外国からスルタンにプレゼントされた人々。時々、スルタンも、女性たちを外国の皇帝へのプレゼントにしました。

女性たちは、自分の宗教を持ち続けることが許されましたが、名前はトルコ名に変えなければなりませんでした。秘密裡に自分の家族に手紙を書いたり、親戚に会ったりすることもできましたが、ハレムの中に入ってからスルタンが死ぬまで、外へ出ることは全く許されなかったようです。

ハレムの中で外出することができたのは、スルタンの母と娘だけでしたが、必ず宦官が付き添うことになっていました。ハレムは、アラビア語で「禁じられた」を意味します。この場所には、スルタンとスルタンの家族以外の者が入ることは禁じられていたのです。

謁見室(スルタンの広間)

トプカプ宮殿 スルタンの広間
ここには、スルタンの王座とお気に入りの女性の座る場所、大時計、タイル、ロッキングチェア、大きな花瓶があります。これらは、外国からの贈り物です。ちなみにアンティーク時計と大時計は、9時5分で止まっています。1938年11月10日の午前9時5分に、トルコ共和国建国の父、将軍ケマル・パシャ(アタチュルク)が亡くなったからです。

ムラトⅢ世の部屋

トプカプ宮殿
謁見室の後で見る部屋のうち、一番美しいのは、ムラトⅢ世の部屋です。ムラトⅢ世は、オスマントルコの黄金期をつくったスルタン・スレイマンの孫息子でした。部屋の中には、夏の間、空気を爽やかに保つために、沢山の小さい噴水があります。室内には、ベッドが見あたりません。ベッドが、オスマントルコの生活にとり入れられたのは19世紀のこと。それまでは、床の上に布団を敷いていました。

今でもトルコの田舎では、寝る時間になるとタンスの中から布団を出して、床に敷いて寝ます。スルタンも同じだったのです。言い伝えによると、ムラトⅢ世は毎週金曜日の夜、2人の処女と寝たそうです。彼は、金曜日の夜は息子ができると信じていたからです。彼が亡くなったとき、119人の子供が残され、ハレムの17人の女性が妊娠していました。

ムラトⅢ世の部屋の次にある2つの小部屋のうち、最初にあるのはモスクです。このモスクから見る町の景色は素晴らしいものです。ハレムの建物には、町の側だけに窓がつくられており、女性たちが男の姿を見ることのないように、宮殿側には窓は一つもありません。

トプカプ宮殿 スルタン・アーメットの部屋 The Fruit Room, Topkapi Palace, Istanbul. | artorusrex | Flickr Creative Commons — Attribution-ShareAlike 2.0 Generic — CC BY-SA 2.0

モスクの隣の部屋は、スルタン・アーメットの子供時代の部屋です。彼は子供のとき、とても少食でした。言い伝えによると、父親は彼の食欲を増すため、この部屋の壁紙を全て果物の模様にしたそうです。

タイルやステンドグラスの美しい青

トプカプ宮殿 ハレムのタイル Derzsi Elekes Andor / CC BY-SA

ムラトⅢ世の部屋の両側には、イスタンブールで一番立派なタイルが見られます。このタイルは全て、1550~1600年の間にニシア(今のイズニック)の町で作られたものです。このタイルには、大きなスモモの枝が描かれています。日本の桜のように、オスマントルコでは、スモモの花が非常に好まれました。

枝の下には、ヒヤシンス、チューリップ、カーネーションの3種の花が描かれています。現在、このデザインはドレコの絨毯に見られ、「生命の樹」または「天国の庭」と呼ばれます。

トプカプ宮殿
次の2つの部屋は、皇太子の部屋だったものです。ここには、ハレムで一番立派な天井と、ステンドグラスの窓、ウールの絨緞、火鉢などがあります。

トプカプ宮殿 ハレム 金の道 Bjørn Christian Tørrissen / CC BY-SA

ハレムの最後は、一番お気に入りの女性たちの住居です。スルタンが一度寝た女性を忘れないで、もう一度ベッドを共にしたら、その女性は「お気に入りの女性」と呼ばれます。このお気に入りの女性の数は、ときに200人にも及んだそうです。

ハレムの出口の狭い道は、「金の道」と呼ばれます。スルタンは、ヨーロッパでの戦争から凱旋してくると、この道からハレムに入りました。道沿いにお気に入りの女たちが着飾って並び、スルタンは彼女たちに、金、銀、ダイヤモンド、真珠宝石を投げ与えたそうです。

ハレムでの生活を全て詳しく書くことは不可能です。それは、まさしく「夢の世界」だからです。

宝物館は現在工事により閉鎖中

トプカプ宮殿 ハレム 宝物館 Jorge Láscar from Australia / CC BY

宝物館は、2020年3月現在、工事によって閉鎖されています。しかし、宝物館の目玉である「スプーン屋のダイヤモンド」と「トプカプの短剣」は見学可能です。

スプーン屋のダイヤモンドは、ナシの形をした珍しいダイヤモンドで、その重さはなんと86カラット。実際に見ると圧巻の迫力です。

トプカプの短剣は、ランの支配者ナーデル・シャーへの贈り物として、スルタン・マフムード1世の命令で作られたもの。「世界で最も貴重な短剣」ともいわれています。エメラルドで覆われた短剣はオスマン帝国の職人の傑作であり、鞘の宝石の中にロンドン製の時計も置かれています。また現在、スルタン・マフムード2世の玉座も展示されています。


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調理場

トプカプ宮殿 調理場 Gryffindor / Public domain

中庭の右手にある大きな建物は、昔の調理場です。第一番目の建物は、料理人の宿舎だったところで、当時は、1,200人の料理人が住んでいたといいます。今では、歴代のスルタンが買い集めたり、献上を受けたりした、マイセンやリモージュなどのヨーロッパの陶磁器、ベネチアングラス、家具などの博物館になっています。実際に料理が作られていたのは、二番目の建物です。

ディバン(会議の間・政庁)

トプカプ宮殿
ディバンは、政府の中枢です。毎週4日、スルタンと大臣たち、アジアとヨーロッパを含む広大な帝国の全土から将軍たちが集まりました。ディバンの上にある塔は「正義の塔」といいます。この塔からスルタンは、オスマントルコ国民に正義を約束し、約500年の間、世界に冠たる大帝国はこの宮殿から治められたのです。

その領域は、全バルカン諸国、黒海沿岸、クリミア・カスピ海までの東アナトリア、中東、イラン、アラビア半島、エジプト、チュニジア、モロッコを入れた北アフリカ、キプロスとロドスに広がっており、世界の七不思議に数えられる場所は、全てオスマントルコの領域内にありました。

スルタンは、ディバンにいつも来る必要はありませんでした。好きなときにハレムからディバンに通じる地下道を通って、誰にも気付かれずに会議を覗くことができたからです。ディバンで大臣たちが喧嘩をしていると、スルタンは咳払いをしたそうです。

ディバンのすぐ隣の小部屋では、書記たちが会議の記録を取りました。これらは、防水紙にオスマン語で書かれました。

宮殿ではトルコ語が話され、お祈りはアラビア語、文学と詩はペルシャ語で書かれました。トルコ語、アラビア語、ペルシャ語の混じった非常に難しい言葉であるオスマン語は、政治に使われたのです。現在、宮殿の蔵の中には、オスマン語で書かれたものが1億2,000万ページほど残されていますが、残念なことに、今に至るまでに翻訳されたのは、このうちの3%だけです。

ちなみに武器の展示館も、この庭の中にあります。ここで日本人に興味深いのは、19世紀に日本のある侍がスルタンに贈った鎧でしょう。

幸福の門

トプカプ宮殿
謁見の間の入り口となるこの門は、「幸福の門」と呼ばれています。スルタンは神の使いで、臣民に幸福をもたらすと考えられていたので、この名が付けられました。

天井からは釣束飾りがおりています。言い伝えによると、この釣束飾りは世界を表わし、上にある石は、スルタンの力を表わしているそうです。スルタンの手は世界を握り、その力は、あらゆるところに及ぶという意味です。

床にある穴は、オスマントルコの旗を立てるためのものです。大きな儀式のあるときには旗を立て、現在は宝物殿にある金の王座もここに置かれました。

第三中庭

第三中庭の真ん中にある二つの大きい建物は、スルタン・アーメット(1703-1730)の図書館と、謁見の間です。外国の使臣たちは、ここでスルタンに会いました。

スルタンの衣装と宝物、細密画は、この庭のまわりにある建物に収められています。世界一の大時計の収集もここにあります。現在宝物殿として、4つの部屋が使われています(2020年3月現在は工事により閉鎖中)。昔、この部屋は、スルタンの浴室でした。

第一の部屋に、鎧兜、王座、香水瓶、鉄砲、ローソク台、オルゴール、金のコーヒーカップ、琥珀の水タバコの吸い口が収められています。トルコ人には、コーヒーショップで水タバコを吸うために、自分の吸い口を携帯している人もいます。

第二の部屋は、世界一のエメラルドコレクションが置いてあるので、「エメラルドの部屋」と呼ばれます。緑色は、回教で天国を表わす神聖な色とされていたので、スルタンが好んだ宝石も、エメラルド、金鉱石、かんらん石、翡翠など、緑色の石でした。

この部屋で一番大きなエメラルドは、15kgほどもあります。同じ陳列棚の中には、映画「トプカプ」でお馴染みの宝剣も見られます。この短剣には3つの素晴らしいエメラルドと、よく見ると時計もついています。同じ部屋に、スルタン・アーメットⅢ世の王座と、あるスルタンの息子の揺り籠があります。

三番目の部屋にある一番大きいダイヤモンドは86カラットの大きさで、「スプーンのダイヤモンド」と呼ばれます。このダイヤモンドは、言い伝えによると、大バザールで2つのスプーンとごみの山を交換した漁師に見つけられたといわれています。宮殿内の最も価値ある金製品は、二つ共同じ部屋に置かれています。当時で、それぞれ100万ドルの値打ちがあったそうです。

四番目の部屋の王座は、蒙古人の支配者のもので、ペルシャからの贈り物として、この宮殿に来たものと思われます。同じ部屋には、数珠と、140kgの巨漢で知られていたスルタン、アブドル・アジズのスプーンコレクションも見られます。

敬虔なクリスチャンにとって、この部屋で一番興味深いものは、洗礼者ヨハネの手です。これは、哀れな聖ヨハネの中指か薬指に違いない。と言うのも同じ聖人の他の指を所蔵していると他の博物館からクレーハナノ二万から。以前、ツアーグループの言語学者がこんな事をこっそり話してくれました。聖人の手を支える鞘の金文字は、ヨハネと記してありますが、これは洗礼者ヨハネではなく、学者ヨハネであり、16世紀のキリスト教世界の偉人の一人であるそうです。

予言者モハメッドの遺品の中で、一番大切なのは彼の外套ですが、これは金の箱にしまわれているので見ることはできません。同じ部屋に、弓と刃、歯、足形と髪の毛などがあります。メッカのカーバ神殿の扉の一部もここにあり、回教徒の巡礼の場所になっています。

第四中庭

トプカプ宮殿
四番目の庭にレストランとカフェテリアがあります。ここからのボスポラス海峡とマルマラ海の景色は素晴らしいものです。アジア側に見る一番大きな建物は、クリミア戦争の兵営だったところ。有名なイギリス人看護婦ナイチンゲールは、ここで働いていました。

庭の左には、旧市街、新市街、ガラタ橋が見渡せます。散在する優雅な建物の中には1638年にペルシャを破ってバクダッドを攻略した記念に、スルタン・ムラトIV世が建てた華麗な夏の宮殿「バクダッドキョシキュ」も見られ、オスマントルコの宮廷生活の華やかなりし昔をしのぶことができます。

トプカプ宮殿でオスマントルコ時代の歴史と文化を堪能しよう

トプカプ宮殿は、世界遺産となっているイスタンブール歴史地区を構成する重要な建築物です。オスマントルコ時代の文化を肌で感じられるため、見逃せない観光スポットのひとつといえるでしょう。

ターキッシュエア&トラベルのツアープランでも、トプカプ宮殿は定番コースのひとつです。広大なトルコやイスタンブールの見どころを余すことなく味わいたいなら、ぜひターキッシュエア&トラベルのツアーをご利用ください。


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トプカプ宮殿・ハレムから見るオスマントルコの歴史と文化

トプカプ宮殿

トプカプ宮殿はオスマントルコの栄華の象徴

トプカプ宮殿の調理場では、1年間に3万羽の鶏と、4万頭の羊が料理されていたそうです。それぞれの料理人には自分の専門料理があり、通常の食事で132種類の料理が作られました。スルタンとその家族には、お付きのコックがいて、時には食物が支給され、好きに調理ができました。

例えば、スルタンの“お気に入りの妻4人”には、毎日5 kgの肉、2kgのバター、どっさりの雪(ロバの背にのる程度の、ただし夏場のみ)、一皿のクリーム、最上級の穀物4握り、0.5 kgのハチミツ、1kgの果物、卵2つ、4羽の鶏、そして季節の野菜が支給されました。

ちなみに当時は、冷蔵庫がなかったので雪を使いました。雪は、マルマラ海の向こうのミシアンオリンプス(現在のウルダー。トルコで一番有名なスキ一場)から、ラバで運んできて、特別な穴倉の中に保管されました。ローマの皇帝ネロも、リノビアンカ(白ブドウ酒)を冷やすのに同じ方法を用いたとされています。

ビザンチン皇帝たちと、オスマントルコのスルタンが、これほど裕富だった理由は、イスタンブールの立地条件の良さによるものです。イスタンブールの港は、約2,000年間、世界の貿易の中心地でした。

ソ達からは女の奴隷、牛、木、ハチミツ、毛皮、鉛、鉄を、バルト海沿岸の国々からは琥珀、インドからは香料、カッパドギアからは馬、バーレーンからは真珠とサンゴ、エジプトからはパピルス、アフリカからは黒人奴隷、象牙、野生の動物、イタリアからはブドウ酒とベネチアングラス、ギリシャからはオリーブ油、キプロスからは銅、ブルガリアからはローソク用の蜜を運んでいました。

これらの交易品を運ぶキャラバンが町へ入るときと出るとき、また、船が金角湾へ入るときと出るときには、10%の税金を払わなければなりませんでした。1453年にオスマントルコが町を征服して以来、イスタンブールは敵の襲撃を受けたことがないため、これほど立派な品々が、現在もトプカプ宮殿に集められて残っているのです。

トプカプ宮殿
陶磁器のなかで、一番立派なのは青磁です。青磁の入れ物は、料理の中に毒が入っているなら変色すると信じられていました。19世紀後半のスルタンアブドール・ハミッドは、タバコの毒味を宦官にさせていました。あるスルタンは、卵の上に母の印章がついた固茄で卵だけ食べたそうです。

ただし、オスマンのスルタンについては、ほとんどが当時の歴史家が書いた本から来ていることを忘れてはなりません。当時の歴史家には、小説を書くことと、歴史を叙述することの見分けがつかなかったからです。外国人使者の手紙も同様です。

今日、スルタンたちは歴史の数ページを飾っており、オペラや劇のテーマにもなっています。すぐに、スクリーンにも登場するでしょう。このようなことを、著者の年代は誉れとも恥とも思っていません。この公平な見方は、最近の科学的な歴史解釈の結果だからです。

トルコ人は、沢山食べます。しかし、オスマントルコの大部分は少食でした。一番大きいスルタンは、19世紀のアブドル・アジズでした。彼は背丈が215cmで、体重は138kgもありました。彼はドルマバッチエ宮殿に住んでおり、ハレムには1,000人ほどの女性がいましたが、女性の数が余りに多かったので、約半数はトプカプ宮殿に住んでいたようです。

台所を建てたのは、オスマントルコの歴史で一番有名なスルタン、スレイマンのモスクを建てた建築家、シナンです。台所のうち、お菓子を作った場所は当時のままに保存されており、沢山のポット、コーヒーセット、金の皿などがあります。残念ながら、通常閉められており、入ることは難しいでしょう。

その隣の部屋では、コーヒーカップ、一輪挿しの花瓶など、トルコ製の陶磁器が見られます。コーヒーカップの大部分には取っ手がありません。昔はガラスのコップを、金や銀、ダイヤモンドなどの器に入れて出していたからです。

トプカプ宮殿
日没後は、宦官も頑丈な樫の扉の奥にある女性の住居に入ることができなかったそうです。寂しい気持ちを抱える女性たちと、黒人宦官のロマンチックな恋愛もたまにあったに違いないでしょう。日が沈むと、宦官は扉に錠をかけ、翌日の日の出まで警護をしていました。

女性の中で病気になった者がでると、医者はカーテン越しに診察をしました。後には、直接診察を受けることが許され、音楽の教師につくこともできるようになったそうです。スルタンは、全ての女性に会うことはできなかったので、彼女たちの中で、音楽の教師と恋に落ちる人もいました。この話がスルタンの耳に入ると、この女性は、相手の教師にプレゼントとして与えられました。

スルタンに最もふさわしい女性を選ぶのは、黒人宦官長とスルタンの母親でした。ハレムの最も美しい少女でさえ、この二人の助けなしには、スルタンの眼に触れるチャンスがなかったのです。

皇太子の部屋の奥は、スルタンの最初の男の子を生んだ4人の女性たちの住居でした。今ここに入ることはできません。4人の妻の中で長男を生んだ妻が一番偉かったようです。スルタンは、この4人の妻に、夫としての義務を持っていました。もし、スルタンが二度続けて金曜日の晩、妻の元を訪れなければ、彼女は離婚されたと考えて良いことになっていました。

スルタンが亡くなると、最年長の息子が跡を継ぎます。新しいスルタンは、新しいハレムを設け、古いハレムの女性たちを、たいていは家来たちと結婚させました。彼女たちは、おさがりとはいえ、美しく、行儀作法を知っており、宮殿ともつながりを特っていたため、引く手あまただったのです。年をとって再婚ができなくなった女性は、若い女性たちの先生になってハレムに住み、針仕事、トルココーヒーの入れ方、水タバコの用意のし方、歌、ダンス、楽器の演奏などを教えました。

女性たちは、スルタンに会うまで、大部屋に住まわされていました。スルタンの母親と黒人宮官長は、スルタンが賢い女性と恋におちることを嫌ったので、美しいが馬鹿な娘を選びました。これは、スルタンにオスマン帝国を治める責任を忘れさせないため、そして何よりも、スルタンの母親が息子への影響力を失うことを恐れたためです。

言い伝えによると、スルタンが女性の前を歩くときに1秒か2秒立ち止まると、その夜、女性はスルタンのベッドヘ連れて行かれたそうです。女性はまず、トルコ風呂に入って休を洗われ、体毛を全て取り去られます。手足の爪を切り、マニキュアがされ、顔には眉墨が塗られます。そして、スルタンの好みや振舞い方などが、あらかじめ教えられたのです。

スルタンの部屋

スルタンの住居には、寝室と食堂、居間、小さいモスクがあります。スルタンは、法律上の妻を持ちませんでした。ただ、はじめに男の子を産んだ4人の女性たちが妻と考えられていました。最年長の息子の母が、スルタンの死後、新しいスルタンの母になりました。

スルタンが亡くなると、最年長の息子が跡を継ぎました。オスマントルコの法律によると、新しいスルタンは弟たち全員を殺さなければなりません。

この法律は、メーメットⅡ世(Fatih 征服者)によって作られました。ヨーロッパの帝国の多くは、兄弟間の王座争奪戦争によって崩壊したので、それを防ぐために考えられたものです。彼らは、帝国とその国民を守ることが自分に与えられた使命であると考えていたので、そのために殺されるのも運命と受け入れていました。

ハレムを初めて見ると、冷たい印象を受けるかもしれません。しかし、昔の人の感じ方は、私たちの感覚とは違うものです。女性たちの最大の望みは、スルタンに会って、息子を産むことでした。それによって、いつか自分が、世界で最も重要な女性になることができるかもしれなかったからです。男以外には、ハレムの中で何でも手に入れることができました。

ベネチアの使者によると、ハレムに届けられたキュウリさえも、女性たちを「淫らな行いの誘惑」から防ぐために、輪切りにされたそうです。これはあまりに奇想天外ですが、より信憑性が高いものとしては、やっかいな出来事を防ぐために、若い女の子10人の間に、老女が一人寝ていたといわれています。買い物がしたいときは、バザールの店員が、ハレムに呼ばれ、黒人宦官に買わせました。女性たちが望めば、宦官たちは歌ったり踊ったりもしました。結局のところ、女性たちにとって、ハレムでの生活はとても楽しいものだったのです。

ハレムの中には、沢山の絨椴がひかれていました。暖炉や火鉢、ストーブもあったので、暖房の問題はありませんでした。スルタンの母の部屋と謁見室の間に、大理石でできた大きな浴室があります。その手前の右手はスルタンの化粧部屋です。中に浴槽が一つありますが、これはあまり使われなかったようです。

トルコの習慣によって、汚れを流れ落とすために、水は常に流れていなければなりませんでした。トルコ風呂で、スルタンは大理石の椅子に座り、体を洗った後、水で流して皮膚をこすりました。風呂は、16世紀の有名な建築家、シナンによるものです。

現在、イスタンブールには、沢山のトルコ風呂があります。男性と女性の風呂は別々になっています。ちなみにトルコ人は、日本にあるトルコ風呂を、どうしてトルコ風呂と呼ぶのか全然わからないそうです。


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